第144話「太子狼炎、書状を受け取る」
──北臨の町では──
天芳が不審者と戦った日の翌朝──
太子狼炎は、兆家の嫡男、兆昌括の訪問を受けた。
狼炎は面会を拒否した。
「……すでに兆家には『会わぬ』と伝えたはずなのだがな」
狼炎は北臨に戻ってすぐ、兆家の者に書状を送っている。
父王と燎原君にも、一筆書いてもらった上で。
内容は次の通りだ。
『叔父と甥という関係に甘えるな』
『心得違いは許さぬ』
『この狼炎は「不吉の太子」という異名をすでに受け入れている。私の異名については、貴公の関知するところではない。臣下としての立場をわきまえよ』
──以上だった。
きっかけは、北の地で薄完という者が暴走し、部隊を危機にさらしたことだ。彼は偽のゼング=タイガを追って部隊を動かし、敵の罠にはまった。隊長の景古升が兵士たちを必死に守ったため、犠牲者は出なかった。
だが、それは奇跡のようなものだ。
黄天芳たちが駆けつけなければ、皆殺しにされていたかもしれない。
薄完は北臨に送られて、罰を受けた。
部隊長であった景古升は位を落とした後に、狼炎の部下とした。
これは景古升の立場が弱く、薄完を止められなかったという事情があったからだ。
薄完が暴走した責任は兆家にある。
だから狼炎は兆石鳴に書状を送り、罰を与えることを宣言したのだ。
その後、兆家は官位を剥奪された。
父王の許可は得た。高官たちも納得させた。
だが、恒久的なものにはならないだろう。
兆家は名家だ。王家とも関わりがある。
兆家に引き上げられた将兵も多い。彼らに不満を抱かせるわけにはいかない。
狼炎の父は一定の冷却期間をおいた上で、兆家の官位を戻すつもりでいる。
狼炎も、それはわかっている。
父の考えを変えられるかどうかは、これからの努力次第だろう。
だが──
「『会わぬ』という書状を送った数日後に、兆昌括が訪ねてくるとはな……」
「昌括どのには、お帰りいただきました」
門の警備を担当していた兵士が、太子狼炎に一礼した。
「時間はかかりましたが、納得されたようでした。代わりに殿下に書状を、と」
兵士は狼炎に書状を差し出した。
それを受け取りながら、狼炎は、
「すまぬな。景古升よ。旧主の申し出を拒否するのは大変だっただろう」
「私の主君は狼炎殿下です」
景古升は拱手して、答えた。
「主君の命令に従うのは当然のことです。それは昌括どのもわかってくださるかと」
「……だといいのだがな」
狼炎は肩をすくめた。
「それにしても、噂は本当だったな。『景古升の守りは堅い』か。この調子で我が護衛を務めてくれ。貴公にはいずれ、再び部隊を任せたいと思っているのでな」
「はっ!」
一礼して、景古升は持ち場へと戻っていく。
その背中を見送ってから、狼炎は書状を開いた。
最初に目に入ったのは、挨拶文だ。
その後で、兆家と狼炎との繋がりについて記されている。
具体的には、当主の兆石鳴が狼炎の叔父であること、兆家が狼炎を支えるように努力してきたことなどだ。
まわりくどい文章の後に本題が続く。
それを読み終えた狼炎は──
「『兆家に役目を与えていただきたい』か」
──ぽつり、と、そんなことをつぶやいた。
兆家の当主である兆石鳴は謹慎を命じられ、兆家の者は官職を失った。
東郭の防衛隊長だった兆昌括も、その任を解かれた。
『罰を受けるのは仕方ありません。ですが、国の役に立てないのが心苦しいのです』
それが、兆昌括の主張だった。
彼は『一兵卒として、東郭の守りに従事したい』と記している。
そこまでして、彼は東郭の町に戻りたいらしい。
「兆叔父への書状に、一筆添えたのがまずかったか」
兆石鳴に送った書状に、狼炎は一言、付け加えていた。
『薄完の独断に引きずられ、危機に瀕した一兵卒の気持ちを理解するがいい。それこそが、兆家に必要なことであろう』
──と。
それは、初心からやり直すようにうながす言葉だった。
だが、兆家の者は、そうは受け取らなかったようだ。
だからこそ兆昌括は『一兵卒として、東郭の守りに従事したい』と言い出したのだろう。
東郭は兆昌括が防衛隊長をしていた町だ。
兵士たちも兆家の息がかかった者ばかり。
現在の防衛隊長である李灰も、かつては兆家の部下だった。
その場所で兆昌括が一兵卒として扱われるわけがない。
兵たちは兆昌括を上司としてあつかうだろうし、兆昌括のまた上司としてふるまうことになる。
それがわかっていて、兆昌括は東郭への派遣を望んだのだろうか。
「……確かに、兆昌括は無難に東郭を守ってきたのだが」
狼炎も、東郭の治安の良さは知っている。
東郭の町と、東郭を出た旅人や商隊は、盗賊に襲われることがほとんどないと言われている。
だから東郭には多くの商人が集まり、商業も発展しているのだ。
それは兆昌括の功績と言われている。
彼が兵士を鍛え、街道の巡回警備を念入りに行っているからだと。
狼炎は、燎原君の屋敷で見た資料を思い出す。
数日前、燎原君が東郭の兵士たちの営所を拡張し、装備を与えたことを聞いた。
それで興味を持ったのだ。
また、兆昌括が防衛隊長をしていた町がどんな状態なのかも、気になった。
(問題はなかった。むしろ、よく町を守ってくれていた)
それだけに、違和感があった。
兆家の頭領である兆石鳴は、捕虜の介州雀を死なせている。
また、兆家の部下であった薄完は暴走し、北の地で独断専行を行った。
よく町を治めていた兆家の者が、どうして捕虜を死なせるようなことをしたのか。
どうして部下の薄完に、無理に手柄を立てさせようとしたのか。
そこに、狼炎は違和感をおぼえていたのだ。
「……仕事熱心なのは良いことだが……どうして今なのだ? 燎原君……いや、叔父上が東郭の支援をはじめるのに合わせて、兆昌括が東郭へ戻ることを願う……その理由がわからぬ」
燎原君は現在、東郭に作業員を送り込んでいる。
黄天芳が率いる部隊の、営所の改築をするためだ。
それは北方で立てた手柄の報酬として、黄天芳が望んだことらしい。黄海亮の弟は時々予想外なことをするが、今回も同じだ。
まさか、自分が得た報酬を、町の防衛のために使うとは思っていなかった。
海亮の弟は、行動が読めない。
それでも信頼できるのは、彼の人徳というものだろうか。
「黄天芳と、それを支援する叔父上。そして、叔父上が東郭に目を向けたとたんに、昌括が東郭に戻ることを申し出た……か。偶然かもしれぬが……ふむ」
侍従が差し出す茶を飲みながら、狼炎は考え込む。
しばらく思考をめぐらせて、狼炎は頭を振った。
(そういえば……夕璃姉さんに言われていたな。『ひとりで抱え込まないでください』と)
従兄弟の顔を思い出し、狼炎は優しい笑みを浮かべた。
燎原君と夕璃に相談しよう。
そう決めて、狼炎は出立の用意をはじめる。
以前は、すべてをひとりで解決しようと思っていた。
有能さを示すことで『不吉の太子』の異名を払拭しようとしていた。
けれど、今は違う。
自分に足りないものがあると認めることができるようになった。
信頼できる人を見つけて、その人たちを頼ることができるようになった。
それを自覚して、肩の荷が下りたような気分で、狼炎は深呼吸する。
それから、再び景古升を呼ぶ。
燎原君の屋敷を訪ねる前の先触れとするために。
そうして狼炎は支度を調えはじめたのだった。
次回、第145話は、明日更新する予定です。
(書籍版の発売日が近いので、連続更新しております)
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