第143話「天下の大悪人、不審者の調査をする」
夜のうちに、俺と脩さんは碧寧さんを訪ねた。
不審者について話をするためだ。
碧寧さんは、家の裏で槍を振っていた。
月明かりに映っていたその顔は、俺が初めて見る、厳しい表情だった。
碧寧さんは家族を殺した奴に対して、まだ怒っている。
だから、人目につかない時間に、こうして修練をしているのだろう。
いつか仇を討つために。
10年後の『剣主大乱史伝』の世界では、碧寧さんの仇討ちは終わっていたんだろうか?
それとも、仇を倒すために藍河国を裏切ったんだろうか……?
俺がそんなことを考えている間に、脩さんは『碧兄』と声をかけた。
彼は碧寧さんに、不審者が落とした紋章を手渡す。
月明かりの下で、紋章に視線を向けた碧寧さんは──
「……妹夫婦が殺された場所に落ちていたのと同じものです」
──そう言って、俺を見た。
「黄天芳どのが、この紋章の持ち主と戦われたのですか」
「そうです。でも、すみません。捕らえることはできませんでした」
「それは違いやすぜ。悪いのは門を守ってた連中でさぁ」
脩さんは苛立ったように、手のひらに拳を叩き付けた。
「不審者が防壁を登っていても気づかねぇ。防壁の上で黄部隊長が戦っていても、視線は南門の方を見るばかり。我が階段を登って声をかけたら、やっと気づいて動き出す。しかも見張り兵が3人しかいねぇって、どういうことなんですかい? もっと大勢いれば、不審者を捕まえられたはずですぜ!」
「この町は兆家の統治下で、ずっと平和だった。気が緩むのも仕方あるまい」
そう言って、碧寧さんは俺に一礼した。
「黄天芳どのに感謝します。あなたがいなければ、我々は町に侵入してきた不審者に、気づくこともなかったでしょう」
「偶然、気がついただけです。それより碧寧さん」
「はい。黄天芳どの」
「不審者の目的はなんだと思いますか?」
重要なのはそこだ。
不審者は防壁をあっさりと乗り越えていた。
あいつは、登りやすい場所がわかっていたんだ。
あいつが東郭に侵入したのは初めてじゃない。
たぶん、何度も出入りしているのだろう。外に仲間を待機させた状態で。
「碧寧さんは長年、兵士として働いていらっしゃいますよね? その経験から、どうお考えですか?」
「おそらくは……東郭にいる者と接触しようとしていたのでしょう」
しばらく考えてから、碧寧さんは言った。
「門を通らなかったのは、姿を見せたくなかったからでしょうな。不審者は東郭の中にいる誰かと、人知れず接触する必要があったのです。それも、何度も」
「その相手は……」
「わかりません」
「考えている場合じゃありやせんぜ、碧兄。黄部隊長」
脩さんが声をあげた。
「奴らをとっ捕まえればわかることでさぁ。六人部隊を集合させやしょう。日が昇ったらすぐに、奴らの足跡を追いやす!」
「……脩の言う通りです」
碧寧さんはうなずいた。
彼は槍を手に、殺気に満ちた表情で、
「不審者を捕らえ、すべての情報を吐かせましょう。奴が何者なのか、どうして東郭に入り込んでいたのかを調べなければなりません。自分の妹夫婦を殺した理由も……すべてを」
「わかりました。ぼくも準備をします」
俺たちは夜明けを待って、不審者の足取りをたどることにしたのだった。
そして、翌朝。
防衛隊長の李灰さんが指揮を執り、東郭の兵士たちによる調査が行われた。
兵士たちが不審者のことを李灰さんに報告したからだ。
──夜間に、東郭に出入りしていた不審者がいたこと。
──その者たちが兵士を傷つけたこと。
──不審者の仲間が、防壁に向かって矢を射かけたこと。
そして、これらはすべて犯罪行為だ。
藍河国の法では、犯人は捕らえて処罰することになっている。
だから李灰さんも動いたんだろう。
俺の方でも、不審者のことは雷光師匠に連絡してある。
奴が『五神剣術』『五神歩法』に似た技を使ったことと、そいつが俺のことを『同門潰しの雲の弟子』と呼んだことも。
雷光師匠なら、なにか知っているかもしれないからな。
明け方に鳩を飛ばしたから、そろそろ手紙が届いているかもしれない。
秋先生に宛てた手紙も同封してある。
『雷光師匠に無理させないようにしてください』と。
雷光師匠は『武術家殺し』の毒を受けたばかりだからな。
無茶しないように、秋先生に止めてもらわないと。
「──どんなに小さなものもいい。不審者の手がかりを見つけ出すのだ!」
李灰さんの叫び声が響いた。
李灰さんは兵士たちを鼓舞したあと、俺の方を見上げている。
なんだか、不満そうな顔をしている。
俺があの人を見下ろす格好になってるのが気に入らないのかもしれない。
でも、しょうがないよな。
『防衛副隊長である貴公が徒歩では示しがつかぬ。調査には馬に乗って参加していただきたい』と言ったのは李灰さんなんだから。
だから俺は今、朔月に乗ってる。
朔月は他の馬よりも、はるかに背が高い。
だから李灰さんを見下ろす格好になってしまっているんだ。
「黄天芳どの」
「はい。李灰さま」
「貴公の部隊は、独自に調査を行うがいい」
李灰さんは目を逸らして、そんなことを言った。
「不審者と戦った貴公なら、なにか気づいたことがあるかもしれぬ。自由行動を許す。存分に調査を行うがいい」
「承知しました」
俺は馬上で拱手した。
自由行動を許してくれるのは助かる。
黒馬の朔月が、さっきから鼻を鳴らしてるからだ。
俺と朔月は、草の上に残った血の跡を見つけていた。
夜露を含んだ乾きかけの血は、たぶん、俺が斬った不審者のものだ。
馬は嗅覚に優れている。
しかも朔月は壬境族の名馬だ、血のにおいを感じ取れても不思議はない。
だから南の方に視線を向けて、走りたそうにしてる。
朔月には、不審者たちが向かった方向がわかるのかもしれない。
せっかく自由行動を許してもらったんだ。
奴らの足取りをたどってみよう。
「ぼくの馬が、不審者たちの足取りをつかんだみたいです。それを追ってみます」
俺は碧寧さんに向かって、告げた。
「これから馬に任せて走ってみます。たぶん、かなりの速度になると思いますから、碧寧さんたちは、ゆっくりとついてきてください」
「え? あ、はい」
「それじゃ、お前に任せる。朔月」
俺は朔月の首をなでた。
すると、朔月は『ぶるる』と一声鳴いて──
その直後、猛烈な勢いで走り始めた。
「──な、なんという速度だ!?」
「──あれが壬境族から奪ったという……?」
「──黄部隊長を見失うな!!」
碧寧さんと脩さん、六人部隊の人たちの声が遠ざかっていく。
朔月は道なき道を、まっすぐに駆けていく。
草の上でも、乾いた道でも、迷いはない。
行く先がわかっているかのように、全速力で走って行く。
とにかく、不審者の手がかりを見つけよう。
手段を選んでいる場合じゃない。
あいつらは雷光師匠の流派の敵で……おそらくは、藍河国の敵でもある。放置するのは危険だ。
『…………ぶるるぅ』
しばらくすると、朔月が脚を止めた。
俺たちがたどりついたのは街道から外れた場所にある、丘陵地帯だ。
まわりには小高い丘や、木々に囲まれた岩山が……って、あれ?
この地形には見覚えがある。
俺はゲーム『剣主大乱史伝』の中で、何度かこの場所を通っている。
勇者軍団が東郭の町を攻略するときだ。
主人公たちがこの近くのセーブポイントに集まって、東郭攻略の打ち合わせをしていたのを覚えてる。
東郭の攻略戦は難易度が高かったかったからな。
何度も同じセーブポイントに戻って、やり直したりしていたんだ。
……セーブポイントか。
そういえば、前に小凰と一緒に行ったセーブポイントは洞窟だったっけ。
旅人が雨宿りをする場所で、薪が準備されていた。
冬里と一緒に行ったセーブポイントでは、トウゲン=シメイと出会った。
交易を望む壬境族しか知らない、秘密の場所だった。
……じゃあ、この近くにあるセーブポイントは?
もしも、そこが人に知られていない場所で、人が隠れるのに適した場所なら──
──不審者たちは、その場所を使っているんじゃないか?
このあたりのセーブポイントは、東郭に入り込むにはいい位置にある。
不審者たちが拠点にしていてもおかしくない。
「行ってみよう。こっちだ。朔月」
『ぶるる!』
俺は朔月と一緒に、この地のセーブポイントへと向かったのだった。
次回、第144話は、明日更新する予定です。
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