第140話「天下の大悪人、夜の見回りをする」
──天芳視点 (翌日の夜)──
「暗いですからな。足下に気をつけてくださいよ。部隊長どの」
「ありがとうございます。脩さん」
俺と、碧寧さんの部下の脩さんは、東郭の町を歩いていた。
時刻は、だいたい夜の9時くらい。
明かりは、空に浮かんだ半月と、脩さんが持っている松明だけ。
弱い光だけれど、今はそれが頼もしい。
月明かりはぼんやりと、松明は、はっきりと道を照らしてくれている。
夜の巡回任務だった。
本当は他の部隊が担当していたものだけれど、こっちに仕事が回ってきたんだ。
『装備が新しくなったのならできるだろう?』って。
そうなることを予想していた碧寧さんは、その依頼を受け入れた。
だからこうして、俺と脩さんが夜間の見回りをしているというわけだ。
「装備が新しくなったから夜間巡回ができるというのは、本当の話なんですがね」
俺の隣を歩きながら、脩さんは言った。
「我らの甲は古かったですからな。歩くと音がしていたんですよ。兵士がかちゃかちゃと音を立てていたら、不審者に居場所を教えるようなものです。それで、我らの部隊は、夜の巡回ができなかったのですよ」
「……そうだったのですか」
「ですが、新しい甲は音がしません。しかも、黒く塗られておりやす。こんなふうに闇に紛れることもできやす」
脩さんは俺に松明を渡して、物陰に移動する。
甲が闇に溶け込み、脩さんの顔しか見えなくなる。
「これで不審者は、我らの接近に気づかないというわけでさぁ」
「なるほど。脩さんは、夜の行動に慣れているんですね」
「……どうしてそう思われるんで?」
脩さんが目を細めて、俺を見た。
「部隊はこれまで、夜の巡回をしていなかったんですよね? でも、脩さんは夜道に慣れているように見えます。見通しの悪い道でも落ち着いていますし、たまに足音を消して進んでます」
俺は緊張しながら巡回任務をやってる。
慣れない町の、慣れない夜だ。だから絶えずまわりの気配に気を配ってる。
でも、脩さんはリラックスして歩いているように見える。
「だから、脩さんは夜に慣れているんじゃないかと思ったんです」
「我は昔……荒事に関わっていたことがあります」
そう言った脩さんは、慌てて首を横に振り、
「もちろん、悪事に手を染めたことはありやせん。少しいきがっていた時代があっただけでさぁ。碧兄と、黄部隊長に恥じるようなことはなにひとつしてませんぜ」
「はい。それは脩さんを見ればわかります」
脩さんは親切だ。
俺が『夜間巡回に参加したい』と言ったら、すぐに『ご一緒しやす』と言ってくれた。一緒に歩いて、仕事のやり方も教えてくれてる。
この人が悪事に手を染めていたとは思えない。
「仕事を続けましょう。次の角は、どっちに行けばいいですか?」
「左に曲がってくだせぇ。その先が、東郭の南門です」
「わかりました」
「この時間、門は閉じておりやす。誰も出入りできません。だから巡回を省く部隊もおりやすが……」
「碧寧さまの部隊は、そんなことはしないでしょうね」
「当然でさぁ。碧兄は、民を守ることを第一に考えるお人ですから」
脩さんは自慢げに胸を張った。
碧寧さんがそういう人なのは──たぶん、妹夫婦を盗賊に殺されたからだろう。
だからあの人は、民を傷つける者を憎んでいるんだと思う。
……俺はどうだろう。
これから東郭で事件が起こって、ゲームの黄天芳と同じ状況になったら?
どうしても……この町を攻撃しなくちゃいけなくなったら?
俺は、碧寧さんの敵になるんだろうか?
……いや、俺が町を焼いたりするわけがない。
そんなことをしたら雷光師匠も秋先生も、俺から離れていくだろう。
星怜や小凰や冬里は味方でいてくれるかもしれないけど、これまで通りの関係ではいられなくなる。
そんな事態には絶対にしない。
とにかく……今のうちに東郭の町のことを、徹底的に調べよう。
俺は納得したいだけなんだ。
俺が、ゲームの黄天芳のようにこの町を攻撃することはない、って。
「黄部隊長」
そんなことを考えていると、脩さんが言った。
「改めてお礼を言わせてくだせぇ。あなたが東郭にいらして、碧兄も、部隊の仲間たちも変わりました。みんなが誇りをもって、仕事ができるようになっておりやす」
「ぼくは装備のことを王弟殿下にお願いしただけですよ」
「それがうれしいんでさぁ」
脩さんは勢いよくうなずいた。
「東郭はずっと兆家の方々が治めてらっしゃいやしたからな。そのせいで現状が、王弟殿下に伝わらなかったんでしょう。だけど、これからは違いやす。李灰どのも、東郭に王弟殿下の目が届くことを知りやした。ですから──」
「……待ってください。脩さん」
俺は手を挙げて、脩さんを黙らせる。
呼吸を整えて──数秒間だけ『万影鏡』を発動。
周囲の気配を映す鏡になる。
──いる。
誰かが南門の近くを歩いている。
十数メートルの高さがある、防壁の側を。
しかも、壁に向かって走り出している。
門は閉じている。この時間は、外に出られないはずだけど──
「脩さん」
「は、はい。なんでしょうか?」
「町を囲む防壁の上に出るには、許可が必要ですよね?」
「当然でさぁ。防壁の上で警備を行うのは、李灰どの直属の部下だけです」
「もうひとつ質問です。一般人が壁を駆け上がることは許されますか?」
「あ……」
脩さんが目を見開く。
俺が見ているものに気づいたらしい。
南門近くの壁際にいるのは、黒い服をまとった人物だ。
そいつは防壁のわずかな隙間に足をかけて……まさか、壁を駆け上がろうとしてるのか?
「一般人が壁を登ることは禁止でさぁ! 兵士は……非常時なら!」
「承知しました!!」
俺は即座に『五神歩法』を発動。
町を囲む防壁に向かって走り出す。
視界の先にいるのは、黒服の不審人物だ。
奴はわずかな隙間を足がかりに、ひょいひょいひょい、と、壁を登っていく。
間違いなく武術の使い手だ。だったら──
「『五神歩法』──『潜竜王仰天』!!」
俺は『五神歩法』の跳躍技で地面を蹴った。
空中に飛び上がり、さらに近くの建物の屋根を足場にして、再度ジャンプ。
防壁の頂上近くまで上昇する。
「────!?」
不審者が俺を見た。
すぐに奴はコース変更。壁を蹴って真横に飛ぶ。
そのまま、壁の出っ張りに足をかけて、一気にジャンプする。
──『五神歩法』で跳んだ俺と、同じ高さまで。
「…………え?」
おかしい。
こいつが使った跳躍技は『潜竜王仰天』にそっくりだ。
身体の使い方はかなり雑だけど。
俺や小凰の『五神歩法』は全身に『気』を循環させることで、身体全体を強化している。だから人間以上の動きができる。
地面を強く蹴っても、手足に衝撃やダメージが来ることはない。
でも、この不審者の技は違う。
むりやり『気』を手足に集中させて、ダメージ覚悟で跳んでるように見える。
なのに、身体の動かし方は『潜竜王仰天』によく似てる。
でも『五神歩法』の伝承者は雷光師匠だけのはず。
師匠と俺と小凰のほかに『潜竜王仰天』が使える人間がいるわけがない。
それに、不審者の使う歩法はどこか歪だ。
『五神歩法』をむりやり真似た劣化版……そんな感じがする。
だん、と、壁を蹴って、俺と不審者は防壁の頂上に着地する。
その時の姿勢も……やっぱり、似てる。
「……なんだ、貴様は」
不審者がつぶやく。
奴も、俺と同じ違和感をおぼえたのかもしれない。
俺は、思考をめぐらせる。
雷光師匠と仰雲師匠以外で、『五神歩法』を指導できる人物はいるのか──と。
雷光師匠の弟子は、俺と小凰だけだ。
仰雲師匠の弟子は、雷光師匠と秋先生だけ。
たぶん……目の前にいる不審者は、この人たちとは関係がない。
というか雷光師匠と仰雲師匠が、こんな歪な歩法を教えるわけがない。
雷光師匠は段階を踏んで、身体に負担がないような指導をしてくれる。
目の前の不審者が使う歩法とは安全性が違うんだ。
じゃあ……雷光師匠と仰雲師匠のほかに、『五神歩法』を指導できるものはいないのか? 不審者の歩法が、偶然『五神歩法』に似ているだけなのか?
……いや、違う。
思い出した。
雷光師匠と仰雲師匠の他にも、『五神歩法』の関係者はいる。
俺は、その人の話を聞いたことがある。
小凰と一緒に『お役目』を受けるテストを受けたすぐ後のことだ。
あのとき、雷光師匠は言ってた。
──我が流派の者は強くなればなるほど、おたがいに争いはじめてしまうんだよ。
──私の師匠も、それで道を誤った。同門の仲間を再起不能にしてしまったんだ。
──あの人は、ずっとそのことを後悔していたよ。
仰雲師匠の同門の仲間だった人。
その人は仰雲師匠に襲いかかって──反撃されて、再起不能になったと聞いている。そして、仰雲師匠はそのことがトラウマになって、武術を捨てた、と。
その人──仰雲師匠と同門だった人なら、『五神歩法』を指導できるかもしれない。
でも、そんなことがあり得るのか……?
仮に不審者がその人の関係者だとして……どうして東郭に現れる?
どうして夜間に壁を越えて、町の外に出ようとしているんだ?
「不審者に問う」
俺は、黒ずくめの不審者に問いかける。
「あんたは誰だ? どこで武術を覚えた?」
「答える理由はない」
俺と不審者は同時に、剣に手を伸ばした。
防壁の上を巡回する兵士たちは──ここから距離がある。
視界の端に兵士の松明が見えるけれど、彼らに動きはない。
こちらには気づいていないんだろう。
……白麟剣を持ってくればよかった。
あれは高級品だから、巡回任務には持ってこなかったんだよな。
白麟剣を見せればその反応で、相手が同門かどうか、はっきりとわかるんだけど。
「一般人が許可なく防壁を登ることは禁じられている」
俺は剣に手に掛けながら、問いかける。
「…………」
不審者は無言で剣を抜く。
剣先を俺に向けて、構える。
『五神剣術』の朱雀のかたちと、よく似た構えを。
「…………目撃者は排除する」
そう言って不審者は、俺をまっすぐに見据えたのだった。
次回、第141話は、次の週末の更新を予定しています。
ただいま書籍版『天下の大悪人』の表紙画像を『活動報告』で公開しています。
イラスト担当のもきゅ先生が描かれる星怜を、ぜひ、見てみてください。