第139話「天下の大悪人、職場の環境を改善する」
──数日後、東郭の町で──
「失礼いたします。六人部隊の営所の改築に参りました」
「失礼いたします。剣と槍と甲は、どちらに納品すればいいのでしょうか?」
「失礼いたします。馬を連れて参りました。厩はどちらですか?」
早朝の営所に人々が集まっていた。
作業員らしき人々。荷馬車と共にやってきた商人。馬を連れている者たち。
彼らは碧寧を見て、一斉に駆け寄ってくる。
「東郭の六人長、碧寧さまですね」
「王弟殿下より、あなたがたの営所を改築するように命じられております」
「作業手順を説明させていただきたいのですが、よろしいですか?」
「……いや、待て。待ってくれないか!?」
碧寧は慌てて手を振った。
予想外の出来事だったからだ。
営所の改築については、黄天芳から話を聞いていた。
『建物が傷んでいますね。手入れしてもいいですか?』という話だった。
碧寧は『黄天芳は大工仕事が得意なのだな』と思った。
だから『ご自由に』と答えた。
碧寧はそれを、ほんの雑談だと思っていた。
まさか、大量の作業員と商人がやってくるとは、予想もしていなかったのだ。
「ああ。作業の者が来たようですな」
不意に、声がした。
振り返ると、若い男性が立っていた。
黄天芳の副官として東郭にやってきた男性だ。名前は確か、炭芝と言ったはず。
彼は作業員たちを見て、満足そうにうなずいている。
「さすがは王弟殿下です。黄天芳どのの書状を読み、すぐに作業員を手配してくれたのですか」
「炭芝どの……」
碧寧は炭芝に向かって、拱手した。
「教えていただきたい。どうしてこんなことになっているのですか」
「黄天芳どのが、王弟殿下に、あなたがたの環境改善を願い出たのですよ」
「王弟殿下に!?」
「『東郭は北臨の守りの要。兵士の装備は万全でなければなりません。ですが、ぼくが配属された部隊は剣も甲も古く、営所の壁には穴が空いております。国を守るためにも、その修繕にお力添えをいただけないでしょうか』と」
「……営所の修繕のために、王弟殿下におねだりをしたのですか」
碧寧は苦い顔になる。
「黄天芳どのは王弟殿下のお気に入りと聞いておりますが、度が過ぎましょう。このようなことに殿下をわずらわせるとは」
「営所の修繕については、碧寧どのの許可をいただいているはずですが」
「それは黄天芳どのが自分で修繕すると思っていたからです。なのに、自分ではなにも支払わず、王弟殿下を動かすとは……」
「いいえ、黄天芳どのは対価を支払っていらっしゃいますぞ」
炭芝は、碧寧をとがめるような口調で、
「黄天芳どのはご自身が受け取るべき報酬を、東郭の防衛のために使われたのです」
「どういうことですか?」
「あの方は北方にて、命懸けで戦われました。黄天芳どのの働きのおかげで、壬境族との戦いは終わったのです。王弟殿下と国王陛下は、その働きに報酬を与えるつもりでした。ですが、黄天芳どのはそれを保留にされていたのです。欲しいものが思いつかないとおっしゃって」
「……なんと!?」
思いがけない言葉に、碧寧は目を見開く。
「まさか!? 黄天芳どのはその報酬を、我々のために!?」
「ご想像の通りです」
碧寧の反応に満足したように、炭芝はうなずく。
「黄天芳どのは大きな屋敷を建てることも、大金を頂戴することもできたでしょう。ですが、あの方はそれを東郭のために……ひいては国を守るために使われたのです。そのお気持ちをくんでいただけませんか」
「……黄天芳どのが……東郭のために」
碧寧の身体が震え出す。
(ここまでするのか、あの方は!!)
黄天芳は北の地で壬境族の猛将と戦い、ぎりぎりで勝利したと聞いている。そこまでして手柄を立てたのだ。誇ってもいいはず。
報酬を自分のために使ったところで、誰も文句は言えない。
なのに黄天芳は、それをあっさりと投げ出した。
赴任したばかりの東郭と、碧寧たち六人部隊のために。
(……自分に、同じことができるだろうか)
国がくれると言った報酬を、仕事のために投げ出すことが?
出会ったばかりの部下たちのために?
──できないと判断して、碧寧は頭を振る。
(自分が、黄天芳どのの立場なら……)
報酬を手に、旅に出るだろう。
妹と義弟を殺した者に復讐するために。
家族を殺されたことへの怒りは、今も胸の中で燃えている。
消えることは、たぶん、ない。
それでも仇を探しに行かないのは、姪のことがあるからだ。
彼女には才能がある。
それを伸ばしてやりたいが、仇を探す旅の中では、それができない。
だから今も碧寧は東郭で暮らしている。
妹夫婦を殺した盗賊が、再びこの町の近くに現れると信じて。
(そんな私心は、黄天芳どのにはないのだろうな。これが……人としての器の違いというものか)
彼を、信じていいのかもしれない。
胸の内を打ち明けて、協力を願うべきなのかもしれない。
碧寧がそんなことを考えたとき──
「なんの騒ぎなのだ、これは!!」
「────!?」
突然、響いた声に、碧寧は振り返る。
道の中央に騎兵の一団がいた。
先頭にいるのは東郭の防衛隊長、李灰だ。
その後ろに、李灰の直属の部下たちが続いている。
「碧寧。説明せよ。ここでなにをしようとしているのだ?」
「はい! 営所の修繕を行うため、作業員を集めております」
「そのようなことは許可していない」
「我が六人部隊は装備も古く、営所は雨漏りしております。環境を整えるのは部下のためにもなることで──」
「代わりに貴公らの六人部隊には、楽な仕事をさせているはずだ」
李灰は冷えた口調で告げた。
「装備が古い? 営所の屋根に穴が空いている? もちろんわかっている。予算にゆとりができたら直すつもりでいた。それまでは貴公らに面倒をかけると思って、楽な仕事を割り振っていたのだ。事実、貴公らには夜間の巡回をさせておらぬ」
「存じております」
「ならば、どうして勝手なことをしたのだ?」
馬上の李灰は怒気をあらわにする。
「東郭には東郭のやり方がある! なのに、勝手なことをしたのは誰だ!? この者たちは一体誰の意思で集まっているのだ!?」
「王弟、藍伯勝殿下のご意思でございます」
答えたのは炭芝だった。
彼は李灰に近づき、馬上の彼を見上げながら、
「作業員たちは藍伯勝殿下──燎原君の指示でここに来ております。李灰さまへのご連絡が遅れたことをお詫び申し上げます」
「貴公は確か……」
「黄天芳どのの副官の炭芝と申します。王弟殿下の命令で、あの方をお助けするように言われております」
「りょ、燎原君の命令で? ということは、貴公は燎原君の部下なのか? では……ここにいる者たちも?」
「はい。王弟殿下のご指示でここに」
「な、なぜ……王弟殿下が……このようなことを」
「六人部隊の環境改善のためです。作業員の手配をされたのは王弟殿下ですが、財源は黄天芳どのが出資されております。あの方が報酬をなげうって、部下の環境改善を望まれたのですから」
「黄天芳どのが……?」
「あの方を碧寧どのの上司にされたのは李灰どのでしたな」
炭芝は納得顔で、うなずいた。
「あなたによって六人部隊の長となった黄天芳どのが設備の改善を決意されたのです。これは東郭の防衛隊長である、あなたさまの意に沿うことだと考えますが……私の考えは、間違っておりますかな?」
「……い、いや、間違ってはいない」
李灰は、やっと、それだけを口にした。
「兵の装備を整えるのは重要だ。予算の都合で六人部隊の装備の回収を後回しにしていたこと、心苦しく思っていた。近いうちに手を打つつもりだった。なのに作業が始まっているのを見て、困惑してしまったのだよ」
「さようでございますか」
「黄天芳どのと……王弟殿下が営所の改修を行われるのならば、異論はない」
李灰は馬を降り、炭芝に向かって拱手した。
「王弟殿下には『お心遣いに感謝します』とお伝えください」
「承知いたしました。李灰どの」
「ところで……王弟殿下は、東郭の状況にご興味がおありなのだろうか?」
ふと、李灰はそんな言葉を口にした。
意図せずに、こぼれた言葉のようだった。
「王弟殿下は藍河国のことを、常にお考えになっておられます」
炭芝は答えた。
「その一環として、東郭にも気を配っておられるのでしょう」
「さ、さようですか」
李灰はあわてた口調で、
「東郭の防衛隊長として、王弟殿下のお心遣いに感謝する。部下の装備が整ったことで、彼らはよりよく、町の警備を行うことができよう」
「ありがとうございます。ですが、王弟殿下に装備改善を願い出たのは──」
「無論、黄天芳どのにも感謝している!」
「ならば、ご本人に申し上げるのがよろしいでしょう」
炭芝はそう言って、道の向こうに視線を向けた。
朝日の方角から、黄天芳が歩いて来るのが見えた。
即座に碧寧は彼に向かって拱手し、頭を垂れた。
炭芝と作業員たちも同じようにする。
その様子を見て、黄天芳は首をかしげている。
状況が、よくわかっていないのだろう。
「おはようございます。碧寧さま。炭芝さん。おふたりとも早いですね……って、あれ? 李灰さまも?」
「おはようございます、黄天芳さま。北臨から作業員が来ておりますよ」
答えたのは炭芝だった。
それで納得したように、黄天芳は、
「王弟殿下に書状を送ったばかりなんですけど、もう手配してくださったのですか」
「黄天芳どのが報酬を国の防衛のために使われるとおっしゃったのです。王弟殿下は、そのお気持ちに打たれたのでしょう」
「そんなおおげさなことじゃないんですけど……」
言いながら天芳は、作業員たちにあいさつをしていく。
相手は庶民だが、そんなことは気にしていないようだ。
「いや、お見事だ。黄天芳どの。貴公が防衛副隊長にふさわしい人材だということがわかった」
不意に、李灰が手を叩いた。
「貴公は六人部隊の長にはもったいない。望むのなら、貴公に百人部隊を任せたいと思うのだが、どうだろうか」
「ありがとうございます」
天芳は李灰に一礼した。
「でも、ぼくは碧寧さんたちと一緒に仕事をしたいのです」
「……い、いや、しかし」
「ぼくはまだ未熟です。百人部隊を預けるとおっしゃってくれるのはうれしいのですが、まずは六人部隊をしっかりと率いて、実績を出してからにしたいのです」
「………………そ、そうか。わかった」
「ですが、お心遣いに感謝いたします」
「いや、構わぬ。では……私はこれで失礼する」
李灰は表情を変えないまま、馬上の人となる。
そうして彼は、部下と共に歩み去った。
「われらが部隊長、黄天芳どのに申し上げます」
それから碧寧は、黄天芳に向かって一礼した。
「まずは、我が部隊にご配慮をいただいたことに感謝申し上げます」
「必要なことをしただけです。気にしないでください」
「必要なこと、ですか」
「はい。ぼくにとっては碧寧さんたちの装備を整えるのが重要だったんです。それだけですよ」
「町の守りのためですか?」
「そうですね。将来に向けて、町を守るためにも」
「……そうですか」
この人は、信頼できる。
だからこそ、気をつけなければならない。
自分たちの行いに、将来ある人を巻き込むわけにはいかないのだ。
「本日より、我が部隊は気持ちをあらたにして、町の防衛に専念いたします。装備が新しくなったことで、夜間の巡回も行うこととなるでしょう。部隊長どのにもご参加いただきたく……」
そんなことを思いながら、碧寧は仕事の説明をはじめたのだった。
次回、第140話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。
いつも「天下の大悪人」をお読み頂きまして、ありがとうございます。
オーバーラップ文庫さまのホームページで、書籍版の表紙が公開になりました。
1巻の表紙を飾るのは星怜です。
黒猫を抱いている姿が、本当にかわいいです。
イラストを担当してくださったもきゅ様に感謝です。
表紙の画像は『活動報告』にもアップしていますので、ぜひ、見てみて下さい。
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WEB版と書籍版あわせて、「天下の大悪人」を、よろしくお願いします!