第138話「天下の大悪人、冬里から忠告を受ける」
──天芳視点──
ここは東郭の宿舎。
燎原君が手配してくれた場所だ。
そこそこの広さがあり、俺と冬里の部屋もある。
使用人も2人常駐していて、家事を担当してくれている。
冬里も料理を手伝ってくれる。彼女がいるなら、体調管理もバッチリだ。
東郭で仕事をするための環境は整った。
あとは普通に、防衛副隊長の役目を果たすだけなんだけど──
「……まさか、碧寧さんの妹夫婦が亡くなってたなんて」
昼間、碧寧さんは町を案内してくれた。
そのときに、彼の事情を聞くことができた。
行商人をやっていた碧寧さんの妹夫婦は、数年前、盗賊に殺されたそうだ。旅の途中のできごとだったらしい。
残されたのは娘さんがひとりだけ。その子は碧寧さんに引き取られたそうだ。
犯人は捕まっていない。
調査は行われたけれど、盗賊の拠点は見つからなかったと、碧寧さんは言っていた。
その後、似たような事件は起こっていない。
行商人や商隊が襲われたことも、今のところはないらしい。
事件の後で碧寧さんは、街道を巡回する兵士を増やすように、李灰隊長に進言した。
李灰隊長は進言を受け入れて、しばらくの間、兵士の数を増やしたそうだ。
だけど、それも短い間だけだったらしい。
「……『剣主大乱史伝』の碧寧のプロフィールには『妹夫婦を失った数年後、腐りきった藍河国に絶望した』って書いてあるんだよな」
碧寧さんの妹夫婦を助ければ、彼が敵に回るのを防げると思ってた。
でも、事件はすでに起こっていたんだ。
だとすると……碧寧さんが敵に回ることは確定してるんだろうか?
それとも、彼が藍河国に絶望するような事態がこれから起こるのか……?
「……それでも、なんとかしないと」
過去は変えられない。
今できることをやるしかない。
まずは、職場の環境を整備しよう。
似たような事件が起きたときに、すぐに動けるようにしておきたい。
ならず者や盗賊を捕らえれば、碧寧さんの妹夫婦の事件の手がかりもつかめるかもしれない。
それに……営所の環境が悪いのが気になってたんだよな。
建物はボロボロで、ガタが来ていたし。
厩舎があるのに、馬がいなかったし。
武具も甲も、傷だらけだった。
碧寧さんたちは、あまりいい扱いを受けていないみたいだ。
まずは、そのあたりを改善しよう。
李灰さんに環境改善を願い出るのは……無理だろうな。
環境改善についての話は碧寧さんもしているはずだ。
状況がよくなっていないってことは、なにか理由があるんだろう。
それに、赴任したばかりの俺が防衛隊長に要求をするわけにもいかない。
「よし。自分でなんとかしよう」
確か……俺が壬境族との戦いを止めたことに対して、報酬がもらえることになってたっけ。
それを使おう。
燎原君にお願いすれば、手配してくれるはずだ。
俺は六人部隊の長に任命されている。
その俺が、部下の装備を整えるぶんには問題ないだろう。
まわりまわって藍河国のためにもなるわけだし。
あとは……碧寧さんの姪御さんのことも気になるな。
彼女は盗賊に両親を殺されてるんだよな……星怜と、同じように。
きっと星怜と同じくらい、傷ついてるはずだ。
俺は、黄家に引き取られたばかりの星怜の顔を覚えてる。
あのときの星怜は……居場所をなくして、呆然として、泣くことさえ忘れてしまったような顔をしてた。
碧寧さんの姪が同じような思いをしているなら……放っておけない。
碧寧さんが勇者軍団に加わる原因が、姪御さんってこともありえるからな。
彼女のケアも考えることにしよう。
「書状は星怜の鳩に運んでもらえばいいな」
北臨を出るとき、星怜がいつもの鳩を預けてくれた。
あの鳩に書状を届けてもらおう。
星怜も「手紙をください」って言ってたからな。
「忘れないでくださいね」「毎日くださいね」「できれば1日4回欲しいです!」って。
さすがに毎日や1日4回は無理だけど。鳩が大変なことになるからね。
「星怜への書状に『同封した書状を兄上経由で、王弟殿下に届けて』と書いて……と」
俺は、星怜と燎原君への書状を書き始めた。
今できるのはこれくらいだ。
あとは、東郭での仕事をしっかりとやっていこう。
俺も、明日から東郭の見回りをやることになってるからな。
ささいな事件も見逃さないようにしないと。
ここで行うことが、未来につながっていくんだから──
「天芳さま。一休みしませんか?」
──そんなことを考えていると、扉の外で冬里の声がした。
「お茶が入りましたので。よろしければ」
「ありがとう、冬里さん。今行きます」
俺は書状をたたんで、居間へと向かったのだった。
「天芳さまは、どうしてそんなに一生懸命なのですか?」
お茶を淹れながら、ふと、冬里が言った。
茶碗からはいい匂いがしている。
秋先生直伝の、気血を整えるお茶らしい。
飲んでみると……うん。おいしい。
身体が温まって、ゆるんでいくような気がする。さすが冬里だ。
「ぼくがどうして一生懸命か、ですか?」
茶碗を置いてから、俺は冬里の顔を見た。
冬里は、なんだか心配そうな顔をしていた。
「天芳さまは北の地より戻られてから、すぐに東郭のお仕事をはじめられました。今日だって、帰られてからずっとお部屋にこもっています。すごく一生懸命です」
「ぼくは『飛熊将軍』黄英深の子ですから」
俺は少し、考えてから、
「なまけていたら、父の名を汚すことになります。それに、東郭のお仕事は国王陛下からいただいたものです。おろそかにするわけにはいきません」
「それだけですか?」
「……えっと」
冬里はじーっと俺を見ている。
「天芳さまに申し上げます」
「はい」
「冬里は遍歴医の娘です。医学の心得があります。『気』の流れや動きについても学んでおります。『気』を操る点穴の技も使えます」
「あ、はい。知ってます」
「『気』は人の心と深く結びついています。冬里は顔色や肌の感じから、『気』の流れを察する技術を身につけました。ですから、無理をしている人や、焦っている人や、根を詰めている人がわかるのです」
「冬里さんから見て、今のぼくは?」
「気負いすぎていらっしゃるようなのです」
……気負いすぎか。
確かに、そうかもしれない。
壬境族との戦いで、色々あったからな。
あいつらはとにかくアグレッシブだった。
太子狼炎を狙ったり。
戊紅族に侵攻したり。
穏健派を潰すために、暗殺者を使ったりしていた。
俺はそれに対抗するために動き回ってた。
その感覚は、今も消えていない。
だから──
「冬里には天芳さまが、前のめりになり、大きな歩幅で進んでいらっしゃるように感じられるのです。でも、それでは途中で息が乱れてしまうのはないかと、心配で……」
「ありがとうございます。冬里さん」
「天芳さま?」
「ぼくは、壬境族を相手にしていたときと、同じような感覚でいたのかもしれません。あいつらはとにかく動き回っていましたからね。それに対応するには、ぼくたちも素早く動く必要があったんです。だから……ずっと気を張っていたんです」
俺は、冬里が淹れてくれたお茶を飲んだ。
それから、深呼吸。
『気』を整えるように、長い息をついた。
「でも、これからのぼくの仕事は、東郭の防衛です」
俺は冬里にうなずいてから、答える。
「それは短期決戦じゃなくて、長い時間をかけて行うことです。張り詰めたままじゃ、そのうち糸が切れてしまうかもしれません。冬里さんが言いたいのは、そういうことですよね?」
「は、はい。そうなのです!」
冬里は声をあげた。
それから、感心したような顔で、
「天芳さまはご立派です」
「そうですか?」
「冬里の意見を、ちゃんと聞いてくださるのです」
「ぼくが冬里さんの意見を聞くのは当然じゃないですか?」
「え?」
「冬里さんはぼくの仲間で、秋先生の娘さんです。仲間を大切にするのは当然ですし、師匠である秋先生の娘さんの意見を聞くのは自然なことです」
「で、でも、天芳さまは東郭の防衛副隊長という地位を得ていらっしゃるので……」
「ぼくにとって地位は……それほど重要なものじゃないです」
俺の目的は『黄天芳破滅エンド』を回避すること。藍河国の崩壊を防ぐことと、金翅幇の正体を突き止めることだ。
それに役立つと思ったから、東郭の防衛副隊長を引き受けただけなんだ。
ゲーム『剣主大乱史伝』で黄天芳が東郭を焼いてなかったら、防衛副隊長なんか断ってた。『未熟者につき任に堪えません』『病につき隠遁いたします』とか言って辞退していただろう。
俺にとって防衛副隊長の地位は道具でしかない。
でも……冬里に『黄天芳破滅エンド』のことは話せないからな。
わかりやすくまとめると──
「ぼくは、みんなの幸せのために仕事をしています」
俺はまっすぐ冬里を見て、言った。
「ぼくにとって大切なのは、側にいる人を幸せにすることです。地位はそのための手段です。それだけなんですよ」
「側にいる人の幸せのため……ですか」
「はい」
「天芳さま。うかがってもいいですか?」
「どうぞ」
「天芳さまのおっしゃる『側にいる人』に……冬里は、含まれていますか?」
「当たり前じゃないですか」
冬里はゲーム『剣主大乱史伝』に登場しない。
それはたぶん、彼女が小さいころに『四凶の技・窮奇』を受けたからだろう。ゲーム世界の冬里にはそれを回復させる手段がなかった。
でも、この世界の冬里は元気だ。
彼女と一緒に『天地一身導引』をやったことで、俺の『気』も強化された。おかげで壬境族の侵攻を止めることができた。
元気になった冬里が『黄天芳破滅エンド』回避への道筋を開いてくれたんだ。
そんな冬里には幸せになって欲しいと思う。
だから──
「ぼくが冬里さんの幸せを願うのは、当たり前のことです」
「…………」
「冬里さんはぼくの側にいて、ぼくの仕事にも協力してくれます。そんな人の幸せを願うのは当然です。ぼくは冬里さんに幸せでいたいと思っていますし、幸せにしたいと思っています。そのために仕事をしているようなものなんですから」
「………………」
「……あの、冬里さん?」
「な、なんでもないのです。ちょっと『気』が乱れてしまっただけで」
うつむいたまま、冬里がつぶやく。
「あ、あの、天芳さま」
「はい。冬里さん」
「冬里も、天芳さまの幸せを願っています」
冬里は、まっすぐに俺を見て、そう言った。
「天芳さまの幸せのためならなんでもするつもりです。冬里にして欲しいことがあったら……なんでもおっしゃってください!」
「じゃあ、点穴の練習に付き合ってくれますか?」
「……点穴の練習ですか?」
「この機会に教えてくれませんか? 簡単なものでいいですから」
「それは構いませんけど……でも、どうしてですか?」
「危険人物を、傷つけずに無力化できるようにするためです」
俺の仕事は町の警備や防衛だ。
敵を撃退するだけじゃなくて、犯罪者を取り締まる業務も含まれる。
そういう仕事には情報が重要になる。
だけど、相手を殺したり、大怪我をさせてしまったら、情報が得られなくなる。
でも、点穴の技なら、相手を傷つけずに無力化することができる。
現代風にいえば、安全な逮捕術のようなものだ。
それは、これからの仕事に役立つはずだ。
「強敵に立ち向かうための『五神剣術』と、犯罪者を無力化して捕らえるための点穴の技──『操律指』の両方を、もっとうまく使えるようになりたいんです。だから、指導をお願いします。冬里さん」
「はい! わかりました」
冬里はうなずいて、拱手した。
「お母さまに代わって、天芳さまに『操律指』の指導させていただきます。もっとも……冬里が使える技は、そんなに多くないのですけど」
「構いません。ぼくだって、たくさんは覚えられませんから」
「承知しました。さっそくはじめるのです」
こうして俺は冬里と一緒に点穴の技の修行をはじめたのだった。
次回、第139話は、次の週末くらいの更新を予定しています。
書籍版「天下の大悪人」第1巻は、8月25日発売です!
書影や特典などの情報も、近いうちに公開になると思います。
オーバーラップ文庫様の方で公開になりましたら、こちらでもお知らせしていく予定ですので、よろしくお願いします!