第137話「天下の大悪人、任地に到着する(後編)」
碧寧は英雄軍団のメインキャラじゃない。
だけど、使えるキャラだった。
雷光師匠ほどじゃないけど動きが速く、移動距離も長い。
なにより特徴的なのは粘り強さだ。
攻撃を受けてもぎりぎりで耐える。しかもライフが減ると攻撃力が上がる。
だからゲーム『剣主大乱史伝』では壁として使われていた。
碧寧を突っ込ませて、その後ろからメインキャラを前進させるのがセオリーだったんだ。
だけど、碧寧についての情報は多くない。
プロフィールに書かれているのは『碧寧は妹夫婦を失った数年後、腐りきった藍河国に絶望した。彼は英雄軍団に加わることを決めた』だけ。
メインキャラとの会話シーンもほとんどない。
性格は、とにかく真面目。
内通者を使って東郭に侵入したときも、苦り切った顔をしていた。
きっと苦渋の決断だったんだろう。
ゲーム中でも『奸賊が国を乱されなければこんなことには!』と言ってたっけ。
ゲームの碧寧はいつも苦虫をかみつぶしたような表情だった。
でも、今は違う。おだやかな顔で頭を下げている。
今の碧寧は東郭の兵士をやっているのか。
ということは、この人が藍河国を見限るような事件は、まだ起きていないんだろうか?
やっぱり、黄天芳が東郭を焼いたのが原因なのか……?
……考えても仕方がない。
今は、碧寧さんを敵に回さないようにしよう。
「お目にかかれて光栄です。碧寧さま」
俺は碧寧さんに一礼した。
「町の治安と民の平穏は、国にとっての重要事項です。その一助となれることを光栄に思います。どうか、ご指導をよろしくお願いします!」
「……黄天芳どの」
「はい」
「貴公のうわさは、うかがっております」
「そうなのですか?」
「黄天芳どのは北の地で壬境族と戦い、敵将を討ち取られたとか」
「あ、はい。だいたいそんな感じです」
「……そうなのですね」
碧寧さんは難しい顔をしている。
なんだろう? なにかおかしなことを言ったかな。
「六人長はこう言いたいんでさぁ。『北方で大手柄を立てたお方が、こんな場末の小隊を押しつけられてご不満でしょう』とね」
そう言ったのは、碧寧さんと訓練をしていた男性だ。
長身の碧寧とは対照的に、太めで背が低い。
薄笑いを浮かべながら、俺を見ている。
「六人長は子持ちの身ですからな。職を失わないように、言葉づかいには気をつかっていらっしゃる。だから、代わりに我がうかがいますぜ」
太めの男性は、じっと俺を見た。
「北方で大手柄を立てられた黄天芳どのは、こんな場末の小隊を与えられてご不満でしょう? そんなあなたは、これからなにをしたいのですかい? 我らになにをお望みですか?」
「はい。まずは皆さんから、東郭のことを詳しく教えていただきたいと思っています」
俺は言った。
「理由は町を守るためと、町の周囲で不穏な事態が起きていないか確認するためです。六人部隊の皆さまから教えを乞いながら、自分にできることをやっていきたいと考えています」
「「………………」」
碧寧さんと、太めの男性が、ぽかん、とした顔になった。
うん。わかる。
14歳の若造が急に偉そうなことを言い出したんだ。びっくりするよな。
でも、これは必要なことだ。
「東郭は藍河国の重要拠点です。ぼくは、この町がずっと平和であるように力を尽くすつもりです。だから、この町がどのような構造をしているのか、民がどのような暮らしをしているのかを知りたいのです。その上で、皆さんが気づいたことがあれば、教えていただきたいんです。どんな小さなことでも、構いませんから」
しばらくの間、沈黙があった。
碧寧さんも、その隣の男性も無言で、俺を見ている。
「……黄天芳どの」
やがて、口を開いたのは碧寧さんだった。
「町の構造と、民の暮らしぶりを知りたいと? どんな小さなことでも、気づいたことを教えて欲しい。そうおっしゃるのか?」
「その通りです」
「……もしかして貴公は、李灰どのからなにか聞かされているのだろうか?」
「いえ、李灰さまにはあいさつをしただけです」
「町を知りたいというのは、李灰どのの指示ではないと?」
「そうです」
「あなた自身が東郭のことを詳しく聞きたいと? どうしてそこまで……」
「強固な堤防も、蟻の一穴から崩れると言います。平和なときこそ、町の状況に気を配るべきでしょう」
「……本気でおっしゃっているのですかな?」
碧寧さんは固い表情だ。
まるで、俺を探っているようにも見える。
不快にさせるようなことを言っただろうか?
俺は単純に、この町で妙なことが起きていないか気になっただけなんだが。
いや、違う。
俺は肝心なことを聞いていない。
町のことを聞く前に、もっと大事なことがあった。
なるほどなー。
こんな大事なことを忘れていたなら、碧寧さんが不審な顔をするのも当然だ。
「訂正します」
俺は碧寧さんに拱手して、告げる。
「町のことの前に、六人部隊の皆さんのことを教えてください」
「……!?」
碧寧さんたちはこれから俺と一緒に仕事をすることになる。
その人たちのことを知らずに、町のことを聞くのは失礼だ。
だから碧寧さんが固い表情をしていたんだろう。
上司として赴任してきた者が、部下のことも聞く前に町のことを知りたいなんて言ったんだ。呆れられてもしょうがない。父上や兄上だったら、こんな失敗はしないはずだ。
俺は……結果を求めすぎていたのかもしれないな。
それよりももっと、人のことを見ないと。
結果だけ求めていたら、ゲーム世界の黄天芳のようになってしまうかもしれない。反省しよう。
「碧寧さまのお名前はうかがいました。そちらの方は……えっと」
「……脩と呼んでください」
「脩さまですね。これからよろしくお願いします」
「…………あ、ああ」
「できれば他の方もご紹介いただけますか?」
「他の者は町の巡回に出かけているんでさぁ。戻ったら紹介しやしょう」
「ありがとうございます。脩さま」
「皆が戻るまでの間、自分が町を案内しましょう」
そう言ったのは碧寧さんだった。
「黄天芳どのは我が部隊の長となったのです。部下の自分がご案内するのが当然かと」
「よろしくお願いします。碧寧さま」
「黄天芳どの」
「はい?」
「言葉使いが間違っています。自分は貴公の部下です。どうか、呼び捨てにされますように」
「年長の方を呼び捨てにはできません」
「お言葉ですが、貴公は礼を取り違えておられる」
碧寧さんはまっすぐに、俺を見た。
「言葉とは、その者の立場を表すものです。貴公が自分にへりくだっていては、部下がとまどいましょう。統率にも支障がでます。自分のことは、どうか『碧寧』と」
真面目な人だった。
まあ、ゲームキャラの碧寧も、無茶苦茶真面目な人物だったんだけど。
リアル碧寧さんも同じ性格みたいだ。
「碧寧さまは礼を重んじられているのですね。さすがです」
俺は碧寧さんに礼を返す。
「そのような方を呼び捨てにはできません。どうか『小隊長どの』とお呼びすることをお許しください」
「……わかりました。妥協いたしましょう」
碧寧さんはそう言って、視線を逸らした。
それから、町の地図を取り出して、
「我が部隊が、普段巡回している区画をご案内します。地図を見ながらついてきてください」
「部隊ごとに、担当区画が分けられているのですね?」
「そうです。我々は南東の小さな門と、その周辺の警備が担当です。詳しいことは歩きながら説明いたしますが……ひとつだけ、ご注意を申し上げます」
「なんでしょうか?」
「移動中、他の部隊がなにか言ってきても、気にしないでいただきたい」
碧寧さんは淡々とした口調で、言った。
「理由は、帰ってきてから説明いたします。よろしいですか?」
「承知しました。郷に入れば郷に従えという言葉もありますからね」
「黄天芳どの。あなたは……」
「え?」
「なんでもありません。参りましょうか」
こうして俺は碧寧さんと、担当地域の見回りに向かったのだった。
──その日の夕方──
「碧兄。どうでしたか、黄家の若君は」
「おだやかな方だったよ。おだやかすぎるほどにな」
営所に戻って来た碧寧は、脩の問いに答えた。
黄天芳の案内は済ませた。
たった今、彼と従者の男性を宿舎に送ってきたところだ。
黄天芳の宿舎は町の中央近くにあった。
おそらくは、王弟の燎原君が用意したのだろう。
そこで彼の仲間と馬が待っていた。
彼らは碧寧にも、丁重にあいさつをしてくれた。
もちろん、黄天芳本人も。
「黄天芳どのも『これからよろしくお願いします』と、改めてあいさつをしてくれたよ」
「悪い方ではなさそうですなぁ」
「そうだな。私の家族のことも気に掛けてくれた。部下のことを知りたいというのは嘘ではないようだ」
「碧兄のご家族のことを? そいつは……」
「無論、伝えた。申し訳なさそうな顔をされたよ」
碧兄の家族はすでに亡くなっている。
父母はかなり昔に。大切にしていた妹夫婦も、数年前に。
「まるで自分のことのように、辛そうな顔をしておられた。よい方に見えたよ。自分にはな」
「我にも、碧兄と同じ意見ですがねぇ」
「だが、疑いは残る」
「燎原君のお気に入りが、わざわざ東郭に派遣される意味……ですかい?」
「そうだ」
碧寧と脩はうなずき合う。
「王弟殿下のことだ、この東郭に探りを入れようとしているのかもしれぬ」
「ですが、黄どのはまだ14歳の子どもですよ?」
「才ある者に年齢は関係ない」
碧寧は頭を振った。
「姪は黄天芳どのより若いが、兵書をそらんじるほど優秀だ。才媛といってもいい」
「まだ碧兄の姪御自慢がはじまりましたな。あの娘さんは特別でしょうが」
「若くても優秀な者はいる、ということだ」
「黄どのを見くびるな、ということですな。それでは、計画はどうしますか」
「待機だ。今動くのは得策ではない」
「手をこまねいていては、李灰の奴に先手を打たれるかもしれませんぜ」
「自分は黄天芳という人物を見極めたいと思っている」
暗い室内で、碧寧は声をひそめて、
「黄天芳が敵か味方か……まずはそれを確かめたい。『獅子身中の虫を作ってはならない』『己と敵を知ってこそ、百戦に勝利できる』──姪が好きな兵書の一文だ」
「承知しやした。では、我が黄天芳どのの助手となりやしょう」
脩は懐に手を入れて、真剣な表情で、
「いざとなったら、我が障害を排除しやす。そうしたら碧兄は我を切り捨ててくだせえ。『自分はなにも知らなかった。すべては脩ひとりの罪』と。それで片が付くでしょう」
「……脩弟」
「おっと、止めるのは無しですぜ? 我は碧兄と、碧兄の義弟どのに借りがあります。我も元は侠客を名乗っていた身だ。恩を返す機会を逃すわけにはいきやせん」
「わかった。だが、それは最後の手段だ。だが、できれば……」
「黄どのを信じたい、ですね? ほんと、碧兄は人間が好きなんですなぁ」
そう言って脩は、笑った。
「碧兄は黄どのが気に入ったんでしょう? 顔に書いてありやすぜ」
「個人的な感情は問題にすべきではない。脩弟よ」
碧寧は懐から地図を取り出した。
簡易的なものだ。
中央に描かれているのは東郭の町だ。
その周囲に描かれた丸や線は、森や山岳地帯を表している。
さらに地図の下側には、いくつかの文字が描かれてる。
その意味を知るのは、今のところ碧寧と脩だけだ。
「王弟殿下……それに黄天芳どのを敵に回したくはない。だが……」
藍河国の地下には膿が溜まっている。
それは国の高官たちが気づかないほどの、わずかな膿だ。
だが、それに触れて身を滅ぼす庶民もいる。
民の犠牲と、その膿に気づかないふりを続ける官吏や兵士も。
「黄天芳どののことは脩弟に任せる。補助役として彼を助けてやってくれ。ただし、気づいたことはすべて報告するように」
「承知しやしたぜ。碧兄」
「できれば黄天芳どのには、すべてが終わった後に出会いたかった」
碧寧は天井を見上げて、ため息をついた。
「そうすれば自分は、あの方の友人になることもできたかもしれないのだが」
そうして碧寧は、そんなことをつぶやいたのだった。
次回、第138話は、次の週末に更新する予定です。
書籍版「天下の大悪人」が8月25日にオーバーラップ文庫から発売されます。
詳しい情報は、公開できるようになりましたら、こちらでもお知らせしていく予定です。