第135話「燎原君、黄天芳の人事についてたずねる」
──王宮にて──
「貴公たちが黄天芳の人事に興味があるとは、意外であった」
燎原君は集まった高官たちに問いかけた。
廟議の席にいるのは、藍河国の武官や文官たちだ。
彼らは気まずそうに目をそらしている。
藍河国王と太子狼炎の姿はない。
国王と太子が判断するほどの議題がない場合は、廟議は燎原君に任されている。
その機会を利用して、燎原君は黄天芳についてたずねることにしたのだった。
(まさか……国王陛下が直々に、黄天芳に役職を与えるとは……)
黄天芳が東の町──東郭の防衛部隊の副隊長に任命されたのは、前日のことだ。
しかもそれは藍河国王の決定だったという。
燎原君はそれを、部下からの報告で聞かされた。
寝耳に水だった。
黄天芳に辞令が下った理由は、すぐにわかった。
高位の文官や武官が連名で、黄天芳の人事について上奏したのだ。
藍河国王はそれを受け入れて、黄天芳に役職を与えたのだろう。
(黄天芳には、金翅幇への対策を任せるつもりだったのだが)
ゼング=タイガを操り、藍河国への攻撃をけしかけた組織、金翅幇。
その組織の実体は明らかになっていない。
組織がどの程度の規模なのか、拠点はどこにあるのか、誰が首魁なのか──すべては謎に包まれている。
だが、奴らが脅威であることは間違いない。
藍河国の未来のために、奴らを排除しなければならない。
燎原君は金翅幇の調査を、黄天芳に任せるつもりだった。
彼は信頼できる。
『飛熊将軍』の子であり、雷光と玄秋翼の弟子であり、国を思う心も強い。これほど信頼できる人物は、めったにいないだろう。
それに黄天芳は壬境族の者からも支持されている。
黄天芳は壬境族の穏健派の長の知人だ。
その腹心であるトウゲン=シメイとも親しい。
黄天芳なら、壬境族の人々から情報を聞き出すこともできるはずだ。
(なのに陛下は、黄天芳に役職を与えてしまわれた。私が彼に役目を与える前に)
人事はすでに公表されている。
取り消せば、朝令暮改のそしりを免れない。
黄天芳の立場も悪くなるだろう。
『黄天芳は、陛下の命令を、王弟の力で取り消させたのではないか?』
──そんな疑いを抱く者が現れるに違いない。
それでは困る。
黄天芳は貴重な人材だ。彼の経歴に傷をつけたくはない。
ならば──
(黄天芳には東郭に赴任してもらうしかあるまい)
そして、できるだけ早く呼び戻す。
その後は金翅幇対策の任についてもらう。これしかない。
(……どうしてこのようなことになったのか、確かめなければ)
そう思った燎原君は、廟議に集った者たちを見回した。
「皆がこれほど黄天芳に興味を持つとは、正直、意外だったな」
燎原君はおだやかな口調で、告げた。
「黄天芳はこれまで無位無冠だった。しかもまだ年若い。その彼の人事に、貴公らが介入した理由を知りたい。これまで彼の名は、廟議の話題にのぼったこともなかったのだがね」
「おそれながら申し上げます」
進み出たのは、ひとりの文官だった。
年齢は30代前半だが、髪も髭も白い。
彼は燎原君に向かって拱手して、
「文官の梁銀でございます。王弟殿下は、『飛熊将軍』の次子の人事についてのおたずねなのですな?」
「その通りだ」
「では申し上げます。我々は能力のある者に、ふさわしい官職を与えたまででございます」
「どういうことだろうか?」
燎原君は文官の男性──梁銀を見た。
梁銀は目を伏せて、
「黄天芳どのは大きな手柄を立てました。敵将ゼング=タイガを討ち、北の砦の危機を救い、さらには壬境族との架け橋となったのです。彼が能力のある若者であることは間違いありません。その者を高い地位につけようと思うのは、自然なことではないでしょうか?」
「だが梁銀どの。貴公の弟は、黄天芳に疑いをかけていたのではなかったかな?」
「梁鉄のことでございますね。王弟殿下のご気分を損ねてしまったこと、末弟に代わってお詫び申し上げます」
梁銀は深々と頭を下げた。
「あの者は現在、謹慎しております。しばらくは王弟殿下や狼炎殿下のお目を汚すことはないでしょう」
「それは構わない。だが、梁鉄どのが黄天芳に疑いをかけた後でのこの人事。私としては、なんらかの意図を感じてしまうのだよ」
「王弟殿下とも思えないお言葉です」
「そうだろうか?」
「『能力のある者には、それにふさわしい役目を』──これが王弟殿下のお考えだとうかがっております。ゆえに殿下は多くの客人を養い、彼らにふさわしい役目を与えているのでしょう?」
「その通りだ」
燎原君はうなずいて、
「だが私としては、黄天芳には別の役目を与えるつもりだったのだ」
「王弟殿下にもお考えはありましょう。ですが、東郭の防衛副隊長も、藍河国にとっては重要な任務です。これまで14歳の少年が任命されたことはありません。我々は、それだけ彼を評価しているのですよ」
梁銀は丁寧すぎる口調で答えた。
「能力をある者に、それを発揮する機会を与えること。これは王弟殿下のお考えに沿うものだと思いますが、いかがでしょうか」
廟議の場が、ざわめく。
人々は梁銀の言葉に、同意の声をあげる。
──信賞必罰は国の礎。手柄を立てた者には、それにふさわしい地位を。
──14歳の少年に対して、防衛副隊長への任命は異例の厚遇です。
──我々は黄天芳を評価しているのです。
そんな言葉が場を満たしていく。
(……やはり、この人事からは策を感じる)
黄天芳は大きな手柄を立てた。
だからこその、この人事なのだろう。
燎原君はずっと王弟として、兄王を支えてきた。
そんな彼だからこそ、わかる。
この人事は大きな手柄を立てた者を、封じるためのものだ、と。
大きな手柄を立てた者を封じる手段は、いくつかある。
ひとつは、讒言でおとしめることだ。
だが、黄天芳は『飛熊将軍』黄英深の子であり、燎原君が後ろ盾になっている。
表立って彼を攻撃すれば、黄英深と燎原君を敵に回すことになる。
だから高官たちは、黄天芳を高い地位につけたのだ。
おそらくは、成り上がり者を封じるための方法として。
なぜなら……分不相応に高い地位についた者は、失敗しやすいからだ。
──慣れない役目。
──なじみのない部下。
──知らない場所。
──そして、人のうらやむような地位。
そんな職場では、足下をすくわれることが多い。
急いで成果を出そうとすればなおさらだ。
そうして失敗して、地位を失ったものは、歴史上いくらでもいるのだ。
梁銀をはじめとする高官たちは、おそらく、それを狙っている。
黄天芳に高い地位を与えて……失敗した場合は、地方の文官にでもするのだろう。
目障りな人材を、遠ざけるために。
巧妙な策だった。
『出世させるのは彼を評価しているから』と言われてしまえば、反対するのは難しい。
普通なら『年若いから』『経験が少ないから』と言って人事を止めることもできるが、黄天芳の場合、その方法は使えない。
なぜなら『年若く』『経験も少ない』黄天芳はゼング=タイガを倒し、異民族との争いを収めてしまっているからだ。そんな彼の出世を止めるのは、燎原君にも難しい。
(昔の人間はうまいことを言ったものだ。『人を失敗させたいなら、まずは高位につけろ。足場のしっかりしていない高位についたものは、焦り、身を持ち崩すばかり』とな)
こうなることを予想できなかったのは失敗だった。
梁鉄が黄天芳を批難したあとで、すぐに手を打つべきだったのだ。
(今からできるのは……黄天芳に補佐役をつけることくらいか。そうして彼を守り、時期を見て北臨に呼び戻す。それしかあるまい)
これは自分の失態だ。黄天芳には借りができた。
燎原君などというたいそうな名前にかけて、必ず返す。
──そう決意して、燎原君は頭を切り替えた。
「承知した。それが皆の総意ならば、いたしかたあるまい」
燎原君はおだやかな表情で、うなずいた。
『それほど深刻な話ではない』と、皆に伝えるように。
燎原君が黄天芳のことで高官たちを詰問したとなると、彼にしわ寄せが行くかもしれない。
だから表情も口調もおだやかに。軽い話にとどめておく。
燎原君が得意とする、話術のひとつだった。
「そういえば……狼炎殿下は、この件をご存じなのだろうか?」
「すでにお伝えしております」
梁銀はうなずいた。
「私が代表として、太子殿下を説得いたしました。黄天芳を東郭に赴任させるのは、太子殿下のおんためにもなりますから」
「ふむ? どういう意味かな?」
「東郭の防衛部隊を任されていたのは、兆昌括どのでした。ですが兆家の方は現在、職を解かれております。それで代わりの部隊長と副隊長が必要となったのです。有用な人材を送るのは、太子殿下のおんためにもなりましょう」
(……そういうことであったか)
東郭の防衛部隊の副隊長が不在なのは、兆昌括とその部下が解任されたからだ。
解任の理由は、兆石鳴が捕虜──介州雀を死なせたことにある。
そして、兆家に罰を下すと決めたのは、太子狼炎だ。
東郭で人事異動が行われたのは、太子狼炎の責任でもある。
その穴埋めに黄天芳を使うと言われれば、狼炎も『否』とは言えない。
太子狼炎は外戚である兆家を遠ざけることを決めた。
そのことが高官たちの力関係を変えてしまった。
兆家をおそれていた者たちに出世の機会と、その意欲を与えたのだ。
それがめぐりめぐって、黄天芳の人事に影響を与えたのだろう。
(この事態を予想できなかったとはな。私もまだ未熟だ。狼炎殿下を見習い、もっと、学ばなければならぬ)
燎原君は袖の中で拳を握りしめた。
それでも、表情はあくまでも笑顔のまま──
「国王陛下と太子殿下がご納得なら、私から申し上げることはなにもない」
燎原君は廟議に並ぶ者たちに向かって、告げた。
そして、彼らに向かって一礼し、
「だが……そうだな。黄天芳が役目を終え、東郭から戻ってきたら、私は彼と話をしよう。彼も、望みの役職があるかもしれないからね」
「承知いたしました。王弟殿下」
梁銀は拱手した。
「私も彼を評価しております。彼が東郭の町で、能力を発揮してくれることを願っております」
「どうだろうね。彼は、貴公の予想を超えてくるかもしれぬぞ」
「と、おっしゃいますと?」
「黄天芳にとって、東郭の守りの任務は不足かもしれぬ。彼が予想以上の成果を上げ、さらなる高位に就くことも考えられる。そうは思わぬか? 梁銀どの」
「おたわむれを」
「たわむれかどうかは、いずれわかるだろうね」
そうして燎原君は、王宮から退出したのだった。
──天芳視点──
「──ということだ。すまぬが、君には東郭の町へ行ってもらいたい」
辞令をもらった翌日、俺は燎原君の屋敷を訪ねていた。
燎原君からの事情説明と、謝罪を受けるためだった。
まさか……燎原君から謝罪を受けることになるなんて思わなかった。
ゲーム『剣主大乱史伝』の燎原君は偉大で、非の打ち所がない人物だったから。
その燎原君が「自分が油断したために、君を望まぬ任地に送ることになってすまない」といって謝るなんて、想像もしていなかったんだ。
「君の補佐役として炭芝をつける。彼ならば、君を十分に補佐してくれるだろう。私は君をなるべく早く北臨に戻す。その後は君の望む役職を与えると約束しよう」
「ありがとうございます。王弟殿下」
俺は燎原君に向かって、拱手した。
やっぱり、燎原君は仁徳の人だ。
俺が東郭に行くことになったのは燎原君のせいじゃないのに、こうしてフォローしてくれるんだから。
それに……俺も油断してた。
玉座の間で梁鉄って人にからまれたときに、もっと警戒すべきだった。
同じように考えている人がいるかもしれないって、予想すべきだったんだ。
「ご命令の通り、ぼくは東郭の町に向かいます」
俺は言った。
「その間、金翅幇の調査を進めていただければ幸いです」
「承知した。約束しよう」
燎原君はうなずいて、
「そういえば、君には報償を与えていなかったな。なにか望むものはあるか?」
「今は……思いつきません」
「わかった。望むものがあるときは、書状で知らせてくれればいい」
「承知いたしました」
「黄天芳」
「はい。王弟殿下」
「不思議だな。私には君が、これからの仕事に熱意を抱いているように見える。君は金翅幇の調査をしたかったのではないのか? なのに東郭に送られるのは、不本意ではないのか?」
「ぼくは『飛熊将軍』黄英深の子で、国王陛下の臣下です」
俺は一礼して、
「陛下からのご命令を、全力で果たすつもりでおります」
「うむ……君のような人物を、忠臣と言うのだろうな」
燎原君は感動したような息をついた。
……すみません燎原君。嘘です。
俺がやる気になってるのは、ゲーム『剣主大乱史伝』のことを思い出したからです。
北臨の南東にある町、東郭。
その名前を聞いたとき、俺は『剣主大乱史伝』のオープニングを思い出した。
天下の大悪人、黄天芳の悪行が語られるシーンを。
オープニングでは権力を握った黄天芳が、自分に逆らう町を攻撃していたことが語られる。炎を上げる町の映像をバックに。
そこでは、焼かれた町の名前も語られていた。
『東郭』の町は、そこに登場する。
黄天芳のせいで犠牲になったもののひとつとして、ほんの一瞬、名前が出てくるだけだけど。
つまり東郭は、ゲーム世界の黄天芳が焼き払った町のひとつなんだ。
しかもゲームでは、あいつが最初に攻撃した町だったとされている。
ゲーム『剣主大乱史伝』に登場する黄天芳は、天下の大悪人だと言われている。
だから俺は、あいつが逆らう者への見せしめのために、東郭の町を攻撃したんだと思っていた。
でも……今は違う。
俺はゲーム世界の黄天芳が本当に悪人だったのか、疑いはじめている。
はじめてゼング=タイガと戦ったあと、俺は夢を見た。
夢の中では、北臨の町が燃えていた。
出撃しようとする狼炎王を、黄天芳は必死に止めようとしていた。
夢の中の黄天芳は、自分の力不足を悔やんでいた。
自分の力が足りなかった。だからこんなことになった……と。
悔やんで、悲しくて、泣き叫ぶのをこらえているように見えた。
夢の中の黄天芳は、悪人には見えなかった。
もちろん、あれはただの夢だ。現実じゃない。
だけど……俺はあいつが本当に大悪人だったのか、確信が持てなくなっている。
だから、確かめてみたい。
東郭の町になにがあるのか。あいつがどうして町を焼いたのか、知りたい。
もしかしたら……東郭の町でなにかが起こっているんだろうか?
そのせいで10年後、黄天芳は東郭を攻撃しなきゃいけなかったんだろうか?
そこに金翅幇は関係しているんだろうか?
俺は、それが知りたい。
辞令を受けてやる気になってるのは、そのせいだ。
「王弟殿下のお心遣いに感謝いたします」
そんなことを考えながら、俺は燎原君に一礼した。
「どうか、ぼくが不在の間、黄家のみんなと……師兄と義妹のことを、よろしくお願いいたします」
俺は燎原君に、留守中のことをお願いした。
燎原君は、しっかりとうなずいてくれた。
それを確認してから──
「黄天芳、国王陛下の命により、任地に向かいます」
──俺は燎原君に向かって、そんなことを宣言したのだった。
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