第132話「小凰、天芳の母と面会する」
「はじめてごあいさつします。僕は天芳の兄弟子で、翠化央と申します。黄家の奥方さまにおかれましては、ごきげんうるわしく」
小凰は母上に拱手した。
ここは黄家の応接間だ。
部屋にいるのは俺と小凰、それに母上。
俺と小凰は、星怜に『天地一身導引』への協力をお願いするために、黄家に来た。
そのついでに小凰が、母上にあいさつをしたいと言い出したのだった。
「はじめまして、翠化央さま。あなたのことは天芳と海亮から聞いております。深さまも書状で、あなたのことを知らせてくれていますよ」
小凰を前に、母上は目を輝かせてる。
「私もあなたに会いたいと思っていたのです。兄弟子として、天芳を指導してくださっているのですよね。本当に、天芳がお世話になっております」
「いえ。僕こそ、天芳には助けられてばかりですから……」
「よければ夕食を食べていってください。天芳の兄弟子なら、黄家にとっても身内も同然です。歓迎しないといけませんからね」
「あの……奥方さま」
「どうしましたか? 化央さん」
「『飛熊将軍』さまも同じことをおっしゃいました。『天芳の兄弟子なら、自分にとっても身内のようなものだ』と」
「まあ、深さまも? やっぱり私と深さまは、心がつながっているのですね」
母上はうれしそうな顔で、手を叩いた。
「ますます化央さんを歓迎しなければいけません。よろしければ、今日は泊まっていきませんか?」
「ありがとうございます。奥方さま」
小凰は母上に頭を下げた。
「ですが、僕は用事を済ませたら、師匠のもとに戻らなければいけないのです」
「そうですか……それは残念です」
「せっかくのお誘いをお断りすることになり、申し訳ありません」
「構いませんよ。また訪ねてきてください。あなたとはお話したいことが、たくさんあるのですから」
「はい。僕もいつか、奥方さまにお伝えしたいことがあります」
姿勢を正して、まっすぐに母上を見つめる小凰。
「そのときは改めて、お時間をいただけますか? 僕も……きちんと身なりを整えて、天芳にも立ち会ってもらった上で、お話をさせていただきたいのです」
「わかりました。そのときを楽しみにしていますよ」
「ありがとうございます!」
一礼した小凰は、安心したような息をついた。
小凰は『今日は簡単なあいさつだけ』と言っていたからね。
母上とゆっくり話をするのは次回以降にするみたいだ。
とにかく、ふたりが仲良くなってくれたのなら、よかった。
「星怜はどうしていますか?」
ふたりの話が途切れたのをみて、俺は言った。
「実は、ぼくと師兄は星怜に用があって来たんです。星怜は部屋にいますか?」
「すぐに白葉が連れてきますよ」
「白葉が?」
「星怜は社交の準備をしているのです」
母上はおだやかな笑みを浮かべて、
「あの子もがんばっています。天芳の指導のおかげで、書も上手になりました。礼儀作法もしっかりしています。そろそろ、黄家の社交を任せても大丈夫でしょう。今日は、そのための装いを整えているのです」
そんな話をしているうちに、足音が聞こえてくる。
二人分の足音──星怜と白葉のものだ。
でも、星怜の足音はいつもより静かだ。
武術的な歩き方に似ている。
武術と礼儀作法には似通ったものがある。
どちらも人間を相手にするもので、相手の間合いに入り込むものだ。
武術は相手を倒すために、礼儀作法は、相手と対等に話をするために。
星怜の歩法から武術的なものを感じるのは、そのせいだろう。
「……失礼いたします。玉四母さま」
星怜の声がした。
少し遅れて、白葉が部屋の扉を開く。
扉の向こうにいた星怜は、正装していた。
結い上げた銀色の髪を『雪縁花』の髪飾りで留めている。
着ているのは丈の短い衫と、長いブリーツスカートだ。
その上には薄い外衣を身につけている。
袖は大きくて、動きやすいようにスリットが入っている。
星怜が腕を動かすたびに、袖が羽のように揺れる。
「お、おかえりなさい。兄さん。いらっしゃいませ、翠化央さま」
星怜はうやうやしい動きで、俺と小凰にお辞儀をした。
思わず俺はお辞儀を返す。
「星怜、その姿は?」
「玉四母さまや白葉さんと、黄家の社交についての打ち合わせをしていたのです。社交用に……玉四母さまが昔……柳家に行儀見習いにいらしていたときの服を着るといいと言われたので……」
「よく似合いますよ。星怜」
「おきれいです。星怜さま」
「ありがとうございます。玉四母さま、白葉さん」
星怜は恥ずかしそうに口元を押さえながら、俺の方を見た。
「どうですか。天芳兄さん。おかしくないですか……?」
「おかしくないよ。すごくかわいいと思う」
「そ、そうですか……」
そう言って星怜は、袖で顔をおおってしまった。
それから、小さな声で、
「あ、あの……化央さまから見て、どうでしょうか……」
「う、うん。正直、びっくりしてる」
「びっくり、ですか?」
「……奏真国から姫君……奏紫水殿下がいらしたときに思ったんだ。奏紫水さまはおきれいだけど、僕の近くにはもっと……桁外れの美女がいるって」
奏紫水は小凰のお姉さんだ。
俺は会ったことがないけど、すごい美人だと聞いている。
「僕の思った通りだったよ。天芳の妹さんは……成長したら、奏真国の姫君以上の美人になると思う。本当に……びっくりしたよ」
「過分なお言葉をいただきまして、ありがとうございます。翠化央さま」
星怜は大きな袖を揺らして、一礼した。
「わたしが社交をがんばろうと思ったのは、兄さんや翠化央さまのおかげでもあるのです」
「僕と天芳の?」
「わたしは、兄さんの横に並び立つ人になりたいですから」
星怜はうなずいて、
「だから兄さんや……兄さんと一緒に活躍されている翠化央さまに負けないようにしなきゃいけないって、そう思ったんです」
「そっか。僕が、天芳の妹さんの成長の役に立てたなら、うれしいよ」
「翠化央さまがいらっしゃるからこそ、わたしは緊張感を維持した生活ができるんです」
「星怜くんは立派だね」
「いえいえ、わたしなんかまだまだです」
「そんなことないよ。星怜くんは、もう立派な大人だと思う」
「ありがとうございます。兄さんのお友だちにそう言っていただけるのはうれしいです」
「僕だけじゃないよ」
小凰が俺を見た。
「天芳も君を立派な大人だと思ってるよ。ね、天芳?」
「うん。星怜は成長したよ。本当に、大人の女性みたいだ」
「そうだね。天芳も星怜くんを、大人の女性としてあつかうべきだと思うよ」
「はい。師兄の言う通りです」
「……ありがとうございます。兄さん」
星怜は立派になった。
もう『剣主大乱史伝』の柳星怜のような悪女になることはないと、確信できる。
というか、主人公側のキャラだった小凰が、星怜を認めてるくらいだもんな。
「これからも兄さんに認めてもらえるように、わたし、がんばります」
「うん。それで、星怜にお願いがあるんだけど……」
星怜には、俺の経絡を癒すための導引に協力してもらわなきゃいけない。
でも『天地一身導引』のことは秘密だから──
「母上。少し、星怜をお借りしてもいいですか?」
「いいですよ。社交の打ち合わせの続きは、後にしましょう」
「ありがとうございます。それじゃ星怜、ぼくの部屋に来てもらえるかな。師兄も」
「はい。兄さん」
「うん。天芳」
俺は星怜の手を引いて、自室へと連れていったのだった。
次回、第133話は、週末くらいに更新する予定です。
いつも「天下の大悪人」をお読みいただきまして、ありがとうございます!
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8月25日に、オーバーラップ文庫さまより発売となります!
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