第131話「天下の大悪人、秋先生の診察結果を聞く」
「結論から言おう。天芳はもう一度『天地一身導引』の秘伝をやりなさい」
俺を診察したあとで、秋先生は言った。
秋先生は冬里から、北の地での戦いのことを聞いていたらしい。
俺がゼング=タイガと一騎打ちしたことも。
話を聞いた秋先生は、すぐに俺を診察したかったそうだ。
だけど、俺は黄家に戻ってしまったし、その後は王宮に報告に行ってしまった。
だから俺の予定が空くのを、ずっと待ち構えていたそうだ。
「君はまず、私を訪ねるべきだったんだよ」
秋先生はあきれたように、
「限界まで『気』を使って、強敵とわたりあって、身体に影響がないわけがないだろう? 自分をもっと大切にしなさい」
「冬里もお母さまと同意見です」
「もっと言ってやってください。秋先生」
冬里と小凰が秋先生の言葉を引き継いだ。
……今回は、言われてもしょうがないかな。
「経絡に大きな傷はない。だが、わずかに『気』の流れが乱れている。無理して『気』を使ったことで、経絡に小さな傷ができたのだろう。今のうちに癒しておいた方がいい」
秋先生は診察結果を教えてくれた。
経絡に小さな傷、か。
自分では気づかないけど、無茶した影響はあったんだな……。
「だからぼくには『天地一身導引』の秘伝をする必要があるわけですね」
「そうだよ。前に冬里の傷を癒したようにね」
「でも、あれをするのは、結構大変ですよね」
『天地一身導引』の秘伝を行うには、4人の人間が必要になる。
その4人が自然に近い姿になって『天地一身導引』を行い、『気』のやりとりをする。
そうすることで身体を癒し、内力を高める。
それが『天地一身導引』の秘伝だ。
あのときは冬里を癒すために、俺と星怜と小凰が協力した。
幼いころの冬里が『四凶の技』を受けて、経絡にダメージを受けていたからだ。
だけど、今回は俺のミスだ。
俺が強い技を使いすぎたせいで、経絡に小さな傷ができてる。
それを癒すのにみんなを付き合わせるのは気が引けるんだけど……。
「時間をかけたら、自然と治ったりしませんか?」
「そりゃ治るだろう。けれど、君にはやることがあるんじゃないか?」
「……そうですね」
「それに今回の事件で、君は手柄を立てている。新たなお役目や地位を与えられることもあるだろう。そのときのために、万全な状態にしておいた方がいい。それに──」
秋先生は、なぜか視線を逸らして、言葉を続ける。
「実は『天地一身導引』には、さらなる秘伝があってね。今回、4人で秘伝をやってもらうことで、次の秘伝への目星をつけておきたいのさ」
「さらなる秘伝?」
「そんなものがあったのですか? お母さま」
俺と同時に、冬里がおどろいた声をあげる。
彼女も知らなかったらしい。
そんな俺たちに、秋先生はうなずいて、
「そうだよ。仰雲師匠が教えてくれたものだ。複雑なものだから、やるなら姉弟子がいるときにと思っていたのだけどね」
「そんなものがあったのかい? 翼妹」
「はい。姉弟子ならおわかりかと思います」
秋先生は雷光師匠の方を見て、
「四神歩法と四神剣術を修得した者は、次の段階として五神歩法と五神剣術を学びます。ならば、4人での『天地一身導引』を修得した後はどうなりますか?」
「なるほど! 5人での導引に至るわけだね」
「ふふ。私が姉弟子に教えることがあるのは、うれしいものですね」
「なあに、仰雲師匠の最後の弟子は翼妹だからね。私が遅れを取るのは仕方がないさ」
秋先生の言葉に、雷光師匠は肩をすくめた。
ふたりは穏やかな表情で、笑ってる。まるで実の姉妹みたいだ。
「『天地一身導引』の最奥秘伝は5人で行うのだよ。まずは1人を中央に、周囲に東西南北の4人を配置する。そうして『気』のやりとりをしたあとは、位置を入れ替えながら導引を行うのさ。違いは、それぞれの基本の位置が決まっているということだね」
秋先生は説明をはじめた。
「例えば……君たちで考えるなら、中央に位置するのは天芳だろうね。五行では『黄』には中央という意味があるのだから。冬里は北を押さえるのがいいだろう。玄冬里という名前のなかで、『玄』も『冬』も五行では北に位置しているからね。凰花……いや化央は南がいいかな」
「化央は朱雀の技に適性があるからね。本名の『凰』は赤色を宿している。間違いなく南だろう」
雷光師匠はうなずいた。
「あとは天芳の妹くんだ。彼女は北の町の単越出身だから、北に位置するのがいいと言いたいが……」
師匠は少し首をかしげて、
「そういえば天芳。君の妹くんは『獣身導引』のうち、猫が得意だそうだね」
「はい。そうです。時々、ぼくの部屋の狭い隙間に入っていたりします」
主に寝台の下とか。
それは星怜が『獣身導引』をやりたいというサインだったりするんだけど。
「星怜が悪人に追われていたときも、『獣身導引』の猫のかたちで切り抜けていました」
「なるほど。だったら星怜くんには西を押さえてもらうのがいいだろう。『獣身導引』の猫と、『五神歩法』の白虎は照応するものだからね。本人が猫に特性があるのなら、西に位置してもらうのが最適だ。となると……翼妹。足りないのは東かな?」
「そうですね。東に位置するのにふさわしい人材がいれば、最奥秘伝の『天地一身導引』を行うことができるでしょう」
秋先生は納得したように、
「最奥秘伝を行えば、天芳たちの『気』も格段に強くなるなずです。『渾沌の技』を使っても、『気』が尽きることはなくなるでしょう」
「だから翼妹は4人に『天地一身導引』の秘伝をやらせたいんだね。天芳の経絡を癒すためと、念のため、4人が東西南北と中央……どの位置に適性があるのか確認するために」
「さすがは姉弟子です」
「翼妹には敵わないさ」
「とにかく私は、できれば最奥秘伝の『天地一身導引』をやらせたいと思っています。天芳、天芳の妹さん、化央に冬里……これだけの適性を持つ人物がそろうのはめずらしいことですから。この機会を逃したくないのです」」
「気持ちはわかるよ。だが、東に位置する人物を見つけ出すのは大変かもしれないね……」
「……はい」
確かに、条件に合う人物を探すのは難しいだろうな。
──『獣身導引』が使えて。
──東──青竜の位置に適性があって。
──俺たちと『気』のやりとりをしても大丈夫で。
──服を着ない状態で、一緒に導引ができる人物……か。
…………いるのかな。そんな人物って。
「師匠。秋先生。よろしいですか」
不意に、小凰が手を挙げた。
「戊紅族のノナ=キリュウさまにお願いするのはどうでしょうか。彼女なら、協力してくださると思うのですが……」
「難しいだろうね」
「どうしてですか?」
「戊紅族には『渾沌の秘伝書』の武術を修得してはいけない。使ってもいけないという縛りがある。だが、仮に最奥秘伝の『天地一身導引』をやったせいで、ノナ=キリュウに『渾沌の技』を使えるほどの内力がついてしまったら……どうなるだろうね」
「……あ」
「ノナ=キリュウは『渾沌の秘伝書』の巫女であるカイネ=シュルトの親友だ。秘伝書の内容を耳にすることもある。その彼女が最奥秘伝『天地一身導引』で内力をつけて、わずかでも『万影鏡』を発動してしまったら……それは彼女を苦しめることになるだろう」
雷光師匠の言う通りだ。
『渾沌の技』を使ってはいけないというのは、戊紅族の掟だ。
だから、ふたりは武術を覚えようとはしない。
それは万が一にも『渾沌の技』が使える状態にならないようにという意味があるのだろう。
その彼女に秘伝の導引法をやらせるわけにはいかないってことか。
「申し訳ありません。師匠。僕の心得違いでした」
「構わないよ。でも、どうして化央はノナ=キリュウくんがいいと思ったんだい?」
「……それは」
「ノナさんが化央師兄のファン……じゃなかった、化央師兄にあこがれてるからじゃないでしょうか?」
ノナ=キリュウは颯爽と自分を助けてくれた化央師兄にあこがれている。
気持ちはわかる。
剣を手にした小凰は、すごくかっこいいから。
「そんなノナさんなら、師兄の頼みを聞いてくれると思ったんでしょう」
「そうなのかい。化央」
「……そうです」
小凰はうなずいた。
「ノナさんに僕の正体を知ってもらう好機ですし、そんなノナさんなら天芳と一緒に導引をしても……いいかな、と」
「けれど、戊紅族のふたりはやめたほうがいいね」
「適した人材を見つけるのは難しいですね……」
「急ぐことはないよ。天芳」
そう言って秋先生は手を叩いた。
「条件に合った人物が見つかったら、私に教えてくれればいい。条件は次の通りだ」
ひとつ、秘密を守れる人物であること。
ひとつ、『獣身導引』を修めている。または『獣身導引』に向いている人物であること。
ひとつ、天芳・星怜・凰花・冬里に近い年齢であること。
ひとつ、女性であること。
これは導引に参加する人物が、天芳以外すべて女性だから。
彼女たちのことを考えたら、できれば女性の方がいい。
最後に、東、あるいは竜を暗示する人物であること。
──秋先生は、そんなことを教えてくれた。
「『天地一身導引』は、仰雲師匠が私たちに預けてくれた遺産だ。できることはすべてやってみたいんだ」
「私も心当たりを探してみるよ。翼妹が一緒にいる間に、ぜひ実現したいからね」
「姉弟子は傷が完全に癒えるまでは外出禁止です」
「…………はい」
「とにかく、最奥秘伝は後の話だ。今は4人で『天地一身導引』をするのが先だね」
秋先生は話をしめくくった。
「天芳は、妹さんに話をしてみてくれ。私と姉弟子の予定は空けておくからね」
「わかりました。秋先生」
「僕も一緒に天芳の妹さんを説得したいのですが、どうでしょうか?」
不意に小凰が、そんなことを言った。
「天芳の妹さんは武術家ではありませんが、いつも協力してくれています。ですが甘えてばかりもいられません。天芳と同門である僕が、正式に協力をお願いするべきでしょう」
「確かに、化央くんの言う通りだ。それじゃ頼むよ」
「承知いたしました!」
小凰は秋先生と雷光師匠に向けて、拱手した。
「では天芳。僕を黄家に案内してくれるかな? ついでに……あくまでもついでに、家にいらっしゃるご家族に紹介してくれるとうれしいんだけど……」
「は、はい。わかりました」
「それと……ひとつ聞いてもいいかな?」
「なんですか?」
「天芳の部屋にある、忍び込むのにちょうどいい隙間について、教えて欲しいんだ」
小凰はなぜか視線を逸らして、そんなことを言った。
「い、いや、深い意味はないんだ。ただ、僕の故郷……奏真国の風習でね。友人の部屋に、人が隠れるような隙間があったら、ふさいでおくのがいいとされている。だから天芳の部屋を見せて欲しいんだよ。その部屋で、妹さんがいつも隠れている場所を」
「あ、はい。いいですけど」
「うん。それじゃ行こう!」
小凰はすごくいい笑顔で、うなずいた。
そして彼女は、そのまま俺の腕をつかんで、歩き出したのだった。
次回、第132話は、次の週末くらいに更新する予定です。