第130話「天下の大悪人、師匠のもとに帰る」
「ただいま戻りました。雷光師匠」
「待っていたよ。お帰り、天芳」
王宮での報告を終えたあと、俺は雷光師匠の宿舎を訪ねていた。
宿舎にいるのは雷光師匠と小凰だけ。
秋先生は自分の宿舎で、冬里と再会しているはずだ。
「本当によくやってくれたね。天芳」
雷光師匠は俺の肩に手を乗せて、笑った。
「私は君を誇りに思うよ。君は私が頼んだ通りに、壬境族の穏健派への連絡役になってくれた。いや……それだけじゃない。藍河国と壬境族の、和平の仲介役になってくれたんだ」
「いえ、師匠のご指導のおかげです」
「君の人徳だよ。これは。私は武術しか教えてないからね」
苦笑いする雷光師匠。
「ただ、敵将と一騎打ちしたことは……他の手段がなかったとはいえ、師匠の立場としては……叱らなければいけない。無茶をするものではないよ、ってね」
「はい。師匠」
「だけど……君が一騎打ちをしなければいけなくなったのは、私がふがいなかったからだ。本来は私が君と一緒に北に向かって……君の代わりに、私がゼング=タイガと戦うべきだった。君が危険を冒さなければいけなかったのは、私の責任だ」
「違います! 悪いのは毒矢使いと暗殺者の奴です!」
「ああ、君がそう言ってくれることもわかっている。だから、私の気持ちは複雑なんだよ」
「……師匠」
「君を心から誇りに思うけれど、無茶をしたことを叱りたい。でも、君が無茶をしなければいけなかったのは私の責任。気持ちとしては複雑だ。でもね──」
雷光師匠は気分を改めようとするように、ぱん、と手を叩いた。
「難しいことは、後で考えることにするよ。とにかく、今は君と化央が無事に戻ってきたこと。君たちが大きな成果を上げてくれたことを祝おう! 無事に帰ってきてくれてありがとう。天芳、化央」
「はい。雷光師匠!」
「師匠のご指導と、天芳のおかげです!」
俺と小凰はそろって雷光師匠に拱手した。
それから、俺は雷光師匠の脚に視線を向ける。
「ところで師匠。毒矢の傷は大丈夫なんですか?」
「まったく問題ないよ。翼妹は大げさなんだよ」
椅子に座った雷光師匠は、包帯を巻いた脚を振ってみせた。
「まあ、あと1ヶ月はおとなしくしてるようにって言われているけどね。走ったり跳んだりするのは控えた方がいいそうだ。もう……身体がなまって仕方ないよ」
「傷を治すためです。我慢してください」
声をあげたのは小凰だった。
「師匠は、『武術家殺し』の毒の治療は秋先生に任せると約束したんですよね。僕も、師匠が大人しくしているか見張るように言われています。なにかあったら、秋先生を呼ぶように、と」
「わかってる。大人しくしているとも。これ以上、弟子に迷惑をかけるわかにはいかないからね」
雷光師匠はため息をついた。
「本当に、私も修行が足りないね。食らった毒の種類を見誤るし、翼妹や弟子たちには迷惑をかけるし。毒使いの敵を倒すのさえ、天芳と化央にやらせちゃったんだから」
「あれは師匠のご指導があってこそですよ」
これは本当だ。
俺が毒矢使いの矢牙留を倒せたのは、雷光師匠と秋先生が指導してくれた『万影鏡』のおかげだ。あの技が使えたから、俺たちは矢牙留の位置を特定できた。
そうじゃなかったら、俺も小凰も、奴の毒矢にやられていたかもしれない。
「雷光師匠と秋先生が『渾沌の技』の指導をしてくれたからこそ、ぼくは毒矢使いと戦えたんです」
「天芳は暗殺者と、壬境族の王子も倒しちゃったんだよね」
「あ、はい。そのことについて、雷光師匠に質問があるのです」
俺はゼング=タイガとの戦いのことを話した。
「ゼング=タイガと一騎打ちをしたとき……一瞬、時間が遅くなったように感じたんです」
あのとき、俺は突撃してきた黒馬──『朔月』の脚の間を縫って移動することができた。
ゼング=タイガの動きを読み取り、その攻撃をかわした。
あんなことははじめてだ。
というか、もう一度やれと言われても、絶対に無理だ。
「もしかしたら、ぼくは……『渾沌の技』の第二、『無形』使ったのかもしれません」
「『無形』は究極の受け技だったね」
「はい」
「時間が遅くなったと感じたとき、天芳はどんな状態だったんだい?」
「『万影鏡』にすべての意識を集中していました。それと、『気』をかなり消費したと思います」
あのときの俺は、限界に近かった。
ゼング=タイガの攻撃をかわすために、大量の『気』を消費していた。
脚の傷から出血もしていた。
俺は残りの『気』をかきあつめて、『万影鏡』を使っていたんだ。
「とにかく必死でした。そしたら急に視界が変わって……ゼング=タイガの動きが見えるようになったんです。もしかしたら『無形』は、使用者がぎりぎりの状態じゃないと発動しないのかもしれません。だから……」
俺は雷光師匠と小凰に一礼して、
「師匠と師兄にお願いがあります。実戦形式の指導をお願いできないでしょうか」
「それは『金翅幇』という組織に対抗するためかい?」
師匠は真剣な表情で、俺を見ていた。
『金翅幇』のことは、すでに燎原君に伝えてある。
王宮の広間から退出したあと、少しだけ面会の時間をもらったからだ。
そのときに、事件の報告を兼ねて、話をした。
『金翅幇』という謎の組織がいること。
奴らは『藍河国は滅ぶ』という予言を信じていること。
その予言を実現するために、奴らはゼング=タイガをけしかけた可能性があること。それがゼング=タイガが藍河国に侵攻してきた、原因のひとつかもしれないこと。
ゼング=タイガが倒れたあとで、『金翅幇』のメンバーが逃げたこと。
そして──俺が奴らを捕らえたいと考えていること。
できればその役目を、俺に与えて欲しいこと。
──俺は燎原君に、そんなことを伝えた。
燎原君には、おどろいたようすはなかった。
おそらくは炭芝さんから、ある程度の情報を聞いていたのだろう。
『君の気持ちはわかった。検討してみよう』
燎原君はそう言って、うなずいてくれたのだった。
話をしたあと、俺は一度家に帰り、それから師匠のところに来た。
その間に師匠は、燎原君から話を聞いたんだろう。
「『金翅幇』という組織には、『四凶の技』の使い手がいると聞く。君はそれに対抗するために、急いで『渾沌の技』を習得したいのかな?」
「そうです。あいつらのせいで……多くの犠牲が出ました。こんなことを繰り返させるわけにはいきません。ぼくは、奴らを止めたいんです」
「それは天芳だけが背負うことじゃないよ」
そう言ったのは小凰だった。
「天芳の敵は僕の敵だ。僕は天芳の朋友なんだからね。ひとりで先走っちゃ駄目だ」
「でも……」
「あのね、天芳」
「はい。しょうお……いえ、化央師兄」
「君がゼング=タイガと一騎打ちをしたとき、僕がどんな気持ちでいたかわかるかい?」
小凰はじーっと、俺をにらんでいた。
「それについては、帰りの旅の間に何度も言い聞かせたよね? 僕が、生きた心地はしなかったって、繰り返し伝えたよね? なのに……」
「あ、あの。ぼくは、ちゃんと謝りましたよね……」
「……本当に反省してるのかなぁ?」
あの、小凰、笑顔が怖いんだけど。
「だって天芳は、帰ってきてすぐ、ひとりで新たな武術を学ぼうとしているのだろう? それって、ひとりで敵と戦おうとしてるってことだよね? 僕を置いて、危険なところに行こうとしてるってことだよね?」
「……あ、あの。師兄。それは──」
「うん。これは化央が正しい」
師匠はそう言って、うなずいた。
この場に俺の味方はいないらしい。
「天芳。君がゼング=タイガと戦わなければいけなかったのはわかる。だから、私にそれを叱ることはできない。ここまではいいね?」
「は、はい」
「けれど……考えるのも嫌なことだけれど……もしも君がゼング=タイガに殺されていたら、私はふたりの弟子を失うことになっていただろう。ふがいない私が……毒矢なんか受けてしまったせいで、大切な弟子をふたりも失うんだ。そんなことになっていたら、私は君たちの家族に……この両腕を切り落として詫びるしかなかっただろう。当然、武術を捨てていただろうね」
「あの、師匠」
「なにかな?」
「ぼくがゼング=タイガに殺されたなら、失う弟子はひとりなのでは……」
「君を殺したゼング=タイガを、化央が許すと思うのかい?」
「…………あ」
「ほら、やっぱりわかってなかった」
小凰が横目で俺をにらんだ。
それに気づいた俺は……頭を下げるしかなかった。
俺と小凰は朋友だ。朋友とは『生きるのも死ぬのも一緒の友人』を指す。
俺を殺したゼング=タイガを、小凰が許すわけがない。
仮に、俺がゼング=タイガに殺されていたら、小凰は問答無用でゼング=タイガに斬りかかっていただろう。
でも、ゼング=タイガは小凰より強い。
まして俺が殺されたなら、小凰は我を忘れているだろう。
そんな状態の小凰がゼング=タイガに勝てるわけがないから……。
結果、雷光師匠はふたりの弟子を失うことになる……というわけか。
「天芳、君が背負っているのは、自分だけの命じゃない」
雷光師匠は俺の肩に手を乗せて、じっと、俺を見ていた。
「師匠の私、兄弟子の化央、君の家族……君を大切に思っている人がたくさんいることを忘れてはいけない。いいね?」
「は、はい……」
「それにね、『金翅幇』への対策は、燎原君も考えてくださっている。あの組織は君だけの敵じゃない。藍河国の敵だ。そもそも私は、あの組織の尻尾をつかむために旅をしていたわけだからね」
そういえばそうだった。
雷光師匠は『藍河国は滅ぶ』と言いふらしている連中の尻尾をつかもうとしていたんだっけ。
その途中で雷光師匠はスウキ=タイガたちを保護して、彼女たちを追っ手からかばった。
結果として、毒矢を受けることになった。
だから金翅幇は、雷光師匠の敵でもあるんだ。
「いいかい。君が気負いすぎることはないんだ。帰ってきたばかりで実戦形式の修練をするなんて、いくらなんでも無茶だろう? 君はあの組織のことに気を取られ過ぎだ。それでは視界が狭くなって、見えるものも見えなくなってしまうよ?」
「……はい。師匠。申し訳ありませんでした」
雷光師匠の言うとおりだ。
俺は少し、急ぎすぎていたのかもしれない。
『金翅幇』対策には、すでに燎原君を巻き込んでいる。なのに奴らを止めるために今すぐ『無形』を修得……って、さすがにやりすぎだ。
俺は師匠に拱手してから、小凰の方を向いた。
「師兄も……すみませんでした。ぼくは師兄の気持ちについて、もっと考えるべきでした」
「う、うん。わかってくれれば、いいんだ」
「はい。ありがとうございます。師兄」
「それに天芳、今の君は実戦形式の修行なんかできる状態なのかい?」
「え?」
「君はゼング=タイガとの一騎打ちで『気』を使い果たしていただろう? 北臨に帰ったら秋先生に、経絡の状態を診てもらうと言っていたじゃないか」
「それはそうですけど……冬里さんにも診てもらいましたし」
「それでもだよ。修行なんて、秋先生に診てもらってからにするべきだ」
「化央の言うとおりだね。天芳、私にもみせてごらん」
師匠は俺に向かって手を伸ばす。
俺が手を差し出すと、師匠は俺の手首に指を当てて、目を閉じる。
そうして、しばらくの間、耳を澄ますような仕草をしていたと思ったら──
「問題はない……と思うが、戦いから時間が経っているにしては、『気』の回復が遅いような気がするね。やはり翼妹に診てもらいなさい」
「はい。では、僕が秋先生を呼んで来ます」
そう言って小凰は一礼。
早足で、宿舎の出口へと歩き出した。
「秋先生と冬里さんにはゆっくりしていて欲しいんですけど……」
「気遣いができるのは君の長所だ。でもね、大事なことを忘れているよ」
雷光師匠はにやりと笑って、
「翼妹と冬里くんが再会したら、最初に誰の話をすると思う? ふたりがまだ私のところに顔を見せていないのはなぜかな? もしかしたら誰かさんが、王宮から退出するのを待っているのかもしれないよ?」
「……それって」
「宿舎に向かうまでもありませんでした!」
部屋を出ていった小凰は、すぐに戻ってきた。
「秋先生と冬里さんは、すでに宿舎の前にいらしています」
……あれ?
どうして小凰も「ほらね?」って顔をしてるんだ。
「燎原君から、天芳が王宮を退出したことを聞いたそうです。それですぐにこちらに──」
「やっぱりね?」
「ですよね?」
顔を見合わせてうなずく、雷光師匠と小凰。
「入りたまえ。翼妹、冬里くん。天芳はここにいるよ」
雷光師匠は内力をこめた声で、ふたりを呼んだ。
それから俺を見て、楽しそうな表情で、
「覚悟したまえ、天芳。君は翼妹に徹底的に診てもらいなさい。逃げることは許さないよ。これは私と化央を心配させた罰だと思うこと。一騎打ちの話を聞いて……私も本当に心配したんだからね?」
「はい師匠。この翠化央も師匠と同意見です!」
逃がさない、とばかりに、小凰が俺の手を握る。
こうして俺は秋先生と冬里から、徹底した診察を受けることになったのだった。
次回、第131話は、金・土・日にいずれかに更新する予定です。