第128話「天下の大悪人、覚悟する」
次の日の夜。
動けるようになった俺は、砦の厩舎に来ていた。
「ちょっといいかな。朔月」
『ぶるる』
ゼング=タイガの黒馬──朔月は、厩舎の一番奥にいた。
朔月は大きい。
いるだけで他の馬を威圧してしまうし、スペースも他の馬より必要になる。
だから目立たないように、厩舎の一番奥に入ったのかもしれない。
「お前は……本当にぼくと一緒に来るつもりなのか?」
『ぶるるる、るる』
当たり前のことを言うな、という感じで、朔月がうなずく。
「北臨は都会だぞ? 今までお前が住んでいたところとは違う。広い場所はそんなにないし、毎日、思いっきり走れるわけじゃない。それでもいいのか?」
『…………ぶるる』
また、朔月はうなずいた。
覚悟は、もう決まっているらしい。
朔月は俺の生き様を見届けると決めている。
俺がなにを言ってもついてくるだろう。
それを拒むのは、たぶん、失礼なんだろうな。
朔月にも……こいつの主人だった、ゼング=タイガにも。
俺は、ゼング=タイガを殺してしまったんだから。
「……あのさ、朔月。ぼくは、本当は地方の文官になりたかったんだよ」
気づくと、俺はそんなことを口にしていた。
「仮の話だけどさ、藍河国が乱れて……戦が当たり前に起こる時代になったら、家族を連れて、地方に引っ込むつもりだったんだ」
朔月は答えない。
ただ、黒い目で、じっと俺を見ている。
「ぼくは生まれつき、内力がなかったからね」
『ぶるる!!』
「嘘つくなって?」
だんだん、と足を踏みならす朔月。
「本当だよ。ぼくに内力がついたのは、ここ数ヶ月のことなんだ。星怜と出会って、師匠と師兄の指導を受けて……それでやっと、内力を身につけたんだ。最初にゼング=タイガと戦ったのは、内力が身についたばかりのときだった」
『…………ぶるるるる?』
「ああ、そうだよ。あのときは小凰が一緒だった。だからなんとか戦えたんだ。ひとりだったら……あっさりと、ゼング=タイガの槍に串刺しにされてたと思う」
俺は厩舎にあったブラシを手に取って、朔月をなでていく。
朔月は、拒まない。
当たり前のように、俺を受け入れてくれる。
「ぼくが武術を身に着けたのは、いざというときに逃げるためだった。逃げて、地方の文官になって、乱世をやり過ごすつもりだったんだ」
それが変わったのは、いつからだろう。
最初にゼング=タイガと戦った後か。
それとも、秋先生から指導を受けた後か。
もしかしたら──戊紅族から『渾沌の秘伝書』をもらったときかもしれない。
いつの間にか『地方の文官になって乱世をやり過ごす』という願いは薄れていって──
──ゼング=タイガを斬り殺した瞬間、消え去った。
俺は乱世から逃げることが、できなくなった。
「いや、違うか。ぼく自身が……逃げるのをやめたんだ」
朔月の顔に触れる。
耳元にささやく。『これから話すことは、星怜に言うなよ』って。
「ぼくはお前の主人を──ゼング=タイガを殺した。壬境族の人たちの運命を、決定的に変えてしまった。朔月の運命も」
『……ぶる』
「そのぼくが、乱世から逃げるのは、違うと思う」
正直、めちゃくちゃ怖いけど。
だけど、金翅幇を放置するのはもっと怖い。
虎永尊にもムカついてる。
あいつは仲間の腕を斬って逃げた。
主君を失って呆然としている壬境族の人たちを、あいつは見捨てたんだ。
ゲームの虎永尊は手段を選ばない知将だったけど、本人を目の当たりにしたら、正直、気分が悪くなった。あんなのを放置したくない。あいつが介鷹月と一緒に藍河国に手を出してくることを考えたら……寒気がする。
それに家族と友人が巻き込まれたら、最悪だ。
俺はゼング=タイガに『世界の天命をねじ曲げる大悪人』と名乗った。
だったら、それを続ける。
俺はもう、乱世から逃げない。最後まで、それに付き合う。
それがゼング=タイガを斬り殺し、トウゲンたち──壬境族の運命を変えた者の礼儀だ。
俺は雷光師匠と秋先生の弟子だからな。
ふたりに対して、恥ずかしいことはできないんだ。
家族や友人──星怜や小凰、冬里に対しても。
「というわけなんだけど、お前はそれでも付き合ってくれるのか? 本当にぼくの生き様を、最後まで見届けたいのか?」
『ぶるるるる!!』
「……しつこい、って言いたいのか?」
『ぶるるん』
「わかった。もう言わないよ。ぼくと一緒に来てくれ、朔月」
黒馬の朔月はじっと俺を見て、うなずいた。
朔月はこれから、俺に力を貸してくれる。
でも……朔月は誇り高い馬だ。
俺が、側にいるのに値しない人間だと思ったら、去って行くだろう。
それでいい。
俺が、ゼング=タイガを殺したことを忘れないように、側にいて欲しい。
俺が『天命をねじ曲げる大悪人』であることを、覚えていられるように。
「星怜たちが心配するから、そろそろ部屋に戻るよ。それじゃ、おやすみ」
『ぶるる、ぶる』
「これからよろしくな。朔月」
俺は朔月の馬体を軽くなでてから、部屋に戻ったのだった。
──天芳が去ったあとの厩舎で──
『ぶるるる。ぶる』
「黙っていてくれて、ありがとうございます。朔月さん」
厩舎の陰で、星怜はつぶやいた。
天芳は朔月に『これから言うことは、星怜には内緒だ』と言った。
星怜がここにいるかどうかは、たずねなかった。
だから朔月は、厩舎の裏に星怜がいることを、伝えなかったのだろう。
星怜がここに来たのは、朔月の世話をするためだ。
朔月は気難しい。近づけるのは天芳と、動物と話ができる星怜だけだ。
それで星怜は、朔月のお世話係を買って出たのだった。
「北臨に向かう前に、朔月さんに兄さんのことをお願いしようと思っていたのですけど……」
兄の決意を、聞いてしまった。
星怜は胸を押さえて、それを聞いているしかなかった。
心が震えて、立ち上がることができなかった。
「兄さんは言っていました。乱世から逃げない……って」
天芳が、高い志を持っていることは知っていた。
以前、星怜が叔父にさらわれたときに、彼のさけびを聞いたからだ。
『我が名は黄天芳! 『飛熊将軍』黄英深の子にして、天下を動かす者だ! 俺の死に方は牛裂きか、国が乱れる中での惨死と決まっている!!』
──と。
そんな兄は熱心に武術を学び、敵将を討ち取るまでになった。
天芳がもともと、文官を目指していたことは知っていた。
玉四が教えてくれたからだ。
『内力が使えない天芳は、文官として能力を生かそうとしたのでしょう』と。
けれど、違った。
天芳が地方の文官を目指していたのは、星怜たち家族を守るためだった。
壬境族の侵攻──あるいは、国が乱れたときに。
(……兄さんはそこまで、わたしたちのことを)
鼓動が速くなる。
胸が、きゅんとなって、どうしたらいいのかわからなくなる。
頭の中が、天芳のことでいっぱいになる。
戦は終わった。
壬境族との和平は結ばれ、北の国境は平和になる。
けれど、天芳はすべてが終わったとは思っていない。
わずかな可能性であっても、藍河国が乱れたときのことを考えている。
そうなったとしても立ち向かうと、心に決めているのだ。
「わたしは……兄さんと同じものが見たいです……」
天芳がなにと戦おうとしているのか。
天芳がおそれている乱世とは、なんなのか。
天芳を守るために、星怜になにができるのか。
知りたい。側にいたい。
置いていかないで欲しい。
生きるときはともに。死ぬときは、天芳の盾になりたい。
まっすぐな思いを抱きしめながら、星怜は決意する。
たぶん、天芳は乱世のことを教えてはくれないだろう。
星怜が兄を守りたいのと同じように、兄も星怜を守ろうとしてくれている。
だから、自分で調べよう。
大好きな人を守るために。
力が必要なら……凰花と冬里の力を借りてでも。
ふたりの力を借りるのは悔しいけれど、天芳を守るためなら、ためらわない。
星怜の身体も、心も……すべては天芳のためにあるのだから。
「力を貸してください。朔月さん」
『……ぶるる?』
「あなたは兄さんの生き様を見届けたいんですよね。わたしも同じです」
星怜は朔月の背に触れた。
「わたしの夢は、妻として……生涯、兄さんと生き様をともにすることです。それを叶えることは、あなたの利益にもなるはずです。だって朔月さんも、話ができるわたしが、兄さんの側にいた方がいいでしょう?」
星怜の言葉に、朔月はしばらく考えてこんでいるようだった。
しばらく間があり、やがて朔月は、はっきりとうなずいた。
自分の主君の好敵手がなにと戦おうとしているのか、朔月も興味があるのだろう。
黄天芳の生き様を見届ける。
見るに値しない者だったら、立ち去る。
それが、朔月の決断なのだから。
「よろしくお願いします。朔月さん」
星怜は決意とともに、うなずく。
これから星怜と天芳は、北臨に帰る。
そこは天芳の故郷だ。本当なら、危険などはないはず。
なのに天芳は警戒している。
だったら、星怜も同じようにする。
これから来るであろう乱世に、天芳とともに立ち向かうために。
この身体と心──星怜がもっているものすべてを、天芳に捧げるために。
そんな決意を抱きしめながら、星怜は兄のもとへと向かうのだった。
第3章はここまでです。
第4章は、準備のためのお休みをいただいてから、スタートする予定です。
(2週から3週くらいかけて、書きためをしようと思っています)
書籍化の準備も進んでいます。
詳しいことがお知らせできるようになりましたら、活動報告でおしらせします。
それでは、これからも『天下の大悪人』を、よろしくお願いします!!