第125話「壬境族の部隊、主君の死を知る」
──北の砦の周囲では──
「ひるむな! 矢を射続けろ!!」
壬境族の部隊は、藍河国の陣地を攻撃をしていた。
彼らは藍河国の兵を挑発するように、矢を射かけている。
精兵の矢は強い。だが、藍河国の守りも堅い。
陣地を囲む柵の向こうでは、兵士たちが木製の盾を構えている。
矢はそれに突き刺さるだけだが、構わない。
壬境族の目的は、ゼング王子が到着するまでの間、敵の注意を引きつけることにあるのだから。
「……王子の武力は、まだ使い物になるのだ」
「なにかおっしゃいましたか? 虎永尊どの」
かすかな声に、横にいた武将が反応する。
武将はゼング=タイガの副官だ。この部隊のまとめ役でもある。
虎永尊も指揮官のひとりだが、彼は客将だ。
兵士たちから信頼されてはいない。
だからゼング=タイガは同格の指揮官として、自分の副官を配置していたのだ。
(この者は優秀だが、うっとうしくもある)
虎永尊は口に出さずにつぶやく。
(だが、使える人材ではある。ゼング=タイガが再び旗揚げするときには、兵を連れて来てくれるだろう)
虎永尊にとってゼング=タイガは、伝説の名剣のようなものだ。
使えば、よく斬れる。
知名度で人を集めることもできる。
一度や二度の敗北など、名剣についた傷のようなものだ。気にすることはない。
傷がついたのなら、代わりに銘や伝説を与えればいいのだ。
たとえば、藍河国の武将を倒したという銘を。
そうすればまた、名剣として役に立ってくれるだろう。
「矢戦はここまでだな」
戦場を見据えながら、虎永尊は告げた。
「兵を陣地に突撃させるとしよう。うまくすれば、柵を破れるかもしれぬぞ」
「虎永尊どの!? 我々の目的は敵の気を引くことでは……」
「だからこそだ。こちらが本気で攻めていると思わせねばならぬ」
「しかし! それではあまりに兵が危険です!」
「奇襲の意図に気づかれたら、ゼング王子が危険になるのだ! わからぬか!!」
ゼング=タイガという名剣は、まだ使える。
虎永尊にとってこの戦いは、名剣の価値を知らしめるためのものだ。
壬境族の兵士が犠牲になったところで、どうということもない。
だが、それを口に出すわけにはいかない。
「……ならば、我も兵とともに行こう」
虎永尊は、刀を抜いた。
「全力で陣地を攻撃し、敵の意識をこちらに向ける。間もなくゼング王子も到着するだろう。殿下が側面から陣地に奇襲をかければ──」
「敵将の首が取れる、と?」
「そうだ。貴公も来るか?」
「聞くまでもありません!!」
副官の男性は槍を構えた。
「ゼング殿下のために道を開くのは武人の本懐です! 参りましょう!!」
「ああ。殿下もお喜びになるだろう!!」
虎永尊と副官は馬を走らせる。
背後の兵士たちも一斉に走り出す。
雄叫びを上げながら、黄海亮が守る陣地に向かって。
「──あれが指揮官──狙え!!」
年若い武将が、敵陣で声をあげた。
柵の向こうで藍河国の兵士たちが弓を構える。
その直後、虎永尊と副官めがけて、大量の矢が飛来した。
(指揮官を狙うか。正しい判断だな)
虎永尊は馬の手綱を手放し、二本目の刀を抜いた。
脚だけで馬を操りながら、馬上で双刀を構える。
(我が朋友──州雀よ。見るがいい! 我が天命を切り開いてみせよう!!)
そして──
「双刀術──『暴風牙爪』!」
内力を宿した刀術が、飛来する矢を切り払った。
一本だけではない。二本……三本。十数本。
虎永尊は双刀を振り続ける。
刃が届かない場所にある矢まで、続けざまに切り払う。
(見たか。これが天命を得た者の力だ!!)
両断された矢を置き去りにして、虎永尊の部隊は突進を続ける。
敵陣まで、あと数十歩。
柵の向こうで敵兵が槍を構えている。
だが、虎永尊には関係ない。
彼は柵の手前で馬首を転じるつもりでいる。
壬境族の兵士たちはそのまま突撃し、突破力を発揮してくれるだろう。
敵将の意識をこちらに向けるという目的は、十分に果たしてくれるはずだ。
本当に陣地を破ってしまったら、虎永尊が黄海亮の首を取ればいい。
ゼング=タイガには、東の陣地の将──ガク=キリュウの首をくれてやろう。
それで、より一層、彼の名声は高まるはずだ。
隻腕でありながら東西の陣地を破り、再起を期して姿を消す英雄。
それでこそ、虎永尊の『真の主君』があつかうにふさわしい。
「壬境族の勇士たちよ! 陣を食い破るがいい!! 軍神の栄光のために!!」
「「「うおおおおおおおおおおっ!!」」」
虎永尊と兵士たちが叫び声を上げ、馬の脚を速めた──とき。
「兵を引け!! ゼング殿下は亡くなられた!! これ以上の戦いは無意味である!!」
響き渡った叫び声が──戦場のすべてを停止させた。
突撃していた壬境族の部隊も。
敵を迎撃しようとしていた、西の陣地の兵士たちも。
彼らの視線の先にあるのは、高台の岩場。
そこに長身の青年が立っていた。
シメイ氏族の長、トウゲン=シメイだった。
彼は、壬境族の穏健派の重要人物だ。
左右にいるのは壬境族の兵士たちだ。
だが、穏健派の者たちではない。甲が違う。
ひときわ強固に作られたあれは、ゼング=タイガの直属部隊のものだ。
「……どうしてゼング王子の部隊の者が、トウゲンと」
理由は、わかる。
トウゲンの言葉が真実なら、彼とゼング=タイガの臣下が共にいるのも当然だ。
ゼング=タイガは討ち取られ、その部下は穏健派に降伏したのだろう。
(だが……そんなはずはない! ゼング=タイガは軍神だ。最強のはずだ!)
虎永尊は必死にトウゲンの言葉を否定する。
「ゼング殿下は藍河国の部隊と戦い、武運つたなく命を落とされた。堂々たる立ち会いのもとでの敗北であった」
だが、トウゲンの言葉は続いていた。
「勝敗は兵家の常である! 恨みを残すべきではない!! 今は粛々と兵を退き、国に帰ろう。そして殿下を弔ってさしあげるのだ!!」
「聞くな!!」
思わず、虎永尊は叫んでいた。
「穏健派の偽りだ! 軍神であるゼング殿下が敗れるはずがない!! 討ち取られるなどあり得ぬことだ!! 奴らは嘘をついている!!」
「し、しかし。トウゲンと共にいるのは、ゼング殿下の部隊の者で……」
「甲など偽装できる!!」
「私は……あの者たちを知っております!!」
「ならば裏切りだ!! 聞くな!!」
「見よ! これが、ゼング殿下の遺品である!!」
まるで、虎永尊と副官の声が聞こえたかのようだった。
トウゲン=シメイは両腕を掲げ、手にしている者を周囲に示す。
壬境族は草原の民だ。視力がいい。
彼らの目には、トウゲンが手にしているものがはっきりと見えている。
「……ゼング殿下の剣と、腕輪を、トウゲンが」
「……そんな」
「……本当に、殿下は亡くなられたのか」
「聞くな!! すべて偽りだ!! そんな未来はありえない!!」
虎永尊は双刀を掲げ、声をあげる。
藍河国の陣地は静まりかえっている。
彼らにとっても、予想外の事態だったのだろう。
今、攻撃を仕掛ければ、壬境族の部隊を壊滅させられる。
だが、喪中の軍を討てば、壬境族の恨みを買う。
これからも、なし崩しに戦いが続くことになる。
ならばトウゲンに話をさせて、壬境族を退却させた方がいい。
黄海亮は、そう考えているのだろう。
(だとしたら、甘いな。これは我らにとって攻撃の好機だ)
今、全軍で突撃すれば、陣地を食い破れる。
そのまま黄海亮の首を取り、そのまま東の陣地を破り、ガク=キリュウを──
(…………倒して、どうするのだ)
虎永尊の脳裏に疑問がよぎる。
この戦いはゼング=タイガが生きていることを前提としている。
黄海亮を倒すのも、ゼング=タイガの名をあげるためだ。
ゼング=タイガが死んだ今、なんの意味もない。
「ゼング王子は死んでなどいない!! 腕輪も剣も偽造できる! ゼング王子をよく知る穏健派にとっては、簡単なことだ!」
だから、すべてを否定するように、虎永尊は叫ぶ。
「この距離で、本物だとわかるか!? 確信を持って言えるのか!? 万が一、ゼング殿下がご存命ならどうする!?」
「……」
「作戦を失敗にみちびいた者は罰を受けるだろう! ゼング王子も激怒されるだろうよ! 『敵の策に乗せられるとは、おろかな』と。貴様らは、軍神の怒りが恐ろしくはないのか!?」
「…………虎永尊どの」
「我に続け、壬境族の精鋭たちよ! 西の陣地を食い破るのだ!!」
「虎永尊どの!!」
「黙れ! 貴公も怖じ気づいたか!?」
「ゼング殿下は……亡くなられたのです!」
「あり得ぬ!! 剣も腕輪も偽物だ!! トウゲンの隣にいる兵士たちは裏切り者で……」
「あれをごらんください!!」
副官が震える手で、トウゲンの後ろを指さす。
そこには──彼らのよく知る、馬がいた。
漆黒の馬体。高貴さをたたえた、流麗なたてがみ。
ひときわその大きな身体は、常に軍神を支え続けてきた。
優れた能力を持つ代わりに気性は荒く、軍神にしかなつかなかった。軍神が許可した者にしか、手綱を取らせることはなかった。
一度戦場に出れば、黒き疾風となって千里を駆けた。
壬境族を導く、旗印だった。
壬境族の者が、それを見間違えるわけがない。
あれはゼング=タイガの愛馬、『朔月』だ。
「あの馬も偽物とおっしゃるのか! 虎永尊どの!! 我らがゼング王子の……軍神の愛馬を見間違えていると、そうあるとおっしゃりたいのか!?」
『朔月』は新月を意味する。
月のない夜──その闇を映したかのような馬体と、それにまたがるゼング王子の姿は、壬境族の脳裏に焼きついている。
まさに人馬一体。
ゼング王子と朔月は無敵の強さを示しながら、壬境族を導いてきた。
しかし今、朔月の手綱を握っているのは、藍河国の少年だ。
青ざめた顔で背筋を伸ばし、じっとこちらを見ている。
その隣には別の少年がいる。心配そうな顔で、手綱を手にした少年を支えている。
こんな光景はありえない。
ゼング王子が藍河国の者に朔月の手綱を取らせることも、朔月がそれを許すことも、ありえないはずなのだ。
「……あるはずのないことが、起こっているのです」
副官の言葉は、ここにいる者すべての意思を表していたのかもしれない。
やがて、壬境族の者たちは武器を捨てはじめる。
地面に膝をつき、軍神ゼング=タイガを悼む言葉を口にする。
──ゼング=タイガの愛馬が、藍河国の少年に手綱を取らせる姿。
それはゼング=タイガがこの世にいないことを、はっきりと示していた。
「兵を退きましょう。いえ……藍河国の者たちに、停戦を呼びかけるべきかもしれません」
副官の男性は言った。
「もはや戦える状態ではありません。我々は敗れたのです……」
「ばかな!!」
「戦は終わりです……。トウゲン=シメイの言う通り、今は……軍神ゼング殿下の弔いを……」
戦は終わった。もう戦えない。
副官の言葉は、正しい。
兵たちは皆、動きを止めている。
騎兵は馬を降り、歩兵は武器を捨てて、ただ、呆然と座り込んでいる。
ここにいるのは最後までゼング王子に従っていた者たちだ。
彼を失った衝撃も、大きいのだろう。
「指揮官の務めです。この首を対価に、兵の助命を願いでることにしましょう。穏健派のトウゲンが藍河国との間に立ってくれるなら、悪いようにはならぬかと」
そう言って副官は、自らの首に、手刀を当ててみせた。
「それは我らの責務です。参りましょう。虎永尊どの」
「……ぐぬぅ!!」
一瞬の出来事だった。
虎永尊に向かって伸ばした副官の手首が、落ちた。
副官が目を見開いたとき、すでに虎永尊の馬は走り出している。
あまりの出来事に、壬境族の兵士たちも反応できない。
ここでゼング王子の側近が逃げ出すとは、誰も思っていなかったからだ。
数秒遅れて、副官の手首から血が噴き出す。
兵士たちが慌てて副官に駆け寄る。そのときには、すでに虎永尊は集団から抜け出している。
彼が副官の手を斬ったのは、兵士たちに衝撃を与えるためだったのだろう。
だから虎永尊を止められなかった。
数名の兵士が立ちはだかる。
しかし、虎永尊を止めることはできない。
双刀が鞘走るたびに、兵士は悲鳴を上げて倒れていく。
「──その者を捕らえよ!! 逃がすな!!」
岩場でトウゲン=シメイが叫ぶ。
だが、虎永尊は囲みを抜け出し、部隊から遠ざかっていく。
藍河国の少年──朔月の手綱を握っている少年が、走り出そうとする。
数歩動いたところで、膝をつく。
体力の限界を迎えたように、崩れ落ちる。隣の少年が真っ青な顔で、彼を支える。
彼らは虎永尊を止めようとしたのだろう。
しかし、距離がありすぎた。少年たちの体力も限界だった。
彼らの手は、虎永尊には届かなかった。
それでも、戦いを止めることはできた。
壬境族の兵士たちは武器を捨て、応急手当を受けた壬境族の副官は、藍河国の陣地に向かって、進み出る。
副官は西の陣地の指揮官──黄海亮に告げる。
「降伏する。我が命をもって、部下たちの助命を願う」と。
その言葉を聞いた黄海亮が、陣地の前に現れる。
トウゲンも岩山を降りて、ふたりに合流する。
停戦についてと、これからのことを決めるために。
それは国境をかき乱し続けたゼング=タイガの死を公表し──
藍河国と壬境族が不戦の協定を結ぶための、最初の一歩だった。
次回、第126話は、次の週末の更新を予定しています。