第124話「天下の大悪人、友人と再会する」
『白麟剣』が、ゼング=タイガの甲を切り裂く。
刃が、奴の身体に届く。
そして真っ赤な血が噴き出し──ゼング=タイガが、倒れた。
……勝った、のか?
俺が……ゼング=タイガに?
ゼング=タイガは、倒れたまま動かない。
俺の方も限界だ。
奴に斬られた脚から、鈍い痛みが伝わってくる。
『気』もほとんど使い果たしてる。
でも……まだ終わりじゃない。
間道の方で、戦いがまだ続いている。
小凰と白さんたちが、防衛部隊を守って戦ってるんだ。
……終わらせないと。
俺はゆっくりと息を吸い込む。
それから、声にめいっぱいの内力を込めて、叫んだ。
「壬境族の王子ゼング=タイガは! 藍河国の黄天芳が倒した!!」
声が、周囲に響き渡る。
「これ以上の戦いは無意味だ!! 繰り返す、ゼング=タイガは倒れた!! 壬境族の者は武器を収めよ! ゼング=タイガは倒れたんだ!! 戦いは終わりだ!!」
身体の力が、抜けていく。
俺は地面に膝を突く。
耳を澄ますと……遠くで、声が聞こえる。
ざわざわと、動揺したような声がする。
やがて……戦闘音が、弱まっていく。
続いて聞こえてきたのは足音と、馬の音。
小凰と白さんかな。
でも、方向が……おかしいような。
あ……だめだ。身体が……倒れて……。
「天芳──────っ!!」
身体が地面に倒れこむ直前、誰かに抱きとめられた。
やわらかくて温かい身体。これは……。
「小凰……?」
「うん! うん!! 天芳のばかっ!!」
「……ばか、って」
「僕たちは生きるも死ぬのも一緒なのに! ひとりで無茶して! 僕は……生きたここちもしなかったんだからね!!」
「仕方ないじゃないですか……誰かがゼング=タイガを、引きつけておかないと」
「わかるよ。天芳は間違ってない。でも、僕が怒るかどうかは別の問題だっ!!」
「……難しすぎますよ。小凰」
「あとでゆっくり教えてあげる。僕がどんな気持ちでいたのか。いつも、僕がどんな気持ちでいるのかを……ね」
「わかりました」
俺は呼吸を整える。
小凰が側にいると、安心する。
まだ動けるような気がする。
「間道での戦いは……どうなりましたか?」
「終わったよ。壬境族の人たちも、戦うのをやめた」
小凰はゆっくりとした口調で教えてくれる。
「もともと、激しい戦いにはなってなかったんだ。ゼング=タイガがいなければ、陣地には攻め込めないからね。あいつが戻ってこないことで、壬境族も動揺してたんだ。しかも、ゼング=タイガは天芳を追いかけたまま、戻ってこなかったから……」
「壬境族の兵たちも……軍神がぼくに手こずってることに、おどろいたんでしょうか?」
「そうだと思う。それで天芳の叫び声が聞こえたから……ゼング=タイガが敗れたことを、彼らも覚ったんだろう」
「……終わったんですね」
ゼング=タイガは倒れた。
もう、壬境族には、藍河国と戦う理由はない。
10年後──『剣主大乱史伝』の時代になっても、壬境族の侵攻は起こらない。
藍河国が崩壊する理由がひとつ、消えたんだ。
「それより天芳。傷は大丈夫なの? 手当てするから見せて!」
「……ちょっと待ってください。小凰」
俺は話し続ける小凰を止めた。
馬の足音が、近づいてきていたからだ。
やっぱり白さんたちがいるのとは別方向からだ。
小凰もそれに気づいたのか、剣を抜いて、俺の前に立つ。
やがて、騎馬の姿が見えてくる。
あれは──
「……トウゲン=シメイさま?」
「お久しぶりです。黄天芳どの」
現れたのは長身の青年──トウゲン=シメイだった。
背後にいる騎兵たちは……穏健派の人たちだろうか。
「トウゲンさまが、どうしてここに?」
「私たちは味方を増やすために、近隣の村々を回っていたのですよ」
トウゲンは馬から降りて、一礼した。
「その途中で、ゼング王子が動いたことを知りました。だから、兵を集めていたのです。少数ですが、背後を突けば、ゼング王子の軍勢を動揺させることができるのではないかと。そうして部隊を動かしたとき……黄天芳どのの声を聞いたのです」
「そう……だったのですか」
「遅れてしまい、申し訳ありません。ですが私たちは……黄天芳どのにお願いがあるのです」
不意に──トウゲン=シメイが地面に座り、深々と頭を下げた。
後ろにいる人たちも同じだ。
全員が一斉に土下座してる。どうして……?
「伏してお願いします。ゼング王子のお身体を、我々にお渡しいただけませんか?」
トウゲン=シメイは真剣な声で、そんなことを言った。
「私たちは……ゼング王子を止めることができませんでした。その私たちが、虫のいいことを申し上げているのは、わかっています」
「虫がいいなんて……そんなことはないです」
俺は首を横に振る。
「トウゲンさまたちは……藍河国との和平のために力を尽くしてくれました。ゼング=タイガを追い詰めることができたのは、トウゲンさまたちのおかげです」
「ありがとうございます。ですが、私たちは力が足りませんでした」
トウゲンは震える声で、答えた。
「本当なら、ゼング王子の暴走を止めるのは私たちの役目でした。壬境族の者たちの力を合わせてそうするべきだったのです。なのに……それができずに、結局、藍河国の方々の……特に、黄天芳どのの力を借りることになってしまいました……」
そう言ってトウゲンは、地面に額をこすりつけた。
「黄天芳どのには……ゼング王子の首を取る資格があります。それが当然でしょう」
「……トウゲンさま」
「私たちにとっても、ゼング王子は暴君でした。民から食料や家畜を奪い、若い者たちを戦場へと連れ去りました。その上、藍河国の王子を襲い……今回の侵攻を起こしました。この方は……藍河国にとっての仇敵です。それは、わかっております」
そして、トウゲン=シメイは顔を上げて、
「ですが! この方が壬境族の──我らの王子であったことに代わりはありません。できれば、壬境族の土地で葬って差し上げたいのです。ゼング派と穏健派……ふたつに分かれた壬境族をまとめるためにも……」
「……壬境族をまとめるために、ですか」
「無論、藍河国の人々はゼング王子を許しはしないでしょう。黄天芳どのがゼング王子の首級をあげるのも当然です。ですが……」
トウゲン=シメイの肩が、震えていた。
「この方は……間違えました。その結果、このようなことになってしまったのです。その事実を壬境族の皆に伝え、いましめとするべきだと思います。そのためにもお身体を引き取り、壬境族で葬儀を行いたいのです。それに……」
「ぼくがゼング=タイガの首級をあげてしまったら、壬境族の人々は藍河国を恨むようになる……ですか?」
俺は言った。
トウゲン=シメイは静かに、うなずいた。
ゼング=タイガは壬境族の王子で、人々が尊敬する軍神だった。
奴が暴君になったのは最近の話だ。
軍神で、みんなの英雄だった期間の方が、ずっと長い。
英雄が戦で討ち取られるのは、仕方ない。
だが、藍河国の者が首を取り、遺体をさらしものにしたら……壬境族の者は、藍河国を恨むようになるかもしれない。
それが新たな戦の火種を生み出すことも考えられる。
壬境族の中には、今もゼング=タイガを尊敬する者もいる。
暴君として憎んではいても、王の子への敬意は残っている。
そんな人たちを敵に回してしまったら、藍河国と壬境族の和平にも影響が出るかもしれない。
──そんなことを、トウゲンは説明してくれた。
「……お話は、わかりました」
俺はトウゲンに向かって、答えた。
「けれど……北の砦では父の軍勢と、壬境族の軍勢が戦っています。止めるためには……ゼング=タイガを倒したという証明が必要なんです」
「わかっています。では……」
トウゲンは部下にうなずきかける。
後ろにいた兵士が立ち上がり、ゼング=タイガに近づき……その腕から、石のついた腕輪を外した。あいつの持っていた剣も、取り上げる。
それからゼング=タイガの髪を切り、髪飾りと一緒に捧げ持つ。
「あの腕輪と剣は壬境族の秘宝です。手にすることができるのは王族のみで、死ぬまで手放すことはありません。腕輪と剣と、ゼング王子の髪と髪飾りがあれば……あの方を討ち果たしたという証明になるでしょう」
「それで戦を止められるでしょうか?」
「私も、ともに北の砦に向かいます。穏健派の一員として、壬境族の軍勢に呼びかけます。ゼング王子は倒れた、と」
「……そうですか」
俺の目的は、壬境族の侵攻を止めることだ。
ゼング=タイガの首は……別にいい。
というよりも、人に致命傷を与えたのは初めてだ。今もまだ、手が震えてる。
たぶん、これ以上は……今は無理だ。
他の者に……特に小凰の手を借りるわけにもいかない。というか、したくない。
だったら……。
「わかりました。ぼくは、トウゲンさまを信じます」
「ありがとうございます! 黄天芳どの!!」
「「「ありがとうございます!!」」」
トウゲンを含めた壬境族の人たちが、地面に額をこすりつける。
「この命ある限り、我らは黄天芳どの……いえ、藍河国に敵対しないことをお約束いたします! 草原の神に誓います。この誓いが破られたときは、トウゲン=シメイの心身は砕け散り、魂は地の底で永遠の責め苦を味わうように……」
「トウゲンさま。そこまでしなくても」
「黄天芳どのは我が友です」
そう言ってトウゲンは、笑った。
「友が、私たちのわがままを聞いてくださったのです。私も、この命を賭けましょう。放浪癖は……もうおしまいですね」
ふと、さみしそうな口調で、トウゲンは言った。
「私の生涯は、壬境族をまとめることと、藍河国との平和を維持することに使いましょう。それもまた、誓いのひとつです」
「「「我らも……この生涯を藍河国との平和と、黄天芳どのをお助けすることに使うことを、草原の神に誓います!!」」」
穏健派の人たちが、トウゲンの言葉を引き継いだ。
俺は、小凰の肩を借りて立ち上がる。
砦の戦いはまだ続いているはずだ。止めに行かないと。
でも、俺の馬はもう限界だったっけ。
俺の『気』も底を突いてる。『五神歩法』で走るのは無理だ。
「すみません。誰か馬を……」
『ぶるる』
──黒い馬が、近づいてきた。
他の馬よりも一回り以上大きい。
黒馬は迷わず、俺に鼻先を寄せてくる。
黒い目が静かに、俺を見ている。
ゼング=タイガが乗っていた、黒馬だった。
「……乗れ、というのか?」
『ぶるる。ぶるる』
「いいのか? お前の主人を斬ったのは、ぼくで──」
『ぶるるるるっ!』
怒られた。
黒馬はまるで『わかってる』と言うように、頭を振ってる。
まるで、俺を急かしているみたいだ。
「……いいのか? ゼング=タイガ」
俺はゼング=タイガの方を見た。
彼の身体は、すでに布にくるまれている。
穏健派の人たちに運ばれていくゼング=タイガは、もう、なにも言わない。
『ぶるるるるっ!!』
「わかった。お前の背中を借してくれ」
あとで星怜に、黒馬と話をしてもらおう。
こいつが俺に力を貸そうと思った理由と、こいつの名前を知りたい。
だけど、それは戦いを終わらせてからだ。
「行きましょう。小凰。まずは白さんと合流して、それから……父上と兄上のところに!」
「うん。天芳!」
「私たちもご一緒します。壬境族の兵たちは、私たちが抑えましょう!」
俺と小凰とトウゲンたちは、戦いを止めるために走り出したのだった。
今週は1話だけの更新となります。
次回、第124話は、次の週末の更新を予定しています。