第120話「天芳、通常の偵察任務に戻る」
──天芳視点──
檄文をばらまいた後、俺たちは通常の偵察任務に戻った。
ゼング=タイガの軍勢は不安定になっている。
これから、奴がどう動くかわからない。
なので、檄文をばらまくのは一旦止めて、敵軍の動きを見極めることになったのだった。
俺には部下として、十数人の兵士が与えられた。
部下になったのは父上の直属の部下で、俺も顔を知っている人たちだ。
偵察中に敵と出会っても対処できるように、ということだった。
偵察に向かったのは、俺と小凰と兵士たち。
星怜と冬里は、砦に残ることになった。
これから、砦に敵が襲ってくる可能性は十分にある。
だから星怜は連絡役、冬里は治療役として、砦で待機することになったのだった。
「若様! 今のところ異常はありません!」
偵察から戻ってきた兵士が言った。
兄上が俺につけてくれた兵士のリーダーだ。姓は白さん。
白葉の伯父にあたる人だ。
「森に人の気配はありません! 敵兵はいないと思われます! 若様!」
「わかりました。でも、若様はやめてください」
「いいじゃないか。天芳」
俺の隣で、小凰が笑った。
「『隊長様』と呼ばれるのは嫌だと言ったのは天芳だろう?」
「はい。あんまり堅苦しい呼び方は好きじゃないので」
「だったら『若様』でいいじゃないか」
「『隊長様』でも『若様』でも、皆が若様を尊敬しているのは間違いありませんぞ」
白さんと、他の兵士たちが一斉に拱手する。
みんなキラキラした目をしてる。
「若様は王弟殿下より部隊長に任命されたとうかがっております。最近では景古升どのの命を救い、父君に策を献じられたというではありませんか! その成長っぷりに、我らは感動せずにはいられません」
「「「我らは命を賭けて、若様をお守りいたします!」」」
「ありがとうございますっ! とにかく、今は偵察任務に集中しましょう!!」
俺は手を振って、白さんたちをさがらせる。
まったく。
隊長役はまだ慣れない。
『隊長様』って呼ばれるたびに、背中がむずかゆくなるんだ。
部下を率いるとか、俺には向いてないんだろうな。
「森の中に敵の気配は、なし、と」
俺たちがいるのは、毒矢使いの矢牙留がいた森の中だ。
敵が潜みやすいところだから、念入りに調べている。
ここは国境にも近い。
もしかしたら、ゼング=タイガのもとから脱走した兵士と出会うかもしれない。
父上からは『脱走兵と出会ったら、武装解除してから話を聞くように』と命じられている。
その後で砦に連れ帰るか、穏健派に行くように勧めることになっているんだ。
そして、このルートから敵が侵入してきた場合は、すぐに砦に連絡する予定だ。
兵士さんのひとりが鳩の入った籠を持っているのは、そういうわけだ。
「このまま、戦が終わってくれればいいんですけど」
「うん。僕も、天芳と同じ気持ちだよ」
俺の言葉に、小凰がうなずく。
「僕も、穏健派の人たちに会ってみたいからね」
「戦が終わったら訪ねてみましょう。いい人たちですから、師兄も気が合うと思いますよ」
本当に、そうなるといいと思う。
ゼング=タイガは力を失いつつある。
このまま奴が失脚して、穏健派が壬境族を動かすようになればいい。
そうすれば、藍河国と壬境族は和平を結ぶことができる。
壬境族の領地に出入りできるようになれば、謎の組織『金翅幇』のことを調べることもできるだろう。
──ゲーム主人公の介鷹月がどこにいるのか。
──彼らが、これからどうするつもりなのか。
それらを調べれば、対策を立てられる。
『黄天芳破滅エンド』は、完全に回避できるようになる。
俺も安心して暮らせるようになるはずだ。
「若様。次の偵察場所に行きますか?」
偵察から戻ってきた白さんが、そんなことを言った。
俺は少し考えてから、
「皆さんは少し休んでいてください。俺は高いところから周囲を見てみます」
俺は『五神歩法』で高速移動。
森を出て、近くの高台へと駆け上がる。
見通しのいい岩場だ。
ここからなら、国境地帯に近づく者が見えるはず──
『キュキュ』
「……ん?」
岩場に登った俺のそばに、白い鳥がやってくる。
星怜の鳩だ。
ちょうど近くまで来ていたらしい。
「星怜からの連絡か?」
『キュッ』
鳩の脚には紙が結びつけられている。
外して広げてみると……ぐちゃぐちゃな文字が並んでいた。
これは、海亮兄上の文字だ。しかも、かなり急いで書いたらしい。
内容は──
『北の砦に、壬境族の軍勢が近づいている。攻撃を仕掛けるつもりだろう。
敵軍がひとつとは限らない。別働隊がいるかもしれぬ。
天芳たちは砦周辺の偵察を行い、情報を砦に伝えよ』
「ゼング=タイガが攻めてきたのか!?」
……檄文だけで戦を終わらせるのは無理だったのか。
このまま敵軍が崩壊してくれれば楽だったんだけど、甘かったか。
仕方がない。俺は俺の仕事をしよう。
こちらの近くに移動して、周辺に別働隊がいないか調べよう。
『キュキュ!』
「……ん、どうした?」
俺の肩に乗った鳩が、大声で鳴いた。
北西の──壬境族との国境に近いあたりを見ている。
岩に囲まれた細い道だ。そこを走る、黒いものが見えた。
その姿ははっきりとは見えない。だけど、あの土煙は……敵の騎兵か?
「星怜の鳩なら、ぼくの言葉がわかるよな? 星怜に伝言を頼む」
俺は鳩に向かって語りかける。
文書を書いている暇はない。口頭で伝えよう。
「星怜に伝えて。敵の別働隊を発見。場所と数は──」
『キュィ!』
俺が情報を伝えると、鳩はすぐに飛び立っていった。
これで砦に情報が伝わるだろう。
俺は『五神歩法』で岩場を駆け下り、地上の部隊と合流した。
「砦から連絡がありました。敵の主力部隊が近づいているそうです。ぼくたちには、別働隊がいないか偵察を続けるようにと。でも、その別働隊を発見しました。すでに砦に向かっています」
俺は小凰と白さんに情報を伝えた。
別働隊を見つけたこと。
その位置と、移動ルート。ここからの距離について。
「情報は砦に伝えました。ぼくたちは、別働隊を追いましょう」
俺は説明を続ける。
「敵の正体を突き止めて……必要なら、足止めしなければ」
「大丈夫だと思いますぞ。砦の近くには、多数の部隊が巡回しておりますからな」
白さんは答えた。
「敵が侵入しそうな場所には、100名を越える兵士が配置されているはずです。少数の敵ならば、簡単に撃退できるでしょう」
「それはわかります。でも、敵もそれは予測しているはずです」
俺は答える。
「それでも侵入してきたのなら、敵の精鋭でしょう。その正体が気になるんです」
「天芳の言う通りです。調査に向かいましょう」
そう言ったのは小凰だった。
「天芳は、その部隊に危険なものを感じ取ったのでしょう。僕は天芳の勘を信じます」
「い、いえ、自分も、若様の勘を疑うつもりはございません」
白さんは拱手して、
「失礼いたしました。では、参りましょう若様。お役目を果たすために」
「ありがとうございます。それじゃ、急ぎましょう」
敵騎兵が移動していた先には、砦に通じる間道がある。
防御の兵は配置されているはずだけど……もしも突破されたら、父上と兄上は側面から奇襲を受けることになる。
情報は砦に伝えたから、向こうも追加の兵を送ってくれるはず。
それまでなんとか……足止めできればいいんだけど。
「ぼくが先行します。白さんたちは後からついてきてください」
「違うよ。天芳」
俺の言葉を、小凰が遮った。
「そこは『ぼくと師兄が先行します』だろう?」
「……ですね」
不敵な笑みを浮かべる小凰に、俺はうなずき返す。
「ぼくと師兄が先行します。白さんたちは、後からついてきてください。目的は敵の情報を得ること。必要なら……なんとか足止めすることです。危険な相手かもしれません。できるだけ、ぼくの指示に従ってください。いいですね」
「承知だよ。天芳!!」
そうして俺と小凰は馬を急がせたのだった。
──十数分後、藍河国の国境近くで──
間道に配置されていた防衛部隊は粉砕された。
あっという間の出来事だった。
「……あり得ない。我らは『飛熊将軍』の部下だぞ」
防衛隊の隊長は刀を手に、つぶやいた。
槍はない。
敵と最初に斬り合ったときに、両断された。
まわりでは多数の部下がうずくまっている。
死者が少ないのは、敵が殺す手間をはぶいたからだ。
おそらくは先を急いでいるのだろう。
だから一刀のもとに兵の手足を斬り、傷を与え、戦闘能力を奪ったのだ。
それを行ったのは、敵兵の先頭にいる隻腕の兵士だった。
「……なんだ。奴は。まさか……」
あり得ない。
敵の総大将が少数の兵とともに侵攻してくるなど、予想外すぎる。
偽物に違いない。
壬境族はそうして、景古升と薄完を陣地から引き出し、戦った。あのときと同じはず。目の前にいるのが、奴のはずがない──
そんな言葉が、部隊長の頭をまわりだす。
「……だが、偽物ならば、この強さはなんなのだ」
速すぎる。見えない。反応できない。
敵は馬に乗り、左手に長剣を握っている。手綱はない。両脚で馬体を挟み込み、わずかな動きで馬を支配している。人馬一体とはこのことだ。
敵兵はその動きで兵士の間をすり抜け、彼らを無力化した。
黒い人馬が通った後に残るのは、血を流し、地面にうずくまる兵士たち。
隻腕の敵兵に傷をつけた者はひとりもいない。
それどころか、武器をまともに打ち合わせた者もいなかった。
「こんな……こんな馬鹿なことがあるか!」
部隊長は叫びながら刀を撃ち込む。
軽い音がして──その刀を、隻腕の兵士がはじき飛ばした。
「脆いな」
「……な!?」
隊長の腕から、力が抜けていく。
まるで、毒を流し込まれたようだ。腕に力が入らない。
すさまじい脱力感に、思わず馬から落ちそうになる。
必死に手綱をつかみながら、隊長はなんとか身体を起こす。
「……こいつは……ここで食い止めなければ」
彼らがいるのは、砦に繋がる間道だ。
ここを抜ければ、西の陣地の側面に出る。そこは今、黄海亮が守っているはずだ。
彼が敵に遅れを取るとは思えない。
だが、時期が悪すぎる。
ちょうど今、北から敵が迫っている。兵たちの意識はそちらに向いているだろう。
そこに奇襲を受けたら、対応しきれない。
並の敵ならまだいい。しかし、この敵は強すぎる。
この敵なら、陣を守る柵を簡単に飛び越えるだろう。兵を蹴散らして、黄海亮に刃を叩きつけることも考えられる。
こんな危険な敵を、陣地に近づけるわけにはいかないのだ。
「我こそは『飛熊将軍』黄英深の部下にして──!」
「遅い」
隻腕の兵士が剣を振った。
部隊長の脇腹から、血がしぶいた。
「こんな小勢相手では、成果にもならない」
崩れ落ちる部隊長を、隻腕の敵は、見ない。
剣をぬぐって鞘に収め、仲間の兵士たちを見回す。
「掃討は必要なし。すでに、戦意は削いだ」
隻腕の兵士は、淡々と告げた。
彼の言う通りだった。
藍河国の防衛隊は、すでに崩れかけている。
部隊長は倒され、多数の兵士は傷を負った。
指揮官を失った兵士たちは武器を手にしたまま、動けずにいる。
この敵にとって、そんな兵士は相手にするまでもないのだろう。
「我らの獲物は黄英深、あるいはその長子だ。ガク=キリュウでもいい。奴らを討ち果たし、その成果を手に、新天地で旗揚げをする」
「「「おおおおおおおおおっ!!」」」
「予言はまだ、生きている。この俺が最強であることがその証拠だ」
隻腕の兵士は高らかに宣言する。
「……誰か……こいつらを……止めてくれ」
地に伏せたまま、防衛隊の部隊長はつぶやく。
「…………こいつらを行かせたら……黄海亮どのが……陣地が……。頼む。誰でもいい……こいつらを……」
「ゆくぞ。皆の者」
必死につぶやく声を、敵兵の馬蹄がかき消した。
「雑魚には目をくれるな。狙うは『飛熊将軍』あるいは黄海亮。ガク=キリュウ──他の者に関わる必要なし! 最強である我が部隊は──」
「止まれ! ゼング=タイガ!!」
不意に、声が響いた。
この地にいるすべての者に届くような、内力が込められた声が。
隻腕の兵士が、動きを止める。
声の主を探すように、視線を動かす。
長剣を握る手が、震えていた。
「────殿下」
敵兵のひとりが、隻腕の兵士に声をかける。
隻腕の兵士はうなずき、砦の方角に馬首を向ける。
だが──
「貴様の右腕を斬り落とした者に背を向けるのか!? 壬境族の王子よ!!」
──機先を制するように、再び声が響く。
近くの岩場に、少年が立っていた。
袍をまとい、剣を手にした少年だ。
必死の表情で、歯を食いしばり、隻腕の敵兵をにらみつけている。
部隊長はその少年を知っている。
彼は『飛熊将軍』の次男の──
「我が名は黄天芳! 貴様の敵だ。ゼング=タイガ!! 貴様は仇敵に背を向けるのか!?」
黄天芳は隻腕の兵士を──ゼング=タイガを見据えていた。
「ぼくは貴様との戦いを望んでいる。ここで決着をつけるか、逃げて、別の戦いに向かうかを選べ!! 壬境族の王子よ!!」
黄天芳は剣を手に、そんなことを宣言したのだった。
今週の更新は1話だけになります。
次回の更新なのですが、ちょっと事情がありまして、来週の更新をお休みしたいと思います。
なので、次回の更新は、再来週の週末を予定しています。
申し訳ありませんが、少しだけ、お待ちください。