第119話「ゼング=タイガ、動く」
──ゼング=タイガ視点──
「ゼング殿下。我々は、藍河国の手の届かぬ場所で再起を図るべきだ」
その言葉を、ゼング=タイガは無言で聞いていた。
声の主の名前は虎永尊。
『金翅幇』がゼング=タイガにつけた側近で、双刀の使い手でもある。知識もあり、軍略にも長けている。
なにより重要なのは、彼が巫女の言葉をもたらしてくれることだ。
巫女と、彼女の仲間の少年は、すでに壬境族のもとを離れている。
ゼング=タイガを大陸の王にするためだと聞いているが、その後、彼らの消息はわからなくなった。今はもう、なんの連絡もない。
それでも虎永尊は言う。『信じるべき』と。
──未来はわかっている。
──藍河国は滅び、新たな時代が来る。
──その未来を早めるために、ゼング王子が立ち上がるべきだ、と。
だが──
(それが、俺の望みか……?)
ゼング=タイガの脳裏をよぎるのは宿敵の姿だ。
彼の右腕を切りおとした少年、黄天芳。
奴の姿は痛みとともに、ゼング=タイガの記憶に焼き付いている。
黄天芳は、強そうには見えなかった。
身体は細く、背も高くない。
だが、予想外の動きでゼング=タイガを翻弄した。
その結果、ゼング=タイガは取り返しのつかない一撃を受け、最強の座を失った。
(……逃亡するのか? このゼング=タイガが? 宿敵との決着を投げ捨てて?)
藍河国の手の届かないところで、再起を図る。
それが正しいことはわかっている。
なのになぜ、それを認めることができないのか──
「聞いているのですか。ゼング殿下!?」
「……聞いている。この場を離れるのは……構わぬ」
虎永尊の声を聞いて、ゼング=タイガは我に返る。
絞り出すように、答えを返す。
「だが、一戦もせずに逃げるのは耐えられぬ。戦いを。俺が望む戦いは──」
「なるほど。さすがはゼング殿下ですな」
「……なに?」
「この場を離れる前に、藍河国の軍に一撃を与える。そうすることでゼング殿下の強さが健在だと示すのですな」
虎永尊はなめらかな口調で語り始める。
「さすれば、その強さを慕い、ふたたび兵士が集まってくるでしょう。再起を図るには必要なことだ。さすがはゼング殿下」
「虎永尊。お前は……」
「戦いを望まれるのでしょう? ならば、それでいいではないですか」
満足そうな表情で、虎永尊はうなずく。
「狙いは『飛熊将軍』か、その子ども。あるいはガク=キリュウだ。そのひとりを討ち取ることができれば、ゼング殿下の名声はさらに高まろう。そうではありませんか。予言の王子、ゼング=タイガ殿下」
「名声が……?」
「そして殿下は大陸の王となられるのだ」
『大陸の王』
その言葉に、ゼング=タイガの血が沸き立つ。
「百戦百勝の者はいない。どのような英雄も、一度や二度の敗北を体験しているものです」
虎永尊は続ける。
「むしろ敗北の後で再起することこそ、運命に選ばれた証と言えましょう。ゼング殿下。あなたは運命に選ばれている。だからこそ我ら『金翅幇』は力を貸すのだから」
言葉が、ゼング=タイガの心を震わせる。
──ゼング=タイガは運命を約束された王子。
──藍河国は滅ぶ。
──再起のために、今は力を示すべき。
そんな言葉が、ゼング=タイガの心を満たしていく。
(自分は──予言の王子だ。個人的な決着など……)
そんなものは、望むべきではないのだろう。
今は再起を図る。
そのために、ゼング=タイガの力が健在であることを、皆に知らしめる。
「ならば虎永尊は兵を率いて藍河国の砦へと向かえ。攻撃は最低限でよい。敵の注意を引きつけるのだ」
ゼング=タイガは決意し、声をあげる。
「その間に俺は精兵を引き連れて、間道から敵陣を攻撃する。敵に痛撃を与えたのちに撤退。その後は西に逃れ、再起を図る」
「ご英断です。殿下」
虎永尊は膝をつき、深々と頭を下げた。
そしてゼング=タイガは最後まで自分に従う兵たちとともに、国境に向けて出陣したのだった。
「──我が友よ。ゼング=タイガはここまでかもしれぬな」
出兵の準備を整えながら、虎永尊はつぶやいた。
彼の腰には二本の刀がある。
そのうち一本を引き抜き、柄に視線を向ける。
そこには、亡き友から一字を取った銘が刻まれていた。
──『黒雀刀』と。
「我が朋友、介州雀よ。天命に殉じたお前を誇りに思う」
藍河国は滅ばなくてはいけない。
予言がそうなっている。そのために犠牲も払った。
あの国は、虎永尊の朋友の仇だ。
藍河国の捕虜になった介州雀は、即座に殺された。
救出に向かう暇もなかった。
勝敗は兵家の常だ。敗れた者が命を取られるのは仕方がない。
それでも、無念と怒りは消えない。
「州雀よ。我は『黒雀刀』に誓う。必ずやお前の子を王にすると」
──『藍河国は滅ぶ』
──『北方より来たる黒き馬群が、藍河国を滅ぼす』
──『その後、大陸は戦乱に包まれるだろう』
──『やがて現れる英雄が人々を治め、あらゆる凶を従えるまで』
──『その者は大いなる翼を広げ、人々に慕われる王となるのだ』
大いなる翼を広げる王──それは『鷹』の名を持つ介鷹月以外にありえない。
予言を伝える巫女本人が、介鷹月を選んだのだから。
「事態を早めたのは巫女たちだが……早めすぎたか」
ゼング=タイガが滅亡するには、まだ早い。
ここは生き残り、再起を図ってもらわなければ。
その上で、改めて藍河国に侵攻させるのだ。
人々の敵となったゼング=タイガを、介鷹月が倒すために。
それがもっとも犠牲を少なくして、乱世を終わらせる手段なのだから。
「我は自分の役目を果たすだけだ」
虎永尊は『黒雀刀』を打ち鳴らす。
それから彼は役目を果たすため、兵のもとへと向かったのだった。
次回、第120話は、次の週末くらいの更新になります。