第117話「天下の大悪人、怪文書をばらまく」
数日後、俺たちは作戦を開始した。
壬境族の偵察兵が来そうな場所は、父上が教えてくれた。
俺はそれに数カ所を追加して、檄文をばらまく予定を立てた。
文書は俺と炭芝さんと、砦にいる文官たちが用意した。
俺と炭芝さんが紙に文書を書いて、文官たちがそれを木の板に彫るという感じだ。
数日で、50個以上の檄文ができた。
ガク=キリュウとも打ち合わせをした。
俺が国境付近で文書をばらまいている間、ガク=キリュウの部隊は近くの街道で待機していてくれるらしい。強敵が現れたときの対策、ということだった。
ガク=キリュウは「危険な敵が来たら、即座に逃げてきてください。それが難しい場合は、合図をしていただければ救援に向かいます」と言ってくれた。
その結果、星怜が作戦に参加することになった。
『わたしの鳥なら、すぐにガク=キリュウさまと連絡が取れます』と言われたから、断れなかった。
まあ、今回は文書をばらまくだけだからな。危険は少ない。
敵と遭遇して戦いになったら、星怜だけでも逃がそう。
俺がそんなことを考えていたら──
「敵と遭遇したときには、冬里がお役に立てると思うのです」
冬里が参加を表明した。
「冬里は点穴の技が使えます。戦いを避けるのに役立つと思うのです」
冬里は秋先生と同じく『操律指』という点穴の技が使える。
相手の手足をしびれさせたり、動きを封じたりするものだ。
それが今回の作戦で役に立つと、冬里は主張していた。
──偵察兵と出会ってしまったら、点穴で相手の動きを封じる。
──その後、こっそり荷物に檄文をまぎれこませて、逃がす。
──戦いを避け、確実に敵に文書を持ち帰らせることもできる。
「冬里は、そういうお手伝いをしたいのです」
完璧だった。反論の余地もなかった。
そんなわけで、冬里も作戦に参加してもらうことになった。
そして、星怜と冬里の参加が決まったあと──
「……あのね。天芳」
「どうしましたか? 小凰」
「どうして僕に『一緒に来て』と言わないんだ!?」
小凰に怒られた。
だけど──
「小凰は、ずっとぼくの側にいましたよね?」
「そうだけど?」
「檄文を作ってるときは、木を削って木簡にするのを手伝ってくれてました。ガク=キリュウさまとの話し合いにも同席してましたよね?」
「そうだけど!!」
「星怜や冬里さんと話してるときも一緒でした。だから、ぼくは小凰が一緒に来てくれるものだと思っていたんですけど……」
「それでもだよ。ちゃんと約束しただろう?」
小凰は頬をふくらませてる。
「天芳が壬境族の領地から戻ったときに約束しただろう? 遠くで仕事をするときは『小凰、一緒に来て』と言うって」
「……あ、はい」
いや、忘れてたわけじゃないんだけど。
俺が壬境族の領地から帰ったとき、小凰に怒られた。
『すごく心配した。不安でしょうがなかった』って。
小凰が奏真国の使節の接待をやめて、俺を迎えに来るくらいに。
だから遠くに行くときは『小凰、一緒に来て』と言うと、約束したんだ。
もちろん、そのことは覚えてる。
ただ、口にするタイミングがなかっただけだ。
『檄文ばらまき作戦』が決まったあと、小凰はずっと、俺の後ろをついて歩いてた。打ち合わせのときも、話し合いのときも一緒だった。
それで『一緒に来て』と言うタイミングを失ってたんだ。
「ごめんなさい。小凰」
俺は小凰に頭を下げた。
「ぼくはいつの間にか、小凰が隣にいるのが当たり前だと思っていたようです」
「……え?」
「小凰と一緒にいるのが自然で……一緒にいないのはおかしいと思うようになってたんだと思います。それで、小凰の意思を確認する機会を見失っていました」
「そ、そうなのかい?」
「でも、駄目ですよね。約束したんだから、ちゃんと言葉にしないと」
「…………うぅ」
「やっぱりぼくは未熟です。姉弟子の指導が必要みたいです」
「…………」
「だから、改めてお願いします。小凰。ぼくと一緒に来てください。ぼくは小凰がいないと駄目みたいで……」
「わ、わかったから! もういいから! 天芳!!」
小凰はあわてたように頭を振った。
それから小凰は横を向いて、胸を押さえて、
「わ、わかってくれればいいんだ。うん」
「そうなんですか?」
「それに、天芳の気持ちもわかったよ。天芳にとって、僕が側にいるのが当たり前だから、一緒に来て、と言わなかったんだね」
小凰はなぜか、うつむいて、
「でも……やっぱり、大切なことは言葉にして欲しいな。僕も大切なことは、ちゃんと言葉で伝えるようにするから」
「はい。小凰」
俺はうなずいた。
小凰は満足そうな表情で、
「わかってくれればいいよ。それじゃ、一緒に行こう」
「はい。壬境族の兵士たちに届くように、怪文書をばらまきましょう」
「うん!」
俺と小凰は拳を突き上げた。
そして俺たちは『檄文ばらまき作戦』を開始したのだった。
──1日目──
「兄さん。見回りをしていた鳥からの報告です。壬境族の偵察兵がこちらに近づいているそうです」
「了解。それじゃ、このへんの木の枝に木簡を結びつけよう。裏側は赤く塗ってあるから、偵察兵の目につくはずだ」
「わかったよ天芳」
「冬里も了解なのです!」
俺たちは木の枝に、檄文を書いた板を吊した。
数は10枚。獣道の脇にある樹に結びつけてる。
「星怜はあとで動物たちを使って、文書がいくつなくなったかを確認して欲しい。場所ごとにどれくらい効果があったのかを記録して、あとで父上に報告しよう」
「わかりました。兄さん!」
目立つように木簡を配置してから、俺たちはその場を離れた。
──3日目──
「天芳。あの岩壁に生えてる樹に文書を結びつけるのはどうかな?」
「あの場所なら確実に視界に入りますね。ただ、切り立った岩壁だから、そこまで行くまで大変じゃないですか?」
「問題ないよ。『五神歩法』──『潜竜王仰天』!!」
小凰は数メートルの高さにある樹まで飛び、枝に木簡を結びつけた。
「ほらね。『五神歩法』を使えば簡単だ」
「あの……化央さま。兄さんがおっしゃったのは、偵察兵が木簡を取るのが大変という意味ではないでしょうか」
「……あ」
「気にしなくていいですよ。敵兵ががんばって入手するかもしれないですから」
「い、いや。あれは僕の失態だ。すぐに回収を──」
「小凰。ここ、川の近くですから。濡れた足場で跳躍技を使うとあぶないですから!」
つるん。ぽふっ。
「だから、危ないですってば! 小凰!!」
空中でバランスを崩した小凰を、俺はなんとか受け止めた。
「跳躍技は足下がしっかりしている場所で使うようにって、雷光師匠にも言われましたよね? 気をつけてください」
「ご、ごめんね。天芳」
「あの、天芳さま。化央さま」
「ん?」「どうしたの、冬里さん」
「星怜さまが岩場を登ろうとしてらっしゃるのですが、どうしましょうか……」
「星怜!? なにしてるの!?」
「大丈夫です、兄さん。足が滑ったら受け止めてください!!」
「だめだってば星怜!!」
俺はあわてて飛び上がり、星怜を回収したのだった。
──7日目──
「『五神歩法』──『朱雀降下襲』」
「『操律指』──『午睡』」
俺に抱えられた冬里が、敵兵の首筋に触れた。
檄文を置きにきた俺たちは、壬境族の偵察兵を見つけた。
こちらには気づいていなかった。
ちょうどいいから無力化して、檄文を持って帰ってもらうことにしたんだ。
だから、俺は冬里を抱えて、手近な樹に登った。
その後は『五神歩法』で急降下して、偵察兵に接近。そのまま冬里に点穴の技を使ってもらったのだった。
「────う?」
馬上で兵士が、かくん、と崩れ落ちた。
『操律指』の『午睡』は首筋に点穴を施すことで、相手の意識を刈り取る技だ。
難しい技だけど、冬里は見事に成功させた。さすがだ。
馬上から落ちそうになる兵士を、俺はなんとか受け止める。
おどろいて駆け出す馬には、星怜が話しかけてる。乗り手を傷つける意思がないことを伝えて、落ち着かせている。
動物と話ができる星怜にとっては、馬を落ち着かせるくらいは簡単なんだ。
偵察兵の数は1名。他に敵の気配は感じない。
今のうちに檄文を渡すことにしよう。
「とりあえず、紙に書いた文書を懐に入れて……っと」
内容は『藍河国に、壬境族の民を害する意図はない。暴君に支配されている者たちよ、家族や仲間のことを思うならば、この文書をまわりの者に見せよ。戦いを捨てて故郷に帰る者を、我々は攻撃しない』──という感じだ。
あとは……予備の木簡を、馬の鞍に結びつけておこう。
偵察兵本人は、木の下に座らせておけばいいな。
これで俺たちに敵意がないのはわかるはずだ。
こっちは、いつでも偵察兵を殺せたんだから。
ちなみに、兵士が意識を失っているのは30分。
点穴を解除すれば数分で目を覚ますそうだ。
「それじゃ点穴を解除してから、この場を離れよう」
俺は言った。
「意識を失ったままだと、獣に襲われるかもしれないからね。この人には無事に仲間のところに帰ってもらわないと」
「天芳さまのそういうところ、いいと思うの」
「今回は文書を渡さなきゃいけないからね。戦いになったら、普通に戦うけど」
「もちろん、わかってるの」
そうして俺たちは、その場を離れたのだった。
それからも、俺たちは檄文をばらまき続けた。
用意した木簡は、あっという間になくなった。
俺たちはいったん砦に戻って、追加の檄文をもらった。
そのときに、父上には檄文の回収率を伝えた。
今のところ、檄文はすべて回収されている。
木簡を置いたところに、あとで確認に行ったけれど、1枚も残っていなかった。
地面には、木簡を結びつけていた紐が落ちていた。
紐がついたままの枝もあった。
たぶん、木簡を回収するときに、枝ごと切り落としたんだろう。
木簡が敵兵の手に渡ったのは間違いなさそうだ。
そんな感じで報告をしてから、俺たちはまた、檄文をばらまく作業に戻った。
一度だけ、俺ひとりで壬境族の領地に入った。
人目につかない小道の先。国境を、少しだけ越えたところだ。
小凰たちに内緒で、夜明け前に出かけた。
トウゲンにもらった地図で確認して、一番、危なくないところを選んだ。『五神歩法』で全力疾走すれば、数時間の距離で行けるところだ。敵がいたらすぐに帰って来るつもりだった。
だから、小凰や星怜には内緒にした。
そんなに遠い場所じゃないから、こっそり行っても大丈夫だと思ったんだ。
そうして俺は国境を越えて、道の側にある樹に檄文を吊してきた。
数は3個。
他の木簡とは違い、『金翅幇』のことに触れている。
内容は──『「金翅幇」が予言した未来はおとずれない。ゼング=タイガよ。愚かなる言葉に従うのはやめよ』だ。
木簡を吊した後は、全力疾走で宿に帰った。
宿に着いたのは夜明け前。夜が明ける前に、宿に戻ることができた。
そして──
「──兄さん。どこに行ってらしたのですか?」
「──部下を心配させるなんて、部隊長の自覚が足りないんじゃないかい? 天芳」
俺は、部屋の前で待ち構えていた星怜と小凰に捕まった。
……おかしいな。どうしてばれたんだろう。
『明日はお休みにします』と、昨日のうちに言っておいたはずなのに。
『ぼくは自室で「気」の調整をします。みんなはゆっくりしていてください』と言ってある。
だから、みんなぐっすり眠ってると思ってた。
なのに……どうして起きてるんだろう。それに、夜中に俺の部屋に来たりしない限り、不在というのはわからないはずなんだけど……?
──そんなこともありながらも、作戦は順調に進んでいったのだった。
──その頃、北の砦では──
「敵兵が妙な動きをしている、だと?」
北の砦で、黄英深は部下の報告を受けていた。
壬境族が藍河国内に偵察兵を出しているように、黄英深も壬境族を探る兵士を出している。
もっとも、できるのは敵陣を遠くから観察することくらいだが。
その兵士から報告が来たのは今朝のこと。
報告内容は『敵陣がざわついている』『騎兵が頻繁に出入りしている』『兵士の数が、微妙に減ったように見える』などだ。
それは、見逃せない変化だった。
「檄文の効果が出るには早すぎるようだが。海亮はどう思う?」
「天芳の行動が影響していることは間違いないでしょう」
「だが、文書をばらまきはじめてから10日しか経っておらぬぞ?」
「父上……私は気になることがあるのです」
「うむ。言ってみるがよい」
「天芳は、偵察兵の来そうな場所に檄文を配置しているのですね?」
「ああ。敵兵の目撃情報がある場所を選んでいるはずだ」
「そして星怜には鳥を操り、話をする力があります。あの子はそれを活かして、敵兵の接近を天芳に伝えているはずです」
「だから天芳は先回りして、偵察兵の来る場所に檄文を配置しているのだろう」
「おっしゃる通りです。その結果、すべての檄文が回収されているわけです」
「敵が来る場所に文書を配置しているのだから、そうなるな」
「ですが……父上」
海亮は考え込むように、額に手を当てた。
「それは天芳が敵の位置を把握して、すべて先回りしていることを意味するのではありませんか?」
「……はっ」
言葉の意味に気づいたのだろう。
英深が目を見開き、身を乗り出す。
「私が敵の立場だったら、恐怖を感じます。動きがすべて読まれているのですから」
海亮は説明を続ける。
「出かけるたびに敵兵は、自分たちに向けた文書を発見するのです。今まさに、樹に結びつけられたような、真新しい木簡を。まるで自分たちの動きが、完全に先読みされているかのように」
「それは確かに……恐ろしいな」
「しかも、捕虜の話によれば、ゼング=タイガを含めた壬境族たちは、予言を信じて動いているそうです。藍河国は滅び、壬境族の時代がくるという未来を示す言葉を」
「う、うむ」
「天芳は、そんな彼らに先んじて動いているのです。まるで、天芳が彼らの未来の動きを読み取っているかのように」
壬境族は予言を信じる。
だからこそゼング=タイガは、藍河国は滅ぶという予言を信じて、藍河国に攻撃をしかけてきた。
だが、天芳は、そんな壬境族の動きを読んでいるかのように行動している。
壬境族にとっては、恐怖だろう。
彼らは自分たちが予言を──未来を知った上で行動していると思っているのだから。
なのに、彼らに天芳の動きは読めないのだ。
それは予言を信じる壬境族たちの、足元を揺るがすような事態だろう。
「そのことが、敵陣を揺るがしているのではないでしょうか」
「……可能性はあるな」
英深はうなずいて、
「すると天芳は、檄文と自分の行動によって、壬境族を動揺させているということか」
「まもなく、壬境族は行動を起こすでしょう」
海亮は緊張した表情で、拱手した。
「なにが起きても対処できるように、守りを固めるべきかと。私も東の陣地に戻ります。それでガク=キリュウどのは……」
「あの方には、そのまま遊撃部隊になってもらおう」
英深は即座に判断を下す。
「私と海亮は砦と陣地の守りを固める。万一のときは、いつでも打って出られるようにするべきだな。天芳とガク=キリュウどのは離れた場所で動いてもらう。見えない部隊がいることは、敵の脅威にもなるはずだ」
「承知いたしました。すぐに伝令を出します」
そうして英深と海亮は、新たな作戦を練り始めるのだった。
今週は1話だけの更新になります。
次回、第118話は、次の週末に更新する予定です。