第116話「天芳、ちょっとした作戦を提案する」
俺たちは数日の休みをもらった。
その間に俺と星怜は、星怜のお母さんのお墓参りをした。
俺は墓前で「できれば、あなたの仇は取ります」と、声に出さずに誓った。
星怜から、お母さんを射殺した矢の話を聞いたからだ。
ゲーム世界の星怜が悪女になったのは、お母さんを殺した弓兵へのトラウマが原因のひとつだったのかもしれない。今の星怜が闇落ちするとは思えないけど、できるだけ、星怜が気楽に生きられるようにしたい。
仇の弓兵を倒せば、星怜が変な夢を見ることもなくなるだろう。
そんなことを考えていた俺は──
「ゼング=タイガの軍勢を、動揺させることはできないでしょうか」
──ふと気づくと、父上に向かって、そんなことを提案していたのだった。
ここは、砦の司令官の部屋。
今は父上と兄上とガク=キリュウが打ち合わせ中だ。
俺も偵察担当ということで参加してる。
そこで『偵察部隊の意見は?』と聞かれたから、つい、口を出してしまったんだ。
父上と兄上は、びっくりした顔で俺を見てる。
ガク=キリュウは興味深そうな顔だ。
ちなみに、太子狼炎はここにはいない。
彼は『現場の判断には口を出さない』と言っていたらしい。
太子狼炎は兄上の親友だからな。きっと、兄上を信じて任せてくれているんだろう。さすが兄上だ。
「ゼング=タイガの軍勢を動揺させるというのは、どういうことですかな?」
ガク=キリュウがたずねた。
「黄天芳どののことです。夜襲を仕掛けるわけでもありますまい」
「もちろんです。ぼくたちはただの偵察担当ですから」
俺はうなずいて、
「ぼくが考えたのは、壬境族の兵士たちに情報を与えて、動揺させる作戦です」
壬境族の攻撃は、父上と兄上、太子狼炎とガク=キリュウによって撃退された。
それでも、やつらは国境近くに居座ったまま。撤退する気配はない。
だから、揺さぶりをかけてみようと思ったんだ。
「確認してもよろしいでしょうか。ガク=キリュウさま」
「うかがいましょう」
「ガク=キリュウさまは東の陣地の防衛をされたとうかがっています。兵たちを指揮して、壬境族の攻撃を完璧にはねのけられたとか」
「黄海亮どのの部下が優秀だったのですよ」
ガク=キリュウはおだやかな表情で、
「私は、彼らの能力を活かせるようにつとめただけです」
「違うぞ、天芳。ガクどのの指揮がおそろしく的確だったのだ」
兄上が俺に向かって言った。
それから兄上は、父上の方を見て、
「父上にはすでに報告しておりますが、ガクどのは……まるで敵の動きを予知しているかのように、兵を動かしておりました。敵が攻撃を仕掛ける場所を察知して、その出鼻をくじくように反撃していたのです。騎兵が突撃してくる場所にはあらかじめ兵を伏せて、敵の矢攻めにはあらかじめ盾を設置していました。ガクどのは壬境族の攻撃をひとつひとつ、的確に封じ込めていたのです」
「うむ。わしもそれは聞いておる」
兄上の話を聞いて、父上がうなずく。
兄上は続ける。
「しかも、ガクどのは陣地に近づいてきた強敵には、みずから槍を振るっておられました。その強さにおそれをなして、敵の部隊はしりぞいたのです。知勇を備えた名将とはこのようなものかと……感動したくらいです」
めずらしく、兄上は興奮した顔をしてる。
ガク=キリュウの作戦指揮は、本当にすごかったんだろう。
「では、ガク=キリュウさまは陣頭に立って戦われたわけですね」
俺は3人に向かって言った。
「つまり、ガク=キリュウさまが藍河国の兵士を率いて戦う姿を、壬境族の兵士たちは目の当たりにしていることになります」
「そうだな。それがどうしたのだ? 天芳」
「ガク=キリュウさまは戊紅族のご出身です。そんなガク=キリュウさまが藍河国の部隊を任されていることは、藍河国が異民族の人を差別せず、むしろ重用していることを意味します。ガク=キリュウさまは、それを壬境族の前で、堂々と示してくださったのです」
父上と兄上、ガク=キリュウはうなずきながら俺の話を聞いている。
俺は続ける。
「それに対してゼング=タイガは、同族である壬境族の穏健派を攻撃しました。その上、自分に近いものだけの話を聞いて、無理な戦を仕掛けてきています。穏健派の人たちが言ってたように、暴君になりかけているんです」
……暴君というのは、ゲーム『剣主大乱史伝』では狼炎王の代名詞だったんだけどな。
悪女の柳星怜と、君側の奸の黄天芳に操られ、乱世を生み出した暴君、って。
そんな狼炎王と黄天芳を倒すために、英雄たちは人々をふるいたたせるための檄文をばらまいてた。
『天下の民よ。今こそ力を合わせて、暴虐の王と君側の奸を除くのだ!』と。
それで民は盛り上がってた。みんな、ゲームの英雄軍団に協力してた。
今回は俺が、同じ手を使わせてもらおう。
そうすれば10年後に英雄たちが檄文をばらまいても「似たようなものが前にもあったな」「また檄文か?」「二番煎じか」ってことなる。効果もインパクトは弱くなる。
英雄軍団の作戦をひとつ、封じることができるんだ。
だから──
「壬境族の偵察兵が来そうな場所に、檄文を用意しておくのはどうでしょうか」
父上たちを見回しながら、俺は言った。
「内容は『暴君となったゼング=タイガを除くべし』ですね。あるいは『藍河国は、戊紅族出身のガク=キリュウさまを重用している。人を大切にするのが藍河国である。壬境族の者は武器を捨て、藍河国と和平せよ』とか『同族に刃を向け、部下を無駄死にさせているゼング=タイガに、いつまで従うのか』とか。あとは……『壬境族の穏健派は力を増している。暴君に従うよりも、穏健派とともに生きるべきだ』というのもいいかもしれません。」
内容はこんな感じだろう。
文書は……紙に書くか、木の板に文字を刻むのがいいと思う。
壬境族の偵察兵が来そうな場所はわかる。
トウゲンが地図を書いてくれたからな。
人目につかない場所や、こっそり単騎で通れそうな場所も知っている。
そういうところに文書を置いておけば、偵察兵の目につくはずだ。
もちろん、父上たちに地図のことは内緒だ。トウゲンとも約束したからね。
だから『適当な場所に文書を設置しましたー』って感じにしておこう。
「当たり前ですけど、これが壬境族を撃退する切り札にはなるわけじゃありません」
俺は説明を続ける。
「ですが、多少は敵を動揺させることができるでしょう。兵士の中にも、穏健派に心を寄せる者もいるはずですから。そういう者たちを、ゼング=タイガから離反させるきっかけにはなるんじゃないでしょうか」
「……むむ」
「……なるほど」
「……良い策だと思いますよ。黄天芳どの」
父上と兄上とガク=キリュウは、何度も首を縦に振ってる。
俺の提案に賛成してくれてるみたいだ。
まあ、俺がやろうとしてるのは、ただのアジテーションだからな。効果は薄いと思う。
だけど、コストはかからない。しかも兵が犠牲になることもない。
新設の偵察部隊には、ちょうどいい仕事だと思うんだ。
「いいだろう。やってみるがいい」
しばらくして、父上は許可を出してくれた。
「壬境族を動揺させる文章だな。ならば、いくつか定型文を用意した方がよいか」
「部下と打ち合わせをしましょう」
「私にも参加させてください。同じ異民族として、壬境族の気を引けそうな言葉はわかります。お手伝いできると存じます」
父上と兄上とガク=キリュウは、真剣な表情で話し合いをはじめる。
……あれ?
おかしいな。なんだか大事になってきたよ。
俺はただ、文書をばらまきたいだけなんだけど。
あ……そうか。今、砦には太子狼炎がいるんだっけ。
王家の人間がいる前で、変な文書をばらまくわけにはいかないよな。
きちんと、格式を整えた文章を作らないといけないんだろうな。
「もしかして……ぼくは父上のお仕事を増やしてしまいましたか?」
俺は拱手して、父上に声をかけた。
「だとしたら申し訳ありません。この作戦はなかったことに──」
「いや、構わぬ」
父上は慌てた様子で、首を横に振った。
「部下の意見を採用したなら、それを実行するために手を尽くすのはわしの役目だ。天芳が気にすることはない」
「檄文の配置はお前に任せることになる。それまで天芳は、身体を休めておくがいい」
「私も、将軍や海亮どのと同意見です」
海亮兄上とガク=キリュウが、父上の言葉を引き継いだ。
それから3人は、また打ち合わせを始める。
3人とも、檄文をばらまく作戦が気に入ったみたいだ。
「わかりました。それでは、準備ができましたら声をかけてください」
ここは任せよう。父上と兄上とガク=キリュウなら、いい文章を考えてくれると思う。
俺は小凰たちと、それをあちこちに書き残せばいい。
兄上の言葉に甘えて、今は身体を休めておこう。
そんなことを考えながら、俺は父上のもとから退出したのだった。
──天芳が退出したあとで、黄英深たちは──
「父上にうかがいます」
天芳が部屋を出たあとで、海亮は父の英深にたずねた。
「仮にゼング=タイガからの離反をうながす文書が撒かれたとします。そのゼング=タイガは、穏健派という敵対勢力を抱えた状態です。しかも彼は近しい者の言うことしか聞かず、兵士からは暴君として恐れられています」
「うむ。そうだな」
「その状態で偵察兵が檄文を見つけたら、どう対処するでしょうか?」
「おそらくは……隠そうとするだろうな」
黄英深は頭を振った。
「今の状態のゼング=タイガに、報告はできぬだろうよ。文書を見たゼング=タイガが激怒するのは間違いないからな。まわりの兵士が檄文に心を動かされているのではないかと疑う可能性もある」
「私も同感です。文書を持ち帰った者は斬られるかもしれません」
「人の言葉を聞かない暴君とは、そういうものだ」
「ですが……大量にばらまかれた文書を、すべて隠すことはできるでしょうか?」
「不可能だな。必ずや、ゼング=タイガの知るところとなるだろう」
「ゼング=タイガは文書を消し去ろうとするでしょう。ですが……」
海亮は思わず息をのむ。
天芳は、この先のことまで考えていたのだろうか。
おそらくは……違うだろう。
さっきの天芳は平然としていた。彼は、壬境族を動揺させることしか考えていなかったのだろう。
だが、英深と海亮、ガク=キリュウにはわかる。
天芳が提案した策は、壬境族を根底からゆさぶることができる。
戦況を決定的に変えて、敵将ゼング=タイガを討つことができるかもしれない──そんな結果をもたらす可能性があるものだったのだ。
(やはり、天芳こそが、殿下のおそばにいるべきでは……?)
そんなことを思いながら、海亮は話を続ける。
「文書のことを知ったゼング=タイガは兵士たちに、文書を見つけ次第、廃棄するように命じるでしょう。ですが──」
「部下が『廃棄した』と言っても、ゼング=タイガは信じないでしょう」
ガク=キリュウは言った。
「捕虜は言っておりました。『ゼング=タイガは近しい者の意見しか聞かなくなっている』と。ならば兵士たちが『怪しい文書を破棄した』と言っても、信じるわけがありません。となると、奴は、誰が文書をばらまいているのかを突き止めようとするはずです。自分自身か、あるいは、自分に近しい者を使って」
それが、天芳の策の効果だった。
ゼング=タイガは自分に近い者の意見しか信じない。
だから部下が文書を破棄したと言っても、ゼング=タイガは疑うだろう。
かといって、文書を放置することはできない。
ゼング=タイガが失敗続きなのは間違いないのだ。文書を読んだ壬境族の兵士たちは動揺するだろう。脱走して、穏健派のもとに走る者も出てくるかもしれない。
そうなければ、もう、藍河国との戦いどころではなくなる。
だからゼング=タイガは、文書をばらまいている者が誰なのか、突き止めようとするだろう。
信頼できる腹心を使うか、あるいは、自分自身で。
つまり、天芳が文書をばらまくことで、ゼング=タイガを釣り出せるかもしれないのだ。
「壬境族は偽のゼング=タイガを使い、景古升と薄完を陣地から引っ張りだした。それに対して──」
「我々は文書を用いて、ゼング=タイガか、その腹心を釣り出すことができるわけです。もっとも、これはうまくいけばの話ですが……」
英深と海亮はうなずきあう。
まさかこんな展開になるとは、ふたりとも思っていなかったのだ。
「わずかな可能性であっても、ゼング=タイガを釣り出せるのであれば十分です。天芳どののご提案は、まさに極上の作戦と言えます」
ガク=キリュウは感心したように、
「失敗続きのゼング=タイガは、ばらまかれる文書を無視できません。放置すれば兵士たちの中にも、穏健派に走る者が現れるでしょう。かといって文書を手にした者を罰すれば、軍に動揺が走る。なんとも、巧妙な策です」
「……ゼング=タイガが部下を信じていれば、檄文など役に立たぬのだがな」
黄英深はため息をついた。
「部下が檄文に触れぬようにするには……ゼング=タイガは偵察兵を出さずに、自陣にこもっているしかない。だが、それではいたずらに食料を消費するだけだ。壬境族の穏健派は、そんなゼング=タイガを非難するだろう」
「そうなれば、ますます穏健派のもとに人が集まることになり……ゼング=タイガの力が削がれる……と」
「むろん、うまくいくとは限らぬ。狙った場所に、壬境族の偵察兵が来ないこともありうる。来たとしても、文書が目に触れないことも考えられる。だが……」
「こちらに失うものはありません。やることは、ただ、紙と木の板で作った文書を、敵兵の来そうなところに設置するだけなのですから」
「思ったように事が進まなくとも、嫌がらせにはなるだろうな」
「……はい」
海亮はうなずいて、
「本当に、巧妙な策です。天芳はなぜ、このようなことを思いついたのだろう……」
「黄天芳どのは壬境族の穏健派と実際に会っています。そこでなにか思うところがあったのでしょう。黄天芳どのは、人をよく見ているお方ですから」
海亮の問いに、ガク=キリュウが答えた。
ガク=キリュウも父も、感心した様子だった。
(確かに……天芳は旅をして、多くの人と触れ合っている。突飛な発想が出てくるのはそのためか。それにひきかえ……)
──自分は武芸と、軍を操ることしか知らない。
──壬境族のことも書物で知っただけ。天芳のように、彼らとじかに話をしたわけではない。
(私には、足りないものがある。今後も狼炎殿下をお支えするためには、視野を広げなければならない。そのためにできることは──)
思わず考えに沈む海亮だった。
「『飛熊将軍』にお願いがあります。私に、自由に動ける騎兵部隊を預けていただけないでしょうか」
不意に、ガク=キリュウが進言した。
「黄天芳どのが檄文を撒き続ければ、ゼング=タイガか、その腹心が出てくるかもしれません。そうなったときの支援が必要です」
「天芳を守っていただけると?」
「あるいは、敵の大将を奇襲するために。無論、黄天芳どのの許可をいただければですが」
万が一、敵がやってきたら、天芳たちには逃げてもらう。
天芳たちを追って来た敵には、ガク=キリュウの部隊が奇襲をかける。
運がよければゼング=タイガに近い者を倒すか、捕らえることができるかもしれない。
「──それが、私の狙いです」
「わかった。ガク=キリュウどのに騎兵を預ける。実際にどうするかは、天芳と打ち合わせをしてくだされ。それと……わが息子を、よろしく頼む」
「命に代えてもお守りいたします」
黄英深とガク=キリュウは拱手を交わす。
そんなふたりを見ながら、海亮は、
「ガク=キリュウどのにお願いがあります。私に軍略と……戊紅族のことを教えていただけないだろうか」
──そんな言葉を、思わず口に出していた。
「私も天芳のように視野を広げたいのです。ガクどのから学ぶことができれば……もっと様々なことに気づけると思います。いえ……これは父上の教えを否定するわけではありません。ただ、私はもっと……天芳のように」
「わかっている。海亮」
黄英深はうなずいて、
「お願いできるだろうか。ガク=キリュウどの」
「もちろんです。私も、海亮さまから学ぶことがありましょう」
「よろしくお願いします。ガクどの」
こうして海亮は軍事の合間に、ガク=キリュウから話を聞くことになったのだが──
「この狼炎も混ぜてもらいたい。北臨に帰るまでの短い間だが、よろしく頼む」
──話を聞きつけた太子狼炎も、ガク=キリュウの指導を受けることになった。
彼も、学ぶ機会を逃したくないとのことだった。
こうして海亮は、狼炎と一緒にガク=キリュウの話を聞くことになり──
同時に、壬境族を動揺させるための檄文が用意されることになったのだった。
今週は1話だけの更新になります。
次回、第117話は、次の週末の更新になると思います。