第115話「天芳、星怜の夢の話を聞く」
「兄さん!! ご無事でよかったです……」
まっさきに馬車から降りてきたのは、星怜だった。
星怜は俺に向かって手を伸ばして……父上や兄上がいるのに気づいて立ち止まる。
姿勢を整えて、星怜は、
「失礼しました。で、でも、兄さんが無事で安心しました。わたし……心配で心配で……」
「星怜……どうしたの?」
星怜は震えながら、目に涙をためてる。
おかしい。
俺が出発したときには、こんなに不安そうじゃなかったのに。
一体、なにがあったんだ……?
「お話を聞いてあげてくだされ。天芳どの」
そう言ったのは、炭芝さんだった。
「天芳どのや化央どのと別れてから、柳星怜どのは不安定になられたようなのだ。天芳どのを、ひどく心配されておったよ」
「そうなんですか?」
「事情は、ご本人からうかがうとよろしいでしょう」
「わかりました」
俺はうなずいて、父上と兄上を見た。
「申し訳ありません。先に星怜と話をさせてください」
「うむ。よかろう」
「構わない。必要な連絡事項は、私が炭芝どのにお伝えしよう」
「ありがとうございます」
俺は星怜の手を引いて、部屋へと向かったのだった。
「……兄さんと化央さまを送り出してから、わたし……急に不安になってしまいました……」
ここは、北の砦にある俺の部屋だ。
星怜は寝台に腰を下ろして、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「はじめは、なんともなかったんです。でも……兄さんと離れてから、怖い夢を見るようになって」
「怖い夢って?」
「……お母さんが、盗賊の矢で殺されたときの……夢です」
星怜はうつむきながら、そんなことを言った。
「それから、兄さんが毒矢使いを追っていることを思い出して……怖くなったんです。夢の中のお母さんと……兄さんが重なってしまって。兄さんも……悪い人の弓矢で傷ついてしまうんじゃないかって……」
……そういうことか。
星怜の家族は盗賊に襲われた。
その中で、星怜の母親は矢で射貫かれて、殺された。
星怜はそれを間近で見てる。
それを思い出して、俺が弓矢の達人と戦うことが、不安になったのかもしれない。
俺は毒矢使いと戦うために、北の砦の近くに来てる。
星怜の家族が殺された場所から、それほど遠くない。
そのことが、星怜のトラウマを刺激したんだろう。
それに──
「星怜はもしかして……雷光師匠を傷つけた毒矢使いが、星怜のお母さんを殺した奴かもしれないって思ったの?」
「……わかりません。本当に、自分でも……よくわからないんです」
星怜は首を横に振った。
「だけど、本当に……怖くて怖くて仕方なかったんです。また大事な人を亡くしてしまったら……って思ったら、震えが止まりませんでした」
俺の隣に座った星怜は、ささやくような声で、
「兄さんと別れてから……夢の中で、お母さんが死んだときのことが鮮明によみがえってきたんです。強い弓弦の音と、お母さんの背中に刺さった……赤と白に塗り分けられた矢羽のことを」
「……そっか」
「ごめんなさい。兄さん。わたし……兄さんを困らせてます」
「大丈夫。気にしなくていいよ」
俺は星怜の背中をなでた。
でも、星怜はうつむいたまま、
「でもでも……わたしは炭芝さまにお願いして、兄さんの部隊に入れてもらったのに。わたし、兄さんの役に立てるって……思ったのに。なのに……」
「星怜は十分、役に立ってくれてるよ」
俺は星怜の顔をのぞきこんで、言った。
「星怜から借りた鳥は、ちゃんと海亮兄上に書状を届けてくれた。おかげで俺も兄上も助かったんだ」
「……兄さん」
「それに、毒矢使いと敵の弓兵はやっつけたよ」
「……よかったです」
星怜は、ほっと息をついた。
それから俺の肩に体重を預けて、目を閉じる。
まるで、張り詰めていたものがほどけたみたいだ。
星怜のお母さんを殺した矢のことは、初めて聞いた。
それは、星怜しか知らないことだったからだ。
星怜のお母さんは射殺されたあと、崖から落ちた。
落ちた先は川だった。
遺体はそのまま川を流れていって、砦の兵士に発見された。
発見されたとき、遺体はひどい状態だったらしい。
岩場に打ち付けられたせいで、あちこち傷だらけだった。背中に刺さっていた矢もなくなっていた。
矢のことがわからなかったのは、そのせいだ。
だから、どんな矢が星怜のお母さんを殺したのかは、星怜しか知らない。
俺も、黄家のみんなも、無理に思い出させようとはしなかった。
辛い記憶をよみがえらせたくはなかったし、矢羽根の色なんて気にもとめなかった。星怜のお母さんを殺した奴は、壬境族の仲間だと思っていたから、戦いの中で死んだものだと思っていたんだ。
でも、星怜は、お母さんを殺した矢のことを忘れていなかった。
その記憶が、俺が毒矢使いの話をしたことで、よみがえってしまったのか……。
ゲーム『剣主大乱史伝』には、赤と白に塗り分けられた矢羽を使うキャラはいない……というか、あのゲームでは、キャラの矢の色までは描写されていなかった。
だからその矢の使い手が、ゲームに登場する英雄なのかはわからない。
それでも弓矢に対するトラウマは、ゲーム内の星怜にはストレスになっていたはずだ。
それがゲーム内の星怜が悪女になった理由のひとつなのかもしれない。
「毒矢使いが使っていたのは、黒い矢だったよ」
俺は、震える星怜の肩に手をのせた。
「だからあいつは、星怜のお母さんの仇じゃないと思う」
「…………ほっとしました」
「それに……星怜のお母さんを射た奴は、たまたま赤と白の矢を使ったのかもしれないよ。そいつはただの弓兵で、どこかで捕まっていたり、死んでいたりするのかもしれない。それはわからないけど……」
俺は星怜の正面へと移動する。
床に膝をついて、まっすぐに星怜の顔を見つめながら、
「星怜のお母さんを殺した奴を見つけたら、ぼくが倒す。星怜の代わりに、義兄としてぼくが仇を討つ。それでいいかな?」
「……いいえ」
俺の視線を受け止めながら、星怜ははっきりと答えた。
星怜は首を横に振って、それから、俺を見て、
「兄さんは……そんなこと、しなくていいんです」
「でも、星怜はお母さんの仇のことが気になるんだよね?」
「ちょっと不安になっちゃっただけです。もう、大丈夫です」
星怜は細い指で、涙をぬぐった。
それから俺を見て、笑って、
「兄さんの顔を見たら、不安なんかどこかに行っちゃいました」
「……そうなの?」
「兄さんのお姿と声と……体温は、わたしにとっての一番のお薬です。だから、もう大丈夫です。それに……」
星怜は目を閉じて、深呼吸。
腕を伸ばして……指先で、俺の顔に触れた。
「わたしが誰かを憎んで……憎みすぎて、そのせいで悪い子になったら、兄さんに嫌われちゃうかもしれませんから」
「いやいや、ぼくが星怜を嫌うわけないだろ」
「は、はい。兄さんがそういう人なのはわかってます。でも……」
星怜は両手で頬を押さえて、
「兄さんに気を使わせたり、困らせたりしたら、わたしがわたしを許せなくなっちゃいます。わたしはいつも隣で……兄さんを支えられる人になりたいんです」
「……星怜」
「それがわたしの目標です。お母さんには怒られるかもしれませんけど……でも、これが今の、わたしの本当の気持ちなんです。だから復讐なんか、したくないんです」
星怜は胸を押さえて、きっぱりと宣言した。
「……えらいな。星怜は」
本当にそう思う。
お母さんが矢で殺されたことを思い出して不安になったみたいだけど、自分でちゃんとそれを乗り越えてる。
そして、復讐に囚われないで生きると言い切ってる。
……立派になったな。星怜。
「そ、それに……わたしには、絶対に負けたくない人がいますから」
それから星怜はなにかをごまかすように、頭を振って、
「あの人たちに負けないためには、復讐にとらわれてなんかいられないです。今回……不安になっちゃったのは、恥ずかしい失敗なんです……」
「そんなことない。星怜は偉いよ」
俺は星怜の銀色の髪をなでた。
「星怜はすごく成長してる。ぼくが、びっくりするくらいに」
「ありがとうございます、兄さん。でも……わたしは、もっと成長したいです。」
星怜はなぜか、胸に当てた手のひらを見つめながら、
「兄さんがほめてくれるところも……別のところも。まわりには、もっと成長している人たちがいますから……」
「そうなの?」
「そうなんです!」
「そっか」
俺はまた、星怜の髪をなでた。
星怜が笑ってくれたから、俺は彼女の手を取って立ち上がる。
「みんなのところに行こう。きっと、心配してるだろうから」
「はい。兄さん」
そうして俺たちは、小凰や冬里たちのところへ向かったのだった。
しばらくみんなでくつろいでから、俺は、父上と兄上のところに向かった。
部隊の長として、今回の事件についての報告をするためだ。
俺の報告を聞いたあと、父上は、
「しばらく休んだあとの話になるが……天芳たちには、砦の周囲の偵察を頼みたいのだ」
そんなことを言った。
壬境族の部隊はまだ、国境の向こうに陣取っている。
いつ侵入してくるかわからない。
だから、国境付近の見回りをして、異常があれば報告するように、ということだった。
「承知しました。『飛熊将軍』さま」
俺は拱手して、命令を受けた。
海亮兄上が言っていた通りだ。
藍河国内の偵察行動なら自由にやっていいってことか。
よし。徹底的にやろう。
俺と小凰の歩法と、星怜が操る動物たちの支援があれば、かなり広い範囲を調査できる。
さらに冬里の点穴の技があれば、捕虜を傷つけずに捕らえることもできる。
情報収集も、かなり楽になるはずだ。
そんなことを考えながら、俺は父上の部屋を出たのだった。
次回、第116話は、次の週末の更新を予定しています。