第112話「太子狼炎と黄英深、部下の処分について話し合う」
──数時間後、北の砦で──
「──ご苦労だった。海亮」
ここは国境に位置する、北の砦。
森での戦いについての報告を受けた『飛熊将軍』黄英深は、黄海亮にうなずきかける。
「こちらは大丈夫だ。陣地を攻撃してきた壬境族の部隊は撃退した。東の陣地に被害はない。ガク=キリュウどのは、よい働きをしてくれたようだ」
「西の陣地はどうでしたでしょうか?」
「狼炎殿下が、援軍に出てくださった」
黄英深は部屋の奥に座る狼炎を見た。
狼炎が北の砦にやってきたのは数日前だった。
砦に来てすぐ、彼は『狼騎隊』が眠る墓へと向かった。
以前、ゼング=タイガの襲撃を受けたとき、『狼騎隊』の者たちは狼炎を守って命を落とした。
彼らの墓は、北の砦の側に設けられている。
狼炎は真っ先に彼らの墓に詣でた。
それからは黄英深の元で、兵の指揮を学んでいるのだった。
「狼炎殿下は景古升の部下をまとめあげ、西の陣地を守ってくださった。おかげで、敵兵を撃退することができたのだ」
「ああ。心配そうな顔をしなくてもいい。我が友」
狼炎は海亮の表情を見て、肩をすくめた。
「この狼炎は後方で兵を鼓舞していただけだ。打って出たり、みずから槍を取ったりはしておらぬ。陣地を守れたのは、兵の練度が高かったからだ」
「いえ、殿下が士気を高めてくださったからこそ、速やかに敵の襲撃をはねのけることができたのです。私も兵も、殿下には感謝しております」
「世辞はいらぬ。それより──」
椅子に座ったまま、狼炎は厳しい口調で、
「黄英深と海亮にたずねる。薄完の独断のせいで、景古升と兵士たちが死にかけたというのは本当か?」
「はい。間違いないかと」
「他ならぬ兆家の兵士が、そのように証言しております」
「…………そうか」
狼炎は肩を落とし、長いため息をついた。
薄完は狼炎の叔父、兆石鳴の腹心だ。
彼の能力については、狼炎の耳にも入っている。
「優秀な人物だと……兆叔父は言っていたのだがな」
薄完はつい最近まで、北臨近くの町で任務に就いていた。
町を守る指揮官の補佐として、兵の指揮を無難にこなしていたと聞いている。
それが本人のたっての希望で、西の陣地に配属されたのだったが──
「平和な町を治めることはできても……戦地には向かぬ人物だったか。功を焦り、守るべき陣地を放置するとはな……」
「……殿下」
「父上……いや、国王陛下が北の地に追加の兵を送ったのは、国境の守りを強化するためであった。兆家の兵が選ばれたのは、兆石鳴がそれを希望したからだ」
北の地で狼炎が襲われてから、藍河国の廟堂 (朝廷)では北の守りの強化について話し合われてきた。
その結果、北の砦の兵力増強が決まった。
そこで手を挙げたのが兆石鳴だった。
兆石鳴は『奉騎将軍』を解任されているが、彼が王の外戚であることに代わりはない。
だから、彼は直接、王に願い出たのだ。
『部下の兵士たちを、北の地に送りたいのです』
──と。
狼炎の父は、兆石鳴の希望を受け入れた。
それで景古升と薄完の指揮のもと、兆家の兵士が北の地へ送られたのだ。
「兆叔父──いや、兆石鳴は、兆家が功績を立てる機会を狙っていたのだろうな。それが結果として、薄完の暴走を招いた。兵たちも、薄完に従うようにとの命令が出ていたのなら、景古升には止められまい……」
「いかがいたしましょうか。殿下」
黄英深は拱手して、たずねた。
「この件について、ご意見はございますか」
「私に聞く必要はないぞ。『飛熊将軍』」
狼炎は強い視線で、黄英深を見返した。
「将たる者は、戦場にあっては王命さえも拒むことができる。まして軍紀に反したものの処分するのに、私の意見など必要あるまい」
「ですが……薄完は兆石鳴どのの腹心です。兆どのは殿下の叔父上で……」
「関係ない。軍紀に則って処分するがいい」
まっすぐに黄英深に視線を向けたまま、狼炎は告げる。
「この私──藍狼炎は薄完に対して、黄英深がどのような処分を下そうとも支持する。この言葉は記録に残しておくがいい。兆石鳴が苦情を述べたときのためにな」
「…………殿下」
気づくと、海亮が狼炎を見ていた。
まるで、痛々しいものを見るような表情だった。
「心配はいらぬ。我が友」
狼炎はおだやかな表情で、答える。
「この狼炎は落ち着いている。いや……落ち着かねばならぬのだ。『狼騎隊』の墓の前で誓ったのだのだからな。私が血気に逸ることはないと。私はみずからの『不吉』からは逃げぬと」
「私には殿下が、気負いすぎておられるように見えます」
「そうでもない。この狼炎は、まだまだ甘い」
苦々しい表情で、狼炎は頭を振った。
「私はひとつ、大事なことを忘れていたのだからな」
「……とおっしゃいますと?」
「この狼炎は、兆家と話をつけるべきだったのだ」
まるで、痛みをこらえるかのように、狼炎は額を押さえた。
「兆叔父が壬境族の捕虜を死なせたとき……私は、兆叔父の目通りを許さぬことを決めた。それが、兆叔父を焦らせることになったのだろう。私はあのとき……兆家と話をつけるべきだったのだ。そうすれば、このようなことにはならなかったのかもしれぬ」
「それは……誰にも予想できないことです!!」
海亮は声をあげた。
「いかに殿下といえど、すべての臣下の心を見抜くことはできません! そこまで殿下が責任を感じる必要は……」
「兆石鳴は、この狼炎の叔父だ。身内の失態に責任を感じるのは当然であろう」
狼炎はうつむいて、静かな口調で、
「今回も同じだ。薄完を罰する前に、この狼炎にはやるべきことがある。黄英深に全てを預けて、薄完をただ罰してしまっては……この狼炎は『不吉なもの』から逃げたことになる。ならば──」
狼炎は椅子から立ち上がる。
それから彼は、黄英深の方を見て、
「『飛熊将軍』に頼みがある。私を、薄完に会わせて欲しい」
「なんと!?」
黄英深が目を見開く。
「殿下が薄完に? まさか、ご自身で彼に罰を下すおつもりですか?」
「いや、部下を処断するのは将軍の役目だ。貴公の職権を侵す意図も、判断に口を挟むつもりもない。それはさきほど申した通りだ」
「ならば……どうして薄完と?」
「私は誓ったのだ。自分に関わる『不吉』から逃げるのはやめる、と」
狼炎は深呼吸してから、続ける。
「兆叔父は、私の『不吉の太子』の異名を払拭することにこだわっていた。その兆叔父が薄完を動かしていたのなら……彼のしたことは、この狼炎にも関係がある。私は自分の異名がどれほどの影響を与えていたのか……それがどんな結果を生み出したのかを、見極める必要があるのだ」
──それが、忌まわしいものであっても、逃げるわけにはいかない。
──自分は『不吉の太子』の異名がもたらすものに向き合わなければならない。
そんなことを、太子狼炎は語った。
そして──
「……今のうちにそれを見極めなければ……いずれこの狼炎は『不吉』に追いつかれてしまう。そんな気がするのだ」
「殿下……」
「どうした。黄英深よ」
「正直に申し上げます。無骨者の私には、殿下のお気持ちを推し量ることはできません」
「本当に正直だな。貴公は」
「ですが、殿下のお考えが尊いことはわかります」
黄英深は、うやうやしい動作で、一礼した。
「この黄英深は殿下のお考えを支持いたします。殿下のため、できる限りのことをいたしましょう」
「感謝する。『飛熊将軍』」
「狼炎殿下に申し上げます。薄完どのにお会いになるなら、この海亮が、お供をさせていただいても──」
「頼む」
海亮が言い終える前に、狼炎は答えた。
「この狼炎が間違えたときは、側で声をあげて欲しい。頼む。我が友」
「わかりました。自分では……あの方のようにはできないかもしれませんが」
「夕璃どののことだな」
狼炎は苦笑いした。
海亮には書状で近況を伝えている。
書状には狼炎が燎原君のもとで学んでいることと、夕璃から助言を受けていることを記している。
海亮はそのことを思い出したのだろう。
「気にすることはない。夕璃どのには、この狼炎も敵わぬ。だが、海亮には海亮にしかできぬことがあろう。この狼炎が手ひどい間違いをしたときには……そうだな、夕璃どのに書状で伝えるといい」
「そのようなことはできません」
「……そうなのか?」
「はい。大切なことは狼炎殿下から直接、伝えて差し上げてください。王弟殿下も、王弟殿下のご息女も、それを望んでいらっしゃると思います」
「……なるほど。海亮は正しい。だからこそ、あのような弟が育ったのだろう」
「天芳のことですか?」
「ああ。あの者は戊紅族の村を救い、今また景古升の部隊を救っている。彼があのように育ったのは、海亮が兄として導いたからであろう?」
「……それは違います」
海亮は頭を振った。
「天芳は……私の想像を超えて成長しております。むしろ最近は、私が弟に学んでいるような気がするのです」
「そうか。ならば私と海亮は、似合いの友ということだな」
「……え?」
「この狼炎は夕璃どのに学び、海亮は弟に学ぶ。おたがい、身近な者に学び、成長していく。それもまた楽しいことではないか?」
そう言って、狼炎は海亮の肩を叩いた。
まるで、対等の友人にするような笑顔で、狼炎は、
「この狼炎には、海亮のような者が必要なのだ。むろん、夕璃どのもな。海亮と夕璃どの……ふたりが側にいる有り難さを忘れたときに……この狼炎は破滅するのかもしれぬ」
そうして狼炎と海亮は肩を並べ、砦の牢屋へと向かうのだった。
いつも「天下の大悪人」をお読みいただきまして、ありがとうございます。
次回、第113話は、次の週末に更新する予定です。