第111話「天下の大悪人、兄と合流する」
「が、がぁああアアァァッ!」
地面に落ちた毒矢使いがうめいている。
俺と小凰の剣に、手足の腱を断たれたからだ。
奴が着ていたのは草色の、布の服だった。
甲はなにかに触れると、固い音がする。奴は隠れ潜むために、そのかすかな音さえも嫌った。防御を犠牲に、隠れることを優先した。本当にプロだ。こいつは。
「自害はさせない。あんたにはすべてを話してもらう」
「────ぐがっ!? もご……」
俺は、毒矢使いの口に猿ぐつわを噛ませた。
毒を使う奴は、口の中に自害用の毒を仕込んでいる可能性もある。
口を閉じられないようにすれば、それも使えなくなるはずだ。
……以前、捕虜にした介州雀には自害されてるからな。
同じようなことにならないようにしないと。
「でも……こいつは、なにもしゃべらないかもしれないな」
「達人の毒矢使いだ。秘密を守る訓練くらいは受けているだろうね」
俺の言葉に、小凰がうなずいた。
「尋問は、天芳のお兄さんに任せた方がいいと思うよ」
「ぼくも同感です。それに、情報を引き出せる相手は他にもいますからね」
俺と小凰は、壬境族の弓兵を十数人倒している。
奴らから証言を取ることもできるはずだ。
戊紅族の集落での戦いのときは、兵士からは情報を得られなかった。
兵士たちは介州雀のことも、謎の組織の『金翅幇』のことも知らなかった。
それは部隊を指揮していたのが、壬境族の将軍のレン=パドゥだったからだ。
介州雀は部隊に特別参加した……いわば、ゲストのようなものだった。
兵士たちはあくまでもレン=パドゥの部下で、介州雀とはほとんど無関係だったんだ。
だけど、今回は違う。
おそらく、森にいる弓兵は、毒矢使いの直属の部下だ。奴から毒の使い方の指導を受けているし、解毒剤も与えられている。
だったら毒矢使いのことも、奴の背後にいる者のことも知っているだろう。
「……だけど、この毒矢使いは」
言葉遣いが、おかしかった。
この国の言葉に慣れていないようだった。異国の者だろうか。
毒矢使いは暗闇に紛れるために、顔を黒く塗っている。
髪も同じだ。髪の根元が白いところを見ると、やっぱり、異国の者なのかもしれない。
ゲーム『剣主大乱史伝』にも、異国から来た人間はいる。
凄腕の弓使いも。
となると、こいつの正体は、西方から来た弓使いの矢牙留だろうか。
西から来た旅人の矢牙留は、黄天芳のせいで民が苦しんでることに怒る。
そうして、人々を救うために主人公の仲間になるんだ。
もちろん、毒矢なんか使わない。正義の側の人間だから、そんなことはしない。
それが10年後に起こることだ。
ただ、それまでの矢牙留がなにをしていたのか、ゲームでは語られていない。
本来の歴史では矢牙留はまだ、この国に足を踏み入れていないはず。
なのにどうして今、矢牙留が壬境族の仲間になってるんだ?
『四凶の技』もそうだけど、あのゲームには、語られていない裏の物語があるんだろうか……?
「景古升どのの部隊を救う! 敵兵を掃討せよ!!」
そんなことを考えていたら、兄上の声が聞こえた。
救援部隊が到着したようだ。
兄上の部隊は街道を避けて、森の左右から侵入してきた。具体的には、敵弓兵の背後から。
敵兵はすでに動きを止めている。毒矢使いの矢牙留が倒されたことで混乱してる。その状態で、兄上の部隊に勝てるわけがない。
「天芳! 天芳はどこだ!! 天芳!!」
「ここです。兄上!!」
「おお!!」
木々の向こうから、甲を着た兄上が走ってくる。
敵に接近を悟られないように、馬を下りて走ってきたらしい。さすがだ。
「心配したぞ。書状だけをよこして、自分はさっさと森に入ってしまうなんて。お前は……」
「兄上が来てくださると思ったから、安心して戦えました」
「僕も同じです。黄海亮さま」
俺と小凰は兄上に拱手した。
兄上は苦笑いして、
「わかった。とにかく、ふたりとも無事でよかった。天芳と化央どのには、また助けられたということだな。それで、敵の指揮官は……こいつか?」
兄上は地面に転がった矢牙留を見た。
「はい。毒矢を使う危険な敵でした。それと、景古升さまの部隊の方々が毒矢にやられております。解毒剤は敵の弓兵が持っています。使い方をお教えしますから、皆さんを治療してあげてください」
「承知した。すぐに手配しよう」
それから俺と小凰は、兄上の部下に解毒剤の使い方を教えた。
敵の弓兵は全員、解毒の丸薬と塗り薬を持っていた。
彼らは素直に使い方を教えてくれた。
たぶん、俺と小凰が毒矢を手に、彼らを見下ろしていたからだろう。
話さなければ毒を使われると思ったのかもしれない。
「──景部隊長! 景部隊長どのはご無事ですか──っ!?」
しばらくして、別の騎兵たちが森に入ってきた。
景古升の部下だった。
彼らは兄上を見つけると、馬を降りて駆け寄ってきた。
そして──
「黄海亮さま! 許可なく陣地を出たことをお詫びいたします!!」
「どうか、罰をお与えください」
「ですが……景部隊長はどうか、許して差し上げて欲しいのです。あの方は……一命を賭して、私たちを守ってくださったのです……」
──兵士たちは一斉に座りこみ、地面に額を叩き付けた。
叩頭といって、この世界の、最も丁寧なお辞儀だ。
兵士たちは、自分たちが陣地を出た理由と、その後で起きたことを教えてくれた。
きっかけは、偵察兵がゼング=タイガに似た人物を見つけたことだった。
隻腕で、黒い馬に大きな槍をくくりつけたその人物を、部隊長の景古升と参謀の薄完は、ゼング=タイガ本人だと判断した。
そして、参謀の薄完は、その人物を追うようにと景古升を説き伏せた。
西の陣地にいた兵士のほとんどは、元『奉騎将軍』の兆石鳴が送り込んだ者たちだった。薄完も、兆石鳴の腹心だった。
兵士たちは景古升よりも、薄完の命令を重視した。
景古升が出陣をためらうなら、自分たちだけでゼング=タイガを追うと主張した。
だが、薄完は武官ではない。
その彼に兵士たちを任せるのは危険だと判断した景古升は、自分も同行することに決めた。
偽のゼング=タイガを倒したとき、部隊は丘陵地帯に挾まれた隘路にいた。
そこを左右から敵兵に襲われた。
景古升は殿軍となり、敵兵の攻撃を防ぎ、部下を逃がした。
ちりぢりになってもいい。とにかく逃げて、生き残れ、と。
それで部隊の大半は、生き延びることができたのだ。
そうして騎兵たちはそれぞれ、安全な場所に逃げ延びて──
──黄海亮の部隊を見つけて、その後についてきた、というわけだった。
「景部隊長がいらっしゃらなければ、我々は全滅していました」
景古升の部下たちは、地面に額をこすりつける。
「──我々は、景部隊長の判断に従うべきでした。西の陣を出たのは、我らの無知ゆえ。薄完どのに従うように密命を受けていたとはいえ、痛恨の過ちでした」
「──そのために仲間を失ったのは、我らの罪です」
「──なのに……景部隊長は命懸けで、我らを逃がしてくれたのです。ならばこの命は、景部隊長のために使うべきと考えます。どうか我らの命をもって、景部隊長をお助けください!」
兵士たちは口々に叫んだ。
景古升は西の陣地を任されていた。
なのに、偽のゼング=タイガを追って陣を出た。
その結果、兵士の命を失った。それは大きな罪だ。
だけど、陣地を出たのは景古升の意思ではなく、参謀の薄完と兆家の兵士たちの独断によるもの。景古升には止めることができなかった。
それでも彼らを死なせないために、景古升は同行した……ってことか。
すごいな……さすがは『部下思いの景古升』だ。
「兄上……いえ、黄海亮どのに申し上げます」
俺は拱手して、兄上を見た。
「森での戦いの最中、景古升さまは、ぼくと兵士たちをかばってくださいました。毒に身体を侵されながら、甲を盾に、敵兵の矢を防いでくださったのです。あの方がいらっしゃらなければ、ぼくは敵の首領を倒せなかったでしょう。ですから景古升さまを──」
「出過ぎたことを申すな。天芳」
兄上は堂々とした声で、告げた。
「景古升どのは『飛熊将軍』の部下である。彼に罪があるかどうかを決めるのは我が父、黄英深だ。また、ここは戦地である。部隊長の助命について語る場所ではない。わきまえよ」
「は、はい。申し訳ありませんでした。兄上」
「……大丈夫だ。天芳や兵士たちが意見を申し述べる機会は、あとで設ける」
俺を叱った兄上は、すぐに口調を変えた。
おだやかな表情で俺と、うずくまる騎兵たちを眺めながら、
「父は兵の意見を無視するようなお方ではない。お前たちが意見を述べる場は、必ずや与えられるであろう。その場には天芳と翠化央どのにも立ち合っていただく。それでいいな?」
「ありがとうございます。兄上」
「承知いたしました。黄海亮さま」
「「「ありがとうございます! 黄海亮さま!!」」」
俺と小凰は兄上に一礼し、騎兵たちはまた、地面に額をこすりつける。
景古升は防衛戦を得意とする重要人物だ。
人望もある。俺をかばってくれるほど優しい。
こんなところで死なせたくない。
勝手に陣地を出たことは罪だ。でも、大きな罰を受けないことを願ってる。
あの人にはこのまま、部隊長を続けて欲しいんだ。
──そんな話をしているうちに、兄上の部隊は、敵の弓兵をすべて拘束した。
背後を突かれた弓兵は、あっけなく崩れた。ほとんど戦いにもならなかった。
敵弓兵はこれから北の砦に送られることになる。毒矢使いの矢牙留も同じだ。
兄上には『敵の隊長は自害の恐れがありますから、ご注意を』と言っておいた。
海亮兄上なら、それに応じた対処をしてくれるはずだ。
そして、景古升は──
「すべての罪は私にある。どうか、自害をお許しいただきたい。無論、『飛熊将軍』が私の処刑をお望みならば、それまでこの命はお預けする。だが、部下は私の命令に従っただけだ。どうか、お許しいただければと思う」
──兄上の前で額を地面に打ち付けて、そんなことを言った。
そんな景古升を見ながら、兄上は、
「そのような貴公だから、皆は死なせたくないと思っているのですね」
景古升に手を貸して、立たせた。
その後ろで参謀の薄完は、呆然としていた。
自分たちが不意打ちを受けたことも、俺や海亮兄上に助けられたことも、信じられないようだった。
そんな薄完は、反論しようと口を開いたけれど──
「話は『飛熊将軍』の前でされるといい」
──兄上の言葉に気圧されたように、薄完は口を閉じてしまった。
こうして、森の中での戦いは終わり──
そうして俺たちは兵をまとめ、父上が待つ北の砦に向かったのだった。
次回、第112話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。