第107話「藍河国の軍勢、北の地で壬境族と戦う(2)」
──その後、東の陣地で (黄海亮視点)──
「壬境族の王子、ゼング=タイガを発見しました!」
東の陣地にいる海亮のもとに、偵察兵が戻ってきた。
兵士は興奮した表情で、
「黒髪で隻腕の騎兵に率いられた部隊が、国境のすぐ近くを移動しております。以前のように、盗賊に化けているようです! いかがいたしますか、黄海亮さま!!」
「落ち着け。まずは私の質問に答えよ」
海亮は冷静な口調でたずねた。
「隻腕の騎兵は、どんな武器を持っていた?」
「大きな槍を、馬にくくりつけていました」
「どんな馬に乗っていた?」
「黒馬です! 左右に壬境族の騎兵を従え、国境沿いを進んでおります。ふたたび盗賊に化けて、藍河国に入るつもりなのでは……」
「興奮しすぎだ。まずは水を飲んで落ち着くのだ」
「は、はい」
「それに私は、ガク=キリュウどのにうかがいたいことがある」
海亮は、側に立つガク=キリュウに向かってたずねる。
「ガク=キリュウどのは、故郷で壬境族と戦われたのでしたね」
「はい。その際に、海亮どのの弟君に助けていただきました」
「その話は天芳の手紙にも書いてありました。あいつがまた、無茶をしたと」
「弟君が無茶をされたのは、私が至らなかったせいです」
ガク=キリュウは一礼した。
「私の力不足で弟君を危険な目にあわせてしまったことをお詫びいたします。黄海亮どの」
「ご謙遜を。ガク=キリュウどのの能力は、天芳から聞いていますよ」
海亮はうなずいて、
「それに、私もあなたの力は知っている。ガク=キリュウどのが来てから、兵士たちの動きは格段によくなっているのだから」
海亮の部下たちはガク=キリュウをみくびっていた。
異民族の武将にどれほどのことができるのか、と。
だが、部下たちもすぐに、ガク=キリュウの能力に気づいた。
砦に来てすぐ、軍事訓練を行ったときのことだった。ガク=キリュウの指示で陣形と行軍の訓練をした兵士たちは、彼の指示に合わせて動くことで、今まで以上の力を発揮したのだ。
ガク=キリュウは、まるで人の心と、馬の呼吸とを読みとってるかのようだった。
彼の指示に従うことで、部隊の足並みは完全に揃い、突撃力も増大した。
海亮も、父の黄英深もおどろくほどの能力だった。
今では兵士たちも、ガク=キリュウを信頼している。
「天芳の手紙には『壬境族はとある武術書を手に入れるために、戊紅族を襲った』と書かれていました」
海亮は話を続ける。
「そして『奴らが武術書を欲したのは、片腕を失ったゼング=タイガを強くするためだった』と」
「その野望は、天芳と化央どのが撃ち砕いてくださいました」
隻腕になったゼング=タイガは、それを補う武術を求めて、部下に戊紅族の村を攻撃させたはずだ。
つまり、奴が望んでいるのは強くなることだ。
槍にはこだわっていないのだ。
片腕で槍はあつかいにくい。短い槍ならともかく、ゼング=タイガが使っていたのは大槍だ。その威力は、実際に撃ち合った海亮がよく知っている。あれほどの巨大な槍を難なく振り回す力に圧倒された。
だが、あんなものを片腕であつかえるとは思えない。
なのに偵察兵は『隻腕の騎兵が、馬に大槍をくくりつけていた』と報告した。
そこに海亮は、違和感をおぼえたのだった。
「……それは本当に、ゼング=タイガなのか?」
偵察兵が見たのは、隻腕で黒髪、大槍を装備して、黒馬にまたがった騎兵だ。
特徴はゼング=タイガのものだが、本人とは限らないのだ。
「ガク=キリュウどのにうかがいます。片腕で大槍など……あつかえるものでしょうか?」
「難しいでしょう」
ガク=キリュウは答えた。
「ゼング=タイガほどの武将ならば、槍にこだわる必要はありません。片腕になったのなら剣か刀か……いずれにしても、あつかいやすい武器を持つはずです」
「だとすれば、騎兵が持っていた大槍は──」
「こちらに見せつけるためのものでしょう。その騎兵がゼング=タイガだと勘違いさせるための」
「やはり……」
海亮はうなずいた。
「壬境族にも片腕を失った者はいるだろう。その者が黒馬に乗り、大槍を装備する。それを偵察兵が見たら、ゼング=タイガだと思い込んでも不思議はない……」
ゼング=タイガは太子狼炎の仇敵だ。奴を倒せば、その功績は計り知れない。
藍河国の兵の中にも功を焦り、奴を攻撃しようとする者もいるだろう。
だから、壬境族は偽物を用意したのかもしれない。
「仮に黒馬の兵が偽物だとしたら、その目的は……やはり、こちらを陣地から引き出すことにあるのだろうか?」
「おっしゃる通りです」
ガク=キリュウは即座に答えを返した。
「砦と東西の陣地の守りは堅く、簡単には破れません。被害を与えるためには、陣地から兵を引きずり出すのが得策です」
ガク=キリュウは言葉を選ぶように、ゆっくりと、
「ゼング=タイガは国内に『穏健派』という敵を抱えております。ゆえに、奴は自分のまわりに人を集めるために、『藍河国の軍勢に被害を与えた』という成果を望んでいるのかもしれません。それによって自らの武名を高め、国内をまとめあげるつもりなのでしょう」
「……なるほど」
その答えを聞いて、海亮は思わず息をのむ。
ガク=キリュウの強さは指揮能力だけではない。判断力もすさまじい。
まわりの兵も、彼の言葉に聞き入っている。海亮さえも安心をおぼえてしまう。
(これほどの人材が埋もれていたとは……)
ガク=キリュウが西の陣を率いてくれれば、北方の守りは完璧だっただろう。
そんなことを思いながら、海亮はさらに問いかける。
「つまり、敵の狙いは偽のゼング=タイガを囮にして、我々を陣地からおびきだすことにあると?」
「御意」
「だとすれば、敵の本隊はすでに動いている。偽物を追って陣を出た我らを側面から襲うか、あるいは手薄になった陣を攻撃するために……」
「その両方、とも考えられます」
「ならば、今は動かない方がいい。偵察兵が偽のゼング=タイガの行方を追うにとどめて、国境地帯の警戒を強めるべき、ということだな」
「その通りです」
「承知した。本当に……ガク=キリュウどのが味方でよかった」
海亮は安堵の息をついた。
ガク=キリュウの判断は的確だ。
戊紅族の防衛隊長だった彼は、兵の指揮と、情報の分析に長けている。
おそらくはこうやって、戊紅族を守ってきたのだろう。
(……もしも戊紅族が、壬境族に征服されていたら)
壬境族は戊紅族の女子どもを人質に取っていた。ガク=キリュウの家族も。
そうなれば、ガク=キリュウも壬境族の配下となっていたかもしれない。
ガク=キリュウが部隊を率いて攻撃してきたら……海亮に、勝つ自信はない。
対等に戦えるのは、父の黄英深くらいだろう。ガク=キリュウはそういう相手だ。
(そうならなかったのは、天芳が戊紅族を味方にしてくれたおかげか)
なのに天芳は、まったく偉ぶったところがない。
送ってくる手紙も、英深や海亮を心配する内容ばかりだ。
自分の功績にはまったく触れていない。むしろ、師匠や兄弟子をほめたたえるばかり。
(やはり天芳は器が大きい。天芳ならば……狼炎殿下を支える者に──)
海亮がそんなことを考えたとき──
「報告! 報告です!!」
不意に、伝令兵が飛び込んできた。
「景古升どのから報告です。ゼング=タイガを発見した。これより追跡する、と」
「馬鹿な!!」
海亮は思わず声をあげた。
「景古升どのが、なぜそんな無茶をする!? いや……これは薄完の判断か」
「はい。薄完どのは黄海亮どのには内密に、とおっしゃっていたのですが、景古升どのは使者を送られたのです」
「だが、兵を出すのは止められなかったということか」
「無理に止めようとすれば、薄完どのが兵を率いて出てしまうからでしょう。景古升どのは陣地の守りを腹心の部下に任せて、薄完どのに同行されました」
西の陣にいる薄完は兆石鳴の部下だ。
そして兆石鳴は、太子狼炎の外戚でもある。
彼がゼング=タイガを討伐し、功績を立てようとするのは予想できる。
景古升の方が動きが早かったのは、単純に場所の問題だ。
西の陣地の方が壬境族の領地に近い。
だから彼らが先に、偽ゼング=タイガを発見したのだろう。
「別の報告もあります」
伝令兵は続ける。
「壬境族の本隊に動きがありました。彼らは西の陣地に向かっているようです」
「……やはり、陣地から兵を引きずり出すのが目的だったか」
「景古升どのは砦にも伝令を送られました。すでに黄英深どのは、西の陣地には兵を送られています」
「陣地はそれでよい。だが……景古升どのの向かった先には、おそらくは罠がある。間に合うのなら止めたい。ならば……こちらから騎兵を出すしかないか」
砦にいるのは、ほとんどが歩兵だ。
騎兵はすぐに動けるように、陣地の中にいる。
足が速いのは海亮たちだ。
「父に伝えてくれ。こちらの陣地の支援に、歩兵を向かわせるようにと」
「すでに手配済みとのことです!」
「さすがは父上だ。では、ガク=キリュウどのにお願いがある」
「わかっております。私が支援に向かえばいいのですね?」
「いや……支援には、私が行こう」
景古升と薄完には異民族への差別意識がある。
ガク=キリュウが彼らと合流しても、連携して戦うのは難しい。
「ガクどのには陣地の守りをお願いする。それと策を。敵の行動予測と、こちらが取るべき手段を教えて欲しい」
「承知いたしました。力を尽くすといたしましょう」
こうして海亮は、味方の支援に向かうことになったのだった。
──その後、景古升の部隊は──
「撤退する!! すぐにこの場を離れるのだ!!」
青ざめた顔で、景古升は指示を出した。
ゼング=タイガを追い詰めたはずだった。
相手は右腕を失っている。以前ほどの強さはない。
矢で射殺しても、斬りかかってもいい。それで壬境族の王子を殺せるはずだった。
実際に、矢は隻腕の騎兵に命中した。
騎兵は落馬し、動かなくなった。
違和感に気づいたのはその後だ。
騎兵は、黒髪ではなかった。白と黒のまだらの髪だった。
よく見ると、白髪を染料で染めていた。
そして──あおむけになった騎兵は、髭が生えた中年男性だった。
大槍は竹で作られていた。
その方が軽いからだろう。表面を黒く塗り、普通の槍に見せかけていた。
景古升が倒したのは、ゼング=タイガなどではなかったのだ。
──隻腕の騎兵は、囮。
──ならば、その目的は?
「撤退だ! いますぐこの場から離れろ!!」
ここは危険地帯だ。
隻腕の兵士の役目は、こちらを陣地から引きずり出すこと。
だとしたら──すでに囲まれているかもしれない。
「10名……いや、20名は砦と、東の陣地に走れ! 状況を黄英深どのと黄海亮どのに知らせよ!!」
「な、なにが起こっているのですか?」
参謀の薄完が叫んだ。
「ゼング=タイガはどこにいるのですか!? あの兵士はなんなのです!?」
「わからぬのか! 馬鹿者!!」
「ひぃっ!?」
「あれは囮だ! 我々はつり出されたのだ。すぐにこの場を離れるのだ!! ここは壬境族の領内だ! なにがあるかわからぬ──」
直後、馬蹄の音が響いた。
左右の丘陵地帯からだ。
大量の、騎兵の足音だった。
やはり、罠だったのだ。
自分たちは危険地帯に引きずりこまれた。
偽ゼング=タイガという餌にくいついた結果がこれだ。
だが──
(これは囮になった兵士たちを使い捨てにする策だぞ。ゼング=タイガとはそういう王子か!?)
──聞いていた人物像とは、違う。
ゼング=タイガは正面きっての戦いを望む武将と聞いている。
以前、盗賊に化けて、少数で藍河国に入ってきたことからも、それがわかる。
(なのに──)
囮の敵兵は全滅した。数は二十数人。誰ひとり、生き残ってはいない。
ゼング=タイガとは、こんな手を使う人物だったのだろうか……?
「全員に告げる! 戦うな!! まずは逃げ延びることを考えよ!!」
景古升は叫んだ。
「私と薄完どのが殿軍を務める! 逃げよ!! 余計はものは捨ててもいい。なんとしても生き延びるのだ!!」
「わ、私がしんがりですと!? どうして……!!」
「それが上官の責任だからだ!! そんなこともわからぬのか!?」
「……ひっ」
「安心しろ。私の部隊は生存率が高いことで有名だ。貴公も含めて……部下は私が守る。貴公や部下を死なせないために、私が来たのだ。逃げろ逃げろ!! 振り向かずに、逃げろ!!」
宣言した景古升は、槍を構えた。
そうして彼は部下たちを逃がすために、戦いはじめたのだった。
次回、第108話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。