第104話「天下の大悪人、客人をもてなす」
俺は翌日から、北の砦に向かう準備をはじめた。
砦の状況については、炭芝さんが教えてくれた。
俺の父上──黄英深がいる砦は、最近、拡張された。
壬境族を見張るために、ふたつの陣地が作られたそうだ。
東にひとつと、西にひとつ。
東側の陣地を任されているのが、俺の兄上──黄海亮。
副官として、客将のガク=キリュウがついている。
西側の陣地は、北臨から来た部隊長の担当だ。
砦には間もなく、太子狼炎と彼の部隊も到着する。
防衛力は十分だ。
「黄天芳どのには偵察任務にたずさわっていただきます」
炭芝さんは言った。
「黄天芳どのと翠化央どのは、険しい場所であっても、獣のように素早く移動できると聞いております。北の砦を守るために、そのお力を存分に発揮していただきたいのです」
「承知しました」
偵察任務ならちょうどいい。
俺の目的は、毒矢使いを捕らえることだからな。
奴は雷光師匠を傷つけるほどの手練れだ。放置できない。
父上や兄上が毒矢の餌食になったら最悪だ。もちろん、太子狼炎も。
それを防ぐためにも、砦のまわりの安全確認をしておきたいんだ。
「明日。北の砦に向けて出発します」
俺は炭芝さんに拱手した。
「だから、今日は自由行動ということにしておきます。みんなにも、そう伝えてください」
「了解いたしました」
それから、俺は炭芝さんと別れて、客人のもとに向かったのだった。
──数分後──
「それでは、灯春の町をご案内します。トウゲンさま。リーリンさま」
俺はふたりを連れて、町へと繰り出した。
町を案内すると約束していたからだ。
「はい。よろしくお願いします。黄どの!」
「1日だけですからね。明日には、仲間のもとに帰るのですよ? よろしいですね、若さま。黄さまも、わかってくださってますね?」
「承知しております。リーリンさま」
「わかってます。よーく、わかってます」
「ありがとうございます。黄さま。若さまは……わかってない顔をしてますが……」
そんな感じで、俺たちは町へと繰り出したのだった。
最初に回ったのは市場だった。
灯春は海運が盛んな、物流の集積地だ。
市場の規模は首都の北臨と同等。物の種類はこっちの方が多いくらい。
観光をするにはもってこいだ。
朝の早い時間だからか、店先には海産物がたくさん並んでいる。
生魚に、エビなどの甲殻類。採れたての貝もある。
でも、リーリンは魚介類が苦手みたいで、トウゲンの後ろに隠れてる。
彼女とは対照的にトウゲンは、じーっとエビや貝を見つめている。まるで生き物の構造を分析しているみたいだ。顔を近づけすぎて、商人に怒られてる。
トウゲンは本当に、生まれついての研究者みたいだ。
市場をまわったあとは、約束していた茶館へ移動した。
トウゲンは壁一面に貼ってある紙を見て、目を輝かせてた。
リーリンが声をかけても反応しない。脚は床に貼り付いたみたいに動かず、視線はまっすぐに、詩歌や文書が書かれている紙を見つめている。まるで、宝物を見つけた子どもみたいだ。
リーリンは椅子に座り、のんびりとお茶を飲みはじめる。
「若さまのことですから数刻は動きませんね」と言って、笑ってる。
トウゲンのこういう反応には慣れてるらしい。
ふたりには茶館にいてもらって、俺は一度、市場に戻ることにした。
俺はトウゲンたちへの贈り物を買うためだ。
トウゲンたちは俺たちを灯春まで送り届けてくれたからね。その借りは返さないと。
そうして買い物を済ませて茶館に戻ると、トウゲンはまだ、同じ場所にいた。
俺とリーリンは顔を合わせて、苦笑いしただけ。
そうしてトウゲンが満足するまで (2時間かかった)お茶を飲んで──
宿舎に戻ったあとで、俺はふたりに贈り物を差し出した。
「こちらをお納めください。トウゲンさま。リーリンさま」
トウゲンの前には、筆と墨と、紙の束。
リーリンの前には、帯留め。
それぞれを差し出してから、俺は一礼して、
「ここまで送っていただいたことへのお礼と、おふたりに出会えたことの記念です。どうぞ」
「……黄どの」
「……わ、若さまだけではなく、私にまで」
「ぼくは、おふたりとは……これからも親しい間柄でいたいと思っています」
本当は、トウゲンには北の砦に来て欲しい。
この人の知識や発想、地形への知識は、父上や兄上の助けになると思う。
でも、今は無理だ。
壬境族の人間を、藍河国の軍事施設に入れることはできない。
それは炭芝さんからも言われてる。
トウゲンたちは、戊紅族のガク=キリュウとは立場が違う。
戊紅族は一族をあげて、藍河国に従うことを約束してる。
だから共同戦線を張ることもできるし、ガク=キリュウに兵を与えることもできる。
それに対して俺とトウゲンたちの関係は、個人的なものだ。
藍河国と壬境族の穏健派の間で、正式に友好関係が結ばれたわけじゃない。
それはおたがいに使者をやりとりして、文書を交わした後になる。
そうなるまでは、トウゲンを俺の知恵袋にするわけにはいかないんだ。
だから、トウゲンたちとはここでお別れだ。
次に出会うときは、国同士が正式な友好関係を結んだ後になると思う。
それまでいい関係でいられるように、贈り物を渡しておきたいんだ。
旅の報酬も、炭芝さんからもらったからね。
「ぼくは、トウゲンさまやリーリンさまと出会えてよかったです。北へ旅をしたかいがありました」
本心だった。
壬境族の知恵袋がいい人だってわかって、よかった。
「いずれまたお目にかかることを、楽しみにしています」
「ありがとうございます。黄どの」
トウゲンは一礼して、それから、照れたように頭を掻いた。
「まったく……黄どのにはかないませんね。こんなことをされては、黙って帰るわけにはいかないじゃないですか。私だけならともかく、姉上にまで贈り物を……まいったな。なにもせずに帰ったら、私が恩知らずになってしまう。本当にもう……」
ため息をついて、天井を見上げるトウゲン。
それから彼は、心を決めたように、うなずいて、
「私は、軍事には関わらないつもりだったのですよ……?」
「トウゲンさま?」
「若さま?」
「黄どのは私を友人と言ってくれたのです。その黄どのが危険な場所に行くのを、なにもせずに見送るわけにはいかない。情報を異国の方に渡すのには抵抗がありますが、黄どのなら……ああ、もう、仕方ありませんね!」
トウゲンが筆を手に取る。
それから、俺が渡した紙をつかんで、彼は、
「少し待っていてくださいよ。すぐに戻ります!」
「若さま!?」
「姉さんも一緒に来てください。私がどこまで書いていいかを判断してもらいます! そうじゃないと……私はあらいざらい、すべてを書き記してしまいそうだ」
「な、なにを言って? 若さま!?」
「いいからこっちに。黄どのは、そこでお待ちください!」
そう言って、トウゲンとリーリンは、部屋にひっこんでしまった。
俺が待たされたのは、20分弱。
戻ってきたトウゲンは、紙の束を手にしていた。
「これをお納めください。記憶をたどって書いたものですが、正確なものです」
「……え?」
「この紙に描かれている黒い丸は、黄どのの父君──『飛熊将軍』どのがいる北の砦を表しています。その北側が壬境族の領内の地形です。4枚の紙に分けて書き記しています。もちろん、北の砦の近くだけですが」
トウゲンが俺の前に置いたのは、地図だった。
砦の北側──つまり、壬境族の領地の地形を描いたものだ。
しかも、詳細に。
岩場のかたちや、樹木が生い茂る場所。川のかたち。
さらに、人が隠れやすい場所までわかるようになっている。
「これは……すごく助かります」
俺はトウゲンに一礼した。
「……ですが、ぼくがこれをもらってもいいですか? トウゲンさま」
「黄どのは、ゼング王子が雇った毒矢使いと戦われるのでしょう?」
「そうです。できれば、捕まえたいと思っています」
「でしたら、お納めください。私は黄どのを死なせたくない。だからこの地図には、人が隠れそうな場所や、不意打ちを受けそうな場所が記してあります。これを参考に、難を逃れてください」
トウゲンは、迷いのない口調で、
「私はシメイ氏族の当主だが、トウゲン=シメイという、ひとりの人間でもあります。その私が、死なせたくない友人に情報を渡すのです。誰になにを言われても構いませんよ」
「ありがとうございます。トウゲンさま」
俺はトウゲンに向かって、拱手した。
「この情報は、身を守るためだけに使うことを約束します」
「ご家族の身を守るために使っていただいて構いません。どのみち、穏健派が北の砦を攻撃することはありませんからね」
そんなことを言ったあとで、トウゲンは苦笑いして、
「仮に戦になるとしたら……将来、私や黄どのが死んだあとでしょう」
「そんな未来は嫌ですね」
「まったくです。私たちが友でいられる未来を望みます」
それから俺は地図を、トウゲンは筆と墨と、余った紙を捧げ持つ。
おたがいの贈り物を大切にすると、約束するみたいに。
「出会えてよかったです。トウゲンさま」
「草原を渡る風の神にかけて、またお目にかかりましょう」
それが、別れのあいさつになった。
トウゲンとリーリンは宿を出て、灯春の門に向かった。
そうして、馬に乗ったふたりの姿が見えなくなるまで、俺は門の前で、ずっと見送っていたのだった。
次回、第105話は、明日か明後日くらいに更新する予定です。
……できるかな。できたらいいなぁ。