第101話「天下の大悪人、新たな使命を受ける」
それから俺たちは、炭芝さんが用意した馬車に乗った。
炭芝さんがここにいる理由は、移動中に聞くことができた。
「さきほども申し上げました通り、私は王弟殿下のご命令で、黄天芳どのと玄冬里どの、レキ=ソウカクどのをお迎えに参ったのです。こうしてお目にかかることができて、幸いでした」
「それはわかります。でも……早すぎませんか?」
俺たちが灯春の町で雷光師匠と再会したのは数日前。
その翌日に、雷光師匠と秋先生、スウキ=タイガは北臨に向けて出発した。
灯春から北臨までは約3日。
雷光師匠が怪我をしていることを考えると、もう少しかかると思う。
それから師匠たちが燎原君に会って、事情を説明して、それから炭芝さんがこっちに来るとなると……10日以上かかってもおかしくない。
なのに、炭芝さんはここにいる。
いくらなんでも早すぎると思うんだけど……。
「私がここにいるのは、狼炎殿下のおかげです」
とまどう俺たちに、炭芝さんは言った。
「殿下が、北の砦まで出向かれることになりましてな。途中まで王弟殿下も同行されておりました。私たちはその途中で、雷光どのたちと出会ったのです」
太子狼炎は軍事的な事情で、北の砦に向かっていた。
燎原君は、奏真国の使節を見送るため、それに同行していたそうだ。
ふたりには多くの護衛がついている。だから、すごく目立つ。
それで雷光師匠が気づいて、声をかけたんだそうだ。
「そんなことがあったのですか」
「最近の狼炎殿下は、王弟殿下からお話を聞いて、それを良い刺激とされているようです。そのときに夕璃どのと相談して、北に向かうことを決断されたとうかがっております」
……太子狼炎はすごいな。
ゲームでは燎原君と敵対してたのに、こっちの世界では仲良くなってる。
そのおかげで雷光師匠は、いち早く燎原君と出会えたのか。
「王弟殿下とスウキ=タイガどのは北臨の都に向かわれました。今ごろ、国王陛下と面会していらっしゃるでしょう」
「ありがとうございます。レキさんにも、このことを伝えたいのですが……」
レキは今、後ろの馬車に乗っている。
彼と一緒の方が、トウゲンやリーリンが落ち着くと思ったからだ。
穏健派の仲間として、話すこともあるだろうからね。
「問題ありません。御者の者に、レキどのにもこの話をお伝えするように申しつけております」
「さすがは炭芝さんですね」
「壬境族の穏健派との同盟については、王弟殿下と狼炎殿下も賛成されておりますからな」
炭芝さんは落ち着いた口調で、続ける。
「狼炎殿下はおっしゃっていました。『壬境族の王子を北の砦に引きつければ、穏健派が楽になるだろう』と」
「狼炎殿下が?」
「その方が藍河国のためになると、殿下はお考えなのでしょう」
太子狼炎が北の砦に向かうなら、使者のやりとりが活発になる。
そうして実際に太子狼炎の部隊が動けば、ゼング=タイガも警戒する。
奴は、北の砦の近くに兵力を集めるだろう。
その結果、穏健派の拠点のまわりから、兵士がいなくなったんだ。
もしかして……穏健派の近くの森に毒矢使いがいなかったのも、同じ理由か?
ゼング=タイガが北の砦での戦いに備えるために、毒矢使いを連れていったのかもしれない。
だからあの場所には惨丁影しかいなかったんだろうか?
とにかく、太子狼炎には借りができた。いつか、ちゃんと返そう。
あの人が部隊を動かしていなければ……ゼング=タイガたちはいまだに、穏健派の砦を取り囲んでいたんだから。
そうなれば俺たちは、惨丁影と毒矢使いの両方を相手にしなきゃいけなかった。それは……どう考えても無理ゲーだ。
「このようなことがあるのですね。本当に……おどろきました」
俺は炭芝さんに一礼した。
「狼炎殿下が北の砦に向かわれていなければ、ぼくたちは穏健派の砦に入ることはできなかったでしょう。狼炎殿下の深慮遠謀は、ぼくのおよぶところではありません」
「お待ちください。黄天芳どの」
「なんでしょうか。炭芝さま」
「あなたは壬境族の村まで書状を届けに行ったのでは? どうして穏健派の砦に入られたのですか?」
「あ、はい。なりゆきで」
「なりゆきで!?」
「実は……スウキ=タイガさんの父君の、ハイロン=タイガさんから招待を受けたのです」
俺は答えた。
冬里も俺の隣で、こくこく、とうなずいてる。
「ハイロンさんは、穏健派を率いている方でした」
「穏健派の統率者と会われたのですか!?」
「あの方ははっきりと『藍河国との戦いは望まない』とおっしゃいました。これからは定期的に、スウキ=タイガさんに書状を送るそうです」
「統率者と会談をして、意思の確認までなされた……と」
「ハイロンさんはいい人でした。ぼくと冬里に、壬境族の領地に入るための通行証までくれました。それとスウキ=タイガさんのお姉さん──ライハ=タイガさんとも親しくなりました」
「近くの村には、占いを得意とする長老さまがいらっしゃいました」
冬里が俺のセリフを引き継いだ。
「長老さまもまた、藍河国との友好を望んでいらしたのです」
「冬里はまた、長老のところを訪ねる約束をしたんだよね?」
「は、はい」
「それから、他にも色々なことがありまして──」
俺は冬里に確認しながら、説明を続けた。
旅の間に、たくさんのことがあったからね。
記憶が新しいうちに、炭芝さんに報告しておこう。
「──と、いうわけです。壬境族の中にも、藍河国の味方がいることがわかりました。これらの人々との交流を進めていくのがいいと、ぼくは考えています」
「冬里も同感なのです」
「どうかそのことを、王弟殿下にお伝えください」
俺と冬里は同時に、炭芝さんに向かって拱手した。
しばらく、沈黙が落ちた。
炭芝さんは頭を掻いて、馬車の天井を仰いで、それから──
「黄天芳どの」
「はい。炭芝さま」
「あなたはご自分が、どれほどの利益をもたらしたか、おわかりですか?」
「いえ。ぼくは師匠の命令を果たしただけです」
そういうことにしておいた。
でも、炭芝さんは興奮した口調で、
「それ以上のことを成し遂げておられます! 黄天芳どのは壬境族の中に、明確な味方を作り上げられたのですよ? それはこれまで、誰もなしえなかったことです」
──俺たちをじっと見ながら、そんなことを言った。
「おふたりと穏健派の間には、明確な繋がりができました。スウキどのを通してではなく、おふたり自身との信頼関係が。それにより藍河国は穏健派の人々を通して、さまざまな交渉や、情報交換ができるようになったのです。これが外交に、どれほどの利益をもたらすか……」
「よかったです」
「しかもおふたりは、壬境族のご友人をともなわれているのですよね?」
「トウゲンさまとリーリンさまのことですね」
もちろん、トウゲンたちのことは炭芝さんに伝えてある。
炭芝さんはすぐにふたりを、賓客あつかいにしてくれた。
トウゲンは馬車に乗るのが初めてみたいで、興味深そうに構造を調べたりしていた。
『壬境族の土地はでこぼこしてるから、馬車は不向き。でも老人や病人が乗るにはいい。なんとか改善できないものか』……なんてつぶやいていたっけ。
燎原君の客人には技術者もいるから、紹介してあげたいな。
……リーリンさんには怒られそうだけど。
「おふたりともいい人です。できれば、灯春の町を観光させてあげたいのですけど」
「承知しました。手配しましょう」
「ありがとうございます」
「この国にいる間は、おふたりを黄天芳どのの客人、あるいは客将とするのがよろしいかと」
「……客将、ですか?」
「そうです。私が黄天芳どのと玄冬里さまをお待ちしていたのは、燎原君からのご命令をお伝えするためでもあるのです」
馬車の中で、炭芝さんは姿勢を正す。
彼は俺と冬里に向かって、両手を重ねて拱手した。
「このほど黄天芳どのには、藍河国の独立部隊をお任せすることになりました。私こと炭芝は、その後見役を任されております。黄天芳どのには、北の砦に向かい、『飛熊将軍』の元で、部隊に加える兵を拝領せよとのご命令が下っております」
「……え?」
「宝さま……いえ、芳さまが独立部隊を!?」
あの話、まだ生きてたの!?
動きがないから、立ち消えになったと思ってたんだけど……。
だって、俺に部隊を預けるって……ありえないだろ。
俺は雷光師匠と秋先生に武術を習ってるだけで、無位無冠の人間だ。
『飛熊将軍』の子どもではあるけれど、武官としての勉強はしていない。将来は地方の文官になる予定だからだ。
そんな俺に部隊を任せるって……?
「……まじめに部隊を指揮してる人に怒られませんか?」
「最初におっしゃることがそれですか?」
炭芝さんは笑ってみせた。
「黄天芳どのが率いるのは、王弟殿下が創設される部隊のひとつです。任務は情報収集や、異民族との交流になります。壬境族や戊紅族との人脈を持つ黄天芳どのには、ふさわしいお仕事だと思います」
「情報収集や交流ですか……なるほど」
それならわかる。
燎原君が俺に、兵を指揮して前線で戦えって言うわけないもんな。
それに、燎原君の命令なら、断れない。
あの人にはたくさん借りがあるからな。命令通り、北の砦に向かうことにしよう。
「承知いたしました。ご期待に応えられるように、全力を尽くします」
「この炭芝も黄天芳どののために、補佐役を務めさせていただきましょう」
俺と炭芝さんは礼を交わす。
「まずは北の砦に向かいます。兵士を拝領して……父上と兄上に、壬境族のことをお伝えします。それと──」
北の砦の近くには、たぶん、毒矢使いがいる。
だとしたら、放っておけない。
父上や兄上が狙われたら最悪だ。もちろん、太子狼炎も。
敵の居場所を特定して……できれば、捕まえたい。
まずは北の砦の近くで、毒矢使いが潜みそうな場所を探そう。
……できれば北方の地形に詳しい人に協力してもらえればいいんだけど。
トウゲンさんにお願いしてみようかな。
期間限定なら、手を貸してもらえるかもしれないから。
「おや、宿に着いたようですな」
しばらくして、馬車が停まった。
「宿の者と部隊の方々が、おふたりを出迎えに来ておりますぞ」
「部隊の方々?」
馬車が停まったのは、灯春で一番大きな宿だった。
建物の前に、宿の従業員たちが並んでいる。
俺たちが馬車から降りると、彼らは一糸乱れぬ動きで頭を下げる。
そして、従業員たちの前にいたのは──
「星怜と化央師兄? どうしてここに?」
「お待ちしておりました。兄さん」
「本当に……無事でよかったよ」
星怜と小凰は俺を見て、一礼した。
「柳星怜はこれから、兄さんの部下になります。担当は、動物を使った情報収集です」
「僕は天芳の副官だそうだよ。よろしく。天芳」
星怜も小凰も笑顔だけど、目は笑ってない。
というか、俺をにらんでるような気がするんだけど……。
そんなことを考えていると、ふたりは俺に顔を近づけて、小声で、
「……兄さん。あんまり心配させないでくださいね」
「……天芳は、放っておくとどこかに行っちゃうんだから。もう……」
「……だから、わたしは兄さんの側にいることにしました」
「……天芳の部下になることは、雷光師匠と秋先生、奏真国の紫水姉さんの許しをもらってるよ。だから安心して、僕を使っていい」
星怜と小凰は、そんなことを言った。
それからふたりは、顔を見合わせて、
「これからよろしくお願いします。化央さま」
「こちらこそ。一緒にがんばろうね。星怜くん」
「わたしは家族として、兄さんに一番近いお友だちの化央さまと一緒に、兄さんを支えるつもりです」
「すばらしい兄弟愛だね。天芳は星怜さんのような妹を持ったことを誇りに思うべきだよ」
「おほめにあずかり光栄です。兄さんの朋友の翠化央さま」
「僕もうれしいよ。将来のために、星怜くんとは仲良くなっておきたいからね」
笑みを浮かべながら視線を交わす、星怜と小凰。
「……うん。部隊の話は聞いたばかりだけど、とにかく、よろしくお願いするね。星怜も、師兄も」
奇妙な緊張感をおぼえながら、俺はふたりに答えた。
あいさつが終わったのを見て、炭芝さんが手を叩く。
みんなの視線を集めた炭芝さんは、
「まずは黄天芳どのと玄冬里どの、レキ=ソウカクどのの無事の帰還を祝って、宴を行いましょう。もちろん、黄天芳どののご客人も同席してくだされ。あなたがたのお話もうかがいたいですからな!」
──そんなことを宣言した。
そうして俺は、星怜と小凰にはさまれながら、宴の席へと向かったのだった。
次回、第102話は、次の週末くらいに更新する予定です。