第5話〜『イノベート』〜
ルウは、再び学校に来ていた。
美加の血液で書かれた、『イノベート』という文字。
明らかに何者かによって書かれたそれは、なんの為に書かれたものかよくわかっていない。
ルウは『仕事』で必要なため、一度よく見てみようと思っていたのだが……
もう美加の無残な死体は跡形もなく除去され、校門にはブルーシートと『KEEP OUT』の黄色の帯がめぐらされていた。
そして、何人もの警官が捜査や聞きこみに右往左往しているのが見れた。現場に入ろうとしても一般市民はすぐに締め出されるだろう。
そのため、ルウは校門前に留まざるを得なかった。無表情に、校庭を見つめている。
「君、ここの生徒かい? ここは一週間ほど休校だよ」
そんなルウに気付いた一人の警官が、そう言った。
「……そうですか」
それだけを言うとまた校庭を見る。
「なにを見ているんだ?もう何もないぞ」
警官にそう言われると、ルウは踵を返し、来た道を戻る。
「……なんだったんだ?」
ルウの後ろ姿を見ながら、警官はつぶやいた。
ルウはアパートのすぐ前の道路まで戻っていた。
けれど、アパートに近づこうとはしない。
一人の男がアパートのすぐ近くに立っていたからだった。
男の立っている位置は、サラが寝ている部屋に近い。
もし、男が害意を持って部屋に押し入ったとしても、ルウはすぐにサラを助けられない可能性が高い。
ルウが必要以上に警戒するのも、無理はない。
「ははははは……警戒心旺盛なガキだな」
そんなルウの警戒を見越して、男が嗤う。
男は大体20歳ぐらい。
髪は黒で、眼は蒼色である。
中肉中背よりかは筋肉質であり、服装も筋肉を強調できるように、上半身はタンクトップ。下半身は迷彩のズボン。
顔ははっきり言って、むさくるしい。
「……君は、『イノベート』?」
ルウが無表情に、訊いた。
「そうだ。俺様が『イノベート』だ。俺様があの小娘を引きちぎったのさ。弱弱しい体をこの手でな! ……いい声で啼くんだぜ?『やめて』『助けて』ってな! ぎゃははははははは!」
心の底から楽しそうに、男は笑う。
「……名前は」
彼と対照的に無表情に、ルウは訊く。
「……てめえ、普通はもっと怒るだろうが。なんでてめえ、無表情なんだ? 頭おかしいんじゃねえか?」
「……名前」
「ティアーだよ。クソガキ」
吐き捨てるように、ティアーは言った。
「……ルウ」
「は?」
「僕の名前」
「あっそ。」
しばらく、沈黙が流れる。
1秒、2秒……3秒で、ティアーは静寂を破った。雰囲気に耐えられなくなったのだ。
「だあっ! てめえ、なんでそんなに冷静なんだよ!? 普通もっと驚く所あるだろう!? 『なんであんなことしたんだ』とか、『どうやってしたんだ』とかあるだろう!?」
ルウは無表情のまま、淡々と答える。
「……僕にはそんなの、なんの興味もない。……ただ、少しだけ……」
「……少しだけ、なんだよ、ガキ」
ティアーの問いに、ルウは少しためらって、こう答えた。
「……少しだけ、仕事をするだけ。サラからもらった、『守護者の仕事」
その答えに、ティアーは驚愕する。
「『守護者』……!?」
『守護者』。最強の依頼遂行者。それだけの単純な噂だったが、それはティアーを怯えさせるには充分だった。
「それは」
無表情に、ルウが答えようとした時だ。
「……ルウ……?誰……?」
寝ボケ眼のサラが、部屋から出てきた。
彼女はまだ夢うつつのまま、目をこすりながらルウの姿を探す。
「……っ! サラ! 来ちゃだめだ!」
先ほどまでの無表情は完全になくなり、ルウの顔には焦りとサラに対する心配が容易に見て取れる。
「……こいつがてめえの弱点か!」
そんなルウの様子を見て、ティアーはすぐにサラを捕えた。
「キャッ!」
「サラ!」
いともたやすく、サラはティアーに捕まった。
後ろから両手を抑え、羽交い絞めにするような格好。
ティアーはすぐにサラを殺せるように、首に腕を回す。
身動きが取れなくなったサラは、殺されたくない一心で、暴れる。
「……誰よあんた! 何するのよっ、離してっ!」
必死に逃れようとするが、ティアーの力は強く、びくともしない。
「動くなよ、小娘。俺様の力は、人間ぐらい簡単に引きちぎれるんだからな。」
ティアーは軽く、掴んだ両手首に力を入れる。
「痛……っ!」
痛みに負けて、サラは抵抗をやめた。
「ルウ……」
彼女にできることと言えば、ルウに助けを求めるぐらいしかなかった。
「……サラ、アレを使うんだ。」
ルウは、自分の位置ではティアーを倒せないことは十分に理解していた。
どんなに急いでも、3秒はかかる。その間に、ティアーはサラの首を折るだろう。
だから、サラの『能力』に頼るしかなかった。
「い、いやよ……ルウなら、分かってるでしょ……?」
「わかってるよ。でも、今は『使いたくない』で済む状況じゃないんだ。……ごめん」
サラは、アレを嫌っていた。だがそれを承知の上で、サラに使わせようとしている。
「なんの話してやがる!……とにかく、てめえはこの世界から出ていってもらおうか。」
『守護者』とは戦っても勝てない……そう思っての要求だった。
「……あんた、異世界を知ってるの!?」
ティアーの要求を聞いたサラが、驚きの声をあげた。
「そうだ。俺様は『イノベート』。異世界を滅ぼし、唯一絶対の世界を作る為に活動する組織の一員さ」
とは言っても、詳しい目的は、ティアー自身もよくわかっていない。
様々な世界に点在し、世界を壊しまわる組織なので、真の目的など創始者ぐらいしか把握できていないのだ。1兵卒に過ぎないティアーが知るはずもない。
「……『イノベート』……ですって?」
サラから尋常じゃない怒気が発せられるが、調子に乗ったティアーはそれに気付かない。
「ああ。今朝の殺人も俺様がやった。この世界に入って一番最初に目に着いたからな。殺してやった。どうせ、みんな死ぬんだ。変わりはない。……そうだろう?」
ティアーは得意げに言った。それの言葉がサラの怒りを頂点に達せさせた。
「………許さない……!」
低く、呻くサラ。
「……あん?」
「殺してやる! あんたなんか、殺してやる!」
「ははは……面白いこという小娘だな。どうやって俺様を殺す? 両手は俺様に掴まれて、しかも俺様はすぐにでもお前を殺せる。この状況で、どうやって、俺様を、殺すつもりだ? できるもんならやってみてほしいもんだ!」
絶対的優位に立っていると思っているティアーは、サラに一分の警戒心すら抱いていない。
要するに、油断しているのだ。
「……殺してやる!」
サラの慟哭にも近い叫びが朝の道路に響いた。