閑話 僕のエリス②
バーランド伯爵家の兄妹は天才だと、交際範囲のせまい第三王子の僕にさえ、漏れ聞こえてきた。
経験の浅い僕から見ても、バーランド伯爵は家族思いであるように見えるが、彼は自慢話をするような人ではない。
エリスもまた、その気質を引いているのだろう。
週に一度、会う時に(僕はもっと会いたいけれど、立場上、警備や諸々の都合をつけるにはこれが限界であり、また、彼女の世間体も考えなければならない)自身の勉学の進捗を、内心誇らしく伝えていた自分が恥ずかしい。
エリスはいつものように、ニコニコと僕の話を聞いてくれていた。
褒めてもくれた。自分はそんな範囲の勉強はとっくに終えているのに。
彼女の兄は、もとより有名だ。十六歳で成人した時には、すでに魔法省管轄の研究所に席を置いていたという。
近頃、派手な爆発事故を起こして、さすがに研究所長も庇いきれずに、謹慎処分を言い渡したらしい。
昼も夜もなく、一年中研究室にこもっていられる、真の魔法バカには「ちょうどよい休暇になるだろう」と、ひさしぶりにお会いした小兄様は笑っていた。
年はずいぶん離れているはずだが、小兄様もまた別分野の天才であるので、対等な付き合いをしているようだ。ちょっと羨ましい。
エリスに出会ってからの僕は、ずいぶんと心が狭くなったと思う。
愛しの婚約者にとっては喜ばしいことだとわかってはいるが、久しぶりに家に帰った兄にべったりだなんて。
拗ねた気持ちを、小兄様に見抜かれた。「馬鹿だなぁ」って笑われたけど、僕だって、頭ではわかっているのだ。
向こうは兄妹、こっちは婚約者。
でも、同じ男として、たまらなく悔しい。
エリスは、僕を嫌ってはいないとは思うけど(そんなの、想像しただけで泣きそうだ)特別に好かれている自信もない。
もともと王族であることを笠に着て、進めてもらった婚約だ。
自分を客観的に見れば、容姿は、父様と母様のおかげでそこそこ優れている。行儀にも、言動にも気を付けているし、王族として及第点はもらえると思う。
でも、エリスはとても可愛いし、やさしいし、とても温かい雰囲気を持っている。
その上、自分の子供たちが普通だと思い込んでいるバーランド伯爵の何気ない言動から、周囲はその優秀さを推し量れてしまう。
ある日。書店で大人向け(フリガナなし)の推理小説をシリーズで購入し、どのカバーを掛けるか店員に聞かれ、大いに悩むバーランド伯爵。
「やはり、ピンクのウサギ柄だろうか? それとも花柄の方が?」
「プ、プレゼントですか?」
「ああ。六歳の娘なのだが、どちらの方が喜ぶだろうか?」
たまたま居合わせて、漏れ聞いてしまった某子爵の驚愕!
不器用な僕は、ただただ頑張るしかない。不安で、つらい。でも、やるしかない。
それでも、先日、すべてが報われるような出来事があった。
バーランド伯爵邸にお邪魔して、彼女と「魔力合わせ」をしたのだ。
手を繋いで、額を合わせて、彼女の魔力を感じ取る。至福の時だった。
かの天才が言うには、僕の魔力は土の気が強く、エリスの魔力は木の気が強い。自然、僕の魔力は彼女に吸い上げられてしまうのだそうだ。
望むところだ。彼女がふくよかに、僕の望む姿になる、その糧になれるなんて、幸せ過ぎるだろう。
この日、彼女に会った時の、僕が感じた衝撃を想像してみてほしい。ほっそりとしたエリスは知らない人のようで、僕の体はぎゅっと固く冷たくなった。
いや、人を外見で判断するなんて、褒められたことじゃない。まして、どんな姿であろうとも、エリスはエリス。僕は愛し続ける自信がある。
でも、僕には馴染みのないエリスの方が、世間一般的に持てはやされる。典型的な美少女だ。その上で、あの性格とおっとりとしたやわらかな気配。
皆、彼女とずっといっしょにいたいと思うようになるだろう。僕のことなんて、ますます気にかけなくなってしまうのではないか?
だったら、僕だけが彼女の良さを見分けられる方が、よほどいい。そんなことを考える僕は、なんて卑怯なんだ。わかっていても、その考えを止めることができない。
一事が万事そんな具合だから、いつもの彼女の姿にほっとして、心の底から、愛しさが込み上げる。
僕は、魔力不足でふらつきそうになる足に力を込めて、心からの笑みを浮かべながら、城に帰った。
護衛騎士や侍女たちに「第三王子殿下は大丈夫だろうか」と、色々な意味で心配されていたなんて、その時の僕は知らない。