61、黒の焔④
家に帰るまでが探索だと窘められて、気合を入れ直したところで騒ぎが起きる。
奥のエリアから逃げてくる人たち。
私は「黒の焔」に誘導されて、何もない広い空間に出る。
「出入り口まで遠回りにはなるけど、狭い通路でぎゅう詰めになるよりましだから」
ベルの言葉に頷きながら、私は呼吸を整える。何が起こっているのかわからなくて怖いし、不安で仕方ないけど。せめて足手まといにはなりたくない。
三人に倣って目を凝らし、耳を澄ます。
聞こえるのはレイスとか、リッチという単語。
「黒の焔」と同じ判断をしたグループが、一組、二組と現れる。
「おっ、黒の!」
「よかった、青か。何があった!?」
探索者たちは、ほとんどが顔見知り。ただ、実力はまちまちだし、性格が合う合わないはあるだろう。
「いや、オレ達もまだ見たわけじゃないが、下層でヘマした奴がいるらしい。まいったな。一年坊のお守りのつもりだったから、アンデット相手に、いまある装備じゃ、心許ないないぞ」
別のグループの小柄な女性が、甲高い声を上げる。
「本道を通って、レイスが外に向かってる。恐怖を撒き散らしながら、探索者たちの頭上を次々通過。その百以上!」
さすがのベテランたちも浮足立つ。
「まずいぞ!」「王都が!」
私も焦ったけど、待って、よく考えて!
アイリーンの預言にスタンピートのことは確かに書かれていたけど、それは去年のことだったはず。魔物を狩る頻度を上げて、それで特に問題は起きなかった。
しかも今回は、預言と違ってレイスの集団。いや、アンデットだろうと、そうでなかろうと関係ない。
「大丈夫! 王都にも森の一部にも、聖女の魔法が掛かってる。純白浄化がまだ有効だから!」
私の叫びは全体には届かなかったけれど、聞こえた人が口々に「聖女」「浄化」と声にしたことで、皆が落ち着いていく。
「そうだ。聖女様のお力で、レイスごときダンジョンから出ることもできねぇ」
「私たちで、中だけなんとかすりゃ、なんとかなる!」
決意を固める探索者たちの中で、ベルが手を挙げる。
「学園の学生たちを守って逃がすグループと、戦いに専念するグループに分かれましょう」
「おお、そうだな。貴族の坊ちゃん嬢ちゃんさえ逃がしちまえば、多少の無理はきく」
「レイス共を釣って、出入り口から引き離す役が必要だろう。それは俺たちに任せろ」
「いや、オレたちだって!」
威勢のいい学生もいるが「ガキはすっこんでろ」と怒鳴られて顔を赤くしている。
いや、ここで貴族だなんだ言っても意味はないからね。
「はいっ! どちらへ逃げればいいでしょう?」
率先して逃げると宣言すれば、心細さに震えていた令嬢たちがまず集まってくる。それにつられたように令息たちも。
「よし。学生の誘導は『黒の焔』が引き受けた。なーに、援軍連れてすぐ戻ってくるからな!」
「いえっ、学生の避難が済めば、全員、退避し、後でまとめて倒すという手もあるわ。レイスが本当に、ダンジョンの外に出られない場合の話だけどね」
「どっちにしろ、せいぜいレイスに尻を齧られんようにな!」
「言ってろ!」
「後方は、我々『青の清流』が守ろう」
「ありがとう! 頼むわよ」
さっと集まり手順を決めて、プロって頼もしい。
私たちはカルガモの雛よろしく、遅れず付いていくだけだ。
しかし、いくら強力な探索者たちに守られ導かれても、相手のあることだ。しかも、それらはこちらに敵意剥き出し。
レイスは殴りかかってくるわけでも、切りつけてくるわけでもないけれど、人が啜り泣くような音を立てて飛び、場合によっては白昼堂々悪夢を見させて、不安を掻き立て、人を恐慌状態に陥れる。
私は守りの装飾品満載だから、実際に被害はないはずだけど、やはり怖いもの。
予想通り、サンガの魔法の残滓に恐れをなして、外に出られなかった幽霊たちが、本道と呼ばれる太い通路を逆流してくる。
それをさらに奥へ引っ張る探索者たち。
「いまだ、行くぞ」
タイミングを計って出口に向かうケビンに皆が続くが、恐怖で強張った体がうまく動かず、転ぶ者がいる。
「…っ」
必死に声を堪えるのは、それでレイスを呼び寄せてしまうのではないかと恐れているからだろう。
しかし、その令嬢は、そのせいでよけいに体を硬くして、まったく立てなくなってしまった。
「わ、わた、私を置いていかないでっ」
「大丈夫ですよ」
できれば、こんな場面でも落ち着いて戦える探索者たちには、身軽でいてほしい。
「この子は私のゴーレム、ソフィア二号。彼女があなたを抱いて走ります。よいですね!?」
微かに頷くのを確認して、ソフィア二号を動かす。
よくやったとでもいうように、ベルが私の背中を叩いて、でも、視線はあたりを警戒し続ける。
その目が大きく見開かれた。
私たちがこれから進むべき床から滲み出してくる黒い影。
「リッチ!」
すぐそこに見える出口との間に、高価そうな、しかし、ぼろぼろのローブをまとった骸骨が浮かび上がる。
『残念であったな、生者たちよ』
黒い眼窩に見える赤い光に表情などないのに、笑っているのがわかった。
『たとえ純白浄化であろうとも、我を消滅させることはできぬ。まずは、弔らわれもせず朽ちた同胞たちを永遠なる生に目覚めさせ、次いでお前たちを…」
「闇縛り! 長々としゃべってくれてありがとうね!」
ふてぶてしく笑うベルの手が、リッチに向けられている。
『むぅ…馬鹿な、我こそが闇の眷属。闇魔法など効くわけが』
見れば確かに黒い靄に拘束されているリッチ。
ベルは相手にせず、いや、そんな余裕はないのだろう。
震える手で黒い小瓶を取り出し、歯を使って無理に栓を抜くと、中身を一気に飲み干した。
彼女から感じられる魔力がぐっと増える。
「これしか持っていなかったなんて不覚。でも、やるしかないわ」
同色の栓を咥えたまま、自分を励ますようにぶつぶつ呟く。
「封印!」
ガラスを爪で引っ搔くような悲鳴を上げて、レイスが小瓶に吸い込まれていく。
居合わせた者たちは皆、耳を手で塞ぎながらも、感嘆の声を上げる。
ベルだけは指先をレイスに向けながら、体を震わせ脂汗を流している。
「ああっ」
そして、彼女が絶望の声を上げた。
ピシリと瓶に罅が入ったのだ。
『グゥゥゥゥゥァァァァ……ハ、ハハハハハハハッ! 残念であったな、人間の女よ』
割れ、砕け散った器と、勝ち誇るレイス。
ベルは忌々しそうに、瓶の栓を吐き捨てた。
「闇縛り!」
『クゥァァ! なんと諦めの悪い、ムダ、無駄だぁ』
顎の骨をカタカタ鳴らすも、ベルの必死の拘束を解くことはできないらしい。
それでも、他の探索者たちの武器は、その体を通り抜け、聖水でわずかに空いた穴もすぐに塞がってしまう。
「かぁっ! やっぱ、リッチ相手じゃ駄目かぁ」
「ちっ、屁の突っ張りにもならねぇな。すまねぇ」
「…強靭で、強固な器があれば!」
最後の力を、声を振り絞るベルに、太い落ち着いた声が語りかける。
「ベル。俺を使え」
「ダー! 馬鹿っ、そりゃ、あなたほど強靭な肉体の持ち主はいないけど、リッチなんか封印したら…」
「意識は消え去り、廃人か。しかし、これほど最適な器もないだろう?」
「くそ、馬鹿…もう、騎士でもなんでもないのに、なんとかならないの? その、自己犠牲精神!」
憎まれ口を叩きながらも、ベルははぁはぁと息を乱し、限界が近いのは誰の目にも明らか。
「いいから、やれ。いままで、楽しかったぞ、ベル」
「馬鹿っ…」
いや。とてつもなく大変な状況なのはわかっているのだけど、別の意味でもドキドキしている私。
これが最期なら、話を続けさせてあげたい。
私だって、ここで自分という存在や、その意識が消えるなら、逢っておきたい人がいる。
でも、なんとかできるなら、なんとかしなくちゃいけない!
『グゥゥァァァァ』
そう。これを外に出してしまったら、王都どころか王国、いや、大陸がどうなってしまうかわからない。
書物や人の話でしか、リッチの怖さを知らないから、こんなことを思うのかもしれないけど。実際のところ、特別強力だとも思えない。
でも深い、地の底に根差すような、怨念としか言いようのない、どこまでも暗く濃い、極大に嫌な気配を感じる。
それほどのものをたった一人で、一時的とはいえ押さえておけるなんて、ベルはすごい魔法使いだ。
でも、近くにいるから感じる。彼女の魔力が凄い勢いで消えていく。
このままじゃ、彼女が持たない。魔法も持たない。
なんとかしなくちゃ!
いま足りない、絶対に必要なものは!?
魔力!!!
だけど、伝説にあるエリクサーならまだしも、ポーションを飲ませたところで、魔力消費に回復が追い付かないのは目に見えている。
いまの状況で有効なのは、もっと直接的な方法。
例えば、造血剤を飲むのではなくて、直に血管に輸血するような。
ベルから感じられる魔力も、彼女が使っている魔法も闇属性。
幸いにも、ここには魔法が使える貴族の子女が揃っているけど、残念ながら、闇属性の者は一人もいない。
ならば、私がやるしかない。
いつも兄が私に合わせてくれていたから、実際に私がやる必要はなかった。
見様見真似。完全なぶっつけ本番。
できるかどうかなんて不安がってる余裕はない。
兄が変化させた魔力。ベルから感じ取れる魔力。
闇、闇の場合はこう、どろッとしていて重くて、なのに純粋で…でも、彼女の場合はそれだけじゃなくて、中に一点だけ光の気配がある。
納得。これはたぶん、別素材の骨格を持つ、ソフィア二号と同じだ。
もちろん、様々な条件をそろえる必要があるのだろうけど、場合によっては、単一属性の魔力を用いるより、強力な魔法になるのだろう。
燃費は、べらぼうに悪いみたいだけど。
翳された彼女の腕を掴み、変質させた自分の魔力を流し込む。
「…っ! バーランド嬢! これは!」
気が急いてコントロールが甘くなって、ちょっと荒っぽくなってしまったけど、ちゃんと彼女の体に馴染んでいる。
しかし、それもどんどん彼女の行使する魔法に吸われてしまう。
私は片手でポーションを取り出し、ああ! なんでアンプルにしておかなかったんだろう!!
ベルに倣って嚙り付いても、二度三度、捻って開けるのは難しい。やるしかないけど。
「…開ければいいのね?」
足が痛んで立ち上がれず、ソフィア二号に抱かれている令嬢が、精一杯手を伸ばしている。
私は頷き、なんとか残った魔力でソフィアを動かした。
転がり落ちるように床に下りた彼女は、いざり寄ってきて、ポーションの蓋を開けてくれる。
一気に飲み干すと、おなかの中から力が巡る。
気付けば、前世のモデル並みにすっきりしていた体のラインが、すぐにふっくらしてくる。高いカロリー吸収率と、それを上回る魔力回復率。特殊体質万歳!
さっきまで震えていた令嬢が、顔を上げ、声を張り上げる。
「皆さん! どうか、お手持ちのポーションを彼女に…」
「おう、使ってくれ」
「何本も飲み続けるのはきついだろうが、気張れよ!」
「相手に合わせて魔力供給できるなんて、すげぇな!」
次々差し出される、ランクのまちまちなポーション。そして、じゃらじゃらと限界まで追加される装備品。
「これ、けっこう魔力溜めてあるから」
「ちょっとだけど魔力効率、上がる腕輪!」
魔力が増えれば、少しだけ考える余裕も出てくる。
「ベルさん! ダーさん! ソフィア二号を使ってくれませんか!?」
彼女たちの言う器がどういうものなのか、よくわかっていないけど。
強靭な肉体というのならば、ソフィアは誰にも、何にも負けない。
「…確かに、バーランド嬢のゴーレムは強いけど、でも、そういう強さじゃ」
「ダーさん! ソフィア二号のいちばん脆いと思う所を思いっきり切ってみてください!」
「…いや、しかし、俺が器になれば」
「ばっかやろう! とっととやれ! つうか、オレがやってやるよ!」
ケビンが大剣を片手で軽々抜き放ち、流れるようにもう一方の手を添えると、気合一閃!
ガンッ。
くぐもったような鈍い音が響いたが、ソフィア二号はびくともしない。
残り少ない魔力でもって、彼女にドレスの襟を軽く下げさせると、黒い首筋が見えて、しかし、そこには傷ひとつ付いていなかった。
「すっげ! なんだこりゃぁ! 手がしびれちまったぜ!!」
興奮したケビンの言によると、彼の一撃は龍種も葬り去ることができるらしい。
ソフィア二号、すごい!
「ベルさん?」
「…これなら」
つぶやく彼女は泣いていた。
「やるよ! どいて、ダー! 後でたんまり説教してあげるから!」
『この、忌々しい、生者どもが! 縛めを解け! 我を解き放て! 奴らに復讐をさせろぉぉぉぉ!』
死者も危機を感じるのかと、妙に感心する。
「封印!」
そもそもリッチなどと会話する気は微塵もないのだろうベルは、容赦なく魔法を行使する。
後から聞いた話によれば、人型というのは精神体を封じ込める器として最適なのだそうだ。
レイスが発していた、身の毛もよだつような不快な音が途切れる。
素早く駆け寄ったベルが、ソフィア二号の額にぺたりと魔法陣の描かれた紙を貼り付ける。
キョンシー?とか、よそ事を考えてしまう私も、だいぶ疲れてるのかしら。
「封!」
正方形の紙が、青白い炎を発して、あっという間に燃え尽きる。
ソフィア二号の額に、赤く浮かび上がった「封」の文字。それは徐々に黒に落ち着いて、もう、間近でじっと観察でもしない限り、彼女の表層と見分けがつかないだろう。
「…できた」
ふらりと倒れ込むベルをダーが慌てて抱きとめる。周りで、わっと声が上がる。
私はおかげさまで、自力で立ち、歩くことができた。
ポーションや装備品を融通してくれた人たちのおかげだ。装備品くらいは、すぐにきちんと返さなければと思いながらも、気になるのはソフィア二号のこと。
命はないけど、私の相棒だもの。
「おい、大丈夫なのか?」
ケビンが、ベルに聞いている。
「封印は、完璧よ」
「しかし、最下層あたりに封じられていたのを、どこぞの阿呆が解放したのだとしか思えん」
ダーが呟く。
「そうね。解けない封印が、ないのも確か…でも、封じてる間は、封じられたものは、殺せないのよ」
ベルらしくもなく、とろとろしゃべっていたと思ったら、大きな欠伸をする。
待って、まだ、寝ないで! 疲れてるのにひどいとは思うけど。
ベルを揺さぶろうとして、力強い手に止められた。
「すまんが、いまは休ませてやってくれ」
「す、すみません」
「いや、俺こそすまん。君のおかげで、彼女は、俺は助かったんだな。ありがとう」
私は慌てて首を振り、早口に言う。
本当はわかっているのだ。こうするしかないと。
「ソフィア二号は、王立の研究所に提出して確認してもらいます。安全かどうか。そうすれば、これからどう扱えばよいのかもわかると思うので」
「ああ…」
この、ごつい中年の男が泣いているのを見ていいのは、たぶんベルだけだろう。
私は、ソフィア二号を抱きしめたいのを我慢して、さっとポケットにしまう。
「よくやった。大したもんだ」
ゲイルが、私の頭をがしがし撫でてくれたのは、慰めてるつもりだったのかなぁ。
「よっし、皆、一度、外に出るぞー! まだ戦ってる奴らもいるからな。助けに行ってやらねーと」
「お、おう」
「そうだ、そうだ。うっかりしてたわ」
ざわざわ、がやがやと騒ぎながらではあるが、迅速に外を目指す。
ケビンは、足をくじいた令嬢をひょいと抱え上げ、労っていた。
「あんたも、よく頑張ったな。あんたが気付いて、皆に呼び掛けてくれたおかげで、こうやってまた、日の光を浴びられるってもんだ」
「そんな…」
もともと可愛らしい子が、大いに照れて、ますます可愛い。
クラスメイトではないから、きっと私たちより下の層に潜っていた先輩なのだろうけど、よく考えてみれば、彼女はポーションを飲めば、一人、自力で逃げることもできたはずだ。それでも、怖いのを我慢して、頑張ってくれた。
本当、この子や、皆のおかげだぁ。
探索者たちは、入口を守る衛兵に事情を話す者、怪我人を救護施設に運ぶ者、ダンジョンに取って返す者と、あっというまに役割分担して動き続けている。
私は、気抜けしたグループの一員で、数分経ってやっと再起動。
「ありがとうございました。おかげで助かりました」
あいさつ回りをしながら、返せるものは持ち主に返していく。
いや、私も誰が何を渡してくれたのかわかってないから、自己申告を信じるしかないのだけど。
ポーションに関しては、皆、ギルドなり、学園なりに請求するから、気にしなくていいと言っていた。
まだ戻っていない探索者から借りたものは、ギルドの出先機関に預けておけば、本人に返却してくれるそうだけど、できればお礼を言いたいと思って逡巡していると、ダンジョン内に残っていた探索者たちが、ぞくぞくと外に出てきた。
リッチが封印されると、レイスたちは途端に弱体化。
それでも、並みの人間なら鬱にされてもおかしくない相手なので「どうせ奴らダンジョンから出られないのだし」と、一時退却することにしたらしい。
「なぁに、装備さえ整えりゃ、あんな連中すぐだかんな」
ケビンは探索者仲間を笑わせていたが、一所に固まっている学生たちの所にもわざわざやってきて、少々皮肉気に、大事な忠告をしていった。
いまは大丈夫と思っていても、後で揺り返しがくるのが精神攻撃の怖い所。必ず誰かに相談するように。泣いたり、喚いたりするのもよいとのこと。
「エリス!」
必死の形相で駆けつけてくれたのはハイマン殿下。
人目も憚らず、その腕の中に飛び込んだ私を誰も責められないだろう。




