閑話 私の親友
私は、サンガ・シビユレ・モートレールといいます。
物心ついてからの数年間は幸せでした。その頃の私は、家族や近習に甘やかされて、ぽやぽやと深くものを考えることもしませんでしたから。
ただ、言葉を覚えるのが人より早く、文字も読めるようになったので、好きなだけ本を読み、そのせいか遠くのものが見えにくくなり、それでも、顔を押し付けるようにして本を読み続け、さらに目を悪くしました。
周囲の者たちは、私を神童であるかのように言いましたが、いまも昔も変わりません。私が得意なのは、机の上のお勉強だけ。それを証拠に、自分の生まれ育った国の状況はおろか、眼鏡というものがあることすら知らなかったのです。
どうやら戦争に負けたらしいと聞いたのは、私が国を出る三日前のことでした。
可哀そうにとお母様は泣きましたが、ならばなぜ、そうならないようにしてくださらないのだろうと、不思議に思いました。
いえ、そんなことを考えられたのは、もう少し時間が経ってからでしたね。
その時の私は、ただただこの幸せな環境が壊されることに恐怖し、泣くばかりでした。
有無を言わさず馬車に乗せられ、長い旅を続けるうち、幼いながらに頑張ろうという気になったのも、侍女の言葉を鵜呑みにして、その気にさせられただけのことでした。
自国のものと趣は異なるものの、大きく優美な城に迎えられ、部屋は広く調度品も揃っており、衣装も食事も他の王族と遜色ないものを用意されていたのだと、ずいぶん後になってから気付くのですが、その時の私が思うことといえば、早く家に帰りたいということだけでした。
通訳ができる侍女はいましたが、「お友達」として紹介された令嬢たちは、私の思う賢さとはまるで違うふうに頭が回り、ぽやぽやの私などは、あっという間に追い詰められてしまいました。
ただ震えて耐えるだけになっていた私に、救いの手が差し伸べられた日のことは、決して忘れません。
小鳥のようなと表現されてもいいはずの声で捲し立てる令嬢。
私なりに小さな矜持を持って、背筋を伸ばすことだけは忘れないようにがんばっていたのですが、いつもながら何を言われているのかわからず、脚はひりひりと痛み、もう少しで泣いて逃げ出すところでした。
「****!」
言葉の意味はわかりません。しかし、少女のものでありながら、豊かに響くその声に、私は一瞬、脚の痛みさえ忘れてしまいました。
私の視界は、すべてがぼんやりとしていて、背景の緑の前に、肌色とドレスの色がかろうじて見て取れる程度です。
それでも、彼女が黒っぽい髪をしていることだけはわかりました。
そして、聞き違えようもありません。発音が少々おかしく、片言ですが、確かに母国の懐かしい言葉を聞いたのです。
いつも人と接した後は、両国の言葉がわかる侍女に、相手が何を言っていたのか教えてもらってはいましたが、彼女はあくまで雇われ人。私への悪口など、はっきりと口にするはずがありません。
それでも、声や態度に表れる悪意を感じられないほど鈍くもなれない私です。
「シャルウィー、ダンス?」
え、ここでダンス?と戸惑いながらも、この国に来てはじめて向けられた紛れもない好意に、私は飛び付きました。
彼女の手を取りそこなった私の手を、彼女は…そう、エリス様は、しっかりと握ってくださいました。
その手はやわからく、温かく、そして幼い少女に似つかわしくない力強さを感じました。
いえ、力持ちというわけでなく、感じたのは意志の力です。
もう、大丈夫! 私は、この方に付いていけば救われる!
追い詰められたがゆえの思い込みなどではなく、事実、エリス様は、私を救ってくださいました。
侍女に抱かれ、連れていかれた部屋は明るく、微かに薬草の匂いがして、すぐに、ひりひりと熱を持っていた脚の火傷も、耐えに耐えてきた心の痛みも、きれいさっぱり消えました。
私の目のことには、いままで誰も触れなかったのに、エリス様は、マナーに反した近さで私に一生懸命話しかけ、身振り手振りを交えて、何かを伝えようとしています。
訳がわからぬままに真似をしていると、なんだか楽しくなってきました。ついぞ、忘れていた感情です。
それに浮かれる間もなく、顔に何か少し重いものを取り付けられ、カチャ、カチャっと軽い音と振動を感じたら、なんということでしょう!
人の顔も部屋の内装も、窓の外の景色さえもはっきりと、それはもうはっきりと見えるではありませんか!
はじめてまともに見たエリス様の姿を、しっかと脳に焼き付けます。
その声や手と同じ、ふっくらと温かみのある、とても可愛らしい方です。間違って、地上に降りてこられた天使でしょうか?
そうに違いないと、これまで本で学んできた常識を本気でひっくり返したくなりました。
いえ、すでにひっくり返っていましたね。
彼女と会い、言葉を教え合い、話せば話すほど、それは確信に変わっていきます。
私の容姿は、王国の方々とはまるで違うのに、エリス様は何のためらいもなく、お友達になってくださいました。
その微笑みで、言葉で、全身で、私を好きだと示してくださいます。それが、涙が出るほどうれしかった。
どれだけ親しくなっても、敗国の王女としてお話しできないこともあり、それを申し訳なく思う私の気持ちすら、やわらかく包んでくださいます。
そんな大らかさと、打てば響く聡明さが、一人の内に無理なく納まっていることに感動を覚えずにはいられません。それがどれだけ稀有なことであるか、経験の浅い私でもわかるからです。
そのような方が私の容姿、考え方、勉学に励む姿勢をことあるごとに褒めてくださいます。私は、その言葉に相応しくありたいと、なお一層励みました。
彼女に頼りきりになって、嫌われてしまうのも怖かった。
私はこの敵国、しかし、やさしいエリス様のいらっしゃる王国で、なんとか独り立ちして、彼女にふさわしい友として生きていきたいと考えるようになりました。
もちろん、母国の家族のことを忘れたことはありません。
エリス様のご婚約者ということで、第三王子殿下とも交流するようになり、王城の居心地はだいぶマシになりましたが、それでも陰口や些細な意地悪はなくなることがなく、それでも耐えていたのは、幼い弟妹を思えばこそです。
しかし、それは思わぬ形で裏切られました。
思いがけないことには、良いことも悪いこともあるのですね。
うれしい誤算は、第二王子殿下にお声がけいただけたこと。
これもまた、エリス様の働きかけがあってのことと知って、私はどうやってこのご恩に報いたらいいのかと…ええ、本当は手を合わせて拝みたいところなのですが、そんなことをしたらエリス様は嫌がるでしょうから、それはしません。
やっと里帰りを果たし、再会できた家族に白い目で見られたことは、身を切られたようにつらかったけれど、その時、私の隣にはディーバイ王国第二王子殿下がいらっしゃいました。
甘さなど微塵もない冷めた目で、私の家族をご覧になり、次いで私をご覧になり、ニッと自信ありげに微笑まれました。
とっさに同じように笑みを返えすと、その仕草を追いかけるように心が自信を取り戻し、おかげで鍛えに鍛えた脳が回転しはじめました。
本当に馬鹿な人たち。せめて表面上だけでも私を労い温かく迎えれば(自分で言うのもなんですが)かなり強力な聖魔法の使い手が手に入ったのに。
モートレール共和国では、王侯貴族の子女は十歳になると、特別な部屋で儀式を行います。それまでは魔力の量も質も知らないままです。
端的に言ってしまえば、大きな魔法陣の上に乗るだけなのですが、その時はじめて魔法に目覚め、自分の属性を知るのです。
本当のことを言えば、少し期待していました。これだけ母国の為に尽くしてきたのだから、共和国の王女として、儀式を執り行ってもらえるのではないかと。
結果はご覧の通り。
ディーバイ王国第二王子殿下は、そつなく公務をこなされ、先程の笑み以外、神妙な表情を崩しませんでしたが、心の中では喝采していたことでしょう。
もともと、顔を合わせれば挨拶をするくらいで、私にまったく興味を持たれていないことはわかっていました。
でも、私とすれば、攻撃されるくらいなら無視される方がよかった。むしろ、そのなんの感情も浮かばない視線を、やさしく感じたくらいです。
そんな方が突然、近付いてきたのですから、何かあるなとさすがに気付きます。
それでも、三度、普通にデートに誘ってくださったのはよかったですね。無駄を嫌う方が、私のためにそれだけの時間と労力を割いてくださったのです。私は、理由はよくわからないながらも、自分の価値が上がったのだと自覚しました。
第二王子殿下と一緒にいると、ドキドキするのは本当です。恋をしていると思います。彼も私を大事にしてくださっています。
ただどうしても、他の思考が多くを占めるのはお互いさまで、王族でありながら、何の打算もなく人を愛せるのは、ハイマン殿下くらいです。もちろん、お相手をエリス様に限ってのことでしょうが。
家族が冷たくしてくれたおかげで、潜在的な「聖女」はディーバイ王国に帰ります。
大昔のことはさておき、魔法を発現させる仕組みだけを見ても、二国の技術力の差はとても大きく、いまの私ならば戦争に負けて当然だったとわかります。
そもそも「魔法の種」の噂を聞いただけで、モートレール共和国の首脳陣は、そのことに気付かなければいけなかったのに、我が家族に至っては、いまだ共和制の意味さえ分かっていないようでした。
帰りの馬車の中では様々な思いが去来し、少し泣いたりもしましたが、おかげで覚悟が決まりました。その間ずっと、放って置いてもらえたのですから、私は大事にされています。
彼を馬車に例えるならば、この上もなく高性能で、シャープなデザインの高速馬車です。多少制御には気を遣いますが、安全性も高く、私の立場と能力で乗れる最高のものでしょう。
ここまで引き上げてくれた親友の為にも、私はこの馬車に乗って、行けるところまで行ってみます。
しかし、良くも悪くも、私は理屈だけの女。
エリス様が、私が母国で受けた仕打ちについて共に泣き、憤った後、私の教会と戦うという意思を汲み、示してくださった道の何と歩きやすいこと!
一先ず、彼女に励まされて脇目も振らず、学園の進級試験を次々突破。
もともと魔法の使えない私は、魔法実技の授業は見学するだけでよいことになっています。
ほっと一息吐いていたところ、エリス様が申し訳なさそうに「ちょっとした儀式をしてくださらないかしら」とおっしゃいました。
聞けば、週に一度、せっせせっせと下層街の比較的きれいな場所で炊き出しをしていた公爵令嬢たちを尻目に、エリス様は森に新しい住宅を作られていたそうです。当然、炊き出しなんてしていません。
なのに、気付けば私は、貴族たちよりも圧倒的に数の多い民衆に「聖女」と呼ばれており、その勢いでもってディーバイ王国王家より「魔法の種」を下賜されたのでした。
「それを飲んでね。三週間しかないのが申し訳ないのだけど、欲を言えば、小規模でよいので純白浄化を使えるようになってくださるとありがたいわ」
「え? ええ! エリス様が、そうおっしゃるのであれば」
私は、魔法が使えるという喜びに浸る間もなく、必死で練習をしました。
よくエリス様が「魔力合わせ」に誘ってくださっていたおかげで、初級の魔法であれば、朝から晩まで使っても魔力が持ちます。
しかし、中級あたりから一回に消費される魔力量が跳ね上がり、思うように練習ができなくなりました。
ポーションを飲んだからといって、そう簡単に魔力は回復しません。もどかしく思いながらも、何度も何度も詳細に手順を思い浮かべ、地道に魔法を行使すること数週間。
どうにも時間が足らず、その効果範囲はまだまだ狭いものですが、母国から携えてきた魔導書が、大いに役立ってくれました。
エリス様の作られた住宅は、地に生えている木をそのまま利用しています。まるで物語に登場するエルフの住まう森のようです。
中央に開けた場所があり、横に長い大きな石碑が立てられ、エリス様がおっしゃるには、そこで手を合わせるだけでも死者を弔うことになるのだそうです。
もちろん、森のそこここにある墓標を探して祈るのも自由で、ただ、その場合は魔獣から身を守り、また、森に踏み迷わないよう、墓守を同行させてはどうかというお話でした。
そして、今日この時。
森の入口には、信じられないくらい多くの民衆が詰めかけています。幾重にも連なる護衛騎士が、私を守ってくれているとはいえ、正直、怖いです。
自分の肌や髪の色に対する王国人の反応には慣れているつもりでしたが、民たちには貴族とはまた違った残酷さがありました。
しかし、エリス様に「ぜひに」と頼まれたことです。やり遂げねばなりません。
私は、護衛騎士が並んでつくった通路をしずしずと進みます。
エリス様がお兄様に頼んで誂えてくださった純白のローブは、豪奢でありながら品もよく、何より私を守るための魔法がごまんと付与されているそうなので、いまはそれが与えてくれる安心感に縋らせていただきましょう。
一通りの流れをご説明くださったエリス様ですが、裏方は顔を見せない方がよいだろうと、この場にはいらっしゃいませんでした。
とても心細いですが、木々に季節外れの花が咲いているのもまた、エリス様の気遣いに違いありません。
石碑の両脇には、遠巻きにする民衆にも見えるように、頑丈な台に乗せられた、これまた頑丈な檻があって、その中にはホーンラビットとスプラッシュウルフがそれぞれ入れられ、恐ろしいほどに鳴き、吠え、暴れています。
私はいまさらながらに、エリス様の慧眼に舌を巻きました。
純白浄化の効果を、この王国の人々は誰一人として正確には知りません。ええ、知らないはずでした。
真実が記されている書物はたったの二冊。私が持ち出したものを除けば、魔法発祥の地とされる母国の禁書庫で、いまも埃を被っているはずです。
私はごくごく自然に頭を垂れ、手の平を上に、両の手を掲げます。
舞台の台詞のように、何か民衆にもわかりやすい演出をとアドバイスされてはいましたが、エリス様を思えば、心からの言葉が口をついて出ます。
「私はいつでも、あなたの温かな眼差しを感じています。慈悲深き御方よ。この恐ろしき穢れを払う力を、どうか私たちに与えたまえ。純白浄化」
白き光は、広場を囲む樹木を一つ二つ越えたあたりまでしか届かず、すぐに消えてしまいましたが、その後には、しわぶき一つ聞こえない静寂が訪れ、顔を上げれば、ただただ静かに涙する者ばかり。
ああ、私にもあの魔法の効果がありました。
邪念は消え、ただ心静かです。
それでも、ざわざわと次第に大きくなる騒めきに心が騒ぎます。
「おい、あれ!」「本当か?」
人が人を掻き分け、伸び上がり、口々に叫び、指差す方に目をやれば、檻の中の魔獣は、もう、ただの兎と犬にしか見えません。
「聖女様だ」「本物だ」「ああ」「私たちは救われる」
いつの間にか騒めきは一つになり、周囲に響き渡ります。
「「「「「「「「「「聖女様!」」」」」」」」」」
「「「「「「「「「「 聖女様、万歳!」」」」」」」」」」
エリス様の声が聞こえるようです。「よかったですわね、サンガ様」と。
私は、限られた環境の中で、精一杯、努力してきました。それは胸を張って言えます。
しかし、私はちっぽけです。頭でっかちで、全体を見る余裕もなければ、変に計算高くて、思いやりに欠けるところがあります。
それでは、これほど多くの人は動きません。
第一、この規模の式典を行うには、王家の方々の助力が必要不可欠です。
特に力を貸してくれたのは、二人の王子たちでしょう。そんな素振りさえ見せず、もちろん、恩着せがましいことを言うわけでもなく、大変にありがたいことですが、どこの王家にも王家の思惑があるものです。
でも、そんな彼らを動かしただろうエリス様には、何の得もないのです。
あの方は、あくまで私のために…そう。その昔、苦痛しか感じられない茶会から私を助け出してくださった時のように、すべてをご用意くださったのだと、私は深く深く頭を垂れます。
言葉を尽くして礼を述べたところで、「あなたが頑張ったからですよ」と笑うだけなのでしょう。
唯一無二の友であり、無私の天使。あなたにとこしえの栄光あれ。




