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閑話 僕のエリス⑨


 早く、エリスに逢いたい。

 荘厳な建造物の中心部で、それなりの重要人物として儀式に参列しながら、僕が思うことは決まっている。

 そつなく義務を果たしたら、それこそ飛んで帰りたいのに、そうもいかない厄介な身分と立場。

 移動自体に時間が掛かる上に、道々、有力者の屋敷に立ち寄って、歓待されなければならない。

 顔つなぎをし、さまざまな情報を得るには、とても有効な手段だとわかってはいるのだが。

 仮にも将来、国の外交を担おうというのだ。もちろん、宿泊日数や、尽くすべき言葉の数を、勝手に省略するような真似はしない。

 夏の暑さも峠をすぎた頃、やっと我がディーバイ王国の王城に帰り着く。

 両親も二人の兄もまだ帰っておらず、面会を求めてきた宰相と話をするのもそこそこに、僕は、バーランド伯爵邸へと先触れを出した。

 なぜ、エリスを呼びつけないのか?

 バーランド伯爵邸の方が、使用人たちが堅苦しくなく、エリスを大事にしている僕に好意的で…つまり、彼女と仲良くしても、多少のことならば見逃してくれるからだ。

 エリスの兄は相変わらず研究所に詰めていて、両親は別荘から、まだ帰っていないということで、一人、玄関先で出迎えてくれたエリスは、きちんと身形を整えてはいたが、夏の暑さに参っていた様子が隠しきれておらず、それが憐れでもあり、同情すべきだと思う端から、いくぶん嗜虐的な庇護欲をそそられて、そんな自分に僕は慌てた。

 自分の格好悪いところをたくさん見せて、仲直りした時から、僕のエリスに対する独占欲はいや増した。

 速足になる自分を抑えられなかったところに、「おかえりなさいませ」などと可愛く微笑まれたから堪らない。

 無言で抱擁する僕を、エリスはすんなり受け入れてくれた。よかった! 嫌がられでもしたら、立ち直れない。

 汗ばむ陽気であっても、意外に冷えていた背中に、やわらかな指からじわじわと体温が伝わってくるのが、泣きたくなるほどうれしい。

「…ただいま、エリス」

「お勤めご苦労様でした、ハイマン殿下。…あの、喉が渇きませんか?」

 照れている彼女も可愛い。

 このまま腕を解かず、彼女を困らせたい誘惑をなんとか振り切る。

「ああ。よかったら、マロウティーを、僕も飲んでみたい」

「はい! では、こちらへどうぞ」

 一旦、頭を切り替えて、宰相から聞いた話を、さらにエリスから詳しく聞く。

 彼女は、自分がしたことが越権行為に当たるのではないかとひどく心配していて、僕は、なぜ、もっと早く帰ってこなかったのかと後悔することしきり。

 ああ、でも、時は戻らないのだから、いま目の前にいる彼女に集中しよう。

「いや、よくやってくれた。さすがはエリスだ。大したものだよ」

 事実を言えばよいだけなのだから、不満があるとすれば、それは、自分の語彙のなさと、その場に居合わせられなかった不運だけだ。

「帝国とは事を構えない方がよいというのは、僕たちの間でも、また両親や兄たちとも合意していたことではないか」

「そうですよね」

 自身の胸に手を当てて、ほっとしたように何度も頷くエリス。

 帝国の第十一皇子殿下と、その側近のご機嫌を回復するだけでなく、将来を見越して手を打った彼女の手腕は、身内びいきの宰相をして、驚嘆するべきものだ。

 この大陸の中で、ディーバイ王国は強国であると言っていい。いくつもの属国を従えて、さらにその路線を突き進もうとする主戦派も少なからずいる。

 しかし、彼の帝国に関しては、そのようにする旨味は薄かろうというのが、首脳陣たちの共通した意見だ。

 多くを海に面して、横に細長い国土。その治め難さは、彼らの国民性にも起因する。

 向こうが戦を仕掛けてくるのをこれ幸いと、打ち負かすことはそう難しくはないはずだが、彼らは最後の一兵になるまで降伏せず、捕虜になるくらいならと自刃してしまうだろう。

 塩や海産物をはじめとする海からの資源と、他大陸との交易は、大変魅力的ではあるが、我が国では航海術などろくに育っておらず、戦によって多くを死に追いやれば、彼らが抵抗の意志を持ち続ける以前に、その巨大な船を動かす人員が足りないという状況になる。

 また、広い国土に反して農作物の収穫高は非常に低く、そこへもってきて、働き手を多く失えば、国土はさらに荒れるだろう。

 相当に豊かな土地でなければ、入植しても割に合わないのだ。

 そこで根本的な話になるが、国が戦争を起こす要因を、家族はもちろん、エリスとは何度も話し合っている。

 国内に不安がある場合、仮想敵を設定し、民衆の気を逸らすというやり方がある。

 エリスはそれを認めながらも、飢え、追い詰められれば、やぶれかぶれに鼠ですらも猫を噛むだろうと言った。

 その考えに僕は大いに感心し、国王はじめ王妃、二人の兄たちも、それを認めた。

 戦をして国土を荒廃させては、植民地としての価値も下がる。

 エリスは今回その考えに基づき、まず、帝国民を飢えさせない方向へ、彼の幼い皇子とその側近を導いた。

 相談できる相手がろくにいない中、さぞや不安だったことだろう。

 子供を楽しませるという、もてなしの中に紛れ込ませたのは、彼女曰く「保身」らしいが、いや、過不足なく見事なものだ。

「程が良いとはこのことだ。あまり恩着せがましくしては、いくら良い方策とはいえ、あちらも素直に呑むことができなかっただろう」

 手放しで褒めると、エリスは素直に喜びながらも、わずかな悔恨を見せた。

 第十一皇子殿下に、魔力を自覚させるべきかどうか迷ったというのだ。

 彼が魔力なしというのは有名だが、エリスに言わせれば、魔力のない人間などいないらしい。

 それでやっと、僕は彼女が、あの幼い皇子を帝位に就けたらどうかと考えていることに気付いた。

 その深い緑の美しい目で、どれだけ先を見ているのか、まったく恐れ入る。

「いや、エリスの判断で間違いなかった。彼もまだ幼いし、その時期は陛下たちとも話し合って決めよう」

 今回のことだけでも、あちらは十二分に感謝しているだろう。

 一遍にすべてを与えるより、小出しにして、その気持ちを持続させる。売った恩は、なるべく多くのカードに変えようというのは、ずる過ぎる考え方か?

 でも、そんなことでエリスが僕を非難しないのは、もうわかっている。

 彼女もそう考えたからこそ、思いとどまってくれたのだろうから。

 え? それも保身だったと。

 立場やこれまでの態度を思えば当然だが、宰相よ、まったくエリスに信用されていないな。

 いや、用心することは大事だ。

 それはそれでいい。「魔力合わせ」を遊びの範疇に収めて認められるのは、バーランド伯爵家くらいだろうから。

 同じ籐製の椅子に並んで座り、僕は彼女と同じ方向を向いて話ができる幸せを嚙みしめる。

 その後、エリスに裏庭を案内され、彼女が急ぎ行ったという実験に驚嘆することになる。

「これならば、自国だけを富ませればいいものを、やすやすと知識を流失させてとお叱りを受けても、なんとかお許しいただけるかと」

 彼女は敷地を四つに区切り、別々の作物の栽培と、休耕もしくは畜産を循環させることで、格段に収穫高が上がることを証明してみせたのだ。

 これには、後日、王城に帰った王族、貴族たちも大いに感心し、特に、内政に力を入れたいと考えている小兄様は狂喜していた。

 どの本にあったのか、誰に聞いたのか覚えていないけれど、自分で考えたことではないと、エリスは言っているが、隣国の農法は門外不出で、そのさらに上を行く「輪栽式農業」は、これまで誰も、思い付きもしなかったことだ。

 自身の名前を出すことを良しとせず、せっかくの実験結果と考察を、すんなり王家に献上することで、また、彼女とバーランド伯爵家の株が上がるということに、本人はまるで気付いていない。

 そう。どんなに伏せても、知っている者は知っている。

 僕は誇らしく思いながらも、どうすればエリスをあまり人目に晒さず、僕だけのものにしておけるのかと考えて、ため息を吐くのだった。



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