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47、遅れてやってくる


 我がバーランド伯爵邸は、けして狭くはないのに、大きく響いてくる声がある。

 周りは何を言っているのかわからないけれど、必死にその声の持ち主を止めているようで、しかし、時々掠れ、低くなったりする、割れ鐘のような響き方に、調子が良くない時の拡声器を思い出す。

『…我が婚約者に会うのに、許可などいるか!…ええい、押し通る!』

 どこの戦場ですかと言いたい勢いの、声の持ち主はハイマン殿下!

 普段から礼儀正しく、従僕さえも思いやるやさしい方が、たぶん、お父様や家令を押し退けられて、ずしん、ずしんと、原始的なゴーレムみたいな足音を立てて近付いてくる。

「ハイマン殿下よりいただいた、クリーム色のガウンを」

「はいっ」

 侍女が本領発揮とばかりに素早く動いて、さっと髪に櫛を通し、左肩の上で纏めることまでしてくれる。しかも、ちゃんと殿下からいただいた紫のリボンで。

 この子、本当に気が利くわ。

『エリス!』

 果たして、ぐいと引き開けられた扉から現れたのは、確かにハイマン殿下なのだけど。

「そ、そのお姿はいったい」

 侍女が思わず問い掛け、絶句するのもわかる。私が知っている物の中では、潜水服がいちばん近いかな?

 しゅーごー、しゅーごーって効果音を当てたいくらい。

「ハイマン殿下、このような格好で失礼いたします」

『よい。そのまま』

 そう言ってくれるのはわかっているので、ベッドから下りようとするのは、あくまで振りだけ。

「お加減はよろしいのですか?」

『エリスこそ、大丈夫なのか!? 腹痛で倒れたと聞いたぞ』

 ああ、やはりこの方は、自分より私の心配をなさるのだ。本当に、私は、何を怯えていたのだろう。

「はい、この通り落ち着いております。あの、殿下、まずはその装備をお解きになりませんか? さぞや重いのでは」

『いや、エリスの開発してくれた樹脂のおかげで、これでもだいぶ軽くなったと聞いている』

 つまり、重いのですね。

「殿下、大事はありませんでしたが、いろいろ不安で、殿下のお顔を直接拝見して、安心したいのです。無礼なお願いかと思いますが」

『無礼などということがあるものか! だが、私の病をエリスに移したくない。結界(バーリア)の指輪だけでは、どうにも心許なくて…』

 本来は、下水道の清掃時に、平民が使用する作業服なのだとか。「外界と完全に空気を分けられる装備の中で、いちばん頑丈なものを用意せよ」と言ったら、これが出てきたらしい(一応、新品)

 子供サイズなどないだろうから、成人男性を想定した、いわゆるSサイズだと思うが、それを多少だぶつかせながらも行動が可能なほど、ハイマン殿下は成長なされた。

 感慨深いものがあるだけに、それとのギャップで、彼が真剣になればなるほど、私はさっきまでシクシク痛んでいたおなかの中が、くすぐったくて仕方がない。

 笑うに笑えないし。

 そうよ。傍から見たら、どんなコントよ?って話。

 だいたい、こんなに早く駆け付けるなんて。

 私がお世話になった治療師は、民間人を診る方だ。なかでも貴族に呼ばれる者と、平民ばかりを診る者には明確な差があるが、それも王家専属の、いわゆる御典医からすれば十羽一絡げ。

 つまり、よほどの大事でなければ、私を診た治療師が、王城に報告などしないということ。そして、実際、病気でもなんでもなかったのだし。

 なのに、このタイミングで、ハイマン殿下が現れるということは。

 当てずっぽうで、天井の隅をにらむと『フフッ』と風のような声が聞こえたような、聞こえなかったような。

 こんな無骨な装備で、私に触れていいものかと躊躇うように、中途半場に差し出された殿下の手に、手を添える。

 なんとか、この潜水服もどきを脱いでもらわないことには、真面目な話なんてできっこない。

「あの、殿下。このようなことは、大変申し上げにくいのですが」

『…なんだ?』

 怯えを含んだ声が、一層かすれて響いてくる。

「殿下はお風邪を召しておられるということでしたが、お熱はありませんの?」

『ああ。それは大丈夫なのだ。頭痛もせぬし、だるいということもない。ただ、喉の具合がずっと思わしくなくて…』

 何か引っかかるようにでも感じるのか、無理に咳払いをする。

「治療師には診せたのですか?」

『ああ。風邪だろうというので、何度も治療(ヒール)を掛けさせたが、あまり効果がないようだ。未知の病かもしれぬから、他に移さぬように用心して、いまは、過去にも同じような例がないか、その治療師が必死に調べてくれているところだ』

「あの、緑がかった銀色の髪をした方ですか?」

『ああ。彼は熱心で、真面目で、王侯貴族にも毅然と意見ができる。治療魔法の腕もよい』

 ええ。そして、少し、おっちょこちょいなのですよね?

「殿下。まことに申し上げにくいのですが…殿下のそれは、男子が第二次成長期を迎え、大人になった証、つまり、声変わりでは?」

『え?』

「声変わりです。殿下は、背も高くなられ、体つきもだいぶ男らしくなってこられました。外から触ってどうですか? 喉仏なども出てきたのではないですか?」

 不敬すれすれ、恥ずかしくもあるが、大事なことだ。第一、本人に自覚してもらわないことには、話が進まない。

 殿下は装備の上から喉を触ろうとして、しかし、身に覚えがあるらしい。

 急に、装備の重さに負けたように、床に膝をつかれた。

「殿下!」

 慌てて身を乗り出すと、バランスを崩しかけた私を押し戻す形で、ベッドの端に上体を伏せる。

 恥ずかしいらしい。そりゃあね。

 これだけ大袈裟にして、なんともなかったって。さっき、私も体験したところだから、よくわかるわぁ。

 しばらくして、やっと、フルフェイスのヘルメット部分をぎゅこぎゅこと音を立てて外すハイマン殿下。

「…よくわかったな。さすがは、エリスだ」

 きまりが悪そうに、それでも、私に敬意を表してくださる。

「いえ、私も…」

 自分の体の状態と、数カ月前、すでに声変わりしていた二コルに会ったことから、導き出せた答えだ。でも、二コルのことは言わない方がいいよね。いまの私なら、それくらいの判断はできる。

 まず、侍女に手伝わせて、殿下に装備を解いてもらう。

 気の利く侍女は、殿下の為に椅子を用意していたが(いつの間に!)殿下の縋るような視線に応えて、ベッドの縁を軽く叩く。

 うれしそうに横座りされる殿下が、ちょっと可愛い。

 ああ、でも、こういうのって、どう言ったらいいのか。

「…ハイマン殿下。私も、今日、大人の女になりました」

 無言でじっと、見つめられて顔が熱くなる。

 紫の宝石のような瞳を過ぎるのは、驚愕、恐怖、怒り、疑い、思慮、理解、そして、喜び!

「エリス! おめでとう! 私もうれしいよ!」

 さすがは王族。彼らにとって一番と言ってもいいほど大事なことだ。よく学ばれている。

 そっと私の手を取り、口づけ、自身の額に押し当てられた。

「君が聖母になる日が、待ち遠しい」

 どっえぇぇぇ!!! この方、わかってるとは思ったけど、わかりすぎてる! しかも、気が早い!! 早すぎるぅ。

 …いや、私が遅いのか?

 婚約するってことは、結婚するってことで。結婚するってことは…おぉぉぉぉぉ。

 いままで、微塵も考えていませんでした。

 よじよじと近寄ってきて、抱き寄せようとする殿下に抗う気力も体力もない。

 成すがままですよ。侍女もいるし、それ以上のことは、なかったけどねっ!

 素直に、自分の気持ちを話そうと、殿下も決められてこられたようで、私たちは脈絡もなく色々なことを話した。

 まず、二人きりの時は、過剰な敬語はやめることにしようということになった。

 殿下は、とても素直に、二コルに嫉妬していたのだと打ち明けてくれた。

 私も、サンガに嫉妬したこともあったし、アイリーンが殿下に触るのがすごく嫌だったと告白した。

 殿下は私に、無理に自分の仕事を手伝わなくていいし、やりたいことをやってよいと言ってくれた。

 私は、けして嫌なのではなくて、ただ、自分の力が及ばないことがどんどん増えて、殿下に役に立たない女だと思われるが怖いのだと、やっと口にすることができた。

 殿下はとても驚いて、たくさんの否定の言葉を重ねた。

「役に立たないなんて、いや、その言い方は、なんか嫌だな。エリスは、僕にとって大事な大事な人だ。役に立つとか立たないとか、そんな打算的な考えを持って見たことは一度もない。ただ、尊敬はしている。でも、そのせいで君に無理をさせていたなら、悪かった。君がいつも、僕に言ってくれるように、エリスも、がんばりすぎないでおくれ。君は、エリスは、そこにいてくれるだけで、僕に勇気とやすらぎを与えてくれる、唯一無二の人だ。愛しくて、愛しくて、しかたのない人だ」

「私も、殿下。ハイマン殿下をお慕い申し上げております」

 そう。今回のことで、しみじみと深く、思い知った。彼と会えないのが嫌だ。声を聞けないと不安だ。

 家族や友達、たくさんの知り合い。その中で誰が一人だけを選ばなければならないとしたら、とても苦しむだろうけど、きっと私はハイマン殿下を選ぶ。 

 そのことに気付くまで、とても時間が掛かって、彼にたくさんの余計な心配をさせた。

 私は、自分がどれだけ愛されているのか、自分が、どれだけ彼に惹かれているのか、まるでわかっていなかった。

 この真新しくぴかぴかの気持ちを、彼にきちんと伝えたい。うっかり、落としてしまわないうちに、壊してしまわないうちに。

「本当に、至らない女ですが…あなたが、好きです。大好きなんです」

 言えた。言えた自分が幸せだ。

 潤む殿下の瞳を見て、深く深く、心の底まで揺り動かされる。

「その…エリスがどんな姿でも、愛しているよ」

 華奢な私の肩に腕が回りきって余ってしまうことに、戸惑う殿下。

 それは、私だって、今風のオシャレをしたり、周りから羨望の目で見られたいと思うこともあるけれど。

 それは、一人の時にこっそり楽しんでもいいわけで。

「私、食べるのが大好きで、なかなか我慢はできそうにないです。ええ、正直なところ」

 ほにゃりと笑う殿下が可愛い。

 ええ? そんなことくらいで幸せになっちゃうの!? なんて驚きながら、そうなってくれて、ほんとは私もうれしい。

 それでも、乙女心に付随する、ちゃちなプライドを守るためにも、ウエストに辛うじてくびれがあるかなぁ~ってくらいのラインは守りたいもの。

 はぁ~、やれやれ。人間って幸せでも泣けるのね。

 互いの涙を拭い合って、抱き合って、殿下がしみじみ「早く結婚したいな」と言うので、あまりの気の早さに、思わず笑ってしまった。

 少し落ち着いて考えてみればねぇ? 

 それによって争いを収めたり、他の有力者を出し抜いたりと、よほど切羽詰まった事情があるなら、そういうこともあるだろうけど。

 一応、この国は平和で、王太子や第二王子に比べれば、重要人物ではない私たち。

「いくらなんでも、早すぎます」

 殿下も「そうだな」と言って笑っていた。ちょっぴり残念そうだった。 



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