閑話 エリス様の人形
私は、マノーン。セカンドネームも家名もあるが、そんなことはどうでもいい。
私は物心ついた時から、「人形のような子だ」と言われていた。
笑いもせず、泣きもせず、ろくに口もきかず、何を考えているのかわからない。「気味が悪い」と。
よく覚えてはいないのだが、私も、最初からそうだったわけではない。
後から思えば、普通の子供より希薄ではあるが、何かを感じ、喜んだり悲しんだりしていたはずである。
父と母は、顔を合わせれば互いを罵り合っていた。
子供であれば誰もがそうであるように、そんな時は私も、なぜだか悲しくなって泣いてしまう。
母が「なんて辛気臭い子だろう」と言うので、なんとか笑って見せると、父が「何をにやにやしているんだ」と言う。
私はどうしていいのかわからず、もともと多くなかった口数はほぼゼロになり、気付けば使用人にまで「気味が悪い」と言われていた。
貴族の令嬢として、それではさすがにまずいと思ったのか、隣の屋敷で開かれる、詩の朗読会に参加させられるようになった。
使用人が言うには、母が父とは違う男と会うのに、私が邪魔らしい。
私の心は、使用人の悪意にさえ、まったく反応しなくなっていた。
隣の屋敷の主は、老齢の前公爵夫人で、王家と遠い親戚なのだとか。
集まった婦人たちの、囁き声を聞くともなしに聞く。「矍鑠」とか「気位が高い」とか「機嫌を損ねないように」とか。
皆、私と同じで、来たくて来ているのではないのだと、ぼんやり思った。
中に一人だけ、私と同じくらいの歳の女の子がいて、さすがの私も少し驚いた。
ちょっぴり、うれしかった気もする。
でも、私は、それを表現できない。例えば、ぽんと詩集を渡されて、これを読み上げなさいと言われたならば、それを行うことはできるのだが。
いつものように、にこりともせず、ろくに返事もしない私に、その少女は何度も話しかけてくれた。
とてもやさしい笑顔と、けして押しつけがましくはない、可愛らしくも豊かな声。あたたかな雰囲気。
「私のことはエリスと呼んでくださいな」
「この紅茶はとても良い香りですね」
「マノーン様は、この詩集の中では、どの詩がお好きですか?」
一通り、詩を読み上げて、あたたかな紅茶も、色とりどりのお菓子も並んでいるのに、和気あいあいといった雰囲気には程遠い。
眼光鋭い、顔の皺さえも何かを言っていそうな高貴な夫人に、皆が委縮している。
例外は、エリス様。にこにことお菓子を頬張っている。
たまらなくなったのか、彼女の隣、私とはエリス様を挟んで向こう側に掛けていた中年の婦人が、皆に聞こえるくらいの声で頼む。
「エリス様、この間のあれ、見せてくださらない?」
エリス様はおっとり微笑んで、この会の女主人をに顔を向ける。
「公爵夫人。ここは詩を朗読する会であることは心得てはいますが、いまはちょうど休憩中。私の拙い趣味ですが、ご覧になっていただけますか?」
「…いいでしょう」
許すというより、まるで「この私を満足させられるものならやってみよ」とでも言うよう。
感情の起伏にとぼしい私ですら、胃のあたりが冷たく重くなった気がする。
「では、そちらの鉢植えをお借りしてよろしいですか? それから、彼が足を洗うお水と、足拭きと」
「好きにおし」
これだけ不機嫌な、自分より高位の人間に、エリス様は臆するところがまるでない。
周囲の囁きを聞けば、だいたいの状況はわかる。
この家の主は、一年前に連れ合いを亡くした。
本人は、せいせいしたと嘯いていたらしいが、時間を持て余し、このような会を開いている。
彼女の無聊を慰める生贄が私たち。
エリス様が借りた鉢植えは、高さ二十センチほどの木が植わっているのだが、その幹は太く、大きな洞があり、枯れている。
エリス様は、皆が囲むテーブルから離れ、窓際の花台を自分の舞台に選んだようだ。
メイドが運んできた水桶と鉢をならべて、その前に布巾を置く。
「それでは皆さま、ご注目くださいな」
特に力む様子もなく、エリス様が手をかざすと、枯れた木の枝から小さな緑が芽吹く。
誰もが、小さく驚きの声を上げる。
私は少々驚きながらも、エリス様は木魔法が得意なのかと、冷静に分析する。
それだけでも、十分余興になったはずだが、それではわざわざ、水や布巾を用意させたかいがない。
見る間に大きくなった葉の色が濃くなり、風もないのにふるふる震えはじめる。
「はい、がんばって!右足~左足~」
歌うようなエリス様の掛け声に合わせて、生き返った小さな木が、その根を足のように動かして、土から引き抜く。
エリス様に余興を勧めた中年の婦人ですらも、口をぽかーんと開けて、女主人に至っては、椅子のアームを掴んでいまにも立ち上がらんばかりだ。
根を二つの塊に分けて、大きめの枝を左右に振り回す木は、まるで人のよう。
足に土がついているのが気になるらしく、交互に持ち上げて振るのだが、それで全部落ちるはずもない。
ふと、水桶に気付いて、エリス様を見上げる仕草をする。
「どうぞ?」
枝の手を掛け、幹の体を持ち上げ、桶の縁に座って、片足ずつ、ちゃぱちゃぱちゃぱ。
そのコミカルな音と動きに、婦人たちが「おほほ」と笑う。
交互に自分の足を覗き込んで、納得したらしい木は、ぴょんと布巾の上に飛び降りて、足踏み。
枝の腕も使って、きっちりと水気を拭う。
「あら、どこへ行くの?」
慌てたようなエリス様の声を聞かず、花台から飛び降りる小さな木。
頭を振り振り、楽しいそうに歩いて、婦人方に近付き、その周りをぐるりと回る。
「まあ、うふふ」
木は、両手を後ろに回して、恥ずかしそうにくねくね。
次第に大胆になって、ドレスの裾をくいと引いたりする。
しまいには、椅子によじ登って、身を引いて驚いている婦人に何かをアピール。
一生懸命伸ばされる枝の先には、茶菓子のクッキー。
「これが、ほしいの?」
恐る恐る渡されたクッキーを大事そうに、洞にしまう木の様子に、周りから笑いとため息がこぼれる。
きちんとお辞儀をしてから、そろそろと椅子を下りる木。
スキップするようにして、エリス様の元に帰る。
洞から先程のクッキーを取り出して差し出すのを、エリス様が受け取る。
「まあ、くれるの? ありがとう」
エリス様がうれしそうに頬張ろうとすると、慌てたようにばたばた動く木。
「あら、くれるのではないの? 見せただけ? なにそれ、ケチねぇ」
夫人たちの笑いが大きくなる。
「じゃあ、半分だけ。半分だけちょうだいよ、ね!」
エリス様が手を合わせて頼むと、腕を組んで考える素振り。
一度小さく、次は大きく頷く。
「まあ、ありがとう。では、半分こ」
二つに割ったクッキーの片方を、エリス様が食べ、木はまた大事そうに洞にしまう。
そして、頭をゆ~らゆら。
「あら、食べたら眠くなっちゃった?」
一つ二つ頷いてから、なんとか花台にのぼる木。
よいしょっとでもいうような動作で鉢の縁に腰かけ、皆に、枝の手を振った。
思わず振り返した人は、一人や二人ではない。
スッと、いままでのことが嘘のように鉢におさまった木に、どこからともなく残念そうな吐息が聞こえてくる。
しかし、その直後。
緑の葉の間に、ぽつぽつと白い蕾が現れ、それが膨らみ小さな花が咲く。
その香りがあたりに漂う。
見る間に花は枯れ落ちたが、同じ場所に小さな緑色の実が生り、膨らみ、赤く色付いた。
「どうも、お粗末さまでございました。皆さま、ご覧くださりありがとうございました」
きちんと礼で締めたエリス様に、皆が惜しみない拍手を送る。
そこへ嗚咽が聞こえて、あたりはしんと静まる。
老齢の女主人が、人目も憚らず泣いていた。
誰も声を掛けることができず、時間だけが過ぎる。
伊達に長い時を生きていないということか、自力で立ち直った女主人は、目元を拭い鼻を噛み、何事もなったかのように背筋を伸ばした。
「よかったですよ、エリス嬢。この老婆の心を見事抉ったのだから、大したものよ」
それ以上、語る気はないというように、お開きを宣言した女主人だが、次々に帰りのあいさつをする婦人たちを尻目に、赤い実のなる小さな木を、じっと見ていた。
帰り支度をするエリス様に、私は思わず駆け寄り、声をかけていた。
「素敵でした、エリス様」
なぜ、私はにっこり笑えないのだろう。声を弾ませ、頬を染めることができないのだろう。エリス様のように。
「ありがとうございます。私も、マノーン様の朗読を素敵だなぁと思い、聞いていましたのよ」
お世辞だろう。そうに決まっている。
そう思いながらも、胸の奥がぽっと温かくなった。これが、うれしいということかしら?
「あのようなことを、普段から練習なさっているのですか?」
いつもの私からは考えられないくらいスムーズに言葉が口をついて出る。声は相変わらず平坦だけれど。
「ええ。どちらかというと、お人形を作って動かすことの方が多いですけど」
「人形」
「ええ、こんなふうに」
何もないエリス様の手の平に、植物の種が現れ、あっという間に芽吹き、髪も目もない簡素な人形になって、ぺこりと頭を下げる。
まったく逆の手順をたどって種に戻り消えた。
私は息をするのも忘れて、その後、どうやって家に帰ったのかも覚えていない。
記憶力には、自信のある私が。「魔法の種」を飲んで、すぐに記憶を覚えた私が。
それくらいの衝撃だった。言葉にすれば、ただの魔法。
鉢植えの木を、物語を編むように動かした方が、よほど手が込んでいる。一つの演目として、料金をとってもいいくらいだ。
ただ、私は、彼女の愛おしむような「人形」という言い方と、それに向ける眼差しに魅了された。
羨ましかった。あのつるりとした顔の、首と肩と肘、腰と膝にしか関節のない不自由な人形が。
あれは人形なのに「人形みたいで気味が悪い」なんて言われない。
笑いもしない、泣きもしない。動くだけで、しゃべりもしないのに、あんなにやさしい眼差しで見守られている。生まれてから、生まれる前に還るまで。
その光景を忘れないうちに、何度も何度も思い出した。
胸の中で、身内を薄っすら削る刃のようなものが、ぐるぐる回っている。
これはなんだろう? それすらわからない。
あの意固地な老婦人でさえ、あんなに泣けるのに、私は、ずっとこのままなのだろうか。
それをはじめて嫌だと思った。
せめて、もう少し色々なことを感じて、それを表現してみたい。
あのエリス様の手にかかれば、動物ですらない木も、あんなに表情豊か。
ああ。私、どうせ「人形」と呼ばれるのなら、エリス様の人形になりたい。
そうしたら私も、今日、彼女の手の平で生まれて消えた人形のように、幸せになれるだろうか。




