32、紫の少年③
さて。私が作ろうと言ったのは、いちばん単純な長方形の凧だが。
作るのに必要なのは技術だけではなくて、材料とそれを用意するための資金が不可欠。
「それくらいオレが用意してやる!」
大見得を切った少年の名前は、二コル・ハザウェイ。
私たちはファーストネームしか名乗り合わなかったけれど、周りの大人たちはよく知っていて、聞けば教えてくれた。そのための交流でもあるし。
ハザウェイ商会は、王都でも一二を争う大商会で、私の家にはその一二を争ってるほうの商会が出入りしているから、取引したことはないのだけれど。二コルはそこの御曹司だそうだ。
言葉は乱暴だし、立ち居振る舞いを見れば、貴族でないのは一目瞭然。でも、やたらの貴族より仕立ての良い服を着ているし、容姿も整っている。つまり、その出自に納得。
しかし、木材の中でも竹は手に入りにくく、紙の中では丈夫な和紙も右に同じ。つまり、高い!
がんばれば、私の魔法で作れないこともないのだけど(正確には成長させて、木工)魔法は使わずに飛ぶんだもんね!?
できるだけ軽くて、とても丈夫で、長いロープを用意するのも、なかなかの難題。巻き上げ機も必要だろうし。
赤く腫れあがった瞼を見れば、そうとう頑張ったらしいことがうかがえる。
「ごめん…オレの小遣いじゃ足りなかった」
この意地っ張りな少年の謝罪は、相当に価値がある。よしよし。では、お姉さん(精神だけ)が知恵を授けましょう。
「凧に紋章を描いて揚げれば、いい宣伝になるんじゃないかしら? それを条件に、どこかの商会に出資してもらうの。二コル、よさそうなところを知らない?」
「う、うん。知ってる。オレが! 今度こそ、話をつけるよ」
「凧の大きさを具体的に強調しないとダメよ? 人を乗せて揚げるってこともね! 成功すれば、絶対に話題になるから、たくさんの人が見に来るわ」
「わかった!」
老子爵をはじめとする「凧揚げ会」の他のメンバーたちは、手出し・口出ししたくて、そわそわしながらも、私たちが大まかな形を作り上げるまで見守り、その後、微調整を手伝ってくれた。
決行は、雨が降らず、風の強い日でなくてはならない。
一日、二日と、じりじりと時を待ち、ついに、凧が揚がった。
安全を確かめること、「人」と言った時、人が想像する、大人の体重であることを理由に、子爵が凧に四肢を広げて張り付いている(正確には手足を掛ける部位がある)
「はーっはっはっ! 飛んだ! 飛んだ! ついに、我は空を飛んだぞ!」
遥か上空で、びゅーびゅー風に吹き晒されながら、老子爵が高笑いする。
それを悔しそうに眺める二コル。
うん。初の有人飛行の栄誉は君にあげたかったけど、やはり、安全面を考えるとね。子爵なら、もしもの時は魔法で自分の無事を確保できるし。
あとは、見た人たちに与えるインパクトだね。
子供だったら、体が軽いからだろうって言われてしまったかもしれないけど、老子爵は細身とはいえ、なかなかの長身。
人が人を呼び、皆、指を差して、口々に何かを叫んでいる。
そこへ、凧に描かれたのと同じ紋章をつけた一台の馬車が。土手に停められたその中から、一人の紳士が降りてくる。二コルと同じ、紫の髪。
「物腰のやわらかい、役者のような男」と評されている通りの見た目だが、やはり、大商会のトップとあって目が鋭い。
「あっ、親父ー! こっち、こっち!」
二コルにすれば、厳しくもやさしい父親なのだろうか。
その男は、にこにこと人好きのする笑顔を浮かべて、私たちに歩み寄ってきたが。
侍女がすっと、私を守れる位置に立ち、それに気付いた彼が数歩手前で歩みを止める。その時には、ひどく真面目な顔になっていて、私に向かって深々と頭を下げた。
それきり顔を上げないのは、平民の貴族に対する作法だとしか思えない。どうやら、私が先に声を掛けなければならないようだ。
正確には、私は貴族の娘であって貴族ではないのだが、商売を生業とする者が、その辺の加減を誤るはずもない。
「どうぞ、楽になさってくださいまし。はじめまして。二コルのお父様でいらっしゃいますね? この度は、私たちの試みにご賛同くださり、ありがとうございました。私は、二コルさんと仲良くさせていただいております、エリスと申します」
「ご丁寧にありがとうございます。こちらこそ、息子が大変お世話になっております。ハザウェイ商会の、デマンドと申します。商会としても、代々語り継ぐことになるであろう、功績の一翼を担えたこと、大変誇らしく、その機会を与えてくださったエリス様に、厚く御礼申し上げます」
大人に、しかも、大切な取引相手にするように、丁重にあいさつする父親を見て、二コルが目を丸くしている。
興奮の絶頂にあっても、一応、こちらの様子を把握していたらしい、子爵が、「とうっ!」という掛け声が良く似合う勢いで、空中ひねりを披露して、見事に着地。盛大な拍手を浴びながら、こちらに近付いてくる。
彼に対してだったら、商会長デマンドの物腰も、バランスが取れるというもの。うん? もともと知り合いなのかしら。
「エリス嬢! 二コル! 儂はまた、野望に燃えることができるぞ! なんという大きな一歩か! そうだ、諦めてなるものか! それもこれも、それらが実現可能であることを、こうして証明してくれたそなた達のおかげだ!」
「光栄です、子爵様」
せっかく褒めてもらっているのに、二コルは委縮してしまっているようだ。さっきまで、あんなに力強く「次こそは、オレがあの凧に乗るんだ」と言っていたのが嘘のよう。
不安そうな、普通の子供のように、とたとたと父親の側に歩いていって、袖を引く。
「親父!」
デマンドは困ったように眉を寄せる。即断即決が身上の商人らしからぬ態度だ。彼が視線を向けた先は老子爵。
子爵は心得たように、私を改めて彼に紹介する。
「うむ。この会では、犯罪者でもない限り、どこの家の者であろうと受け入れて構いはせぬが、そなたは部外者。まして大商人だ。通じもせぬ、我の理屈を通して、お主を困らせるつもりもない。こちらは、エリス・ティナ・バーランド嬢だ」
デマンドの顔から表情が抜け落ちたのは一瞬で、気付けば先程の、深い深いため息でも吐きたそうな空気は霧散している。
「左様でございましたか。あらためてよろしくお願いいたします、バーランド様」
その間も、ぐいぐいと二コルが父親の腕を引くのだが、細身の体は見た目以上に強靭で、子供の力くらいではびくともしない。
「親父! 約束だぞ!」
「失礼」
横を向いたデマンドが、一瞬、涙を拭うような仕草をした理由がわからない。
「すまないな、二コル」
その後、何事もなかったかのように周囲に愛想を振りまく父親に、呆然としていた二コルは、彼なりに何事か悟ったように、おとなしくなってしまった。
「仕方のないことがあるものなのだよ、二コル」
他者との会話の合間に、俯いて何も言わない息子に、言い聞かせているのが聞こえる。
そんな彼に、老子爵が慰めるように声を掛ける。
「高嶺の花を見るのも、男を上げるには必要なことだ」
「ええ。そうでございますね。ああ、しかし、私も、はぁ。久しぶりに心躍る体験をしたもので、いろいろ先走って、ええ。当てのない夢を思い描いてしまいました」
相変わらずの風の中。そこには、大人の男にしかわかり合えないとでもいうような、どこか寂し気な雰囲気が漂っていた。




