30、紫の少年①
私が数年来通っている趣味の集まりの一つに、通称「凧揚げの会」がある。
本当はもっと長い名称で、確か「俺達は地を這う虫だが夢見ることを忘れなければいずれ空も飛べることを実体験する会」だっけ?
主催者は、カイゼル髭がよく似合う背の高い老齢の子爵で、他の参加者から聞いた話によると、彼は非常に高度な風魔法が使えるらしい。浮遊はもちろん、飛行もできるなんて、すごい!
しかし、息子に跡目を譲った彼は、悠々自適の生活を送りつつ、人生最期の野望(本人がそう言っている)として、魔法を使わず、空を飛ぼうとしている。
これは、その研究の一環。
高名な数学者だとか、運輸局の高官だとか、真剣に考察している人たちの傍らで、ただ凧揚げに興じる人多数。私はもちろん後者。
それが許される雰囲気が、なんとも言えず心地良くて、その日も河原に集まっていた。
季節の変わり目だったせいか、遊んでいるうちにどんどん風が強くなり、私は回収できなくなった凧を、他の参加者二人に手伝ってもらいながら、必死に引く。それもまた楽しくて、きゃーきゃー言いながらやっと糸を手繰り終える。
乱れに乱れる髪を押さえながら、とっとと斜めに風に流されながら、子爵を探した。
もう、さすがに凧揚げは続けられそうにないから、ごあいさつをして帰るつもりだったのだ。
彼は、矍鑠とした体全体に力を込めて、小さな少年と言い争いをしていた。
本当、どう見ても大人げない姿なのだけど、彼はいつでも公平で真剣で、理由もなくこんなことをするはずがない。
風に負けじと甲高く叫んでいる少年は、ちょっと見ない(というか私は初めて見た)紫色の髪を風に乱し、左目にしている黒い眼帯がやけに目立った。かろうじて見える右目は水色だ。
「へーん、人が空を飛べるもんかよ!」
「飛べる! 必ず、飛べる! あと、もう少しのところまで来ているのだ!」
「とか言って、最後は魔法で誤魔化すんだろ!? 貴族ってやつはよ!」
なんて、命知らずな少年だろう。
相手が事実、この状況で魔法を使って飛んで見せようなどとは夢にも思わない老子爵で、周りにいるのが、ここに来れば身分を忘れられるからこそ集っている連中だからいいものの。
「そのような貴族もいるにはいるが、儂はそんなことはせん!」
子爵が目指すのは、誰もが空を飛べるようになること。魔法を使えない平民にそれができてこそ、彼の野望は達成されるのだ。
別に、移動を便利にしようとか、流通をよくしようとか、考えているわけではなく。ただただ、ロマンを追い求めているだけの会員たちは老若男女、身分も育ちも様々だ。特に口を出すでもなく、見守れるだけの余裕がある。
ふと、囲まれていることに気付いた少年は、びくりと体を震わせて、囲みの薄そうなところを目指して突っ込んできた。
つまり、私のところだ。
横をすり抜けようとする彼の袖口を、私は咄嗟に掴んだ。それはすぐ振り払われてしまったけれど。
「飛べるわよー!」
風に流された言葉が、彼の足を止めた。
ある種の子供は、人の嘘を正確に嗅ぎ分ける。私は体験したわけではないけれど、気球やハンググライダーの存在を(あくまで前世のものだが)知っているし、飛行機には一度だけ乗ったことがあるので、それは嘘になりようがない。
いつも全然議論に参加しない私が断言したことに、老子爵がいちばん驚いたようだった。
「エリス嬢?」
思い返してみれば、あの紫の頭は、前からちょいちょい目にしていた。混ざりたいのかなと思って、声を掛けようとすると、野良猫のようにいなくなってしまう。
「お前まで、なんでそんなことを言うんだ!?」
理不尽に怒鳴られても、腹も立たなかった。理由はたった一つしかない。
「あなたが、飛べることを願っているからよー!」
これ以上ないほど見開かれた水色の目。




