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9 文化研究部と死体蹴り

楽しんでいただければ嬉しいです。

本話までが舞台説明回です。

 生徒会の作業を終えた僕と姉様は同じ送迎車両に乗って帰宅した。


 その車内でしばらく会話をした結果、千条院初の当面の活動方針が決まる。


 体験入部期間中に可能な限り多くの部に接触して千条院初の存在を印象付けつつ、その上で最終的には身軽に活動できる文化系の部活動に所属する。


 目的は姉様の囮役を十全に果たすためである。


 姉様はぶるりとその身を震わせながら僕に言う。


 「頑張って頂戴、早くあの告白とかいう恐怖の儀式から解放されたいのよ」


 その様子を見る限り、姉様には()()()()という感情が存在しないように思えた。


 「分かりました姉様。明日からは人の多い部活に色々顔を出してみますね」


 と僕は姉様に答え、その後、男子サッカー部、女子剣道部、吹奏楽部、と三日連続の体験入部をこなした。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 そんな中、教室である噂を耳にした。


 なんでも一人の女子生徒が運動部を道場破りのように荒らしまわり、先輩方の自信を喪失させたり、熱烈な勧誘を受けたり、と大騒ぎになっているのだという。


 一体どんな猛者なの? このままだと僕が運動部に顔を出しても注目度を稼ぐことができないじゃないか。


 そう考えた僕は運動部に参加する予定を変更して、最終的に腰を落ち着ける適当な文化系の部活を物色するために部室棟へと向かっていた。


 旧校舎を流用したというその建物は、デザインこそ本校舎と比べて古めかしい印象があるけれども、普通の高校の校舎よりはよっぽど作りが良くて、部室棟にしては立派すぎるのではないかとも思う。


 そんな部室棟への渡り廊下を歩きつつ、部活動のリストに目を通していた僕に声をかける人がいた。


 「……おや、君は新入生か?」


 そんな何気ない問いかけに振り向いた僕の前には、長い前髪で視線を隠しながらも自信に満ちた雰囲気を漂わせる女子生徒がいた。


 胸元にはパステルブルーのリボンが踊る。


 姉様と同じ色……三年生か、と思いながら僕は答える。


 「はい、先輩。どの部活に入ろうか迷っていまして、一度部室棟を覗いてみようかとここまで来てみたんですけど……」


 「なるほど……君、名前は?」


 「千条院初と申します」


 「千条院……ああ、生徒会長の妹か。ということは、入学式で挨拶していたのは君か?」


 「ええ、その通りです。僭越(せんえつ)ながら」


 この短い会話の間、僕はこの先輩の前髪の奥に隠された双眸(そうぼう)から発せられる、逆に僕の全てを丸裸にしようと試みているかのような無遠慮な視線に耐えていた。


 多少は他人からの視線に耐性がついていた僕だったけれど、何とも言えない気まずさを感じる。


 「……あの、先輩?」


 「ふむ。一つ、君にふさわしい部活に心当たりがある。こっちだ」


 「え……っ、ちょっと、先輩!?」


 先輩は突然僕の腕をつかみ、見た目からは想像もつかない力強さで僕を連れまわし始める。


 何で名前を聞いただけの人間にふさわしい部活が分かるの? エスパーなのこの人? と考える僕に先輩は言った。


 「今向かっているのは部室棟の三階、三〇二号室。部の名前は文化研究部、活動内容はあらゆる文化的活動の研究。毎週水曜に部室へ顔を出す必要はあるがそれ以外は任意参加の、いわゆるユルい部活だ」


 話を聞く限り、僕が最終的に所属しようとしている『適当な部活』の条件をすべて満たしていた。


 何だこの人、本当にエスパーなの? と考え出す僕に、先輩は重要な事実を告げる。


 「正直に白状しよう。その部は私が部長を務めていて、しかも部員不足で廃部になりそうだ。新入生があと三人どうしても必要なんだ」


 エスパーではなかった。正直な人だった。というかただの追い詰められた弱小部の部長だった。


 「……それ、もう誰でも良かったのでは?」


 掴まれた腕を解くことも出来ずにいる僕が冷たい声音で尋ねると、先輩は愚問だとばかりに首を横に振った。


 「誰でもいいとは心外だな。私は私自身の眼鏡にかなった人間にしか用がない。だから部員が足りない……着いたぞ、ここだ」


 理想が高すぎて彼氏のできないOLのような事を言う先輩に連れ込まれた先は、丁度普通の教室を等分した広さの、やたらと物が多い部屋だった。


 部屋の中心には長机が二つあり、入り口のそばには折り畳みのパイプ椅子が数脚、畳まれた状態で立てかけられている。


 ゲームがあり、小説があり、漫画があり、雑多な分野の入門書と思しき書籍があり、ギターがあり、立派なデスクトップパソコンとモニターがあり、冷蔵庫があり、電子レンジがあり、電気ケトルがあり、こじんまりとした食器棚があり、その全てがきれいに整頓されている。


 趣味人が住むワンルームマンションのような、あるいは行き届いた引きこもりの部屋のような空間だ。


 春日初基準で言えば、それは居心地の良さそうな空間に分類されるものだった。


 うろうろと部室の中を見て回る僕を見て、先輩は僕の内心を見透かしたように言う。


 「部費が足りないから大半は部員の私物だが……どうだ、悪くはないだろう?」


 「ええ、そうですね……思っていたよりはずっと……」


 満を持して友人を自室に招いたかのような部長の問いかけに対し、僕は素直に感想を漏らす。


 そんな僕はある本棚の前で足を止めた。


 本棚の容積の四割ほどを遊ばせているその本棚には、漫画や文庫本、新書、写真集、洋書、エッセイ、書評、さらには子供の情操教育や人体の成長についての入門書や専門書といった取り留めのない書籍群ががまとめて押し込められている。


 他の本棚はそのジャンルや内容によって綺麗に整理されているように見えたため、その混沌とした本棚だけがやけに異質に感じられた。


 試しに写真集を取ってみると、その表紙には遠い世界のどこかで貧しいながらも愛に満ちた日々を生きているような、褐色の少年の笑顔が映っている。


 ふと思った。


 「……先輩、この本棚は何ですか? どういったテーマで集められているのかが気になるのですが」


 素朴な疑問を口にした僕の問いに、部長は簡潔に答えた。


 「その棚にあるのは全部、重度のショタコンの好物だ」


 僕は胸を打つように眩しく笑う少年に対して申し訳ない気分になりながら、眩暈(めまい)にふらつきそうになるのを必死でこらえた。


 そして恐る恐る尋ねる。


 「……えと、ひょっとして……先輩の趣味ですか?」


 「先輩の、と聞かれれば確かにそうだが、私のものではない。それは――」


 部長の言葉に、不意にドアが開く音が挟まり、一人の女子生徒が現れる。


 「先輩……すみません。今日も部員がみつかりそうになくて……」


 「――ぜんぶ、コイツの趣味だ」


 僕は現れた女子生徒の声を聴いて、先輩の答えも最後まで聞いて、先輩が後ろ手に指さしている人影を見た。


 僕が頭に思い浮かべることができたのは、どういうこと? という言葉だけだった。


 その瞬間の僕の頭の中は、自分が気に掛けた本棚の内容とは比較にならないほどの混沌で満たされていた。


 一つずつ確認していくことにする。


 目の前の本棚に収められているのは、ショタを好む何者かが選び集めた書物だ。


 その何者かが今、僕をこの部屋に連れ込んだ人物の背後にいる。


 襟元を飾るのは、実は見なくても分かったのだけど、二年生であることを示すパステルグリーンだ。


 僕にはその女子生徒の声に聞き覚えがあって、その姿にも見覚えがあって、何ならその素性もよく知っていた。


 千条院初の正体である春日初の視線をどうしようもなく奪う。相変わらず胸の鼓動を高鳴らせる。しかもあの卒業式の日よりもずっと綺麗になっている。


 声の主は色浦冬子……つまり冬姉だった。


 つまりは僕を完璧に振った冬姉が、ショタコンであるという事実をひっさげて突然現れた、ということだ。大分状況が把握できて来た、でも理解できない。


 もう少し考えてみよう、そう思ったところで僕の思考は混乱し始める。


 ……でもちょっと待って、冬姉が仮にショタ好きだとして、それを言うなら春日初だって(認めたくはないけれど)一種のショタだったはずで、あれ、僕はその上で冬姉に振られて……


 「わ! 部長、新入生連れてきたんですか? すごく可愛い子じゃないですか! ……あれ、でもこの子どこかで……」


 絶望的な事実に気づき始める僕の正体に気づかない冬姉はこちらへゆっくりと近づいてきて、まっすぐに僕の顔を覗き込む。


 「あ! ひょっとして……入学式で挨拶してた子、かな?」


 「……はい、それ、私です」


 初恋の相手だった冬姉がショタ趣味を抱えていて、客観的にはショタだったのだろう春日初はその上で振られたのだという救いようのない事実に思い至りながら、僕は千条院初として何とか言葉を絞り出す。


 「わーやっぱり! すっごく可愛くてしっかりした子だなあって思ってたの! もしかしてうちの部に入ってくれるの?」


 僕に期待の眼差しを向けてくる冬姉を、『やっぱり可愛いなあ。やばい、泣きたくなってくる』、と思いながら後ろめたそうに視線を逸らして僕は答える。


 「それはまだ検討中と言いますか……他の部活も見せていただいてから決めようかと……」


 この混乱した状態で、それでもさりげない申し訳なさをちゃんと添える振る舞いができた自分を褒めたい。


 「そっか……なら、仕方ないね。でもうちに来てくれたら嬉しいな」


 「……わかりました、ありがとうございます先輩。それでは私、この辺で失礼いたしますね」


 どうにかそこまで言葉を交わした僕は、自分の意志の力を全力で振り絞って動揺を胸の内に封じ込め、部室を去ることにした。


 背後からは、やはり刺激が強かったか、とか、いいものなんですけどねえショタ、とかいう二人の会話が耳に届く。


 僕はその後、突然の冬姉との再会と発覚した冬姉の趣味と振られた春日初の望みもなさとに容赦ない死体蹴りを加えられつつ、何か叫びたくなりながら、どうにも泣きたくなりながら、他の部活を探す為に部室棟をしばらくさまようことにした。

次話から本格的にエピソード開始します。

明日は一話投稿予定です。


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― 新着の感想 ―
[一言] 1話の冬子の行動がとても違和感あったのですが、この話でなんとなくわかってしまった。 主人公からの告白が嬉しすぎて、パニックになったのか。 この予想なら納得できる。
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