56 実家を去る
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「遅かったじゃねえか、色男」
部屋を出た僕に、片桐は開口一番そう言った。
色男と聞いた時点でいつものごとく盗聴されていると悟り、僕は憮然とした表情で片桐を見返す。
片桐のオールバックは雨に降られた結果無残に崩れていた。けれどそれは風呂上がりのような男の色気を確かに備えてもいた。おま色(お前が色男)である。
「ま、お疲れさん」
片桐は悪びれもせずにそう言って肩を叩き、さっさと階段を下りていく。
一人残された僕の周囲にはごくわずかにだけど、血と火薬に似た匂いが漂っている。
……これ片桐の匂いなの? 一体何をしていたの? と気にはなったけれど、僕は無言のまま後に続き、玄関で靴を履く。
「……お兄ちゃん!」
そう言いながら辺が滑るように階段を駆け下りてくると僕に尋ねる。
「大丈夫? お兄ちゃん死なない?」
「言い方、辺。でも僕は死なないよ」
靴ひもを縛りながらそう答えると、辺はぱあっと笑顔を咲かせた後、何故か急に興奮しだした。
「ねえお兄ちゃん、次はいつ会えるの? ていうかもうずっとここにいればいいじゃん!」
いたずらに僕を困らせるだけの辺の言葉にどう言い訳をしようかと僕が考えていると、ブーツを履いて既に立ち上がりヘルメットをかぶろうとしていた片桐が、辺の頭の上に無造作に手を伸ばし、頭蓋を揺さぶるような乱暴さで撫でた。
「悪ぃな妹ちゃん、またしばらくこいつ借りるぜ。ちゃんと傷一つつけずに返してやるから、俺に任せてくれ。な?」
人好きのする笑顔でそう言う片桐を、辺はぽけーっとした表情で見つめ返していた。そして途端に半歩あとずさり、顔を赤らめてもじもじし始める。
僕は貴重なものを見たと思った。おそらくこれは一目ぼれの瞬間である。辺の相手が片桐でさえなければ僕は祝福の鐘を鳴らしていたかもしれない。
「あの、お兄ちゃんのこと、よろしくお願いします!」
そう言ってスカートのすそを抑えながら勢いよくお辞儀する辺の姿を見て、片桐は「あいよ」とだけ答え、悠然と玄関を出ていった。
「……ねえお兄ちゃん、あの人誰?」
「ごめん、何も言えないんだ」
千条院につながる一切の情報を明かせない僕には辺の力になることはできそうになかったけれど、本人の特定が難しいレベルのありふれた情報なら与えてもいいと思った。
「……ちなみに辺さま」
「何かね、ハジメ屋?」
「あやつの趣味は格闘技とバイクにございますれば」
「ほほっ、これは貴重な情報であるな。ほめて遣わす」
我が家でかつて流行っていた時代劇風ままごとの体裁で片桐の趣味を伝えると、辺は機嫌よさそうにほほ笑んで自分の部屋へと戻っていく。
僕はリビングから出てきた両親に、またね、行ってきます、とだけ言い残して玄関の扉を開け放ち――
――遠方から猛スピードで迫りくる黒い箱型の影を見た。
「雨ん中二ケツはまずいだろ? 結様が気を利かせてくれたんだ、お前は久しぶりにアレで帰れ」
そう言い残して片桐は一人、バイクに跨って走り去っていく。僕はその背中を見送った後、玄関前に横付けした車影に向けて久しぶりに呻いた。
「……善意の送迎じゃねぇか……」
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