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51 実家に戻る

最終章開始です。

楽しんでいただければ嬉しいです。

 僕はバイクには詳しくない。


 それでも片桐が愛おしそうにボディを撫でるそのバイクはまるで躍動する猛禽類のような鋭さを帯びていて、それが片桐の頼もしい相棒なのだということは察することができた。

 ちなみに細々としたチューンナップも含めるとその道数十年のベテランライダーすら卒倒させるほどの費用が掛かっているらしい。


 片桐がシートをまたぎ、続いて僕もその後ろにまたがる。肩から下げたバッグを腹に抱えてから片桐の胴に両腕を回す。


 「折角の機会だ、地獄への片道切符にふさわしい走りを見せてやるよ」


 「帰りに天国へ連れてってくれるなら我慢する」


 なんて、軽口を叩いた僕が馬鹿だった。大砲から射出されたかのような容赦ない加速Gに顔が引きつり、路面が目と鼻の先に見えるほどのどぎついアングルで車体を傾かせてコーナーをクリアしていく度に体の奥底から凍り付くような恐怖を感じる。


 片桐は、ひゃあっはああ! と世紀末によく似合う叫び声をあげながら、風と一体になったかのように際限なくスピードを上げて月の見えない夜の街を駆け抜けていく。僕は常に数多ある地獄の入口一つ一つを通過しているような気分になりながら腕に力をこめ続け、片桐の重心移動に追従し続けた。


 「……さてと、到着だ。ははっ、どうだ。いい汗かけただろ?」


 「……冷や汗を……いい汗って、言うのなら……、てか死ね! クラッチ操作ミスって後続のトラックにひかれて死ねえっ!」


 先日冬姉の家を訪ねた時にも目にした春日初の自宅前で僕は怨嗟の叫びを上げた。


 バイクを降りて満足そうに背伸びをしながら片桐はくるりとその場で一回転すると、何がおかしいのか僕の肩をばんばんとと叩いた後、小さな声で僕に言う。


 「……いいか、ここに留まるのは一時間が限度だ。バイクぶっ飛ばしたから追跡は振り切れているだろうが、それ以上滞在すればお前がここにいることに気づいた連中が何するか分かんねえ。俺は周辺を警戒して、時間になったら打合せ通りドアノックで知らせる。それまでにケリつけて来い」


 僕は黙ってうなずいた後、他人行儀に自宅のインターホンのボタンを押す。


 誰も応答しなかった。代わりに、母さん――今となっては育ての母――の「来たわ!」という声が家の壁越しに届く。ばたばたという盛大な足音とサンダルの硬いソールがタイル張りの玄関の床を鳴らす音が続き、玄関のドアが開く。


 「お兄ちゃん!? 本当に来た!」

と言って、妹の春日(ほとり)が笑顔と驚きがない交ぜになった表情で僕に駆け寄ってくる。


 お父さんもお母さんも待ってるよ、とテンション高めに僕の手を引っ張る辺は、卒業式の日に顔を合わせてからそれほど間も経っていないというのに、まるで遠方から来た親戚を迎えるような歓迎ぶりを見せている。


 靴を脱いで家に上がる。その場で一度しゃがんで靴の並びを直し、再び辺に導かれるままリビングへと入る。


 僕が一年前、二度目のハイ〇ースを食らった時と同じように、両親がソファに座っていた。どちらも仕事上がりそのままのスーツ姿だ。


 女狐のこともいいけれど、ちゃんと家族と話をしてらっしゃい、という姉様のありがたくも居心地の悪くなりそうな配慮によりこうして両親と向かい合う舞台が整えられていた。


 「……お、お邪魔します」


 「ただいまでいいわよ、水臭いんだから」


 と、一年前と変わらない調子で義母さんは言う。手で促されるまま、両親の向かい側のソファーに腰かける。その様子を見ていた父が淡々と口を開く。


 「ゆっくりしていけ、と言いたいところだが、結から話は聞いている。時間がないんだろう。俺も手短に言う。お前はうちの子でもある。侍従が付いていることで事情は察しが付くが、状況が許すのであればいつでも帰ってきていい。ただ一つ、前回言いそびれたことがあるから覚えて帰れ」


 「……何?」


 「お前の母はマジでおっかねえ。見た目に騙されるな。だが頼りになる。機嫌を損ねず、利用しろ」


 「……随分なアドバイスだね」


 「お前の身を守るためだ、あいつも協力は惜しまんさ。変な遠慮はするな。俺からはそれだけだ。かあさんは何かあるか?」


 「久しぶりハジメ、元気にしてる、ご飯ちゃんと食べてる、夜はちゃんと寝れてる、身長少し伸びたのかしら、辺も身長伸びたのよ、お父さんは縮んだらしいわ、ざまあないわね……」


 「母さん少し落ち着いて……まあ、元気だよ。何とか上手くやってるから、大丈夫」


 「そ、そう。それじゃあ……あら、困ったわ。何を言いたかったのか忘れてしまったわ」


 「なら大したことじゃないんじゃない?」


 「それもそうね。お父さん、私の話も終わったわ」


 概ね昔と変わらない親子の会話だった。父は簡潔に話を終わらせ、母はどうでもいいことを話すうちに本題を忘れ、そのまま会話が終わる。情報量を欠くこのやり取りこそが我が家の黄金パターンである。


 「そうか。ところでハジメから話すことは何かないのか? 聞きたいこととか」


 僕は少し考えるふりをして、答えた。


 「僕は元気だよってこと以外は、特に。聞きたいことはあるけど、父さんや母さんにもいろいろ事情があると思うから。その辺はまたいつか話を聞かせてよ」


 「お前がそれでいいなら俺たちは構わん。それよりも、だ……辺。出てこい」


 父が声をかけた方向を見ると、リビングのドアの陰に隠れて、辺がちらちらとこちらに視線を向けていた。


 「どうしたの、辺?」


 僕が問いかけると、辺は私の部屋に来てと言い残し、スリッパの裏をぺこぺこ言わせながら階段を上っていく。


 「……じゃあ僕、辺と話をしてくるよ」


 そう言って僕は席を外し、辺の部屋へと向かった。

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