50 変えられただけの僕が、変わるとき
楽しんでいただければ嬉しいです。
一時間が経過した。
春日初への再改造は済んでいた。
スマホのバッテリー残量は半分を超えた。ある程度酷使しても数時間は余裕で持つレベルである。
僕は充電器からスマホを取り外し、尻のポケットへと無造作にねじ込む。
白のTシャツ、明るいグレーのロングカーディガン、そしてチャコールグレーのデニムパンツ。足元には有名ブランドの廉価モデルだろう中古のスニーカー。その辺のショッピングモールで一式揃えたごく普通の高校生、という出で立ちの僕が姿見の前に立っている。
身体のラインを補正するために肩回りに薄いパッドを慎重に仕込み、中学生時代の春日初と一貫性を持たせるための茶髪のウィッグを着用した。
メイク前にその恰好を確認したときは、春日初というよりは春日初のコスプレをした千条院初、という風情だった。
けれど冴さん直々のメイクにより立体感を強調させ、本来の顔が帯びている女性的な丸みを巧みに隠蔽した結果、春日初がこのように成長していても不思議はない、というレベルにまで千条院初の存在を希釈することに成功していた。
僕の姿を見る姉様の隣には、いい仕事をしたと満足げに胸を張る冴さんの姿がある。
特殊メイクに片足突っ込んでいるのではと思ったし、冴さんを怒らせた翌日には自分の顔がクリーチャーに改造されていてもおかしくはない、と場違いな恐怖を抱く。
「すばらしく普通になりましたね、ハジメ様」
という、褒めているのかディスっているのか判断の付きかねる感想を冴さんから頂いた僕は今、春日家の両親が帰宅する時間に合わせて現地に到着するための待機時間を持て余していた。
考えるべきことはあった。男の娘に改造された僕が春日初へと戻った時、僕に残るものは何なのか。何をもって冬姉を救うのか、ということ。
地獄の教育課程によって身に着けた諸々の知識や技能は春日初に戻ったとしても残っている。普通の中学二年生だったあの頃よりは多少知恵も回るようになったと思う。その上で思う。
それは冬姉を救う役に立つのだろうか、と。
僕には願いがある。冬姉を救いたいと思っている。けれどそれを実現するための具体的な道筋は今なお見つかっていない。考えがまとまらない。
思考の袋小路から抜け出したくてスマホにインストールしたままのゲームを起動させてみたけれど、アップデートを実行するためのダウンロード時間が思った以上に必要になると気づき、僕はそっとアプリを閉じる。
それでも一年ぶりに起動したゲームのスタート画面は、僕が春日初に戻っているという強い実感を与えてくれた。千条院の財力を投じてガチャを回したらどれだけ無双できるだろう、なんて春日初らしく妄想する僕のもとに片桐がやってくる。
黒い上下のライダースーツに人相を隠すためのサングラス。これで口元をマスクで隠してエアガンでも持たせれば押しも押されぬ立派な銀行強盗が出来上がるなぁ、と冬姉を救う算段が立たない状況でも下らないことを考えられる程度には、僕は今落ち着いていた。
あるいはこの余裕もまた、僕に残されたものの一つなのだろうか、と取り留めなく考える。
「五分後に出発だ、俺のバイクに二ケツな。ほれ、これお前の分」
そう言って僕にフルフェイスのヘルメットを投げ渡してくる片桐も、これからコンビニにアイスを買いに行くぞ、とでもいうような気負いのなさでその時が来るのを待っている。
暗殺者を制圧し僕の身の安全を守る、まるでアクション映画で見るような死線に身を投じるという状況のはずなのに、片桐の様子は普段と何も変わらない。逆に死地こそが片桐にとっては日常なのではないかと少しだけ疑った。
「少しだけまじめな話をしていいかしら」
と、姉様が不意に言った。僕は視線で続きを促す。
「アンタが初めてここに来た日に私は言ったわ。私が高校を卒業するまでの間はここにいて、その後は残るも戻るも好きにしていいって」
「……そうだね」
僕は自分の存在をかつての春日初とすり合わせるように、意識して男らしい口調で答えた。
「あの時の私はアンタが思うよりずっと必死で、アンタが死なないのならどんな手だって使おうと思ってた。千条院の教育課程をアンタ向けにカスタマイズして死ぬ余裕すら与えず、アンタの身を守るために性別さえ偽らせた。その結果として千条院初が生まれ、春日初は社会的に消えた」
「……姉様はあの過酷さが分かってて地獄のカリキュラムを組んでたの?」
「我ながら鬼畜よね。もっとも、その結果誕生した千条院初は私の想像を超えて万人を魅了する可憐な美少女になり、家の名に恥じない能力をも兼ね備えた。ここまではいい?」
僕は無言でうなずく。
「実際に千条院初として活動し始めたアンタは私が期待した役割を十分に果たした。けれどそれ以上に私、いえ、私たちの印象に残っていることがあるの」
「……一応聞くよ。何?」
「アンタがクズであるということよ」
「そんな事だろうと思ってた」
「でもね、私はアンタにクズになる方法を教えはしなかった。涼しい顔をして他人を脅し、善人の顔をして悪の道へと人を誘う。アンタはアンタ自身が備えていた、千条院にあるまじき悪の才能をいかんなく発揮した。正直、笑ったわ。ごちそうさま」
「でもまだ足りないんだろう、欲張りども? とでも言えばいいの?」
「あはは、そうね。けれどアンタはクズであっても、確かに誰かを救ってきた。私たちはそれをずっと見てきた。誰かを救うその様は、紛れもなく千条院が誇ってしかるべきものだったわ」
「べた褒めだね。僕死ぬの?」
「言いたいことは一つ。アンタは虫も殺さないような顔で人の心を踏みにじり、人の風上にも置けないような下衆い閃きで窮地を切り抜け、それでも最後には必ず誰かを救う、そんな愛すべきクズよ。それを忘れてはならないわ」
姉様の言葉は自分でも驚くほどすんなりと僕の中に納まった。
僕はこれまで、なし崩し的ではあれど何かしらの決着にたどり着いた数々の情景を走馬灯のように思い出している。
ナンパしてきた先輩に肩透かしを決める、先輩方を脅迫する、大泣きした後で姉様の台詞をパクる、新入生のスキャンダルを暴き、交流のほとんどなかった女子高生の恋愛性向をゆがませる。
なるほど、僕はどこに出しても恥ずかしくない立派なクズらしい。
そして思う。それこそが僕に残された唯一の武器なのかもしれない、と。
冬姉を救うためにクズになれというのなら、春日初は喜んでクズになる。自分がクズであると喜んで認めよう。そのことに抵抗はなかった。
だから僕は、春日初はクズらしく、手段を選ばないことを決めた。
それはあるいは、改造されただけの僕が自身に施す初めての改造なのかもしれない。
……にしたって、僕を形容する言葉に含まれる毒が強すぎるのでは?
「その話を聞いた僕は笑えばいいの? 泣けばいいの?」
「そんなの決まってるじゃない。アンタはいつも通りに手段を選ばず、姑息な手段で、私の大切なハジメを魅了しくさったあの憎たらしい女狐を、遺憾ながら……大変遺憾ながらも、救って帰ってくるの……」
……姉様、冬姉への敵意凄くない? という言葉を胸の内にとどめた僕に、姉様は笑いかけた。
あの時と同じ笑顔だった。
命を絶とうとしていた僕を救った、成功を約束するような笑顔。
「笑顔以外はあり得ない。必ず帰ってきて、私の前で笑いなさい! いいわね?」
「分かったよ、姉様。それじゃあ、行ってきます」
「うん……頑張れ、ハジメ」
最後にありふれた激励の言葉をかけた姉様の、最後の表情を僕は敢えて見なかった。
強気な姉様の演技が最後まで持たず、崩れかけていることに気づいたからだ。
僕はヘルメットを装着して顔を隠し、片桐の後を足早についていく。
そう、僕は姉様に一つだけ隠し事をした。
姉様が泣き出しそうだと気付いた時、不覚にも僕も泣きたくなっていたのだ。
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