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楽しんでいただければ嬉しいです。

 翌日の昼休憩。


 冴さんが宣言通りに情報を揃えて僕宛にメールしてきたので、僕は人目につかない校舎裏で目を通す。


 真相に迫る、戦局を決定づけうる、少なくとも交渉を優位にすすめるための有効な武器たりえる、ただし突きつけるタイミングと開示する対象について慎重な考慮が必要となる、冴さんがもたらしたのはそういう情報だった。


 勝算が立ったと判断した僕は姉様に『決行は今日の放課後です』とだけメールで伝えた。間髪入れずに『分かったわ』という簡潔な返信が届く。


 それを確認した僕はそのまま一条さんのいる教室へと向かう。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 1年I組。

 僕が所属する1年A組から実に七つもの教室を隔てて存在する、ある種の異世界である。


 僕が教室のドアから中の様子を覗き込むと、教室の窓際でいつもの取り巻きとは違う人たち、おそらくはクラスメイト達とにこやかに会話を繰り広げる一条さんの姿がある。


 意を決して僕が教室の中に立ち入ると、一条さんは驚くほど早く僕の存在に気づき落ち着いた足取りで近づいてくる。


 一条さんは全てが自分の思い通りになると信じて疑わないような余裕の態度で僕の前に立ち、まるで僕を労うように尋ねた。


 「会長の妹だったわね、ヒントの内容は確認したかしら?」


 「はい、とても参考になりました」


 僕の答えが求めていたものと違ったのだろう、一条さんの表情がじわりと敵対の意志を帯びていく。


 一条さんは鋭敏に読み取ったのだと思う。

 漫画の感想として感情を含まない言葉を選んだ僕が、同調の意志を示すためにここへ来たわけではないということを。


 「そう、それで今日は何の用?」


 「今日の放課後、姉様が教室棟の屋上にて一人で待っている。それだけお伝えしに来ました」


 「私たちと直接話し合おうってこと? 悪くないわね。こちらも反応を待つ手間が省けたわ」


 まるでタイトルマッチの対戦相手が決まったと知らされたボクサーのように、一条さんの瞳が爛々とした光を宿す。


 僕はそれ以上言葉を発することなく、軽く頭を下げて1年I組の教室を後にした。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 そして放課後、作戦決行の時。


 僕と姉様、そして片桐と冴さんは、かつて横山先輩に連れ込まれた桜花門高校の無法地帯である教室棟屋上への階段の踊り場にいた。


 「結様、私は今から準備を進めた後、給水タンクの影に待機いたします。介入が必要であれば右手で前髪に触れてください」


 冴さんは姉様にそう言い残して一足先に屋上に出ていった。


 片桐が僕の侍従として学校に潜入したのと同じように、冴さんはこの学校の非常勤の事務バイトとして時々出入りしている。


 実は英語とフランス語、ロシア語、そして中国語を操るペンタリンガルである冴さんは、海外諸国の有名大学へ進学する生徒も少なくないこの桜花門高校に海外対応専門の事務員として潜入し、姉様の学園生活をサポートしていたのだ。訳が分からないくらいハイスペックなメイドさんである。


 残された姉様は一条さんの迫力にも決して劣ることのない自信に満ちている。

 何か整理がついたのだろう、と想像する僕は同時に、そこに微かな緊張が張りつめていることに気づく。


 ……あれ、これからタイマン張るのかなぁ? どっちが返り血に染まるのかな? と考えるけれど、きっと僕の気のせいである。


 「姉様、後はお任せ下さい」


 「初、一ついいかしら」


 「何ですか?」


 「……私、友達ダブルデートしてみたいわ」


 姉様が珍しく、恥ずかしそうにそう言った。

 それ、昨晩読んだ漫画の中にあったなあ、と思いながら、僕は素直にほほ笑む。


 「わかりました。ゴールデンウィークの予定は開けておきますね」


 「……よろしく」


 そう言って僕から視線を外すと、普段は開放厳禁の屋上の扉を開けて姉様は春の空の下へと消えていく。


 やたら格好いいけれど、することは後輩との会話のはずである。

 血風が舞うことのないようにと僕は願う。


 「それじゃ俺は屋上ドア脇のスペースで偽装して待機する。危険を感じたら左手の肘を触って知らせろ」


 仕事モードの片桐は簡潔に用件だけを僕に告げると、ダミーも含めて何個か設置したロッカーの梱包用だろう巨大な段ボールの一つに潜り込み、あらかじめ知らされていなければ気づかないほどの、お面の目の部分に空いているような細かい穴を通して周囲の様子を確認し始める。


 そして姉様が屋上へと消えて五分ほど経過したタイミングで、一条さんとその取り巻きが屋上階段の下へと姿を見せた。


 一条さんは、これからKOショーを見せつけてやる、とでも言うような剣呑な覇気を身に纏い、五階の廊下から僕を見上げている。


 「姉様がお待ちです。一条さんとだけ直接話をしたいとのことです」


 「上等ね。望むところよ」


 そう言って一条さんは人目を惹く華やかな美貌に似つかわしくない血の気の多い笑みを浮かべ、階段を一人で昇り始める。


 僕は一条さんがすれ違う瞬間、控えめな声音で囁く。


 「……姉様をよろしくお願いします」


 「……?」


 怪訝そうにこちらを見る一条さんに向けて、僕は心配事を抱えながらも気丈に振る舞っているかのように、にこりと微笑む。


 毒気を抜かれてしまったような表情で一条さんは僕から視線を切って再び屋上へと向かっていく。


 言葉と態度で一条さんの戦意を削ぐ。それが終わった今、僕が姉様にしてあげられることはもう何もない。そう考えながら、僕は一条さんの背中を視界の片隅に収める。


 ゆっくりと金属製のドアが押し開けられ、一条さんの姿が屋上へと消える。やがて重厚な音を立ててドアが閉まる。


 開閉音の残響が消えたのを合図代わりにして、僕は口を開いた。


 「さて……」


 僕は五階の廊下に残る四人へと向き直る。生徒会関係者としての僕に対する敵意と一条さんが一人で行ってしまったことによる手持無沙汰さの溶け合った、四対の視線が僕に向けられている。


 僕はこれから黒幕と一対一で話す必要がある。だから戦意と緊張を一切悟らせないよう穏やかにほほ笑み、黒幕のみを戦場にいざなう。


 「……二宮さん、少しお話ししませんか?」


 紅一点の少女がわずかにたじろぐのが見える。


 僕は慈愛を感じさせる修道女のように清らかにほほ笑み、やさしく、しかし有無を言わせない声音で続けた。


 「女の子同士の話をしましょう」

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