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25 デートで話を聞いた僕、土壇場で姉様を演じる

楽しんでいただければ嬉しいです。

　僕は夏目さんの話を聞いていた。

　「……きっと無駄だったんです。結局私はあの頃と何一つ変わらなくて、ずっと弱いままなんです」

　「……そのことに気づけたので、もう、高校デビューを成功させる意味がなくなってしまいました」

　「……せっかく私に付き合ってくれたのに、ごめんなさい……せんじょ……い、さ……ごめなさ……かす……がく……ごめ……」

　事ここに至って、彼女が高校デビューしきれなかった理由が僕には理解できていた。

　易々と他人には口外できない罪の意識こそが彼女の壁が取り払えない原因で、それをさらけ出すことは、ひょっとすると死ぬよりもつらいことかもしれなかった。

　けれど彼女はそれを果たした。他でもない僕に対して。

　ならばこれから先、彼女に必要な言葉を伝えることはほかの誰にも譲れない、僕の役目だと思った。

　僕は彼女にかける言葉を探す。春日初としての言葉と、千条院初としての言葉とが僕の中で渦を巻いている。

　僕が春日初なんだと素性を明かし、彼女のことを許すといえば彼女は救われるだろうか。きっとその答えは No だと僕は分かっていた。

　彼女が救われるというのは、謝罪したい相手に謝罪し、許されることではない。

　謝罪を果たした彼女は結局いじめられていた頃の彼女に自分の意志で戻るだけだからだ。

　彼女を救うというのは、彼女が一度立ち上がった勇気を途絶えさせないことだ。

　こんなしょうもないきっかけで転んでしまい、立ち上がれなくなった彼女にもう一度立ち上がるための手を差し伸べることだ。そう感じた。

　それができるのは春日初ではない。

　春日初の言葉は彼女の罪悪感という鎖をより強固にしこそすれ、解き放つことはできない。そんな確信めいた警告が頭の中で鳴り響いている。

　彼女を救うのは、一連の話をそばで聞いていただけの第三者である千条院初しかいなかった。

　高校デビューした後の彼女しか知らない、友達同士だとすら互いに明言していない、関係の希薄なクラスメイトである千条院初にしか、きっと彼女は救えない。

　僕は千条院初が語るべき言葉を探した。

　僕の頭脳は今、空前絶後の速度で高速に回転している。

　けれど同時に絶望的に空転している感覚が消えない。

　……言葉が見つからない、浮かぶのは耳触りがいいだけの浅い言葉ばかりだ……彼女を救いたい、彼女が震えている、僕の人生が狂い始めたあの日と同じように……今度こそ間違えたくない。あの日たどり着けなかった正解が、まだ見つからなくて……僕には、救えないかも知れない……

　極限の焦りと頭をもたげ始める絶望との狭間で押しつぶされていた僕は、唐突な浮遊感を覚えた。

　それは僕の体が理性によるコントロールから解き放たれる感覚。

　自分の思考を無視して、衝動だけが身体を動かして――

　――千条院初は夏目文の身体を抱きしめていた。

　彼女が震えないように、彼女が壊れないように、その二つが折り合う場所を探るように、千条院初は力を込めている。

　「！……千条、院、さん……？」

　突然の出来事に夏目さんが慌てている。

　夏目さんの髪が何かに濡れて、僕の頬に張り付いてくる。だから、僕はきっと今泣いている。

　ただそれだけの思考を巡らせるのにひどく時間がかかった。

　「……あの、千条院、さん……？」

　夏目さんの震えが徐々に収まっていくのは分かっていた。

　それでもまた震えだすのが恐ろしくて、互いの呼吸で突き上げられる二人の胸の動きしか感じられなくなっても、しばらくの間僕は動けずにいた。

　「……美人さんに抱き着かれると、なんだか落ち着かないんだけど」

　夏目さんがいつものように、冗談めかしてそういうのを聞いて、やっと僕は僕の体と思考の制御を取り戻す。

　「……夏目、さん……？」

　全身に酸素が行き渡っていくような安堵に続いて、僕の中に湧いたのは罪悪感だった。

　男の娘が女の子を衝動的に抱きしめることが果たして人に顔向けできる行いなのかどうか分からない。

　おそらくだけれど、慌てて涙をぬぐっている僕の顔は赤い。

　「……ごめんなさい、夏目さん。何だか私、感極まってしまって……」

　「いいよ、むしろありがと。千条院さんは、私のために泣いてくれたんだよね」

　そう言うと夏目さんは僕の髪を梳くようにして頭をなでる。些細な罪悪感が消えていく。考えるべきことに思考を割く余裕が生まれる。

　相変わらず言葉は見つからなかった。

　僕の引き出しの中には彼女を救う言葉など最初からなかったのではないかという疑念が湧いたけれど、その割に僕の心は不思議と落ち着いていた。

　僕は腹をくくったのかもしれない。

　救えるとか、救えないとかじゃない。まずは伝えることから始めよう、彼女に伝えたい言葉を。

　それが夏目さんを救うのかわからなくても、救われる望みをつなぐために。

　僕は夏目さんの瞳の奥底を覗き込むように彼女を見つめる。そして告げる、千条院初が思う事を、そのまま言葉に変えて。

　「夏目さんの過去も、抱えている苦しみも、理解できるとは言えません。夏目さんを助けた男の子のことも、いじめていた人のことも、私には分かりません」

　「うん……」

　「それでも、千条院初が教室で出会った夏目文という子は、とても素敵な女の子だということは分かっているつもりです」

　「……」

　「私が知っている夏目さんは、先輩に絡まれている私を案じてくれた子で、一緒に楽しくデートした私の大切な友人で、誰かのために変わろうとする勇気を持っていて、誰かのために自分を追い詰めるほど泣くことができる、そんな強くて優しい女の子。そう思っています」

　「……うん」

　うなずく夏目さんの声が再び震えだす。

　その時、僕はまるで白昼夢のように、2度目のハイエースを食らった日のことを思い出していた。

　自分の本心を吐き出しただけの今の言葉が、僕が生きてもいいのだと認めてくれた、あの時の姉様の言葉を思い出させていた。

　いじめられ、冬姉に振られ、希望も生きる意志も何もなかった僕にかけてくれた言葉が、一方的に差し伸べられた手が、僕をここまで連れてきた。

　そしてこの既視感が、まるで閃きのように僕の言葉の着地点を導いてくれるような、僕は予感を感じている。

　「あなたが変わろうとして、変わったと信じていたあなたこそが、私の知っている夏目文です。そのすべてが無駄だと断じることを、私は許しません。それがたとえ、あなた自身によるものであっても」

　「……千条院、さん？」

　僕は言葉を切って、立ち上がる。自分を落ち着けるように一度深呼吸する。

　土壇場で見つかった切り札。

　僕は春日初の記憶を借りる。

　決して汚すことの許されない記憶を借りる。

　姉様はあの時どんな表情で、どんな声音で僕に語りかけたのか。差し伸べた手の角度は、その速度は、相手との距離は……。

　僕は今、ソファーに腰を落ち着けていた僕に姉さまが空っぽの手を差し伸べた、あの瞬間を脳裏に描いている。

　そして、自殺志願者の春日初と、目の前にいる夏目さんとを重ねて、僕は姉様のいた場所に立つ。

　これから先、僕自身の振る舞いに対して、一切の妥協は許されない――

　――せめて今この時だけでも、姉様のようになるために。

　「あなたがもしも変わることをあきらめそうになったら、私はあなたに手を伸ばします。あなたが挫けそうなとき、私はいつだってこの手を伸ばします。どんな困難があったとしても、決して離さないと誓います。だから夏目文さん。はいかいいえで答えてください」

　僕は笑いかける。

　千条院初の前にはねのけられない障害はないと、絶対に千条院初が悲しみのない場所へと夏目文を引き上げるのだと、相手に無条件に信じさせるために。

　僕は今、姉様のように、ちゃんと笑えているだろうか。笑えていたらいいのだけれど。

　「……私は夏目さんの力になります。夏目さん、この手を取ってくれますか？」

　やがて僕の言葉が、あるいは僕が模した姉様の幻影が、夏目さんの唇を微かに動かす。

　「……うん……っ」

　そして、彼女は僕の手を取った。

夜にエピローグを投稿します。

一日で一章片付けていくスタイルがあとちょっと続きます。

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