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23 デート最中に回想する僕、大騒ぎという名の逃亡劇を繰り広げる

楽しんでいただければ嬉しいです。

 中学2年の始業式の日だった。


 いじめにあっていると噂になっていた女の子は、教室の隅でブックカバーもつけずにこの(ドイツ語の)詩集を読んでいた。


 装丁は新品ならではの光沢を帯びていて、珍しいチョイスだな、きっと本屋で買ったばかりなのだろうなと思いつつ、僕はクラスメイトと当時流行っていたゲームについて話していた。


 やめて、という声と、うっせえブス、という声が不意に聞こえて、何の気もなく僕は振り返った。


 真新しい詩集が窓の外に捨てられる瞬間の景色がそこにあった。


 その日は朝から雨が降っていて、窓の外に広がる校庭は水はけが悪く少しの雨ですぐにぬかるむことを僕は知っていた。


 声にならない鳴き声をあげながら震える、小さな背中を見ていた。


 何が僕の琴線に触れたのか今でもわからないけれど、胃の底からこみ上げるような不快感と脳天を突き抜けるような熱を感じたことは覚えている。


 気が付くと僕は、窓の外を見てゲラゲラと笑うクラスメイトの顔をグーで殴っていて、そのあと教室に担任が現れるまでの数分間、念入りに袋叩きにされた。


 鼻血を垂れ流し急所を守りながらうずくまる僕は、早まったことをしたと後悔しながら、それ以上に窓の外で泥にまみれ雨に湿っていく本のことを、何故か思い浮かべていた。


 その日を境にいじめの対象は僕に変わった。

 僕を含めた誰もがこれまで女の子を助けてこなかったのと同じように、誰も僕を助けはしなかった。


 それからきっちり一年間いじめは続いた。


 自尊心や反抗心、生への執着までも根こそぎ奪い去るのに十分な継続性と密度を備えた暴力に晒され続けた僕が、それからわずか一年ちょっとで男の娘になっている。


 諸行無常にもほどがあると思いながら僕の意識は現実に戻ってくる。


 ここに至って夏目さんが不思議そうな目でこちらを見つめていることに僕は気づく。


 「……その詩集、気に入ったの?」


 「いえ、昔見かけたことがあったので内容が少し気になっただけなんです」


 「私的にはその隣のイギリスの詩選集がおすすめですっ」


 彼女はふんすっ、と鼻から息を吐きつつ得意げに胸を張る。


 「詩集、お好きなんですか?」


 という僕の質問に、彼女は頬を指で掻きながら恥ずかしそうにつぶやいた。


 「好きというか、その……詩集を読んでる女の子はかわいいって、昔憧れてたことがあって」


 「……っ、あはははは」


 「笑わないでよ! 今すっごい恥ずかしいんだから! あーもう顔が熱い……!」


 僕が笑っていたのは夏目さんの思考が可笑しかったからではなく、姉様の冗談みたいな発言と彼女の思考が重なっていたことが面白かったからなのだけれど、そのことを勿論彼女は知らない。


 「あははっ、……ふぅ、ごめんなさい、悪気はなかったんです。せっかくですから私は2冊とも買いますね。これで2倍可愛くなります」


 「……そう」


 まずい、ダダ滑った! と直感した僕は心に深刻なダメージを受けた。


 変な間が開いた後、彼女はやや大げさに何かを思い出したように目を見開く。


 「じゃあ私はさっき見てた雑誌取って来るから、千条院さんは先に列に並んでていいよ」


 そう言い残して彼女は入り口近くの雑誌コーナーへと向かう。僕は列に並び、淡々と会計を済ませる。時間にして数分も経っていない。


 さて、夏目さんはどこかな、と何とはなしに周囲の様子を窺う。ここでようやく、僕は彼女の姿が雑誌コーナーにも会計待ちの列にもないことに気づいた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 店を飛び出してすぐ、競馬場から異世界転生を果たしたおっさんのような姿の片桐が固い表情で言った。


 「悪ぃ、優先順位だ。お前を置いてあの子を助けることはできなかった」


 そう言って片桐は従業員用通路へと続く暗がりを指さした。


 ありがと、とだけ言い残して僕がその通路へ急ぐと、確かにそこには夏目さんの姿があった。ただし三人の若い男たちに囲まれている。


 「夏目さん!?」


 彼女の名前を呼んで駆け寄る。


 握った彼女の手は震えていて、その顔は尋常でなく青ざめていた。おそらく僕の声にすら気づいていない。


 不意に肩を掴まれた。


 振り返ると、『この子のお友達かい? なんだよ、こいつもかわいいじゃねえか。じゃあ二人まとめて……』、というような安定感を感じさせるやり取りを繰り広げる男たちがそこにいる。


 僕は夏目さんを連れて、こいつらから逃げなければならない。どうしたらいいだろう、と思考する。


 視界の隅には僕たちを監視している片桐の姿が見えた。腰に下げた音響兵器に手を掛けつつ、じりじりと射程範囲内へと接近しつつある。


 ……これで行こう、と思った。片桐に本物の平和的解決というものを見せてやろう、と。


 一言でいえば、大騒ぎだ。


 僕は息を吐きだした後、可能な限りの空気を吸い込んで。


 「きゃーへんたーい! だれかたすけてわたしたちおかされるー!!」


 力の限りに悲鳴を上げ、片桐に横目で、『はよ! この悲鳴(チャンス)に乗っかってこい!』と訴えると、状況を察したのか僕以上の大声を張り上げる。


 「……何ぃ、へんたーい↑に襲われてるだとぉ!? スタッフ―ぅ↑! はよ来てくれぇ! スタッフ―ぅ↑!!」


 ボロカスな演技は大目に見ることにした。男たちが通路の奥の方へと逃走する足音を聞いたからだ。


 僕はまだ正気を取り戻せていない夏目さんの両肩を掴み、強く揺らす。

 雷に打たれたようにはっとして彼女は僕を見る。

 まだ状況が呑み込めていない彼女の手を握り、僕は簡潔に、強い口調で告げた。


 「逃げるよ、アヤ!」


 「……え? きゃっ!」


 そして僕は彼女の手を引き、人通りが多く死角の少ない噴水前広場を目指して走り出す。


 すれ違う片桐に親指を立てて感謝の意を伝える。


 同じく親指を立てて応える片桐も、一定の距離を保って僕らの後を追い始めた。


大騒ぎは平和、分かるね?(白目)


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