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一章・三界目覚めるも名を持つ神々未だ醒めず 2

「他人の物盗んで、無事で帰れると思うなよクソガキが!!」


 明らかに面倒ごとである。無闇に関わって利に見合わない時間の浪費は避けたいところだが。

 などとリリアーナが考えている間に、怒鳴り声が聞こえた横合いの細道から一人の…年齢にして10前後であろうか?…少年が飛び出してきた。

 いや、正確には飛び出してではなく、投げ飛ばされて、だろうか。細道から飛び出した勢いそのままで地面を転がり、仰向けに倒れこむ。よりにもよって、リリアーナのすぐ目の前に。


 倒れた少年は土に汚れた衣服に、顔面に殴られた跡が数箇所。

 意識はあるようだが、身体は思うように動かないのだろう。なんとか上体を起こそうとしているところに、いかにも、といった格好の女魔術師と目が合う。

 助けを求める視線。通りを歩く他の人々は、何事かと一瞬少年の方を見るものの、厄介ごとに巻き込まれまいとすぐに目を逸らす。


「縁起を担ぐ方ではないのだけれど。幸先悪いわ」


 側から見れば多少芝居がかったような仕草で眉間を押さえ、天を仰ぐ黒髪の女魔術師。

 そして今し方少年を投げ飛ばしたであろう人物。かなり長身ではあるが、衣服だけ見れば裕福な商家の人間と言っても通用するかもしれない。

 しかし厳つい風貌と袖を捲った腕の太さ、所々に見える真新しい創傷の跡が、真っ当な商売をしている人間ではなさそうであることを物語っていた。

 剃り上げたスキンヘッドと図太い眉毛が、ならず者のような威圧感をさらに増幅させている。


 その男が、件の『泥棒鼠』を追いかけて大股でのっしのっしと、肩を怒らせ詰め寄る。

 丁度、倒れた少年の足元辺り…リリアーナの左手前にあたる位置まで歩んだ時。


「大の大人が、子供に向かって手を挙げるなんて。恥ずかしい事するものね」

「あぁ? 盗っ人を庇おうってぇのか、お嬢ちゃん」


 ギロリと、肝の小さい人間ならそれだけで息の根を止められてしまうのではないかという迫力で、男は女魔術師を睨め付けた。

 喧騒の中でもよく通る声で、明らかにこの状況に対する一言。喧嘩を売っていると取られるのも当然だろう。

 そして、面倒ごとに首を突っ込む人間が現れたことで、あからさまに通りに野次馬が集まり始める。

 しかしリリアーナは平然と。そう、わざと挑発するように揶揄(からか)うような笑みを浮かべる。


「あら、ごめんなさい。独り言のつもりだったんだけど、聞こえちゃった? やっぱり、自覚してることには敏感になるのかな?」


 ニヤニヤと笑い、大袈裟な動きで両手をひらひらと振る。

 甘く柔らかな、魅惑的な声色。しかし挑発的な物言いも相まって、逆に不快感を煽る要素になっていた。

 対して男は、表面上では平静を装うもののこめかみに血管が浮き出てピクピクと震えている。


「そーかそーか。独り言じゃ仕方ねぇな。邪魔する気がないならとっとと退いてくれるかい? 俺も暇じゃねぇんだ」

「あらあら。こっちは突然往来を邪魔された被害者なのだけれど。お詫びの一つも無いなんて、恥知らずな上に礼節も解らないのかしら?」


 男の表情が怒りに歪み、一気に赤くなる。同時に拳を振り上げ、今にも殴りかかる体勢だ。

 上手く頭に血を登らせてくれたことに、リリアーナは内心ほくそ笑む。当然、無意味に挑発したわけではない。

 先に手を出させれば対抗する理由もできる。そして、それとは別にもう一つ『宛て』があった。


 振り下ろされようとする男の拳。襲い来る暴力に身をまかせるつもりは毛頭ない。受け流すように杖を構え…しかし、その拳が実際に彼女に届くことはなかった。


 対峙していた二人に同時に伝わる、背筋の凍る感覚。一瞬肺の腑に、溶けた金属でも流し込まれたかと錯覚するような息苦しさと空気の重み。

 一体何時からそこに居たのか。一体何時からそこにあったのか。

 振り上げた男の二の腕と、杖を構えようとするリリアーナの左前腕を直線で通すように。深紅の刃が下から上へ、寸の間も開けず突きつけられていた。

 浄火の刃。人々にそう呼ばれる、罪を切り裂く深紅の剣。柄から刀身まで全て同一の素材でできており、均一な幅の刃は緩やかな曲線を描く。その切先は垂直に切り落としたかのように平坦な…何とも奇妙な形状の剣。

 男は先ほどとは打って変わって、青ざめた顔でリリアーナの背後に視線を向けた。全身から、恐怖による緊張で汗が噴き出す。

 何時の間にか周りを取り囲みつつあった野次馬たちにまで聞こえるのではないかと思うほど明らかに、ゴクリと喉が鳴る。


「双方申開きは要らん。退けば良し、退かねば斬る」


 低く重く響く声。発した言葉の通りを成す、確固たる意志の重みがそこにはあった。

 リリアーナはと言えば頬を伝う冷や汗はあるものの、平然を装って息を吐き、無抵抗にゆっくりと両手を上げた。これがもう一つの『宛て』であった、王都の治安維持を司る存在。

 国に認められた『名の伝わらぬ神』の教えの信徒。(いさか)いには必ず現れ、罪ある者は即座に斬り伏せる、ある意味で通り魔並みに物騒な『神の御使(みつかい)』である。

 即座に傷や死をもって罪に報いるというのは、通常の考え方であれば横暴というか…治安維持の意味合いで言えば暴挙とも言えるものだろう。

 しかし、王都でこれが認められているのは、『神の御使』の絶対性に支えられているという事に他ならない。

 即ち…『罪を問う場面で、御使は過ちを犯さない』。御使個人の意思は考慮されない。罪を裁くという一点に関して、御使は神の意志を体現する。


「ま、待て。俺は盗っ人を捕まえようとしただけで…」

「御託は良い。今の貴様に正義はない。神がそう定めたもうたのだ」


 深紅の刃が持ち上げられ、男の右腕に僅かに食い込む。切り裂かれた肌から、刃を伝って一滴二滴。血が滴る。

 男は「ヒィッ」と情けなく声を上げ、刃を避けるように飛び退る。そのまま周囲にいた野次馬を乱暴にかき分け、振り返りもせずに逃げ去って行った。



 事が収まったのを確認したのだろう。御使は、突き付けていた刃を納める。それを確認した後ゆっくりと、リリアーナは御使の方へ向き直った。

 そこに佇むのは所謂、神の信徒と一般的に呼ばれる者たちとはかけ離れた出で立ちの『御使』。誰かは来るだろう、という算段はあったが、まさか『知った顔』が来るとは。


 短く刈り込んで逆立てた赤髪。所々神を祀る神殿の紋章をあしらった、厚手の青い外套は、裾がボロボロにほつれている。

 同じく紋章の刻まれた衣服が、辛うじて神に使える者であろうと見て取れるが。

 その上に重ね着した鎖鎧と鱗鎧、並の刃物なら全く通らないであろう厚みの、板金の手甲と脛当て。分厚い革製のブーツ。

 まっとうな生活をする者からかけ離れた鋭すぎる目付き。そして、『御使』の証である、両眼の下に縦に一筋ずつ『罪罰の涙跡』と呼ばれる傷。

 それらも相まって『御使』という言葉よりは、戦の最前線で戦う『兵士』や『剣士』と言った方が合っている、と見る者は感じるだろう。


「今回は神が罪と定めてはいないが…他者を煽るのは程々にしておけ。褒められたものではないぞ」

「ありがとう。助かったわ。そして、ご忠告痛み入るわ。御使のハガネくん。それとも、『狂信の重金属』って呼んだ方が良いかな?」


 ハガネと呼ばれたその御使は仰々しい二つ名に対し、眉間にしわを寄せてあからさまに拒否するような表情で首を横に振る。

 リリアーナからしてもこの御使は以前…王都で活動していた期間に…何度か見かけた程度であり、親しい仲ではない。だが…

 曰く、悪を成す地下組織を単身乗り込んで駆逐した。曰く、老人から金を騙し取った商人をその場で縦に両断した。曰く…曰く…

 何にせよ、王都では知らぬ者のないほど、その二つ名は知れ渡っているのだ。もっとも…本人はあまり気に入っていないらしいが。


「でもさぁ、今回はちょっと遅かったんじゃないかなぁ。怪我人も出た後だし。御使も遅刻する事があるってわけ?」


 若き女魔術師は冗談めかした笑声で。しかし、その目は全く笑っていない状態で。地面から未だ起き上がることのできない少年に手を貸し、神の信徒に問う。


「御使の管轄の外であれば、神の声は届かぬ。俺が刃を突き付けるまでの所業には、双方『正義』があったのだろう。遥か高みに未だ到達できぬ、人の身には掴めぬのだ。神の定めた『正義』は、な」

「正義、ねぇ…」


 リリアーナは少年を支え起こし、怪我の具合を確認する。


「ちゃんと立てる? 動かないところは無い? 傷は…骨は大丈夫みたいね。傷口はちゃんと洗ってね。打ち身は、しばらくは腫れると思うけど…」

「…ありがと。もう大丈夫だから…」


 礼を言って立ち去ろうとする少年に、リリアーナは…その手を握ったまま放さない。ニッコリと、満面の笑顔のままで。


「何だよ。放してよ。礼金でもせびろうってーの?」

「違うわ。一つだけ聞かせて頂戴」


 少し屈み込み、目線の高さを合わせてしっかりと目を合わせる。言葉を発する一瞬だけ、リリアーナの表情から笑みが消えた。


「キミ…一体何を盗んだの?」


 びくりと、少年の体が強張る。目の前に『神の御使』がいるのだ。こんな問いをかけられれば無理もない。

 『御使』の言葉からすると、既に逃げ去ったあの男にも、この少年にも。共に『正義』があったらしい。


 …魔術師を志す者は総じて、好奇心や探究心が旺盛なものである。


 盗まれた物を取り戻そうとする行為は『罪』では無いだろうが、『正義』に値する盗みとは一体如何なるものだと言うのか。そこに興味を持ってしまうのも無理からぬこと。

 言葉には出されていないとは言え、求めに応じて助けたのだから、これくらい教えてもらっても罰は当たるまい。

 暫しの逡巡。そして少年は覚悟を決めたように、懐から一つのブローチを取り出す。


 正面側に緩やかな曲面を描く、縦長の楕円形の上下を切り取ったような形状の、透き通った青い宝石。

 周囲に銀の装飾。アクセサリとしては、比較的シンプルな作りに見える。

 装飾品の価値としてだけ見るならば、大した事はないだろうが…向きを変えると、傾きかけた陽の光が宝石の内側で乱反射する。

 まるで火花が散るようにチラチラと、虹色の煌めきを放っていた。何らかの加工を施してあるのだろうか。


「…これだよ。母さんの形見で、アイツらが…借金のカタに、って取って行こうとしたから…」

「ふむふむ。それを奪い返して、泥棒扱いされたってとこかな。他の家族は? こんな状態で、家に帰って大丈夫?」


 口籠もり、俯く少年。


「…ないよ。そんなもの…」


 諦観に、わずかに苛立ちが混じるような、ため息のような呟き。

 まぁ、何となく予想はしていたが…と思案を巡らせるリリアーナ。突然、ポンと手を打ち『御使』に向き直る。


「よし。ハガネくん。少年を神殿で保護しなさい」

「突飛な提案だが、まず理由を聴こう」


 確かに神殿は、身寄りのない子供を受け入れる孤児院の運営も行っている。しかし、理由なく全ての子供を受け入れるわけではない。

 戦争や災害の状況などを踏まえ、国が運営費用の予算決定をする。その範囲での受け入れを行うが、よほどの理由がない限り追加での受け入れは行わない。いや、費用の関係上行えないのだ。

 なので、今回のケースの場合は…オーケーが出ればだが…孤児院への受け入れをしてもらうのではなく、事件性のある事柄に巻き込まれたことに伴う、飽くまで一時的な保護ということになるだろう。

 だが、わずかな時間でも神殿の庇護下にある事が今回は最重要なのだ。


 家も家族も無い。この言葉が真実ならば…外見からも察するに、この子は貧民街方面から追われてきたのだろうが。

 対して、追いかける側の大男はそれなりの身なり、それなりの立場の者だろう。

 それがわざわざ、家も家族も無い…定住すらしていないであろう少年を探し出してまで奪おうとした『それ』の価値は如何程のものか。


「まず一つ。この子を放っておけば、さっきと同じことが必ず起こるわ。おそらく、ハガネくんや他の『御使』が動くことになるでしょう。放置するだけ手間が増えるって事ね」


 そう。逃げ去った男にも『正義』があるなら、再びブローチを取り戻しに来る事は予想できる。そこで今回のようなことになれば、『御使』は動かざるを得ない。


「二つ目は、気分の問題。巻き込まれたとは言え、せっかく助けた相手が、何も手を打たなければ同じ目に遭うとしたら。気分のいいものじゃないでしょう?」

「…言わんとする事は理解した。良いだろう。ただし、俺もそういう権限を持っているわけではない。絶対の約束はできんぞ」


 『御使』の返答に、笑顔で満足げに頷くリリアーナ。


「そこまで解ってくれれば充分よ。少なくとも、この子を保護する事は罪ではないって事でしょ」


 決まりね。じゃあそういう事だから。と。女魔術師は少年に向き直り、その頭をポンポンと撫でる。

 そしてスキップのような軽快な足取りで3歩ほど間をあけて、ハガネに向かってピッと鋭く手を振った。


「私は行くわね。待ち合わせにはとっくに遅刻だけど。貴方たちの神様に宜しく言っといて」

「ああ。ことごとく主の思し召すままに。今日は良き日となるだろう」


 リリアーナは踵を返し、もともと向っていた宿へ歩みを進める。

 迷いも戸惑いも、先ほどのひと騒動で重圧から解放されたかのように。その歩みはなかなかに軽快だった。


……………………


 女魔術師が立ち去った後、先のやり取りである程度緊張が解けたのだろう。少年が『神の御使』に尋ねる。


「あの人、にいちゃんの知り合いなの? 厄介ごと押し付けられた感じになっちゃってるけど」

「知らんな。向こうはこちらを知っているようだったが。御使の扱いなど、冒険者や魔術師からすればそんなものだろう。さて…」


 神殿に戻り、主の御心に耳を傾けよう。そして、この子の事を知り合いの神官にでも相談してみよう。

 行くか、と少年の方も向かずに声だけ掛け、『御使』は足早に歩を進める。神に仕える者たちが帰るべき神殿へと向かって。

 黄昏時の沈みゆく陽の光は街の半面を照らし出し、その反対側に落とした影はゆっくりと…だが確実に伸び広がる。

 夜は近い。『御使』としての、思考の外の感覚から察するに、早急に備えは必要であるらしかった。

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