一章・三界目覚めるも名を持つ神々未だ醒めず 1
彼女は一人、結い上げた長い黒髪を揺らし、中心街のなか歩みを進める。
名はリリアーナ=ヴィオーラ。
賑わう通りを重い足取りで進むその姿は、如何にも魔術師然としたもので。
動きを阻害しない、ゆったりとした生地の衣服。
腰に巻いた革製のベルトには、横に短刀と儀式刀を下げ、背中側に魔術媒体や薬品を詰めたポーチを吊っている。
頑丈な作りのブーツに、指の動きを阻害しない薄手の手袋。厚手の外套に、手には魔術の杖。
衣服は赤色を基調として、所々に銀糸で方陣を刻んでいる。
久方振りの、王都トドメキアの街並み。
街全体を囲う高層城壁は、平常時は東西二箇所と南側の二箇所、計四つの門扉を解放しており、そこからの道は全てが中心街に集約されている。
中心街に至るまでは一般に使える脇道も無い。他の全ての区画へは、中心街を経由する必要がある。
大通りが城壁から連なる壁に挟まれていることで、巨大な闘技場を思わせる造りになっていた。
歩みを進めつつも、彼女は悩んでいた。
いや、悩んだ末の決断に、今なお『これで正しかったのか?』と自問自答を繰り返していた。
軽く周りを見渡せば、身なりの良い富裕層の家族と思しき三人…若い両親と幼い娘、だろうか。
買い物を終えてか、目抜き通りに面した家具店から出てきたところだった。各々が『精霊』を伴って。
そして、父親が娘に問い掛ける。
「この後は、いつものお店で夕飯にしよう。場所はわかるかなー?」
「うん! きょうも『ごあんない』する! 『シルフィ』!」
名を呼ばれた『精霊』は即座に反応し、宙空に光で描かれた簡易魔術の方陣を展開する。
『方位認識』の魔術。自らの知る特定の場所が、現在地からどの方角にあるか調べる術だ。
『精霊』は、魔術で得た情報を、すぐに声無き言葉で少女に伝える。少女は、あっち! と元気よく指をさし、続いて両親の手を引き歩き始めた。
「『精霊使役魔術』…思ったより急速に、広まりつつある…か」
小さく、溜息が漏れる。
ふと過去を思い出し、遠目に魔術の学院を眺め見た。
王都トドメキアの中央街から東に伸びる通りの先の、特異な形状の建造物群の中に学舎を構える、トドメク王立魔術学院。かつての彼女の学び舎だ。
術師の家系に生まれ、若くして才覚を表し、両親の勧めでこの道のエリートコースとも言える王立魔術学院に入学。
入学後も研鑽を積み、上位の成績を維持していた。就学期間を通して『龍脈と地脈の研究』を行い、決して低くない評価を受け卒業したのが三年前。
当時、東方の列国に拠点を構えるファライト商会という商人組合がトドメキア内に参入し、研究員として誘いの声を掛けられた。
その開発商品というのが、件の『精霊使役魔術』である、という噂があったのだ。
森妖精たちが生来その身に宿している能力に、『精霊交感』と呼ばれる力がある。それによって精霊との間に関係を築き、願いを聞き入れてもらう。それが『精霊術』と呼ばれる術の原理だ。
『精霊使役魔術』は、それを真似て作られた魔術の一種であるらしい。特殊な術具と儀式を用い、具現化した『精霊』と絆を結ぶ。
『精霊』は他の『精霊』たちとの間に『導線』を巡らせ、簡単な情報交換が行える。同時に術具に封じた固有の術式を扱い、絆を結んだ相手の補助を行う。
これにより、習得の相性の悪い術式なども『精霊』に任せて行使できる。基礎的な術式を詰め合わせておけば、先程のような子供ですら間接的に魔術を使えることになる。
その利便性と手軽さから、富裕層を中心に一気に利用が広まり、さらに簡易化されて量産化された物が一般層にも広まり始めている。
…現状はさておき。
その当時の彼女は誘いを断った。理由は、『研究員として閉じこもりっきりの仕事など、真っ平御免』だったから。
魔術の研究は、実践で積み重ねて自らに直接フィードバックがあってこそ成長がある、というのが彼女の持論だ。成長もなく、研究成果も商品として横合いから取り上げられるのでは、やりがいも何も有ったものではない。
それと…
街中の、各所目立つ場所や掲示板に張り出されたポスター。魔術関連の道具を取り扱う店の前に掲げられた宣伝用のプレート。それらに目を向けた時、無意識にその歩みが止まる。
ごく最近のニュースとして、王都の各所に出没している仮面の魔術師のこと。
近日中に来訪予定の、王都の発展に多大な支援を行なったとされる大富豪のこと。
そして、それらの隣の記事には必ずと言って良いほど『精霊使役魔術』が取り上げられ、一人の男の姿写しの絵が載っているのだった。
「プレイン=ブレイン…」
そう名乗る男。ファライト商会から誘いがあった時、一度実際に会って会話したこともあったのだが。この男の存在も、断る理由の一つだった事を思い出した。
当時は研究責任者か何かだったと記憶している。しかし『責任者』などと言う印象はあまり残っていない。
その時の直感ではあるが、仕事を受ける上で信用ならないと判断した。何せ、この上なく胡散臭かったのだ。
研究の方針、展望、いかなる点で利用者に利益があるか。一分の隙もない説明。相手を説き伏せるための話術。完璧すぎる故の不自然さ。そして、極め付けは…
「これは、人々のための研究なんですね?」
ちょっとしたいたずら心のつもりだったのだが。外見だけ見れば完璧な勧誘の、一見バラバラなその言葉の中に秘められた、一つの方向性をつまみ上げたとき。
そう。何気なく、説明の本質であろう部分の、明文化されていなかった一言を問い掛けた瞬間。
その男の瞳に、表情に。一瞬だけ浮かび上がった感情。それは…『憎悪』…に見えた。
兎も角。その誘いを断った後には、結局研究機関や王立施設からの話は他に無く。冒険者兼魔術研究者という不安定極まりない職で三年を費やした。尤も、経緯を思い出せば後悔はしていないが。
何せ今の研究は、やり甲斐がある。退屈することもない。行き詰ることがあっても、それを回避するための策を練るのが楽しい。だが。直面した現実は、もっと直接的で、実に無慈悲だった。
詰まる所…金が無い。
冒険の旅の中でできる限り危険を避けるためにも、各種研究で成果を上げるにも、先立つ物は不可欠なのだ。
貯蓄も心許ないところ、どこから情報を得たのか…恐らく冒険者組合での伝だろうか。寝ぐらに直接手紙で、学院から仕事の依頼が入った。
『歪曲魔導通信網』。
王都を含むトドメキア王国内の、情報通信を司る中核機構。その通信に、同時多発的に異常が出ているという。
それ自体、つい先ほど学院で直接依頼内容を聞いてから知ったことではあるのだが…どうも、今までに前例のない事態らしく、まずはある程度経験のあるメンバーで調査組織を組んでの情報収拾を行おうという事らしい。
当面は異常のある範囲の現状調査及び、可能であれば原因の究明。それが今回の依頼内容だった。それは問題ない。
問題は、通信網の中核の管理の一部を、件のファライト商会が握っているという点だ。
いや、通信網だけではない。最近になって学院の中にすらファライト商会の勢力が入り込んでいるようだ。
商人が魔術学院のスポンサーに着くというのは珍しいことではないが、研究内容や各種決定権にすら口出しし始めているとも聴く。このタイミングの、学院からの依頼を素直に受けて良いのかどうか。
事前に情報収集した時も、悩みに悩んだ。悩んだ末に依頼を承諾し…情けない話だが…未だ迷い続けている。
思うところはある。迷いも振り切れたわけではない。しかし、ちゃんと集中せねば簡単な仕事すら失敗しかねない。そう思い、一度大きく深呼吸をして、考えを仕切り直す。
「さて。待ち合わせはこの先だったはずだけど…」
東西に走る通りの南側。小洒落た富裕層向けの店舗とは程遠い、実用一辺倒の…所謂、冒険者向けの店が建ち並ぶ区画。そこから一本南側の通りに抜けると、さらに専門的な品を扱う店が増えてくる。
その先の突き当たりが、目的の組合御用達の宿だ。着いたらまず、話を聴きながら食事かな…などと考えていると。
「この泥棒鼠が!」
間も無く到着…というところで、人通りもまばらな裏手の通りの方から突然の怒鳴り声が響いた。