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リヒトにエスコートされてご機嫌なセイラのおかげでお茶会は和やかにすすめられた。
それぞれ好きなケーキを頬張りながらリヒトの近況を聞く。
ここで女性関係の話題を出さないというのは話を聞きだす側である大人たちの暗黙の了解だ。
これを破れば和やかなお茶会が一気に大嵐になる。
主にケーキを食べることより、お茶を飲むことよりも、リヒトの一言一句を聞き逃さないことに全神経を注いでいるセイラによって。
いや、アルバも荒れるかもしれない。
そうなってしまえば双子がリヒトにちょっかいを出した女の子やリヒトが恋愛感情抜きにしても気にいっている女の子に何をしでかすかわからない。
きっと12才とは思えない、恐ろしいまでに効果的な一手を打つに決まっている。
あぁ、本当に誰に似たんだろう……。
大人たちはそれぞれうっかり想像してしまった恐ろしい光景を掻き消すようにお茶を啜った。
「あ、そうだ!
ボス、お願いっていうか……うん、やっぱりお願いがあるんだけど……。
いいかな?」
「なんだ」
珍しいリヒトの“お願い”に大人たちはパチリと目を瞬いて期待に瞳を輝かせた。
小さなころからイタズラはしても“お願い”は滅多になかった。
あったとしても「クリスマスプレゼントどうしよう?」とか、お願いされる側にしたらちっともお願いに含まれない健気すぎるものしかなかったのだ。
よし!何でもきいてやるぞ!!
リヒト兄様のお役に立つぞ!!
何故か、ノクト以外―――双子とステラまでもが意気込んでリヒトを見つめる。
リヒトはその瞳に気押されて困ったように頬を掻く。
「えっと、その、………帰って来てもいいかな?ココに」
息を呑んだのはノクトだけではなかった。
大きく目を見開いて言葉を失うノクトとルナのかわりにジオが吠える。
「~~~バカ野郎っ!!いいも悪いもねぇだろ!!ココはお前の家だ!!」
「そうですよ、リヒト様」
何とも言えない顔で自分を睨みつけるジオと優しく笑うニナにリヒトは曖昧に微笑んだ。
その視線の先には未だに固まるノクトとルナが居る。
「……やりたいことは、終わったのか?」
「うん」
「見たい世界は、もう見られたの?」
「うん」
「本当に、もういいの?」
震えるルナの声にリヒトはルナたちの知らない顔で微笑んだ。
それは確かな成長を伺わせる子どもから大人へと移ろう笑みだった。
「うん。……気がついたんだ」
「気がついた?」
「足りなくなったら、ここで学べばいいって。
それに、今、俺が一番見たいものはここにしかないから」
そう言って不思議そうな顔をする双子とステラに視線を向けたリヒトにルナは堪え切れずに涙を零した。
慌てるリヒトにぎゅうぎゅう抱きつく。
ノクトはその姿にようやく無意識に入っていた体の力を抜いてゆったりと椅子に体を沈めた。
柔らかく綻んだ唇と細められた瞳は真っ直ぐにリヒトとルナを見つめている。
その姿を見てもセイラは珍しく何も言わなかった。
アルバとステラもその光景を黙って見ていた。
はじめて見る両親の、兄の、自分たちの決して踏み込めない世界を、ただ黙って見つめていた。
まるで寄宿舎のある学校に行くといいだした時のようにわんわん泣くルナにリヒトは困ったように眉を下げた。
「姉ちゃん、泣かないでよ」
「だって、だって、嬉しいんだもん!」
「はぁ……。リヒト、ほっとけ」
「ボス」
「ルナがすぐ泣くのは今に始まったことじゃねぇだろ。それより、」
どう言えば良いのかと悩むノクトにリヒトはニッコリと笑ってノクトのすぐそばまで歩み寄った。
そして徐に膝をつくと呆然としているノクトを真直ぐと見上げる。
「ボス、若輩故至らぬこともありますがお側でお仕えすることをどうかお許しください」
顔をあげてしっかりとノクトの目を見つめてそう言ったリヒトに大人たちは息を呑む。
子どもたちもリヒトの行為が時間を止め、空気をガラリと変えたのを肌で感じていた。
まるで、物語のワンシーン。
若い騎士が心から敬愛する王に忠誠を誓う、とても神聖で侵しがたい美しい光景。
それを父が、兄が、作りだしている。
場所は見慣れたテラスなのに、ノクトが座っているのは自分たちが座っている椅子と寸分変わらないものなのに、その椅子が玉座に、普段着のリヒトが正装をした騎士に見える。
「り、ひと……」
気押されたのは子どもたちだけではなかった。
声にならないのは、ジオだけではなかった。
その空気に呑まれたのは、ニナだけではなかった。
混乱しているのは、ルナだけではなかった。
ノクトも自分の手をとり、忠誠を誓うリヒトを信じられないものを見る目で見つめる。
声がかすれる。上手く言葉が紡げない。
それなのに、すっとその手を離したリヒトはなんでもないように笑う。
いつもと同じ、いやもう随分と見ていない悪戯が成功した子どもの笑みで。
「一回やってみたかったんだよね」
「リヒト!」
大きな声が出た。でも怒っている訳ではなかった。
ただ、分からなかった。分かりたくなかった。
ノクトはリヒトを息子だと思っても、部下だと思ったことはない。
リヒトがジオを介して仕事を手伝うようになっても、それでも、リヒトはずっと息子だった。
それなのに、その絶対の線引きが、たったあれだけの行為でひどく揺らいだ気がした。
混乱するノクトを、険しい顔をするジオを、複雑そうな顔をするニナを、今にも泣き出しそうなルナを、リヒトはゆっくり見まわした。
そして不安そうな顔をする双子とステラを見て最後にまたノクトに視線を戻すとリヒトは困ったように眉を下げながら柔らかく微笑んだ。
「ボス、大丈夫だよ。俺はもうちゃんと分かってる。
だけど、もう守られるのは終わりにして支える側にまわりたい。
だからボス、許してくれる?」
力強い声に迷いはない。
柔らかく、優しい声の裏側に秘められた強さが、真っ直ぐにリヒトの思いを伝えた。
家族だけど、家族だから、誰よりも尊敬して憧れるボスを支えたいんだ。
ボスが大事にしてるものを、俺も一緒に守りたいんだ。
そのために、俺は広い世界を見に行ったんだから。
守られてるだけの時間は終わりにして、俺も支える側に加わりたい。
俺も、ボスの役にたちたいんだ。いいでしょう?ボス。
その瞳に、声に、表情に、もう何度目かもわからない息子の成長を見てノクトは無意識に息を吐いた。
「……許す」
しっかりとリヒトを見据えた目は、ここまでリヒトを見守り育んだ父親のものであり、リヒトが憧れ続けた男のものであり、これから支え、手足となって働くと決めた主のものだった。
リヒトはそれを真正面から受けてぱぁあっと破顔する。
「やった!ありがとうボス!」
ノクトがほっと息を吐いた子どもたちを横目に視線を滑らせると今にもリヒトに飛びつきそうな右腕とそれを宥めようとする部下兼妹分、それから瞳を潤ませて柔らかに微笑む妻が居た。
ノクトは母親の顔をして笑うルナに同じ笑みで返す。
優しくあたたかな空気がその場を包みこんだ。
「兄様、改めておかえりなさい」
「ただいま」