7話
小学生の頃、家族で出かける時間が楽しかったことを今でも覚えている。父親の運転で車を走らせながら、後ろの席で母親とお喋りしているだけで楽しかった。
いつからだろう。両親と買い物に行くだけで恥ずかしさを覚えるようになったのは。それが俺が男子だからなのだろうか、それとも女子もそう感じるのだろうか。
「陽ちゃん、お母さん今日のお夕飯の買い物行くんだけど」
「ああ、いってらっしゃい」
「…陽ちゃんついてきてくれないの?お母さんに重たい荷物持たせるの?」
「…行くよ」
とまあ、これが今日あった会話である。こういう風にいくら恥ずかしい感情があったとしてもうちの母親の前では関係ない。母さんの名前は神崎 弥生。昔はもう少しおっとりしていて、おとなしい人だったような気がする。どこか子供っぽい性格が見え始めたのは父さんがあまり家に帰ってこなくなってからだった。
父さんはいつに日からか、出世してあまり家にいなくなった。その日から母さんと2人でいることが多い。
実を言うとうちにはもう一人、姉がいるのだが…
あまりこのことについては触れたくない。
子供の俺から見ても、母さんは美人だ。今でも街を歩いていると、声をかけられるらしい。そして父さんは、はっきり言って普通。おそらく、いや確実に俺は父さんの顔に似たと言える。
もし俺の顔が母さんに似ていたら、それはもうイケメンだっただろう。なんてことはさすがに親に言えたもんじゃない。
「今日はねえ、陽ちゃんの好きなカレーだよ」
買い物へと向かう車の中で、助手席に座る俺に話しかけてくる。ふと横を見れば、夕焼けの温かくて明るいオレンジ色の日の光が車内を照らし、髪の毛を耳にかけ楽しそうに笑っている顔が見える。
やっぱりわが母親ながら美人である。なにがそんなに楽しいのか、息子と近所のスーパーに出かけるだけなのに、その気持ちばっかりは俺も親にならないとわからないものなのだろう。
スーパーにつくと早速、お目当ての品を探しに向かっていく。平日の夕方、買い物かごをもって買い物をしている主婦が多く、大きく動けばほかの人にぶつかってしまいそうになるほどの人だかりだ。
「人が多いねえ」
「母さん、かご貸して俺が持つから」
「ありがとね」
母さんはそう言うと嬉しそうに俺の肩をばんばんと叩いてくる。
「しょうがないからお菓子一つ買ってあげる」
「俺を幾つだと思ってるんだよ」
「幾つだとしてもお母さんにとっては子供なのよ」
そう言ってふっふっふと屈託のない笑顔をこちらに向けてくる。
「人参と玉ねぎと」
俺が持つかごに、ほいほいとカレーに必要なものが入れられていく。重みを増していくかごに自然と力が入っていく。
「重くない?大丈夫?」
少し重いなと感じ始めたころ、ドンピシャのタイミングで聞いてくる。思わず言葉が出なくなってしまいそうになるが、さすが母親といったところか。それよりもこの質問をしてくるあたり俺はそれほど頼りないように見えるのだろうか。否定できない自分がいるのが悲しい。
「大丈夫、てか重かったとしても母さんに持たせるわけにはいかないでしょ。そう言われてついてきたんだし」
「そうはいっても心配になるのよ。それに私が本気でそう言って陽ちゃんについてきてもらったと思ってるならまだまだ子供ね」
「なんだよ。違うのか?」
「さあね?いつかわかるわよ」
そう言ってさっさと行ってしまう。
どうせならいつかじゃなくて今知りたいんだけど。どうせ聞いても教えてくれないんだろうな。母さんはそういう人だ。
せっせと夕飯の食材を選ぶ母さんの後ろをついていくと、遠くになにやら見覚えのある顔が見える。
あれは荒木だよな?
何かを探しているかのようにあっちへこっちへとうろうろしている。まるで迷子になった小学生の女の子が一生懸命お母さんを探しているように見える。
しまいには目が悲しそうにしぼみ、悲しみがこちらまでひしひしと伝わってくるようだ。
何をしてるんだあいつは。まさか本当に迷子じゃないだろうな?高校生だぞ。
なんか面白いのでそのままじっと荒木の方を見ていると、ふとした瞬間に視線がぶつかったのでつい顔をそむけてしまった。
だってなんかめっちゃ目を見開いてこっち見てくるんだもん、あいつ。
怖かったがそっと顔を戻すと目の前にはちっこい少女。
「うお!びっくりした」
「…探したじゃん」
「探したって俺をか?」
「うん。歩いてたら陽太がスーパーに入って行くのが見えたから追いかけてきた」
…なんだこいつ、可愛いな。なんだか荒木の背後にぶんぶんと振られている尻尾がついてるみたいだ。
「なるほど。それでさっきからきょろきょろしていたのか」
「つい新発売のお菓子見てたら見失っちゃって。ていうか陽太、私に気づいていたのならどうして声かけてくれなかったのさ!」
「いやちょっとな」
「…もしかしてやっぱり陽太も私のこと友達じゃないと思ってるの?」
「え?」
「だっていっつも友達だと思っていたのに、みんな私から離れていくもん。陽太もそうなんでしょ?」
荒木は花瓶を割ってしまった子供のような悲しげな表情を見せる。
はあ、やっちまったな。
「どうだろうな」
「陽太?」
「確かに荒木は最初わがままなやつだなと思ったけど」
「やっぱり」
「最後まで聞け。あの時、友達ができたことが嬉しいって言ったのは紛れも無い本音だよ」
「本当に?」
「ああ、だから少なくとも俺は荒木を友達だと思っている。だから心配するな」
「…うん」
いつのまにか俺の服の裾を掴んでいる彼女は、顔の奥に光が射したような笑顔を見せていた。