4.対立と指導者の死(1)
ゾーヤ再び。歴史の表側と裏側。
一九二三年四月の第一二回党大会は、ウラジーミル・レーニン欠席のまま開かれた。中央委員会のメンバーを始めとする幹部たちにはすでに承知済みのことであり、また欠席それ自体は広く知らされていたが、現場ではやはり混乱が起こった。遠路はるばるやってきた地方の工場や組織の代表たちは、誰に対して挨拶をすればよいか、わからなかったのである。ある組織はカーメネフと(欠席の)レーニンに挨拶し、別の組織はレーニンとトロツキーに、また別の組織はレーニンと、ジノヴィエフ、カーメネフ、トロツキーに、さらにまた別の組織は頭をめぐらせ、不在のレーニンだけに挨拶を述べた。指導者は、いったい誰なのか? この国を指導しているのは、誰と誰なのだ? ――スターリンへの挨拶はほとんど無かった。しかし、そのことで落ち込んでいる暇はなかった。そう、こういうときのために同盟を組んだのだ。この第一二回党大会は、特に地方の一般党員たちの前に「トロイカ」がその姿を現した党大会であるとも言える。スターリンは、先のトフストゥーハを始めとする自分の秘書室の人間にトロツキーを中傷させ、彼を「革命の墓堀人夫」であるとほのめかした。その一方で、彼に対する嫌悪感を表立っては態度に現さない自制力をも身につけていた。これまでの党大会では、中央委員会の一般報告を発表してきたのは、常にレーニンであった。さて、今回はどうするのか‥‥スターリンは、トロツキーが代役に相応しいと言い出した。トロツキーの虚栄心を見越して、罠にかけたのである。見ろ、こいつはやはり潜在的ナポレオンだ――というわけだ。‥‥トロツキーはこの手には引っかからず、代役を拒否した。結局、一般報告を行なったのは、ジノヴィエフであった。
「グルジア問題」に関して、スターリンがレーニンから批判されていることは周知の事実であったが、本人の欠席をいいことに、スターリンはこれを何とか誤魔化した。また、公式の演説で初めて「レーニン主義」という用語を肯定的に用いてみせた――この用語は、一九〇四年にメンシェヴィキのメンバーによって作り出され、彼らによって侮蔑的に用いられてきたのであった。スターリンはこうすることで、レーニンを持ち上げてみせる一方、彼の死と将来の神格化をほのめかした(この手はつづく。スターリンは、「ほのめかす」ことで、書類上の証拠やいわゆる言質を与えず、己が目的を達成するのである)。
スターリンはまた、この党大会において、「未来の指導者たちの世代」を準備する必要を訴え、中央委員会の拡大を唱えた。地方の、また若い活動家たちを入れて同委員会に新しい活力を、というわけであるが、この新メンバーを選ぶのは書記局と組織局である‥‥。
「プロレタリアート独裁は――」
いみじくも、カール・ラデックが指摘した。
「書記局独裁に取って代わられようとしている」
また、ブハーリンの直感は、この「新しい活力」案を鋭く捉えていた。トロツキーの言によると、ニコライ・ブハーリンは彼に、次のような悩みを訴えていたという。
「(同僚たちが)党を下水溝に変えようとしている」
これは愚痴めいた物言いとなり、トロツキーはその深さに気づきながらも――あるいは気づいたからこそかもしれないが――政治的な党派争いをやめようとはしなかった。やめていれば、歴史がよくなったとは必ずしも言えないが‥‥。そして悲しいかな、当のブハーリン自身、己の直感から洩れ出た言葉を、あまり重要視しなかった。
夏‥‥。ヨシフ・スターリンの前にフェアリーが再び現れ、そして彼は、老婆との三度目の邂逅の機会を得ていた。もう御託宣はいらないが、聞きだせる情報があるなら、足を運んでやろうか。そんな気分だった。ロシア――ペトログラードにしてはとても暑い、肺のなかに沈殿しそうな空気の日であった。こんな日、ソーダ水やレモネードの売店前には、子どもたちだけでなく、いい歳をした大人たちも集まる‥‥。クワスという微炭酸飲料も、よく売れる。人々ののどを潤し、頭をシャキッとさせるのだ。
‥‥あの薄暗い異臭の地下室で、老婆――ゾーヤは、相変わらず鍋を掻きまわしていた。
「いつぞや、ぬしらの頭目‥‥指導者というのか‥‥あのレーニンが、撃たれたことがあったじゃろう‥‥」
スターリンは、思い出していた。内戦のさなか、一九一八年の八月、末。スターリンは記憶力の優れた男であったが、彼でなくともボリシェヴィキであれば、あのレーニン狙撃事件は忘れようもなかった。モスクワから一報が入り、部下たちとともにスターリンも驚愕し、狼狽したものだった。もっとも、他の者たちと一緒だったのはそこまでで、スターリンにはその不測の事態が、一筋の光明のようにも感じられたのだった。レーニンが死ぬ。そんなことは、それまでのスターリンには、思いもよらぬことだった。初対面のときこそ、そのいまひとつ風采の上がらぬ容貌に拍子抜けしたとはいえ、その後、彼の支配力――スターリンの目にはそうとしか映らなかった――を見せつけられることになったスターリンにとって、レーニンは絶対者であり、鋼鉄の重しであった。それが‥‥。
(意外と、脆いものなのだ‥‥)
ツァリーツィンのスターリンへの最初の一報が遅かったこともあり、レーニンの命に別状がない旨は、次報としてすぐに伝わってきた。スターリンの抱いた希望は束の間の夢と消え去ったが、心ひそかに抱いたその思いは、以後の彼の心を軽くしていた。
「あれが、どうしたというのだ」
スターリンは思いを反芻しつつ、老婆に問うた。
「まさか、あれがおまえの仕業だというのではあるまいな」
ヨシフ・スターリンは、幾分愉快そうに言った。無論、そうだ、という答を予想してのことではない。だが、あの事件を契機として、自分のレーニンへの見方が変わったことを、彼はどこかで自覚していた。そして(一時トゥチェキーのせいでえらい目に遭いもしたが‥‥)自分はここまで来たのだ、という彼なりの自負があった。
しかし、手を止めた老婆の口からは、驚くべき言葉が洩れた。
「――そうじゃ。あれは、わしがやった」
これには、さしものヨシフ・スターリンも、言葉を失った。
「エスエルの‥‥右派というのか? ぬしらに敵意を抱いとる男がおっての。そいつにやらせた」
老婆は、どうでもいいことのようにつぶやき、再び大鍋を掻きまわしはじめた。
スターリンは茫然自失の態であったが、しかし老婆の言葉を聞き洩らしてはいなかった。
「馬鹿な‥‥。男だと? 犯人は――」
逮捕し、銃殺したのは、女のはずだった。たしか、ファーニャ・カプラン。自白もしている。
「あれは‥‥!」
老婆の手は動き続けていたが、声には怒気が込められていた。
「ぬしらの見込み違いじゃよ。とんだ人違いじゃ。あんな目の弱い女があの距離から当てられたと思うか? 阿呆どもが‥‥!」
老婆は毒づき、目の前の男をではなく、不幸なファーニャ・カプランを思ってか、いくらか声を弱めた。
「――あの女には、本当に酷いことをした。胸が痛むわい‥‥。わしも、まさかぬしらの警察が、そこまでマヌケとは思わなんだでな。ろくろく調べもせず、あっという間に殺してしまいよった‥‥! 助ける間もなかったわい‥‥。――あの女を生まれ変わらせるときには、良い境遇を与えてやらねばの‥‥。それは、わしの立場とて、そうそうたやすいことではないんぞ。ひと苦労じゃ‥‥」
「では‥‥真犯人は‥‥。その、エスエルの男の名は?」
「たしか、ドゥリャーギンというたな。そうじゃ、アラム・ドゥリャーギンじゃ。三十過ぎじゃったか‥‥。あのファーニャが逮捕されたのをいいことに、まんまと逃げおった。くだらない男じゃった‥‥」
老婆は口のなかでぶつぶつとつぶやき続けながらも、大鍋を掻きまわす手を止めることはなかった。きわめてゆっくりと、しかし休まずに掻きまわし続けた。老婆が過去形で語ったことに、スターリンは気がついていた。そして、沈黙した。それは、老婆からさらに話を聞きだそうという彼の試みだったが、老婆は党員たちとは違い、この手は通用しなかった。老婆は、まるでスターリンの存在など忘れたかのように、小声でぶつぶつと何事か唱えながら――ヨシフ・スターリンはそこで初めて、それが呪文のようなものであることに気がついた――飽くことなく、大鍋を掻きまわす作業を続けたのだった。
「婆さん――」
しびれを切らしたのは、スターリンのほうだった。
「その男は、いま、どこにいる。何故あんたは、そいつに手を貸したのだ」
この男の生来の粗暴さが、頭をもたげはじめていた。
「返答次第では、あんたを逮捕せにゃならん‥‥」
「‥‥‥‥」
「われわれの警察は、あんたが思ってるよりも、はるかに職務熱心だ。婆あだからといって容赦はしない‥‥」
スターリンは低い、ぞっとするような声音で脅しにかかったが、これも老婆には無力であった。老婆は、まるで酔漢の戯れ唄でも聞くかのようにヨシフ・スターリンの言葉を聞いていたが、やがて鍋を掻きまわす手だけは止め、負けず劣らず低い枯れた声を出した。
「どこ‥‥のほうは、察しがついてるんじゃないかえ? わしは、わかっていることを、いちいち答えるのが嫌いでの」
老婆の言い方はまるでレーニンを思わせ、ますますスターリンを苛立たせた。
「‥‥とっくにこの世にはおらんよ。あの事件の後、ウクライナへ逃げていったんじゃが、そこで足止めを食らっての‥‥。あろうことか、ぬしらのスパイだと疑われたのじゃ。――ま、わしが細工してやったんじゃがの‥‥。そうこうするうちに戦争に巻き込まれて、おっ死んだよ。ドイツの軍隊に吊るされて、ぶうらぶうら揺れとったわい‥‥。当然の報いじゃ。あんな卑怯な男とは思わんかったからの‥‥」
老婆の言葉は、疑えばどこまでも疑うことができたし、あるいは、真実なのかもしれなかった。しかしスターリンにとって肝心なことは、目の前の老女が重要人物であるということだった。容疑者として引っ立て、そのアラム・ドゥリャーギンという男について調べがつけば、レーニン狙撃の真犯人を党に明かせる。それが自分の手柄になることは、間違いなかった。ジェルジンスキーへの牽制にもなる。スターリンは彼とは仲良くしようと努めたが、彼が忠誠を誓うのは、どこまでもレーニンに対してであった。最近では、邪魔な存在とスターリンの目に映りはじめていた。
(GPUがあればよい‥‥)
秘密警察組織は、もう十分に大きく、強固なものになっていた。ジェルジンスキーがいなくても、機能するように思えた。しかし、彼に対抗し、自分が主導権を握るには、より多くの事柄を知っておく必要がある‥‥。
「婆さん、あんたは、党に対する重大な犯罪の、極めて重要な参考人だ」
ヨシフ・スターリンは、努めて重々しく言った。
「だが、俺を導いてくれた恩もある。いま、俺にすべてを話すのなら‥‥」
――見逃してやってもいい、スターリンは匂わせた。無論、そんなつもりなど毛頭ない。どうあっても、この老婆を逮捕させるつもりであった。調書をとるために。それによって党機構を納得させるために。だが老婆には、そんなスターリンの脅しと懐柔策が通じる気配は、一向になかった。
「婆あ、俺がこんなに親切に――」
スターリンは自然に、強盗時代に戻ったかのような伝法の口調になった。この男は、何も変わっていなかった。
「――してやっているのがわからないのか? 俺には、おまえのこのけったいな商売を畳ませることはもちろん、いますぐ表のヤゴーダに、おまえを逮捕させることもできるが‥‥」
彼はGPUに所属する自分の警備チームの長の名をあげた。赤軍所属のヴラーシクと競わせることで、双方の能力向上をはかっていた。しかし老婆は、ヒ、ヒ、ヒ‥‥と、ゆっくり笑っただけだった。
彼がトロツキーと違っていたのは、その後の発言と行動だった。
「婆あ! その臭い大鍋に、頭から突っ込まれたいのか? 笑うのをやめろ。俺を怒らせるなよ‥‥!」
ヨシフ・スターリンは拳銃を抜き、老婆の頭に狙いを定めたのだ。ナガンM1895回転式拳銃。装弾数七発のダブルアクションタイプで、帝政時代から彼らの軍やオフラーナ、またボリシェヴィキ等の反体制勢力、強盗‥‥らが使用しており、彼にも馴染みの銃であった。旧式ではあるが、赤軍やGPUでいまだ標準の軍用拳銃でもある。実は射撃は上手くなかったが、至近距離であるし、脅しには十分だと思えた。老婆は笑うことをやめ、首から上だけを動かして、ヨシフ・スターリンを見た。
「やれやれ。ぬしらはみんな似とるのう。――まあええ、答えたる。何故――とな。何故わしが、そんなことをやらせたのか――知りたいのじゃな‥‥!」
老婆はそこで初めて、長いばさばさした白髪の間から、ギロリとスターリンを睨みつけた。その眼光はこの世に喩えるものがないほど鋭く、一瞬で彼の肝を冷やさせた。しかし、ここで退くわけにはいかない。一旦は逸らしてしまった銃口を、スターリンは再び、老婆の頭部に向けた。ゾッとするような地獄の光の目が射線上にあった――狙われているのはどちらなのか。
「理由はまあ、ふたつある‥‥」
老婆の次の言葉は、驚くべきものだった。
「ひとつは、あのトロツキーじゃよ」
老婆は、思いのほか素早く、くるりとスターリンのほうに体を向き直らせた。例の、歯の欠けた、底知れぬ暗い空洞のような口が、スターリンに向かってまくしたてた。
「わしゃあ、あの男にやらせてみたかったんじゃ、ぬしらの頭目を、の‥‥。あのレーニンより、いい男と思うたからの。とはいえ、殺すのはやりすぎと思い、ちゃんと外させてやったんじゃわい!」
「‥‥‥‥」
「しかし、例のドゥリャーギンが逃げたことといい、鍋の具材がうまく煮えんこともある‥‥。あのトロツキーも、レーニンと大差ないことは、その後を見ていてわかった‥‥。理想は高くてもな‥‥。〈軍人〉なのかのう‥‥。――人を殺めることで築かれる世界など、所詮足元の死体の山から血が滲み、溢れ出てくるのだということを、理解できんようじゃ。やれやれ、いい男だったのに、残念じゃ。――もっともおまえは、わしの忠告も聞かんと、徒党を組んであのトロツキーを締め上げておるか‥‥! やれやれ! まったく、やれやれ、じゃ!」
老婆の口の歯は、欠けてはいるが、前よりも残っている本数は多かった。しかしヨシフ・スターリンは、そのことに気づかなかった‥‥。
「――婆さん、あんたを逮捕する。そこを動くな。――国際シオニスト集団による同志レーニン暗殺計画‥‥その全貌を明らかにせねばならん‥‥」
老婆は、スターリンのたわごとなど、聞く耳を持たないようだった。
「わしらは、少なくとも聖公の御世からずうっと、ルーシの民じゃい。むしろ、わしらの一族ほど、由緒正しいルーシの民も珍しかろうて‥‥。シオ‥‥何じゃって? 何もわかっとらん。ロシアにはロシア、つまり、わしの一族がおり、ユダヤにはユダヤの、また別の一族がおる。東スラヴの国々にも、西スラヴ、南スラヴにも‥‥。それぞれまた、一族に分かれてな。ドイツにはドイツの、イングランドにはイングランドの‥‥。この世はわしたちで、何とか均衡を保っておるんぞ、この大馬鹿もんが!」
「そこで黙れ、婆あ。続きは、いや話はすべて、GPUの担当が――」
スターリンは老婆を睨んで脅したが、老婆――ゾーヤは、「すべて、じゃと? いいのか? すべてを明かして! ぬしもただでは済まんのじゃぞ!」と欠けた歯を剥き、彼を逆に黙らせた。
「‥‥どういうことだ?」
スターリンは、いくぶん冷静さを取り戻し、尋ねた。
「ぬしじゃよ。ぬしがレーニンを殺すことを望んでいると、あのフェアリーが伝えに来たんじゃ」
「俺が? 馬鹿な‥‥。命惜しさにいい加減な――」
「フェアリーは嘘は言わん。いや、言えんのじゃよ。――あの男が撃たれる三日前じゃな、おまえは、ともの者ふたりを前に酔っ払い、そうぬかしたはずじゃろう‥‥。思い出したか‥‥? ほれ、ほれ‥‥」
自分に向かって動かされる老婆の長い爪の指に掻き出されるように、ヨシフ・スターリンの記憶が甦った。ヴォロシーロフとブジョーンヌイを前に、レーニンに死を、と叫んだあの夜‥‥。
「あやつは‥‥フェアリーは、残念ながらおまえら人間というものが理解できていなくての。嘘はつけないし、他人の死など願うことができないから、言葉をそのまま伝えることしかできないんじゃ‥‥。まあ、わしには察しはついたがの。それもあるんじゃぞ、殺さずに、外してやったのは‥‥」
ヨシフ・スターリンの頭のなかは、疑問と恐怖とが錯綜していた。
(どうしてあの夜のことが‥‥。まさか、あのふたりのどちらかがスパイ‥‥? いや、違う、こいつはフェアリーと言っている。あの忌々しいチビに聞かれていたんだ‥‥。そういえば、あのとき窓は、開けていたような‥‥)
(しかし、この婆あはいったい‥‥。どこまでだ、どこまで見通しているんだ‥‥? ――撃つか? この場で撃つか? ――待て、待て‥‥。そんなことをしたら、証拠がなくなる。こんな婆あが取調べで何を喋ったところで大丈夫だ――ヴォロシーロフとブジョーンヌイには、口止めをしておけばよい。大体、発言したくらいでは罪にはならん‥‥。いや、しかし、トロツキーがこれを知ったらまずい。この婆あには奴も会っているのだ‥‥。くそっ、この婆あはどこまで――‥‥)
「見通しておるか、じゃと? ふんっ、おまえごときの心の内なぞ、すべてお見通しじゃよ。とっくにな‥‥!」
老婆は憎々しげに言い放ち、スターリンを驚愕させた。まるで、正確にトレースするかのように――。
(――俺の心を読んでいる!)
スターリンの葛藤が、心の声が、老婆には聞こえていたのだ。
(馬鹿な、こんなはずは――)
ヨシフ・スターリンの抵抗は、老婆の口から発せられる言葉に打ち砕かれた。
「――こんなはず、あるんじゃよ。やれやれ、今ごろ気づいたか。あのラスプーチンは、一度で気づいたぞい‥‥。そして、もうひとつやれやれ、じゃ。――わしはこんな男に、つきあわねばならんのか‥‥。やれやれ。定めとはいえ、やれやれ!」
(落ちつけ、コーバ。心を鎮めろ。思うな――)
老婆はしかし、うんざりしたようにそんなスターリンの顔を眺め、やがて、深く嘆息した。
「とはいえ、わしは、おまえと会うのはこれが最後にするよ。後は、あのフェアリーを通して伝え――ほ? ほほ? ははぁ、こりゃまたおぬし――本心でもそう考えとるのか‥‥!」
(考えるな、コーバ。思うな、あのことを――)
「‥‥血塗られたぬしらの組織には、なるほど、相応しいことかもしれんのう‥‥。ふん、噛み合え噛み合え、毒蛇どもが。噛み、殺し、そしていずれ、己の毒にあたるのじゃ‥‥。ぬしと、ぬしらが殺した無辜の民草に誓おう――ぬしらのひとりでも多くに、安らかな死は迎えさせんことを――無論、ぬしは特にな‥‥。――よぅし、おまえのその望み、叶えてやる‥‥」
「やめろ、婆あ‥‥。――やめろ、やめるんだ‥‥!」
コーバ――ヨシフ・スターリンは、いまや錯乱寸前であった。心の奥底にしまってあるはずの、ある望み――それが現実に言葉にされようとしているのだ。それは彼にとって大きな恐怖であった。
「やめろ、やめるんだ! ――婆さん、やめてくれ‥‥!」
「なるほど、いま、おぬしの望みは現実のものとなりつつある‥‥。不自然ではない。――ヨシフ・ジュガシヴィリよ、そうじゃ、それじゃ! 誤魔化すでない。わしにはすべて聞こえておるんじゃ。ぬしはいま、心から望んでいる。――レーニンの死を!」
翌朝、GPUの隊員たちが老婆の家を急襲した。もちろん、スターリンの指示によるものだった。前夜、彼はなかば錯乱しながら老婆のもとから去り、護衛のゲンリフ・ヤゴーダに抱えられるようにして、車のバックシートに身を沈めたのだった。後は、よく覚えていない。ベッドに倒れこむようにして入った記憶は、おぼろげにあったが‥‥。そんな状態でも彼は、すべきことは忘れていなかった。老婆の家――地下室への入り口――の場所は覚えていたし、未明には起き出して、水を一杯飲んだだけで、GPUへの電話を急いだ。そして午前中の間、苛々としながら、部屋という部屋を歩きまわりながら、報告を待った。
GPU隊員たちは隊員たちで、懸命だった。たしかに指示された場所に、地下室への入り口――階段はあった。しかし、その階段の終点には、樫の木のぶ厚い扉があり、そしてそこには、その扉に負けないくらい年代物の、巨大な鉄の錠前がつけられていた。その大きさたるや、手練れのGPU隊員たちをして、初めて見るものだった。彼らがいままでに破壊してきた貴族の屋敷、或いは教会や修道院にも、これほどのものはなかった。おまけに命令に、「あまり騒がれずに」と、あった。「必ず生かしたまま逮捕すること」――そうも厳命されていた。容疑者は「白衛軍の生き残り」で、「外国と連絡を取り合っていた重要人物」ということだった。しかし、隊員のなかには「右派エスエル」の「国際シオニスト組織のリーダー」という説明を聞かされてきた者もいた。これは、スターリンが狼狽のあまり、二度GPUに連絡したことが原因だったが――ともかく隊員たちは、目の前の巨大な錠前を見て、ターゲットが大物に違いないことは確信しつつも、扉を静かに開けることに腐心せねばならなかった。ドアを何度もノックし、容疑者がおとなしく出てきてくれないものかと念じつつ、時間を取られ、結局、斧で扉を叩き壊すというあまり静かとは言えない方法で、そこを突破した。
ゲンリフ・ヤゴーダも、隊員たちに発破をかけていた。
「同志スターリンから聞いた‥‥。かつて内戦の最も困難な時期、同志レーニンから電話を受けたそうだ。そのとき同志ヨシフ・スターリンは『必ずや、素晴らしい――いや、劇的な戦果をあげて御覧にいれます』と力強く受け答えた、と‥‥。同志レーニンは、声が震えるほど感激していたそうだ――。今回、同志スターリンは諸君らにそれを望んでいる‥‥」
ゲンリフ・グリゴリエヴィチ・ヤゴーダというこのちょび髭の男も、例に洩れず出世主義者で、それ目当てにスターリンに近づいてきた男であった。
‥‥地下室は、小卓、聖像箱、使い込まれたバラライカ、等々々々‥‥ありとあらゆるものが床に散乱し、生温かかった。暗い室内の中央付近には、入り口付近よりもさらに多くの物が散乱していたが、指示にあった、年代物の肱掛椅子、というのはすぐ目についた。彼らの組織の上役に伝えられた情報はほぼ正確だったわけだが、ひとつ、重要な要素が欠けていた。異臭、悪臭――なんと表現してもよいが、鼻腔を引き裂かんばかりの、この世のものとは思えない臭いが、隊員たちを襲ったのだ。懐中電灯を手にした者は、拳銃を手にしているほうの肘で鼻を覆わねばならなかったし、ふらふらとその場に倒れ込んで担ぎ出される者が二名、許可を貰い、自分の足で階段をのぼっていった者は四名にのぼった。正気を取り戻しても、この六名は地下へ降りてこようとはしなかった。これでは、時間もかかるというものだ。隊員たちは、地下室の入り口付近の左側にあたる位置に、指示にはなかった寝室と思われる部屋を発見できたりもしたが、指示にあった大きな鍋、そして肝心の容疑者の姿は、何処にも見えなかった‥‥。
「‥‥‥‥」
ヤゴーダから報告を受け取ったスターリンは、むっつりと黙り込んだ。
(使えない奴だ‥‥)
今回の件は、スターリンを幻滅させるに充分だった。
(ジェルジンスキーの後は――)
両手をからませ、指と指のくぼみからちらちらと覗くように許し請いの視線を送る、ちょび髭のゲンリフ・ヤゴーダ。そんな彼をうんざりと横目で睨み、また前を向き、スターリンは頭をめぐらせた。
(こいつを――と思っていたが、ダメだな‥‥。もっと頭が回る奴を――)
出世主義者たちも、それなりに大変なのである。
トフストゥーハはその才を買われ、「プロレタリア革命」という雑誌の編集長も任されていた。この年、この「プロレタリア革命」に、レーニンが十月革命前、ドイツから資金を得ていた証拠となる手紙が彼によって掲載された。スターリンの差し金である。病床のレーニンは激怒し、トフストゥーハは左遷された。彼がモロトフの補佐役であったことは前述の通りだが、このトフストゥーハの、さらに補佐役をしていたアレクサンドル・ニコラエヴィチ・ポスクレブイショフという男が、スターリンの目にとまることになり、以後、スターリンの執務室を仕切ってゆく。スターリンより一二歳年下、シベリアの飢えたる狼――という表現は、あまりに詩的すぎるだろうか――鋭い眼光のこの若い男には「華麗な」前歴があった。バランチンスキー郡労働者・兵士ソビエト兼エカテリンブルク県労働者・兵士ソビエト代議員として、先の皇帝一家の処刑宣告に署名していたのである。この一件を以て、やはりトフストゥーハと同程度には知られる男であった。
トロツキーとトロイカは、対立した。その対立は、次第に深まっていった。一九二三年一〇月上旬、トロツキーは公開状で、彼らトロイカが選挙ではなく指名権を濫用していると批難した。書記局による独裁ではなく、党内の民主主義の復活を求めた。彼の公開状は広く回覧されたが、一〇月一五日には中央委員会により閲覧禁止となった。同日、トロツキーを支持してはいるが彼よりも左側に位置しているといえる〈四六人組〉と呼ばれるグループが、声明書を出した。トロイカは、トロツキーに激しく反論する一方、この〈四六人組〉の声明書について、中央委員ほか、このグループの一部も招いて会議を執り行なった。会議では、トロツキーとこのグループへの非難決議が決まる一方、「党内民主主義」については原則同意が成された。このグループは、現指導部の有効性、さらにはボリシェヴィキの統治そのものにすら疑問を突きつけていた。トロツキーは、このグループとは距離を置き、共闘することはなかった。分派の禁止‥‥第一〇回党大会の決議が、彼に重くのしかかっていたのである。中央委員の間から一般党員の間、またモスクワや都市部の党員の間から地方の党員の間、この順にトロツキーの影響力は次第次第に削られてゆき、彼は孤立させられていった。
この年の一一月、GPUはさらに合同国家政治局(統合国家政治局)――略称OGPU(オーゲーペーウー、オゲペウ)――に改編された。組織は変わっても、構成員は変わらず「チェーカー」と俗称され、また「GPU」とこれも変わらず呼ばれることがあった(「OGPU」は、組織全体の略称)。議長もまたジェルジンスキーのままであったが、その下には、後釜を狙う男たちが群れをなしていた。
議長代理ヴャチェスラフ・メンジンスキーも、そのうちのひとりである。ボリシェヴィキ内ではカール・ラデックと並ぶ語学の天才として知られ、非ヨーロッパ言語を含む実に十六ヶ国語を操った。ジェルジンスキーが革命とレーニンに絶対の忠誠を誓ったのに対し、この男は現在の党指導部に同じものを誓った。スターリンにとって、ここが肝心な点であった。
この年、全連邦中央執行委員会により、ソビエト連邦の国章と国旗が定められた。エンブレムは、地球の上にこれでもかと大きく描かれた交叉した鎌と槌があり、地球は下から太陽の黄色い光で照らされ、小麦の穂で囲まれていた。小麦の穂は赤いリボンで束ねられている。そのリボンには、ロシア語、ウクライナ語、ベラルーシ語、グルジア語、アルメニア語、タタール語(カザン・タタール語、トルコ・タタール語)で、同じ文句が記されていた。――「万国の労働者団結せよ!」――。エンブレムの頂点には、赤い五芒星が配置されていた。国旗は、濃い赤一色の旗に、濃い黄色(金色)のやはり交叉した鎌と槌、その直上に、同じ黄色(金色)で縁取られた、やはり赤い五芒星が置かれていた。この国旗は横に細長く、その縦横比は一対二、旗の裏側は赤一色で、何も描かれていなかった。実はこの国旗は、二代目である。しかし一代目の旗は、僅かの間しか国旗の座になく、この二代目が、ソビエト連邦の国旗として定着してゆくことになる‥‥。
この時期までにボリシェヴィキが決定的な勝利をものにした対象のひとつは、正教であった。拡大するその支配地域に入った聖堂、修道院はよくて閉鎖、悪くすれば破壊の憂き目に遭った。財産は没収された。一九二一年から一九二三年の期間で、判明しているだけで、八一〇〇人を超える聖職者が処刑された。白海オネガ湾上のソロヴェツキー諸島の歴史ある修道院は、ボリシェヴィキ体制下初の強制収容所となっていた。
一九二四年一月二一日、ウラジーミル・イリイチ・レーニンが死んだ。発表は翌日に行なわれた。その日、一月二二日の朝、工場のサイレンが鳴り響き、重大ニュースに耳を傾けるよう人々に知らせた。重篤であることは発表されていたから、人民たちも、この日が来ることは薄々わかっていた。革命の天才を見送ろうと、数千の人々が雪の街路に並んだ。正教の――宗教一般の――原則非合法化を目指すボリシェヴィキは、この偉大な指導者の死を、どのように扱ったらよいかわからなかった。しかし、いやだからこそかもしれないが、葬儀は盛大に執り行なわれた。まるでツァーリの葬儀のようじゃないか、とは誰も――さしものカール・ラデックでさえも、表立っては――言えなかった。
一月二七日、レーニンの棺は同志たちの手によって、赤の広場に運ばれた。担ぎ手は、ヨシフ・スターリン、レフ・カーメネフ、ヴャチェスラフ・モロトフ、ミハイル・カリーニン、T・サプローノフ、ヤン・ルズターク、そしてニコライ・ブハーリン。
トロツキーは‥‥? スターリンの策略により、遠ざけられた。亡き同志を送る担ぎ手たちのなかにトロツキーの姿が見えないことは、人々の胸に彼への疑義を湧き起こさせた。大衆に告別の機会を与えるため、レーニンの遺骸はモスクワの労働組合会館に安置された。人民たちが行列を作った。行列は長く長くつづき、蛇のように曲がりくねった。
彼の死の直前、古代エジプトのファラオ、ツタンカーメンの墓がエジプトで発見されており、世界的なニュースになっていた。唯物論者たちはこの影響を受け、彼の遺体に防腐処理を施す決定をくだした。また霊廟を造る計画が立てられ、実現に向けて永久保存委員会が設立された。ペトログラードは「レニングラード」と改名された。日曜日を「レーニン日」と改称すべきとの意見すらあった。彼の顔は煙草の箱に登場、廟の形をしたインク壷も出回った。レーニン・グッズがあまりに広く出回ったため、永久保存委員会は、許可のないものをすべて禁止にせねばならなかった。
レーニンの置き土産が、スターリンを危機に陥らせることになった。彼は、スターリンを批判する遺言を残していた。第一三回党大会に先行する中央委員会、その閉会の一日前頃、クルプスカヤがこの遺書と遺言補足書を公表した。そこには、次のような決定的な一節もあった。
「同志スターリンは書記長になってからというもの、無限の権力を手に入れた。私は、彼がその権力を常に十分に慎重に行使する能力の持ち主かどうか、疑問に思う」
党大会においてこれを公表するかどうか、討論が行なわれた。トロツキーを恐れるジノヴィエフが、スターリンを擁護する論陣を張った。トロツキーは、沈黙していた。公表すべきでないという方針に対する票決において、ラデックは、そんなジノヴィエフに毒づきながら、トロツキーと共に反対票を投じた。結果は、三〇対一〇で公表せず。このようにして、レーニンの精一杯の警告は、人民はおろか、党内部にさえ満足に伝えられることはなかった。
偉大な指導者の逝去を記念し、また革命の路線をより堅固にするためとして、ボリシェヴィキは、実におよそ二十万名もの党員を新しく入党させた。これらの若い党員たちは、一見この期待に応えるかのように、競い合うようにして党に忠誠を誓った。しかし大方の古参ボリシェヴィキたちは、見込み違いをしていた。ソビエト連邦の誕生と時を同じくするように、彼らは大人になった世代であった。だから、彼らが忠誠を誓ったのは、過去の革命に対してというよりは、未来の己の栄達と現指導部に対してなのであった。スターリンは、彼の一派は、そのことをよく理解していた。
「将来の党の発展は――」
ヴャチェスラフ・モロトフは、もっともらしく述べた。
「疑いなくこのレーニン記念入党者に基礎を置くであろう‥‥」
一九一七年以前の入党者は、およそ八千五百人にすぎなかった。そして、この大量の新党員たちは、生きているレーニンにも、革命戦争の指導者としてのトロツキーにも、会ったことがなかったのである。下水溝は、かようにして拡充してゆく‥‥。
ウラジーミル・イリイチ・ウリヤノフの遺体はガラスの棺に納められ、木造の霊廟に安置された。その遺体には防腐処理が施され、永久保存されることとなった。臓器はすべて摘出され、腹部は縫合されなかった。これは、およそ一年半に一度行なう、防腐剤を浸透させた液に遺体を浸す作業の際、液を浸透させるためのようだ。頭髪、またトレードマークともいえた口髭や顎鬚も残された。こうして、ウラジーミル・レーニンの肉体は、時を超えて眠りつづけることになるのである。
――彼の精神は、どうであろうか――‥‥?
この遺体保存技術はエンバーミングという技術で、このレーニンの遺体保存によりこの国で技術として本格的に確立された。もともと欧州では土葬が主流であり、遺体からの感染症蔓延のリスク軽減を目的として遺体保存の技術が発達していた。ソビエト連邦のこれは、それを特殊に発達させたものである。
エンバーミングの起源は、容易に連想できるように古代エジプトにおけるいわゆるミイラである。近代のエンバーミングは、一九世紀のアメリカ南北戦争を契機として発達した。広大な国土が戦場となったため、兵士の遺体を故郷に帰すために長期間を要するようになり、これが必要になった。火葬が多い土地の人々にはこのエンバーミングが奇異なものに映ることもあるが、必要な人々にとっては、ごく一般的な措置といえる。キリスト教社会では、教会の見解として、火葬を長らく禁止してきたのである。この頃、改めるべきとの趨勢が強くなってきてはいたが。ただ、このウラジーミル・レーニンの遺体保存は、人民への遺体の公開も検討されており、やはり特殊なものであるといえた。