~市場~ Ver.D
エピローグは、Ver.A、Ver.B、Ver.C、Ver.Dの四バージョンがあります。ここではVer.A=A、Ver.B=B、Ver.C=C、Ver.D=Dと表記します。
Aが原型、それぞれエピソードを付加したものがBとC、両方のエピソードを付加したものがDです。
付加部分は、歴史的事実よりもこの作品内で扱った諸テーマに焦点を合わせた内容です。B、Dをお読みになると、あるボリシェヴィキのそれまでの印象が変わるかもしれません。イメージを壊してしまったらごめんなさい。Cでは作中の女性ふたりの後日譚、および戦車中隊を襲った「事件」の顛末とやはり後日譚を描きました。
作者側ではBを「ブラックバージョン」、Dを「ダークバージョン」と呼んでいます。また、エピソード以外の部分でも、細部の違いはあります。
目安を書くと、
長さ:D>B>C>A(縦書き用:D〉B〉C〉A)
後味の悪さ:B=D>A=C(縦書き用:B=D〉A=C)
となっています。
また、後味とは別に、BとDの付加部分は別の小説になってしまっているかもしれません。そして表現としてはR-18ではありませんが、この部分は「大人」向けだと思っています。ただ、本作におけるナチス/ナチズムの扱い方、もう一方のニコライ・エジョフの描き方に不安を覚えられた場合、この部分をお読みになれば、「中和」されるとは思います。とはいえ、また別の不安を覚えることになるかもしれませんが。
Dは特に長く、またB、Cとも、一小説作品のエピローグとしてバランスを崩している長さだと思います。蛇足だという思いも拭えないのですが、ネット掲載という形式の利点を生かし、このようにいたしました。
この四バージョンは、どれが本物のラストで、どれが偽物のラストということはありません。ぜんぶ本物です。それぞれを味わっていただけたら幸いです。
その後は、フルシチョフの時代だった。彼はマレンコフを辞任させ、ソビエト連邦の実権を握った。そして、自分の途を歩み始めた。一九五六年、第二〇回党大会において、スターリンの悪事を暴露、これを批難し、世界中に衝撃を走らせた。コミンフォルムは廃止された。フルシチョフは西側との平和共存外交を推進、これは「雪どけ」と呼ばれた。しかし――東欧のハンガリーで民主化要求の運動が盛んになると、戦車で鎮圧した(ハンガリー動乱、一九五六年革命)‥‥。NATOに対抗するべく、ソビエト連邦を盟主とした東欧諸国の軍事同盟ワルシャワ条約機構が結成され、また秘密警察や収容所もなくなることはなく、MVDの管轄であった保安機能がMGB側に移され、国家保安委員会――KGBとして再統合された。
アメリカとの軍拡競争はこの国にも水素爆弾を誕生させ、また爆撃機によらない核攻撃を可能とするICBM(大陸間弾道ミサイル)、それより射程の短いIRBM(中距離弾道ミサイル)、SRBM(短距離弾道ミサイル)という超兵器を誕生させていた。これらミサイル開発の副産物としてのロケット技術を用いて、彼の政権下、ソビエト連邦は、一九五七年に史上初の人工衛星スプートニクを、一九六一年には、やはり初の有人宇宙船ヴォストークを、宇宙というフロンティアへと送った。また、やはり核攻撃を可能とするSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)が登場し、潜水艦の用兵思想を大きく変えた。そして、原子力を動力とする潜水艦の登場は、「潜水艦」それ自体に革命をもたらした。また、五番目の軍隊として、戦略ロケット軍(戦略ミサイル軍)が誕生した。初代総司令官は、就任後ほどなくしてバイコヌール宇宙基地での新型ロケットのプロトタイプの実験中に爆死、二代目総司令官にキリル・モスカレンコが就任した。
一方、彼のスターリン批判とその後の反スターリン潮流に我慢ならなかったのか、一九五七年、モロトフ、マレンコフ、そしてカガノーヴィチらが組んで、彼を失脚させようと動いた。フルシチョフはこの策謀に耐え、逆に彼らを追放した。国外ではカリブ海のキューバにこのIRBMまたMRBM(準中距離弾道ミサイル)を核搭載で配備しようとはかり、世界を第三次世界大戦の勃発寸前にまで持っていったが、結局アメリカほか西側諸国の圧力により失敗に終わった(キューバ危機)。国内においても、北部カザフスタン、西部シベリア、ヨーロッパ・ロシア南東部の広大なステップ地帯を開拓し食糧生産量を向上、また以前からのビジョンもありアラル海を灌漑し綿花栽培量を向上させようという計画を大々的に推進したが、これらもたちまち暗礁に乗り上げた。ミコヤンは、フルシチョフとの友情を保ち、したたかに生きのびた。
「雪どけ」は国内にもわずかに及んだ。サッカーの世界ではかつてのCDSAが復活し、一九六〇年に「CSKAモスクワ」となった。スターリングラードは荒れ果てていたが復興し、一九六一年、ヴォルゴグラードと改められた。
毛沢東率いる中華人民共和国とは、社会主義建設の路線をめぐって対立することになった。世に言う中ソ論争である。対立は深まり、一九六九年には国境紛争まで起こった。ベトナムでは、かつてブハーリンの東方勤労者共産大学で学んだホー・チ・ミンが、フランス、そして超大国アメリカとの闘争を指揮し、見事に彼らを打ち破り、独立へと導いていた。アメリカもこれにより深く傷つき、国内の文化は分裂、威信は地に堕ちた。
一九六四年、フルシチョフは、レオニード・ブレジネフらによって追い落とされた。ミコヤンは、フルシチョフに何度も励ましの電話をかけた。しかし彼もまた、翌年には失脚の憂き目にあった。ブレジネフは厳密にはレーニン記念入党者ではなかったが、ほとんど入党の時期を同じくしており、彼らの世代の筆頭格であった。彼らは、あの二十年代に未来を拓かれた世代であり、スターリンを――彼らにとっての旧き佳き時代を――懐かしんだ。ブレジネフの時代は長く続いたが、経済は低迷し、各分野で西側に大きく引き離された。
ヨシフ・スターリンの子どもたちのその後についても、簡単に触れておく。ワシーリーは父親の死後すぐに逮捕され、ベリヤの失脚と処刑の後も釈放されることはなかった。一九六〇年に仮釈放されるも、すぐに酒浸りの生活に戻った。ヴォロシーロフに禁酒を勧められたが、アルコール依存は治らず、素行が問題とされ、カザンに追放、二年後に死んだ。スヴェトラーナはインド共産党員の男と恋に落ち、公式には認められない結婚生活を送ったが、その幸せの期間は短く、夫は持病でこの世を去った。彼女はインドへ赴くことを許され、ガンジス川に亡夫の骨を蒔いた。彼女はしばらくガンジスのほとりで暮らした後、こともあろうにアメリカ大使館に駆け込み、西ヨーロッパを経由してそのままアメリカ合衆国に亡命してしまった。
ブレジネフの死後、ソビエト連邦における政治・経済の混迷は一層深まり、一九八五年、ミハイル・ゴルバチョフが書記長に就任した。彼は「ペレストロイカ(立て直し)」「グラスノスチ(情報公開)」を唱えた。ネップが再評価され、一九八八年、ブハーリンが名誉回復された。カーメネフ、ジノヴィエフ‥‥ほかモスクワ裁判で消えた人々も、ヤゴーダを除き名誉回復された。スルタンガリエフ、そしてスピリドーノヴァ‥‥誤った政策により反革命の烙印を押され消えた闘士・知識人たちも名誉回復されていった。
一方、西側先進諸国において、一九六〇年代頃から、「新左翼」という、スターリン主義を批判・否定し、乗り越えようとする左翼運動が興隆したが、その一端をトロツキー主義(トロツキズム)が担っていた(ただ、トロツキストたちはこの呼称を嫌う傾向にあると言われる)。ゴルバチョフは一九九〇年には複数政党制を導入し、共産党の一党独裁に終止符を打った。保守派の不満は高まっていたが、彼らと人民の多くは、別の未来を見ていた。
一九八九年、支配下にあった東欧諸国で連鎖的に民主革命が起き、各政権は次々と‥‥ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、ルーマニア‥‥――テレビによって情報を共有した人民たちの手で倒された。ルーマニアの独裁者となっていたニコラエ・チャウシェスクは処刑された。九十年代に入り、中国が、やはりあの東方勤労者共産大学で学んだ鄧小平の指導のもと市場経済を導入、豊かさへの途を歩み始めようとしていた。小国アルバニアは独裁者エンヴェル・ホッジャ亡き後も頑張っていたが、スターリン式の体制はすでに限界に来ていた。一方、あの後スターリンが認めた金日成は、朝鮮半島の北半部に絶対的支配体制の国家を築き上げ、なお権力を握りつづけていた。そしてその座を、中世の王朝国家よろしく、息子に世襲しようとしていた。
一九九一年、夏‥‥。その日の午後遅く、街の並木通りで、その高年の男は、ひとりの黒っぽい服の少女とすれちがった。少女はすれちがいざま男に一瞥をくれ、何か妙な感触を彼の内面に湧き起こした。だが、それはかすかなもので、かつ、男はそれを深く考えることなく、無意識に頭から追い出していた。しかし、その刹那に――。
チェルノブイリ。
なぜかふと、そんな言葉が脳裏をかすめた。五年前、大変な原発事故が起こった場所だ。世の中はどんどん悪くなる。
(チョルノーブィリ。ウクライナの‥‥。わが部隊もその近くを通った‥‥)
彼は少し以前、「ソルデス」というSF小説を書いていた。二十年ほど前にカザフ共和国で化石が発見された体毛の痕跡が残る翼竜のことで、郵便切手にもなっていた。ある種の翼竜の化石に体毛らしき痕跡があるという報告はずっと以前からされていたが、学会には否定する意見も多く、このソルデスの発見以降、翼竜の恒温性、そして恐竜の恒温性に関する議論が活発化したのだった。体毛といっても哺乳類のそれとは異なる――こういったうんちくを盛り込んだ作品で、仕事柄その切手を見慣れていた彼は、退職後の楽しみとしてその作品を仕上げ、ある出版社に送ったのだが、丁重なお断りの手紙と共にその自信作は送り返されてきたのだった。
――二〇分も経った頃だった。
(俺は――)
イヴァン・I・ノヴォセロフは、突然気がついたのだった。
(あの女と会ったことがある――!)
記憶の糸が、解きほぐれていった。戦争中のことだ。自分は戦車兵だった。そして、あるとき――自走砲部隊に配属された直後のことだった――ドイツの捕虜となっていた女たちを解放したことがあった。そのときに、出会った女だった。たしか、チェルノブイリのあたりを過ぎ、ベラルーシに入ったあたり――。
だが、いま、彼に一瞥をくれて通りすぎたのは、まだ十代なかばにみえる少女だった。イヴァン・ノヴォセロフは、自分の直感と記憶に当惑した。似ている――だけではないか? 血縁者なのかもしれない――だとしてもすれ違うということは奇跡的な確率だが――本人が若返ったと考えるよりは、まだ受け入れやすそうに思えた。イヴァン・ノヴォセロフがしかし、そう決めつけて心の安定を図ろうとしたそのとき、さらなる思い出――記憶が彼を襲った。イヴァン・ノヴォセロフの身体を、電気に打たれたような衝撃が走った。
「俺は、あの女と会ったことがある‥‥」
中隊長の言葉が、よみがえった。
「だが、どこでだか、どうしても思い出せない――」
戦争中、自分が戦車兵だったこと。これは思い出すも何もない、いまも自宅のアパートメントに、写真が誇らしげに飾られている。彼には所帯を持っていた時代もあったのが、妻からは離縁されていた。が、現在でも、長女がたまに彼の孫を連れて訪ねてきてくれており、その男孫を聞き役にその彼の栄光の時代の「話」を披露しているのだ。――昔は、長男に、だった。しばしば「モスクワ防衛軍の歌」を交えながら。
長女は、もしもそういった顔つきを競うコンテストがあるならば優勝間違いなしといった、思いきりうんざりした顔で、どこかへ行ってしまう。父親を尊敬していないことは明らかだ。どこでどう教育を間違えたのか、
(あいつは、わかってない‥‥)
と――イヴァン・ノヴォセロフは思うのだ。
(俺には、魔法の時間があるんだ‥‥)
誰にも話していない、自分だけの秘密。毎夜の魔法の時間が‥‥。その時間の間、彼は変わることができるのだ。その間、世界は彼の味方だった。
――燃えさかる焚き火の前で、戦友たちと歌い、いろいろな話をしたものだ。ときに物悲しく、ときに胸に希望を湧き起こすアコーディオンの調べ――‥‥。戦争の見通しの話、戦争が終わったら何をするか‥‥。故郷の話、不思議な話――そのなかには、装填手ドゥリャーギンの、謎めいた妖精に関する到底信じられないようなおとぎ話もあった。そして、中隊長の思い出話‥‥。戦場の話もあったが、彼の旧友や出会った軍人たちの話が多かった。
彼がまだ駆け出しの戦車兵だったという時代の、無学だが思いやりと責任感に溢れた尊敬すべき戦車長の話や、始終何か食っていた役立たずの同僚の話‥‥勇ましい戦闘の話を所望するイヴァンを中隊長は強く制し、彼の目を見つめながら、特にこの戦車長の話を、力を込めてしたものだ。腕を振りながら――。
(――‥‥あれは、戦車長、中隊長という仕事は大変だ、と言いたかったのだろうか‥‥)
しかし、彼が子や孫の前で口にしていたのは、専らその時代の栄光の面についてだけであり、まだ息のあるドイツ兵を戦車で轢き殺したことや、傷の手当てが受けられず苦しみながら死んでいった戦友のこと、各地で見た農民やユダヤ人と思われる死体の山々、スメルシの恐ろしさ――彼らに逮捕され、何処かへ連れていかれた直属の戦車長でもあった中隊長のこと――自分は彼を信頼し、尊敬していたにも関わらず、彼を救うための行動を実質的に起こさなかったこと――他にもいっぱいあった‥‥等々は、ほとんど話さなかった。そして、一九四四年の春、自分がSU‐85の部隊――息子や孫にかたる歳月を経て、イヴァンの記憶は、自分が最初からT‐34‐85に乗っていたかのように修正されかけていた――に配属されたばかりの頃、戦場で出会った不思議な女のことも‥‥。
彼が最近書き始めた、先のSFに代わる小説のなかでも、そうであった。――一九四一年冬、モスクワ攻防戦で侵略者との闘争を誓った少年は、やがて成長し、一九四四年春、赤軍戦車部隊に配属される――戦記物である。主人公は、かつての自分。
‥‥若き戦車兵は獅子奮迅の働きを見せ、敵ティーガー戦車を次々と撃破、その功績が認められて戦車長となり、そしてついに、宿願であったケーニッヒス・ティーガーとの対決を果たす‥‥。
これは出版社も放っておかないだろう。出版され、うまくすれば映画化されて、大儲けも夢ではない――‥‥しかし、中隊長をどう描くかで煮詰まっていた。
歴史の書きかえを図るのは、何も権力者だけではない‥‥。
スメルシの登場で、あの女についての話題は部隊内ではタブーとなり、彼も、誰にも話すことはなかった。やがて、あの女のことを知る戦友も、ひとり、ふたりと戦死し、ワイネル中隊長が逮捕され――そして、ドイツとの戦争が終わった。束の間の解放感――彼も戦友と抱き合って勝利を喜んだものだった。イヴァンには、昇進の話が来た。これは、若い彼の戦車長への正式な昇格を意味してもいた。しかし、やはり若すぎたためだろうか、その話は立ち消えになってしまった。同時に、部隊は再編成され、日本軍と闘うために東へ向かうことになった。昇進できていれば彼も部隊と行動を共にしたかもしれないが、そうではなかったため、彼は部隊から離れ、ほどなくして軍からも除隊した。戦前と同じような抑圧感が、社会を包み込み始めた頃だった。
彼は郵便局員になった。来る日も来る日も、変わり映えのしない配達という仕事。創造性もなければ、何か有益なものが積み重なりもしない。なるほど俺は、局のラック置きの雑誌に書いてあるように、たまに幸福を人に運んでいるのかもしれない。だが、そんな俺のところへは、どんな幸運の便りも届いたためしはない。最近来るものはといえば、公共料金の通知と督促状ばかり‥‥。
局に入りたての頃は、軍隊にいたときと変わらず、偉大なる同志スターリンの肖像画が彼を見守ってくれていた。母は、戦後ふたたび離婚した。同じ写真のスターリンが見守るモスクワのアパートメントでその母と暮らした。「航空デー」は素晴らしかった――一斉に「偉大なるスターリンに栄光あれ!」を叫んだときのあの一体感‥‥しかし、その後の政治の都合により、あの素晴らしい国歌も、メロディーはそのまま、同志スターリンを讃える箇所を差し替えた、力ない歌詞となった。けしからん話だ。世の中はどんどん悪くなる――‥‥母が心を強く痛めたユダヤ人排斥ムードの時期もあった。そして――彼のみならず全てのソビエト人民を見守ってくれていた偉大なる父、人民の太陽であった同志スターリンは死んだのだった。彼はこれからどうなるのかと震えたが、母はむしろほっとしている様子すら見せた。その一件で、彼と母との溝は深まった。その後も様々な人生の――多くは不愉快な――出来事が続き、イヴァン・ノヴォセロフをして、女のことを忘れさせていった。
イヴァン・ノヴォセロフがブレジネフ時代にアリゾフと再会したとき、向こうはまだ現役だった。戦車には、T‐54の改良型T‐55を経て、強力な新型であるT‐64が、そしてさらにより強力な最新型T‐72が登場していた。戦争中はほんの新兵であり、再会当時はT‐55の中年戦車長となっていた彼も、時代から取り残されようとしていた‥‥。
軍隊時代の仲間とは、戦後長い間、なかなか会えなかった。ノヴォセロフのように退役した者もいたが、現役として軍に残った者もいた。ドゥリャーギンが戦車長となり、あの後、対日戦に参加し戦功をあげ、さらに部隊の中隊長にまでなったことは風の噂に聞いていたが、彼とは会えずじまいだった。その後T‐54まで一緒に乗りくんだというアリゾフによれば、彼もいなくなったということだった。
一九五三年六月末、彼らの所属する部隊は首都モスクワへ進撃したという‥‥。
ドゥリャーギンが消えたことが、本人の意志によってなのか、この社会の強制力によってなのかはアリゾフは語らず、ノヴォセロフにも聞き出す勇気はなかった。
――世の中には、知らないほうが幸せなこともあるのよ‥‥。
そう言っていたのは、同じ郵便局で働いていた女だった。配達員ではなく、保健係などという誰でもできるような仕事――書類に記入するだけ――をやっていた中年女。
「つまらないわねえ」
が口癖のノンナ・チコヴァーニ。
平凡を絵に描いたような女のくせに、いや、だからなのか、年若かった俺に、妙に世を知っているような安っぽいことを言いやがって。
「――あなたの目の前の人間が、本当にあなたの思うような人だと思う?」
「どういう意味ですか」
彼女は既婚であることは局の皆が知っていたことだし、素振りにも目つきにも彼を性的にからかうような感じはまったくなかった。
「あたしもいろいろあったのよ、昔‥‥」
そう言ってノンナ・チコヴァーニは、遠くを見る目をしたのだった。
――こんな女に、何があるってんだ。メロドラマに憧れる頭の悪い女。どうせ、戦争中のロマンスか何かだろう。あの大戦争は、この国全体に振りかかった災厄だ。まったく影響を受けていない人間など、皆無といっていいほどの。
このノンナ・チコヴァーニが仕事場である局で熱心にやることといえば、郵政事業の局内雑誌をラックに並べる作業だけ。本当にそれだけなのだった。何が面白いのか、普通なら一日に一度、せいぜい二度のその作業を、彼女は朝から夕方まで何度となくやっていた。雑誌の並び方がどうの、ラックが斜めになっているのどうの、雨が降っているから――屋内でも――湿気がどうのと、それは愛しそうにやっていたのだった。
その作業が終わると、彼女の目の輝きは失せる。それからため息をつくのだ。必ず。
それはまあいいが、それ以外の仕事は、本当につまらなそうな顔でつまらなそうにやるのだ。毎日毎日。そして口を開けば、仕事に関係ないおしゃべりと、先の口癖と来る。配達員の身にもなってみろと、ノヴォセロフならずとも愚痴りたくなるというものだった。
先の会話は――。あれは、一九五三年七月‥‥。まだ大戦の爪痕が生々しく残っていた頃――スターリングラードやロストフから来た者の話では、街は廃墟のままということだった――同志スターリンの死の少し後。あのKGBになる前の秘密警察のトップ(男の名は、ノヴォセロフも口にしたくなかった)がいなくなった直後のことだった。
(――なんだ、つまりドゥリャーギンとアリゾフがモスクワへ行ったすぐ後、か‥‥)
ラジオが賑やかにその呪うべき男の犯罪を述べ立て、街角にも木箱や錆びた鉄製の壇が置かれ、その男を批判する臨時の演者が次々と立っていた。党員であることもあれば、そうでないこともあった。国をあげてのその男への批判は、一週間ほどでピークを過ぎ、その後は次第に沈静化していった。だが、彼が再評価されることは二度となかった。それが世の中というものだ。
ノンナ・チコヴァーニは、そのピークの時期からいくらもしないうちに、仕事がきついと言って、グルジアのどこだかに帰っていったのだった。
(グルジアの‥‥スフミとか言ってたか――。そんな田舎町、俺には関係ない‥‥)
そうだ。そのちょうど盛り上がっていた時期、局でその批判の集会へ行こうということになり、同僚たちと出かけたのだった。彼女も一緒で、その凄い熱気の集会場でノヴォセロフの隣にいたのだった。ノンナ・チコヴァーニは、かの呪うべき男の来歴をある演者が述べているとき、なぜか男物のハンケチで涙を拭いていたのだった。演者によると、なんと一九一六年――この国の始まりである革命の前年から、すでに帝政の秘密警察オフラーナのスパイであり、ボリシェヴィキを探っていたというのだった! その後は臨時政府、メンシェヴィキ、ミュサヴァト等々のスパイとして暗躍、わが国の政治・経済に大打撃を与え、その正常な発展を妨げたと‥‥。会話は、その翌日か翌々日の夕方に交わされたのだった。
‥‥さて、中年戦車長アリゾフだが、最新型戦車T‐72の前で敬礼する、ゴルシューノフというらしい若いパリパリのエリート戦車兵の写真を見ながら、くたびれたため息をついたのだった。
「――こいつは俺が教育したんだが、出世した途端、よそよそしくなっちまった。何でも父親も戦車兵で、戦争にも出たというんだが‥‥」
(親子二代の戦車兵、か‥‥)
不意にノヴォセロフは、自分の父親はどうだったのだろう、という思いにとらわれた。軍人であったこと以外、知らなかった。なんとなく、海や空のそれではなく、地上部隊だろうという思いはあったが。
「よくある話さアリゾフ。――ゴルシューノフか、聞いたことないな‥‥。いや、待てよ‥‥誰かが言っていたような‥‥――。まあ、あの頃は、戦車兵なんていっぱいいたからな。単に工場か何処かから徴用されてきただけの素人かもしれんぞ、その親父さんも」
ここであらためてノヴォセロフは、父親のことが気になっている自分を発見したのだった。
「時代が違うよ。いまのT‐72は、カセトカ――新型の自動装填装置だ――はともかく、レーザー測遠機に射撃統制装置つき、そのうちに反応装甲ときたもんだ。まるでSFだよ」
ノヴォセロフにはそれらの単語自体、よく理解できなかった。そんな彼をどう見たものか、アリゾフは続けた。
「もう、俺たちの頃とは何もかも違う‥‥。俺だって、今じゃ軍内でついていくのが精一杯だ。こいつは(アリゾフは写真を見やった)――いや、少し違うな‥‥」
「ん?」
‥‥「話」において注目すべき点がその真偽であることは、無論である。だが細部もまた重要だ。そこに「何か」があるかもしれない――ないかもしれないが。
無駄話と思えるものの傾聴にどのくらい労力を割くかは個々人の人生観が関わるだろうが、世界というものを極大の観点で捉えた場合、世で重要とされていることのほとんどが「無駄話」であるとも言えるのではないだろうか。困ったことに、この「無駄話」の話者間で何やら対立のようなものがあり、議論や論争を行ない、われわれを惑わせる‥‥。この種の観点の相違は、日常や、非日常を装った「日常」では、露わにはならない。というより、露わにならないからこそ「日常」であると言えるだろう。救いといえば、この見かけの対立や同盟――別の表現でもよいが――に巻き込まれずに人生をまっとうできる者はほとんどいない、ということだ。人はあまねく、放り込まれているのである。魔女の大鍋に。‥‥おや、フェアリーが何か言っている‥‥。
「世界の存在を自明のものとするのも、ある観点でしょ?」――‥‥。
‥‥話は、イヴァン・ノヴォセロフ氏の思い出に戻る。
「さっきの話だよ。出世した途端、じゃなくて‥‥こいつはご多分にもれず、俺に戦争の話を聞きたがったんだ。あいつらの世代からすれば、本格的な、全面的な戦車戦の体験は、まぶしく見えるんだろうな‥‥。それで話してやったんだが、対日戦はともかく、西部戦線――対独戦は俺、体験といったって、ほんのわずかだろう‥‥。俺としては、活躍できた対日戦や、その後の朝鮮の兵士への訓練の話――そのとき教えた奴がいる部隊が、米軍の戦車とやりあったって後で聞いてな。そうだ、俺たちのあのT‐34で‥‥。奴らのM‐4だよ。『シャーマン』‥‥わが国も、戦車に愛称をつければいいのにな。いいのを思いついたんだ。『アンドレウサルクス』‥‥陸生では史上最大の肉食獣だ。体長は四メートル弱ほどもあったと推定されている。言っておくが、恐竜じゃないぞ。われわれ人類と同じ哺乳類、真獣類だ。これなら『ティーガー』や『パンター』、『ケーニッヒス・ティーガー』にだって、名前負けしないだろう――いちおう、その旨の上申書を送ったことがあるんだが、相手にされなかった‥‥。いや、そんな顔するな。こういうのが大事なんだ――‥‥。ま、いいさ、戦車屋として生きた男の、遺言として残しておく。いつの日か、最強の戦車にその名がつけられる日を夢見て‥‥。‥‥で、なんだっけ。――ああ、そうそう。ゴルシューノフだ‥‥。戦争――対独戦の話をしてやって、あの中隊長の話もしてやったんだが‥‥それがあるとき急に、あいつの態度が変わったってわけなのさ。――あれ? 俺はなんでこのことに気づいたんだろう‥‥‥‥?」
窓外には、冷たい雨が降っていた。そう、あの一九四四年の秋のように‥‥。アリゾフの戦車愛は、別の方向へ向かっていった。
「中東では、アラブのT‐55がイスラエルにずいぶんやられてしまったようだが‥‥。イスラエルのあのタル将軍、大きな声じゃ言えないが、彼はよくわかってるな――。『オール・タンク・ドクトリン』! 素晴らしい‥‥!」
アリゾフは思い出さないのだろうか。それとも忘れたふりをしているのだろうか。一九四五年一月末の、あの出来事を――。
「――が、タル将軍も、最近では厳しいそうじゃないか、イスラエルで‥‥。‥‥『戦車不要論』――‥‥まったく、口にするのもおぞましい! そんなことを言う輩が、あそこの軍部にいるそうじゃないか。しかも、世界中へ伝播する気配を見せているという‥‥。人類文明の発達史に対する冒涜だよ。――危険思想だ! 邪教だ! T‐55で轢き殺してやりたい‥‥! ‥‥タル将軍には、頑張ってもらわねば‥‥。俺は訴えたい。各国軍部は日頃の対立を乗り越え、連携して彼を支援する必要があると‥‥! ――おおお‥‥見えるようだ――。東からわが軍のT‐55とT‐72――T‐62、T‐64もいるぞ‥‥西からはヤンキーのM48とM60パットン、エゲレスのコンカラーとチーフテン、おフランスのAMX‐30――そうだ、フランス革命の本で読んだことがあるぞ。あれをやるんだ‥‥スウェーデンの粋な奴Strv.103、忘れちゃならない西ドイツのレオパルト‥‥日本には61式というのもあったな――あれは西からか東からか――とにかく、世界各国の戦車が一堂に会し、不要論者どもを戦車裂きにする光景が‥‥!」
イヴァン・ノヴォセロフは、興奮気味のアリゾフを鎮めるためにも、話題を変えた。
「セメントフ‥‥。覚えてるか? あいつも、俺の後に除隊したと聞いたが――」
対独戦の末期、イヴァン・ノヴォセロフがT‐34‐85「サモショーク5」の臨時戦車長だった短い期間、前方銃手を務めていたウクライナ人の少年兵‥‥。
「ああ、あいつか――」
アリゾフも、その兵士については思い出したようだった。
「あいつはほら、戦車兵と言ったって、本当に工場から引っぱられてきただけの奴だろう‥‥」
「まあそうだが、同じ車輌で対日戦には参加して、戦後も軍に残ったんだろう? 自分は戦車兵としてやってゆきたいって、俺には言っていたんだが‥‥」
「ああ‥‥。まあ‥‥辞めたよ。戦後、一、二年してからかな‥‥。ほら――ウクライナで、ちょっとあったろう‥‥」
アリゾフは言葉を濁した。おもにUPA――ウクライナ蜂起軍による行動と軍による鎮圧のことであることは、イヴァンにもわかった。話せないことはたくさんある。それが世の中だ。
「いや、わが部隊が何かしたわけじゃない。ただ、警戒任務には就いた。そのときあいつは、部隊を外されたんだ‥‥。元には戻すということだったが、結局そのまま辞めちまった‥‥。ドゥリャーギン中隊長は――あの頃はまだ中隊長じゃなかったかな――抗議の上申書を出すと言っていた。『わが部隊は、みんな家族なんです』と息巻いてたな‥‥。その後、俺たちはまた極東に戻って、朝鮮の兵士たちへの教育任務に就いたんだ。西へ東へ大忙しさ。まるで鍋の具財だなってこぼしあったよ。――ん? ほら、魔女の婆さんの話だよ。世の人は皆、大鍋で煮られてるって話さ。人生を自由意志で選択しているはずのわれわれは、これに決して気づけない。何故なら、魔女の婆さんは、われわれのあらゆる考えの及ぶ範囲より、高い場所にいる‥‥パースペクなんちゃら――むかし聞いたが、忘れたな‥‥。とにかく、魔女は、だからこそ魔女たり得る‥‥」
イヴァンもそれは、どこかで聞いたような気がした。だが、どこでだかは、思い出せなかった。
「その後しばらくして――さっきのモスクワ進撃の直後さ――あいつの大おばさんから、あいつの給料の件で問い合わせの手紙が、キエフから来たんだよ。ほら、戦争中、あいつが話してたろ。絵を描いている、変わり者の大おばがいるって。『拝啓 私、マリーヤ・セメントフと申します。貴大隊にお尋ねしたいことがございまして――』なんてあらたまって来るから、給養係が何ごとかと思って、大隊と書いてあるからそっちへ手紙を上げたんだが、大隊のほうでもどう扱ったらいいかわからなくて、結局、処理に三ヶ月かかった。あいつの除隊がらみの時期の給料不払いは本当で、そっちの処理は中隊でしたんだが、大隊のほうでも払っちまってな。つまり二重払いになって、今度はそれを取り戻すべく、こっちから手紙を送ったんだ。向こうからも返事が来て、金はまあ、律儀にちゃんと戻ってきた」
「なら、別によかったじゃないか」
イヴァンは、アリゾフの顔に浮かんでいた、いまひとつ腑に落ちない、というような表情を見て言った。
「ああ‥‥けど、その二度とも、手紙の署名や宛名書きが、なんと言うか‥‥筆跡がぎこちないんだ。利き手以外で書いたみたいに。いろいろ事情があって文字をちゃんと習わなかったと二度目の手紙に――タイプで――書き添えてあったんだが、そんなことあるのかねと。だって、文章はわりかしちゃんとしてるんだぜ‥‥」
アリゾフは、その年配の女性が、自分の利き手の筆跡を知られることを避けたという点には、思い至らなかったようだった(もっともイヴァンも、ずっと後になって気がついたのだが)。
「こちらからの手紙はドゥリャーギン中隊長の名前で出したんだが、向こうが何か気になったらしくてな。確認も兼ねて、書いてあった電話番号に中隊長が電話して直接話したんだが――何かあったのかな。わからん‥‥」
イヴァンは、もうひとつ気になることを尋ねた。かつての自分やアリゾフやドゥリャーギンの愛車「サモショーク5」。名称とナンバーこそ異なるが、中隊長の愛車でもあったあいつの運命について‥‥。
「よくぞ聞いてくれた。対日戦、そしてさっきのウクライナの件での――警戒任務、そして朝鮮の兵士への訓練まで、俺たちが乗っていたのはあの『サモショーク5』だった。そして俺たちは、T‐44に乗りかえたんだ。使っていたのは短い期間だったが‥‥。あいつは、朝鮮の部隊に譲渡された」
「そうか‥‥」
「そう沈んだ顔をするな。俺も気になって、可能な限り問い合わせてみたんだ。言ったろ、米軍のM‐4とやりあったT‐34がいたって。驚くなかれ、そのなかに俺たちのあいつが――あの『サモショーク5』がいたらしいんだ。詳しい戦果はわからない。番号も変えられただろうが‥‥それ自体は間違いないようなんだ。――どうだ、嬉しくないか? T‐34は不滅だ! 永遠なんだ! T‐34っ、万歳っ‥‥!」
その夜、戦友たちは酒を酌み交わし、旧交を温めた。泊まっていけよ、というアリゾフの言葉をお断りして、イヴァンはひとり帰途についたのだった。肝心の話を切り出せないまま‥‥。
とはいえ、何か知っていれば、アリゾフとて言ってくるだろう。何も言わなかったということはつまり、彼もまたあのことについては、相変わらず後情報を持ちあわせてはいないということなのだ。彼らの原点、そこに含まれるある体験。大戦末期の一九四五年一月末、クラクフ解放から数日後、彼らの部隊を襲ったあの出来事については――。
「中隊長が‥‥!」
あの日、農家の納屋で休んでいたイヴァンたちのところへ、ドゥリャーギンが血相を変えて飛び込んできたのだった。ユーリ・ワイネル中隊長が、スメルシに「連れて行かれ」そうだ、と‥‥。
若い戦車兵たちは跳ね起き、藁の飛沫を飛び散らせつつ、中隊長が出頭していった大隊司令部へと走った。イヴァンも最初、無我夢中で走った。しかし、ライトカーキの軽装甲車と軍用トラックがバックのその光景が見えてきた頃には、足は鈍っていた。
戦車兵の日頃の鍛錬は、どうなっているのか‥‥?
いや、単に脚力や疲労の問題だけではなく、その現象には彼の意志の力も働いていた。これは、彼だけではなかった。彼よりもさらに若いアリゾフも、足を遅めていることを、イヴァンは見逃さなかった。なにしろ、向かうところにはスメルシがいるのだ――ドゥリャーギンは先頭を走っていた。
隊員たちが到着したとき、ワイネル中隊長はちょうど、幌つきのトラックに乗せられるところだった。
「隊長!」
ドゥリャーギンが呼びかけると、スメルシ隊員たちが振り向いた。ふたりの顔には殴られたような跡があった。
「隊長!」
「ワイネル隊長!」
イヴァンたちが異口同音に呼びかけると、スメルシ隊員たちは拳銃に手をかけることこそしなかったものの、厳しい顔つきで彼らに言い渡したのだった。
「近づくな! そこから‥‥一歩たりともだ!」
「気の迷いから一歩を踏み出すことは、祖国への背信行為となる――。そうなれば、われわれは諸君らも逮捕することになるだろう‥‥。全員だ‥‥!」
戦車兵たちは凍りついてしまった。前へ踏み出せる者はいなかった。それどころか、イヴァンは後ずさりした。だって相手はスメルシなのだ。アリゾフもそうしている‥‥。
ワイネル中隊長は手錠をはめられた手を持ち上げて彼らに挨拶しようとしたが、その手も押さえられ、寄ってたかって身体と脚を持ち上げられ、あっというまにトラックの荷台に引き揚げられてしまった。スメルシ隊員たちの姿は、イヴァンが本で読んだことのあるピラニアというアマゾンの人喰い魚を彷彿とさせた。この戦闘力をドイツ軍に対して発揮してくれたら赤軍兵士の大いなる助けとなるのだが、彼らはそうしない。その代わりに彼らは、赤軍兵士の背中に照準を合わせるのだ。
「イヴァン‥‥――!」
わずかの間、ユーリ・ワイネル中隊長はスメルシ隊員たちにもみくちゃにされながら、何か喚いていたが、スメルシ隊員の怒声に掻き消され、イヴァンにわかったのはその呼び名と、「赦し」というように聞こえた単語だけだった。トラックのエンジンがすぐにやかましくかけられた。中隊長が押し込まれた幌の荷台にも最初の人間のほかに、さらに二名が飛び乗った。
「声を出すな! ――オイ! おまえら‥‥塞げ‥‥! 話させるな!」
「諸君、解散したまえ! 命令だ、これは‥‥!」
幌の荷台のなかで、中隊長が暴れている音が聞こえてきた。怪物に飲み込まれてしまったが、まだ勇敢に闘っているのだ。しかし部下たちは、動けなかった。怪物は大きすぎ、彼らは卑小だった。
「あの男は、われわれの管轄において取り調べを行なう‥‥」
「いつ、戻って来るのでしょうか」
ドゥリャーギンが勇気を奮って説明したスメルシ隊員に質問したが、返ってきたのは、
「容疑が晴れれば、明日にでも戻ってくるだろう‥‥」
という、不確かな言葉だけだった。スメルシたちはそれ以上の問いを受けつけようとせず、四名で戦車兵たちを近寄せぬ生垣をつくった。そして説明を行なったひとりが、
「もう一度言う。解散したまえ、すみやかにだ。呼びかけてはならない。後ろを振り向いてはならない‥‥。さあ、行きたまえ‥‥!」
と彼らに言い渡した。
中隊長が暴れている音はまだ聞こえてきたが、生垣の向こう側で、トラックは無情に動き出した。そして木の柵の横を抜け、じゅうぶん距離をとった場所で停車した。生垣の四名も踵を返し、二名は四角錐台を幾つも組み合わせたボディーの無骨なライトカーキのBA‐64に乗り込み、二名は自分の脚で、それぞれ走り出した。彼らはトラックがいた場所で合流すると、少しのあいだ降りたり乗ったりしていたが、やがて車を発進させた。そして、まるで今夜の食事を確保した親子の肉食獣さながら、そのトラックと軽装甲車は、寄り添うようにしてクラクフ郊外の夕日の丘へと消えていったのだった――‥‥。
赤軍兵士がドイツ軍を前にしてこのような見逃し行為を行なえば、よくて逮捕、悪くすれば銃殺となる。しかし、ドイツ軍に対する際に見せろと日頃言われている十分の一ほどの勇敢さをスメルシに対して見せれば、やはり同じような処遇が与えられことになる‥‥。
――それっきり、ユーリ・ワイネル中隊長に逢うことは、叶わなかった。
帰途、戦車兵たちの足取りは重かった。口はもっと重かった。その夜も、翌日も、そのまた翌日も、若い戦車兵たちは沈鬱なままに過ごした。他にその名を持つ適当な者が見当たらなかったから、中隊長の最後の「イヴァン」はイヴァン・ノヴォセロフを指していると考えるのが順当であったが、その後に「ノヴォセロフ」ではない、別の姓を叫んでいたと主張する者もいた。イヴァンが「赦し」と聞いた単語も、彼以外にはよく届いてはいなかった。
そのさらに翌日は、部隊の移動日だった。ちょうど人員補充の時期と重なっており、すでに新たな中隊長が指名されていた。人も車輌も機材も慌しく動くなかをイヴァンは呼び出された。「よいニュース」があるということだった。ワイネル中隊長の放免か、という期待は持てなかった。もしかしたら自分も逮捕されるかもという不安が、彼をよりいっそう卑小な人間にさせていた。
(しかし、俺はたしかに聞いた。「赦し」と‥‥)
当時を回想しつつ、イヴァンはひとりごちたのだった。
(あれは、こういうことだ‥‥)
イヴァンは、逮捕されることも、処罰されることも、訓告されることもなかった。それどころか、彼はその日付けで曹長に昇進し、臨時の戦車長とあいなったのだった。そしてイヴァンは最初の仕事として、新しく配属されたと敬礼する少年兵セメントフに、
「楽じゃないぞ。おまえがちゃんとした仕事をしなけりゃ、俺が――いや、われわれ全員が、危なくなるんだ!」
と、着任にあたっての訓示を施したのだった‥‥。
(つまり‥‥自分を救うための行動を起こさなくても、「赦す」と。気に病むことはない、と――。中隊長は俺たちの気持ちを考え、最後の義務感からそう言ったのだ。厳しかったが、立派な人だった‥‥)
支柱から上下に大きくくねった鉄棒先の街灯が、ひょろっと背の高い怪物の一ツ目のように、夜道を駅に向かうイヴァンを眼下に光っていた。そのさらに少し上に、紫と黄に光る何かがあちらへこちらへともどかしそうに飛んでいたが、彼がそれに気づくことはなかった。
(あれは、あの時期、どこででもあったことなんだ。俺に責任などない。あのとき行動していても、結果は同じだったろう――いやむしろ、この俺まで逮捕されていただろう。冗談じゃない! 罪の意識を持つことはない。それが、あの人の意志を尊重することにもなる‥‥)
それから半月もしないうちに、大祖国戦争の元戦車兵イヴァン・I・ノヴォセロフ氏は、妻から離縁を切り出されたのだった‥‥。
今夜も、いつもと同じ夜になるはずだった。彼は、心中の様々な怒りや痛みを、この国でもっとも流通している魔法の液体、すなわちウォッカで紛らわす予定だったのだ。のどが潤され、頭がシャキッとしてくる、どこか身体も軽やかな、素晴らしい時間。
だが、少女の登場で、その気持ちはどこかへ行ってしまった。こんなことはとても珍しい。大袈裟でなく世界からはぐらかされてしまったような、しかし決して不快ではない、妙な心持ちだった。彼は少女の姿を探そうと思いはしたが、歳月はイヴァンの足腰を弱く、彼が住み始めた頃よりもこの街の人口を多くしており、彼にそれをあきらめさせた。しかし、特に迷信深いわけではない彼にも、この邂逅は、予感のようなものを持たせた。
また、何か起こるのだろうか‥‥?
一九八〇年代から、各地で反中央政府的な民族運動・独立運動が起こっていた。かの地でも、グルジア人たちが独立を求め、再び勇敢な闘争を開始していた。一九八九年四月、トビリシにおいて、グルジア独立回復をめざす大規模な集会が開催された。ソビエト連邦軍が襲いかかり、多数の死傷者を出した。バルト三国でも同様の運動が興隆、リトアニアが今年三月に独立を宣言、ラトビア、エストニアも続く姿勢を見せていた。ソビエト連邦はこれにも本格的に武力を投入していたが、独立への機運は抑えられそうもなかった。七月に入り、ワルシャワ条約機構が廃止された。
アラル海は、無謀な灌漑により塩分濃度の急上昇と面積の縮小が起こり、生態系も沿岸住民の生活も破壊されてしまっていた。将来的にはこの大湖それ自体の消滅も有り得ると警告が発せられ、それを裏づけるように、水面の大幅な低下でついに南北に分かれてしまっていた‥‥。
――ゾーヤとフェアリーは、ここに来る前にウクライナへ赴き、ある不幸な女性を見舞っていた。ニーナ‥‥姓のほうは名乗らなくなり、ひっそりと生きていたが、かつてベリヤに陵辱され、彼の妻とならざるを得なかった女性である。彼女は夫の逮捕からほどなくしてひとり息子とともに逮捕され、収容所へ送られていた。どうにか生きのびることだけはでき、釈放されていた。フェアリーを住まいの外で待たせ、ゾーヤだけ会いに行ったのだが――ニーナの心の傷痕は、深すぎた。それはゾーヤを通してフェアリーにも伝わり、ふたりは言葉少なに、旅から戻ってきた。そしてふたりは、最後の人物のもとを訪れたのだった。
妖精が、ふわりと女主人のもとを離れた‥‥。
彼の仲間は、すでにこの世を去っていた。フルシチョフは二〇年前に亡くなり、ブルガーニンは一六年半前に、ミコヤンは一三年前に、彼から見ればずっと若いマレンコフも三年半前に、それぞれこの世を去っていた。彼らより近しかったヴォロシーロフも二二年前に死に、ブジョーンヌイとモロトフは長命だったが、やはり一八年前、五年前に死んでいた。ジューコフは、一九七四年の死にあたり、軍人として最高の栄誉を与えられ、事実上の国葬のような扱いを受けられたが、彼らの死は、それに較べれば慎ましい扱いであった。‥‥ただひとり淋しく生き永らえた彼の前に、フェアリーがその姿を現した――――。
「‥‥‥‥‥‥」
「何か言わないの? ぼくの姿が見えるだろ?」
だが、カガノーヴィチ、この老いたスターリン主義者は、何も言おうとしなかった。しかたなく、フェアリーは続けた。
「昔、ぼくのことを聞いたんじゃないの? あんたの親分に」
「‥‥なんのことだ」
ベッドに横たわる老人はようやく、その重い口を開いた。
「――聞いたんだろ?」
「‥‥‥‥‥‥」
カガノーヴィチは押し黙った。はるか昔のことが、鮮やかに思い出された。三十年代のある日、スターリンの執務室で聞かされた話。未来を正確に予言する占い師の老婆と、その使いの小妖精‥‥。とうの昔に――聞いて二、三日後には、もう忘れていた話だった。
「‥‥有り得んことだな」
カガノーヴィチが再び口を開くまでに、さらに長い時間がかかった。妖精はその間、ふわりふわりと辺りを飛びまわったり、デスクに腰かけたり、壁の絵に近づき見入ったりしていた。フェアリーは、やっとか、というように、再び老人のベッドに近寄った。
「その台詞、あんたのお仲間から何度も聞かされたよ。レーニンさんだろ、あんたの親分のスターリンさんは――言わなかったか‥‥。えーと、モロトフさんだろ、フルシチョフさんだろ、それから――」
フェアリーは、小さな指を折りながら、彼が会ってきたボリシェヴィキの面々を並べたてた。妖精が語る話は、延々と続いた。
「長かったなー。でも、これで終わり。あんたが最後だ」
「‥‥‥‥」
「ぼくは、あんたたちをずっと見ていた。あんたの親分が『スターリン』を名乗る頃からさ」
そしてフェアリーは、スターリンとの最初の邂逅の思い出を語った。
「‥‥信じられんな」
老人は冷ややかに言った。
「だ、か、らぁー‥‥!」
フェアリーが呆れた声を出すと、老人は言った。
「仮に信じるとして‥‥その話が事実だとして、それをわしにして、どうする」
「まず、懐かしくはないの? あんたが長く仕えた親分さんだろ?」
フェアリーは、老人の質素な部屋の、壁の一番いい位置に飾られた特別な絵に目をやった。スターリンの肖像画であった。
「個人的感情で仕えた――この表現も不愉快だ――わけではない。わしはわしの仕事をしただけだ」
「――ウクライナじゃ、あんたのお陰でいっぱい人が死んだんだぜ‥‥! 何百万も‥‥!」
フェアリーは、声を震わせた。小さなその目には、涙が盛りあがっていた。フェアリーの悲しみの波動は、空間に作用し――歪ませた。視覚的には、そこに、フェアリーが見た当時のウクライナの光景が、映し出されることになった。道に、野に、倒れ伏す餓死者、餓死者、また餓死者。数え切れぬ遺体の山、荒れ果てた農村。泣く力もなく座り込む、痩せ細ったうつろな目の子ども‥‥。フェアリーは、泣いていた。カガノーヴィチの両手が、薄手の毛布の胸の前で組み合わされた。
「どうだい? 見えるだろ? 何も感じないかい? ――これは、一九三三年だ‥‥!」
光景は、鮮明すぎるほど、はっきりと映し出されていた。フェアリーの慟哭が強いエネルギーとなって、それを支えていた。
「悲惨だな」
ややあって、老人はポツリとつぶやいた。
「それだけかよ! あんたの政策の結果だろ! あんたと、あんたの親分の‥‥!」
「――そうだ。政策だ。政策だったのだ、あれは。‥‥わしは、血に飢えた殺人鬼ではない。エジョフや、ベリヤとは違う。わしは、システムに従っただけなのだ」
「‥‥あんたの生まれ故郷も見せようか? たしかキエフ県の――」
イヴァン・ノヴォセロフとその母オリガのもとに、口にびっしりと銀歯を挿れた父親イヴァン・コズロフが戻ってきたのは、六十年代の初め頃、ヴォストークの成功に街中が湧いているさなかだった。母オリガは、すでに老人となっていた夫を――実年齢よりも老いて見えた――受け入れたが、イヴァンにはそうできなかった。イヴァンはすでに結婚し、先の長女をもうけていた。父の言葉の多くを聞こうとせず、家を飛び出すようにしてイヴァンは妻子と暮らし始めたのだった。両親は、再び一緒に暮らし始めた。父――というより、彼にしてみれば「イヴァン・コズロフ」からは何度か手紙が来たが、一度も読まずに捨てた。その「イヴァン・コズロフ」が他界したときは、葬儀にも行かなかった。彼を父親だとは、認めたくなかった。母は長生きしたが、三年前に他界した。
葬儀の場で母の遺品の多くが彼に手渡されたが、そのなかに、母が文通していたらしいレア・ワイスチェックというイスラエル人女性からの手紙があった。母とは親戚関係にあるらしく、レア・ワイスチェックはこの国を訪れたがっていた。しかし、それは叶わないようだった。どうやら、彼女の息子の仕事が関係しているらしい――おそらく軍属だろうと、イヴァンは見当をつけた。ゴルバチョフ時代になり、社会には自由化の雰囲気が醸成されてきていた。謎の少女とのすれ違いに触発された格好で、イヴァンは、彼女に手紙を出してみようかと考え始めていた――それで警察や、もっと恐ろしいKGBにマークされることはないだろうと考えた。レア・ワイスチェックは母への手紙のなかで、写真がどうのこうのと書いていた。そして、アレクセイ・ブニコフという、イヴァンが聞いたことのない人物の消息をしきりに知りたがっていた。
(いや、待てよ‥‥)
イヴァン・ノヴォセロフは、記憶の細い糸が小さく鳴るのを感じた。
(会ったことはない‥‥だが、どこかで聞いたことは――ある‥‥! おふくろではない。家族の関係ではない‥‥。誰だ――? 誰から聞いたんだ‥‥?)
彼の前でその名を、たぶん一度だけ口にしたことがあるのは、彼にとってとても重要な人だったような気がした。――自分も、そろそろ老境といって差し支えない歳だ。幸い、なんとか暮らせる程度には年金は出ている。小説のほうもなかなか筆が進まないし、気ままなことに時間を費やすことも、許されて然るべきだろう。
(手紙でブニコフという人がどういう人なのか、詳しく聞いてみよう‥‥)
イヴァンは思った。
(何かが、解けるかもしれない‥‥)
多くの人々の死と困窮にまるで痛みを覚えないカガノーヴィチの態度に、フェアリーの怒りは頂点に達しつつあった。
「もう、死んじゃえ。こんなこと口にしちゃいけないんだけど――地獄に堕ちろ!」
「‥‥死は、受け入れる。だが、わしは永遠に党と国家と共に在る。いつの日か、わしの名は復活する‥‥栄光の時代の記憶とともに――!」
老人は、天井に向けて震える右手を高々とあげた。
「復活、ね。あんたの嫌いなキリストの教えだね」
「そんな皮肉も懐かしい‥‥八十年も前によく聞かされた」
「――もう、行くよ。うんざりだ」
フェアリーは言い捨てて飛び去ろうとしたが、何かに気づいて向き直った。
「ああ、そうそう。ひとつだけ。肝心なこと言うのを忘れてた」
フェアリーは、淡々と老人に伝えた。
「あんたの好きな党と国家だけど、国家のほうは滅びるよ、もうすぐ。今年中さ」
「‥‥有り得んことだ」
「ぼくの言葉が本当だってことが、わかるだろ?」
「馬鹿な‥‥」
老人は、呆然とつぶやいた。フェアリーは、投影した。わずか数ヵ月後に起こる、「ソビエト社会主義共和国連邦」の崩壊と解体の様を。人民の歓声と拍手喝采のなか、ヨシフ・スターリンの像が次々と倒されていた。彼にも見覚えがあるあの都市で、この都市で、そして見たことがない街でも‥‥――広大なこの国の、文字通り各地で。さらに、ウラジーミル・レーニンの像までもが‥‥。
そのすべてが真実であると、彼の認識が告げていた。
この日、一九九一年七月二五日、ラーザリ・モイセーエヴィチ・カガノーヴィチは死んだ。九七歳であった。
「終わったの?」
少女は彼女の下僕に尋ねた。黒地の服は一見どこにでもありそうなものだったが、よく目を凝らして見ると、そこには恐ろしくなるほど精緻で複雑な、見てゆくうちに眩暈を起こしそうな、紫と黄の複雑な刺繍が施されていた。
「うん‥‥」
フェアリーは答えた。道行く人々には、彼の姿は見えない。
ふたりは並木通りを戻っていった。イヴァン・ノヴォセロフがここへは戻って来ないこと、そして彼が何かを探し始めるであろうことは、少女にはわかっていた。探す手助けはするが、見つけたその後に彼がどうするかは彼次第――それが、彼女のやり方だった。ミハイル・ソコライエフに対しても、そうだった。
「ゾーヤ、あの人のことも‥‥いいかい?」
フェアリーは女主人のほうを窺い、別のボリシェヴィキの名を出した。以前その人物と接触した際の印象が、それまでの他のボリシェヴィキと違っていたので気になり、後になって、フェアリーのほうからゾーヤに申し出て再コンタクトしていたのだった。連続して三度‥‥。
「長くなりそうね‥‥」
少女はこっくりと頷きつつも、大人びた、物憂げな表情を浮かべた。
「‥‥‥‥‥‥」
妖精は話し出した――‥‥。
「――あのときは本当に助かったよ‥‥」
そのとき男は、妖精に二十数年前の出来事について礼を述べたのだった。
「どういたしまして。でも、よく覚えてたねえ」
「忘れるもんかね。君も知ってるだろうが――あれからまた、私にも世界にも、実にいろいろなことがあった。しかしいま、私はこうして君と再会できている。年寄りになるとね、こういうめぐり合わせが何よりの楽しみなんだよ‥‥」
アナスタス・ミコヤンは素直に再会を喜んでいた。一九七八年八月‥‥。彼もすでに齢八十の峠を越えており、ロマンスグレーの――大きく後退してはいるが――似合う老人になっていた。失脚して久しい身だったが、そのときの彼には憂鬱な調子はなく、老境に達した身の闊達さなのか、奇妙な軽ささえフェアリーに見せた。悠々自適とまではいかなくとも、
「なにね、楽隠居だよ」
と、それなりに生活を楽しんでいる様子だった。
「カガノーヴィチか‥‥。あいつは最期、何と言ってくたばるのかね‥‥。興味あるところだな。――モロトフは、八十年代の‥‥何年まで生きるのかね。ほほう、一九八六年! それはうらやましいな‥‥! え? なんでかって? その年の二月、ハレー彗星が地球に最接近するんだよ‥‥。前回は一九一〇年だった。大変な騒ぎだったな、あのときは‥‥。同じ年の大彗星も凄かった。肉眼で見えたものな。昼間にだぜ‥‥」
ゾーヤからは情報を与えることを許可されていた。もちろん制限つきだったが、それでもこれまでの彼の仲間に較べれば格段に多かった。ミコヤンは、口外しないほうが自分のためになると判断をしたようだった。身の危険のことではなく、そのほうが今後も有益な話を交わせるという判断を‥‥。そのことをゾーヤが見越していたこと、そしてそのことを老ボリシェヴィキ側も見抜いていたらしいことは、フェアリーは帰ってから気がついた。
あの年――一九五三年――フェアリーは実はもう一度、この男に会いに行っていた。六月の初の邂逅の翌月。モスクワ軍管区司令部中庭の上空からその羽で‥‥。夜更けも夜更け、もう朝方に近い時間帯で、目を覚まさなければ無理に邂逅しなくていいとゾーヤには言われていたのだが、彼は妖精の気配を察すると、すぐにベッドから身を起こした。警戒心のなせるわざであった。彼とてボリシェヴィキである‥‥。
「ずっと考えていたんだが‥‥もし、世界が一冊の書物だとして‥‥」
もっとも、そのときの対話は呑気なものだった。一九五三年のアナスタス・ミコヤンは、妖精の姿をみとめると、寝巻き姿のままで語りだしたのだった。
「ん? なに?」
「いや、まあ、私の想像だが‥‥この世界が一冊の小説であって、君がその作者か作者の関係者で歴史を取材をして回っているのなら、ひとこと忠告しておこうと思ってね。よけいなお世話かもしれないが」
「うーん、当たらずとも遠からずだけど、ちょっと違うんだよな‥‥。で、なになに? 忠告って」
「情報の伝達が限られている時代ならともかく、そうじゃない時代なら、展開を知ってる読者のほうが多いんじゃないかな」
「展開?」
「この先どうなるのかとか、この人物がどんな目にあって、いつ死ぬかいつ失脚するかとか‥‥。何年にどんな戦争が起こり、どのように終わるか――。年表というものがあるんだから」
「あ、うーん‥‥」
「われわれのような者に少しでも関心を持つような読者なら、尚更なんじゃないか。知らなくても、調べようとするだろう。とすると、その小説を書く意味は、如何ほどあるのかね‥‥?」
「うう‥‥。ゾ――ぼくの遣わし手に言っておくよ‥‥」
アナスタス・ミコヤンは本当にしょげてしまった小妖精を見て、やや苦笑まじりの微笑を浮かべ、助け舟を出してくれた。
「‥‥とはいえわれわれも、たとえばナポレオンの物語を読むとき、彼の没落を知識としてあらかじめ知っている」
「――え?」
小さな頭を抱えていた妖精は、意外そうに小さな顔を上げたのだった。
「しかしだからといって、そのことでナポレオン・ボナパルトの物語が読めなくなるかというと、そうでもない。少なくとも私個人はね‥‥。――カール大帝でも誰でも、同じことだな」
「そそそ。そうそう、そうそう。おじさん、いいこと言うねえー」
あっさり調子を取り戻した神秘の妖精の意外な俗っぽさに、ミコヤンは目をしばたたかせ、疑わしげに妖精を見返したのだった。
「――しかし、読めなくなる人もやはりいるだろう。私は文学は専門ではないが、展開や結末がわかっていてもその物語を読む気になるのは‥‥――というより、読む気にならないやつは、手を抜いてあるやつだ。手抜きはやめたほうがいいぞ。すぐバレる。発見されるや否や、読者はここぞとばかりに君か君の遣わし手を槍玉にあげ、査問に、裁判に、かけるだろう‥‥」
「あんたたちが作った物で、手抜きじゃない物ってあるの?」
「‥‥‥‥」
「ちょっとちょっと、そんな難しい顔しないでよ‥‥。ま、糾弾されたら、あんたが助けに来てよ。『弁護』ってやつ」
「まあ‥‥じゃあ、こう言ってやる。盛り上がり方とは人それぞれだ。人間の数だけ存在するといっても過言ではない。そして変人たちを描いた物語は多々あるのに、つまり個性を認めるのが文化の基盤であるのに、盛り上がり方に個性を認めないのはおかしい。ミスティエに――手抜きに美を見出し、それに‥‥――アンプツターンの精神に燃える者だって存在するはずだ‥‥」
「なんか頼りない弁護人だなあ。もっと大風呂敷ひろげられないの? ボリシェヴィキでしょ、あんた」
これは、アナスタス・ミコヤンのプライドを刺激したようだった。
「‥‥手抜きとは、すなわち余裕の現われだ。手抜きこそ人類の進歩のひとつの現われであろう‥‥」
「ふんふん」
「――手抜きの精神こそ、二一世紀の人類文化の主流となるであろう‥‥。それまで歴史上で『手抜き』として呆れられ、糾弾されてきた行為――たとえば仕事をサボるとか‥‥『怠惰』というのは、向こう側がつけた呼称でね。実存的には『手抜き』と言うべきだ。やる気が無いんじゃない。やる気はあるが、体が動かんのだからな。そもそも仕事をしないとか、授業中に寝るとか、学校自体行かないとか、部屋を片づけないとか、あるいは‥‥抽象化の階段をあがって‥‥精神修養が求められる場、精神の高貴さが求められる状況下において、邪念に心を委ねる‥‥人生を真剣に考えない‥‥――およびその行為者が、いっせいに輝きを放ち始めるだろう‥‥。おお裁判長殿、私にはその光景が見えます‥‥!」
「‥‥‥‥‥‥」
「そして同志たちよ! いまこのときは屈辱に、艱難辛苦に耐えるのだ! 君たちが評価される時代が、名誉を回復される時代が、いつの日か来るであろう。前衛の精神の、そのまた最前衛に立つ革命家として‥‥。その未来を信じ、いまは彼らに従うことをよしとしようではないか。笑おうではないか。やがて歴史が、彼らを裁くのだから――‥‥。国際手抜き共和国万歳! われわれには未来がある‥‥!」
「――なんか『彼ら』をよけい刺激するような‥‥」
「君がやれって言うからさ」
アナスタス・ミコヤンは、憮然として口を尖らせたのだった。この一九五三年の二度目の邂逅はフェアリーの脳裏にも楽しいものとして記憶されており、それが一九七八年の邂逅へとつながったのだった。これだけで終わらせておけばよかったと後悔することも知らずに‥‥。
「――言っておくが、『学校に行かないこと』がよしとされる空間において、敢えて学校に行くという戦略も、もちろん有りだ。サボりも同様。自分の心に対するそういう手抜きで社会的に利を得られると判断できるなら、そうしたほうがまあ社会的には有利だろう。『敢えて』を忘れなければね。結構忘れるもんなんだ、これが」
‥‥一九七八年、九月。この年二度目の邂逅では、アナスタス・ミコヤンは前月とは異なり憂鬱な様子を見せたのだった。
「これが人生でも同じだ。――人生とは、死への緩慢な旅路にすぎない。が、しかし、敢えて前向きに生きるという戦略も有り、ということだ。一生涯、その『敢えて』を口外しないことも。‥‥まあただ、その姿勢を何と勘違いしたものか、偽善だの鈍感だの、本当に的外れな批評・批判をしてくる阿呆の多いこと多いこと。知ったことかそんなの、と言いたいね。逆に、命の大切さがどうのこうのなんていう話も、たいがい有難迷惑だ。議論に乗らなきゃ怒るし‥‥。自由? 自由意志‥‥? 広義の文学の引用にすぎんよ。自分に付いた引用符も忘れた登場人物が、何を言い出すのかね‥‥。‥‥面白いなら、社会的にどんなに珍妙な、あるいはどんなに異様な議論でも、自然と人はそのステージに乗ってくるさ。乗らないのは、それがつまらないからだ。ステージの組み方に問題があるんだよ。それを社会の仕組み――裏の仕組みも含めて――の話にするな。また、そういういじけ心をカモにする『専門家』がね、大勢いるんだよ‥‥‥‥。右とか左とか言う以前に、社会の劣化が酷いね最近。いやまったく‥‥」
その回は、フェアリーのほうによりはっきりした目的があった。長く生きたボリシェヴィキの話を訊いておきたいという‥‥。そして、ゾーヤの許可を受け、三十年代にブハーリンに見せた時代よりもさらに未来の世界のほんの一部を見せたのだった。彼はいまから五十年先までを希望し、フェアリーは二十年先までと言った。押し問答とフェアリーがその場にいないゾーヤに許可を求める作業の末、間をとって三五年先までとなった。ゾーヤの命により、歴史の流れは極力見せないように、また彼の希望により、特に先進諸国――自由主義体制を取る国々の諸相を。
――時はすでに二一世紀。二〇一三年までを‥‥。
「自分たちの街をぶち壊す暴動‥‥」
観終わった後、フェアリーの求めにより、老ボリシェヴィキはいくつかの点について好き放題にコメントしたのだった。
「携帯式の通信装置でつながったつもりの、いかれた若者たち、か‥‥。大変そうだねえ‥‥。うちの治安部隊を貸してあげようか? そういうときはどう対処すればいいか、それはもうよく心得ているよ。長年にわたって鍛えられているからな、建国直後から‥‥。――クロンシュタットのとき、トロツキーさんはうまいこと言ったものだろう? ははは。周囲を飛び回るマスコミバエを集めて、同じことを言ってみたらどうかね? 頭にかかっている靄が晴れて、スッキリするかもしれんぞ。歴史に名が残るかもしれないな。人気のほうは知らんがね。ああ、支持率というのもあるのか。いろいろ大変だねえ。ははははは‥‥」
「‥‥もし機会があったら、伝えておくよ。――他には?」
「アニメーションや漫画のキャラクターのような名前をわが子につける、若い親たち――。学校で、病院で、いったいどんな呼び声が飛び交うのだろうな? 十年後、二十年後、あるいは五十年後、さぞかし愉快な光景が繰りひろげられていることだろうねえ! もう、朝から晩まで、毎日毎日‥‥。――重要な政治問題、深刻な犯罪事件を報じるテレビのニュースは、アナウンサーたちの毎夜の試練の場、受難劇の舞台と化すだろう。名前を読み上げる際、疑問の縦皺を眉間に刻みながら、笑いを堪えるのに苦慮する‥‥。自由主義体制とは、まっこと素晴らしいものだな! ははははは」
「そういう問題はともかく、最後のは負け惜しみだねえ。あんた、そんないいトシして、ただ、からかうだけ?」
「――‥‥。‥‥まあ、ああいう若者たちや若い親たちの感性も、わからないではないよ。だって彼らは、物心ついた頃から繰り返し繰り返し、そういう暗黙のメッセージを受け取っていたんだからな。おまえが安心して過ごせる場所はこの地上のどこにもないんだ、あなたもテレビ――画面だな――や雑誌の女の子のようにキラキラしていれば望みの暮らしが手に入るのよ、という、ね‥‥。そりゃ、そうなるさ‥‥。――そして、これは見過ごされがちだが、それが『標準』になると、本来はそういうことに頓着しないような子まで、知らず知らずのうちにそういう風潮に巻き込まれ、自分もそういうことを欲している人間だと錯覚したまま大人になるだろうね。子どものうちは、若い頃は、誰だって『標準』から外れるのは怖いからな。‥‥悪いのは上の世代、あるいはいまの時代から蔓延っている、もっと上の世代さ。あの、子どもや若者の遊びをカネに換える連中、だよ。――学校の授業では、そういう、いまを生きる生徒にとって大事なことは、教えんよな。右も左も、自国の歴史についてはやたらやかましく論争するが‥‥。‥‥これは、あくまで私の憶測だが、ああいう若者たちや若い親たちは、昔は素直な子たちだったんじゃないか? 道徳的な意味での『いい子』というのとは少し違った意味での、『素直』、だよ‥‥。私は子どもの頃からひねくれていたが、そうではない、世界をありのまま受けとめるような子たちだったんじゃないかな。それがねえ――‥‥。自ら蒔いた種とはいえ、悲劇ですなあ、本当に。一大人としては、人ごとながら同情しますよ‥‥。まあ、どう考えても、私に責任があることではないですがね‥‥」
ストレスで心身を病みながら、日々に追われる労働者たち。彼らのなかには資本主義に疑問を呈する者もいないではないが、それはごく少数派で、そのわずかな者たちも、老ボリシェヴィキ自身も作り上げる作業に関わり、長い間奉じた体制を、「スターリン主義(スターリニズム)」なる用語で全否定する。支持する者は皆無に近い‥‥。
「誤解があるね‥‥。これは、戦後の一時期、ベリヤも言っていたんだが、本当にわれわれのシステムのほうが楽じゃないか? 基本的に、集会に行って拍手していれば社会から承認されるんだからな。その間は仕事もしなくていいんだし‥‥。集会のお題目は、たしかに嘘八百かもしれないよ。けどね、その場の誰もが――職場や学校やコムソモールや、あるいは地区の誰もが――嘘八百だと承知している、という空想は、誰もが内面では自由に持つことができるんだよ。口に出しさえしなけりゃね。だから、アネクドートという文化が生まれるわけだ。こういう点が不当に評価されていると思うな‥‥。嘘だろう、と思いながら隣を盗み見ると、隣の者もまた、同じような疑問の横顔でこちらを盗み見てる‥‥。その隣も、またその隣も‥‥。そういう横顔がずうっと続いてる――‥‥あの奇妙な連帯感は、実際に参加したことがない者にはわからないだろうな。――意味なんかない。真実なんかもちろんない。空虚。ただそれだけが、そういう『意味』と『真実』だけが、無言のうちに共有されているんだ‥‥。‥‥世界が空虚でない、この世界に真に意味や真実があると思うならば、私は、個人的には亡命を止めはせんよ。どこへでも行けばいい」
「――‥‥さすが、半世紀以上もボリシェヴィキをやってるだけはあるね。たいしたデマゴーグだよ、あんた。人権の問題や経済の問題には、まったく触れないんだね」
「‥‥経済的な問題とは、なんのことかね? ――ああ、ああ、よく西側のプロパガンダ映像で流れる、わが国の年寄りがニシンを買うのに行列したりしているあれか‥‥。‥‥まあ、流通の問題は確かにあるね。それは認めるよ」
「――流通の問題だけじゃないと思うけど? それに、いままでの流れから言って、あんたの国だけじゃなくて、東欧諸国や北朝鮮も含めるべきでしょ? 食糧不足だよ。現実にあるじゃない?」
「それなら資本主義体制だって、全員に公平なわけではまったくないだろう? 君が妖精でなく人間なら、どういう立場でその問いを発するのか問うところだが――まあ、ここでやってもつまらなくなるだけだから、やめておこうか‥‥」
一旦は眼光を鋭くしたアナスタス・ミコヤンだったが、それはすぐに韜晦の表情に取ってかわられたのだった。
「かわすなあ。人権は? ――‥‥ああ、そうか。かわす、沈黙する、過激で人権無視の場を選んで参加しながら自分は慎重に『穏やかな』意見を言う。そうやって生きのびてきたんだもんね、あんた」
老ボリシェヴィキはみるみる不機嫌になり、黙り込んだのだった。
――グルジア民族主義者の一部は、一九八七年頃から、自分たちの独立とともにアブハジアのグルジア統合を主張しはじめた。これはアブハズ人の「グルジア化」を意味した。スフミの街に、グルジア語で教育を行なうトビリシ大学分校が開校されることになっていたが、トビリシの惨劇から三ヶ月後の一九九一年七月、これに反対のアブハズ人がグルジア人を襲撃した。ここでも暴動が起こり、数日間続いた。こちらも連邦軍によって制圧され、また死傷者が出た。
トビリシ事件から二年後の一九九一年四月九日、グルジアは独立を宣言。彼らの指導者たちは「グルジア」におけるソビエト連邦憲法の廃止、かつてのグルジア民主主義共和国憲法の復活を唱えていた。事態を自分たちの自治権廃止と捉えたアブハズ人たちは危機感を強め、彼らの民族主義者もまた、アブハジアのグルジアからの独立を唱えるようになっていた‥‥。
最後に会いに行ったのは、さらにその翌月、一九七八年の一〇月だった。これは、フェアリー達ての希望だった。そのときゾーヤは、ミコヤンの話をあまり聞こうとしなかった。中身がないわけではないが、冗長で散漫に過ぎる、というのだ。
「野暮は承知だが、君は、いったい何者なのかね‥‥。もしも、君か遣わし手が‥‥ゾーヤさんか――そんなに驚く顔をするな。フルシチョフが言ってたよ――君らの世界がどんなふうになっていて、どんな職業があるかはわからんが、少なくとも君は工作員には向かんね‥‥われわれのことをまとめているのなら(ショックもあり、フェアリーは否定しなかった)最後のほうに少し、一ボリシェヴィキの個人的見解としてこれを書き添えておいてくれると嬉しい‥‥いや、楽しいね。――宗教に関することだ」
「なに?」
難しい話になりそうだという顔で、フェアリーは促した。
「私もご多分にもれず宗教というやつが嫌いでね。その理由だ」
「どうぞ‥‥」
「――私的な体験だ。ごく若い頃、宗教家で心の問題と社会性の問題をごっちゃにして語る人間と出会ってね。そのとき感じた気持ち悪さが、私を『無神論者』にしたのさ。これらはな、分けて語るべきものだ――社会秩序を盾にして心の問題を語る奴なんてのは論外だよ。‥‥社会性の問題とはな、例えば人を傷つけるとか、そういうことだ。それはな、社会のなかで問題だから『問題』なのだ。社会の問題を語るときに別のベクトルを持ち出す奴には、まあ近づかないほうがいいね。変な空間ができてるから。心の問題も然りだ」
「人を傷つける人の心には、問題はないってこと?」
「違うよ。問題はあるだろう。心が汚いとか、捻じ曲がってるとか、その種の表現で指摘すればいいのだ。君の行為によって自分の心や、あるいは他の誰かの心が傷ついたよと」
「うんー‥‥。普通じゃない、それ」
「そうだよ。普通だよ。ごく普通のことだ。しかしね、そこに別のベクトルを――たとえば常識とか――巧妙に注入する輩が結構いるのさ。意図せずともね。悪意のない、困った善良な市民て奴だ。意図的なのはこれも論外。――だけど、私のような人間にしてみると、そういう奴を安全圏で眺めてる分には面白いね。前者には、人格ごといっている奴ってのが含まれるから。本当に、とんでもないのがいるよ。まあ大概、どこかで問題起こしてたりするけどね。そういう奴に接して楽しむという趣向の持ち主もいるようだが、私にはそれはないね。不味い料理を敢えて食べる、みたいな感じなのかな。よくわからんね‥‥。ん? 私? そうだね、私もまっとうな人格の持ち主ではないよ。が、しかし、抑制する用心深さは身につけてるさ。私はこれを美徳だと思っているがね。‥‥悪意はあるよ。だけど、悪事を実行するのは基本的に面倒くさい」
「‥‥‥‥」
「心と『常識』は、別の問題さ。心がまっすぐでも、常識が無い人はいる。逆も然り。まあ、心がまっすぐで常識があってもジェルジンスキーみたいな奴はいるがね。しかしそれはまた別の問題だ。ま、変な匂いを感じたら、逃げるのが賢明だね。私はそうしてきた‥‥。‥‥いいかい、統計は取れないし断言はできないが、そういうことを言われる人間はね、ある程度以上の年齢なら、だいたいよそでも同じようなことを言われているものさ。そこでも心がどうのこうのと聞かされて、きみの目の前に来てるんだよ。そうだろう? 社会というものを考えれば、わかるはずだ」
目の前の男の怒りの感情がフェアリーにも伝わってきたが、いまひとつ像を結ばなかった。なるほど散漫だ‥‥。
「それと宗教の話が、どう関係あるの‥‥?」
「――話を急がせるね、君は。せっかく丁寧に説いてやろうと思ったのに‥‥。‥‥宗教というのはな、神に関する語りだ。私が言うといろいろ問題だろうが、神はな、存在するかもしれない」
「えっ? 無神論者じゃないの!」
「だからさ、『かもしれない』、それくらいの話なんだ。そしてね、それを人類の浅知恵で語れるもんかね――いや、まあ、これは横に置いておこう。‥‥神の存在を信じることと、神に関する語りを信じることとは、区別すべきだと思う。ここで念頭に置いているのはキリスト教だが、他の宗教でも同じだと思うな。だからより正確には、宗教不信有神可能性考慮者だな、私は‥‥。たったひとりで神の存在を考え続け、生涯口外しない。書き残したりもしない。その神を信じる人とも交流しない。それが何になるって? ――何にもならないよ、社会的にはね。だがそれは、社会的な観点からの評価だ。個人の内面にまで深く食い込んでいる‥‥。そういった者に対する繊細さが、これくらいの話を理解する――賛同を強くは求めない。内容の理解だ――知性が、世の宗教家やそれに類する者にあまりにも欠けている。そういった連中が、あのエジョフみたいな奴を生み出すんだ」
「うーん‥‥。無司祭派とは違うの? あんたたちが弾圧した‥‥」
フェアリーが言ったのは、正教――ロシア正教の古儀式派と呼ばれる非主流の潮流の、さらに非主流の一派のことで――派といっても、さらに宗派で別れ、また独自に立ち上がった「派」もあり、一派とするのは、外部の観点からの分類上の表現である――いわゆる教会の役割を重視しないという姿勢を取っていた。かつてはツァーリへの「信仰」を持ち、また農民が多かったため、ボリシェヴィキによる激しい弾圧の対象となり、多数が虐殺、迫害されていた。これを聞いたアナスタス・ミコヤンは、目を剥いた。
「全然違うよ。――辿り着いた地点は、あるいは通じているかもしれないが、それは結果だ。『あらゆる認識には過程がある』――ヘーゲルだよ。‥‥教会は不要だ、という点には同意できるがね」
老ボリシェヴィキは、何故こんな説明が必要なのかという顔をして続けた。
「が、そこまでだ。教会は要らんが、ツァーリはもっと要らん。私は、いわゆる人格神を崇拝しているわけではないし、コミュニティーも教区も不要だと考える――そういうところに生まれ育ったなら、私はきっと、あのエジョフやカガノーヴィチのような、もっと攻撃的な無神論者になっていただろうね。伝統文化を守らねばとも、まったく思わん。あんなものは、基本、破壊の姿勢で臨むべきだ。芸術として見るべきもの、文化財として重要なものは無論あるが、それはあくまで『遺跡』としての価値だ。観光客相手には、ちょうどいいだろう。だが、それだけだ。――私はな、神がいなけりゃいないで結構。そういう立場だ。‥‥というより、そうだな、こう言えばいいか‥‥。私以外の他者が神の存在を肯定しようと否定しようと、どうでもいい。本当に、どうでもいいんだ。‥‥こういう話はね、経験則から言って、無神論者――いわゆる無神論者のほうが、理解が得られやすいんだよ。意見への同意以前の、内容の理解の段階でね。まあ‥‥どこにでも馬鹿はいるがね。政治的立場とは、そういうものだからな。止むを得んよ」
「うーん‥‥。あんたの苛立ちが、よくわかんないや」
「苛立ち――そうやってすぐ、感情の話にするなよ‥‥。これは、いわゆる信仰の話でもない。私は論理を言っているんだ。――いいかい、わが神‥‥『あの』神と、君の思う『神』が同一だと――同じ性質のものを指し示していると、何を根拠に言えるのかね‥‥? まったく違う性質のものを指し示しているかもしれないじゃないか。え? そしてこれは、私以外の他者同士でも、成り立つ話――構造だろう‥‥? 私は他宗教には明るくないが、『仏性』というのもそうじゃないか? ――宗教だけじゃない。『実存』だってそうだろう。『この』実存と、自称実存主義者が言うところの『実存』が同じ性質のものを指し示していると、何を根拠に言えるのかね。‥‥同じということにしておかないと社会や人間文化が成り立たない、なんてのは詭弁もいいところだ――」
「‥‥‥‥‥‥」
「なんだか私もあのエジョフのようになってきたな‥‥。こういう分野だけでなく、『悲しみ』とか『心の痛み』といった、普通に使われる概念にも、同じ図式が当てはまると思うな。‥‥人間の『絆』は大切なものだし、人間は『共生』する生き物だ。そのこと自体に、私は異を唱えるつもりはない。しかし、このような問題点を放置したまま――ときには問うこと自体が問題視される――市民社会とは、いったい何なのかね? 私が言うのも何だが、薄ら寒くないかね? ‥‥曖昧なままにしようとするから、あのエジョフや、キーロフが言うところのある種の弱者に、その社会が耐え難い欺瞞を放置しているように映るんじゃないかね‥‥?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「神、心、実存。私に言わせれば、これらに関する真の議論は、現在においてもまだはじまっておらんよ。だから私は、『アナスタス・ミコヤン』という限られた生のなかでする仕事として、これらに重きを置く人々と対立するボリシェヴィキを選んだのさ。ニセモノを駆逐するためにね‥‥。むろん、経済システムへの関心もあったがね」
「あんたの話も、よくわからないし、それに――」
「――そう、私のこれもひとつの説、教義だ。もっと言えば、思想家アナスタス・ミコヤンさんの思索を使った、発言者アナスタス・ミコヤン氏の語りだ。そこに盗みやすり替えはないか‥‥。こんなことに言及することに、社会的にはもちろん、他の如何なる観点からも、意義があるとは思えないが‥‥。別に私は、私の思想を全世界に広めようなどとは思っていないよ。私以外に『ミコヤン主義者』なんてものが誕生したって、私にとっては面倒くさく、鬱陶しいだけだ。――が、もし、もしも、私とまったく同じ違和感を感じている人間が独力で同じことを思うのなら、その者は同志だとは思う」
「なんか、孤独じゃない、それ」
「まるで、孤独でない近代人がいるとでもいうような口ぶりだね‥‥」
老人は憂鬱の度合いを深めたようだったが、フェアリーはあまり取り合わなかった。
「ぼくにはそういうのはわからないよ。――他にもあるなら、どうぞ」
「はいよ。――‥‥私はね、マルクスの言う資本主義下の恐慌と、フロイトの言うヒステリーとは、相似形ではないかと直感している。それはそう言えるだけでしょうと、昔、ある党員に言われたが――。グリゴリー・シュティッヒという‥‥」
「他には? 冗長になってもいいって、ゾーヤが言ってる‥‥。なんかさ、人には言えない変な趣味とかないの? そういうのが大事だって、ラデックさんが言ってたよ」
「それこそ――そういう話の収集が、あいつの趣味だがね。とんでもない奴だったよ。誰がおまえの切手シートに並ぶかって話だ。――趣味と言えるかどうかわからないが、あるよ。いまの話と繋がっているとも思う‥‥。私はね、人が怒った顔を見るのが好きでね。子どもの頃からそうだった」
「怒った顔?」
「そう。世の中には異性――たとえば女の子――の泣き顔が好きなんていう変態もいるよ。私も交流したことがある。が、私とは違っていた。同志ではなかった。‥‥私のはな、性が介在しないんだ。女の子に泣かれると、シンプルに心が痛み、いたたまれなくなるだけだ。――だから私のほうが清潔だとか言っているんではないよ、念のため」
「いちいちそういうこと言わなくていいから、もう」
「――社会常識というのはね、それほど深く個々人の内面に‥‥まあいい、わかった。ただ、この話はこれ以上は深まりはしない。人の怒り顔を見るのは好きだが、そのためだけに他人を怒らせていては、まともな社会生活をおくれん。私は別に、自分が怒られたいわけではない。性抜きのマゾヒストではないのだ。サディストでもない。サディズムはサービス主義と言うそうだが、私にはその種のサービス精神が欠けているんだろうな。SM、直接的暴力、いじめ‥‥どれも面倒くさいね、私には。‥‥ただ純粋に、人が怒った顔を見たい。それだけだ」
「純粋観察者? そんなところに生身の人間が身を置けるの?(これはレフ・トロツキーにも言うべきだったと、フェアリーは思った) ――ていうか、他人の怒り顔を、自分は安全な場所でコレクションしてるわけ? うわー気持ちわる‥‥。ラデックさんよりも性質悪いような‥‥」
「コレクション――してたのか? そうか。そうなのか、俺は‥‥。それで冒険は好きでないのに、火事場に行きたがっていたのか――。気がつかなかった――‥‥。‥‥たちがいいか悪いかなんて、私には本当にどうでもいいことだ。そのこと自体では刑法上も別に問題ないし、墓場まで持ってゆけば誰を傷つけることもないだろう。そしてね、幼い頃からのこの直感が私を――先のようにフロイトとの連環で、私をマルクスに近づけたのさ‥‥。‥‥というのは嘘で、これは実はボリシェヴィキ加入後に気がついたんだ。驚いたね、自分でも。いや本当に‥‥。‥‥これは、理解しない人は一生涯理解しないだろうが、あのエジョフは――この現実が、君の語った話が、もしひとつの小説世界だと仮定した場合の話だが、描かれたあのエジョフは‥‥ある観点に立てば、人類愛の人だろう? 俺は反キリスト、俺はアナーキスト、ってやつ‥‥異常犯罪者をも――いや、ちょっと違うな‥‥通り魔的な無差別殺人犯をも救済しようとする、裏返しのイエス・キリスト‥‥全人類の罪業を被って銃殺刑‥‥。泣けるドラマだねえどうも‥‥。あのテレビなら、昼間は無理でも、夜の八時台には放送できるような‥‥。芝居なら、まあ学芸会とは言わんが、大学の演劇サークルが薄暗い地下室でやるような――最近はそういうのもないのか――刺激的で、観客に社会をちょっと考えさせるようなやつだな。観る価値はあるし、毒にも薬にもならんものよりははるかにマシだが、まあそこどまりの‥‥。あのね、私には、なんというか、その種の『愛』さえ無いんだよ‥‥。他人が百万死のうが一千万死のうが、私さえ苦しくなければそれでいい。たとえ一億――‥‥私という個の消滅の後、人類が滅亡しようとね‥‥。ヒトラーのように、政治に強弱や優劣といった美学を持ち込みもしない」
「‥‥‥‥」
「かつて、あのブハーリンさんが言っていたよ。『ヒトラーやナチスを支持するような、社会のなかである観点に立たされた者たち――キーロフ流に言えばある種の弱者たち――はなかなか認めようとしないが、そのような基準・尺度もまた、彼らが腹の底から憎む偽善と同様の人工的な捏造物、すなわち作り物にすぎない。所詮作り物であるなら、偽善のほうが文化的にも哲学的にも優れている』‥‥。同感だ。まったく、同感だ」
「‥‥‥‥‥‥」
「念のために『エジョフ思想』のほうも言っておくが――こういう小市民的なところが、俺のだめなところなんだろうな――不誠実‥‥は、まあそうだとして、だからといって何故わざわざ殺さなきゃ、裁かなきゃならんのだ? 悪名を背負ってまで‥‥。裁く権利があるのかとか言ってるんじゃないぞ――いや、そこも議論すべきところだろうが、裁く権利があるとして、何故わざわざ自分が実践しなきゃならないんだ‥‥? なんでそんな『誠実さ』が必要なんだ‥‥? ――ヒトラーやナチスの場合と同じでね。強弱や優劣と同様、『誠実さ』なんていう基準・尺度、つまりモノサシもまた、人工的な捏造物にすぎんのさ。同様に、なかなか認めようとせんが‥‥。‥‥不誠実の何がいかんのかね、あ‥‥?」
老人の目にはたしかに眼球ははめこまれていたが、まるでぽっかりと開いた洞穴のように暗く、奥深かった。
「まあ、教会なのだがね。洗脳されてるのさ、みんな。解くのは容易ではない‥‥。そんなに簡単に外部に出られるなら、誰も苦労はせんよ‥‥。――ちなみにこれは、私のオリジナルではない。フリードリヒ・ニーチェのいわゆる超人思想‥‥そこからの転用だ。さらに言えば、この分析自体も私のものではない‥‥。大きな声では言えないが、あのトロツキーさんによるものなのだ。ベリヤ経由で情報を仕入れてね――スパイ、だろうな――それによれば、彼は晩年、アドルフ・ヒトラーに決闘状ならぬ一対一の討論会を申し込むと息巻いていたそうだ。‥‥『頼むからこの狭い地球上にこれ以上馬鹿を増やしてくれるな。この私が討論会を通して、おまえの人間観、社会観、国家観、世界観を、根底から打ち砕いてやる。自殺したくなるくらいにな。――ドイツ国民は私に委ねて、オーストリアに帰って毒にも薬にもならない静物画でも描いてろ。そのほうが世のため人のためだ』――とね。すごい人だったな、あの人も‥‥。――スターリンではなく彼がこの国の政権を担っていたら、どんな地獄をつくりだしていたかな。あるいはあのブハーリンさんなら‥‥。‥‥おかしな顔をしているな。地獄見物は楽しいよ‥‥。ぬるぬるしていて実は板一枚下は地獄な、薄っぺらい小市民的価値観が支配する社会よりも、ときとして、ね‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
「付け加えるなら、『義務』や『責任』なんてのも人工的な概念だ。人間社会――などというつまらぬもの――に何故、よりによってこの自分が、義務や責任を負わなきゃならんのだ。勝手な物語を押しつけるな、まったく‥‥。――私? ゴホン‥‥。私は、いわゆる宇宙人や宇宙生物の存在を信じていてね‥‥。夜空の星を見たまえ。この太陽系第三惑星地球の地表の上で、たかが人間ごときが何百万くたばろうと、何千万くたばろうと、よしんばそれが何億でも何十億でも、たとえ人類すべてが滅亡しようと、それは大宇宙統計局の書類に記載されている数字の、ささやかな変動にすぎない。何をそんなに騒ぐほどのことがあるのかね‥‥」
フェアリーには聞く価値がある話とは思えなかったが、ゾーヤが、そういう判断はいまは止めて、聞くだけ聞いておいて、と言っていた。
「――人類が滅亡するなら、それはただ滅亡するんだ。意味などもちろんないし、見出そうとするべきでもない‥‥。個人も、国家も、人類も、ただ誕生し、ただ消滅する。そこにはもちろん、感動や愛はあるだろう。苦悩も苦痛もあるだろう。エロスも美もあるだろう。――だが、それらに『意味』など無い。決して無い‥‥! これはあのカガノーヴィチも同意してくれた‥‥。わかるな? 『意味』もまた人工的な捏造物だ。私に言わせれば、意味づけは喫煙行為等と同様の悪癖‥‥人類が羅患してしまった、克服すべき伝染病なのだよ‥‥!」
その「克服」「すべき」も人工的な捏造物じゃないの? 「すべき」って義務だし、結局あんたのも人間社会の話――人間中心の観点じゃん‥‥という疑問を抱く妖精を相手に、アナスタス・ミコヤンは彼には珍しく昂揚し熱弁を振るっていたが、しばらくすると落ち着き、彼のまた別の面を見せたのだった。
「気持ち悪がられついでに、もうひとつ、ある観点を示しておこう。われわれのうちで、いちばん自由に生きたのは誰かな‥‥? ん‥‥? ――グルジア‥‥阿鼻叫喚‥‥人間の激怒の顔、顔、顔‥‥。――‥‥ベリヤは便利な奴だったよ、本当に。私が面倒くさがることを、全部やってくれた‥‥。彼はスターリンをよく観察していたが、そんな自分を観察していた者――この私――がいることに、気がついてなかったな‥‥」
フェアリーは、ソコライエフ少年との出会いを思い出していた。
「歴史は彼を裁いた。これからも裁きつづけるだろう。だが私は、この裏の取れない『告白』以外、証拠は何も残らない。ベリヤが一時期、メンジンスキーについて同じようなことをちらっと言っていて、こいつにもそういう知恵がついてきたかと思わされたが‥‥。マヌケな歴史小説家は、スターリンやベリヤと比較して、私を悪人ではない人物として描いてくれるかもしれないね。はっはっは。時間軸上の遠隔操作。あっはっは。あー面白い‥‥!」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
「――実は、私のこういった面に気がついていた党員がひとりいてね。さっき言った、グリゴリー・シュティッヒさ。ただ者じゃなかったな‥‥。あの頃の組織には、有名でなくとも、本当に知的でユニークな、たまらなく刺激的な党員が、大勢いたんだよ――。エジョフシチナとは、いったいなんだったんだろうな‥‥。ただ、ご承知の通り、私にもすでに守らなきゃならない立場があったからね――申し訳ないが、そいつには消えてもらった」
「――‥‥最低だね。‥‥まあでも、あんたのその最低趣味から、何かを学び取ろうという人もいる。ぼくとゾーヤが、あんたたちを取材して何かをまとめている――そう仮定して、読者に、何かサービスできることはある?」
「‥‥さっきの、私の気づきだな――。ああいうのが大事なんだ。世に、エッセイやそれに類する書があるが、その大半に読む価値はない。真に読む価値があるのはな、主人公、すなわちエッセイストが、驚いた体験をしたもの、その箇所なんだよ。自分が驚いた世界、そしてその驚きを如何に描写できているかが、エッセイストの値打ちを決める‥‥。まあ、自分が社会のなかで酷い目に遭った、という形で顕現することが多いから、本人には言わないほうがいいがね。――どこにそういうのがあるかって? いわゆるエッセイというより、社会告発ものでしばしばあるよ‥‥。この楽しみは馬鹿右翼には教えないでくれよ、頼むぜ同志‥‥(ウィンクするミコヤンを、フェアリーは睨みつけた)‥‥ほう、なんか言いたそうだね。怒りは結構。だが正義を持ち出すのはお門違いだよ、坊や。――もっともらしいことを言おうか。読書とは何だ? 読書の悦楽とは何だ‥‥? 自分が知らない世界を、垣間見る楽しさじゃないのか? あのテレビもそうだろう? 自分は居ながらにして、安全な場所で‥‥。ベリヤにも教えてやったんだが、推理小説なんかは――エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』‥‥そうやって勃興・発展したジャンルだろ? 文化とは、そういうものだよ。社会告発ものを現代のミステリのように読んで何が悪い。いや、道徳や倫理というモノサシでは、たしかに『悪い』ことだろう。で‥‥? ――‥‥これくらいのことを言われたくらいで怒るなら、最初から自分語りなんぞしなさんな。不条理のなかで一生口をつぐんで、本当に何も残さず消えていった人間は、歴史上大勢いる。陋劣な行為なんだよ、『自分』をネタに、社会に対して何か書こうなんていう行為がそもそも。‥‥またそういった行為を肯定する文化があるからな‥‥。――‥‥ま、大量虐殺の気狂いボリシェヴィキのたわ言だ。気に障ったなら、あいすまんね」
「――(大宇宙の話からえらくスケールダウンしたような‥‥)ぼくは、あんたとは同志になれそうもないや。たとえ四次元でも何処でも。それはよくわかった。‥‥もうちょっと、広く社会に役に立ちそうなことは言えないかい? このまえ見せたような未来の世界、何でも揃っている建前になっているけど、実は何も無い時代を生きる若者たちに。はるかな先達から、さ」
「――ソビエト連邦が滅びた後の世界、か‥‥」
「うん。――あ、え‥‥!」
遠くからのゾーヤの注意の声に、フェアリーは慌てて老ボリシェヴィキを見た。その両眼は落ち窪んでいたが、ギラギラとした、それでいて奥深い光がそこにはあった。
「あ‥‥。いや、その――‥‥」
「やはり、そうなのか‥‥。かまをかけてみたんだが――君には本当にがっかりさせられるよ‥‥。少しはドラマテッィクな展開を味わいたいというささやかな望みさえ、凡庸な者は台無しにする。まったく‥‥」
老人は深く嘆息していたが、やがて、今までよりさらにふてぶてしい態度で続けた。
「いつかは聞かんよ。私にだって守りたい夢があるからな。――われわれの試み‥‥二十世紀最大の実験‥‥――」
「あんたの――あんたたちの夢とやらは、多くの人にとっては悪夢だったんだけどね」
「フン! 知ったような口を利く‥‥! それを言うなら、人類文明そのものが他の生物にとっては悪夢だぜ――? ――だいたい、なんだそれ? 私のような者に何か有用なメッセージを言えと? ――‥‥大人の義務とはまったく思わんが、まあ、退屈しのぎに言おうか‥‥」
「先生、どうぞ」
「――‥‥はっきり言って君らは、不幸な時代に生まれた。君らの直感通り、君らの世界には何もない。大人がなんと言おうとな‥‥。その真実を指摘する者は、疎まれるだろう。ときには大小様々の『裁判』だ。様々なスタイルの裁判官、被害者ぶる原告とやら、好奇心で目をギラつかせた傍聴人。君らの弁護士までが奴らの手下だったりする‥‥。そういうシステムが出来上がっちまってるんだ。出口なんか無い。外部がないんだからな‥‥」
「外部がない? あんたたちがよく言うけど、何なのそれ? 一般の人は、それがあろうがなかろうが、そもそもガイブなんて考えてないと思うけど。あと、それがないことが、どうしてそんなに大変なことなのさ?」
「横道にそれるぜ、その話は‥‥。一般人、ね‥‥。――生活実感とやらに即して言うと、こういうことかな――ほら、今度、オリンピックを、わが国でやるだろう?」
「え? ああ、うん」
ミコヤンの口から洩れた意外な単語に戸惑いつつも、フェアリーは過激な話から一時逃れられそうだ、という安堵感を抱いた。そのとき彼が言ったのは、一九八〇年に開催予定の――実際に開催された――モスクワオリンピックのことだった。社会主義国における初の――それもアメリカの候補地ロサンゼルスに投票で勝った――こういうことがいちいち大事なのである――オリンピックということもあり、世界的に注目されており、またこの国は、初参加ヘルシンキ以来の集大成と、そしてもちろん国威発揚の絶好の機会とすることを目指していた。首都モスクワでは、シェレメーチエヴォ空港ターミナルの大幅な改修(西側のマスコミ連中が大挙して押し寄せるのだから、とにかく見栄えが大事なのだ)や、メイン会場となるレーニン・スタジアムの整備等々、フェアリーの目にも見えるような準備が進められ、都市のあちこちに喧騒を生み出していた。
もっとも、八十を過ぎた老ボリシェヴィキは、そういった華やかなスポーツの祭典には、あまり興味を持てないようだった。
「ブレジネフはずいぶん張り切ってるが――ぼろを出さなきゃいいんだがね‥‥。西側のペースに乗せられていやしないか‥‥? いまの指導部が評判を落とすのはブレジネフたちの自由だが、われわれのこれまでの努力の成果に泥を塗られては――まあそれは、いい」
これを聞いたフェアリーは、
「どりょくのせ、い、か? ――あと、あんたらの国の評判なんてもう充分落ちてると思うけど‥‥」
と言おうとしたが、
(話をややこしくするだけよ‥‥)
と遠方からゾーヤに制止されて、口にはせず、顔にも出さなかった。妖精も、外交官としてのたしなみを身につけてきていた。一九四〇年のモロトフのように、相手のどんな勘違い発言にも、苦笑を洩らしたりするのはダメなのだ。
「一昔、二昔前は‥‥そうだな、少なくともベルリンオリンピックあたりまでは――いや、ヘルシンキ‥‥――トーキョーの辺りまでかな‥‥。個々人の認識や属する社会によって差はあるだろうが、こんな空想が人々一般の間に入り込む余地があった。‥‥なんらかの理由でオリンピックに出ない地上最速の男が、世界のどこかにいるんじゃないか――」
「あー、それが‥‥」
老ボリシェヴィキの話に、フェアリーは素直に興味をひかれた。
「そう、この『世界のどこか』が、外部だ。かつてはこの種の外部が、世界には本当に多く存在した。人類はそれを次々と『発見』し、文明を発展させてきたんだ」
「うーん‥‥。でも別に、昔の人がみんな――歴史上の全部の人間が、その外部の探求をしてきたわけじゃないでしょ?」
フェアリーは、かつてのベリヤとブハーリンの対話の、飛行機の箇所を思い出して言った。
「そりゃそうだ。しかしね、別に文明の発展に寄与する気なんかさらさらないし、じっさい寄与してないような人間(――対談相手がさきほど我慢したことなど露知らぬ様子で、また語ることで憂鬱を忘れられたのか、アナスタス・ミコヤンは苦笑をもらした――)にだって、この『なんらかの理由』を空想する――妄想だな(また苦笑)――そういう楽しみを、与えてきたんだ。‥‥ところが、今日び、『オリンピックに出ない地上最速の男が、世界のどこかにいるんじゃないか』なんて、誰も本気で思わない。いや、思えないんだ。そうだろう? 外部がなくなったのさ」
「んー‥‥」
妖精は小さな腕を組み、小さな小さな眉根を寄せて、老人の話を理解しようと努めていた。
「かつてだって、実際にそんな人間はいなかったろう‥‥なんて言うと、いたかもしれないじゃないか、なんて反論が返ってきたりして、不毛な論争になってしまうんだが‥‥。大事なのは、いたかいないか、じゃないさ。もちろん論証は大事だが、そういう話を私はここでしたいわけじゃない‥‥。『いるかもしれない』――そういう可能性が、世界に確かに存在したっていうことなのさ。それが、いまは無いんだ。少なくとも、この地球上には」
「夢のない時代だってこと?」
「――また、がっかりするような言い方をするね‥‥。君も、あいつらのキャッチコピー文化に毒されていやしないか? が、まあそうだ。いつの世も、世の中は世知辛いさ。しかし『夢』が、より多く社会に存在した時代がたしかにあったんだ。その『夢』がどんどんなくなっている。どんどん、どんどん、ね」
「資本主義体制下においては、『夢』は広告のキャッチコピーの常套句と化す。つまり、他人の金に換えられるわけだな‥‥。そして現存の社会主義体制下においては、空疎な国家スローガンという歪な形態をとることになる‥‥。かといって、その他の道‥‥私もトシだから、最近の流行はわからないが‥‥一例として、たとえば、あのヒッピーとかなんとか‥‥。――いくら一般社会からドロップアウトしても、一度でもこの文明社会に触れた以上、この外部消失の時代という認識から逃れることは、原理的に不可能なはずなんだがね。意識の話、精神の話、それらもたしかに重要だろうが、この認識も重要なはずだ。――近代文明が嫌なら文明の利器に頼るな、車を使うな病院にも行くな、なんていうアンチと一緒にしないでほしいところだが‥‥。まあこれはいいか」
「じゃあ、人類はどうすればいいのさ」
「さあね。そういうふうに、『どうすればいい』と性急に解決策を求めようとすると、解答としては、『文明の発展をやめる』『文明を退行させる』っていう、空想的、三流SF的なものしか出てこないと思うよ。そこにあのエジョフみたいな急進主義者がくっつけば、悪夢の始まりだ――。どうしようもないんだよ。‥‥――『どうしようもない』、この事実を全人類が承知する――まあ少なくとも成人になるまでには教育機関で教える、というのが妥当な線だろうね。私たち人間は、こういう限界点に行き当たってます、とね。私たち大人にも、どうしようもないのですよ、と。そして、歴史の授業の際には、そうでない時代――そういう限界点を視野に入れずに人々が思索・行動できた時代もあった、ということを教えるべきだろうね。『基本』としてね。限界点に行き当たってるいまのわれわれがその人たちの思索や行動を判断する際には、その点の注意が必要ですよ、と。あのトロツキーさん風に言えば、特定の時代にすぎない時代に住まわされているわれわれが判断する際には、ということだな。――やや繰り返しになるかな‥‥実際には、限界点はいつの時代にもあったぜ。ただ、視野に入れずに人々が思索・行動できた時代、ということだよ」
「‥‥‥‥」
「そんな社会で、大人になる、年齢を重ねる、ということに意義を見出すことは、困難だ。はっきり言うと、大多数の人間には意義はない。が、しかし、社会のなかでの加齢の法則からは何人も逃れ得ない‥‥。アンチエイジなんとか、じゃないぜ。社会のなかでの、だよ。――この意義を、あれやこれやと持ち出す人間は、また出てくるだろうけどね。なにか、どうしてもそういうことを言わずにはおれない『人種』というのが、どんな社会にも存在するんだな。つまり、自発的コミッサールが、さ。――本当に意義があるなら、自分が黙って実践すればいいじゃないかと思うがね。有用なものなら、それこそキリストの時代みたいに、人々はついてゆくぜ? 仮についてゆかなくても、後代に評価を与えてくれる人間は現れるさ。世の中には、スターリンはともかく、ベリヤの人生を掘り起こそうなんて物好きがいるんだし‥‥。いや、個々人としてはいい人が多いような気がするが、その周囲にできる変な空間がね‥‥」
「あんたの言うその空間があるからこそ――あんたも含めた――人の目に入ってくるんじゃないの?」
「いや、私が言っているのは『変な空間』だよ。誤解の上に誤解が積み重なってるような‥‥。まあ、これもいいや。ローカルすぎて、展開するのが面倒くさい」
この「面倒くさい」を直してれば、この人もっとイケたんじゃないかな、と妖精は思った。
「われわれ左翼を――というと、西側の左翼は一緒にするなと言うんだろうが――『進歩主義』『進歩史観』などと批判するあちらの右翼・保守派も、文明社会自体が後退する――衰退する、という考え方、史観には、賛同せんようだな。一個人の場合ならたとえば『青春時代は過ぎた』というような言い方が、普通にされるのにな‥‥。批判は簡単さ。旧き佳き時代の郷愁に甘やかに浸りながら朽ちてゆく――そういう社会が、来るのだろうな‥‥」
「――それも批判じゃない。簡単な」
「フン‥‥! そういうのを揚げ足取りと言うんだよ。君は政治家に向いているかもしれんぞ、西側でな。テレビを観ていると、君くらいのレベルの口だけ達者な連中が、でかい顔をしているようだからな‥‥。民主主義、ね。大変だな、建前を守らなきゃならないというのは、いろいろと。ははは」
「建前だけの体制はどっちだよ――ぼくはそんなのには興味ないよ、お生憎さま」
「――‥‥。だから‥‥というわけではないが、私は引退したさ。うんざりしていたからな。ちょうどよかったよ。さばさばしたね。こちらも、馬鹿ばっかりでな‥‥。近現代とはすなわち、いわゆる伝染病が駆逐されてゆくかわりに、人類の馬鹿が拡散されてゆく時代‥‥馬鹿が馬鹿面をさげて馬鹿な言説をべらべら吐き散らかし、それだけじゃ飽き足らず馬鹿のように大手を振る、袋小路の時代だな。それを手助けするのが、あのテレビに代表される大メディア――マスコミさ。‥‥人類史、あるいは文明史上の、喜劇の一幕だよ。悲劇を通り越した、ね‥‥。これが終幕だったら、まあ本当にむなしいわな」
「また繰り返しになるかもしれんが、かような時代、人生には意味がある、なんていうお説は、はっきり言って害毒だ。しかしそれでも、大人を演るには、意味があるような顔をして毎日を――日常を過ごさなきゃならんのさ、大概は。――いやもちろん、自分で目標を設定してクリアしてゆく作業に歓びを感じることは、社会のためなんかでなくとも自分のために大事なことだよ‥‥。――‥‥などという怪しい注釈を、私のような人間ですらつい付け加えてしまう。うまくゆかない例が山ほどあることを、よーく知っていながらね‥‥。わかるかな? これが大人だ。ああ、面倒くさい‥‥」
「――地獄だと思うよ。『ここは地獄だ』と言えない地獄‥‥。‥‥――おや? おやおや? どこかの国の話のようだな‥‥。――恐怖と抑圧の権化であったボリシェヴィズム・ソビエト・ロシア、またの名を『悪の帝国』は、自由主義陣営に敵わず滅びた、はずだった。しかし実は、十年、二十年という歳月をかけて、彼らの国々に憑依していました、とさ‥‥。ははは、こりゃ上出来のアネクドートでないかね? ははは‥‥。――自由主義体制下の諸君、気分はどうかね? 幸せかい? さあ、連帯しようじゃないか。はははは。国際ソビエト帝国万歳! 単数形だぞ。わはははは。‥‥――若者へのメッセージだったな‥‥。まあ、犯罪と自殺はやめておけ。もったいないんだよ‥‥。命がどうたら生きる権利がこうたらなんていう話じゃない。その、頭脳がな。社会でどう評価されていようとね。――昔、手抜きの話で冗談ぽく示唆したように、価値観なんてものは、君らが思っている以上に本当に様々だ」
「‥‥‥‥」
「価値観の話で言えば――あのモロトフなんかは『虚栄心こそ人類の進歩の動力源だ』とか言ってたな」
「また横道にそれそうだけど‥‥何それ?」
フェアリーはすでにうんざりしつつも、男の心を少しでも垣間見たいという思いから、そう促した。
「――『多くの者はよい虚栄心を備えているのに、なぜか見栄をはるのはよくないことだという世間の教義に洗脳され転向していってしまう。自分も多くの同志を失っていった。人間はもっともっと見栄をはることに情熱を注ぐべきである。己の虚栄心にだけは人は嘘をつけない。虚栄心を最も高貴なる人間精神として再認識し定着させる運動こそ私が思い描く世界精神革命であり、それは神が死んだ不毛の荒野に住まわされる現代人の精神をより高みへと導き、人類文明を停滞から救うであろう。私に実践派のイメージが薄いのはおかしい。私ほどその理想のために日夜ピュアに研鑽し、ときには堕落しそうな己を律し、孤独な闘争をつづけている活動家はいない』のだそうだ。オルジョニキーゼが『大物気取り至上主義の行動倫理学』というのを提唱していて、偽物だと怒っていたな。『ああいう手合いが誤解を招き、足をひっぱるのだ。論破してやる!』とね。私にもよくわからんよ」
「‥‥私たちの生き様から何かを――本当に何でもいいんだよ――齧り取ってくれるなら、私のような人間にとってもそれは嬉しい‥‥。何故だか、しみじみ嬉しいんだよ。‥‥私は若い頃ずっと、『大人になる』ということがどういうことなのか、わからなかった。怖かったわけではない。ただ、わからなかったのだ‥‥。それが、あるとき、わかった‥‥。それまで仕入れてきた『知』を、分け与えたくなるんだ。良知か悪知かは人それぞれだろうが‥‥。社会というものから恩恵を受けた実感を持てない、私のような人間でも、な‥‥。大人になるというのは、こういうことなんだ‥‥。――‥‥心、善悪、社会性、それらの話もたしかに大事だ。しかしな、自分自身にとって心から大事じゃなければ、実はどうでもいいことなんだよ。差し障りのないように適当に調子を合わせておけ。‥‥ただし、その調子合わせ、つまり演技に悪の悦楽を感じる場合、感じるだけにしておけ。そういう自分にもまた、適当に調子を合わせるんだ‥‥。悪や死への衝動や快楽を感じるからといって、それを実行しなけりゃならない義務は本当にどこにもない。惰性で生きるのも大いに有りだ。どうせ、二二世紀まで人類は退屈なままさ‥‥。‥‥世間では――まあ家庭でも――『アナスタス・ミコヤンさん』という人間は八二歳だそうだが、私には、自分がそれだけの期間生きているという実感がない。他の者がどれだけ深く考えているかはわからないが‥‥。そんな私はね、一週間ほど、『この現実は夢だ』と自分に言い聞かせて過ごすことがある。私のような人間の、心の健康法だな‥‥。夢だからね――多少は演技することもあるが――目の前で誰が死のうが苦しもうが、基本的にはどうでもいい。如才なさというキャラクターを生得できているから、さほど目立たないしね‥‥。また、今のところ私は必要性を感じていないし、実際にはもうこんな年寄りだが、条件によっては盗み、殺し、犯すだろう。だって夢のなかなんだからねえ‥‥。条件――加えられるであろう刑罰等と自分の人生・生活等々――を天秤にかけ、欲望に従う者も当然いるだろう‥‥。――そして、社会人としては困ったことにと言うべきなんだろうが、それであまり支障がないんだよ‥‥。私は変わり者だが、まあ他の大人も大同小異だ。無意識に演ってる者が多いがね。うらやましいよ、彼らの鈍感さが‥‥。‥‥現代社会における外的人格‥‥いや、社会的人格は、もう本当にこんなものなんだよ。――以上」
「なんだか、もうよくわかんないや。ゾーヤが言った通りだ」
「世の中に、そのとき聞いてわからない話など、山ほどあるぜ。それらがいつか実を結ぶ‥‥かどうかはわからないが、腑に落ちることはある。人生の一場面において、何がしかの焦点へ向かう集中線となることが――。そういう蓄積が人生を真に豊かにすると、これは私は実感を込めて言えるがね‥‥。まあ、メッセージは、もう少しある」
「あんたたちの党大会じゃないんだけどね‥‥。まあいいや、どうぞ」
「――君たちが住まわされる世界では、社会のあらゆる場面において、人々はキャラクターであることを余儀なくされるだろう‥‥。本来は、おのおの独異であり、それぞれの『色』で光り輝く――黒い光、可視化できない光を放つ者もいる――はずの個性は、『“キャラ”クター設定』へと矮小化されるだろう‥‥。個性‥‥善悪はもちろん、人生観、世界観等々におけるあらゆる価値判断から自由なもの‥‥価値判断が必要だという価値判断から自由な個性もある――。‥‥だが、その社会のなかで生まれ育った君たちは、社会に出るということがすなわちその体制に入るということを意味する世代の君たちは、この設定を『個性』だと思い込まされる‥‥。洗脳だよ。――そうでなかった時代もあったんだぜ? 可哀想にな‥‥。子どもや若者の遊びをカネに換える連中だって、台頭してきたのは、ほんのここ数十年の話だ。それはさすがに、君らの時代まで生きている大人でも、知っている者は知っているよ。生まれながらの消費者――と言えば聞こえはいいが、要は、生まれながらの市場の標的、だろ? それが君たちさ」
妖精は妖精なりに、男の言葉を噛み砕こうとしていた。
「それで人々の実存が充実するかって? 無論そんなことはない。多くの者は実存から『淋しさ』への後退を余儀なくされるだろう‥‥。有象無象の『宗教家』がその淋しさにつけこむ。気をつけてくれよ、括弧つきの、だぜ。宗教というもののからくりは、多少なりとも学んだだろ‥‥」
ミコヤンがここまで語ったところで、ゾーヤから指示が来た。ソビエト連邦の運命を知られてしまったのなら仕方ない、八十年代から顕現した民族対立についても訊いておいて、と。民族紛争が――グルジアで、旧連邦内の各所で、世界中の各地で――起こり、それは収束の気配を見せていなかった。その光景が、妖精によって老ボリシェヴィキの前に次々と映し出された。
老人は、乾いた目でそれらを追っていた。そして投影が終わると、長いため息をもらした。
「君の――種族の構成がどうなっているのかはわからないが‥‥私は、ある民族にとってもっとも大事なものはふたつ――二種類だけだと思っている。なんだと思うね?」
「うーん‥‥。そこに生きる人たちの生命と、心かな」
「私の見解では、違うね。――言語と、広義の芸術だ。あとは全部、付録だ」
「――‥‥。――人々の心は? 信仰は?」
「付録だね」
「そりゃ、たしかに『民族』に心や信仰の問題がくっつくと、『民族の誇り』とか『国民の誇り』とかって政治的言説に結びついて、いま見せたみたいな民族紛争とか戦争になりがちだけど、そういうのに結びつかない『民族の心』だってあるでしょ? それも踏みにじっていいの?」
「踏みにじっていいとは言っていない。それこそ政治的な誘導だよ。あくまで大事なもの二種、という話だ」
「実際、あんたの国は踏みにじってるじゃん。あと‥‥人々の生命も付録だっていうの?」
「そうなるねえ」
「‥‥すごいや。ボリシェヴィキだけはあるね。さすがソビエト!」
「フン‥‥。それで皮肉のつもりかね、坊や。――いいかい、この世は万物流転だ。人間も、国家も、民族も、だ。形あるものには、いつか必ず滅びの日が訪れる‥‥。しかし、言語と芸術さえ残れば、たとえその民族が滅んだとしても、誰かに思い出してもらえるんだ。それは、少なくとも誰にも思い出してもらえないことよりは、幸福なことだろう? 違うかね‥‥? 芸術といっても、広義の、だぞ。これまでは、伝承に頼る以外に、芸術の保存方法は限られていた。だから、こういう思想が普及しなかったんだ。だが、現在の科学技術を用いれば、音や香りさえ保存することができる。技術が進歩すれば、人間のデータ、DNAも――ほら、例の遺伝子工学――復活可能な形で保存できるだろう。二一世紀は、こういう思想が主流になるんじゃないかな」
「主流? 人の心を踏みにじり、生命を奪うことが?」
「言語と芸術こそが重要であり、あとは付録、という考え方が、だ。君の言う心や生命を――それも個々人のそれを大事にするという思想で、世界がまとまれば、それに越したことはない。が、まとまるのかね? え?」
ゾーヤが遠くで何か言っているのが、聞こえた。
「大量虐殺の時代? また‥‥?」
フェアリーは震える声で尋ねた。老ボリシェヴィキは、肯定も否定もしなかった。そうして、
「君もいろいろ見てきたなら、わかるだろう? われわれ人類は、つくづく愚かな生き物なのさ。それはもう、しょうがない‥‥」
と首を横に振りながら、今度は重い嘆息をもらしたのだった。
「‥‥ぼくは見たくないな、そんな世界。あんたたちには――少なくともあんたには、決定的に欠けてるよね、人々の心の傷っていう観点が」
「――そのような観点を持ち出すなら、やはり私個人ではなく、『あんたたちには』だろう」
「そうだね」
「‥‥いちおう、言っておくがね‥‥。私は、ボリシェヴィキとしては諸民族の抑圧者だろうが、民族としては、異常な殺戮を経験させられた者を抱く、被圧迫民族の後裔だぞ。記憶‥‥心的外傷はな、次世代、そのまた次世代にも受け継がれるんだ。表面上は見えない場合も‥‥一個人では気づかない場合もある。傷痕が深ければなおさら、ね‥‥。そういうなかで育ち、社会に出て、歳をとり、こういう達観を得たんだ。ココロノキズ‥‥? 人間にはな、本当に様々な面があるんだ。そんなに単純な生き物じゃないぜ? わかったようなことを言う前に、もっと勉強したまえ」
皺に囲まれた目を鋭くして毒づくアナスタス・ミコヤンから、深く暗い感情がフェアリーに伝わってきた。彼が言ったのは、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけての、オスマン帝国‐トルコによるアルメニア人虐殺のことだった。そのことはフェアリーの知識にはあまりなく、その点はフェアリーは恥ずかしいと思ったが、老ボリシェヴィキのそれまでの見解には賛同できなかった。
「ま、私はアルメニア語を一度捨ててしまったから、民族文化の継承という観点からは、だめなのだがね。あのアズナヴーリアンはどうなのかな‥‥」
ミコヤンがあげたのは、フランス出身で世界的に活躍する、シャンソンで著名なアルメニア系歌手のことだった。シャルル・アズナヴール。アルメニア人は苦難の離散を経て、欧米社会を中心に拡がっていた。
「――二〇世紀は、虐殺の世紀だった。わが国のものを含め、この惑星地球上で、一体どれだけ、人間が人間に殺害されたかね‥‥? いったい、犠牲者は何人になる‥‥? これほど殺し合いをした百年は、人類史上ないぜ。未曾有の殺戮世紀だよ。その事実への反省が――充分な省察がなければ、残念ながら二一世紀も、遅かれ早かれそうなるだろう‥‥。虐殺が避けられないのならば、せめてそれに対する心構えとガイドラインを残しておくべきではないか、と思うのだがね。人類が発狂しないために‥‥。――惑星地球のためという観点からは、そんな備えなど残さないほうが人間という名のゴミが片づいていいという意見もあろうが、残念ながらわれわれは核を持ってしまっている。第三次世界大戦が起これば、環境への打撃ははかり知れない‥‥。人類存亡の危機、地球存亡の危機というやつだ。われわれはそれを恐れ、全面戦争を回避して生き永らえている‥‥。私が言うまでもないことだが、皮肉な話ではないかね? え? われわれ人類を進歩させるための科学技術の発展の結果が、これだ。その事実は、われわれにこう告げている。『おまえたちは失敗作だった』と‥‥。‥‥遺伝子工学の発展は、やがて、われわれの欠点を改良した新種――新人類の誕生を招くのではないかな。彼らが智慧とアイデンティティを持ったならば、『何をなすべきか』と問い、考え、そして実行に移すだろうよ。――私は、そこでは滅ぼされるべき種族なのかもしれないが、それでも知的好奇心が疼くのだよ‥‥。見てみたいのだ! もっと未来の世界を!」
そこで目を輝かせたアナスタス・ミコヤンだったが、しかし、妖精はその願いを叶えることはしなかった。ゾーヤから許可されていなかったし、それにフェアリー自身、この老人にこれ以上つきあうことが精神的負担になってきていたのだった。
「話を戻すが‥‥外部を失ったわれわれは、この先、どちらを向いて歩んでゆけばいいというのかね。哲学屋の空疎な悩み‥‥? いいかい、外部がない、ということはだね、人類が――そのひとりひとりが――することは、突き詰めればこの地球上にはふたつしかないってことになるのさ」
「ふたつって‥‥?」
妖精は倦怠感丸出しでそう言ったのだが、老ボリシェヴィキはそれには気がつかない様子でつづけた。
「ひとつは金儲け、もうひとつは環境との完全な同化だ。特に金儲けに関しては、いろいろ『話』を作る奴はいるだろうがね。阿片に浸っていたい人々は、わんさかいるからな‥‥。が、まあしかし、それはそうだよ。いままで私が言ったことを加味して、よく考えてみるがいい」
「環境との同化、のほうは? 原子力を放棄するとか、そういうこと?」
「それは、社会的生物としての人間が目指すか、あるいは目指さないか、という類の話だろう? 私が言っているのは、本当にひとりひとりがするべきことさ。‥‥一言で言えば、動物になるって話だ。人間らしさを捨てて――中途半端では意味がない。完全な同化、だ――『人間』なんかやめちまえ! って話だ。真の意味でな‥‥。しかし、まあ人間社会内部での実行には、多大な困難が伴うことだろう。金儲けのほうが、より順当だ」
「ふーん」
ミコヤンはここでフェアリーの無気力な様子に気がついたらしく、こう言ってきた。
「まるで集会に来てる人民だな、君は。その目も」
「あんたがそうさせてるんじゃないか」
「わかった‥‥じゃあ、おとぎ話をしてやる。集会らしくな」
アナスタス・ミコヤンは大きく手を広げた。
「実は、この外部を探求できる途が、ひとつだけある。先のふたつのほかにな」
「さっきは、ふたつしかないって‥‥」
口を尖らせるフェアリーを、老ボリシェヴィキは軽く笑った。
「この地球上には、ね」
「どういうこと?」
「宇宙、さ‥‥。宇宙開発こそが、その道標だ。というより、それ以外に明確な汎人類的指標は浮かばないと思うね。現在ももちろん行なっているが、壁に当たってもひるむことなく、粘り強く継続させることが重要だ。宇宙移民が、政策として現実に可能かどうかは、なんとも言えんがね」
「宇宙‥‥開発が、外部の探求になるの?」
「もちろん、そのことで『オリンピックに出ない地上最速の男』が登場するわけではないよ。しかし、われわれ人類の認識が――世界理解それ自体が変わることが、可能性として考えられるわけだ。生物で言うならば、われわれの想像を超える未知の生物、現在の生物学における『生物』の範疇におさまらぬ生物の発見も、あるかもしれない。そして、知的生命体――現在のわれわれの文明では測ることのできない、まったく未知の高度な知性との邂逅も在り得るかもしれない‥‥。それは、外部の発見と呼ぶに相応しいだろう。いや、もしもそのような存在に出会うことができたならば、これまでのわれわれ人類の『外部』の探求などすべて内部、内部も内部での堂々めぐり、小さなグラスのなかの泡立ちにすぎなかった、ということになるかもしれん‥‥。可能性はあるのだから、人類は賭けてみるべきだと、私は考えるのさ。――そのときわれわれは、魔王の哄笑を耳にすることになるかもしれない。しかし、このままでも、どうせ未来はないんだ‥‥」
「ゾーヤに言っておくよ」
「頼むぜ。――あのベリヤが最期の時期に記したらしい、その宇宙開発に関する興味深い書き物があってね。かなりの量で、あいつの死後MGBが発見し、その後KGB預かりとなって、いま現在も厳重に保管されているそうだ。が、残念ながら、KGBの連中には読めない代物らしくてな‥‥。いつか読める人間が――読むべき人間が読む日が、来るのかね‥‥。来る、と、そう願いたいものだ」
「それも伝えておくよ」
フェアリーはそう言った。その途端、ゾーヤの声が聞こえてきた。
(知っているわ‥‥)
と――‥‥。
「あのベリヤは晩年、国歌についても何か言っていたな。あいつの、本当に最後の時期に‥‥(アナスタス・ミコヤンは、妖精の小さな顔に浮かんだ表情に気がついた)――ああ、知っているのか。そうだ。あの歌詞だ。旋律はあのままで、歌詞を変えたほうがいいと。――私も、いまの、新しいほうがいいな‥‥」
老人の無責任な批評は、それからもしばらく続いたのだった――‥‥。
「――そろそろ、話は終わりだよ。悪いけど、僕はもう戻らなきゃいけないんだ」
小一時間も経ったころ、フェアリーはミコヤンに告げた。ミコヤンは、名残惜しさを見せることはなく、どこか自分自身に言い聞かせるように言った。
「君の世界へ、かい? ――そうだな、それがあるべき姿だろう。君は君の国へ戻る。私は、この世界で生きる‥‥」
「‥‥‥‥」
「‥‥最近、おかしな夢を見る。――悪夢、だ‥‥」
「‥‥‥‥」
「内容は、目が覚めると忘れているんだが、最後の部分だけ、朧げながら段々思い出せるようになってきた‥‥。嫌な音とともに、長い柄の何かが二本、交叉されるんだ。そのシルエットは、どこかで何度も見たことがあるものなんだが――夢のなかでは何かわかっている。はっきりと――だが目覚めると、どこで見たのか、どうしても思い出せない‥‥」
「――――‥‥」
「その沈黙は気になるね。フルシチョフも晩年、同じようなことを言っていたそうだ。聞き出してね‥‥。――君らが、見せているんだろう? ‥‥――遣わされし者よ、汝は、人類誕生以来のありとあらゆる――すべての事象を細大もらさず記録する、大世界史編纂委員会の委員であるか? ならば私も同志、同類、同業者であろう‥‥。――激動の時代を、私は社会的には端役、脇役として、個人の実存としては『観察者』『取材者』として生きてきた。そのことに悔いはなく、以前言った通り、私には政治的野心と呼べるものはない。かつては、ささやかながら持ち合わせているつもりだったが、スターリンやベリヤを見ているうちに、自分には資質が――権力というものへの、あのギラつくような渇望が――備わっていないとわかったよ。――が、知的野心はある。あいつらなんかより、ずっとな‥‥。年齢を重ねるほど、いや増して、尖ってきている‥‥。社会的にはいまさらどうでもいいが、その場では主役になりたいのだ。――さきほど二二世紀と言ったが、われわれ人類に、希望の箱と呼べるものは残されているのかね‥‥。いや、もし残されているとしたら、その鍵はどこら辺りにあるかだけでも、示してくれないかね」
「‥‥昔、言ったろ。あんたには、〈力〉が、少しだけあるんだ。少しだけ、ね。――あんたの、その胸の内に‥‥。いろいろ話してくれたけど、あんたがいちばん気になること、気にかかってることは、なんだい?」
「それが、鍵なのか――」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言えるよ。――ぼくは本来、こんなことは言わないんだけど、あんたたちにつきあってるうちに、こうなった‥‥。僕はもう、あんたらとは接していたくない。行くよ」
飛びさろうとした妖精の羽の生えた小さな背に、アナスタス・ミコヤンはなおも声をかけた。
「‥‥これ、か。さっきの、神の話と連環している話だ‥‥。いや、これも私のものではなく、その昔、同志レーニンが言っていたことなんだが――私はつくづく、こういう人間なのだな――脳裏にこびりついて離れぬのだ‥‥。編纂委に伝えておく価値はあるだろう‥‥」
フェアリーが空中で振り向くと、アナスタス・ミコヤン氏は己が頭を抱えていた。レーニン時代、スターリン時代、そしてフルシチョフ時代と、うつろいゆく世をしたたかに泳ぎわたってきた老ボリシェヴィキ。長く伸びるその影のなかに、フェアリーはある特徴的な色を読み取った。寿命だ‥‥。さほど間を置かず、老人は呻くように言葉を洩らした。
「『ミコヤン君、この間の電話の、神の存在の話、面白かったよ!』――。‥‥半世紀を超える歳月の間に、私の脳内で編集され、曇ってしまっているかもしれないことは、断っておく‥‥。『われわれの目指す共産主義とも矛盾しないだろう。ブハーリンに話したら、あいつも面白がってくれた。‥‥関連していると思う、私が昔から直感していることを言わせてくれ』」
「‥‥共同探求。この悦ばしき精神に勝るものを、私は寡聞にして知らん‥‥。旧い考え方と言われるんだろうが、メディアの発展は、この作業の円滑化のためにこそ成されるべきでね。最近では、最初にメディアありきという考え方もあるそうだが――。コミュニケーションの拡がりがどうの、人々がつながってこうのというような話には、私はついていけんね。コミュニケーション? 絆? ぶくぶく肥った自意識と馬鹿言説の垂れ流しを、ものは言いようだ。人類総体、一生物種としてのホモ・サピエンス・サピエンスの衰退を招くだけとしか思えんがね。――こういう私の性格の悪さと、これから話す話の内容を、頼むからごっちゃにしないでくれよ。社会性、マナー、そんなものは、あるものの存在の是非と本当になんの関係も――‥‥ああ、もうそういう話はいいんだったな‥‥。同志レーニンはこう続けたのだ‥‥」
「『――魂は伝達可能だ、という言説があるが、あれは誤用されている。現状は、安い宗教家や芸術家を太らせているだけだ。魂は伝わらない。他者には伝わらない。しかし、その伝わらなさ加減が、ある種の人々になぜか伝わるのだ。なぜ伝わらないんだ、という、もどかしさとともに、なぜか‥‥。そして、そのもどかしさこそ――痛みとして発露するもの、でもいいかもしれん。難しいところだが――魂なるもの、あるいはそのようなものが確かに存在する、かもしれないという、何よりの証左ではないだろうか。それ以外の、物理的にどうの権力がこうのというような話は、周縁をなぞる瑣末な議論だ。魂の有る無しや伝達の可能不可能と、たとえば暴力の話などは関係ない。暴力は暴力。社会と心の問題だ。関係のない話にみな捉われ、それがあたかも魂の話の標準のようになってしまっている。もどかしい限りだ‥‥! われわれは目を曇らされている――』‥‥」
老獪なるボリシェヴィキ――ベリヤやフーシェのように警察権力を持ちはしなかったが、彼もまた綱渡りの名人と呼ぶに相応しいであろう――アナスタス・イワノヴィチ・ミコヤンは最後にそう語り、それから半月ほどして死んだのであった。
「どう?」
アナスタス・ミコヤンのラスト・エピソードを語り終えたフェアリーは、少女に感想を求めた。
「まぁーったく、よく言うわよね。自分だって大したこと言ってないじゃない‥‥」
少女は、鬱憤を晴らすかのように呆れたため息をついた。そして顔をしかめて頭を左右に振るのだった。嫌なものを両の耳孔から追い出そうとでもいうように。
「過激なことを言えば――いいえ、過激ってほどでもないわね――とんがっているだけ。何か尖った印象の、それらしいこと言えばいいってものじゃないわよ。政治家的立場に立つならなおのこと、言説に内実がないとね‥‥。自分で、小物ですと宣言しているようなものよ。ま、自覚しているんでしょうけど。――まあそれこそ、世間に掃いて捨てるほどいる、小市民的価値観が不満なのにそこから抜け出せず足掻いてる、こじれインテリよ。女嫌いも入ってるかな‥‥。思想家としては、あのエジョフが裏返しのイエス・キリストなら、差し詰め暗黒のブッダ――? スケールがずいぶん小さい、ね‥‥。ああいう人が家庭では意外と子煩悩な父親だったりするから、男は面白いんだけど‥‥。――だからといって、彼のしたことが免罪されるわけではないわ」
「最後の、レーニンさんのは?」
「うーん‥‥。だいぶ編集されていると思う。レーニンなら、もっと核心に迫る、整理した言い方ができるんじゃない? それがミコヤンの限界ね」
そしてまた少女は、ある人物のことに少しだけ触れた。
「実践派の人たちは何と言うかしらね。あのキーロフさん――彼の暗黒面も見せたかったわ。地震兵器がどうのこうのと言ってたわね。地熱発電とか地底都市なんてことも言ってたけど‥‥」
フェアリーはセルゲイ・キーロフを思い出していたが、少女は続けた。
「――内実があれば、普通に思われている以上に、一般道徳的な基準は度外視して、賛同してくれる人は出てくるものよ。あんまり出てくると、社会の安寧を維持したい心情の持ち主は困るでしょうけれどね‥‥。内実がないと、豊かな果実を実らせていないと、せめて豊かな恵みを期待させる種子がないと、せいぜい三流扇動者がいいところよ」
「‥‥でも、その三流が、扇動者が、実際に権力を得てきたから、怖いんじゃないか」
フェアリーの物言いに、少女は苦笑した。
「言うようになったわね、あなたも」
「そりゃそうだよ、あんな人たちとばっかり会ってりゃ。嫌でも言うようになるさ」
小妖精は、小さな口を小さく尖らせた。
「いや、自分のことだけ言っちゃうけど、あんな人たちは、ぼくは、本当に嫌だ。いくら仕事でも、もうごめんだ」
妖精の声は決して大きくはなかったが、その口調は、いつになくきっぱりとしていた。少女も、彼女のしもべから伝わってくるその怒りの波動に、心を傾けざるを得なかった。ふたりは、どちらか一方が欠けても、その役割を果たせないのだから‥‥。
「‥‥そうね。あなたにも、ずいぶん苦労をかけたわね‥‥。――よし、条件が合いそうなら、約束する。今度、こういう大仕事をするときは、もっと自分を高められるような人たちと会わせるわ」
「ほんとっ?」
「ほんとほんと」
「で、その条件て、なにさ」
「――人間が、特に政治に関わろうとする人たちが、もう少しましになること」
「えー‥‥‥‥」
それから少女は、街並みを歩きながら、呟くようにこんなことを口にした。
「『親愛なるジェルジンスキー、僕はまたスイスに逃げるよ‥‥』」
ミコヤンがおり、またイヴァン・ノヴォセロフが旧友アリゾフに会いに行ったブレジネフの時代あたりから人々の口の端にのぼるようになった、あるアネクドートであった。――遺体を保存していた甲斐あって、ついにソビエト連邦科学陣はウラジーミル・レーニンの「復活」に成功した‥‥。二十年代の「賢者レーニン」物語が意識されているであろう。
現代風の味つけは、こうである。――大喜びの党・政府指導部は、彼に党大会で現指導部の政策を肯定する演説をしてもらいたい、と依頼する。レーニンは承諾するが、視察を行なった後に演説の草稿を書きたいので、二週間、ゴルキー村という場所にある昔の彼のダーチャで過ごさせてくれと頼む。党・政府指導部からは国民と全世界に向けての大々的な発表が行なわれ――さて二週間後、同志レーニンは忽然と姿を消してしまった。民警、KGBを大動員させたが、彼の行方は杳として知れない。大慌ての指導部は、今度は同じ技術で――といっても彼の遺体は保存されていないので期限つきのものだったが――フェリックス・ジェルジンスキーを復活させた。ジェルジンスキーは事情を聞くと、この時代の警察力に疑問を表明しつつ、すぐさまゴルキー村のダーチャに向かい、レーニンの書斎、そのデスクのどこかから一通の手紙を発見するのだ。先のゾーヤの台詞は、オチの部分、その手紙の書き出しである。後にこうつづく。
「――『われわれはもう一度、初めから、何もかもをやり直す必要があるようだ‥‥』」
フェアリーもこれは、耳にしたことがあった。彼は素朴に訊いた。
「初めから‥‥って、どこからさ?」
「‥‥『言いかえれば、自分より前に支配していた階級に代わって現れる新しい階級は、すでに自分の目的を貫くためにも、みな自分の利害を社会のあらゆる成員の共同利害としてかかげずにはいられない。すなわち観念的に言いあらわせば、自分の思想に一般性の形態を与え、それを唯一の合理的かつ一般通用的な思想としてかかげずにはいられない』」
「? ――うーん‥‥レーニンさんたちのこと? あ、フルシチョフさんにも当てはまるのか‥‥。待てよ‥‥別にこの国じゃなくてもいいわけか‥‥」
フェアリーにはわからなかったが、少女が歌うように、呪文のように引用したのは、カール・マルクスの言であった。彼女の口元には笑みがあった。
「『商品は、一見したところでは自明で平凡な物のように見える。が、分析してみると、それは形而上学的な繊細さと神学的な意地悪さとに満ちた極めて奇怪なものであることがわかる』‥‥」
「??」
「――『だから、人々が彼らの労働諸生産物を諸価値として相互に連関させるのは、これらの物象が、彼らにとって同等な種類の、人間的な労働の単なる物象的外皮として意識を持つからではない。その逆である。彼らは、彼らの相異なる種類の諸生産物を交換において諸価値として相互に等置することにより、彼らの相異なる諸労働を人間的労働として相互に等置する。彼らはそれを意識しないが、そう行なうのである』‥‥‥‥」
「???」
この服の刺繍は、はるか過去からの人類のありとあらゆる営みを象徴したものと、少女はいつも妖精に言って聞かせていた。
並木通りを抜けると、市場があった。
もう夕方であった。少女と見えない妖精は、人々の活気と喧騒溢れる、賑わう市場の雑踏のなかへと消えていった。
――完――
“彼の綿入れ作業衣は‥‥ズボンには小包の上包み布を流用した継ぎ足しがあてられて‥‥”
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おとぎ話のあとがき(注:ネタバレあり)
作者としては客観的に見れないのですが、この小説は、ミリタリーと怪奇SFの要素の入った伝記的群像劇と言えるでしょうか。
全体としては以毒制毒(毒を以って毒を制す)という感じで書きました。人間界の猛毒スターリンに対する超人間的な世界の「毒」であるゾーヤ、というふうに。うまくいったかはわかりません。
キャラクターに焦点を絞るなら、人間ヨシフ・スターリンとその周囲の人物をスターリン的な酷薄さで以って描いた小説、と言えると思います。
ストーリーは、もう、どんどんダメになっていくという話ですよね。くだけたキャッチコピーをつけるなら「腐った男が腐った仲間を集め、腐った努力で世界をより腐らせた物語。」「世界を腐らせた男たち。」といったところでしょうか(笑)
いや、本当に、執筆中に何度も「あんたらええ加減にせえよ」と叫びたくなりました。エピローグの最後のほうのフェアリーの嘆きは、私の嘆きでもあります。ベリヤなんかは、最初の原稿を書いている頃、殺意を覚えましたね。
そのベリヤの人物像ですが、資料が少なく、かなり私の創作が入っていることをお断りしておきます。
【おもな登場人物】では、ゾーヤ、フェアリー、ソコライエフ、コズロフ、ノンナ、ワイネル、ブニコフ、ノヴォセロフは、私が創作したキャラクターです。「ロザマリーヤ」、シュティッヒ一家、「サモショーク5」の搭乗員等もそうです。
実在した【おもな登場人物】は、正副主人公はもちろん、ナジェージダを除いて‥‥キーロフ、フルシチョフはぎりぎり大丈夫かな‥‥他は、あまり身近にいてほしくない人たちですね(汗)
第二次大戦中では、ゴルシューノフなんかは私の創作ですが、ハンス・ヴァルトマンは実在した人物です(描写はフィクションの部分が多いです)。
本作執筆の当初の意図のひとつに、作中で扱った領域に対する自分の知識を整理したい、という思いがありました。この目論見はしかし、果たせませんでした。よけい混乱しただけでした。
ただ、これは書いていて見通せた感触を覚えたのですが、スターリンやベリヤ個人に焦点をあてた作品(ふたりともいちおう、西側の人間による伝記があります)というのは、なんか「変」なものが多いのです。私と同じような困惑と混乱をこれら伝記の作者も味わったのだろうと、開き直ることができました。そして、彼らの伝記のような変な小説がまた新たにできたわけです(‥‥)。
ヨシフ・スターリンは、こんにちの言葉で言えば人格障害だったと私は思っています(だから、キーロフの遺骸を前にして泣いたとか、ヤーコフの死に悲嘆にくれたとか、いちいち信用できない)。ラヴレンチー・ベリヤには、そういう狂気のようなものはあまり感じませんでした。彼がやったことを考えると、そこが逆に怖いわけですが。
ベリヤの指揮による東欧への弾圧については、ポーランドのいわゆるカティンの森事件に焦点を絞り、バルト三国に対する弾圧等への言及は最小限にとどめました。
実在の登場人物ですが、自分の関心に沿って選び書いたので、時代背景から見ても、クルプスカヤとマレンコフの影が薄くなっていると思います。これは単に、私が彼らに通り一遍以上の関心を持てなかったためです。特にクルプスカヤには関心を持たれる方が多いようなので、そういった方にとっては言及が足りなすぎたかもしれません。
ジダーノフにもこのふたり以上の関心は持てませんでしたが、ベリヤとのからみや芸術・文化面での影響もあり、こちらはある程度の量をさいて書かざるを得ませんでした。
逆に、ミハイル・トゥハチェフスキーにはかなり関心があったのですが、日本語で読める資料が少ないこともあり、描ききれませんでした。第一部で期待した方、どうもすみません。
時代背景から見れば、一九四六年から一九五三年までソビエト連邦の副首相を務め、後には首相を務めたアレクセイ・コスイギンという人物もいるのですが、キャラクターの多さから考えて割愛しました。
執筆しながら、イヴァン・トフストゥーハはある意味、私の先輩のような人間だったと思いました。対象への情熱が足りない、とか本人には言われそうですが。
そして、本文中にも反映されていますが、執筆の過程で興味深い人物として浮かび上がってきたのはヴャチェスラフ・メンジンスキーです。何者だったんでしょうね、この人は。
本文中にも書いた通り、ジェルジンスキー、ヤゴーダ、エジョフ、ベリヤの陰に隠れ、知名度が低いですね。ロシア革命時には目立たず、エジョフシチナ、いわゆる大粛清の時期には不在で、対外的にも大きな影響を及ぼしていないためだと思います。
なお、ニコライ・エジョフは、本作では大量殺戮者という点に焦点を絞って描いていますが、歴史的には、スターリンと共に民族追放政策の責任者であるということも、ここに付け加えておきます。
書ききれなかったことは幾つもあります。エジョフシチナもそうですし、収容所の描写も、甘すぎると思っています。前者は、大事件、とんでもない重大事件なのにも関わらず、資料が少ないように思いました。被害者と加害者が入り組んでいることでそうなっているのだと思います。
ナジェージダやキーロフの死に関しても、読んでいただければわかる通り、特に後者はスターリンがかなり怪しいのですが、決定的な証拠がないため、断定はしませんでした。
そのスターリンの最期が、これもかなり怪しいのも、因果応報という気がします。
因果応報はベリヤもですね。彼の人生の帰結を見ると、本当にそう思います。
メンジンスキーの知名度の低さにも現れていますが、資料にあたる過程で、本作で扱った領域に対する人々の関心の偏りという点にも気づかされました。
一例として、大戦後のミングレル事件は、日本ではほとんど知られていないと思います。欧米、あるいはロシアや当のグルジアではどうなのでしょうか。
プロローグが象徴的なように、「レーニン」をはじめとする彼らボリシェヴィキの変名の使用というのも私には興味深く、作中において、スターリンのほかトロツキーのそれにも光を当てたつもりです。
看守のオリジナル「トロツキー」氏は、自分の名前を借用したレフ・ダヴィードヴィチの活躍を知るまで生きていたんでしょうか。生きていたとしたらどう思ったんでしょうかね。だって、一回会っただけの奴が、自分の名前を使っていろいろ活動してるんですよ。
日本語の表現は、私なりにいくつかこだわりました。そのため、ぎこちない部分も多々あると思います。T‐34‐85はT‐34‐76と区別するためにぎこちなさを承知でこだわりましたし、また、各種資料に出てくる「大物」という表現(ボリシェヴィキの大物党員、というニュアンスで頻出していました)がどうしても気になったので、代わりに「有力」「有力な」「有力者」という用語を多用させていただきました。後者は、たとえ原文でそのような表現がされていたとしても、書く身としては連発したくありませんでした。「大物」って何でしょうか。
参考資料はインターネットをはじめ多々ありますが、独ソ戦中の戦車の描写に関しては「劇画家」小林源文氏の著作、特に『黒騎士物語』を参考にさせていただきました。同書をお持ちの方ならわかると思いますが、第三部1の「パックフロント」の部分は、あるコマをそのまま文章にしたようなものです。用語や構図を多少いじってオリジナルっぽく見せようかとも思ったのですが、そのまま書きました。
第三部2のベリヤの政治的な見解は、スターリン主義者の言い分とはこういうものだろうと考えたものです。エピローグVer.BとVer.Dのキャラクターの政治的見解のようなものは、それプラス、ぞっとする言い方ですが、「ネオナチ」に対する「ネオ・スターリニズム」というものがあるとすれば、そのネオ・スターリニストの意見はこのようなものだろう‥‥というふうに考えたものです。こんな政治思想が台頭しないことを願います。
そのVer.BとVer.Dのキャラクターの「外部」に関する語りですが、オリンピックの箇所の「思えない」には、元の原稿では強調点を振ってあります。「思わない」というより「思えない」状態になっているということを噛み締めていただければ、このキャラクターの問題意識がわかりやすいと思います。ちなみに、私も思えません。こんにち、本気で思える大人がいるでしょうか。
この自由な社会とやらの内部で、私たちは空想の自由を奪われつつあると思います。後続の世代は、よりその傾向が強まるでしょう。
『“キャラ”クター設定』という表現は、元の原稿では「キャラ」に強調点を振ってあり、「“”」はありません。こんにちの日本社会で通じる「キャラ」という用語を意識したものです。
現代という時代におけるこのふたつの問題は、私が小説で書かなくても、語れる大人は多いと思います。でも言う人、少ないですね。大事な「社会問題」だと思うのですが。
ラストの引用ですが、『言いかえれば~』は、レーニンやフルシチョフが活動するはるか以前、一九世紀中頃の言葉であり、これは彼らを念頭に置いて発せられたものではありません。直接的には、ナポレオン一世の甥にあたるナポレオン三世の活動を指しているものです。
このギミックのようなものは、第二部2冒頭でブハーリンがエンゲルスを引用する際にも使っています。フリードリヒ・エンゲルスは、この物語が始まる以前の一八九五年に他界しています。したがって、直接にスターリンの政治を指したものではありません。
この二点、念のためここに注釈しておきます。
エピローグVer.AとVer.Cの読後感は、普通に読めば悪くないと思います。その上で、扱った歴史的事実に比して読後感がこんなに悪くなくてよいのか、という疑問をご自分の中に持っていただければ、作者としては喜びです。
七十年代生まれの私がなぜだか知ることになってしまった彼らの人生を、本作で自分なりに形にすることができたと思います。
お読みいただき、まことにありがとうございました。
田中 鉄也
2013年8月2日




