~市場~ Ver.C
エピローグは、Ver.A、Ver.B、Ver.C、Ver.Dの四バージョンがあります。ここではVer.A=A、Ver.B=B、Ver.C=C、Ver.D=Dと表記します。
Aが原型、それぞれエピソードを付加したものがBとC、両方のエピソードを付加したものがDです。
付加部分は、歴史的事実よりもこの作品内で扱った諸テーマに焦点を合わせた内容です。B、Dをお読みになると、あるボリシェヴィキのそれまでの印象が変わるかもしれません。イメージを壊してしまったらごめんなさい。Cでは作中の女性ふたりの後日譚、および戦車中隊を襲った「事件」の顛末とやはり後日譚を描きました。
作者側ではBを「ブラックバージョン」、Dを「ダークバージョン」と呼んでいます。また、エピソード以外の部分でも、細部の違いはあります。
目安を書くと、
長さ:D>B>C>A(縦書き用:D〉B〉C〉A)
後味の悪さ:B=D>A=C(縦書き用:B=D〉A=C)
となっています。
また、後味とは別に、BとDの付加部分は別の小説になってしまっているかもしれません。そして表現としてはR-18ではありませんが、この部分は「大人」向けだと思っています。ただ、本作におけるナチス/ナチズムの扱い方、もう一方のニコライ・エジョフの描き方に不安を覚えられた場合、この部分をお読みになれば、「中和」されるとは思います。とはいえ、また別の不安を覚えることになるかもしれませんが。
Dは特に長く、またB、Cとも、一小説作品のエピローグとしてバランスを崩している長さだと思います。蛇足だという思いも拭えないのですが、ネット掲載という形式の利点を生かし、このようにいたしました。
この四バージョンは、どれが本物のラストで、どれが偽物のラストということはありません。ぜんぶ本物です。それぞれを味わっていただけたら幸いです。
その後は、フルシチョフの時代だった。彼はマレンコフを辞任させ、ソビエト連邦の実権を握った。そして、自分の途を歩み始めた。一九五六年、第二〇回党大会において、スターリンの悪事を暴露、これを批難し、世界中に衝撃を走らせた。コミンフォルムは廃止された。フルシチョフは西側との平和共存外交を推進、これは「雪どけ」と呼ばれた。しかし――東欧のハンガリーで民主化要求の運動が盛んになると、戦車で鎮圧した(ハンガリー動乱、一九五六年革命)‥‥。NATOに対抗するべく、ソビエト連邦を盟主とした東欧諸国の軍事同盟ワルシャワ条約機構が結成され、また秘密警察や収容所もなくなることはなく、MVDの管轄であった保安機能がMGB側に移され、国家保安委員会――KGBとして再統合された。
アメリカとの軍拡競争はこの国にも水素爆弾を誕生させ、また爆撃機によらない核攻撃を可能とするICBM(大陸間弾道ミサイル)、それより射程の短いIRBM(中距離弾道ミサイル)、SRBM(短距離弾道ミサイル)という超兵器を誕生させていた。これらミサイル開発の副産物としてのロケット技術を用いて、彼の政権下、ソビエト連邦は、一九五七年に史上初の人工衛星スプートニクを、一九六一年には、やはり初の有人宇宙船ヴォストークを、宇宙というフロンティアへと送った。また、やはり核攻撃を可能とするSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)が登場し、潜水艦の用兵思想を大きく変えた。そして、原子力を動力とする潜水艦の登場は、「潜水艦」それ自体に革命をもたらした。また、五番目の軍隊として、戦略ロケット軍(戦略ミサイル軍)が誕生した。初代総司令官は、就任後ほどなくしてバイコヌール宇宙基地での新型ロケットのプロトタイプの実験中に爆死、二代目総司令官にキリル・モスカレンコが就任した。
一方、彼のスターリン批判とその後の反スターリン潮流に我慢ならなかったのか、一九五七年、モロトフ、マレンコフ、そしてカガノーヴィチらが組んで、彼を失脚させようと動いた。フルシチョフはこの策謀に耐え、逆に彼らを追放した。国外ではカリブ海のキューバにこのIRBMまたMRBM(準中距離弾道ミサイル)を核搭載で配備しようとはかり、世界を第三次世界大戦の勃発寸前にまで持っていったが、結局アメリカほか西側諸国の圧力により失敗に終わった(キューバ危機)。国内においても、北部カザフスタン、西部シベリア、ヨーロッパ・ロシア南東部の広大なステップ地帯を開拓し食糧生産量を向上、また以前からのビジョンもありアラル海を灌漑し綿花栽培量を向上させようという計画を大々的に推進したが、これらもたちまち暗礁に乗り上げた。ミコヤンは、フルシチョフとの友情を保ち、したたかに生きのびた。
「雪どけ」は国内にもわずかに及んだ。サッカーの世界ではかつてのCDSAが復活し、一九六〇年に「CSKAモスクワ」となった。スターリングラードは荒れ果てていたが復興し、一九六一年、ヴォルゴグラードと改められた。
毛沢東率いる中華人民共和国とは、社会主義建設の路線をめぐって対立することになった。世に言う中ソ論争である。対立は深まり、一九六九年には国境紛争まで起こった。ベトナムでは、かつてブハーリンの東方勤労者共産大学で学んだホー・チ・ミンが、フランス、そして超大国アメリカとの闘争を指揮し、見事に彼らを打ち破り、独立へと導いていた。アメリカもこれにより深く傷つき、国内の文化は分裂、威信は地に堕ちた。
一九六四年、フルシチョフは、レオニード・ブレジネフらによって追い落とされた。ミコヤンは、フルシチョフに何度も励ましの電話をかけた。しかし彼もまた、翌年には失脚の憂き目にあった。ブレジネフは厳密にはレーニン記念入党者ではなかったが、ほとんど入党の時期を同じくしており、彼らの世代の筆頭格であった。彼らは、あの二十年代に未来を拓かれた世代であり、スターリンを――彼らにとっての旧き佳き時代を――懐かしんだ。ブレジネフの時代は長く続いたが、経済は低迷し、各分野で西側に大きく引き離された。
ヨシフ・スターリンの子どもたちのその後についても、簡単に触れておく。ワシーリーは父親の死後すぐに逮捕され、ベリヤの失脚と処刑の後も釈放されることはなかった。一九六〇年に仮釈放されるも、すぐに酒浸りの生活に戻った。ヴォロシーロフに禁酒を勧められたが、アルコール依存は治らず、素行が問題とされ、カザンに追放、二年後に死んだ。スヴェトラーナはインド共産党員の男と恋に落ち、公式には認められない結婚生活を送ったが、その幸せの期間は短く、夫は持病でこの世を去った。彼女はインドへ赴くことを許され、ガンジス川に亡夫の骨を蒔いた。彼女はしばらくガンジスのほとりで暮らした後、こともあろうにアメリカ大使館に駆け込み、西ヨーロッパを経由してそのままアメリカ合衆国に亡命してしまった。
ブレジネフの死後、ソビエト連邦における政治・経済の混迷は一層深まり、一九八五年、ミハイル・ゴルバチョフが書記長に就任した。彼は「ペレストロイカ(立て直し)」「グラスノスチ(情報公開)」を唱えた。ネップが再評価され、一九八八年、ブハーリンが名誉回復された。カーメネフ、ジノヴィエフ‥‥ほかモスクワ裁判で消えた人々も、ヤゴーダを除き名誉回復された。スルタンガリエフ、そしてスピリドーノヴァ‥‥誤った政策により反革命の烙印を押され消えた闘士・知識人たちも名誉回復されていった。
一方、西側先進諸国において、一九六〇年代頃から、「新左翼」という、スターリン主義を批判・否定し、乗り越えようとする左翼運動が興隆したが、その一端をトロツキー主義(トロツキズム)が担っていた(ただ、トロツキストたちはこの呼称を嫌う傾向にあると言われる)。ゴルバチョフは一九九〇年には複数政党制を導入し、共産党の一党独裁に終止符を打った。保守派の不満は高まっていたが、彼らと人民の多くは、別の未来を見ていた。
一九八九年、支配下にあった東欧諸国で連鎖的に民主革命が起き、各政権は次々と‥‥ポーランド、ハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキア、ブルガリア、ルーマニア‥‥――テレビによって情報を共有した人民たちの手で倒された。ルーマニアの独裁者となっていたニコラエ・チャウシェスクは処刑された。九十年代に入り、中国が、やはりあの東方勤労者共産大学で学んだ鄧小平の指導のもと市場経済を導入、豊かさへの途を歩み始めようとしていた。小国アルバニアは独裁者エンヴェル・ホッジャ亡き後も頑張っていたが、スターリン式の体制はすでに限界に来ていた。一方、あの後スターリンが認めた金日成は、朝鮮半島の北半部に絶対的支配体制の国家を築き上げ、なお権力を握りつづけていた。そしてその座を、中世の王朝国家よろしく、息子に世襲しようとしていた。
一九九一年、夏‥‥。その日の午後遅く、街の並木通りで、その高年の男は、ひとりの黒っぽい服の少女とすれちがった。少女はすれちがいざま男に一瞥をくれ、何か妙な感触を彼の内面に湧き起こした。だが、それはかすかなもので、かつ、男はそれを深く考えることなく、無意識に頭から追い出していた。しかし、その刹那に――。
チェルノブイリ。
なぜかふと、そんな言葉が脳裏をかすめた。五年前、大変な原発事故が起こった場所だ。世の中はどんどん悪くなる。
(チョルノーブィリ。ウクライナの‥‥。わが部隊もその近くを通った‥‥)
彼は少し以前、「ソルデス」というSF小説を書いていた。二十年ほど前にカザフ共和国で化石が発見された体毛の痕跡が残る翼竜のことで、郵便切手にもなっていた。ある種の翼竜の化石に体毛らしき痕跡があるという報告はずっと以前からされていたが、学会には否定する意見も多く、このソルデスの発見以降、翼竜の恒温性、そして恐竜の恒温性に関する議論が活発化したのだった。体毛といっても哺乳類のそれとは異なる――こういったうんちくを盛り込んだ作品で、仕事柄その切手を見慣れていた彼は、退職後の楽しみとしてその作品を仕上げ、ある出版社に送ったのだが、丁重なお断りの手紙と共にその自信作は送り返されてきたのだった。
――二〇分も経った頃だった。
(俺は――)
イヴァン・I・ノヴォセロフは、突然気がついたのだった。
(あの女と会ったことがある――!)
記憶の糸が、解きほぐれていった。戦争中のことだ。自分は戦車兵だった。そして、あるとき――自走砲部隊に配属された直後のことだった――ドイツの捕虜となっていた女たちを解放したことがあった。そのときに、出会った女だった。たしか、チェルノブイリのあたりを過ぎ、ベラルーシに入ったあたり――。
だが、いま、彼に一瞥をくれて通りすぎたのは、まだ十代なかばにみえる少女だった。イヴァン・ノヴォセロフは、自分の直感と記憶に当惑した。似ている――だけではないか? 血縁者なのかもしれない――だとしてもすれ違うということは奇跡的な確率だが――本人が若返ったと考えるよりは、まだ受け入れやすそうに思えた。イヴァン・ノヴォセロフがしかし、そう決めつけて心の安定を図ろうとしたそのとき、さらなる思い出――記憶が彼を襲った。イヴァン・ノヴォセロフの身体を、電気に打たれたような衝撃が走った。
「俺は、あの女と会ったことがある‥‥」
中隊長の言葉が、よみがえった。
「だが、どこでだか、どうしても思い出せない――」
戦争中、自分が戦車兵だったこと。これは思い出すも何もない、いまも自宅のアパートメントに、写真が誇らしげに飾られている。彼には所帯を持っていた時代もあったのが、妻からは離縁されていた。が、現在でも、長女がたまに彼の孫を連れて訪ねてきてくれており、その男孫を聞き役にその彼の栄光の時代の「話」を披露しているのだ。――昔は、長男に、だった。しばしば「モスクワ防衛軍の歌」を交えながら。
長女は、もしもそういった顔つきを競うコンテストがあるならば優勝間違いなしといった、思いきりうんざりした顔で、どこかへ行ってしまう。父親を尊敬していないことは明らかだ。どこでどう教育を間違えたのか、
(あいつは、わかってない‥‥)
と――イヴァン・ノヴォセロフは思うのだ。
(俺には、魔法の時間があるんだ‥‥)
誰にも話していない、自分だけの秘密。毎夜の魔法の時間が‥‥。その時間の間、彼は変わることができるのだ。その間、世界は彼の味方だった。
――燃えさかる焚き火の前で、戦友たちと歌い、いろいろな話をしたものだ。ときに物悲しく、ときに胸に希望を湧き起こすアコーディオンの調べ――‥‥。戦争の見通しの話、戦争が終わったら何をするか‥‥。故郷の話、不思議な話――そのなかには、装填手ドゥリャーギンの、謎めいた妖精に関する到底信じられないようなおとぎ話もあった。そして、中隊長の思い出話‥‥。戦場の話もあったが、彼の旧友や出会った軍人たちの話が多かった。
彼がまだ駆け出しの戦車兵だったという時代の、無学だが思いやりと責任感に溢れた尊敬すべき戦車長の話や、始終何か食っていた役立たずの同僚の話‥‥勇ましい戦闘の話を所望するイヴァンを中隊長は強く制し、彼の目を見つめながら、特にこの戦車長の話を、力を込めてしたものだ。腕を振りながら――。
(――‥‥あれは、戦車長、中隊長という仕事は大変だ、と言いたかったのだろうか‥‥)
しかし、彼が子や孫の前で口にしていたのは、専らその時代の栄光の面についてだけであり、まだ息のあるドイツ兵を戦車で轢き殺したことや、傷の手当てが受けられず苦しみながら死んでいった戦友のこと、各地で見た農民やユダヤ人と思われる死体の山々、スメルシの恐ろしさ――彼らに逮捕され、何処かへ連れていかれた直属の戦車長でもあった中隊長のこと――自分は彼を信頼し、尊敬していたにも関わらず、彼を救うための行動を実質的に起こさなかったこと――他にもいっぱいあった‥‥等々は、ほとんど話さなかった。そして、一九四四年の春、自分がSU‐85の部隊――息子や孫にかたる歳月を経て、イヴァンの記憶は、自分が最初からT‐34‐85に乗っていたかのように修正されかけていた――に配属されたばかりの頃、戦場で出会った不思議な女のことも‥‥。
彼が最近書き始めた、先のSFに代わる小説のなかでも、そうであった。――一九四一年冬、モスクワ攻防戦で侵略者との闘争を誓った少年は、やがて成長し、一九四四年春、赤軍戦車部隊に配属される――戦記物である。主人公は、かつての自分。
‥‥若き戦車兵は獅子奮迅の働きを見せ、敵ティーガー戦車を次々と撃破、その功績が認められて戦車長となり、そしてついに、宿願であったケーニッヒス・ティーガーとの対決を果たす‥‥。
これは出版社も放っておかないだろう。出版され、うまくすれば映画化されて、大儲けも夢ではない――‥‥しかし、中隊長をどう描くかで煮詰まっていた。
歴史の書きかえを図るのは、何も権力者だけではない‥‥。
スメルシの登場で、あの女についての話題は部隊内ではタブーとなり、彼も、誰にも話すことはなかった。やがて、あの女のことを知る戦友も、ひとり、ふたりと戦死し、ワイネル中隊長が逮捕され――そして、ドイツとの戦争が終わった。束の間の解放感――彼も戦友と抱き合って勝利を喜んだものだった。イヴァンには、昇進の話が来た。これは、若い彼の戦車長への正式な昇格を意味してもいた。しかし、やはり若すぎたためだろうか、その話は立ち消えになってしまった。同時に、部隊は再編成され、日本軍と闘うために東へ向かうことになった。昇進できていれば彼も部隊と行動を共にしたかもしれないが、そうではなかったため、彼は部隊から離れ、ほどなくして軍からも除隊した。戦前と同じような抑圧感が、社会を包み込み始めた頃だった。
彼は郵便局員になった。来る日も来る日も、変わり映えのしない配達という仕事。創造性もなければ、何か有益なものが積み重なりもしない。なるほど俺は、局のラック置きの雑誌に書いてあるように、たまに幸福を人に運んでいるのかもしれない。だが、そんな俺のところへは、どんな幸運の便りも届いたためしはない。最近来るものはといえば、公共料金の通知と督促状ばかり‥‥。
局に入りたての頃は、軍隊にいたときと変わらず、偉大なる同志スターリンの肖像画が彼を見守ってくれていた。母は、戦後ふたたび離婚した。同じ写真のスターリンが見守るモスクワのアパートメントでその母と暮らした。「航空デー」は素晴らしかった――一斉に「偉大なるスターリンに栄光あれ!」を叫んだときのあの一体感‥‥しかし、その後の政治の都合により、あの素晴らしい国歌も、メロディーはそのまま、同志スターリンを讃える箇所を差し替えた、力ない歌詞となった。けしからん話だ。世の中はどんどん悪くなる――‥‥母が心を強く痛めたユダヤ人排斥ムードの時期もあった。そして――彼のみならず全てのソビエト人民を見守ってくれていた偉大なる父、人民の太陽であった同志スターリンは死んだのだった。彼はこれからどうなるのかと震えたが、母はむしろほっとしている様子すら見せた。その一件で、彼と母との溝は深まった。その後も様々な人生の――多くは不愉快な――出来事が続き、イヴァン・ノヴォセロフをして、女のことを忘れさせていった。
イヴァン・ノヴォセロフがブレジネフ時代にアリゾフと再会したとき、向こうはまだ現役だった。戦車には、T‐54の改良型T‐55を経て、強力な新型であるT‐64が、そしてさらにより強力な最新型T‐72が登場していた。戦争中はほんの新兵であり、再会当時はT‐55の中年戦車長となっていた彼も、時代から取り残されようとしていた‥‥。
軍隊時代の仲間とは、戦後長い間、なかなか会えなかった。ノヴォセロフのように退役した者もいたが、現役として軍に残った者もいた。ドゥリャーギンが戦車長となり、あの後、対日戦に参加し戦功をあげ、さらに部隊の中隊長にまでなったことは風の噂に聞いていたが、彼とは会えずじまいだった。その後T‐54まで一緒に乗りくんだというアリゾフによれば、彼もいなくなったということだった。
一九五三年六月末、彼らの所属する部隊は首都モスクワへ進撃したという‥‥。
ドゥリャーギンが消えたことが、本人の意志によってなのか、この社会の強制力によってなのかはアリゾフは語らず、ノヴォセロフにも聞き出す勇気はなかった。
――世の中には、知らないほうが幸せなこともあるのよ‥‥。
そう言っていたのは、同じ郵便局で働いていた女だった。配達員ではなく、保健係などという誰でもできるような仕事――書類に記入するだけ――をやっていた中年女。
「つまらないわねえ」
が口癖のノンナ・チコヴァーニ。
平凡を絵に描いたような女のくせに、いや、だからなのか、年若かった俺に、妙に世を知っているような安っぽいことを言いやがって。
「――あなたの目の前の人間が、本当にあなたの思うような人だと思う?」
「どういう意味ですか」
彼女は既婚であることは局の皆が知っていたことだし、素振りにも目つきにも彼を性的にからかうような感じはまったくなかった。
「あたしもいろいろあったのよ、昔‥‥」
そう言ってノンナ・チコヴァーニは、遠くを見る目をしたのだった。
――こんな女に、何があるってんだ。メロドラマに憧れる頭の悪い女。どうせ、戦争中のロマンスか何かだろう。あの大戦争は、この国全体に振りかかった災厄だ。まったく影響を受けていない人間など、皆無といっていいほどの。
このノンナ・チコヴァーニが仕事場である局で熱心にやることといえば、郵政事業の局内雑誌をラックに並べる作業だけ。本当にそれだけなのだった。何が面白いのか、普通なら一日に一度、せいぜい二度のその作業を、彼女は朝から夕方まで何度となくやっていた。雑誌の並び方がどうの、ラックが斜めになっているのどうの、雨が降っているから――屋内でも――湿気がどうのと、それは愛しそうにやっていたのだった。
その作業が終わると、彼女の目の輝きは失せる。それからため息をつくのだ。必ず。
それはまあいいが、それ以外の仕事は、本当につまらなそうな顔でつまらなそうにやるのだ。毎日毎日。そして口を開けば、仕事に関係ないおしゃべりと、先の口癖と来る。配達員の身にもなってみろと、ノヴォセロフならずとも愚痴りたくなるというものだった。
先の会話は――。あれは、一九五三年七月‥‥。まだ大戦の爪痕が生々しく残っていた頃――スターリングラードやロストフから来た者の話では、街は廃墟のままということだった――同志スターリンの死の少し後。あのKGBになる前の秘密警察のトップ(男の名は、ノヴォセロフも口にしたくなかった)がいなくなった直後のことだった。
(――なんだ、つまりドゥリャーギンとアリゾフがモスクワへ行ったすぐ後、か‥‥)
ラジオが賑やかにその呪うべき男の犯罪を述べ立て、街角にも木箱や錆びた鉄製の壇が置かれ、その男を批判する臨時の演者が次々と立っていた。党員であることもあれば、そうでないこともあった。国をあげてのその男への批判は、一週間ほどでピークを過ぎ、その後は次第に沈静化していった。だが、彼が再評価されることは二度となかった。それが世の中というものだ。
ノンナ・チコヴァーニは、そのピークの時期からいくらもしないうちに、仕事がきついと言って、グルジアのどこだかに帰っていったのだった。
(グルジアの‥‥スフミとか言ってたか――。そんな田舎町、俺には関係ない‥‥)
そうだ。そのちょうど盛り上がっていた時期、局でその批判の集会へ行こうということになり、同僚たちと出かけたのだった。彼女も一緒で、その凄い熱気の集会場でノヴォセロフの隣にいたのだった。ノンナ・チコヴァーニは、かの呪うべき男の来歴をある演者が述べているとき、なぜか男物のハンケチで涙を拭いていたのだった。演者によると、なんと一九一六年――この国の始まりである革命の前年から、すでに帝政の秘密警察オフラーナのスパイであり、ボリシェヴィキを探っていたというのだった! その後は臨時政府、メンシェヴィキ、ミュサヴァト等々のスパイとして暗躍、わが国の政治・経済に大打撃を与え、その正常な発展を妨げたと‥‥。会話は、その翌日か翌々日の夕方に交わされたのだった。
‥‥さて、中年戦車長アリゾフだが、最新型戦車T‐72の前で敬礼する、ゴルシューノフというらしい若いパリパリのエリート戦車兵の写真を見ながら、くたびれたため息をついたのだった。
「――こいつは俺が教育したんだが、出世した途端、よそよそしくなっちまった。何でも父親も戦車兵で、戦争にも出たというんだが‥‥」
(親子二代の戦車兵、か‥‥)
不意にノヴォセロフは、自分の父親はどうだったのだろう、という思いにとらわれた。軍人であったこと以外、知らなかった。なんとなく、海や空のそれではなく、地上部隊だろうという思いはあったが。
「よくある話さアリゾフ。――ゴルシューノフか、聞いたことないな‥‥。いや、待てよ‥‥誰かが言っていたような‥‥――。まあ、あの頃は、戦車兵なんていっぱいいたからな。単に工場か何処かから徴用されてきただけの素人かもしれんぞ、その親父さんも」
ここであらためてノヴォセロフは、父親のことが気になっている自分を発見したのだった。
「時代が違うよ。いまのT‐72は、カセトカ――新型の自動装填装置だ――はともかく、レーザー測遠機に射撃統制装置つき、そのうちに反応装甲ときたもんだ。まるでSFだよ」
ノヴォセロフにはそれらの単語自体、よく理解できなかった。そんな彼をどう見たものか、アリゾフは続けた。
「もう、俺たちの頃とは何もかも違う‥‥。俺だって、今じゃ軍内でついていくのが精一杯だ。こいつは(アリゾフは写真を見やった)――いや、少し違うな‥‥」
「ん?」
‥‥「話」において注目すべき点がその真偽であることは、無論である。だが細部もまた重要だ。そこに「何か」があるかもしれない――ないかもしれないが。
無駄話と思えるものの傾聴にどのくらい労力を割くかは個々人の人生観が関わるだろうが、世界というものを極大の観点で捉えた場合、世で重要とされていることのほとんどが「無駄話」であるとも言えるのではないだろうか。困ったことに、この「無駄話」の話者間で何やら対立のようなものがあり、議論や論争を行ない、われわれを惑わせる‥‥。この種の観点の相違は、日常や、非日常を装った「日常」では、露わにはならない。というより、露わにならないからこそ「日常」であると言えるだろう。救いといえば、この見かけの対立や同盟――別の表現でもよいが――に巻き込まれずに人生をまっとうできる者はほとんどいない、ということだ。人はあまねく、放り込まれているのである。魔女の大鍋に。‥‥おや、フェアリーが何か言っている‥‥。
「世界の存在を自明のものとするのも、ある観点でしょ?」――‥‥。
‥‥話は、イヴァン・ノヴォセロフ氏の思い出に戻る。
「さっきの話だよ。出世した途端、じゃなくて‥‥こいつはご多分にもれず、俺に戦争の話を聞きたがったんだ。あいつらの世代からすれば、本格的な、全面的な戦車戦の体験は、まぶしく見えるんだろうな‥‥。それで話してやったんだが、対日戦はともかく、西部戦線――対独戦は俺、体験といったって、ほんのわずかだろう‥‥。俺としては、活躍できた対日戦や、その後の朝鮮の兵士への訓練の話――そのとき教えた奴がいる部隊が、米軍の戦車とやりあったって後で聞いてな。そうだ、俺たちのあのT‐34で‥‥。奴らのM‐4だよ。『シャーマン』‥‥わが国も、戦車に愛称をつければいいのにな。いいのを思いついたんだ。『アンドレウサルクス』‥‥陸生では史上最大の肉食獣だ。体長は四メートル弱ほどもあったと推定されている。言っておくが、恐竜じゃないぞ。われわれ人類と同じ哺乳類、真獣類だ。これなら『ティーガー』や『パンター』、『ケーニッヒス・ティーガー』にだって、名前負けしないだろう――いちおう、その旨の上申書を送ったことがあるんだが、相手にされなかった‥‥。いや、そんな顔するな。こういうのが大事なんだ――‥‥。ま、いいさ、戦車屋として生きた男の、遺言として残しておく。いつの日か、最強の戦車にその名がつけられる日を夢見て‥‥。‥‥で、なんだっけ。――ああ、そうそう。ゴルシューノフだ‥‥。戦争――対独戦の話をしてやって、あの中隊長の話もしてやったんだが‥‥それがあるとき急に、あいつの態度が変わったってわけなのさ。――あれ? 俺はなんでこのことに気づいたんだろう‥‥‥‥?」
窓外には、冷たい雨が降っていた。そう、あの一九四四年の秋のように‥‥。アリゾフの戦車愛は、別の方向へ向かっていった。
「中東では、アラブのT‐55がイスラエルにずいぶんやられてしまったようだが‥‥。イスラエルのあのタル将軍、大きな声じゃ言えないが、彼はよくわかってるな――。『オール・タンク・ドクトリン』! 素晴らしい‥‥!」
アリゾフは思い出さないのだろうか。それとも忘れたふりをしているのだろうか。一九四五年一月末の、あの出来事を――。
「――が、タル将軍も、最近では厳しいそうじゃないか、イスラエルで‥‥。‥‥『戦車不要論』――‥‥まったく、口にするのもおぞましい! そんなことを言う輩が、あそこの軍部にいるそうじゃないか。しかも、世界中へ伝播する気配を見せているという‥‥。人類文明の発達史に対する冒涜だよ。――危険思想だ! 邪教だ! T‐55で轢き殺してやりたい‥‥! ‥‥タル将軍には、頑張ってもらわねば‥‥。俺は訴えたい。各国軍部は日頃の対立を乗り越え、連携して彼を支援する必要があると‥‥! ――おおお‥‥見えるようだ――。東からわが軍のT‐55とT‐72――T‐62、T‐64もいるぞ‥‥西からはヤンキーのM48とM60パットン、エゲレスのコンカラーとチーフテン、おフランスのAMX‐30――そうだ、フランス革命の本で読んだことがあるぞ。あれをやるんだ‥‥スウェーデンの粋な奴Strv.103、忘れちゃならない西ドイツのレオパルト‥‥日本には61式というのもあったな――あれは西からか東からか――とにかく、世界各国の戦車が一堂に会し、不要論者どもを戦車裂きにする光景が‥‥!」
イヴァン・ノヴォセロフは、興奮気味のアリゾフを鎮めるためにも、話題を変えた。
「セメントフ‥‥。覚えてるか? あいつも、俺の後に除隊したと聞いたが――」
対独戦の末期、イヴァン・ノヴォセロフがT‐34‐85「サモショーク5」の臨時戦車長だった短い期間、前方銃手を務めていたウクライナ人の少年兵‥‥。
「ああ、あいつか――」
アリゾフも、その兵士については思い出したようだった。
「あいつはほら、戦車兵と言ったって、本当に工場から引っぱられてきただけの奴だろう‥‥」
「まあそうだが、同じ車輌で対日戦には参加して、戦後も軍に残ったんだろう? 自分は戦車兵としてやってゆきたいって、俺には言っていたんだが‥‥」
「ああ‥‥。まあ‥‥辞めたよ。戦後、一、二年してからかな‥‥。ほら――ウクライナで、ちょっとあったろう‥‥」
アリゾフは言葉を濁した。おもにUPA――ウクライナ蜂起軍による行動と軍による鎮圧のことであることは、イヴァンにもわかった。話せないことはたくさんある。それが世の中だ。
「いや、わが部隊が何かしたわけじゃない。ただ、警戒任務には就いた。そのときあいつは、部隊を外されたんだ‥‥。元には戻すということだったが、結局そのまま辞めちまった‥‥。ドゥリャーギン中隊長は――あの頃はまだ中隊長じゃなかったかな――抗議の上申書を出すと言っていた。『わが部隊は、みんな家族なんです』と息巻いてたな‥‥。その後、俺たちはまた極東に戻って、朝鮮の兵士たちへの教育任務に就いたんだ。西へ東へ大忙しさ。まるで鍋の具財だなってこぼしあったよ。――ん? ほら、魔女の婆さんの話だよ。世の人は皆、大鍋で煮られてるって話さ。人生を自由意志で選択しているはずのわれわれは、これに決して気づけない。何故なら、魔女の婆さんは、われわれのあらゆる考えの及ぶ範囲より、高い場所にいる‥‥パースペクなんちゃら――むかし聞いたが、忘れたな‥‥。とにかく、魔女は、だからこそ魔女たり得る‥‥」
イヴァンもそれは、どこかで聞いたような気がした。だが、どこでだかは、思い出せなかった。
「その後しばらくして――さっきのモスクワ進撃の直後さ――あいつの大おばさんから、あいつの給料の件で問い合わせの手紙が、キエフから来たんだよ。ほら、戦争中、あいつが話してたろ。絵を描いている、変わり者の大おばがいるって。『拝啓 私、マリーヤ・セメントフと申します。貴大隊にお尋ねしたいことがございまして――』なんてあらたまって来るから、給養係が何ごとかと思って、大隊と書いてあるからそっちへ手紙を上げたんだが、大隊のほうでもどう扱ったらいいかわからなくて、結局、処理に三ヶ月かかった。あいつの除隊がらみの時期の給料不払いは本当で、そっちの処理は中隊でしたんだが、大隊のほうでも払っちまってな。つまり二重払いになって、今度はそれを取り戻すべく、こっちから手紙を送ったんだ。向こうからも返事が来て、金はまあ、律儀にちゃんと戻ってきた」
「なら、別によかったじゃないか」
イヴァンは、アリゾフの顔に浮かんでいた、いまひとつ腑に落ちない、というような表情を見て言った。
「ああ‥‥けど、その二度とも、手紙の署名や宛名書きが、なんと言うか‥‥筆跡がぎこちないんだ。利き手以外で書いたみたいに。いろいろ事情があって文字をちゃんと習わなかったと二度目の手紙に――タイプで――書き添えてあったんだが、そんなことあるのかねと。だって、文章はわりかしちゃんとしてるんだぜ‥‥」
アリゾフは、その年配の女性が、自分の利き手の筆跡を知られることを避けたという点には、思い至らなかったようだった(もっともイヴァンも、ずっと後になって気がついたのだが)。
「こちらからの手紙はドゥリャーギン中隊長の名前で出したんだが、向こうが何か気になったらしくてな。確認も兼ねて、書いてあった電話番号に中隊長が電話して直接話したんだが――何かあったのかな。わからん‥‥」
イヴァンは、もうひとつ気になることを尋ねた。かつての自分やアリゾフやドゥリャーギンの愛車「サモショーク5」。名称とナンバーこそ異なるが、中隊長の愛車でもあったあいつの運命について‥‥。
「よくぞ聞いてくれた。対日戦、そしてさっきのウクライナの件での――警戒任務、そして朝鮮の兵士への訓練まで、俺たちが乗っていたのはあの『サモショーク5』だった。そして俺たちは、T‐44に乗りかえたんだ。使っていたのは短い期間だったが‥‥。あいつは、朝鮮の部隊に譲渡された」
「そうか‥‥」
「そう沈んだ顔をするな。俺も気になって、可能な限り問い合わせてみたんだ。言ったろ、米軍のM‐4とやりあったT‐34がいたって。驚くなかれ、そのなかに俺たちのあいつが――あの『サモショーク5』がいたらしいんだ。詳しい戦果はわからない。番号も変えられただろうが‥‥それ自体は間違いないようなんだ。――どうだ、嬉しくないか? T‐34は不滅だ! 永遠なんだ! T‐34っ、万歳っ‥‥!」
その夜、戦友たちは酒を酌み交わし、旧交を温めた。泊まっていけよ、というアリゾフの言葉をお断りして、イヴァンはひとり帰途についたのだった。肝心の話を切り出せないまま‥‥。
とはいえ、何か知っていれば、アリゾフとて言ってくるだろう。何も言わなかったということはつまり、彼もまたあのことについては、相変わらず後情報を持ちあわせてはいないということなのだ。彼らの原点、そこに含まれるある体験。大戦末期の一九四五年一月末、クラクフ解放から数日後、彼らの部隊を襲ったあの出来事については――。
「中隊長が‥‥!」
あの日、農家の納屋で休んでいたイヴァンたちのところへ、ドゥリャーギンが血相を変えて飛び込んできたのだった。ユーリ・ワイネル中隊長が、スメルシに「連れて行かれ」そうだ、と‥‥。
若い戦車兵たちは跳ね起き、藁の飛沫を飛び散らせつつ、中隊長が出頭していった大隊司令部へと走った。イヴァンも最初、無我夢中で走った。しかし、ライトカーキの軽装甲車と軍用トラックがバックのその光景が見えてきた頃には、足は鈍っていた。
戦車兵の日頃の鍛錬は、どうなっているのか‥‥?
いや、単に脚力や疲労の問題だけではなく、その現象には彼の意志の力も働いていた。これは、彼だけではなかった。彼よりもさらに若いアリゾフも、足を遅めていることを、イヴァンは見逃さなかった。なにしろ、向かうところにはスメルシがいるのだ――ドゥリャーギンは先頭を走っていた。
隊員たちが到着したとき、ワイネル中隊長はちょうど、幌つきのトラックに乗せられるところだった。
「隊長!」
ドゥリャーギンが呼びかけると、スメルシ隊員たちが振り向いた。ふたりの顔には殴られたような跡があった。
「隊長!」
「ワイネル隊長!」
イヴァンたちが異口同音に呼びかけると、スメルシ隊員たちは拳銃に手をかけることこそしなかったものの、厳しい顔つきで彼らに言い渡したのだった。
「近づくな! そこから‥‥一歩たりともだ!」
「気の迷いから一歩を踏み出すことは、祖国への背信行為となる――。そうなれば、われわれは諸君らも逮捕することになるだろう‥‥。全員だ‥‥!」
戦車兵たちは凍りついてしまった。前へ踏み出せる者はいなかった。それどころか、イヴァンは後ずさりした。だって相手はスメルシなのだ。アリゾフもそうしている‥‥。
ワイネル中隊長は手錠をはめられた手を持ち上げて彼らに挨拶しようとしたが、その手も押さえられ、寄ってたかって身体と脚を持ち上げられ、あっというまにトラックの荷台に引き揚げられてしまった。スメルシ隊員たちの姿は、イヴァンが本で読んだことのあるピラニアというアマゾンの人喰い魚を彷彿とさせた。この戦闘力をドイツ軍に対して発揮してくれたら赤軍兵士の大いなる助けとなるのだが、彼らはそうしない。その代わりに彼らは、赤軍兵士の背中に照準を合わせるのだ。
「イヴァン‥‥――!」
わずかの間、ユーリ・ワイネル中隊長はスメルシ隊員たちにもみくちゃにされながら、何か喚いていたが、スメルシ隊員の怒声に掻き消され、イヴァンにわかったのはその呼び名と、「赦し」というように聞こえた単語だけだった。トラックのエンジンがすぐにやかましくかけられた。中隊長が押し込まれた幌の荷台にも最初の人間のほかに、さらに二名が飛び乗った。
「声を出すな! ――オイ! おまえら‥‥塞げ‥‥! 話させるな!」
「諸君、解散したまえ! 命令だ、これは‥‥!」
幌の荷台のなかで、中隊長が暴れている音が聞こえてきた。怪物に飲み込まれてしまったが、まだ勇敢に闘っているのだ。しかし部下たちは、動けなかった。怪物は大きすぎ、彼らは卑小だった。
「あの男は、われわれの管轄において取り調べを行なう‥‥」
「いつ、戻って来るのでしょうか」
ドゥリャーギンが勇気を奮って説明したスメルシ隊員に質問したが、返ってきたのは、
「容疑が晴れれば、明日にでも戻ってくるだろう‥‥」
という、不確かな言葉だけだった。スメルシたちはそれ以上の問いを受けつけようとせず、四名で戦車兵たちを近寄せぬ生垣をつくった。そして説明を行なったひとりが、
「もう一度言う。解散したまえ、すみやかにだ。呼びかけてはならない。後ろを振り向いてはならない‥‥。さあ、行きたまえ‥‥!」
と彼らに言い渡した。
中隊長が暴れている音はまだ聞こえてきたが、生垣の向こう側で、トラックは無情に動き出した。そして木の柵の横を抜け、じゅうぶん距離をとった場所で停車した。生垣の四名も踵を返し、二名は四角錐台を幾つも組み合わせたボディーの無骨なライトカーキのBA‐64に乗り込み、二名は自分の脚で、それぞれ走り出した。彼らはトラックがいた場所で合流すると、少しのあいだ降りたり乗ったりしていたが、やがて車を発進させた。そして、まるで今夜の食事を確保した親子の肉食獣さながら、そのトラックと軽装甲車は、寄り添うようにしてクラクフ郊外の夕日の丘へと消えていったのだった――‥‥。
赤軍兵士がドイツ軍を前にしてこのような見逃し行為を行なえば、よくて逮捕、悪くすれば銃殺となる。しかし、ドイツ軍に対する際に見せろと日頃言われている十分の一ほどの勇敢さをスメルシに対して見せれば、やはり同じような処遇が与えられことになる‥‥。
――それっきり、ユーリ・ワイネル中隊長に逢うことは、叶わなかった。
帰途、戦車兵たちの足取りは重かった。口はもっと重かった。その夜も、翌日も、そのまた翌日も、若い戦車兵たちは沈鬱なままに過ごした。他にその名を持つ適当な者が見当たらなかったから、中隊長の最後の「イヴァン」はイヴァン・ノヴォセロフを指していると考えるのが順当であったが、その後に「ノヴォセロフ」ではない、別の姓を叫んでいたと主張する者もいた。イヴァンが「赦し」と聞いた単語も、彼以外にはよく届いてはいなかった。
そのさらに翌日は、部隊の移動日だった。ちょうど人員補充の時期と重なっており、すでに新たな中隊長が指名されていた。人も車輌も機材も慌しく動くなかをイヴァンは呼び出された。「よいニュース」があるということだった。ワイネル中隊長の放免か、という期待は持てなかった。もしかしたら自分も逮捕されるかもという不安が、彼をよりいっそう卑小な人間にさせていた。
(しかし、俺はたしかに聞いた。「赦し」と‥‥)
当時を回想しつつ、イヴァンはひとりごちたのだった。
(あれは、こういうことだ‥‥)
イヴァンは、逮捕されることも、処罰されることも、訓告されることもなかった。それどころか、彼はその日付けで曹長に昇進し、臨時の戦車長とあいなったのだった。そしてイヴァンは最初の仕事として、新しく配属されたと敬礼する少年兵セメントフに、
「楽じゃないぞ。おまえがちゃんとした仕事をしなけりゃ、俺が――いや、われわれ全員が、危なくなるんだ!」
と、着任にあたっての訓示を施したのだった‥‥。
(つまり‥‥自分を救うための行動を起こさなくても、「赦す」と。気に病むことはない、と――。中隊長は俺たちの気持ちを考え、最後の義務感からそう言ったのだ。厳しかったが、立派な人だった‥‥)
支柱から上下に大きくくねった鉄棒先の街灯が、ひょろっと背の高い怪物の一ツ目のように、夜道を駅に向かうイヴァンを眼下に光っていた。そのさらに少し上に、紫と黄に光る何かがあちらへこちらへともどかしそうに飛んでいたが、彼がそれに気づくことはなかった。
(あれは、あの時期、どこででもあったことなんだ。俺に責任などない。あのとき行動していても、結果は同じだったろう――いやむしろ、この俺まで逮捕されていただろう。冗談じゃない! 罪の意識を持つことはない。それが、あの人の意志を尊重することにもなる‥‥)
それから半月もしないうちに、大祖国戦争の元戦車兵イヴァン・I・ノヴォセロフ氏は、妻から離縁を切り出されたのだった‥‥。
今夜も、いつもと同じ夜になるはずだった。彼は、心中の様々な怒りや痛みを、この国でもっとも流通している魔法の液体、すなわちウォッカで紛らわす予定だったのだ。のどが潤され、頭がシャキッとしてくる、どこか身体も軽やかな、素晴らしい時間。
だが、少女の登場で、その気持ちはどこかへ行ってしまった。こんなことはとても珍しい。大袈裟でなく世界からはぐらかされてしまったような、しかし決して不快ではない、妙な心持ちだった。彼は少女の姿を探そうと思いはしたが、歳月はイヴァンの足腰を弱く、彼が住み始めた頃よりもこの街の人口を多くしており、彼にそれをあきらめさせた。しかし、特に迷信深いわけではない彼にも、この邂逅は、予感のようなものを持たせた。
また、何か起こるのだろうか‥‥?
一九八〇年代から、各地で反中央政府的な民族運動・独立運動が起こっていた。かの地でも、グルジア人たちが独立を求め、再び勇敢な闘争を開始していた。一九八九年四月、トビリシにおいて、グルジア独立回復をめざす大規模な集会が開催された。ソビエト連邦軍が襲いかかり、多数の死傷者を出した。バルト三国でも同様の運動が興隆、リトアニアが今年三月に独立を宣言、ラトビア、エストニアも続く姿勢を見せていた。ソビエト連邦はこれにも本格的に武力を投入していたが、独立への機運は抑えられそうもなかった。七月に入り、ワルシャワ条約機構が廃止された。
アラル海は、無謀な灌漑により塩分濃度の急上昇と面積の縮小が起こり、生態系も沿岸住民の生活も破壊されてしまっていた。将来的にはこの大湖それ自体の消滅も有り得ると警告が発せられ、それを裏づけるように、水面の大幅な低下でついに南北に分かれてしまっていた‥‥。
――ゾーヤとフェアリーは、ここに来る前にウクライナへ赴き、ある不幸な女性を見舞っていた。ニーナ‥‥姓のほうは名乗らなくなり、ひっそりと生きていたが、かつてベリヤに陵辱され、彼の妻とならざるを得なかった女性である。彼女は夫の逮捕からほどなくしてひとり息子とともに逮捕され、収容所へ送られていた。どうにか生きのびることだけはでき、釈放されていた。フェアリーを住まいの外で待たせ、ゾーヤだけ会いに行ったのだが――ニーナの心の傷痕は、深すぎた。それはゾーヤを通してフェアリーにも伝わり、ふたりは言葉少なに、旅から戻ってきた。そしてふたりは、最後の人物のもとを訪れたのだった。
妖精が、ふわりと女主人のもとを離れた‥‥。
彼の仲間は、すでにこの世を去っていた。フルシチョフは二〇年前に亡くなり、ブルガーニンは一六年半前に、ミコヤンは一三年前に、彼から見ればずっと若いマレンコフも三年半前に、それぞれこの世を去っていた。彼らより近しかったヴォロシーロフも二二年前に死に、ブジョーンヌイとモロトフは長命だったが、やはり一八年前、五年前に死んでいた。ジューコフは、一九七四年の死にあたり、軍人として最高の栄誉を与えられ、事実上の国葬のような扱いを受けられたが、彼らの死は、それに較べれば慎ましい扱いであった。‥‥ただひとり淋しく生き永らえた彼の前に、フェアリーがその姿を現した――――。
「‥‥‥‥‥‥」
「何か言わないの? ぼくの姿が見えるだろ?」
だが、カガノーヴィチ、この老いたスターリン主義者は、何も言おうとしなかった。しかたなく、フェアリーは続けた。
「昔、ぼくのことを聞いたんじゃないの? あんたの親分に」
「‥‥なんのことだ」
ベッドに横たわる老人はようやく、その重い口を開いた。
「――聞いたんだろ?」
「‥‥‥‥‥‥」
カガノーヴィチは押し黙った。はるか昔のことが、鮮やかに思い出された。三十年代のある日、スターリンの執務室で聞かされた話。未来を正確に予言する占い師の老婆と、その使いの小妖精‥‥。とうの昔に――聞いて二、三日後には、もう忘れていた話だった。
「‥‥有り得んことだな」
カガノーヴィチが再び口を開くまでに、さらに長い時間がかかった。妖精はその間、ふわりふわりと辺りを飛びまわったり、デスクに腰かけたり、壁の絵に近づき見入ったりしていた。フェアリーは、やっとか、というように、再び老人のベッドに近寄った。
「その台詞、あんたのお仲間から何度も聞かされたよ。レーニンさんだろ、あんたの親分のスターリンさんは――言わなかったか‥‥。えーと、モロトフさんだろ、フルシチョフさんだろ、それから――」
フェアリーは、小さな指を折りながら、彼が会ってきたボリシェヴィキの面々を並べたてた。妖精が語る話は、延々と続いた。
「長かったなー。でも、これで終わり。あんたが最後だ」
「‥‥‥‥」
「ぼくは、あんたたちをずっと見ていた。あんたの親分が『スターリン』を名乗る頃からさ」
そしてフェアリーは、スターリンとの最初の邂逅の思い出を語った。
「‥‥信じられんな」
老人は冷ややかに言った。
「だ、か、らぁー‥‥!」
フェアリーが呆れた声を出すと、老人は言った。
「仮に信じるとして‥‥その話が事実だとして、それをわしにして、どうする」
「まず、懐かしくはないの? あんたが長く仕えた親分さんだろ?」
フェアリーは、老人の質素な部屋の、壁の一番いい位置に飾られた特別な絵に目をやった。スターリンの肖像画であった。
「個人的感情で仕えた――この表現も不愉快だ――わけではない。わしはわしの仕事をしただけだ」
「――ウクライナじゃ、あんたのお陰でいっぱい人が死んだんだぜ‥‥! 何百万も‥‥!」
フェアリーは、声を震わせた。小さなその目には、涙が盛りあがっていた。フェアリーの悲しみの波動は、空間に作用し――歪ませた。視覚的には、そこに、フェアリーが見た当時のウクライナの光景が、映し出されることになった。道に、野に、倒れ伏す餓死者、餓死者、また餓死者。数え切れぬ遺体の山、荒れ果てた農村。泣く力もなく座り込む、痩せ細ったうつろな目の子ども‥‥。フェアリーは、泣いていた。カガノーヴィチの両手が、薄手の毛布の胸の前で組み合わされた。
「どうだい? 見えるだろ? 何も感じないかい? ――これは、一九三三年だ‥‥!」
光景は、鮮明すぎるほど、はっきりと映し出されていた。フェアリーの慟哭が強いエネルギーとなって、それを支えていた。
「悲惨だな」
ややあって、老人はポツリとつぶやいた。
「それだけかよ! あんたの政策の結果だろ! あんたと、あんたの親分の‥‥!」
「――そうだ。政策だ。政策だったのだ、あれは。‥‥わしは、血に飢えた殺人鬼ではない。エジョフや、ベリヤとは違う。わしは、システムに従っただけなのだ」
「‥‥あんたの生まれ故郷も見せようか? たしかキエフ県の――」
イヴァン・ノヴォセロフとその母オリガのもとに、口にびっしりと銀歯を挿れた父親イヴァン・コズロフが戻ってきたのは、六十年代の初め頃、ヴォストークの成功に街中が湧いているさなかだった。母オリガは、すでに老人となっていた夫を――実年齢よりも老いて見えた――受け入れたが、イヴァンにはそうできなかった。イヴァンはすでに結婚し、先の長女をもうけていた。父の言葉の多くを聞こうとせず、家を飛び出すようにしてイヴァンは妻子と暮らし始めたのだった。両親は、再び一緒に暮らし始めた。父――というより、彼にしてみれば「イヴァン・コズロフ」からは何度か手紙が来たが、一度も読まずに捨てた。その「イヴァン・コズロフ」が他界したときは、葬儀にも行かなかった。彼を父親だとは、認めたくなかった。母は長生きしたが、三年前に他界した。
葬儀の場で母の遺品の多くが彼に手渡されたが、そのなかに、母が文通していたらしいレア・ワイスチェックというイスラエル人女性からの手紙があった。母とは親戚関係にあるらしく、レア・ワイスチェックはこの国を訪れたがっていた。しかし、それは叶わないようだった。どうやら、彼女の息子の仕事が関係しているらしい――おそらく軍属だろうと、イヴァンは見当をつけた。ゴルバチョフ時代になり、社会には自由化の雰囲気が醸成されてきていた。謎の少女とのすれ違いに触発された格好で、イヴァンは、彼女に手紙を出してみようかと考え始めていた――それで警察や、もっと恐ろしいKGBにマークされることはないだろうと考えた。レア・ワイスチェックは母への手紙のなかで、写真がどうのこうのと書いていた。そして、アレクセイ・ブニコフという、イヴァンが聞いたことのない人物の消息をしきりに知りたがっていた。
(いや、待てよ‥‥)
イヴァン・ノヴォセロフは、記憶の細い糸が小さく鳴るのを感じた。
(会ったことはない‥‥だが、どこかで聞いたことは――ある‥‥! おふくろではない。家族の関係ではない‥‥。誰だ――? 誰から聞いたんだ‥‥?)
彼の前でその名を、たぶん一度だけ口にしたことがあるのは、彼にとってとても重要な人だったような気がした。――自分も、そろそろ老境といって差し支えない歳だ。幸い、なんとか暮らせる程度には年金は出ている。小説のほうもなかなか筆が進まないし、気ままなことに時間を費やすことも、許されて然るべきだろう。
(手紙でブニコフという人がどういう人なのか、詳しく聞いてみよう‥‥)
イヴァンは思った。
(何かが、解けるかもしれない‥‥)
多くの人々の死と困窮にまるで痛みを覚えないカガノーヴィチの態度に、フェアリーの怒りは頂点に達しつつあった。
「もう、死んじゃえ。こんなこと口にしちゃいけないんだけど――地獄に堕ちろ!」
「‥‥死は、受け入れる。だが、わしは永遠に党と国家と共に在る。いつの日か、わしの名は復活する‥‥栄光の時代の記憶とともに――!」
老人は、天井に向けて震える右手を高々とあげた。
「復活、ね。あんたの嫌いなキリストの教えだね」
「そんな皮肉も懐かしい‥‥八十年も前によく聞かされた」
「――もう、行くよ。うんざりだ」
フェアリーは言い捨てて飛び去ろうとしたが、何かに気づいて向き直った。
「ああ、そうそう。ひとつだけ。肝心なこと言うのを忘れてた」
フェアリーは、淡々と老人に伝えた。
「あんたの好きな党と国家だけど、国家のほうは滅びるよ、もうすぐ。今年中さ」
「‥‥有り得んことだ」
「ぼくの言葉が本当だってことが、わかるだろ?」
「馬鹿な‥‥」
老人は、呆然とつぶやいた。フェアリーは、投影した。わずか数ヵ月後に起こる、「ソビエト社会主義共和国連邦」の崩壊と解体の様を。人民の歓声と拍手喝采のなか、ヨシフ・スターリンの像が次々と倒されていた。彼にも見覚えがあるあの都市で、この都市で、そして見たことがない街でも‥‥――広大なこの国の、文字通り各地で。さらに、ウラジーミル・レーニンの像までもが‥‥。
そのすべてが真実であると、彼の認識が告げていた。
この日、一九九一年七月二五日、ラーザリ・モイセーエヴィチ・カガノーヴィチは死んだ。九七歳であった。
「終わったの?」
少女は彼女の下僕に尋ねた。黒地の服は一見どこにでもありそうなものだったが、よく目を凝らして見ると、そこには恐ろしくなるほど精緻で複雑な、見てゆくうちに眩暈を起こしそうな、紫と黄の複雑な刺繍が施されていた。
「うん‥‥」
フェアリーは答えた。道行く人々には、彼の姿は見えない。
「ねえゾーヤ、もうぼく、うんざりだよ」
「お疲れさま。もう、これで終わりよ」
ふたりは並木通りを戻っていった。イヴァン・ノヴォセロフがここへは戻って来ないこと、そして彼が何かを探し始めるであろうことは、少女にはわかっていた。探す手助けはするが、見つけたその後に彼がどうするかは彼次第――それが、彼女のやり方だった。ミハイル・ソコライエフに対しても、そうだった。
「『親愛なるジェルジンスキー、僕はまたスイスに逃げるよ‥‥』」
それから少女は、街並みを歩きながら、イヴァン・ノヴォセロフが旧友アリゾフに会いに行ったブレジネフの時代あたりから人々の口の端にのぼるようになった、あるアネクドートを口にしたのだった。――遺体を保存していた甲斐あって、ついにソビエト連邦科学陣はウラジーミル・レーニンの「復活」に成功した‥‥。これには、二十年代の「賢者レーニン」物語が意識されているであろう。
現代風の味つけは、こうである。――大喜びの党・政府指導部は、彼に党大会で現指導部の政策を肯定する演説をしてもらいたい、と依頼する。レーニンは承諾するが、視察を行なった後に演説の草稿を書きたいので、二週間、ゴルキー村という場所にある昔の彼のダーチャで過ごさせてくれと頼む。党・政府指導部からは国民と全世界に向けての大々的な発表が行なわれ――さて二週間後、同志レーニンは忽然と姿を消してしまった。民警、KGBを大動員させたが、彼の行方は杳として知れない。大慌ての指導部は、今度は同じ技術で――といっても彼の遺体は保存されていないので期限つきのものだったが――フェリックス・ジェルジンスキーを復活させた。ジェルジンスキーは事情を聞くと、この時代の警察力に疑問を表明しつつ、すぐさまゴルキー村のダーチャに向かい、レーニンの書斎、そのデスクのどこかから一通の手紙を発見するのだ。先のゾーヤの台詞は、オチの部分、その手紙の書き出しである。後にこうつづく。
「――『われわれはもう一度、初めから、何もかもをやり直す必要があるようだ‥‥』」
フェアリーもこれは、耳にしたことがあった。彼は素朴に訊いた。
「初めから‥‥って、どこからさ?」
「‥‥『言いかえれば、自分より前に支配していた階級に代わって現れる新しい階級は、すでに自分の目的を貫くためにも、みな自分の利害を社会のあらゆる成員の共同利害としてかかげずにはいられない。すなわち観念的に言いあらわせば、自分の思想に一般性の形態を与え、それを唯一の合理的かつ一般通用的な思想としてかかげずにはいられない』」
「? ――うーん‥‥レーニンさんたちのこと? あ、フルシチョフさんにも当てはまるのか‥‥。待てよ‥‥別にこの国じゃなくてもいいわけか‥‥」
フェアリーにはわからなかったが、少女が歌うように、呪文のように引用したのは、カール・マルクスの言であった。彼女の口元には笑みがあった。
「『商品は、一見したところでは自明で平凡な物のように見える。が、分析してみると、それは形而上学的な繊細さと神学的な意地悪さとに満ちた極めて奇怪なものであることがわかる』‥‥」
「??」
「――『だから、人々が彼らの労働諸生産物を諸価値として相互に連関させるのは、これらの物象が、彼らにとって同等な種類の、人間的な労働の単なる物象的外皮として意識を持つからではない。その逆である。彼らは、彼らの相異なる種類の諸生産物を交換において諸価値として相互に等置することにより、彼らの相異なる諸労働を人間的労働として相互に等置する。彼らはそれを意識しないが、そう行なうのである』‥‥‥‥」
「???」
この服の刺繍は、はるか過去からの人類のありとあらゆる営みを象徴したものと、少女はいつも妖精に言って聞かせていた。
並木通りを抜けると、市場があった。
もう夕方であった。少女と見えない妖精は、人々の活気と喧騒溢れる、賑わう市場の雑踏のなかへと消えていった。
――完――
“彼の綿入れ作業衣は‥‥ズボンには小包の上包み布を流用した継ぎ足しがあてられて‥‥”
=====================
おとぎ話のあとがき(注:ネタバレあり)
作者としては客観的に見れないのですが、この小説は、ミリタリーと怪奇SFの要素の入った伝記的群像劇と言えるでしょうか。
全体としては以毒制毒(毒を以って毒を制す)という感じで書きました。人間界の猛毒スターリンに対する超人間的な世界の「毒」であるゾーヤ、というふうに。うまくいったかはわかりません。
キャラクターに焦点を絞るなら、人間ヨシフ・スターリンとその周囲の人物をスターリン的な酷薄さで以って描いた小説、と言えると思います。
ストーリーは、もう、どんどんダメになっていくという話ですよね。くだけたキャッチコピーをつけるなら「腐った男が腐った仲間を集め、腐った努力で世界をより腐らせた物語。」「世界を腐らせた男たち。」といったところでしょうか(笑)
いや、本当に、執筆中に何度も「あんたらええ加減にせえよ」と叫びたくなりました。エピローグの最後のほうのフェアリーの嘆きは、私の嘆きでもあります。ベリヤなんかは、最初の原稿を書いている頃、殺意を覚えましたね。
そのベリヤの人物像ですが、資料が少なく、かなり私の創作が入っていることをお断りしておきます。
【おもな登場人物】では、ゾーヤ、フェアリー、ソコライエフ、コズロフ、ノンナ、ワイネル、ブニコフ、ノヴォセロフは、私が創作したキャラクターです。「ロザマリーヤ」、シュティッヒ一家、「サモショーク5」の搭乗員等もそうです。
実在した【おもな登場人物】は、正副主人公はもちろん、ナジェージダを除いて‥‥キーロフ、フルシチョフはぎりぎり大丈夫かな‥‥他は、あまり身近にいてほしくない人たちですね(汗)
第二次大戦中では、ゴルシューノフなんかは私の創作ですが、ハンス・ヴァルトマンは実在した人物です(描写はフィクションの部分が多いです)。
本作執筆の当初の意図のひとつに、作中で扱った領域に対する自分の知識を整理したい、という思いがありました。この目論見はしかし、果たせませんでした。よけい混乱しただけでした。
ただ、これは書いていて見通せた感触を覚えたのですが、スターリンやベリヤ個人に焦点をあてた作品(ふたりともいちおう、西側の人間による伝記があります)というのは、なんか「変」なものが多いのです。私と同じような困惑と混乱をこれら伝記の作者も味わったのだろうと、開き直ることができました。そして、彼らの伝記のような変な小説がまた新たにできたわけです(‥‥)。
ヨシフ・スターリンは、こんにちの言葉で言えば人格障害だったと私は思っています(だから、キーロフの遺骸を前にして泣いたとか、ヤーコフの死に悲嘆にくれたとか、いちいち信用できない)。ラヴレンチー・ベリヤには、そういう狂気のようなものはあまり感じませんでした。彼がやったことを考えると、そこが逆に怖いわけですが。
ベリヤの指揮による東欧への弾圧については、ポーランドのいわゆるカティンの森事件に焦点を絞り、バルト三国に対する弾圧等への言及は最小限にとどめました。
実在の登場人物ですが、自分の関心に沿って選び書いたので、時代背景から見ても、クルプスカヤとマレンコフの影が薄くなっていると思います。これは単に、私が彼らに通り一遍以上の関心を持てなかったためです。特にクルプスカヤには関心を持たれる方が多いようなので、そういった方にとっては言及が足りなすぎたかもしれません。
ジダーノフにもこのふたり以上の関心は持てませんでしたが、ベリヤとのからみや芸術・文化面での影響もあり、こちらはある程度の量をさいて書かざるを得ませんでした。
逆に、ミハイル・トゥハチェフスキーにはかなり関心があったのですが、日本語で読める資料が少ないこともあり、描ききれませんでした。第一部で期待した方、どうもすみません。
時代背景から見れば、一九四六年から一九五三年までソビエト連邦の副首相を務め、後には首相を務めたアレクセイ・コスイギンという人物もいるのですが、キャラクターの多さから考えて割愛しました。
執筆しながら、イヴァン・トフストゥーハはある意味、私の先輩のような人間だったと思いました。対象への情熱が足りない、とか本人には言われそうですが。
そして、本文中にも反映されていますが、執筆の過程で興味深い人物として浮かび上がってきたのはヴャチェスラフ・メンジンスキーです。何者だったんでしょうね、この人は。
本文中にも書いた通り、ジェルジンスキー、ヤゴーダ、エジョフ、ベリヤの陰に隠れ、知名度が低いですね。ロシア革命時には目立たず、エジョフシチナ、いわゆる大粛清の時期には不在で、対外的にも大きな影響を及ぼしていないためだと思います。
なお、ニコライ・エジョフは、本作では大量殺戮者という点に焦点を絞って描いていますが、歴史的には、スターリンと共に民族追放政策の責任者であるということも、ここに付け加えておきます。
書ききれなかったことは幾つもあります。エジョフシチナもそうですし、収容所の描写も、甘すぎると思っています。前者は、大事件、とんでもない重大事件なのにも関わらず、資料が少ないように思いました。被害者と加害者が入り組んでいることでそうなっているのだと思います。
ナジェージダやキーロフの死に関しても、読んでいただければわかる通り、特に後者はスターリンがかなり怪しいのですが、決定的な証拠がないため、断定はしませんでした。
そのスターリンの最期が、これもかなり怪しいのも、因果応報という気がします。
因果応報はベリヤもですね。彼の人生の帰結を見ると、本当にそう思います。
メンジンスキーの知名度の低さにも現れていますが、資料にあたる過程で、本作で扱った領域に対する人々の関心の偏りという点にも気づかされました。
一例として、大戦後のミングレル事件は、日本ではほとんど知られていないと思います。欧米、あるいはロシアや当のグルジアではどうなのでしょうか。
プロローグが象徴的なように、「レーニン」をはじめとする彼らボリシェヴィキの変名の使用というのも私には興味深く、作中において、スターリンのほかトロツキーのそれにも光を当てたつもりです。
看守のオリジナル「トロツキー」氏は、自分の名前を借用したレフ・ダヴィードヴィチの活躍を知るまで生きていたんでしょうか。生きていたとしたらどう思ったんでしょうかね。だって、一回会っただけの奴が、自分の名前を使っていろいろ活動してるんですよ。
日本語の表現は、私なりにいくつかこだわりました。そのため、ぎこちない部分も多々あると思います。T‐34‐85はT‐34‐76と区別するためにぎこちなさを承知でこだわりましたし、また、各種資料に出てくる「大物」という表現(ボリシェヴィキの大物党員、というニュアンスで頻出していました)がどうしても気になったので、代わりに「有力」「有力な」「有力者」という用語を多用させていただきました。後者は、たとえ原文でそのような表現がされていたとしても、書く身としては連発したくありませんでした。「大物」って何でしょうか。
参考資料はインターネットをはじめ多々ありますが、独ソ戦中の戦車の描写に関しては「劇画家」小林源文氏の著作、特に『黒騎士物語』を参考にさせていただきました。同書をお持ちの方ならわかると思いますが、第三部1の「パックフロント」の部分は、あるコマをそのまま文章にしたようなものです。用語や構図を多少いじってオリジナルっぽく見せようかとも思ったのですが、そのまま書きました。
第三部2のベリヤの政治的な見解は、スターリン主義者の言い分とはこういうものだろうと考えたものです。エピローグVer.BとVer.Dのキャラクターの政治的見解のようなものは、それプラス、ぞっとする言い方ですが、「ネオナチ」に対する「ネオ・スターリニズム」というものがあるとすれば、そのネオ・スターリニストの意見はこのようなものだろう‥‥というふうに考えたものです。こんな政治思想が台頭しないことを願います。
そのVer.BとVer.Dのキャラクターの「外部」に関する語りですが、オリンピックの箇所の「思えない」には、元の原稿では強調点を振ってあります。「思わない」というより「思えない」状態になっているということを噛み締めていただければ、このキャラクターの問題意識がわかりやすいと思います。ちなみに、私も思えません。こんにち、本気で思える大人がいるでしょうか。
この自由な社会とやらの内部で、私たちは空想の自由を奪われつつあると思います。後続の世代は、よりその傾向が強まるでしょう。
『“キャラ”クター設定』という表現は、元の原稿では「キャラ」に強調点を振ってあり、「“”」はありません。こんにちの日本社会で通じる「キャラ」という用語を意識したものです。
現代という時代におけるこのふたつの問題は、私が小説で書かなくても、語れる大人は多いと思います。でも言う人、少ないですね。大事な「社会問題」だと思うのですが。
ラストの引用ですが、『言いかえれば~』は、レーニンやフルシチョフが活動するはるか以前、一九世紀中頃の言葉であり、これは彼らを念頭に置いて発せられたものではありません。直接的には、ナポレオン一世の甥にあたるナポレオン三世の活動を指しているものです。
このギミックのようなものは、第二部2冒頭でブハーリンがエンゲルスを引用する際にも使っています。フリードリヒ・エンゲルスは、この物語が始まる以前の一八九五年に他界しています。したがって、直接にスターリンの政治を指したものではありません。
この二点、念のためここに注釈しておきます。
エピローグVer.AとVer.Cの読後感は、普通に読めば悪くないと思います。その上で、扱った歴史的事実に比して読後感がこんなに悪くなくてよいのか、という疑問をご自分の中に持っていただければ、作者としては喜びです。
七十年代生まれの私がなぜだか知ることになってしまった彼らの人生を、本作で自分なりに形にすることができたと思います。
お読みいただき、まことにありがとうございました。
田中 鉄也
2013年8月2日




