4.世界大戦(1)
第二次世界大戦前半。
薀蓄が多いですが、ご容赦ください。
北海においても戦いが始まっていた。一九三九年一二月、ドイツ海軍は、イングランド北東部のタイン川沖への機雷敷設を行なっていた。その任務から帰還する駆逐艦五隻を迎えに行く途中だった軽巡洋艦「ライプツィヒ」「ニュルンベルク」「ケルン」三隻が、イギリス海軍の潜水艦「サーモン」の魚雷攻撃を受け、同型艦である前二隻が被雷した。同じ頃、遠く南アメリカはアルゼンチンとウルグアイの間を流れるラプラタ川の、二七五キロメートルの幅を持つ三角江沖合においても、英独海軍の水上艦艇による戦い(ラプラタ沖海戦)が行なわれた。
フェアリーとレフ・トロツキーは、再び邂逅を果たしていた。一九四〇年の四月である。話は、戦争のことにならざるを得なかった。
「ポーランドは呆気なかったな。ドイツの機甲師団は確かに優れている。よく近代化されているな。それは認めねばならんだろう」
「次は西なんだ‥‥」
「フランスか‥‥。どれくらい粘る?」
レフ・トロツキーの脳裏には、欧州の地図が浮かんでいた。すでにドイツ第三帝国は、北欧への侵攻を行なっていた。
「ベルギー、オランダ、ルクセンブルク‥‥フランスもあっという間にやられちゃう。ヒトラーおじさんは、もうすぐ西ヨーロッパの王様さ」
西欧に迫る暗雲――それは、トロツキーの予想を超えていた。
「そうか‥‥。イギリスはどうだ?」
「イギリスは頑張るよ。首相が代わってね」
「フンッ。あのチェンバレンはクビか。いい気味だ‥‥!」
「そういうトコは相変わらずだなあ。それで、あんたはどうするの?」
「何がだ?」
「いまのあんたは、この話――情報、って言うの?――を、世界に発信できると思うけど。うまくやれば、予言者にもなれるんじゃない?」
「‥‥‥‥」
「あんたの力をもってすれば、救世主にだってさっ。とにかく、ヒトラーの軍隊が大暴れするんだから」
「救世主ね‥‥。私はそんなものに興味はないな。第一、労働者に――万国の労働者に、そんなものは必要ない」
「それ、本音? ゾーヤは、あんたは救世主になりたがってる男だって言ってたけど」
トロツキーは苦笑した。
「違うよ、おちびさん。救世主‥‥そんなものは、いらない。――人民に、救世主を待望する心理があるのは確かだ。だが、そんな心理が、あのヒトラーのような怪物を生み出したのも、また確かだ。そんな社会をこそ、根底から変革しなければならないんだ。それが私の唱える革命だ。私もいつまで生きられるかわからない。残る寿命を、そのために捧げたいのさ」
「あ、うーん、なるほど‥‥」
フェアリーは小さな口で唸り、小さな腕を組んだ。
「でもさすがだよ。『怪物』とはね。おじさんは、あのヒトラーをよくわかってる。たぶん、世界各国のえらい人たちよりもね」
「映画を観たが‥‥あの大衆扇動のやり方は‥‥悪夢だ。ドイツは最悪の方向に向かっている」
「うん‥‥」
「ハイデッガーを知っているか? 彼までもがあれに取り込まれるとはな‥‥」
トロツキーはドイツの高名な知識人の名をあげ、頭を振った。
「ゾーヤは、あいつは、あのヒトラーは、あんたとスターリンの悪い部分を併せ持った悪魔だって言ってるけど‥‥」
「それは心外だな。アジテーションのことかい? 私のあれは‥‥人民の理性と力を心から信じてやっているものだ。一緒にしないでくれ給え」
そう反駁するトロツキーの声は、しかし心なしか弱々しかった。
「私はラジオも使わなかった」
「ラジオがなかったから、でしょ?」
「‥‥‥‥」
トロツキーは、その質問には答えなかった。あの内戦‐干渉戦争期にもラジオは存在したが、ロシア農村部においてそれは、一般的なものではなかった。
「あったら使ってた?」
「‥‥答えにくい質問だな。昔を思い出すよ。君は本当に妖精なのかい?」
フェアリーは――珍しく――苦笑した。
「あんたたちにつきあってるうちに、こうなったのさ」
今度はトロツキーが苦笑する番だった。しかし笑いながらも、彼らしいことを口にした。
「質問とは――『問い』とは、答えにくい事柄に向けて発するものだ、本来はな。問いかける相手が己であろうと他者であろうと‥‥。そこで初めて、意義ある葛藤や議論が可能となる。われわれはそれを実践してきたつもりだ」
「『諸君らが動揺しなければ』――?」
「‥‥――そう。葛藤を、悩みと言い換えてもいいだろう。悩み、とは、自分が動揺するようなものを言う‥‥。本来は、な――。だが、世に溢れるほとんどの『悩み』は、この意味での悩みではない。それは『判断の迷い』と表現すべきものなのだ」
「‥‥‥‥」
「‥‥多くの場合、『自分は悩んでいる』ではなく、『自分は判断に迷っている』と捉えるべきなのだ。そこをごっちゃにしてしまう――私が念頭に置いているのは、若い人たちのことだ‥‥そして、それを助長する――若い人間の『判断の迷い』を、何か実存的な問題と捉えてしまう元・若者、すなわち大人がいる‥‥。私も実はそうなのかもしれないが――これは、由々しき問題だ‥‥」
「――なんで?」
「それを厚意で行なう者もいるだろう。単位が個人であればまだよい。問題なのは、社会全体がそのような風潮を宿してしまうことなのだ‥‥。われわれが住んでいる――住まうことを余儀なくされている――この近代社会とは、この言わば『私問題』を語りやすくしている、ある時期から始まった特定の時代にすぎない。そのことを、われわれの目の前にあるこの社会構造は、見えにくくしてしまう‥‥」
「うーん‥‥なるほど‥‥」
「君はニーチェを知っているか? フリードリヒ・ニーチェを‥‥。あれこそ『悩み』というものだ。彼は自らを動揺させ続けた。そして頭がおかしくなって死んだ。――その彼の苦悩の‥‥苦闘の遺産を、馬鹿どもが祭り上げている‥‥! クズどもが‥‥! 吐き気がしそうだ‥‥!」
文芸評論家としてのレフ・トロツキーの最初のエッセイは、ニーチェの追悼論文である。トロツキーはしばらく、この前世期の――あくまで結果として――マルクス、フロイトと並んでヘーゲルに挑むことになった哲学者への哀悼を語気荒く述べたてていたが、やがて落ち着きを取り戻したようだった。
「‥‥私もある意味では、彼の牙を抜いてしまっているのかもしれない。私やレーニンの思想も、いつかそう――牙を抜かれる――日が来るのかね‥‥。われわれの思想と行動を、己のごく浅い部分‥‥自らの実存に刃を向けずに済む領域‥‥心安くくつろげるところ‥‥でだけ受け止める者たちの手によって――。私やレーニンは、そこでは道化になってしまうだろう‥‥。そこが、真に人類が解放された世界であるならば、それでもいいのだが‥‥。真に、ならば、な――」
「‥‥‥‥」
「無論、ニーチェの域までの苦悩、また私が言っているような意味での悩みを抱えなければいけない義務、必要は、どこにもない。苦悩や葛藤は、抱えないで人生をまっとうできるならば、それに越したことはないのだ。悩みや葛藤が人生を豊かにする、などというのは、大人という生き物がつく嘘だ。――私の言う意味での悩みを、葛藤を、抱えるならば、まだいい。問題なのは、青い精神が『判断の迷い』を大げさに捉え、『私問題』を、人間の歴史が始まって以来の普遍的な問題だと勘違いし、誤った途へ進んでしまうことなのだ‥‥」
フェアリーは、小さな顔を難しくしていた。
「‥‥――ヒトラーのアジテーションは、あらかじめ人民のなかにある、あるものを当て込んでいる」
「あるもの?」
「不安、さ。表面化していない‥‥。奴のあれは、それを巧みに煽り、自分の論理世界に引きずり込む、極めて下劣なものだ。脅迫の別形態であり‥‥人類の歴史を逆流させている‥‥」
「あんたのは?」
「‥‥人民の、やはり表面化はしていないことも多いが、理性と叡智に訴えかけるものだ。それは、人類の進歩の歴史にのっとったものだ。‥‥のっとる、という意を汲んでくれるかな、小さな妖精さん。主体は常にそこにある‥‥つまり私だが、不当に操る――操ろうとする意図のもとにそれはない」
「うーん‥‥」
フェアリーは、わかったようなわからないような顔で小さな腕を組んでいたが、その「操ろう」としているのが、ヒトラーやスターリンだという点だけは、理解したようだった。
「ほんとはね。もっともっと大変なことがあるらしいんだ。でもゾーヤは、教えてくれなかった‥‥」
フェアリーは悲しそうに俯いた。
「元気を出しなよ、おちびさん。‥‥なんだろうねえ、戦争の趨勢のことかな」
言葉は優しかったが、トロツキーの双眸は、己にも未来を予見する能力があるとでもいうように、眼鏡のなかから中空を――遥かな遠くを睨んでいた。
「たぶんそうだろうと思うけど‥‥ゾーヤは意地悪なんだよ。残酷なんだ。未来のことが見通せるのに‥‥ぼくを使ってうまく人々に教えれば、とてもたくさんの人々を救うことができるのに‥‥そうしないんだ。グルジアでも、ウクライナでも、ポーランドでも、他でもあちこち‥‥救えたのに‥‥」
フェアリーの声は、小さく震えていた。
「ぼく、ときどき思うんだ‥‥。ぼくは人々に幸福を運ぶフェアリーなんかじゃなくて、本当は死神なんじゃないかって‥‥!」
「‥‥死神はそんな苦悩を抱えたりしないさ。大丈夫、私には君の幸福の羽がちゃんと見えるよ」
そのように言うトロツキーの目は、優しい光を湛えていた。
「うん‥‥ありがとう」
五月、アドルフ・ヒトラーは「黄」作戦、次いで「赤」作戦を発動、ドイツ軍がベルギー、オランダ、ルクセンブルク――ベネルクス三国と、フランスに侵攻した。六月にはイタリアも英仏に宣戦布告、ドイツ軍がパリに入城し、欧州大戦――第一次世界大戦の勝者フランスは、ドイツ軍の圧倒的な強さの前にあっけなく降伏した。
ドイツ当局は、マルセイユの港において、北アフリカへの移送を待っていたフランス外人部隊(フランス外国人部隊)を拘束した。そのなかには、約二五〇名のドイツ人が認められた。ランツクネヒト‥‥。伝統あるドイツの傭兵たちの、これは落日でもあった。
八月二〇日、メキシコシティにおいて、レフ・トロツキーの後頭部めがけ暗殺者がピッケルを叩き込んだ。トロツキーは病院に搬送され、翌日、帰らぬ人となった。
「これで、ボスもよく眠れるだろう」
男は満足げに言った。フェアリーは、その小さな目に、彼にしてはありったけの憎悪を込めて男――ラヴレンチー・ベリヤ――を睨みつけた。無論、そんなものに動じるベリヤではない。自分に向けられる憎しみのまなざしなど、彼は本当に無数に見てきた。無実の市民、彼に強姦された女学生、「自白」の調書を前にしたオールド・ボリシェヴィキ‥‥。彼にしてみれば、そんなものはむしろ栄養素だった。腹の読めない好意や厚意のまなざしなど、むしろ彼を混乱させるのだ。彼が信じ、文字通り全力で奉じるシステムに、そんな要素は存在しないのだから‥‥。
ベリヤはつい先日、部下から報告を受けたばかりだった。――トロツキーの殺害に成功した、との報告である。
(人間の部下ばかりか‥‥)
こうして、謎の力を持つ存在からも――ベリヤという男は、フェアリーやその背後にいるゾーヤの神秘性に、深い関心を示すことはなかった――「報告」が受けられる‥‥。
「ぼくはどうやら、本物の死神のようだ。だからあんたも、すぐ死ぬよ」
フェアリーが悲壮な覚悟で考えた説も、ベリヤをさらに笑わせただけだった。
「トロツキーの最期はどうだった? 命乞いはしたか? ハハハ‥‥」
「ぼくは見てないさ。あんたのほうがよく知ってるんじゃないか? あんたの組織は優秀だから」
「それで皮肉のつもりか。ウハハハ‥‥!」
ラヴレンチー・ベリヤは、上機嫌であった。これで、スターリンの気まぐれも減るだろう。ベリヤ彼の奉じるシステム――ソビエト社会主義共和国連邦――のためには、そのほうがいいのだ。その意味では、ベリヤの願いは人民のそれと一致してはいた。ただ違うのは、彼が国家の秘密警察の権力を握っており、人民を支配・収奪するには、そろそろ安定期に入ったほうが望ましい、という点であった。
「これで安泰、と思いたいだろうけど、残念ながらそうじゃないよ、ベリヤさん」
妖精の物言いは、今度は引っかかった。
「何のことだ‥‥」
「西のほうのことさ」
フェアリーは怒りを隠しつつ、ベリヤの問いに答えた。これはゾーヤの指示である。
「西‥‥だと?」
ラヴレンチー・ベリヤは、彼の常となりつつある、探るような目つきになった。
「バルト三国のことか。あれなら大丈夫だ。おまえに言われるまでもなく、順調にことを進めてる」
「違うよ、もっと西さ」
「‥‥ポーランドか」
ベリヤは気づかぬうちに、フェアリー――ゾーヤのペースに乗せられていた。
「同じだ。われわれに楯突く将校どもは処分した」
「グニェズドヴォの森でね」
「よく知っているな‥‥」
ベリヤの目が険しくなった。おまえもいつでも処分できるんだぞ。その目が語っていた。
「‥‥もっと西だよ」
フェアリーは、これも彼にしては精一杯、ベリヤを睨み返した。何はともあれ、ゾーヤのメッセージは伝えなくてはならない。
「ドイツ‥‥ヒトラー、か‥‥」
妖精は、ゆっくりと頷いた。
「たしかに奴の軍隊は精強のようだ。フランスが、あっという間にな‥‥。だが、ドイツとわれわれとの間には条約がある」
「あいつが、そんなものを守ると思う?」
フェアリーは、これもまた精一杯、ベリヤを挑発しようとした。
「あいつは、スラヴ民族は劣等で、ロシアは遅れた国だから、支配する必要がある――と言ってるよ」
だがベリヤは、これにも軽く鼻を鳴らした。
「坊主、世の中を知らんな。そんなことは言わせておけばいいんだ。人気取りのための大言壮語さ」
「‥‥ドイツにもそう思ってる人たちがいるけど、違うよ。あのおじさんは本気なんだよ」
「例えそうだとしても、奴はいま、イギリスとの戦争で手一杯のはずだ。イギリスの後ろにはアメリカも控えている。まともな神経の持ち主なら、われわれと本気でことを構えたりはしないさ」
「だから、まともな神経の持ち主、じゃないんだってば! ユーゴスラビアだって‥‥!」
ベリヤはフェアリー――ゾーヤ――の言葉を最後まで聞こうとせず、大きな声を出した。
「黙れ‥‥! フン、好きにさせてやるさ‥‥!」
フェアリーは押し黙った。
「――奴の目的は、西ヨーロッパの支配だ。そこで王様にでもなりたいんだろう」
「西ヨーロッパ‥‥だけで済むと思う?」
ベリヤは、これには答えず、くわっと大きく歯を剥き出して嘯いた。
「まあいずれ――あのイタリアのムッソリーニともども、食い殺してやる。最後に全部いただくのは、われわれだ」
これは、冷静なベリヤらしからぬ、大言壮語であった。彼は気がついていなかったが、スターリンと接するうちに、彼の非現実的な妄想癖に侵食されていたのだ。ベリヤはこの頃から、欧米諸国向けの顔――すなわち政治家――の自己演出が必要だと、思い始めていた。いまの発言は、それにまったく相応しくないだろう‥‥! ラヴレンチー・ベリヤが珍しく反省しているというのに、まだわあわあと言っている奴がいた。
「そんなに簡単にいくもんか。――ホントなんだって。あのヒトラーおじさんは、狂ってるんだから‥‥!」
ベリヤは、彼にしてはこれも珍しく、うんざりと聞いていた。行動力に富み、即断即決を心がけてきた彼は、いままでは大抵、うんざりする前に行動――しばしば相手に死をもたらす――を起こしてきたのだ。そう決心したきっかけは、何だったろうか‥‥。――とにかく、政治家とはいろいろ大変なものだ。無知な小僧に、軍事、政治のABCを、説かねばならない。
「だとしてもだ。いまのドイツに二正面作戦は無理ってものだ。――そうとも、奴が狂っていたって、将軍どもが止めるだろう」
「止める? 止められればね‥‥。あんたたちだって、あのスターリンおじさんを止められたかい? 赤軍はメチャクチャになったじゃないか」
「‥‥‥‥」
これは、ベリヤにも、痛いところだった。彼は渋面をつくった。
「‥‥ボスの病気だ、あれは‥‥。まったく、もったいないことをした‥‥」
「だろ? そういうもんさ。あのヒトラーおじさんも、あんたが思っているような、安っぽい悪党じゃないんだ。‥‥いや、そうかも知れないけど、いまのドイツは黒い魔法がかかっていて‥‥何がどうなるか、わからないよ。すべて、あのヒトラーおじさんの頭の中身次第だ」
「‥‥‥‥」
「トロツキーおじさんを殺したのは、早計だったんじゃないの?」
「‥‥‥‥」
「これはあんたじゃないけど、トゥハチェフスキーさんやブハーリンさんはもっとさ」
「‥‥‥‥」
「じゃ、ぼくは行くよ。伝えるべきことは伝えた。後はあんた次第だ」
「ま、待て‥‥。いまの発言は聞き捨てならん‥‥取り調べの――ま、待て、撃つぞ‥‥!」
ベリヤの口からもれたのは、内容とは似つかわしくない、弱々しい声だった。そんな彼の心中を見透かしたかのごとく、妖精は彼に一瞥をくれ、窓から飛び去って行った。ラヴレンチー・ベリヤは、放心したように、その場に立ち尽くしていた。
――枢軸諸国の勢いは、留まるところを知らないかのようだった。九月、イタリア軍が、北アフリカはエジプトに侵攻を開始した。
ソビエト連邦の真似をして、ハンガリーがルーマニアに対し、トランシルヴァニアを手に入れるために武力に訴えると叫んでいた。ドイツ第三帝国は、これによる紛争の勃発――それを口実としたソビエト連邦の介入を恐れた。ルーマニアには油田があったのである。九月一日、ドイツとイタリアは再びウィーンで枢軸流の解決策を示した。ルーマニアは、前述の通り、すでにベッサラビアをソビエト連邦に奪われていた。
今度はルーマニア代表が気を失わなければならなかった。同国にとっては残る国土のかなりの面積を占める北トランシルヴァニアが、ハンガリー領となる地図を見せられたのだ。
「その代わりわれわれは、貴国の新領土については保証いたしましょう‥‥」
どうやら、神はいなさそうだ。いたとしても、昼寝でもしているのだろう‥‥。
九月二七日、イタリア、ドイツ、そして日本は、軍事同盟の締結にこぎつけた。「日独伊三国軍事同盟」である。新秩序――彼らはそう呼びたがった。これに対しソビエト連邦は、この同盟の内容を調印前に見る権利がある、と主張した。ヨシフ・スターリンは求めていた。秘密があるのなら、それも含めて、と‥‥。
東京のリヒャルト・ゾルゲ、またロンドンのアンソニー・ブラントというスパイたちからは、ドイツの対ソビエト侵攻準備を伝える情報が入ってきた。東欧諸国の在外公館や駐在武官らからも、重装備を積んだ貨物列車が東へ向かう姿が見られる、との報告が相次いだ。一〇月、NKVDは、ドイツ軍の歩兵師団と機甲師団のおよそ三分の二が、対ソビエト連邦正面に展開しているという結論を出した。しかしスターリンは、これらの動きは自分たちから譲歩を引き出すための脅しであるという希望的観測にしがみつき、ベリヤもそれに迎合した。
一一月‥‥。モロトフがベルリンへ飛び、リッベントロップ、そしてアドルフ・ヒトラーと会談を持った。会談は、最初から和やかな雰囲気とは言い難かった――和やかにやってもらったところで、彼らに運命を左右される民はたまったものではないが。
ドイツはフィンランドで何を目論んでいるのか、いわゆる新秩序においてソビエト連邦はいかなる役割を与えられているのか‥‥? モロトフは問うた。バルカン――ユーゴスラビアの問題も問い質した。ドイツ側は、こう切り返してきた。ソビエト連邦は、フィンランドに対し何を望むのか。――まあベッサラビアと同じです、とモロトフは返答した。
「そんなことをすれば、計り知れない反響を巻き起こすであろう‥‥」
大政治家ぶるヒトラーは、できるだけ勿体をつけて言った。忠告する、とでもいうように。しかしヴャチェスラフ・モロトフは、こらえきれぬ、とでもいうような苦笑をもらしたのだった。
「すると、おたくたちのやっておられることには、何も反響がないとでも?」
思わずヒトラーは、くしゃみをひとつした。モロトフは半分口を開きかけて、それから困ったような、何事かを悩む深刻そうな顔つきになった――故郷を奪われる人々に、思いを馳せたのだろうか? そこへ爆音が聞こえてきた――やがて、爆弾の投下音‥‥。イギリス空軍による空襲であった。彼らは防空壕に避難し、会談が再開された。ヒトラーは、できるだけ余裕たっぷりに呼びかけた。
「不安ですかな、モロトフ殿‥‥」
通訳が伝える間を待っていたかのように、ヴャチェスラフ・モロトフはゆっくりと振り向いた。
「私は絶対に死にませんよ、ここでは。護られていますからな」
滑らかな標準ドイツ語であった。そして、いかにも社交辞令というように、慇懃に――これもドイツ語で――付け加えた。
「つまり、あなたがたも大丈夫だということですよ」
モロトフは余裕綽々で、遠い目をしてうすく笑っていた。通訳は顔色を変え、他のドイツ側の参加者たちは互いに顔を見合わせた。
ヒトラーは、いぶかった。ヒトラーの目には、このヴャチェスラフ・モロトフ――いかにもロシア人の名前だ、とヒトラーは思った――なる男は、小役人にしか見えなかった。遅れた共産ロシアの、西欧趣味の小役人‥‥。しかし、いまのモロトフの自信と尊大さには、なにか自分には及びもつかない、深遠なものを感じた。
(スクリャービンの甥にあたるという話だが‥‥)
ヒトラーは、アレクサンドル・スクリャービンには、特に興味は抱いていなかった。
(スラヴ民族が超人思想を曲解して、ああいう変な音楽を生み出したのだ‥‥)
その程度の認識であった。ニーチェの超人思想を読めていない馬鹿はおまえだ、とトロツキーなら怒鳴り、嘲り笑い、そしてこの男のニーチェ理解の浅薄ぶりを指摘してみせただろう。だが、彼はもう、この世にいない‥‥。
一方の男の内心は――。
(いまの独語はよかった‥‥)
得意げなヴャチェスラフ・モロトフの想いは、将来のことへと向かっていっていた。
(――これでこいつらに、私は相応のインテリゲンツィヤとして認識されることだろう。やがてイギリス、いまは占領下だがフランス、またアメリカ――世界中に、評判が拡がってゆく‥‥。『モロトフ』の名とともに――)
実は彼は、先刻ヒトラーがくしゃみをしたときも、ドイツ語を使ってみせようとした。
「お大事に旦那」
こういうとき、ドイツ人はそういうふうに言うと、ドイツ語の教本にはあった。そこでヴャチェスラフ・モロトフは葛藤に襲われていた。
(アドルフ・ヒトラーが相手でも、ドイツ人は「旦那」と言うのだろうか? 時代遅れの、センスのない奴だと思われるのはいやだ‥‥いまのドイツ人は、お大事にわが総統、と言うのだろうか――?)
しかし、ボリシェヴィキである自分が「わが総統」と言うのは、やはりおかしな気がする――‥‥。
(――とはいえ、こういうこまめな努力は大事‥‥。彼の言う通りだ‥‥。独語で言うと‥‥『フォン・アイナゥ・クライネン・ザッハゥ・フライジヒ・スティーディヒ』――か‥‥?)
防空壕で会談は続いたが、ヒトラーはいまひとつしっくり来ないままだった。今日まで、順風満帆だったわけではない。幾度も苦難に遭い、大波に飲まれはしたが、その度、自分でも不思議なほどの霊感のようなものに助けられ、ここまで来た。それがいつからか‥‥画家を志すも美大の受験に失敗しつづけ、むなしくウィーンの街をさまよったあの屈辱の青春時代からか、前の大戦で生きのびた――塹壕で毒ガスを吸い、一時的には失明した――ときからか、思い出せなかったが‥‥特に生命に危険が及ぶたび――二度目の受験に落ちたときには、真剣に自殺を考えた――自分でも不思議なほどの霊力(のようなもの)に助けられてきた。政治活動に参加してからは、意識的にそれに磨きをかけるようにもしてきた。六、七年ほど前からは、自覚できるようにもなっていた。その霊感――の、ようなもの――が、今回のヴャチェスラフ・モロトフとの邂逅の直前から、妙に曇っていた。このような感覚は、記憶になかった。
(どうしたのだ、俺は‥‥)
ヒトラーが内心でひとりごちたとき、まるでそれを見透かしたかのように、「ところで、防空体制はどうなっておりますかな」と、モロトフが彼に問いかけた。その目は、皮肉に光っていた。
「これで勝てますかな、イギリスに」
――このとき、ドイツ側の某が必ずイギリスは敗北すると主張したところ、モロトフは「いま上空を飛ぶのは、何処の飛行機ですかな?」と応じ、アドルフ・ヒトラーの怒りを買ったと伝えられている‥‥。
この年の末も末、一二月三一日の夜遅くに、モスクワ動物園で一羽の白鳥が死んだ。来年の不吉な兆候だと、人々は囁きあった。
一九四一年‥‥。二月、ラヴレンチー・ベリヤは内務人民委員部の議長のまま、人民委員会議の副議長も兼務することになった。四十そこそこにして、いまや飛ぶ鳥を落とす勢いの彼であったが、ほぼ同時に思わぬ水をさされた。二月三日、ソビエト連邦最高会議幹部会により、NKGB(国家保安人民委員部)が設立され、秘密警察は、NKVDとこのNKGBに分離されたのである。ベリヤの権力の強大化に何事かを見てとっていたスターリンの意向が、彼の組織を分割した格好である‥‥。
無論、ベリヤが何も思わないわけがない。欧州と中国大陸の危機をよそに、その両方に面するソビエト連邦内部では、暗闘が開始されていた。外側の危機的状況をよそに、この大国は、ひたすら内側を向くのである。それは、最高指導者ヨシフ・スターリンの性格と愚かしさを、そのまま反映していた。
ドイツは、北アフリカで苦戦するイタリアのために、この二月、支援のための軍団を同地に送った。四月‥‥。一〇日、バルカン半島において「クロアチア独立国」が成立した。建国者たちはナチス・ドイツと関係が強く、枢軸側につくのは時間の問題であった。一三日、ソビエト連邦は、極東の枢軸国・日本帝国と中立条約を結んだ。このときスターリンは、日本の外務大臣である松岡洋右を駅まで見送った。この人物は、日本における日独伊三国同盟の立役者であった。(暗殺への)恐怖心等から粛清を起こし、その結果さらなる暗殺への恐怖心を抱えることになったヨシフ・スターリンにとって、これは異常とも言える珍しい行動であった。ソビエト人民を信じなかったスターリンは、ある意味ではヒトラーとこの三国同盟を信じていたとも言える――彼は、ヒトラーに挑発と受け取られるような真似は一切するなと口答で命じさえした。四月末、参謀総長ゲオルギー・ジューコフは、そんなスターリンを説得して、予備役の兵員八〇万の召集や、ウラル、シベリア、極東地方からかなりの兵力を西部へ移動させることを承認させた。
五月‥‥。四日、スターリンはそれまでモロトフに委ねていた人民委員会議議長の職に自らが就いた。翌日、クレムリンで開かれた赤軍諸大学卒業生のレセプションの席上、スターリンは長大な演説を行なった。
ヴェルサイユ条約の破棄というアドルフ・ヒトラーの決意は、(ドイツ)国内においては一定の共感を勝ち得ており、 彼らは自らが不敗であると信じるようになった。しかし、不敗の軍隊というものは、そもそも有り得ない。英仏の没落に伴い、「必要な資源を持つのはソビエト連邦と米国のみとなった。これらの世界大国が戦争の帰趨を決定するだろう」‥‥。
‥‥ロジックとしては悪くはない。しかし、言葉遊びに過ぎないとも言える――。
一〇日、ナチスの党首脳のひとりルドルフ・ヘスが、スコットランドのグラスゴーへ勝手に飛んだ。ヒトラーはイギリスとの和平=英独和平を望んでおり、ヘスのこの病的な行動は、ヒトラーの真意を映し出していた。人を疑うことにかけては人後に落ちないスターリンは、それでも何もしようとしなかった。国家の厳父は、自国民を殺しすぎて、疲れていたのかもしれない‥‥。
六月に入り、東京のリヒャルト・ゾルゲからは、六月二二日にドイツは対ソビエト連邦侵攻を開始する模様‥‥との貴重な情報が入ってきた。このリヒャルト・ゾルゲは、NKVDやNKGBではなく、赤軍のGRU(参謀本部情報総局、国防人民委員部諜報本部)所属である。このGRUの長はある中将だった。あるイギリス軍将校によると、この人物は「極めて洞察力に富んだ情報通」であったが、彼の前任者三名は銃殺されていた。彼のすぐ前の一名がその憂き目に遭ったのは、対フィンランド戦争――前述の「冬戦争」――時に提供した情報資料に対するスターリンの批判を強くはねつけたため、とも言われている‥‥この中将は、知り得た情報と、粛清への恐れとの板挟みとなってしまった。いくら部下がまともでも、上司が愚かでは、組織は機能しないのだ。
そして、ドイツの偵察機が堂々とソビエト領内を飛行するようになった。前線の赤軍部隊は無論これを報告したが、それでもモスクワは――すなわちスターリンは、最初のうちはこれを無視した。「空軍」――VVSのあるパイロットは、なぜあれの撃墜許可が出ないのかと、首を捻ったという‥‥。ドイツ軍侵攻の兆候が、彼らの軍隊内にわずかに存在した共産党細胞からももたらされ始め、報告が上げられた。しかし、同じ共産主義者でも、指揮系統が異なるのである。悲しいかなこの情報も、無視された。
一七日になり、スターリンはやっと、これらの情報の資料のまとめを命じた。しかし翌一八日、ゲオルギー・ジューコフらが赤軍に非常警戒態勢を取らせるべきと主張した会議において、スターリンは不機嫌になり、ジューコフを戦争煽動者と決めつけ、口汚く罵倒し、この若き参謀総長を黙らせてしまった。
そして、一九四一年六月二二日、未明‥‥。ドイツ第三帝国の大軍が、空と陸から、いっせいにソビエト連邦の領内へと雪崩れ込んできた――。
ドイツの侵攻は、ヨシフ・スターリンに極めて大きな精神的ショックを与えた。彼はパニック状態、そして鬱状態に陥った。部屋に引き篭もり、側近が、そして配下が直接呼びにいっても、頑なに部屋から出てこようとしなかった。この世の終わりだ‥‥! 自分の世界が、凶暴な力で内側へ折りたたまれてゆくような感触を覚えていた。スターリン――そう名乗った男、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリの世界は、もろくも崩壊したのである‥‥。
人民を奴隷のように酷使してきた国家の父親は、すべての職務を放棄してしまった。国家と人民にとって非常事態である、この肝心なときにまったく役に立たない、愚図でダメな「鋼鉄の人」に代わり、マイクの前に立ったのは、外務人民委員モロトフであった。ラジオを通じて、国民に、ドイツによる侵攻を伝えた。
「本日午前四時、ソビエト連邦に対する如何なる要求、また宣戦布告もないまま、ドイツ軍がわが国を攻撃――‥‥」
タレールキにより、広大なソビエト連邦の全土に、彼の声が流れた。
「――ジトーミル、キエフ、セヴァストポリ、カウナス‥‥わが国に対するこの前代未聞の攻撃は文明国(とモロトフはためらわず言った)の歴史で並ぶものがない背信行為であります。CCCP(モロトフはこういう表現も用いた)とドイツの間には不可侵の条約が調印されており、にもかかわらず――」
モロトフの放送――それは事実上、演説であった――はソビエト人民だけではなく、西側諸国、すなわち英米の聴衆をも意識したものだった。スターリンの廷臣では、ベリヤだけがそれに気がついていた。この演説は英米に流れ――英語という奴等の言語によって翻訳され、「CCCP」は「USSR」という奇妙な文字の配列となり――歴史に残るものとなるであろう。ラヴレンチー・ベリヤは、奴らの新聞の「USSR」という活字が見えるような錯覚すらおぼえた。若き日の、「西欧人」――イギリス人の金持ちども――への憎悪が、よみがえった。
(――奴め‥‥!)
モロトフは歴史上のナポレオンによる侵攻を持ち出し、今回のドイツ第三帝国の侵攻と重ね合わせ、ナポレオンがどうなったかを述べた。
「赤軍とわれわれの全同胞は、祖国のために再び勝利の戦争を行なうであろう。わが国のため、名誉のため、自由のために――」
彼は天晴れにも、演説をこう結んでみせた。
「敵は破られるだろう――勝利は、われわれのものになるであろう‥‥!」
ベリヤは、このところのモロトフの自信に満ち溢れた態度に、思いを馳せずにもおられなかった。単に外交の経験を積み、西側にも知られる政治家となったことだけが要因であろうか。そうは思えなかった。だが、同僚の秘密を探っている余裕はない。赤軍は大混乱に陥っており、情報はほとんど入ってこない。そのうえ親分は腑抜けになっている。内務人民委員部の議長である彼が今すぐこなさねばならぬ仕事は、山ほどあった。
(少し時間はかかるだろうが、わが軍は持ちこたえ、やがて――)
ベリヤは早速、NKVDを通じて前線の模様を知るべく、電話のダイヤルを回し始めていた。
(――反撃にうつるだろう。その後で考えるとするか‥‥)
電話は思ったように繋がらず、四度目にかけた電話にたまたま出た不幸な部下を怒鳴りつけているうち、ラヴレンチー・ベリヤは、同僚に対するこの疑問を忘れていった。
数日間というもの、臣下たちはスターリンを何度も呼びに行った。だが老人は、「終わりだ――すべて終わりだ‥‥」と、口からだらしなくよだれを垂らし、そう繰り返すばかりであった。ベリヤも行った。だが、自分の世界に逃避している老いた指導者を引っ張り出すことは、彼にも困難であった。
(ケッ‥‥!)
帰る道すがら、ラヴレンチー・ベリヤは、心のなかで毒づいた。
(集団指導体制に移行すべきだ――)
そう同僚たちに提案すべきだと思った。ドイツ軍は破竹の勢いで進撃してきていた――つまり、赤軍はそれだけ負けているのだ。だがしかし、ここがスターリンの国である以上、それは口にはできない‥‥。救いといえば、ポスクレブイショフを長とする例の「特別部」のネットワークが――特に西部において――機能しなくなってきたことだった。NKVDの――つまり自分の――力を増す、いい機会であった。
(ドイツ野郎たちが去った後は――)
ラヴレンチー・ベリヤは考える。NKGBを再統合させ、NKVDによる、強固な警察体制を作り上げるのだ。党も赤軍も厳重な監視下に置く――。そのためにはまず、赤軍に勝ってもらわなければ話にならないのだが、ベリヤはこのとき、まだ楽観的に考えていた。ベリヤは、内戦――干渉戦争――の厳しさを、真の意味で体感していなかった。彼がその時期カフカースでいい思いをしてきたことは、既述の通りである。戦争なんてものは、己の才覚次第で、いくらでも切り抜けられるものだ。それくらいに考えていた。
――もし、ドイツが勝つことになったら、スターリンの首を差し出せばよい。戦後の治安体制における秘密警察の重要性は、(あいつだって、理解するはずだ‥‥)と、ナチス・ドイツの親衛隊全国指導者であり全ドイツ警察長官、また内務大臣も務める、言うなれば向こうの同業者の顔を思い浮かべた。ピカピカした黒い制服に身を包んでいなければ、退職後に恩給で小さな果樹園か養鶏場でもやるのを楽しみに働いているとでもいうような、絵に描いたような小役人にしか見えない、実際に元養鶏業者のハインリヒ・ヒムラーの眼鏡顔を‥‥。
無知とは恐ろしいものである。なるほど秘密警察の重要性に関してはハインリヒ・ヒムラーも同意してくれるかもしれないが、それをNKVDにやらせはしないだろう‥‥。
結局、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチをクンツェヴォのダーチャのベッドから引っ張り出すことに成功したのは(ベリヤたちではなく)やはり「古参の親衛隊」のモロトフであった。
「義務があるんです、あなたには‥‥!」
ヴャチェスラフ・モロトフは、毅然として上司に告げた。
「私はもう、二度とあなたのことを『コーバ』とはお呼びしません。たとえお許しくだすっても‥‥!」
「‥‥‥‥」
「私が‥‥私が、スクリャービンでなく『モロトフ』であると同様に――いや、それとは比較になりません‥‥あなたは‥‥!」
モロトフは、胸倉をつかまんばかりの勢いで彼が誰であるかを告げたのだった。
「――あなたは‥‥『スターリン』なのですよ!」
こうして、年下のボリシェヴィキから訓告されたヨシフ・ヴィッサリオノヴィチは、ようやく国民への呼びかけを行なうに至った。七月二日のことであった。水差しから何度も水をコップに運びながら、モロトフが書いてくれた草稿を「演説」として読んだ。しかし、中断が多かったうえ、水を飲む度にカチカチと歯がコップに当たる音を、マイクが拾ってしまっていた。それが、タレールキにより再びソビエト連邦全土に流れた。職場に、家庭に、街路に、工場に、コルホーズに、そして収容所に、そしてまたドイツ軍の迫る前線に、一キロメートル先に敵部隊を視認している最前線にまで‥‥。
勇壮な文言が散りばめられていたが、何とも無様な「演説」であった。
そして現実は、ベリヤの予想やモロトフの演説を超えるものであった。ドイツ軍は予想よりはるかに強力で――陸軍も空軍も――洗練されており、近代的な装備と戦術とを有していた。反対に赤軍は――予想よりはるかに脆弱だった。腑抜けており、愚鈍だった。赤軍は、大粛清期から将校養成計画を大車輪で進めてきたが、開戦の時点で着任後一年未満の将校が全体のおよそ四分の三を占めていた。また、非常に多数の将校が夏期休暇をとっていた。I‐16はすでに旧式化しており、加えてパイロットの士気も練度も、ドイツのほうがはるかに勝っていた――オソアヴィアヒムは、この奇襲までに民間飛行士のライセンスを男女合わせて一二万名以上に与え、これは名目上はVVSへの予備搭乗員の員数を十二分に満たすものであったが、軍用機や戦闘飛行術に対する備えができていない者が大半であり、そのためのオソアヴィアヒムの養成プログラムも不十分であった。二二日の奇襲では、離陸すらできずに、多くのI‐16が地上で破壊されてしまった。敵戦闘機は、メッサーシュミットBf109(Me109)。ドイツ空軍のある報告書によると、開戦から四八時間以内に推定二千機のソビエト機を破壊したという。制空権は、彼らのものであった。地上における状況は、空よりは幾らかましであったが、劣勢であることに変わりはなかった。あの巨大戦車T‐35は、一部を除いて、まるでのろまな大亀のように、それより小さく機敏なドイツ戦車たちの餌食となっていった。これは、その一部、ごくごく一部の、例外的な戦いの素描である‥‥。
「来たなファシストめ」
双眼鏡を覗きながら、戦車長が言った。
「ここは通さんぞ」
確認できたドイツの戦車は、五輌だった。まだ、こちらには気がついていない。
「全部Ⅲ号戦車だ。――奴ら、もう勝ったと思ってやがる‥‥」
M‐17M4ストロークV型一二気筒エンジンは、すでに五〇〇馬力の低い唸り声をあげていた。同じT‐35でも、かつて彼が乗り組んでいたいわゆる一九三三年型、T‐35Aとは異なる改良型である。円錐砲塔型、また一九三九年型とも呼ばれる型で、砲塔には傾斜装甲を採用し避弾経始を向上、前面装甲も増厚させたタイプであった。
「いいぞ! 行け行け! このT‐35は世界最強の戦車だ! 地上戦艦だ! 必ず勝つのだ! 同志スターリンは劇的な戦果を望んでいる――」
他の大抵の軍隊なら、その車輌の指揮官であるはずの戦車長に、車内から勇ましい指示が飛んだ。
「コミッサール殿、少し黙っていてくれますか」
うんざりしながら、鋭い目をした戦車長は言った。左の頬に、骨が見えるのではないかというほどの、深く長い傷があった。わかる者にはわかる、銃創だ‥‥。すでにドイツ軍と戦闘――それも白兵戦――を行なってきたのか? それとも‥‥。彼の年齢で、内戦‐干渉戦争の兵士だったわけでもあるまい。ハルハ河方面やフィンランド方面から転属してきたという話も聞かない。すると‥‥? しかしこの戦車長は厳しく、同乗の部下は、彼のこの傷のことは口にできなかった。乗り組んできたコミッサールは、彼のこの点について、気がついていなかった。戦車長――ユーリ・V・ワイネル少尉はときおり戦車帽をはずし、頬の傷をぬぐうように撫ぜていた。
「この戦車のことは、欠点も含めて自分はよく知っております」
ワイネルには、一輌ごとの性能はともかく、T‐28のほうがまだ使いでがあるように思えた。このT‐35もT‐28も、主砲は同じ一六・五口径七六・二ミリ戦車砲である。
「なに! 欠点だと! 発言を撤回したまえ! このT‐35は世界最強の――」
ワイネルは、コミッサールを無視して、部下たちに伝えた。
「引きつけるんだ。焦るな。主砲は真ん中の奴が四〇〇まで来たら食え。それまでは各砲とも発砲厳禁!」
「四〇〇! そんなに?」
砲手の悲鳴のような声。
「奇襲こそすべてだ。発見されたら、たちまち集中砲火がくるぞ――このT‐35では逃げられん‥‥!」
ユーリ・ワイネルが苦渋の表情でうめくと、
「逃げるだと貴様! 党に報告するぞ! このT‐35は世界最――」
「引き寄せてはもっと危険では――?」
と、コミッサールと別の部下の声が重なった。
「危険は承知だ! 大丈夫だ! こいつの装甲は少しはもつ!」
言いながらワイネルは、見納めになるかもしれない空に一瞥をくれ、そしてハッチを閉めた。わがほうのオートジャイロがさっきまで飛んでいたが、ドイツの戦闘機に追われ、逃げていった。
(あいつは、逃げおおせただろうか――?)
ワイネルは思いながらも、各砲の砲手(射手)と操縦手に指令を飛ばす。
「主砲発射と同時に全速前進。副砲(という言い方をした)はそれぞれ左右の奴を狙え。吹き飛ぶまで撃ちつづけろ。他に照準を移すな。――操縦手! 二五〇までは何があっても止まるなよ!」
彼は三十年代、オートジャイロが飛ぶ姿を間近で眺めたことがあった。見ている分には楽しく、観測機としては有用だろう。しかし、流線型のドイツの高速戦闘機とでは、まともな戦闘はできまい。ソビエト連邦の陸と空の兵器は、たしかに昔は独創的で、ある側面においては先進諸国と較べても遜色はなかった。しかし、いまでは時代遅れだ。極めつけがこのT‐35だ。ドイツの急降下爆撃機は、一昨日も昨日もわがもの顔で大空を舞っていた。不吉な音を立てながら‥‥。まるで死者の国のカラスですね、とは部下の装填手。
(あるいは、肝臓を狙うハゲタカだ‥‥)
とユーリ・ワイネルはひとりごちる。ここはコルキスの岩山なのだ。この足の遅い鉄塊の履帯は鎖――俺たちは縛られているのだ。地表には昨日から、空中にも先刻のオートジャイロが消えて以降、友軍の姿は見えない。これは何の裁きなんだ。
七六・二ミリ主砲は、一撃のもとにドイツ戦車を撃破した。巨大戦車T‐35は、戦車長ユーリ・ワイネルの命令通り、全速で敵部隊に突進してゆく――たった一輌である。副砲――二門の四五ミリ戦車砲は、まだ何の戦果もあげていない。
(できれば、ウクライナで闘いたかった――)
ベラルーシ方面のドイツ軍地上部隊は、すでにヴィテプスク(ヴィーツェプスク)を落としていた。ここは、そのベラルーシの戦線である‥‥。
(ジトーミルは――やられたのか?)
ユーリ・ワイネルは、はるか南方、ウクライナ西部の都市を思った。
そこを落とされたら‥‥。
(キエフも危ない‥‥)
ワイネルは、首都の旧友たちの身を案じた。そして、
(あの人も、死なないでいてくれれば――)
と、その首都で近所に住んでいた年配の女性のことを思い出していた。ワイネルが昔聞いたコルキスのプロメテウスの話をよく知っていて、その絵を描きたいと言っていた、普段は絵葉書を描いていた女性。
(マリーヤさん‥‥)
あのギリシア神話のエピソードを彼にあらためて印象づけ、またワイネルのことを「プロメテウス」と呼ぶ、ちょっと変わった人だった(――印象派と呼ばれる彼女の絵が思想上よろしくなく、表立って描くことが叶わないということは、彼女の絵葉書しか見ていないワイネルには思い至らなかった。もしかしたら、屋根裏には彼女の本当の絵があったのかもしれない。「プロメテウス」の絵も‥‥)。
――全速といっても、T‐35の最高速度はカタログデータで時速三〇キロ、たかが知れている。そして、各砲の発射音は響いていなかった。キエフでの思い出を振り払い、轟々という走行音に負けじとワイネルは怒鳴った。
「副砲どうした! 主砲、次弾装填急げ! 右の奴を共同で狙え!」
そうだ。もう三十年代じゃない。目の前のことに意識を集中させねば、自分が死ぬだけだ。いや、もう自分だけじゃない‥‥。
――実は、二門の副砲とも、最初の一発の発射の後、走行の振動のために装填手が自分の仕事をできていないのだった。主砲の装填手も同様であった。そこへ、着弾音が響き、車内に木霊する。
「うわあああっ!」
部下とコミッサールの悲鳴がつづく。幸い、直撃ではない。
「何をしておる! 撃て! 撃たんか! このままでは的になるぞ!」
ワイネルは事態を悟り、仕方なく操縦手に命じた。
「くそう! 停車だ! 各装填手は急げ! 砲手! 落ち着いていい仕事をしろ。――コミッサール殿の言う通りだ! が、そうする! 的になり、撃たれる前に撃て! もう三〇〇はないぞ‥‥!」
「貴官は本官を――ではない、このT‐35を犠牲にする気か! このことは党に報告――」
コミッサールの言葉尻を、先程とは比較にならない轟音と振動が叩き切った。直撃だ。皆、突っ伏したようにして動かないT‐35の車内で、すぐにワイネルの叱咤が響く。
「――装填だ! 主砲わかるな! 右の、砲身の長い奴だ! 戦死した者は大声で名乗り出ろ!」
コミッサールが叫んだ。
「少尉! 君の言動は非常に問題だぞ!」
戦闘中だというのに、車内にくすくすと笑いが洩れた。つまり、コミッサール殿が死んだ、ということになるのだ。それでやっと気を取り戻したのか、副砲一門と主砲の装填が行なわれ、それぞれ発射された。頼もしい二連続の轟音――だが‥‥。
「だめです! 当たっていません!」
部下の悲鳴のような報告があがった。だがその直後、
「――奴ら、下がっていきますぜ‥‥」
と、別の部下の報告。
勝ったのか――? コミッサールならずとも、車内に安堵の空気が流れる。
「いや、違う‥‥!」
ワイネルはうめいた。
そして、ワイネルの予想通りだった。敵の歩兵たちが、集束した手榴弾を手に、わらわらと近寄ってきていた。
「作戦変更だ! 後退! 対戦車砲を探して撃て!」
だが操縦手は、その命令を実行できなかった。T‐35は、無様に巨体をよじらせただけだった。実は先の被弾の際、右の履帯をやられていたのだ。T‐35の乗員たちは、まるでシェイカーのなかの氷のように、てんでに内壁や器具に衝突した。
「各銃座! 撃て! 近寄せるな!」
これはワイネルの指示と同時に、部下たちも体を動かしていた。機関銃は、七・六二ミリが六門もある。多砲塔戦車T‐35は、なかなか敵兵を寄せつけなかった。しかし、動けない戦車など、先が見えている。やがて歩兵たちも、下がっていった。今度は、安堵とともに歓声が車内にあがる。ともかく戦果をあげたのだ。敵、Ⅲ号戦車一輌と、歩兵の数名。だが、戦車長ユーリ・ワイネルにとって、歩兵の後退は、懸念が当たりつつあることを意味していた。
「七五ミリか八八ミリが来るぞ! あるいはシュトゥーカか――‥‥。――各銃座そのまま。他の者は周囲に警戒しつつ下車‥‥! ――戦車長権限で本車はここに配置され‥‥全乗員は脱出する!」
これを聞いたコミッサールは、限られた空間である車内で、飛び上がるようにして目を剥いた。
「――なんだと貴様! ただではすまさんぞ!」
「銃座の者もつづけ! 俺が最後に降りる! 下車後、シュトゥーカが見えなければバラバラにはなるな! 固まって森に入るんだ! 見えたら逆だ! 散れ!」
部下たちは、ワイネルの言うことを理解したようだった。それらの砲弾や爆弾が直撃すれば、如何にこのT‐35といえども助からない。彼らは、ワイネルに言われた順番でハッチから脱出を始めた。しかしコミッサールは、ついに拳銃を抜いてワイネルに突きつけた。
「少尉! 君の行為は祖国への重大な背信だ‥‥!」
「‥‥‥‥!」
ワイネルはそいつを睨みつけ、歯噛みした。手が無意識のうちに、左頬の傷に触れていた。痛みがあった。だが、こんな痛さなど、何ほどのものか。あの痛み、日々を失ったあの苦しみに較べれば‥‥。そうだ、俺は骸骨だ。あのとき、人の好い戦車長が逮捕される代わりに、俺が死ぬべきだったのだ。イヴァン・コズロフ、彼は、どこへ消えたのだ‥‥?
――ワイネルの言った通りであった。離れた位置から狙いを定めていたドイツ軍の八八ミリ高射砲――八・八cmFlaK18が、動けないT‐35に向けて火を噴いた‥‥。
スターリンは、いくつか譲歩せざるを得ないことを知った。七月二〇日、NKVDとNKGBが再統合された。秘密警察組織の一本化を好むベリヤの意向が、一本化を望まないスターリンを抑えた格好である。またスターリンは、西側諸国に「第二戦線」の構築を求めたのだが、そのためにある国に腰を低くしてみせた。
七月三〇日、ソビエト連邦は、ロンドンにおいて、ポーランド亡命政府の首相ウラジスコフ・シコルスキー将軍との間に協定を調印した。ポーランドの国境に関する独ソの条約の効力の無効化と、亡命政府により任命されたポーランド軍司令官の指揮するポーランド国軍が設定する領土の構成に、同意することになった。一九三九年九月に捕虜となっていたポーランド共和国軍のヴワディスワフ・アンデルス将軍が、ルビャンカ刑務所の独房から引っ張り出された。連れて行かれた先は、ベリヤの執務室であった。ラヴレンチー・ベリヤはため息をつき両手を揉み合わせながら、現在の情勢と、近く創設される新ポーランド軍なるものについて語った。彼にはとりあえず私邸が与えられ、数日後、そのもとをポーランド人たちが訪れた。モスクワ郊外の「歓喜の村」に住む、ソビエト政府に忠実なポーランド人たちであった。彼らの話では、近く一万五千人のポーランド将兵が「解放」され、それが新ポーランド軍の戦力となるだろう、ということであった。しかしベリヤは、協定にも関わらず、この新ポーランド軍(SOK=在ソビエト連邦ポーランド軍)をソビエト政府の指揮下に置きたがった。それは、そのままスターリンの意向でもあった。
――ヨシフ・スターリンはショックから立ち直りかけていたが、この時期、急激に老け込んだ。ドイツ軍の進撃は破竹の勢いで、前線からもたらされるのは敗報ばかり。北部では、リガ、プスコフ。中央部では、ミンスク、リヴォフが陥落し、キエフも包囲されるなど、諸都市が次々に敵の手に落ちていた。南部においては赤軍はやや善戦していたが、オデッサにも脅威が迫っていた。スターリン――政府はこの戦争を「大祖国戦争」と呼び、侵略軍への抵抗を散々虐げてきた人民に対し訴えていた。しかしスモレンスクも敵に包囲され、防衛部隊に加え支援部隊が向かったにも関わらず敗れ、赤軍将兵およそ三十万名が捕虜となった。同時に二十万名以上が脱出に成功した――これは軍事的には悪くない話だ――との報も、スターリンを喜ばせはしなかった。スモレンスクからモスクワまでは、三六〇キロほどしか離れていない。彼らはモスクワを目指してきていた。スターリンの長男ヤーコフは、侵攻からひと月も経たぬうちに捕虜となっていた。八月に入りジダーノフによって報告され彼を打ちのめしていた。これを父親としての愛情と捉えた外国人もいたが、愛情というよりこれは彼にとって恥なのであった。
「ロシアの捕虜などいない」
彼は明言した。
「いるのはロシアの裏切り者だけだ。戦争が終わったら彼らを処分するつもりだ」
前線では、一部のソビエト将兵の献身的な、しかし絶望的な抵抗が行なわれていた。組織的な抵抗が次第に行なわれるようになっていたが――最初のころはそれさえ満足に出来なかったのだ。それで軍隊と呼べるだろうか? これが大粛清の結果だった――だからといって、いまや名にしおう近代的なドイツ軍を相手には敵わず、次々と撃破されていった。VVSの戦闘機のなかには、パラシュートが装備されないまま配備されていたものもあった。パイロットたちはそのような機体でも出撃した。「タラーン」と呼ばれる、体当たり攻撃も行なわれた。地上においては、敵に奪われるであろう建物や食糧を焼き払う、いわゆる焦土作戦の徹底が図られることになったが、赤軍は無様に撃破されつづけた。
先のアンデルスは、すでに疑問を抱いていた。数が合わないのだ。「解放」されるというポーランド人のうちの将校と、元いたポーランド軍将校のうち、対ドイツ戦で戦死したか捕虜になるかして失われた数を差し引いても、人数が大きく足りないのだ。もちろん混乱のさなかで細かい人数まではわからないが、どう考えてもかなり足りない。彼らは、どこへ消えたのだ‥‥?
八月末、レニングラードも包囲され、九月に入り、市内への砲撃が開始された。レニングラード陥落は、現実味を帯びていた。ドイツ軍は、かつてのユデーニチ軍とはわけが違った。鉄道の切断に成功したのである‥‥。
今度はトロツキーではなく、レニングラードの軍管区司令官に任ぜられたゲオルギー・ジューコフが――車で――同市に向かったが、連絡が届いておらず、彼は赤軍兵士により通行許可証の提出を求められ、待たされることになってしまった。やっと到着した軍管区司令部でも、ジダーノフをはじめとする指導者たちは、建造中の新型巡洋艦「クロンシュタット」をどうするかなど、不毛な議論に明け暮れていた。これが、赤軍とソビエト連邦の実情であった。ジューコフはその議論を一旦止めさせ、バルト海艦隊の水兵、士官学校生、NKVD職員からなる防衛のための旅団を編成させた。また優れた防御陣地を作らせた。戦車を扱っていた工場は機能を疎開させていたが、混乱によりなかば放置されていた戦車があった。これを修理させ、そのまま市防衛の任に就かせた。
ドイツ軍に包囲されたレニングラードと外部を繋ぐのは、ラドガ湖上のルートのみとなった。ソビエト側の混乱もあり、市民の疎開はほとんど成されておらず、この包囲により、それは不可能となった。ドイツ側は、同市の北一六〇キロまで迫っていたフィンランド軍のマンネルヘイムに攻撃を頼んだが、彼は冬戦争以前の国境線を越えることはしなかった。「クロンシュタット」の工事は中断された。空軍による爆撃が開始されたが、防御陣地のため、ドイツ軍は市街地への突入を避けた。アドルフ・ヒトラーは一〇月七日、一切の降伏を受け入れてはならないと命じた。
スターリンは今さらながら連合国――イギリスとアメリカに助けを求めていた。イギリスは、すでにドイツ軍と激しい戦闘状態に入っていた。いわゆるバトル・オブ・ブリテン――イギリス本土とドーバー海峡上空でのおもに英独空軍による航空戦――が行なわれ、なお戦闘は継続していたが、制空権をドイツに渡してはいなかった。大西洋上の各所において、また前述のように北海においても、双方のおもに海軍による激しい戦いが行なわれていた。新たにフランスに基地を得たドイツのUボート(潜水艦)は、群狼作戦と呼ばれる戦術を用い、イギリスの商船や軍艦を次々と襲った。イギリスもまたアメリカに援助を求め、アメリカの大統領は保障海域を当初より東へ広げることで、大西洋西部を航行する連合国船団の護衛をさせ始めていた。デンマークがドイツに占領されたため、イギリス軍は、北太平洋はデンマーク国王主権下の立憲君主国アイスランドに駐留していたが、これに代わりアメリカ軍がアイスランドに駐留、イギリスを間接的に支援する形を取った。カナダ海軍もまた、イギリスを支援した。イギリス海軍は新型の短波レーダーを導入するなど有効なUボート対策を打ち出し、商船の船団の護衛やUボート迎撃に成功し始めていた。五月には、ドイツの誇る巨大戦艦であり、世界最強と謳われた戦艦「ビスマルク」を、自軍にも多くの損害を出しながらも撃沈せしめていた――自沈説もある。
イギリスの首相は、ドイツとの徹底的な対決を望んでいた。同国の外交筋は、前述の通りソビエト連邦の恐るべき実情をかなり把握していたが、外相アンソニー・イーデンは、熱烈な親ソ派であった。ポーランド人に関しては「わが側に立って戦っているポーランド人は、ソビエト連邦が割譲を要求している東部出身者であって――」とまで発言した。このアンソニー・イーデンの助言もあり、ドイツとの徹底対決を求める首相ウィンストン・チャーチルは、スターリンとの協調に傾いてきていた。いずれにせよ、総力戦なのである。敵の敵は味方なのだ。
――アメリカ合衆国大統領フランクリン・ルーズベルトは、大恐慌を乗り切り国民の信頼を勝ち得ていた。彼は現実主義者であったが、同時に理想主義的な政策を打ち出すことが大政治家への途であると信じつつあった。日本と戦う中国の国民党政権に、大量の物資、また義勇軍「フライング・タイガース」や軍事顧問を送るなどして支援していた。この「フライング・タイガース」は、無頼の空の男たちを集め、戦闘機カーチスP‐40で日本軍相手に奮戦し、アメリカ本国でよく知られることになった。アメリカ人パイロットが主であったが、これを継承した後の部隊では中国人エースも輩出している。この戦闘機部隊の物語は、別の機会に語られるべきであろう‥‥。
2014年2月4日、ルビの不備を一箇所修正しました。
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一部に改行がおかしな箇所がありますが、ルビの表示を考え、このようにしています。
また、PDFでは一部のルビと一部の文字がうまく表示されないようです。「?号戦車」の「?」はローマ数字の「3」の誤表示で、「3号戦車」ということになります。PDFでない横書き版のほうを参照してください。どうもすみません。