1.上昇 ~また、ある男~(1)
外伝的ストーリー。またある男の、出会いと来歴。
彼にスポットライトをあてて物語を続けるにあたり、時間軸を遡ることにしよう。時は、一九一六年、秋‥‥。戦争の見通しも立たず、ラスプーチンの暗躍に象徴される宮廷の退廃、ムスリムほか少数民族の民族運動‥‥都市部では労働者たちの怒りが渦をまき、広大な農村部にも農民たちの嘆きが拡がる‥‥混乱する大ロシア帝国はカフカース地方、アゼルバイジャンはバクー(そう、バクーだ)。そこに高等技工学校と呼ばれる学校があった。
バクー機械建設工学校とも呼ばれる。工学校としては、カフカース地方一のレベルを誇る。周辺地域から技師や建築家の卵たちがここに集い、未来に向かって勉学に励んでいた。
未来‥‥? 一体どこに、確かな未来があるというんだ? そう考えていたのは、何も彼ひとりではない。十代後半の少年たちは、世事に鋭敏である――むしろ、このような疑問をまったく持たぬ学生は、皆無と言ってよかった。この高等技工学校がカフカース地方一なのは、単に学業のレベルだけの話ではない。カフカースは、ロシア人が主人である大ロシア帝国全体から見れば、やはり片田舎である。そのカフカースにあって、同校は工学に必要な整った設備を持つ近代的な学校であった。それによって、カフカース中から優秀な学生を集めていたのだ。ここを卒業すれば、ペトログラードでもモスクワでも、駆け出しの技師や建築家としては恥じることのない学歴を手に入れることができる――逆に言えば、カフカース地方に生まれてこのような職業を目指すには、この学校を出ないと無理なのだ。特に非ロシア人は。
高等技工学校の図書館にひとりたたずむ、短躯で小太りの眼鏡姿の少年にも、これらの条件はすべて当てはまった。少年は、スフミというグルジアの小さな街から、ひとりこの学校に通うためにバクーに出てきた苦学生であった。ロシア人ではなく、また実はグルジア人でも――アゼルバイジャン人でも――なかった。これは彼ひとりだけではないが、貧しさのため蝋燭代を節約する必要があり、ために夜は勉強できず、早朝や午後、またこうして放課後に勉強するのが、習慣になっていた。
このときの彼もまた、かつてトムスクのナルイムにいた男のような、憂鬱を抱えていた。ただその男よりおよそ二十歳ほど若かった分、神か、あるいは悪魔の使いが現れたら、話をしてみたい――世界に対する疑問をぶつけてみたい‥‥そんな思いにも駆られていた。そして、それは現れた。紫と黄に明滅する妖精が‥‥。
試験の翌々日であったこともあり、放課後の図書館は、常日頃よりも閑散としていた。その一画には、少年ひとりしかいなかった。ナルイムの男がそうであったように、この少年も、妖精の登場にあまり驚かなかった。妖精は、やはり小さな手で小さな頭を掻いた。まごうことなき神秘を目にしても、ちっとも驚かない。フェアリーは考えさせられた。これが現代というものだろうか、それとも、彼らが醒めているだけなのか‥‥。フェアリーは少年に名前を訊き、本人であることを確認した。幸いなことに、ナルイムの男と違い、彼は愛想悪くはなかった。
「凄い本だね‥‥。好きなんだねー、勉強が」
少年がノートに書き写していた建築学の専門書を覗き込みながら、フェアリーは感心して言った。そこに書かれてあるキリル文字や、たまに挿入されているいわゆる「アルファベット」――ラテン文字を読むことはできたが、内容はさっぱりわからなかった。図も、それが図であることはわかったが、何を表しているのかはよくわからなかった。
フェアリーが発した言葉は皮肉ではなく、そしてまた、「ああ、勉強は好きだ」と、少年の答も素直なものだった。十代でこのような即答を返せる者は、いつの時代も少数派だ。そして、少年の表情にも、戸惑いがあった。それを問いたげなフェアリーのいぶかしげな視線を受けとめて、少年は付け加えた。
「本当に好きなんだ。無理して言ってるんじゃネエ‥‥」
少年は、戸惑いの表情を隠せていなかった。世の常識的なセンを知っていたからである――しかし、それだけではなかった。
「‥‥積み重ねれば積み重ねたぶん、カタチになるからな。でも‥‥」
「でも‥‥?」
「‥‥俺がこう言うと――勉強が好きだって言うと、みんな変な顔をするんだ」
そこで少年は、気弱な表情を見せた。
「俺、変なのかな‥‥」
「先生には言ってみたの?」
「ああ、昔な」
それは、少年がスフミにいた頃の話であることは、フェアリーにも推察できた。ゾーヤから、少年の来歴を簡単に聞かされてきたのだ――その来歴から想像していたのとは、ずいぶん印象が違ったが‥‥。
「で?」
その違和感は口にせず、フェアリーは彼なりに、少年の話を引き出そうとした。
「『おまえがつきあってる連中は馬鹿なんだ。足を引っ張られることなく、勉学に励め』と、返ってきた」
「自分ではどう思ってるの?」
「いや‥‥そういうことじゃねえんだ」
「ん?」
「それは俺もわかるさ。そのころ俺がつきあってたのは、しょうもねえ悪ガキどもだった。いまじゃさっそくゴロツキの仲間入りした奴もいる。カスどもさ」
どうあれ、一時期は友達だった者たちに対してそんな言い方は‥‥しかしフェアリーは、そこには触れないことにした。
「――じゃあ、それでいいじゃない。そんな連中の戯言気にせず、先生の言う通り勉学に励めば。本当は、妖精のぼくがこんなこと言っちゃいけないんだけど、さ」
フェアリーは小さな舌を出してみせたが、だが少年は、まだ浮かぬ顔だった。
「いや‥‥そういうことじゃねえんだ」
「ん?」
「それで猛勉強して、この学校に来たんだが‥‥」
少年はため息をついた。その眼鏡の奥には、深い戸惑いの瞳があった。
「ここでも同じこと言われるんだ」
「それは‥‥、ま、まあ、同じことなんじゃないの? やっぱりこの学校の人らもさ、ある見方をすれば実は、以前君がつきあってたのと同じで‥‥。――世界っていうのはさ、君が思うよりもずっとずっと広くて‥‥君の昔の先生が言ったことも、言い方はよくないけど実はそういう意味で――ぼくの言ってること、わかるだろ?」
フェアリーは、小さな両手を振りまわし、彼なりに一生懸命説明した。
「わかるよ。それはわかるけどさ」
少年は、救いを求めるような表情でフェアリーを見た。フェアリーにはわからなかったが、少年がこんな表情を見せるのは、滅多に、いや皆無といっていいほど稀なことなのだった。それは、この少年の後人生でもその通りだった。
「‥‥俺がつきあいたいと思ってる、頭のよさそうな連中に、そう言われるんだ。なんでだろう? 本当にわからネエ‥‥」
少年は腕組みした。
「‥‥実は、君のことちょっと知ってるんだけど、この学校で、友達、いないんだよね‥‥?」
フェアリーは、少年が自分に拳を飛ばしてこないかと身構えつつ、用心しいしい言った。しかし、この、決して善良とは言えない少年の態度は、素直そのものだった。
「ああ、いない。いちおう、なんか変なサークルをやってる奴がよく声をかけてくるんだが‥‥なんかヤバイ活動らしくて、学校に睨まれてる」
少年は付け加えた。
「で、女は‥‥女どもは女どもで、俺なんか相手にしてくれねえ。たまに目があうと、汚いものでも見るように顔をそむけやがる‥‥」
少年の眼鏡の奥には、先刻とはうってかわった奥深い憎悪の光があったが、うかつにもフェアリーはそれに気づかなかった。良い方向に導けそうだ――そんな期待が、フェアリーを得意にさせ、ゾーヤから言い含められていた観察の作業を怠らせてしまったのだ。
(いや‥‥)
少年は少年のほうで、短い間、奇妙な戸惑いの表情を浮かべていた。
(昔はあいつがいたか‥‥。しかしあいつはな――)
妖精は、ふわふわ飛びまわりながら、建築家を志しているという少年にアドバイスを残して、窓から飛び去った。もう夕方だった。バクーの夕暮れのなか、小太りの少年の眼鏡が、夕陽を反射してキラリと光った‥‥。
「あれ‥‥珍しいな」
教室にいた数人の少年たちのひとりが、小太りの眼鏡の少年が自分たちを見ているのに気づいて、声をあげた。この眼鏡の少年は、その日の学課が終わると、まっすぐ帰宅――して勉強――するか、まっすぐ図書館に行って――勉強して――帰宅するかのいずれかが、常であった。それが今日に限って、こうして放課後の教室に姿を見せたのだ。
「おう‥‥」
眼鏡の少年は言った。
「それ、読ませてくれよ‥‥俺にも」
そして、妖精のアドバイスを思い出しながら、なるべく低姿勢で頼んだ。
「いろいろ教えてくれ」
頼まれた少年は、一瞬きょとんとしたが、すぐにその意味を理解した。
「なんだよ、おまえもやっと、やる気になったか」
少年はニヤニヤしながら、彼らの間の机上にあった大きな紙――新聞――を大事そうにたたんで、眼鏡の少年に差し出した。
「別に‥‥ちょっと読んでみたいだけさ」
向こうの見せる優越感に眼鏡の少年は怒りを抱いたが、妖精のことを思い出しつつ、彼としてはかなりの努力をして、そう嘯くだけにとどめた。また、彼は一方で妖精のことを疑ってもいたし、自分のこの行為が実際に自分にプラスになることなのかどうか、判断がつかないままでいた。だが新聞を手にしていた少年は、そんな彼の逡巡を、内気で未熟な人間の目覚め、と解釈してしまった。そして、なおも優越感を隠すことなく――少年がそれに気づかないわけはなかった――誰でも最初はそうさ、とでも言いたげに新聞を手渡した。
その新聞は、学校ではもちろん、国全体で読むことを禁じられている「プラウダ」であった。少年たちは、この学校の秘密のマルクス主義研究サークルのメンバーだった。地区のボリシェヴィキともつながっており、事実上その下部組織でもあった。
「歓迎するぜ、ラヴレンチー‥‥!」
新聞を手渡しながら、サークルの少年は叫んだ。小太りの眼鏡の少年の目はさっそく「プラウダ」の紙面の上を泳ぎ始めていたが、彼の心の奥底の暗い部分もまた、蠢き始めていた‥‥‥‥。
彼自身、それははっきりとは自覚できていず、ましてやサークルの少年たちにわかるはずもなかった。
「‥‥いや、いまからはこう呼ぼう。俺たちはこう呼び合ってるんだ。ようこそ、同志――。同志ラヴレンチー・ベリヤ‥‥!」
ラヴレンチー・パーヴロヴィチ・ベリヤは、一八九九年三月、黒海は東沿岸、グルジアのアブハジア地方で生まれたミングレル人(メグレル人)である。黒海の東海岸には北にスフミ、南にはバトゥミという二つの港町があり、その間に多くの村々が連なっている。そのひとつに、ミヘウリと呼ばれる、内陸に数マイル入ったところにある村がある。スフミからさほど遠くはない。このミヘウリを含め、周辺はミングレル人の居住する地域である。ミングレル人。グルジアにおいては少数民族である彼らは、しかし、旧くはコルキス王国にその起源を持つ。
コルキス王国とは、実に紀元前六世紀から紀元前一世紀にかけて存在した最初のグルジアの国家であり、高度に発達した青銅器文明の中心地であった。コルキス王国については、さらにそれに先立つ紀元前一三世紀、この物語が始まる実に三千年以上も前に、西グルジアにおいて成立していたとする説もある。コルキスの名は、西方、ギリシアの神話にも登場する。アイエーテースの金羊毛の話がよく知られているが、英雄プロメテウスが岩山に鎖で縛られ、ハゲタカに肝臓を啄ばまれたとされるのも、このコルキスの地である。ミングレル人とは、この豊かな伝説と謎に満ちた史上の国家、コルキス王国の末裔である。西方、すなわちヨーロッパには、十字軍の遠征の際にも、その名が知られることになる。そして時はくだり二〇世紀、再びこのミングレルの名が時のヨーロッパに、アメリカに、すなわち全世界に届くことになる。ひとりの男によって。その男こそ、ラヴレンチー・ベリヤ。若くしてソビエト連邦の支配中枢の階段を昇り詰め、スターリンの後を襲おうとした男であった。歴史の歯車が少し違う動きをすれば、この男の名はもっとよく知られ、その正体が明かされたときには、全世界が震撼したことであろう。これから描かれるのは、その――違った動きをしなかった――歴史の、部分部分の小口断面図である。‥‥すべてを描くことは、とてもできない。
彼の故郷、スフミの町の学校では、少年ラヴレンチーのあだ名は「探偵」であった。教室で、ある生徒の所持品が盗まれる。生徒たちは、誰や彼やと疑い始める。ほどなくして名探偵ラヴレンチー・ベリヤが登場し、推理を披露した後、その品を探し出してみせるのだ。もちろん、犯人は言うまでもなく、この第一発見者である――彼はこういうことを、ほんの、ごく小さい頃からやっていた。
しかし、こんな幼いやり方は、年長になるにつれ通用しなくなる。教師にばれてこっぴどく叱られ、また上の学年の札つきグループから目をつけられ、ばらすぞと脅され、金品を要求された。しかし少年ラヴレンチーは、そんなことではへこたれない。その教師の机から紙巻煙草を失敬すると、その札つきグループに上納し、今度はそのことを校長に密告する投書を書く――煙草くらいではダメージを与えられないと見るや、大胆にも校長の部屋に忍び込み、金鎖の時計を拝借した。激怒した校長は、全校生徒を集め、おとなしく自首すれば鞭打ち五回だけで放免するが、もししてこなければ警察に突き出す、と宣言する。そして翌日、その懐中時計を札つきグループのたまり場になっている場所で見た、という内容の、新聞の活字を切り抜いた悲痛な投書が、学校のある場所で見つかるのである。学校の体面を考えた校長の判断により、札つきグループはそれぞれ鞭打ち十五回の刑となり、少年ラヴレンチーは自分の物を取り戻したのだ。グループは教師たちの監視下に置かれ、解散の憂き目を見た。
しかし、しばらくしておかしな噂が立ち始める。校長が宣言した後も学校に盗品を置いておくほど、あいつらはマヌケだろうか、彼らに罪をなすりつけたい真犯人が別にいるのではないか‥‥と。少年ラヴレンチーは肝を冷やす。彼らに怨みを抱きそうな人間探しが、教師と生徒双方の間で、なんとなく始まったのだ。少年ラヴレンチーは何食わぬ顔で、そういえばあいつが‥‥等と口走っていたが、自分の「前科」を知っている人間は少なくなく、しばらく容疑者のひとりとして見られることになった。この件は結局、うやむやになった。校長は校長で、もし冤罪であったら、いくら札つきグループとはいえ、権威ががた落ちになるからで、彼も噂の沈静化に努めたのだ。少年ラヴレンチーは学ぶ。校長の部屋に忍び込むのも危険だし、集団の推理力、警察的な力というものを侮ることも危険だと。
しばらくおとなしくしていたラヴレンチーが再び名を馳せるのは、かなり時間が経ち――学年が上がるにつれ、彼の旧悪を知る人間は減っていった――校内で再び盗みが増えてきた時期である。少年ラヴレンチーは、決して自分に嫌疑がかからないやり方で、その盗品を探し出してみせる術を身につけ、「探偵」の名を不動のものにしていた。それでも、こそこそと彼の名を口にする生徒もいたため、彼はより大きなトラブル――混乱を引き起こしてこれらの囁きを消す、という作戦に出た。
この学校に視察にやってきた郡の視学官がいた。校規の荒廃を聞き及んでいたこの視学官から、こともあろうに財布――相当な額が入っていた――を盗んでみせたのである。少年ラヴレンチーにとって久々の、大きな賭けであった。前回を上回る規模で、学校中が上を下への大騒動になり、無実の生徒たちがひどい疑いをかけられた。ほどなくして、地域を管轄している警察署長がお出ましになる。警察に投書があったというのだ――目を白黒させている校長の机の引き出しから、財布が出てきた。校長は失踪した。日頃、権威をかさに着ていた「ツァーリ」の落日を喜ぶ、「人民」の歓呼の声。これと、一連の騒動のなかで、ラヴレンチーへの陰口はかき消された。
高等技工学校に来てからは、さすがにこの手は使わなくなった。優秀な工学校とはいえ、彼のような悪もいたし、地元の犯罪組織と結びついている者もわずかながらいた。そしてベリヤ自身、そういった不良行為に飽きていたのだ。もっと、合法的なやり方でのし上がりたかった。建築家を志していたのは、本気だった。若い彼は――貴族でも、金持ちでも、ロシア人ですらない――自分がこの社会で認められるのは、立派な建築物をつくり名を知られることだと考えていた。しかしその志も、故郷を遠く離れた広い世界と、その社会――ロシア帝国――自体の混乱によって、危ういものとなっていた。以後、彼は二股をかけることを得意としてゆく。この表現がいささか下品なら、東洋の麻雀という卓上ゲームでいうところの〈両面待ち〉である。
マルクス主義研究サークルの一員となり、他のメンバーと共に地区ボリシェヴィキの集会に参加しながらも、学校側には悟られないように努めた‥‥いざとなったらいつでも彼らを売り飛ばす腹づもりであった。とはいえ、このサークル自体、幼い時分から犯罪者と〈警察官〉をやっていたベリヤから見れば、実に危うくて仕方なかった。
――そして、大変動の年、一九一七年が訪れた。二月の最初の革命は、遠くペトログラードやモスクワでのものであり、この地方都市バクーでは、すぐに何もかもが変わったわけではなかった。しかし、ツァーリの廃位を始め、ただごとではないことが起こっていることは誰もが感じ、そして誰もが浮き足立っていた。十代の少年たちとくれば、なおさらそういった時代の匂いには鋭敏だ。サークルのメンバーは、熱狂していた。そのなかに、われらがラヴレンチー・ベリヤもいた。慎重に、ことさら慎重に、自分の未来を見極めようとしながら‥‥。
この頃、ラヴレンチー・ベリヤは、サークル内である提案をした。実は、地区ボリシェヴィキ内で〈軍隊内ボリシェヴィキ細胞〉案が出されていた。メンバーのひとりが軍に志願し、そこで同志を増やしてゆく、というものである。若い学生で構成されているサークルに早期にその役割を担ってほしいという旨の通達があり、彼らを悩ませていた。臨時政府は戦争を継続しており、軍に入れば、最前線に送られるかもしれないのだ。早期に――地区ボリシェヴィキはせかしていた――ということは、卒業前ということなのだ。少年たちは急に現実的になり、互いに顔を見合わせては、俺はできないよ、とジェスチャーや言葉で伝えあっていた。ラヴレンチー・ベリヤは、その危険で損な役を自分がやろうか、と提案したのである。最初にベリヤに「プラウダ」を手渡した少年は、事実上サークルを取り仕切る役で、彼は感激し、ベリヤは新参者にも関わらず、たちまちサークル内で英雄扱いされることになった。そしてサークルを取り仕切っていた少年の計らいで、アナスタス・ミコヤンという党の大物――彼らから見れば――に紹介された。
「お初にお目にかかります。同志ミコヤン、本日は党員としてお話をうかがいに参りました‥‥!」
若きラヴレンチー・ベリヤは、張り切って挨拶した。しかし、ミコヤンという男は、
「ラヴレンチー・ベリヤ君だね。連絡は受けてるよ。君の処遇については後で係から連絡がある‥‥」
と、われらがラヴレンチー・ベリヤを少し見やっただけで、またデスクの上の書類に忙しそうに視線を落とした。彼はベリヤやサークルの少年たちより幾つか歳を重ねているだけであったが、すでにしっかりとしたポストに就く、いっぱしのボリシェヴィキ党員であった。ラヴレンチー・ベリヤは長い間待たされ、やがて他の地区の少年やもっと年上の労働者たちと一緒に説明を受けた。少年は、嫌でも学ばねばならなかった。自分は大勢いる人間たちのほんの一例に過ぎない、ということ――そして、自分は簡単に代えのきく存在であり、自分の代わりなど本当にいくらでもいる、ということを‥‥。
アナスタス・イワノヴィチ・ミコヤンは、一八九五年、ロシア帝国領アルメニアのサナーヒン村で生まれた。神学校で教育を受けた後、一九一五年、ボリシェヴィキに入党した。カフカースにおける革命運動の――活動家というよりは――指導員として、若くして頭角を現した人物であった。
――ラヴレンチー・ベリヤは約束どおり軍に志願し、卒業を待たずに兵隊となった。すべては計算ずくであった。われらがラヴレンチー・ベリヤは、より大きな規模で両面待ちをすることにしたのだ。ボリシェヴィキが臨時政府を打ち倒すのなら、地区の若き勇敢な同志として。‥‥臨時政府が力を得て、ボリシェヴィキを圧倒するなら、軍隊の一員として、地区ボリシェヴィキの情報を洗いざらい流そう、と。危険な最前線に送られるか否か、それだけが賭けであった。
ラヴレンチー・ベリヤ。背が低く、小太りであるという身体的特徴は――ヨシフ・スターリンと同じく――彼にコンプレックスを持たせていた。勉強に打ち込むことによって、コンプレックスを解消しようとした点も同じである。ただスターリン――ヨシフ・ジュガシヴィリと異なり、ベリヤの勉学への熱は、いわゆる十代になってからも醒めることはなかった。放課後、表で遊ぶ習慣は、小学校時代の末頃からなくしていた。彼の家もまた貧しかった。蝋燭代を節約するために、日が明るいうちに勉強せねばならなかったのである――前述のように、この習慣はテフニクムに来てからも基本的には変わらなかった。このような勉強熱は、彼に近視と眼鏡を与えることになっていたが、近視はともかく眼鏡姿は、彼は気に入っていた。インテリゲンツィヤっぽく見える――少年の心にそう思わせたのである。手は白く柔らかく、多汗症気味であったといわれる。
彼は黒っぽい服装を好んだ。スフミ時代、特に幼い頃は、自分を目立たせたいと感じていた彼であったが、悪行に手を染めるうちにそれは危険を伴う行為だということを覚えるようになり、貧しさも手伝ってここバクーの街ではそのようになっていた。
――世界は色に溢れている。自分がそこの登場人物であることは間違いない。だが、自分が観察しているのと同じくらい、あるいはそれ以上に、他人もまた人間観察という行為をしているのだ‥‥。
ミングレルという己の出自も、この国際都市では、ちっぽけなものに思えて仕方なかった。
若者は、カスピ海からの潮風に吹かれながら、貨物港への道をぶらぶら歩いた。好きな場所がそこにあったのだ。そうは思いたくないが、これが最後の機会になるかもしれない――。
バクーの街頭には、実に多様な人々が往来していた。耳覆いのついた毛皮帽に羊皮の服、やや小柄なタタール人。長い黒の上衣に黒の半ズボン、黒のブーツ、ベルトには短剣を挿したレズギン族(タゲスタン族)。小さなビーズ玉の飾り縫いの頭巾の、イラン人。長く白い、大きくゆったりとした衣服に、頭にはターバンのアゼルバイジャン人。背の高いタヂック人。聞き慣れない方言を話す各地のコサックたち。赤い帽子のチェルケス人。馬に乗っていないときでも手から鞭を離さないキルギス人。フードつきの牛飼い服のクルド人。ヤギや羊の群れを追うモンゴル人。――アルメニア人やロシア経由のユダヤ人は、一目でそれとわかる服装をしている者もいれば、背広を着ていて、近くで言葉を聞かないとそうとわからない者も多かった‥‥。以上は男たちである。チャパンと呼ばれる中綿入りの色柄の上着のウズベク人女性の脇を、黒や白のローブを着たヴェールで顔を覆ったムスリムの女たちが歩いていた。かかとまであるズボンの上に、くるぶしまで届くゆったりした朱色のケテニ・コイネックを着たトルクメン人女性も‥‥。
(広い世界、か‥‥)
民族文化、という言葉は知らなくても、この街は、それを文字通り肌で感じさせてくれるところだった。彼はすでに幼少の頃から、少数民族として他民族の文化と接してきた。学校では先のように悪賢く立ち回り、現在の高等技工学校と併せて、札つきグループから正義漢、自由放埓を好む者から法(校則)と秩序の使徒――素直な「信者」もいれば、「大衆」の個々ばらばらな欲望を考慮した場合それがいちばん妥当な「装置」であるから、という醒めた支持理由の者(なかには、醒めているがゆえに熱狂的に支持する者もいることの「発見」は、彼を心底面白がらせた)と、そのなかにも様々な者がいた――まで、年若いとはいえ様々なタイプの人間と接することにもなっていた。世の中には多種多様な人間がいる。そんなことは、彼にとって、当たり前の大前提だった。
(問題なのは――)
若者は考える。
(世の中が、どういう仕組みをしているかだ‥‥)
討論の際など、サークルのメンバーはよく「社会構造」という言葉を口にしていた。
(――君は何をしたいか、なんてことも大人からよく訊かれるが‥‥)
若者は、こうもひとりごちる。
(何をしたいか、だって――? 問題は、どんなグループに入るか、その選択だろう‥‥)
この若者にとって、「グループ」とはイコール「組織」であった。
(ボリシェヴィキは、果たして――‥‥)
未来は不透明で、現在を不安定にさせていた。そしてまた若者は、このような民族の区分けとは別に、
(それに――‥‥!)
と、自分が世界の半分を占める種族から不当な扱いを受けている立場だということをあらためて思い出し、常たる怒りを全身に漲らせたのだった。しかしまた、マルクス主義研究サークルでのあるやりとりを思い出してもいた。
(女か‥‥――)
サークルに入ったことで友達はできたが、
(俺がモテない問題は――)
一向に解決していなかった。
それで彼はあるとき、サークル内でこの問題を口にしたのだが、笑い飛ばされてしまった――さらに怒りを覚えた――が、普段は女っ気のない、ニコライ・ロマノヴィチという物静かなメンバーが、真面目な顔で、
「いや、性の不公平、そういうのも真剣に討議すべき問題だよ。俺たちは社会の不公平を正すために闘っているんだから」
と言い、自分は直接見知っているわけではないが、ヤロスラヴリのルイビンスク生まれで、逮捕されてしまったけれど、そういう問題に取り組んでいた同志がいた――などという、他所ではなかなか聞けない話をしてくれたりしていた。
(すぐに役に立つかどうかは別にして――)
若者はひとりごちる。
(いろんな奴と交流するのは悪くない。周りの景色が――視野、というやつか――広くなるし、なんというかな‥‥自分の蓄えになる。勉強と違って、積み重ねることが意外と難しいが――)
若者は、敏感な鼻に海草とニシンの匂いを覚えながら、カスピ海への貨物港の青い建物に入っていった。そこは倉庫の太くて短い柱に繋がれた大きな艀で、内部には切符売り場や荷物貯蔵室のほか、売店を兼ねたビュッフェがあった。灯油とニシンの匂いがし、床は生木のまま藁が敷かれ、安いキャンディー、ゆで卵、塩味つきコーン・ケーキ、ヒマワリの種、ピーナッツ、櫛、安全ピン、郵便切手、新聞‥‥等々が雑然と並べられている狭い店だが、彼のお気に入りの場所だった。船員が利用するため、貧しい未成年の彼には入りにくい街の酒場と同様、広い世界からの情報を収集できるのだ。売り物と同様、質は問えないが――。
カウンターの高い椅子に腰をかけ、この店の唯一のアルコールであるビールを注文した。船の時刻表と政府広報が貼られた落書きだらけの壁に目をやりつつ、
(この眺めとも当分の間、お別れか‥‥。ここに「プラウダ」が並ぶ日は来るか――)
と、この若者なりの感傷を込めてグラスに注がれた安いビールをすすろうとした。そのとき、
「ベリヤ先ぱ~い!」
と場違いな少女の声が飛んできた。
「‥‥‥‥」
振り向かなくても声の主が誰だかはわかったが、ラヴレンチー・ベリヤは、仕方なくのろのろと振り向いた。思うのと違う人物――例えばとびきりの美少女――であったりすれば面白いんだが‥‥。
「いいんですかー? 未成年がビールなんか飲んでー」
立っていたのは、思った通りの人物だった。そうだ、そんな夢みたいなことなんて、現実に起こるわけがない。面白いこと、愉快な人生は、己の手でつかむものだ。俺はそれを、いまからやろうとしているというのに‥‥。
何が入っているのか、そこで大きなバッグを肩にかけていたのは、小柄な少女だった。「ノンヌーシュカ」――ノンナ・タカシヴィリ。柔らかそうだが少しはねた、それほど長くはない髪。赤みのある頬には、そばかす。よく言えばあどけないとも言えるが‥‥常にぽわんとした表情。
「見かけたから、あとを尾けてきましたー」
ノンナ・タカシヴィリはあっけらかんと言い、ベリヤの心を重くさせた。こんな奴に――。油断は大敵だ‥‥。
彼は、世の中の半分を占める女性、特に年頃の少女から酷く疎まれていたが、唯一の例外がこの少女だった。フェアリーに女性への憎悪を語った際、彼が妙な表情をしたのは、この少女を思い出したからだった。しかしまた、彼にしてみればこの少女は、家族とともにスフミに残してきたはずの、田舎くさい部分でもあった。若者は、かつてこのバクーへ来た日のことを思い起こした。スフミにいた時代のことも‥‥。
少年は、母親が知りあいの、スフミ市の大きな洋服生地店に預けられていた。ここのイェルコモシヴィリという旦那は貿易商も兼ね、店は使用人を多く使う大きなところだった。空き部屋があり、少年はそこで寝起きさせてもらっていた。使い走りをさせられることもあり、駄賃を貰えたが上下関係の厳しさも覚えるところとなり、前述のような悪行の一方、彼はこの頃から世知に長け、また自分がどんな社会的立場にいるか承知しつつ、街を闊歩していた。この少女は、その洋服生地店の使用人の知人の娘で、店にも何度か、そしてミヘウリにある少年の実家にも何度か来ていた。父親は教員で、トビリシやバクーにも住んだ経験のある、そのときはスフミ市で少年と同じ学校に通う後輩でもあった。
少年にしてみれば、幸福とは言えないにせよ、その頃はまだ自由な時代だったのかもしれない。そのうちに彼の父親が亡くなり、母親もこの同じイェルコモシヴィリ旦那の店で働くことになったのだった。女手ひとつで、少年を含む四人の子どもを養うことに‥‥。それはちょうど大戦の時期、生活用品は塩に至るまで何もかもが驚くほど値上がりした時期で、一家の生活は苦しくなった‥‥少年にとり、それは暗黒時代であった。同時に、それまでで最も勉学に打ち込んだ時期でもあった。
努力はとりあえず報われた。彼の勉強熱心ぶりとその結果は、洋服生地店の店員にするにはもったいないとイェルコモシヴィリ夫妻に思わせるだけのものがあったのだ。彼は未来への切符を手に入れることができた――つまり、このバクーの高等技工学校へとザカフカース鉄道でひとり旅立てる切符を‥‥。普段ならスフミからバクーへの鉄道の旅は二日以内だが、戦時のため三日かかった。線路上の、ロシア帝国のキリル文字でも、グルジア文字でもない、奇妙な文字が大書きされた黒いタンク車の群れの姿が、若いとはいえ身体の節々が痛んでいた到着の朝の少年の目に、飛び込んできた。ここでは、いったい何が起こっているんだ‥‥?
「前も来てましたよねー。ここ、好きなんですねー」
ノンナ・タカシヴィリは、断ることなくベリヤの隣の椅子に腰かけた。大人の男の船員向け、しかもあまり長居してもらっては困る仕様で、椅子は高い。少女は脚をぶらぶらさせている。それでなくても、基本的に船が着くとき以外は暇だから俺はこの仕事を選んだのだ、とでも言いたげな顔の店員は、この未成年ふたりを明らかに歓迎していなかった。ベリヤもそれがわかったから、ノンナがソーダ水を注文すると、大きなサイフォンからグラスに注いで、辺りをきょろきょろと見まわしている少女に出してやった。自分は何故こんなことをしているんだろう‥‥と思いながら。
「ほらよ、ノンヌーシュカ」
ノンナ・タカシヴィリはソーダ水をすすりつつ、口を尖らせた。
「『ノーニャ』か、そのままノンナって呼んでくださいよ。いつも言ってるじゃないですか。人の名前はちゃんと呼ばないとぉ」
「ノーニャ」も「ノンヌーシュカ」も、どちらも本名「ノンナ」の愛称だが、ベリヤは彼女を「ノンヌーシュカ」と呼んでいた。そのほうがロシアっぽい響きがすると感じていたのだ。しかし、こいつのこの甘ったるい口調は、どうにかならないものか。ぽわんとした表情と合わせ、聞いてて苛々してくる。
「ベリヤ先輩、テフニクムを卒業したら、どうするんですか? けんちく、ですよね? すごいなあー。すごーい」
こいつはいったい、いまの世の中のことを知っているのだろうか。いぶかりつつ、ラヴレンチー・ベリヤは、ビールのグラスを傾けた‥‥。
‥‥ノンナ・タカシヴィリの口癖は、この「すごーい」だ。それ以外に人を評価する言葉を知らないのではないかと疑わしいほどに。ベリヤには妹がいるのだが、この妹の発案で、ノンナがこれを一日に何回言うか、きょうだいで数えてみたこともあるくらいだ。
スフミ時代、このノンナは、彼ベリヤを疎むどころか、尊敬の眼差しで見てくれているところがあった。彼女はずっとスフミにはおらず、教員である父親の仕事の関係で、一時期このバクーにいた。それはベリヤが「活躍」していた時期、その悪名が最も囁かれていた時期と重なっていた。彼がスフミからこのバクーへ行くと聞いたとき、ノンナはわんわん泣いて、ベリヤをうんざりさせた。しかし、彼が不在の間に、彼女のなかでベリヤへの尊敬の念がさらに高まっているらしいということが、母親からの手紙に添えられた妹からの文章に綴られていた。優秀校テフニクムの評判を、バクー住まいをしていたノンナはよく知っていたのだ。
バクーに来てから、自分が女性に相手にされないことを痛感し、年を経るごとに憎悪を募らせていたラヴレンチー・ベリヤだが、このノンナのことは、基本的には念頭になかった。彼女のことは過去のものにしたいスフミ時代と密接に結びついていたし、高等技工学校の授業は最初からレベルが高く、その面でも必死にならねばならなかった。スフミからこのバクーへ来るときも、少年は、これからの人生のために、過去と区切りをつけようとしていた。
ベリヤは彼女のことは忘れていたのだが、あるとき彼女と再会していたのだった。彼女もスフミ市の学校を卒業後、こちらは父親の仕事の関係で、このバクーに来ていた。それは、あのテフニクムの図書館で妖精と出会い、マルクス主義研究サークルに入会した時期と重なっていたのだが、ラヴレンチー・ベリヤは、そのことを何かの符号だとは思わなかった。
(しっくり来ない、というやつか‥‥)
なんというか、このノンナを前にすると、平素の自分の感覚が、狂ってしまうところがあった。サークルの――。
(‥‥哲学好きのニコライがちらっと言ってた「意識が曇る」というのは、これなのか? ――マルクスからヘーゲルとかいう昔の人間へのそこうがどうとかいう話だったな‥‥残念だが、わかんなかった――。生意気な女たちが言う「異性として意識できない」というのは、これか? だとすると、あいつらは凄く頭がいいということになる‥‥。とてもそうは思えねえが‥‥)
ノンナ・タカシヴィリは、間の抜けた――と、ベリヤには見えていた――ぽわんとした表情で、またとめどもなくあちこちを――店の雑多な商品、船の到着時刻が近づき働きだした艀の労働者、彼が来だしたのと同時期にここで飼われだした紫灰色の毛なみの猫‥‥等々を、落ち着かない様子で無作為にきょろきょろと見まわしている。口を開けば、どうでもいいことばかり喋りやがるし――。
(――こんな奴に、そんな深いものが? まさか‥‥。どうしたんだ、俺は‥‥)
彼女と会っていると、こういうふうに考える必要のないことまで考えてしまう。ラヴレンチー・ベリヤは頭を振り、普段の自分のペースを取り戻そうとした。
(考えすぎだ。「現代人は、必要のないことまで考えすぎて、人生を過つ」――ニコライの言う通りだろう‥‥)
ベリヤは、これからのことを話した。テフニクムには休学届けを出し‥‥。
「えー! うっそぉ! ベリヤ先輩、軍隊に行くんですかぁー?」
少女の素っ頓狂な声に、店員も、それほど多くはない他の艀の労働者と乗客も、何事かとこちらを見る。ベリヤは顔をしかめた。この街には、様々な人間がいるのだ。正体を隠して歩きまわる――。ボリシェヴィキのメンバーもいる。しかし、オフラーナの残党もいた‥‥。アゼルバイジャン・オフラーナは二月革命により解散の憂き目を見ていたが、その構成員やスパイ網は残ったままだった。
「――不確かな情報だが‥‥」
他の者と一緒にミコヤンのところで聞いたのは、彼らが臨時政府に集団でリクルート活動をしているようだ、ということだった。実際、彼らが使っていたスパイ――といっても小遣いを貰って動く程度の――が帝政崩壊後もいまだ活動していることが、地区ボリシェヴィキによって具体的に突き止められていた。
「また‥‥」
とアナスタス・ミコヤンが言うには、早くもイギリス――大英帝国がこのバクーにもスパイを放っているようだ、ということだった。こちらはいまのところベリヤにとっては安全だが‥‥。聞いたときは、本当だろうか、大袈裟に考えすぎでは‥‥と思った。他の者――労働者が多かった――も同意見のようだった。が‥‥アナスタス・ミコヤンは淡々と、しかし厳しい声で、黒板を示しながら言ったのだ。
「奴らを軽く見るな」
ベリヤたちの笑いが引っ込んだ。
「奴らは、目的のためならば、どんな手の込んだことだってする。拷問だけが得意のオフラーナとはわけが違う。――情報、だ。それが何よりも大事だということを、徹底して教育されている」
そこには、若いがそれなりの指導員であるミコヤンをして、羨ましがらせるものがあるようだった。
「奴らは洗練されている。われわれは、そのうち嫌でも彼らと対峙し、それを痛感させられることになるだろう‥‥」
そしてミコヤンは、彼らの手の込みようの一部を語った。スパイがこちらの風習をよく教育されていること。具体的には、長年バクーに、またカフカースに住んでいると思わせるため、言語教育を受けてきているということ。ロシア語は当たり前、アゼルバイジャン語(アゼリー語)も不自然でない程度に使う者もいるし、アゼルバイジャン訛のロシア語などという教育も行なわれているようだ。さらにグルジア訛、アルメニア訛‥‥カフカースではないがウクライナ訛のロシア語などという教育も行なわれている可能性が高い――。
まだぼうっとしている顔の者もいたが、ラヴレンチー・ベリヤは真面目な顔つきになった。重要な話だとわかったのだ。彼は黒板の略図と幾つかの名前、そしてミコヤンの言葉を、頭に刻み込んだ。――目的のためならどんな手の込んだこともする。情報が何よりも大事。教育‥‥。そうだ。これからは、建築学に代わりこれが俺の勉強なんだ。しかし、そのような優れた外国のスパイが入り込んでいるのなら――。
「――われわれも、そういった組織を作るべきではないでしょうか?」
ベリヤが言おうとしていた言葉を、別の労働者が放った。後から考えれば、その「労働者」はさくらだったのかもしれない。ボリシェヴィキはそんなことは当たり前のようにする。これを聞いたアナスタス・ミコヤンは、白墨を持つ手を止め――演技かもしれない――考える表情になった。
「それは、いまここで、われわれが考えるべきことではない‥‥」
ミコヤンの口調は、どこまでも淡々としていた。表情や身振りからも、何も読めなかった。若きラヴレンチー・ベリヤが内心嫉妬する、涼しい顔で嘘八百を並べたてるインテリゲンツィヤの姿だった。俺もこうなりたい――。
「――が、ただいまの同志の提案は、たいへん貴重なものだ。諸君ら労働者・学生の肉声は、われわれも極めて重要視している。今日の討論においてこのような具申がなされたと、私からも上に報告してみよう‥‥」
若きラヴレンチー・ベリヤは、マルクス主義研究サークルとはわけが違う、大人の世界のからくりに触れたと感じた。アナスタス・ミコヤンは、カフカースの組織のかなりの有名人の名を出して、続けた。
「実は、同志グリゴリー・オルジョニキーゼからも報告が出されている。集会においてそのような声が労働者から多数寄せられていると‥‥。――労働者・学生諸君らの、組織を思う真摯さには、われわれもたいへん感激している(と、感情表現というものが苦手そうな彼は、淡々と述べた)。‥‥いや、感激するだけでなく、応えることが、われわれの責務であろうと痛感している――」
大きな拍手が湧き起こった。これもさくらが着火したのかもしれない――ベリヤも手を叩きながら、あだ名とともに耳にしてはいたその人物の名を反芻した。グルジア、アゼルバイジャン、そしてアルメニアの三ヶ国のボリシェヴィキ組織の有力な党員――いわゆる「大物」――「セルゴおじ」ことグリゴリー・コンスタンティノヴィチ・オルジョニキーゼ。彼から見れば、雲上人とまではいかないにしても、組織内における権力と権威、名声を体現する――ボリシェヴィキ内ではこれは「指導力」なる用語で現されることを、最近学んでいた――男の名であった。
さて――‥‥軍への志願自体はそれほどおかしなことではないが、自分の仕事を考えると、少なくとも触れまわって得することではない。
「いつ、ですか‥‥?」
ノンナ・タカシヴィリが聞いてきた。
「すぐだよ。せかされてんだ」
――誰に、とは言わずに済んだ。危ない危ない。どんな一言から裏の目的――正確には表向きの裏の目的――〈軍隊内ボリシェヴィキ細胞〉――の糸が解れるか、わかったものじゃない‥‥。幸い、ノンナ・タカシヴィリは、深く追求しなかった。
「また‥‥会えないんですね‥‥」
ノンナは早くもじわっと涙を浮かべ、ハンケチを取り出して拭いていた。よく見ると男物だ‥‥。妙な表情のベリヤに、ノンナは言った。
「これ、パーパの‥‥。ベリヤ先輩、観察眼鋭いですね」
ノンナ・タカシヴィリはぐずぐず泣きながら、そのハンケチをベリヤに差し出した。
「これ、あげます。ほんとはもっとちゃんとした物贈りたいけど‥‥突然なんだもん」
「いらねーよ、そんなの」
「あげます。貰っといてください」
ノンナは、しかめ面のラヴレンチー・ベリヤの上衣のポケットに、そのハンケチをねじ込んだのだった。とにかく、こいつとは――スフミでの冴えない思い出とは、とっとと縁を切ろう――。
「俺は大人になるんだ。おまえも、いつまでも子どもじゃないんだぞ」
「――‥‥‥‥」
「忘れろ、俺のことは。俺もそうする」
‥‥ラヴレンチー・ベリヤはビールを飲み干し、グラスをカウンターに置いた。船が到着する時間だった。ガヤガヤと人が増え始める。店員が、居座るふたりに嫌な顔をし始めた‥‥。
「ベリヤ先輩、えらくなってね。すごーいすごーい、えらくなってね」
戦争や世の中の見通しなど、もっと他に話すことがありそうなものだが、ノンナ・タカシヴィリはそれらには触れず、別れ際、ベリヤにそう言って手を振り、市場の雑踏に消えていった。
(言われなくてもな――)
彼女にはもちろん、ボリシェヴィキのことは話していない。だから軍隊のなかでという意味だろうが、若者は自分のなかで変換して、ひとりごちた。そして少女が消えた市場と反対方向に夕暮れの街を歩きながら、心を決めた。スフミ、ノンヌーシュカ、バクー、そしてテフニクム‥‥。少なくとも当面は、きれいさっぱり忘れよう、と。
(これっきり、だ――。足を一歩踏み出すごとに忘れてゆこう‥‥。これから俺が見なくちゃならないもの、考えなくちゃいけないことは、山ほどあるってもんだ‥‥)
彼には、女性に対するものとは別に、もうひとつある人々に対する憎悪があった。こうして歩いていると、嫌でも彼らの物が目に入ってくる。バクーの街を見おろす白亜の邸宅、そして、彼らの文字‥‥。
あのバクーへの到着の朝に見た文字も、これだった。タンク車は、カスピ海の油田を採掘して精製し、それを世界中に売る外国企業のものだった。そして、あの朝ザカフカース鉄道の三等車の窓から見た印象的なものは、それらだけではなかった。どこか石油の匂いがするなか、いまにも屋根が落ちそうだったり実際に落ちてしまっている貧民窟のそばも列車は走り抜けた。車輪をはずされて放置されている老朽車輌にも、人が住んでいた。洗濯綱が張りめぐらされており、子ども達は楽しそうに走り回っていたが、大人への入り口に立つ少年は、その光景を楽しむことができなかった。それは、後に彼があちこちで目にすることになるラテン文字だった。街で、そして、テフニクムの図書館に並ぶ専門書の頁で‥‥。
「――COMPANY」、「――Co.Ltd.」‥‥イギリス人が多かった。彼らに代表される「西欧人」たちは、先の諸民族の人々とはどこか、しかしはっきりと異質であり、この土地では新参者であるにも関わらず、もっともわがもの顔で振る舞っていた。若者もこのバクーでは新参者の部類に入るが、彼らの他との異質性、搾取によって富を得ている構造を見抜くのに、長い時間はかからなかった。若い彼も、いや若いからこそ、彼らへの憎悪を募らせていた。
「支配しようと思うな‥‥それが罠‥‥奴らと同じ目つきになる‥‥」
最近街で何度か目にしていた黒いプラトークを目深に被る物乞いの老婆が、使い込まれたバラライカを手にロシア語で歌っていた。ロシア人のようだ。それだけでも恵まれている立場のくせに。どんな人生があったかは知らないが、哀れな、蔑むべき奴。あんなみすぼらしいなりの婆あがいる景色とも、とりあえずお別れだ。俺は人生を変える。
夕暮れのバクーの街に、風が吹いていた。何世紀もの間ここに吹いてきた、ニシンと海草の匂いの風が‥‥。
ラヴレンチー・ベリヤは前線といえるオデッサに送られたが、学校で得た知識――真っ当なほうの――が役に立った。機械を扱える技術員が不足していた同地の軍は、工学校に通っていた知識ある青年を、並の一兵卒のように銃弾の雨に晒すようなことはしなかった。ベリヤはそこで機械の修理、整備、ときには臨時の電信士として情報をやりとりし――これは彼の興味を引いた――そうこうするうちに十月革命を迎えた。
大きな賭けには勝った。ボリシェヴィキはペトログラードで臨時政府を倒した――つまり、ベリヤは選択肢のひとつを取ることになる。裏切る算段もしていたことなど、口にするどころか、きれいさっぱり忘れることにした。ここまでは、問題はなかった。ボリシェヴィキは対独単独講和を成した。レーニンの巧みな駆け引きには遠方からベリヤも目を見張ったが、他人を崇拝する、という心情などかけらも持ち合わせていないこの男は、ただその技術だけを盗みたいと思うだけだった。彼は除隊し、バクーに戻り、高等技工学校に復学した。彼が不在の間に、ノンナから手紙が届いていた。
「先輩がこれを読む頃には、たぶん私はバクーにはいません」
教員の父親の都合で――中央での政権の移り変わりが影響しているのかどうか――バトゥミに行く、ということであった。それでなくても彼女のことは、ほとんど忘れていた。
ベリヤは、今度は完全に「ノンヌーシュカ」のことを忘れることにした。きれいさっぱり、だ。もう、昔の俺じゃない。そして、世の中は激動している。
問題は、これからであった。世の中自体がどうなるかわからないのに、復員兵、機械建設工学校卒業生という肩書きだけを得ても、何の足しにもならないのだ。となれば、ボリシェヴィキの活動家という選択肢――人生――を選ぶほかないのだが、大きな問題があった。バクーのあるアゼルバイジャン、そして隣接するアルメニア、グルジアの三国――カフカース一帯では、ボリシェヴィキは劣勢であったのだ。臨時政府は権力を失っていたが、メンシェヴィキが民族自治を掲げ、事実上の政府を作り上げ、支持を集めていた。アゼルバイジャンでは、イスラム教民族主義政党のミュサヴァト(ムサヴァト、ムサワトとも)党も勢力を増していた。彼らと彼らを支持するムスリムたちは、親トルコ派だった。
そのような情勢下、われらがラヴレンチー・ベリヤは再びアナスタス・ミコヤンのもとを訪れ、彼にある提案をした。再び、両面待ちの作戦であった。つまり、われわれのうちから誰か、メンシェヴィキ陣営に潜り込ませてはどうでしょうか、つきましてはその危険な任務は自分が‥‥というものである。彼は年若いとはいえ、それなりに熟達した党員であったから、学生時代のサークル員のように感激することはなかったが、自分より若いベリヤの本心を見抜くことはできなかったようだった。ミコヤンは、学生時代の友人と同じようにベリヤを高く評価し、同じように党の有力者たちに引き会わせてくれた。そのひとりが、オルジョニキーゼであった。ついに、会うことができたのだ。
――彼も老練な活動家であったが、自分より一三歳も年下の、しかも活動家になりたての若い男の本心は、見抜けないようだった。すなわち、このままメンシェヴィキが勝つようなら、知り得る限りのボリシェヴィキの情報を彼らに売ろうという算段――両面待ち――をしようとしていることを‥‥。オルジョニキーゼは、この若者が語る計画を聞き、喜んで受け入れ、彼を大きく手を広げて抱擁した。この地域をうまく制圧できれば、自分の出世も早くなろうというものだからだ。
「ラヴレンチー・ベリヤ君、だったな」
オルジョニキーゼは、大きな笑顔を作った。
「君のことは、同志スターリンに必ず伝える」
さらにこうも言った。
「同志レーニンの耳にも、君の名は入るだろう‥‥」
何処まで信用できるかわかったものではないが、ラヴレンチー・ベリヤも笑顔を作った。賭けの一歩は踏み出したのだ。いまさら後戻りはできない。
「感謝いたします。同志オルジョニキーゼ」
「堅苦しいのは無しだ」
グリゴリー・オルジョニキーゼは、あけっぴろげな笑顔を見せた。
「〈セルゴおじ〉と呼んでくれ」
だが、われらがラヴレンチー・ベリヤには、そんな言葉よりも、次の一言がはるかに重要であった。
「約束しよう。任務達成の暁には、君を必ず、同志スターリンに引き会わせる」
果たして、われらがラヴレンチー・ベリヤの賭けは当たった。メンシェヴィキ側につくのは、たとえ情報をすべて売ることができても、そこで終わりだからだ。彼は一学生の身分を保ち、一九一八年の激動のバクーで涼しく過ごした。五月、西方のエリザヴェトポリ――とロシア人によって名づけられていた都市――で、ミュサヴァト党がイギリス軍の支援のもと「アゼルバイジャン民主共和国」の樹立を宣言した。政教分離、信教の自由を定めた世俗憲法を持ち、多党制による議会政治が行なわれていた。これにはメンシェヴィキも参加していた。エリザヴェトポリはギャンジャ(ガンジャ)という名前になり、この政府の首都になった。
ボリシェヴィキはこの政権の警察によって弾圧され、やがて争乱はバクーにも及んできた。かつてのテフニクムのマルクス主義研究サークルのメンバーたちは、血を流してバクーの街路で闘っていた。すでに有力者オルジョニキーゼから密命を受けている身分のベリヤは、地区ボリシェヴィキ内で彼らを追い越していたし、実際にも立場上、同じ真似はできなかった。彼はメンシェヴィキを探りつつ、この年は天秤をこちら側へ傾けかけていた。九月には、バクーにもイギリス軍に後押しされたこの政権の旗が翻り、「アゼルバイジャン民主共和国」の新たな首都と定められた。
(だめか、ボリシェヴィキは――)
ラヴレンチー・ベリヤは、メンシェヴィキ内に知己を作るべく奮闘した。無論、どちら側にも本心を悟られないように‥‥。
バクーはイギリス軍に占領され、トルコ軍に占領されて(アナスタス・ミコヤンはこのとき、船でカスピ海へ脱出を果たした)、またイギリス軍に占領される、という遍歴を経た。が‥‥翌一九一九年二月、アナスタス・ミコヤンが、ボリシェヴィキによって再び送り込まれてきた。おっとりしている彼も、さすがに任務と復讐に燃えていた。脱出した先で、彼ひとりを除いたボリシェヴィキの全員が処刑されていたのだ――彼自身、すんでのところで死を免れていた。アナスタス・ミコヤンは「人民蜂起」の計画を巧みに進め(その手腕には、ベリヤも目を見張った)、四月にはオルジョニキーゼを中央委員会代表また民族人民委員スターリンの特使として、セルゲイ・キーロフという人物とともにバクーに来着させるに至った。ラヴレンチー・ベリヤは天秤を逆に傾けた――オルジョニキーゼと再会し、このセルゲイ・キーロフとも会うことができた。
セルゲイ・ミローノヴィチ・キーロフ。セルゴ・オルジョニキーゼと同い年であるのは、前述の通りである(グリゴリー・オルジョニキーゼは、他の多くのボリシェヴィキたちの変名と同じように、このあだ名のほうがよく知られていた)。一八八六年三月――オルジョニキーゼは同年一〇月生まれである――カザン県生まれのロシア人である。「キーロフ」もまた変名であり、本名をセルゲイ・ミローノヴィチ・コストリコフといった。ベリヤとの単純な年齢差は一三歳だが、早くに両親を失って孤児院で育ち、十代から活動家歴があり、すでにボリシェヴィキ内ではよく知られていた。なお、オルジョニキーゼも十代から活動家歴がある。
前述の通り、同年齢のオルジョニキーゼが年かさに見えたのに対し、このセルゲイ・キーロフは年相応、あるいは実年齢より若く見えた。それは、はち切れんばかりのエネルギッシュな言動にも由来していた。金色の髪はぼさぼさであったが、それはむしろ、労働者と同じ世界を共有している証でもあった。
「同志諸君!」
「わが兄弟よ‥‥!」
「荒鷲の少年たちよ、鷹のように聡き女性たちよ!」
この男は、しばしばこのように演説を始めた。そこには確かな論理に裏打ちされた強固な信念と血肉が感ぜられ、人々を動かす――あるいは酔わせる――ものがあった。
「偉大なる革命よ永遠なれ!」
キーロフがこのように演説を結ぶと、いつも聴衆から割れんばかりの拍手が起こった。
若きラヴレンチー・ベリヤは、この壮健な男がオルジョニキーゼと同年齢――厳密には数ヶ月年上――であることを知って驚くと同時に、その人気、滑らかなロシア語の力強い語り口に嫉妬もした。嫉妬は、口には出さない。いつかこの男のように――地位、名声、権力、人気‥‥すべてを彼は得ていた――なりたいと思いつつ、われらがラヴレンチー・ベリヤは、キーロフに自分を売り込むことも忘れなかった。
ボリシェヴィキが着々と準備を進めるなか、ベリヤもまた、天秤の傾きを大きくしていった。一九一九年内に、イギリス軍は、バクーに民主ミュサヴァト政権を残したまま、彼らの都合で勝手に撤退していった。同年内に、ラヴレンチー・ベリヤはバクー機械建設工学校を卒業した。
一九二〇年四月二〇日未明、セルゲイ・キーロフ指揮下の赤軍第11軍が、バクーを急襲した。民主ミュサヴァト政権――「アゼルバイジャン民主共和国」――の閣僚たちは逮捕され、その日のうちにバイロフ刑務所で処刑された。赤軍兵士たちは、二四時間の休暇を与えられた。いちおう、いたずらはブルジョアジーに対してだけだ、と言い渡されていたが、守られなかった。この夜、バクー市の多くで火の手が上がり、略奪と強姦が相次いだ。修道院は破壊され、修道尼たちは強姦されたうえ、殺害された。
翌日、ヴェーチェーカーが到着した。オルジョニキーゼの指揮のもと、民主ミュサヴァト政権の将校の全員、またそれに連なる役人――郵便局長や駅長といった者まで――が投獄された。バイロフ刑務所はすぐ満杯になり、ナルゲン島という小島に即席の収容所が作られた。徴発された蒸気船が、この小島に次々と乗客を運んだ。疫病の心配は無用だった。何故ならこの乗客たちは、裁判もなしに片端から機関銃の一斉射を浴びることになったのだから‥‥。この殺戮は六日間つづいた。ボリシェヴィキが、そんなに機能的に動ける? 彼らの組織に潜伏していた、われらがラヴレンチー・ベリヤの功績が大であった。彼は、犠牲者のほとんどの名簿をあらかじめ作成していたのである。オルジョニキーゼはレーニンに報告書を書き送った。そこには、この若きミングレル人の名もしっかりと載っていた。
――五月五日、六日の両日に、第一回バクー・ボリシェヴィキ党大会が実施された。グリゴリー・オルジョニキーゼ、セルゲイ・キーロフ、そしてアナスタス・ミコヤンの三名が基調報告演説を行ない、アゼルバイジャン共産党の創設が議決された。ボリシェヴィキたちの盛大な拍手のなかに、われらがラヴレンチー・ベリヤの得意げな顔もあった。
オルジョニキーゼに――スターリンに――とって、次は、残る二国、アルメニアとグルジアであった。グルジア侵攻が始まるのである‥‥。グルジアの人々は、隣国アゼルバイジャンの悲劇を知っていたから、当然警戒を強めた。一方、ポーランドによる侵攻が始まると、レーニンは、オルジョニキーゼに電報を打った。――これ以上カフカースに深入りするな、全軍を国境付近まで撤退させよ、と‥‥。四月二七日、ボリシェヴィキは友好・内政不干渉等を原則とする協定を、メンシェヴィキを主とする独立グルジア政府――「グルジア民主主義共和国」政府に提案した。五月七日、ポーランド軍がウクライナのキエフを占領すると、翌日ボリシェヴィキは、このグルジア民主主義共和国政府との間に平和条約を締結した。セルゲイ・キーロフが、グルジアの――いわば表の――ボリシェヴィキ代表となり、オルジョニキーゼとミコヤンがその陰で工作を始めた。ラヴレンチー・ベリヤも、ある密命を帯び、グルジアに送り込まれた。
彼はこのとき、スフミの実家を訪れている――それくらいの自由を得られる立場になっていた。ラヴレンチー・ベリヤはスフミの一帯の「状況」を調べ、トビリシへ向かった。だが、ここで彼は現地警察に逮捕される、というへまをやらかした。七月のことである。ボリシェヴィキの密偵であることが発覚し、クタイシ刑務所に投獄された。しかし、獄中生活は、彼が思うほども長く続かず――ひと月もしないうちに釈放された。七月九日、セルゲイ・キーロフがグルジア行政府に手紙を送り、同志ラヴンレンチー・ベリヤの即時釈放とアゼルバイジャンへの移送を求めたのである。これは認められ、八月には、ベリヤは自由の身としてバクーに戻ることができた。
九月、バクーに新しい総合大学が開校した。ラヴレンチー・ベリヤは、この大学に入学し、再び建築学を学び始めた。党の会合への出席は党規により定められていたから出ていたが、それ以外は寸暇を惜しんで勉学に打ち込んだ。逮捕の報告の際には、オルジョニキーゼとミコヤンには自分の「殉教」ぶりを大袈裟に申し述べたが、ボリシェヴィキは、特にこの一件に報いてくれる気配はなかった。組織には、逮捕経験者など本当に山ほどいたからである。長い流刑に遭った者も少なくない。オルジョニキーゼは活動家時代に何度も逮捕され流刑や長期間の重労働刑を科せられた経験があるし、石橋を叩いて渡る主義で裏方に回ることが多いミコヤンでさえ、先に捕まった際には危うく殺されかけたのだ。ひとりの若僧が少々食らい込んだという受難劇など、ボリシェヴィキには取るに足らないものだった。それで、われらがラヴレンチー・ベリヤの政治熱は、この時期、冷めていったのである。しかし、それはわずかな一時期だった。野心に満ち溢れる彼を、再び政治に――ボリシェヴィキに引き戻すニュースが入った。
一一月二日、ラヴレンチー・ベリヤは、いつものように少々うんざり気味にボリシェヴィキの集会に出向いた。
(また、いつもの空念仏に絵空事か――)
もちろん口には出さず着席したベリヤだったが、少々の「空念仏」の後、同志オルジョニキーゼがうんと誇らしげに、そのビッグ・ニュースを報告した。同志スターリンから、三日以内にバクーに到着する、との手紙が届いた、というのである。室内はどよめき、得意げだったオルジョニキーゼも、党員たちをなだめるのにひと苦労せねばならなかった。
(これは――‥‥!)
われらがラヴレンチー・ベリヤの眼鏡の両眼も、興奮に輝いていた。――これを光明と言わずして、何を光明と言うのか――!
祝賀会の開催、そのための特別委員会の設置が、その場で決められた。熱気が、集会の場所であるアゼルバイジャン共産党中央委員会本部の建物全体に拡がっていった。特別委員会は、オルジョニキーゼとミコヤン、そしてトビリシからキーロフに来てもらい、この三巨頭で構成されることになった。オルジョニキーゼは議長に選出され、そして、ここへ来るまでは建築学のことで頭がいっぱいであったラヴレンチー・ベリヤを、補佐役のひとりとして指名した。
「――光栄です」
われらがラヴレンチー・ベリヤは笑顔を見せた。歯車は回るのである‥‥。
‥‥ヨシフ・スターリンは、一九〇五年にレーニンと初めて出会った際の第一印象を、率直にこう述べている。
「私は、わが党随一の大鷲、政治的だけでなく体つきでも大きい偉大な人物に逢えるものと期待していた。‥‥ところがごく普通の見映えの男を見たときは、どんなにがっかりしたことか」
いかにも彼らしい感想である。さて、われらがラヴレンチー・ベリヤは、そのスターリンよりも現実家であった。目の前のことしか見えない男であった、とも言える。ヨシフ・スターリンの噂はいろいろ聞かされてはいたが、何か革命の巨人のような人物だとは、全く考えていなかった。ベリヤはそもそも、他人というものを仰ぎ見るという心情に駆られたことなど――これからも――一度もない男であった(敢えてあげれば先のキーロフに対してだが、彼が欲しいものは、地位、名声、権力、人気‥‥なのであった。キーロフを尊敬したわけではない)。だから、三日後、レーニンやトロツキーらが活躍する舞台裏で革命を支えているというふれこみのその「職業革命家」「実力者」を前にしたときも「がっかり」するようなことはなかった。ただ、(痘痕面の、小さい男だな)と純粋に思っただけである。私服で街を歩いていれば、昔の俺なら脅して金をゆする類の貧相な男だ、というのが、彼の率直な感想であった。
しかし同時に、彼の心にひっかかるものがあった‥‥。それは後で考えることにして、われらがラヴレンチー・ベリヤはとにかく、この実力者の来訪を捉えて、精一杯自分を売り込むことにした。この同志ヨシフ・スターリンにとって、今回の来訪が「凱旋」であることは、容易に想像できた。この男もまた、かつてツァーリ政府の官憲に捕縛され、このバクーのバイロフ刑務所で刑期を過ごしていたのである‥‥。
――満員のホールに、ヨシフ・スターリンの淡々とした声が静かに響いていた。演題は「プロレタリア革命の三年間」。凱旋であるはずだが、髭面のこの実力者は、まるでポーカー・フェイスであった。
(――無理しちゃって‥‥)
ベリヤは心のなかでは嘲弄しながら、しかしポーカー・フェイスどころか崇拝の表情を顔いっぱいに作り、最前列中央に陣取っていた。そして、ここぞというところで、手が痛くなるほどの盛大な拍手を試みたのである。演壇の三巨頭――オルジョニキーゼ、ミコヤン、キーロフ――すら一瞬呆気にとられるほどの、若さがなせる技であった。彼ら三名も手を打ち合わせ始め、拍手の輪はたちまちホール全体に拡がった。
演壇の実力者は、この眼鏡の小太りの若者の顔を、僅かな間だったがちらりと見、そしてホール全体を見渡し、鳴り止まぬ拍手に対し、ほどほどに、という謙遜のジェスチャーをしてみせた。しかし、われらがラヴレンチー・ベリヤの観察眼は、見逃していなかった。目の前の地味な身なりの男が、内心嬉しくてたまらないのだ、ということを‥‥。
翌年の四月まで、ラヴレンチー・ベリヤは再び建築学に励む一学生に戻っていた。あの集会で、手応えはたしかにあった。しかし、それが芽をふくまでは、やることをやるべきなのだ。もちろん党の集会には出席し、そして必ず、オルジョニキーゼとミコヤンに話しかけることを忘れなかった。そして――芽がふくのである。一九二一年四月、ラヴレンチー・ベリヤは、オルジョニキーゼによって党執行委員会本部に呼び出された。本部の事務室のドアを開けると、まず目に飛び込んできたのは、いかにもオルジョニキーゼらしい豪華な象眼細工の机――資本家から奪った――であった。その机に負けないくらいの、大袈裟なオルジョニキーゼの笑顔と大きな歓迎の抱擁が、彼を出迎えた。
「おまえしか出来ない仕事だ」
オルジョニキーゼは誇らしげに言った。あの集会は大成功で、スターリンはすっかり上機嫌で彼を讃え、同志レーニンに同志のグルジアでの活動をしっかり伝える、と確約してくれたのだ。ラヴレンチー・ベリヤ。この機転の利く若者は、彼の財産であった。
「おまえのような有能な若い人材を、党は求めているのだ」
これは社交辞令であるとともに、後の二十万人党員入党等を考えれば事実でもあった。ラヴレンチー・ベリヤにとって、学業の断念は、致し方ないことだった。世の中自体がこの先どうなるかの見通しもつかないのに、建築学を学んでいても先が見えていることは、彼は勉学に励む一方、よくわかっていた。われらがラヴレンチー・ベリヤは、甘い夢など持たぬのである。立派な建築家という絵に描いた餅よりも、目の前の権力であった。
――ラヴレンチー・ベリヤは、弱冠二二歳にして、グルジアにおけるヴェーチェーカーの秘密行政部議長代理(副長官)となり、実質的にバイロフ刑務所を仕切る立場として、そこに執務室を構えることになった。刑務所長とは別だが、オルジョニキーゼの全権代理として、所長へも下命できる立場である。彼はここで囚人の「管理」を徹底させ、またグルジアの地になお残る反抗分子の捜査と逮捕とを、開始していった‥‥。
‥‥このバイロフ刑務所時代に、彼は自ら容疑者を拷問することを覚える。彼は、犠牲者を殴り、足蹴にした。容疑者は、大人とは限らない。十代の少年が手に負えないことは、彼自身が誰よりもよく知っていた。彼の暴行は、少年に対しても行なわれた。少女に対しても性的な暴行を加え、大きな興奮を覚えた。
この年の夏のスターリンのグルジア訪問が、彼にとってみじめな失敗に終わったことは、前述の通りである。人民集会だけではない。トビリシでの党の集会でも、次のような有様であった。
「同志諸君!」
スターリンが演説を始めたが、会場である鉄道労働者会館の大ホールの空気は、冷え冷えとしていた。午前中ではあるが、もう夏なのにである‥‥。
「同胞の諸兄よ‥‥!」
会場の三千を超す労働者たちは、内容以前に気に入らないことがあるようだった。
「なぜグルジア語でやらないんだ!」
野次が飛んだ。
「おめえ、母国語を忘れたのか? ふざけるな!」
壇上のスターリンは、平静を装うのがやっとであった。
「私は母国語を忘れていません」
ヨシフ・スターリンの声――ロシア語――のなかに懼れの響きがあるのを、ラヴレンチー・ベリヤはまた、耳ざとく聞き取った。
「そうではなくて、私は、偉大な十月革命の言葉を使っているのです‥‥」
ともかく、空気は冷たいものではなくなった。千人単位のどっという哄笑が、ロシア人化したこのグルジアの男に浴びせかけられたのである‥‥。
その日の午後、ヨシフ・スターリンの歓送パーティーが気まずいものであったことは、言うまでもない。タマダー(主賓)のみじめな姿を、みな見てしまっており、主賓もそのことをよく知っているのだ。陽気なオルジョニキーゼさえ、場を盛り上げられなかった。しかし時間の経過とともに、まろやかなコニャックの酔いが主賓の気持ちを上向かせようだった。長い酒宴の終わりごろ、スターリンは立ち上がった。
「――グルジアの土地には、まだ雑草が多くはびこっている。われわれは改めて、それに鍬を入れよう‥‥!」
そしてスターリンは、野牛の角になみなみと注がれた(グルジア風である)コニャックを、ごくごくと一気に飲み干した。しかし、パーティーの参加者たちは、どう対応したらよいかわからなかった。ボリシェヴィキに、グルジア共産党に、グルジアの人々の敵意が向けられているのは、彼らも日々感じていたのだ。オルジョニキーゼはひたすら強硬路線を主張していたが、それに対する疑問も多くの者が抱えていた。しかも、どうやら、同志レーニンも強硬策には難色を示しているらしい‥‥という噂が、わずかだが入ってきてもいた。ウラジーミル・レーニンは、カフカース地方での強硬路線を戒め、殺戮を行なった地域では、その地域担当の党指導者が、それで納得が得られなければさらに上の者が、住民に謝罪すべきだ、とまで洩らしているという‥‥。
オルジョニキーゼはこれには猛反対し、スターリンを通して自分の路線の正しさをモスクワへ上げていたが、部下たちの何ともいえない視線がいま彼とスターリンとに向けられ、さしものオルジョニキーゼも、どうすればよいかわからなかった。酒宴は、先ほどの集会のように白けたものになった。そのときである。ひとりの若い給仕が、ぜいぜいと肩で息をしているスターリンを救った。他の者がスターリンに駆け寄ろうとしたが、スターリンが、いらん、と手で制して、威厳を取り戻そうと胸を張る努力をしていたときだった。その若い小太りの給仕は、余分の杯(野牛の角である。ハンティという)を手に、力強く同意を示したのだ。
「――われわれは雑草を根絶しよう! グルジアじゅうに鍬を入れよう!」
そして給仕は、実力者である同志に向かって、敬意を示すように杯を高々と差し上げ、同じように一気に飲み干したのである。給仕――われらがラヴレンチー・ベリヤ――は、飲み干した後はタマダーと同じくらい息を絶え絶えにする小芝居も忘れなかった。貴賓ヨシフ・スターリンのどんより曇っていた顔が、ようやくほころんだ‥‥。
翌日、スターリンはモスクワへ戻っていったが、素晴らしい贈り物を残しておいてくれた。彼は、前回の訪問の際の大拍手も忘れてはいなかった――オルジョニキーゼに、あの若い給仕をいずれグルジアのヴェーチェーカー支部長、まだ若すぎるというなら支部長代理に任命するよう、託していったのである‥‥。
すぐには、その地位までには行けなかった。オルジョニキーゼが、あの男はまだ(アゼルバイジャンの)バクーで必要だ、と言ったのである。
「おまえの出世は、俺の喜びだ。しかし今は――」
オルジョニキーゼは、ベリヤにこのように言い、バクー行きを命じた。
(邪魔するなよ‥‥)
ラヴレンチー・ベリヤは内心舌打ちし、少々憂鬱になりながらも、バクーに向かった。
すでにこの頃から、オルジョニキーゼとベリヤの間には――党での位置も年齢も離れているが――微妙なものになりつつあった。だが、上昇したい一心の若僧と、地域一帯を預かる党の幹部とでは、日々の世界が違う。オルジョニキーゼのほうは、伝えたときのベリヤの冷ややかな視線を、次第に忘れていった。地域の制圧という任務はまだまだ道なかばであり、ひとりの若僧の野心につきあっている余裕はなかった。
ベリヤは、バクーでまた元の仕事に戻ったが――うまい話はあるものである――彼がバクーで捜査していたダシュナークというグループやミュサヴァト党の残党が、ひそかにグルジアへ入り込んでいる、という情報が入ってきた。ベリヤは早速、捜査のための出張という口実を設け、グルジアのスフミに赴いた――メンシェヴィキ残党もまた、グルジアに入り込んだらしい――との報告をしておくことも、忘れなかった。
ベリヤは昔馴染のスフミで、ネストル・ラコーバという人物と親密になった。この人物は、年齢こそ若いが、スターリンの直接の友人のひとりであり、同地のアブハジア・ソビエトの代表でもあった。実は、以前、キーロフがベリヤを救ったのは、このラコーバの口利きによるものであった。ベリヤはあらためて大袈裟に礼を述べたて、彼とのパイプを太くしようと努めた。
「‥‥‥‥」
このラコーバは、ベリヤの野心を見抜いていた。キーロフに口を利いた際も、一方でそうしながら、彼は油断できませんよ、と一言添えることは忘れていなかった。
ラヴレンチー・ベリヤの育ったスフミはまた、アブハジアと呼ばれる地域にも属している。アブハズ語を話す、アブハズ人と呼ばれる民族も存在するのである。グルジアの地がロシア帝国へ編入されてゆく過程で、この「アブハジア」もロシアの「保護」領となり、後には完全に主権が剥奪された。正教のロシア帝国によるイスラム教の迫害を逃れ、多くのアブハズ人がオスマン帝国側に逃れた。このとき残された土地にアルメニア人、グルジア人、そしてロシア人が住み着き、彼らは少数派に追いやられた。ブリタニカ百科事典によらなければならない点が残念だが、一九一一年の時点でのスフミの人口は四万三千人で、うち三分の二はミングレル人、三分の一がアブハズ人である。
ラヴレンチー・ベリヤはトビリシへも行き、さらに人脈作りに精を出す。カフカースの古参ボリシェヴィキとして有名なフィリップ・マハラーゼ、その兄のセルゴ・マハラーゼ、グルジア共産党の長老株ブードゥー・ムディヴァーニ、そしてレーニンの親友でもあるマミア・オラヘラシヴィリ‥‥。みな、夏のあの集会で演壇にいた、実力者たちである。また、この時期はカフカースを離れていたが、アヴェリ・エヌキーゼという有力者にもわたりをつけた。
アヴェリ・ソフローノヴィチ・エヌキーゼ。やはりグルジア出身の古参ボリシェヴィキであり、カフカースにおけるもっとも活動的なボリシェヴィキのひとりであった。バクーにおける非合法活動を組織、指導したことでよく知られていた。一九一四年以後はロストフ、モスクワ、そして「ペトログラード」と改称されようとしていたサンクトペテルブルクへ活動拠点を移したが、そこで逮捕、シベリアに流刑にされている。政府により徴兵されたが、ペトログラードに舞い戻り、十月革命では市街戦に加わり、活躍した。現在では中央委員となっており、そしてまたスターリン、キーロフの友人でもあった。
一九二二年三月一〇日、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアの共産党代議員が一同に会する代議員大会がバクーにて召集された。オルジョニキーゼは張り切っていた。二日後、大会は「ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国」の誕生を宣言した。そしてラヴレンチー・ベリヤはトビリシに赴任するのであるが、バクーでの自分の執務室から、秘密書類の類をすべて持ち去ることを忘れなかった。一一月のことである‥‥。
この間にも、グルジアの方向性を定めるボリシェヴィキ内の議論は過熱し、対立が起こっていた。一方は、フィリップ・マハラーゼやブードゥー・ムディヴァーニを軸とする、グルジアの独立性を唱えるグループである。彼らは「ザカフカース」としてのソビエト連邦への加入に強く反対し、ウラジーミル・レーニンを味方につけようとしていた。もう一方は、オルジョニキーゼとモスクワのスターリンを軸に「ザカフカース」を誕生させた側である。彼らも無論レーニンの援護は欲しかったが、前述の通り、レーニンは赤軍によるグルジア侵攻を憂慮し、前者のほうに肩入れしていた。彼らは互いに「大ロシア主義」「民族主義的逸脱主義」とレッテルを相手側陣営に貼りつけ、激しく応酬した。モスクワにおけるスターリンの「奮闘」の甲斐があり、結果としては「ザカフカース」が誕生した――つまり「大ロシア主義」側が勝利したのであるが、両者はよりはっきりと陣営に分かれ、対立はますます深まった。
ベリヤが、ヴェーチェーカーあらためGPUのグルジア支部長代理としてトビリシに赴任した一九二二年一一月とは、この対立が頂点に達しようとしていた時期であった。事件が起こっていた。オルジョニキーゼが部下とともにムディヴァーニたちのグループのもとを訪れ、論争、そして暴力に及んだのである。ムディヴァーニらグルジア指導部は怒り、レーニンにこの一件を伝え抗議し、オルジョニキーゼ主導のものが含まれる「ボリシェヴィキの」暴虐事件をリスト・アップして送った。
「わしにおとぎ話ばかり吹き込みおって――」
レーニンは情報操作していたスターリンに怒り、オルジョニキーゼを激しく批難した。そしてついに、GPU議長フェリックス・ジェルジンスキーを調査のため同地へ派遣したのである‥‥。オルジョニキーゼ陣営が彼を歓待したのは言うまでもない。しかし、ジェルジンスキーは、そんな手に乗るような男ではなかった。しかしまた同時に、彼は自分の考えを持ってもいた。ジェルジンスキーは、スターリンとオルジョニキーゼの主張に共鳴したのである‥‥。「労働者の騎士」「革命の剣」‥‥その峻厳さで知られるこのポーランド出身の秘密警察の議長は「民族主義的逸脱」を認めなかったのである。彼には彼なりに、自分の観点があったのであろう。自らも少数民族出身であるがゆえに、彼らの主張をいちいち認めていっては際限が無くなる――それよりも、少なくとも混乱が収まるまでは、ボリシェヴィキとしての同一性を前面に押し出すべきである、と。
それでもレーニンは、特にスターリンに疑念を募らせる。彼は、他の共和国で同様の軋轢が起こることを懸念し、オルジョニキーゼとスターリンらの大ロシア主義の押しつけを批判したのである。スターリンは、これによりレーニンの信用を失った。しかし、この時期レーニンはすでに病床にあり、政治局においては先のトロイカがその影響力を増しつつあった。オルジョニキーゼの「奮闘」もあり、結局、一二月三〇日の「ソビエト社会主義共和国連邦」の正式な樹立とともに、グルジアは「グルジア」としてではなく「ザカフカース」の一地域として、ロシアや他の共和国とともにこれに統合されるのである‥‥。先の「ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国」の誕生と同様、そのための代議員大会が再びバクーにて一二月一三日から開かれ、これを決議していた。われらがラヴレンチー・ベリヤの姿も、そこにあった。
とはいえ、彼は政治的にはスターリン‐オルジョニキーゼ派ではあったが、彼らと違い、実際にそのグルジアで勤務せねばならなかった‥‥。だから、赴任してからの間に、ムディヴァーニ、マハラーゼ兄弟、オラヘラシヴィリ‥‥といったもう一方の実力者連に、地道に挨拶と助力への感謝を述べることも忘れなかった。無論、極力オルジョニキーゼの目に止まらぬように――自信はあった――である。われらがラヴレンチー・ベリヤは、見てきた通り、可能であれば常に両面待ちを行なうのである‥‥。
オルジョニキーゼに応えスターリン――とキーロフ――もモスクワで「奮闘」し、翌一九二三年一月二五日、政治局はムディヴァーニとその支持者たちを解任するという決定をくだした。そして、有能なるわれらがラヴレンチー・ベリヤは、自分のバクーのバイロフ刑務所時代の「改革」――囚人の管理の徹底――を、グルジア全土の刑務所において行なってゆくのである‥‥。ラヴレンチー・ベリヤ、二四歳を迎える春であった。
2014年7月27日、本文の体裁を整えました。
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しばらくローカルな展開です。