第八話 人の噂は何日まで?
あのデート争奪戦から一週間後。
この間の喧騒が嘘のようにこの学校の生徒及び教師たちは、静かで穏やかな学校生活を楽しんでいる。飢えたハイエナのごとく綾瀬さんにたかっていた我が高校の男達も「僕たちがそんなことをするはずがないだろう。マドモアゼル」とでも言うような紳士面でさわやかに笑っているのだから面白い。まあ、学校に設置された隠しカメラがあのすさまじい紳士たちの行動を撮っているし、しかもそれは近々公開予定なのでそんな顔をしていられるのも時間の問題だろう。目を見開き、涎を垂らし、鼻で獲物を追う紳士たちの映像が全校に流されるかと思うと今から楽しみで――いや、可哀相で仕方がない。
ちなみにあのデート争奪戦の結果なのだが、結局、デートは神谷と池西と綾瀬さんの三人で行ったそうだ。
どうもあのチケットは『家族で行こう。フェアリーパーク』という名目のくじ引きであったらしく、無料となるのは四人までだったのだ。しかし、あの三人の中に割り込もうとするお邪魔虫など遠藤以外にはいなかったので、神谷と池西と綾瀬さんの三人で仲良く遊びに行っていた。神谷も池西も不満そうだったが、綾瀬さんの嬉しそうな表情を見て諦めたらしい。実に喜ばしいできごとだ。しかも、帰ってきた後でデートの内容を聞いたときの綾瀬さんの表情も、とても興味深かいものがあった。顔を真っ赤に染まらせた原因は一体何だったのだろう?それなりに検討は付くが、今度神谷あたりから聞き出してみるか。
・・・・あと、そのデートの裏には血だらけで天井に吊るされた一人の男の犠牲があったことを、一応、明記しておこう。
逆さに流れる血の涙の中、「あれって、俺が当てたやつじゃなかったけ?」と言っていたのが未だに耳に残っている。まあ、そういうこともあるだろう。そして恐らくこれからも絶えず起こり続けることだろう。頑張れ、遠藤。負けるな、遠藤。死ぬな、遠藤。
さて、そんなこんなでデート争奪戦も一段落し、特にこれから予定も珍事もなく、また起きそうにもないので、久しぶりに生徒会も平凡な日々を送るのではないか思っていた今日この頃。
しかし、その予想は見事に打ち砕かれた。
いやいや、私的には面白いのならそれでいいのだがね。
今日も私は生徒会室への廊下を歩く。
廊下はやはりこの間と比べると随分平和で、どうにも寂しさを感じてしまう。まあ、たまにはこんな日もあるべきなのだろう。静かなのは嫌いではない。
平凡、普遍、普通などといった言葉は聞こえが悪いかもしれないが、落ち着いた日というのも大切だ。あまり忙しない日々ばかり過ごしては、こちらもお腹一杯になってしまうというもの。ゆっくりとした時間を過ごすのも悪くはない・・・・はず。
そんな静かな廊下を歩き終え、生徒会室前へとたどり着いた私は、左腕についている時計を確認した。その時計が何製なのだとかどのブランドなのだとかそんなことは知らないが、父が買ってきたものなので一応つけている。そうでないと、鼻水やら涙やらを流しながら訴えてくるので仕方がない。ウザさで言えば私の父は遠藤とはるのだ。
その時計に刻まれた時刻は、生徒会にたどり着くにしては少々早い時間だった。けれど、神谷や綾瀬さんあたりならいてもおかしくない時間なので大丈夫だろう。それに、もし本当に誰もいなくても、やることはある。・・・・そう、トラップ仕掛けだ。ベタに黒板消し落としなんて特に素敵だろう。それに当たるのが遠藤か綾瀬さんくらいしか思い浮かばないのが少々悲しいが。
そんなことを考えながら、やはりたまには早いのもいいだろうと思い、私は生徒会室のドアを開いた。
ドアを開けて、まず目に入ったのは舞い上がる書類の数々。
訝しげに目を細めた私の耳に小さく引き攣るような声が聞こえた。
その声に視線を合わせてみる。
その視線の先には紙ふぶきの中で、組みほぐれている二人の男女の姿があった。
組み敷かれている綾瀬さん。
組み敷いている池西。
池西の手はちゃっかり綾瀬さんの胸に置かれていた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
綾瀬さんと池西の視線は私に。私の視線は綾瀬さんと池西を交互に行く。
三人とも黙りあった。
私たちの間に言葉なんていらなかった。
ポケットから常日頃携帯するようになったインスタントカメラを私はおもむろに取り出す。 呆然とする二人の前で私はシャッターを切った。
ま、これは別腹ということで。
「・・・・ち、違います!誤解、誤解ですから!常磐先輩!」
「・・・・はっ。って、あっ、そ、そうだ!誤解だぞ、常磐!つーか、お前はなんで写真なんか撮ってるんだよ!」
硬直が解けた二人が慌てて弁解をする。しかし、その状態のまま弁解されても説得力など皆無だ。
「証拠に」
「証拠って何ですか!?ご、誤解なんですよ!あのですね、私が書類を落としてしまって、それを池西先輩が踏んで転びそうになっちゃって、だからなんとか支えようとして両手で先輩の手を思いっきり引いたら、強すぎたみたいでこっちに向かって先輩が――」
「じゃあ、その手は?」
「手って・・・・・・・・」
池西はその自分の手を見下ろした。
綾瀬さんは見当違いに自分の手を見た後、何か違和感を覚えたのか自分の胸――池西の手が置かれている自分の胸を見た。
そして降りかかる気まずい沈黙。
二人の顔は沸騰したやかんのごとく徐々に赤くなっていく。
またしても数秒間固まった後、慌てて二人は飛び起きた。
「ち、ち、ち、違いますって!こ、これはその不慮の事故で」
「・・・・・・・・」
「い、い、池西先輩からも何か言ってくださいよ!」
「・・・・・・すまん、綾瀬」
「え?・・・・いや、あの、なんというか、その、き、気にしていませんから」
「・・・・・・」
「ほら、えっと・・・・・・」
手で顔を抑える池西に、綾瀬さんはおろおろと手を動かした後、顔を真っ赤にして俯いてしまった。池西みたいな反応をされてしまっては、触られたほうが何か悪いことをしてしまったような気分になるのだろう。ただ、綾瀬さんは気付いていないのだろうか?手で隠している顔からは何やら赤い液体が滴り落ちているのを。
どこまで純情なんだ、池西。
いやいや、それにしても熱い。熱いな。初々しいカップルのようだよ。
「って、ど、どこ行くんですか!?常磐先輩。口だけの笑いを残したままドアを閉めないでください!」
「お邪魔虫むたいだし」
「そんなことないですから!というか、その手に持ったカメラがものすごく気になるんですけど・・・・」
「気にしない。写真部に現像を頼むだけ。その写真を新聞部に提出するだけ」
「とんでもないことを企んでる!?」
「ぐっ、と、常磐。そんなことは、俺が許さん」
かすれたような声に目を向ければ、そこには死にそうになっている池西の姿があった。手は血まみれ。顔も血まみれ。滴る血など死闘を繰り広げてきた戦士のようだ。戦ってきた相手が自分の妄想なのだとしても、どこか畏怖のようなものを感じる。胸を触って鼻血を出す人というだけでもなかなか畏怖すべき存在だと思うが。
「何をする気?」
「決まってんだろ。そのカメラを完膚なきまでに破壊してやる。綾瀬のため。そしてなにより俺の命のために」
「ふふふふ。そんなこと、させない」
「言ってろ。一瞬の隙すら逃さねぇからな」
私と池西の間の空気がピリピリと震え始める。
池西が必死になるのは当然だ。この写真が本当に新聞部などに提出されたら、それは全校に知られるのと同じこと。つまり、『唯ちゃんファンクラブ』などいうバカたちならず、神谷までにも知られてしまうということだ。これは死を意味するだろう。
もちろん私とて必死だ。こんな面白いことを逃してしまうなんて私のポリシーが許さない。だいたいこのカメラには他にもいろいろと嬉し恥ずかしのお宝写真が眠っているのだ。破壊されたら私のテンションは地へと落ち、何をしてしまうかわからない。恐らく、綾瀬さんに貸しがあったので、それでいろいろと憂さ晴らしをしてしまうだろう。ああ、自分が恐ろしい。
と、いうことで私たちはお互いに負けることなどできなかった。そう、真剣だったのだ。
綾瀬さんはそんな私たちを、固唾を呑んで見守っている。手出しなどできない雰囲気が私たちを取り巻いていた。
そして、私はマッハで振り返りドアを開け、ダッシュの一歩を踏み出す。
池西も素晴らしいスタートダッシュでこっちに向かってきた。
それは、一瞬のできごとだった。
なんとうっかり。廊下にも一枚、生徒会室に舞っていた書類が出ていたらしく、私はそれを踏みつけて走り出そうとしてしまったのだ。
もちろん走れるはずなどなく、そこにすっころぶ。こちらに走り出してきた池西も急に止まれるはずがなく、転ぶ瞬間の私とぶつかり、巻き添えで転んでしまった。
地面とキスをするのだけは勘弁なので、なんとか体を反転させ、顔をガード。しかし、一瞬の背中の衝撃と共に痛みが全身を走る。結局、痛いことには変わりない。しかも上に乗っかる池西がなかなか重い。
「・・・・・・痛い」
「いたたたた。まあ、結果オーライだな。捕まえたぞ常磐!もう逃がさないからな!」
「無理やりはよくない」
「うっせぇ、知ったことか!もう泣こうがわめこうがこっちのもんだぜ!」
「ああ、私の抵抗もここまで」
「だから、何でお前はそう誤解を与えるようなことを・・・・」
「きゃあああああああああああああ!」
「「うん?」」
何やら黄色い歓声が聞こえて周りを見渡せばそこには女子の集団。廊下に倒れ臥していた私たちを取り囲んでいた。
ちなみに池西が私の上に組み敷き、私が池西の下に組み敷かれている。ここだけなら誤解はなんとか解けそうだが、先ほどまでの自分たちの発言。ああ、これはまずい。しかも、自覚があることに私は女顔だ。
ちらっ、と池西の顔を窺ってみると池西は固まっていた。つつけば砂となって崩れて生きそうである。ドアの向こうから綾瀬さんが顔を出していたが、我が関せずといった表情。どうやらからかいすぎたらしい。因果応報というやつか。
仕方がないので自力で固まった池西の下から這い出でると、周りを囲みしかも何か期待した表情の女子の集団に一言だけ言っておくことにした。
「内緒」
そして私は廊下を歩き、生徒会室から退出していった。後ろからはまたしても歓声が聞こえてくる。
まあいい。今日はもう、帰るとしよう。
その翌日、新聞部に私たちの写真が載ったことは言うまでもない。神谷は恐らくわかっているくせに嬉しそうに池西をからかい、高橋さんはその新聞の写真をくりぬいてうっとりと観賞し、遠藤は本気で「頑張れよ」と言う言葉を残し池西にボコされ、綾瀬さんはお菓子を作ってきて私たちを励まし、香川さんは何やら冷たい表情で私のことを見ていた。
ふぅ、まったくやれやれだ。
ちなみに私の写真はちゃんと現像した。今の状態で新聞部に持っていっても私が何やら尋問されそうなので持っていくことはできないが、いつかちゃんと新聞部に提出しよう。人の噂も何日というし、後少しの我慢。
とりあえず、池西のために胃薬でも買ってやるとしようか。
ようやく修学旅行から帰ってきました!うう、しかしこれからもいろいろと忙しくなりそう。更新は少し遅くなりそうです。更新予定とか立てたほうがよろしいのでしょうか?でもとりあえず、不定期更新ということになると思います。それでもどうか、見捨てず読んでいってください!