時間労働者
目を覚まし、ベッド脇の時計へと視線をやれば、時刻は午後五時を超えている。
未だ微睡みの中にあったジョンは、表示された数字を見て、慌てて起き上がった。
余裕綽々の大遅刻、どころか就業時間ですらあるけれど、そんな事はどうでも良い。
問題なのは航刻機の搭乗時間であり、次の昨日行きは六時発と近付いている。これを逃せば次は九時であるだけで無く、契約外搭乗として膨大な料金を支払わされる事になる――一ヶ月での給与が丸々消し飛ぶのだ。何としても避けねばならない。
ジョンはそう急ぎ身支度を整えると、そのままの勢いで外に飛び出そうとし、そこで仕事帰りのジョンと出会した。
「ただいまジョン。こんな時間からご出勤とは、お前も実に大変だね……」
既に事をし終えて来た自身の顔は落ち着いた、しかし何か苦味を帯びたもので、これから事をし終えに行くジョンとしては、軽い苛立ちと疑問を同時に覚えたのだけれど、確かめている暇なんて無いし、それを言ったらその意味自体が端から無かった。
時は変わらない――この観測された事実は、名も定かで無い時間旅行者がその原型を発明した航刻機が、やがて発展、発達し、社会的に運用される様になって以来、嫌という程広まった概念であり、
「お帰りジョン。起こしてくれる誰かは出てったから、この様さ。ま、ともあれ行って来る。お前は独りでダラダラしてろよ」
自身良く解っている事なら、何が起きた――起きるとていづれ解る、己の未来を煩わせるのも忍びないと、そう軽口を言うだけに留めて、ジョンは家を後にする。
「勿論そのつもり、と、いってらっしゃいだジョン。お土産の一つも宜しくな」
「期待するなよ、行って来ます、さ」
去り際に鳴らされる二つの右手、その薬指同士に嵌められた銀の指輪を最早無意味と輝かせながら、彼は駆けて駆けて必死に駆けると、第四十二管理塔へと辿り着く。
はぁはぁと息を切らせながら、ジョンは時刻を確認する――午後六時十分前。何とか間に合ったと、額の汗を拭い拭い、安堵した彼は、観光時としては余り人気の無い前世紀に隆盛を極めたという駅や港さながらに人混みでごった返すロビーの中を、受付目指して歩き始める。スーツ姿の男性を通り過ぎ、全く同じ外見をした者が向こうから来るのをちらと見据え――
事が起きたのは、その時間であった。
眼の前の空間がくしゃと歪み、光の砂塵が乱と飛び交う――航刻に付きものな現象を前に、彼方と此方のスーツ男、他の数多の客に混じってジョンは立ち竦み、突然の異変へ視線と関心を注いだ。
暫くして輝きが収まれば、そこに居たのは一人の老人だった――不快な異臭に塗れた見窄らしい格好に狂人然とした不安定な雰囲気は、航刻を目撃されていなくとも密航者以外の何者でも無く。そんな姿に驚愕と困惑の声が立ち上る中、揺れ泳ぐ瞳と視線交わらせてしまったジョンは、その小汚い顔に笑みが宿るのを見て取った。何かを懐かしむ様な不可解な表情であり、怪訝に眉を潜めれば、彼はますます頬をほころばせながら、その右手を上げようとし――
それでお終いである。
直ぐ側を過る気配にジョンが顔を上げると、何時の間にか何人もの警邏人がそこに居た――老人の来航から一分と成らずの登場は、管理塔が事態を予知していたという事であり、となれば、それは最早いや最初からどうなるか決まっていたという事であり――梟を模した仮面姿の彼等は、驚くべき手際の良さで抵抗する密航者を捕まえ、麻酔銃で昏倒させてしまうと、人々が見守る中、颯爽と彼を運び去ってしまった。
航刻法が確立された当初から既に懸念されていた暗黒世紀からの難民が危険性を、時の執政者は、管理塔を介さない航刻の一律禁止として根本から排除しており、その処罰も簡潔に、元の時代への強制送還と定めている――多くの時代と同様にだ。
人々は、少しだが同じ時を過ごした密航者を偲ぶ様に、暫くその場に留まっていた――角の先見えなければ、あれは我が身かもしれない。そう一抹の不安を抱いて。
が、だからと言ってどうしようも無ければ、彼等は直ぐに自分達の暮らしを再開する――時間が違えば、自分も違うのだ。
その中にあってジョン独りだけが時が停まった様に呆然と立ち尽くしていたが、人工少女の音声案内を耳にしてはっと我に帰れば、急ぎ受付の方へと歩き出す。
脳裏では銀の指輪が三つずつ、不可解な輝きをちらつかせていたけれど、その意味を深く考えている暇なんて何処にも無い――時は待って等くれないのだ。




